おい……これは、一体何の冗談だ? 
 わなわなと震える手から、中身の残ったビンが落ちる。 
 床に液体がぶちまけられるのがわかったが、んなことに構ってる余裕はねえ。 
 俺の腕に抱かれているのは、多分4〜5歳と思われるガキ。 
 長い金髪とはしばみ色の目。だぶだぶのブラウス一枚身につけただけ、という姿で、俺のことをじーっと見つめている。 
「お兄ちゃん、誰?」 
「…………」 
「ここ、どこお? お父さんは? お母さんは……?」 
「…………」 
 俺が何も言わねえせいか、最初は無邪気に笑っていたガキは、段々不安そうな顔つきできょろきょろとまわりを見回し始めた。 
 いつものみすず旅館のぼろい部屋。ここはパステルの部屋で、今は俺とこのガキの二人しかいない。 
 机の上には、書きかけの原稿と半分くらい中身の残ったコップ。 
 ……これか。 
 こいつのせいなのか!? 
 がしっ、とコップをつかむ。 
 無色透明、一見したところ水みてえだが、目を近づけると中に無数の気泡が浮いているのがわかる。 
 サイダー。見た目から判断したら、そうとしか思えねえ。 
 が…… 
「おい……おめえ、名前何てーんだ?」 
 答えはわかりきっていたが、聞かずにはいられねえ。 
 俺が震える声で問いかけると、ガキは、にっこり笑って言った。 
「ぱすてる」 
 ………… 
 こんな……こんなことがあってたまるかー!!? 
「トラップ! トラップ!! ちょっと聞きたいことがあるんですけど! あなたまさか私の薬を……」 
 バタン!! 
 そのとき、予告もなく部屋のドアを開けたのはキットンだった。 
 ぼさぼさ頭を振り乱して、はあはあ荒い息をつきながらじっとこっちをにらみつけて…… 
 そして、俺と、俺の腕の中で怯えた目をする「ぱすてる」と名乗るガキを見て、その場にへたりこんだ。 
「お、遅かったんですね……ああ……わ、私の最高傑作が……」 
 ………… 
 ゆらり、と立ち上がる。俺の形相に、ガキがますます怯えるのがわかったが……構ってられねえ。 
 ぐいっ、とキットンの襟首をつかみあげる。そのまま強引に目線を合わせて、すごみをきかせた声で、言った。 
「キットン……てめえ、今度は一体何をした――!!」 
 
 パステル、というのは、恐らくこの年代の女としては間違いなくベスト3に位置するくらい鈍い女だ、と俺は思っている。 
 普通なあ、この年頃の女っつったら、愛だの恋だのにきゃーきゃー騒いでるもんなんじゃねえのか? いや、別にそうなって欲しい、と思ってるわけじゃねえんだが。 
 それにしたってなあ……もう少し、こう俺のことを男として意識して欲しいというか…… 
 同じ年頃の男と、一つ屋根の下どころか同じ部屋で雑魚寝。普通の女だったら、嫌がったり警戒したり……とにかく、何かしらの反応はするもんだろ? 
 ところが、パステルと来たら。 
 寝るとき、枚数の都合上、俺やクレイと一緒の毛布で寝ることになっても、動揺一つしねえ。 
「おやすみ」 
 何でもないことのように言って、すやすやと無防備な寝顔を見せ付ける。 
 クレイはどうかしんねえよ。あいつもまあ、パステルとためを張るくれえ鈍い男だしな。 
 けどな、この俺は、違うんだよ。ごく普通の18歳の青少年らしく、まあその色々と……思うところもあるし身体の方もきちっと反応してるんだよ。 
 いや、それで俺を責めるのは酷ってもんだろ!? 考えても見ろよ。 
 同じ毛布にくるまって、ごろんと寝返りでも打とうもんなら目と鼻の先に無防備な寝顔があって、さあ触ってくださいといわんばかりの距離に身体があって…… 
 これまで耐えに耐えに耐えに耐え続けた俺は、自分で言うのも何だが拍手ものの我慢強さだと思う。 
 最初は、「まあこいつだって女の端くれだから」と自分をごまかしていた。 
 男だったら誰でもそんなもんだろう。別にパステルだからじゃねえ。他の女と同じ状況になったとしても、多分同じような反応をするだろう、とそう自分に言い聞かせていた。 
 ……が。 
 二年も三年も同じパーティーで顔を合わせ続けて……あいつの一挙一動が気になるようになって。 
 あいつに言い寄る男なんてものまで現れて。そのとき感じた焦燥感っつーか。とにかく、相手の男を即座にぶっとばしてやりてえと感じた思い。 
 それが嫉妬、っつー感情だってことに気づかねえほど、俺は鈍くねえ。 
 パステルにマジで惚れちまってる。すげえ認めたくねえが……心底、参っちまってる。 
 が、自覚したところで、それが何になる? 
 俺の気持ちに気づくなんてことは一生ありえねえだろう。かといって、この気持ちを告白したところで……受け止めてもらえる可能性も、まずねえだろう。 
 自分でわかってるのが情けねえが、パステルの好みの男ってのは、どーも俺と真逆のタイプらしいんだよな。 
 言うなれば、クレイのような、背の高い、顔のいい、そして何より優しい、困ってるときにさっと手を貸してくれる王子様タイプの男っつーのか。 
 ……絶対に俺にゃ無理だ。優しくするなんて性に合わねえし、第一、俺はそんな風に甘やかされるパステルは好きじゃねえ。 
 どんなに泣き言を言っても、結局最後は自分の力で努力する、そういうパステルが好きなんだよ。絶対口にはしねえけどな。 
 つまり……俺のこの思いが実る可能性は、限り無くゼロに近い、と。 
 はあ…… 
 もんもんと考えて出た結論に、ため息しか出せねえ。 
 こんな状態で四六時中顔をつきあわせなきゃなんねえんだから……俺ってある意味世界一不幸な男だよな。 
 とまあ、最近の俺は、こんなことばっか考えてたんだが。 
 世の中奇跡ってのは起こるもんらしい。 
 それは、ある日の夕方のことだった。 
  
 その日、クレイはバイトに出かけて、キットンは薬草収集に出ていた。 
 珍しく一人になった部屋で、ベッドを独り占めして昼寝三昧。こんな幸せな午後はそうはねえ。 
 そうしてごろごろと惰眠をむさぼっていたときだった。 
 コンコン 
 響いたのは、ノックの音。 
 ……ったく。人の昼寝を邪魔すんじゃねえよ。 
「開いてんぞ。誰だあ?」 
「あの……わたし、だけど……」 
 声を聞いた瞬間、眠気は遥か彼方へととんでいった。 
 まぎれもなく、ここのところ年単位で俺を苦しめ続けている、パステルの声。 
「何か用か?」 
 平静を装いつつドアを開けると、パステルは、すげえ思いつめた顔で言った。 
「ごめん。突然、ごめんね。どうしても、言いたいことがあって……」 
 このとき、もし俺の脈拍数をはかってる奴がいたとしたら、即座に医者を呼んだに違いねえ。 
 こっ、このシチュエーション……もしやっ……!? 
「トラップのことが、好きなの」 
 耳に声が届いた瞬間、頭の中でファンファーレが鳴り響いた。 
 男トラップ18歳、ついに春が、春が来た! 今の季節は秋だけどな! 
 パステルは、面白いくらい真っ赤になっている。この一言を言うために、こいつがどれだけ苦労したか、一目でわかる。 
 その瞬間、即座に抱きしめてキスしてそれからそれから? と頭の中を妄想がかけめぐって行ったことを、誰が責められようか。 
 何度も何度も言うが、俺はずっとずっとずーっと、この鈍い女のせいでやり場のねえ欲望に苦しめられてきた。 
 今まで散々我慢してきた恩恵を、今この瞬間に受けなくていつ受ける!? 
 コンマ単位の間にそれだけのことを考える。気づいたときには、俺の手は、身を翻して部屋を出ようとするパステルの腕をつかんでいた。 
「待てよ。言うだけ言って逃げるなって」 
 俺はまだ何も言ってねえだろうが。 
 そう言うと、パステルは、今にも泣きそうな顔で言った。 
「だって……トラップ、わたしみたいな美人でもない色気もない女の子は、興味無いんでしょ?」 
 ……こいつは。 
 まさか、んなことを気にして……今の今まで遠慮してたってのか? 
 ぬかった。鈍い鈍いと自分で連呼しておきながら……こいつに、「照れ隠し」などというこの俺の高尚な気持ちなんざ、理解できるはずもねえって……わかってたはずなのに。 
 はああ、とため息が漏れる。まさか、自分で自分の首を絞めてたとはなあ。 
 っつーことはあれか? 俺がもっと素直になってりゃあ……もっと早くに決着はついてたのか? 
「理想と現実なんてなあ、違うのが当たり前なんだよ。俺も好きだぜ? おめえのこと」 
 本音は意外とすんなり出せた。 
 ここで言わねえと、絶対話がややこしくなるからな。まあ、結果的に正解だったわけなんだが。 
 パステルは、最初きょとんとしていたが、さすがにわかったらしい。 
 つまりは、自分と俺が、両思いだっつーことに。 
 思いつめた表情が消えて、かわりに笑顔が浮かぶ。 
 俺の理性を散々かき乱してくれた、無防備な笑顔。 
 即座に欲望が燃え上がった。それまで我慢を強いられた分、余計に強烈な衝動。 
「つまり、俺とおめえは、晴れて恋人同士になった……ってことだよなあ?」 
 ぐっ、とパステルの肩をつかむ。不安そうに俺を見つめる目が、また何つーか余計に煽るというか…… 
 気が付いたときには、もう唇を奪っていた。それも触れるだけじゃねえ、もっと濃厚なキス。 
 閉じようとする唇の間に強引に舌を差し入れ、あいつの全てをからみとる。交じり合う唾液すらも甘く感じる、この上なく気持ちいいキス。 
「んっ……!!」 
 感じてるのかどうか知らねえが、キスを深めるたび、徐々にその身体から力が抜けていく。がしっ、と背中を支えてやると、柔らかい感触が、胸に押し付けられた。 
 ……我慢、できねえっ。 
 ようするに、欲望に負けた、ってことだ。まあ、戦おうなんて気は端から無かったんだが。 
 そのままベッドに押し倒す。組み敷いたあいつの身体は、普段「色気がねえ」とバカにしてたはずなのに、やけに扇情的で…… 
 潤んだ目でじっと見つめられると、もうそれだけでイキそうになった。 
 そのまま、めくるめく快楽のときを過ごす! という俺の野望は、その直後に響いたお邪魔虫……クレイとキットンの声で、中断せざるを得なかったんだが。 
 くっそ、あいつらもっと遅くに帰ってこいよなあ!? 
 ドアをにらみつけるが、んなことで近づいてくる足音が消えるわけでもなく。 
 仕方ねえ。今日は諦めるか。 
 はあ、とため息をつく。まあ、チャンスはいくらでもある。何しろ、同じパーティーを組んでしょっちゅう顔をつきあわせてるんだからな。 
 全く、俺って世界一幸せな男かもしんねえな。 
「続きは、また今度な?」 
 そう耳元で囁いてやると、パステルは真っ赤になって目をそらした。 
 おーおー、一人前に照れてやがる。 
 ま、仕方ねえか。どうせこのお子様な女のこった。男と付き合った経験なんて、今までねえだろうからなあ。 
 安心しろよ。俺が色々教えてやるからよ? 
  
 ところが、だ。 
 こうして、ようやく長い長い時を経て恋人同士になれたというのに。 
 関係がちっとも進展しない。これは一体どういうことだ!? 
 そりゃあな、俺達は大所帯のパーティーだよ。二人っきりになれる機会がそうはねえこともわかってるよ。 
 けどなっ……そんなもん、作る気になれば、いくらでも作れるもんじゃねえか!? 
「なー。二人っきりでどっか行かねえ?」 
「……どこに?」 
「どっか。二人っきりになれるとこ」 
「…………」 
 パステルにまかせていたら埒があかねえ、と俺から誘ってみてもだ。 
 返って来るのは、いまいち気が乗らない、と言いたげな複雑な表情。 
「行きたいけど、難しいと思うな。どこかに行くって言ったら、絶対ルーミィが一緒に行くって言うと思うよ?」 
 その瞬間、俺がお邪魔虫ランキングぶっちぎり第一位にランクする赤ん坊エルフに本気で殺意を抱いたことを、誰が責められよう。 
 ああそうだな、確かにそうだよ。 
 付き合うようになる前から、あの天使の顔をした悪魔は、散々俺達のことを邪魔してくれたからな。 
 せっかくパステルと二人っきりになった、と思ったら乱入してくるわ騒ぎ立てるわ、「ルーミィ、お腹ぺっこぺこだおう!」なんて横でわめかれて、艶っぽい雰囲気なんか出るはずもなく。 
 あいつさえいなきゃ、もしかしたらもっと早くに俺達は……などと意味のねえ妄想さえわいてくる。 
 パステルの頼りねえ笑顔にひきつった笑みを返しながら、俺は決意した。 
 付き合ってるというのにせいぜいキス止まり。これはよくない。健康な18歳と17歳の少年少女として、非常によろしくない。 
 何が悪いのかと言えば、状況が悪い。四六時中誰かが傍にいるという、この環境が悪い。 
 なら、環境の方を変えるまでだ。 
 ごごごごご、と心の中に決意の炎が燃え上がる。 
 男トラップ18歳。惚れた女のためならば、どんな苦労も苦労じゃねえってとこを見せてやる! 
  
 その日のために、俺はあらゆるところに根回しした。 
 キットンには「何かいい薬草が見つかったって話だぜ」という偽りの情報を与えて、ズールの森へと追い払った。 
 お人よしの幼馴染クレイには、「ルーミィが退屈してるみたいなんだけどよー。パステルは原稿が忙しいから構ってやれねえんだって。おめえに散歩に連れてって欲しいって頼んでくれって言われた」と真っ赤な嘘をついた。 
 もうそれだけでクレイは、「パステルも大変だなあ」なんて言いながら、ルーミィとシロを散歩に連れ出してくれた。 
 ノルはこの際問題外だ。何しろ宿の中に入ってこれねえからな。 
 こっそり宿の外の木を伝って、あいつの部屋を確認する。 
 よしよし、部屋にいるな。これであいつまで出かけてたら大笑いだったんだが…… 
 自慢の視力を駆使して部屋を覗き込む。どうやら、机に向かってるようだ。 
 クレイにはいいかげんなことを言ったが、本当に原稿を書いてるみてえだな。ま、別に何してようと構わねえんだが。 
 するすると木から下りる。はやる心臓をおさえるべく、一旦自分の部屋に戻る。 
 よーし、いいか。落ち着け俺。焦ったら余計に失敗する。ここは一つ、冷静に、だな…… 
 すーはーと深呼吸する。そのとき、目に飛び込んできたのは、机の上に乗っているビン。 
 ん? こんなもん、さっきあったか? 
 ひょい、と取り上げる。中に冷たい液体の入ったビン。無色透明だから水か、と思ったが、目をこらすと気泡がいっぱいに浮いていた。 
 ……サイダー? 誰のだ? 
 ちょっと考えるが、まあこんなところに放り出してあるくれえだ。別に俺がもらっても問題あるまい。気を落ち着けるのにちょうどいい。 
 ぽん、と栓を抜いて、一気に飲み干そうとする。その瞬間、実にナイスなアイディアが浮かんだ。 
 そうだそうだ。ことをスムーズに進めるためにも、機嫌を取っておいて損はねえよな。 
 一階に下りてトレイとコップを持ってくる。サイダーをのせて、いそいそと隣の部屋へ。 
「おい、パステル」 
 ノックをするのももどかしく、ばん、と足でドアを開けると、パステルが、弾かれたように振り返った。 
「トラップ!? 何よ、入るときはノックくらいしてよ」 
「はあ? 俺とおめえの仲じゃねえか。細けえこと気にすんなって」 
 そう言うと、パステルはやや顔を赤らめてうつむいた。 
 思わず抱きしめたくなるが……まあ待て俺。まだ早い。 
「原稿書いてんのか?」 
「うん。もうすぐ締め切りだから」 
「そっかそっか。いつも大変だな、おめえも」 
 そう言うと、思いっきり不審そうな目を向けられた。 
 失礼な奴だな。俺がおめえの心配したら悪いのかよ。 
「トラップ、熱でもあるんじゃないの?」 
「はあ? おめえなあ……この俺が、わざわざ親切に疲れてるだろーとねぎらいに来たってのに、何つー言い草だ」 
 どん、とトレイごと机の上に置く。汗をかいたびんを見て、パステルは首をかしげた。 
「何? サイダー?」 
「差し入れ。喉渇いたんじゃねえ? ほれ、飲め飲め」 
 どぼぼ、とコップにサイダーを注いで、パステルに渡す。ひんやりした感触が気持ちいい。 
 季節はもう秋だが、今日は天気もよくてあったかい。冷たい飲み物は魅力的なはずだ。 
「これ、トラップのおごり? いいの?」 
「ああ。感謝しろよ」 
「へー、珍しい……じゃなくて、ありがとう。おいしそう、いただきまーす」 
 コップに口をつける。ごくん、と液体を飲み干す。 
 その瞬間を見計らって、俺はパステルの腰に手をまわした。 
 さて、ここからが、俺の腕の見せ所。まずは……「礼なら身体でくれよ」とか? いや、ちっとストレートすぎるか……? 
 ぐっ、と抱き寄せる。パステルの顔が真っ赤に染まった。 
「もういっぱい、飲むか?」 
「あ、あの……」 
 ひょい、とびんを取り上げる。パステルが、あたふたとコップを机の上に置いたそのときだった。 
 ぼうんっ!! 
「…………は?」 
 突然響いた妙な音。そして、目の前で起きた光景。 
 俺は、かなりの間呆けていた。 
 赤く染まったパステルの顔が、段々と視線から外れて……やけに下の方へと降りていく。 
 抱いていた腰は、腕の中でどんどん細くなっていって…… 
 身体が縮んでる。にわかには信じられねえが、目の前で起こっているのは、どこをどう表現しても、そうとしか言いようがねえ。 
「ぱ……パステル……?」 
 パステルの方も驚いているらしい。ぽかんとした表情をはりつかせて、その顔はどんどん幼くなっていって…… 
 ぱさっ 
 我に返ったのは、パステルのスカートが下に落ちたときだった。 
 あいつがさっきまで履いていたスカート。視線をあげれば、丈が膝まであるだぶだぶのブラウスを身につけた、4〜5歳くらいのガキとまともに目が合う。 
 長い金髪を赤いリボンで結んで、はしばみ色の目でじいっと俺を見つめている。 
 きょとん、と首をかしげて、そのガキは言った。 
「お兄ちゃん、誰?」 
 
 
「若返りの薬、だあ……?」 
「そうですよ! エベリンの薬草協会から依頼を受けて、研究していたんです! あああ、せっかく苦労して作ったのに……」 
 キットンを締め上げて吐かせたところによると。 
 机の上に置いてあったびん。あれは、サイダーでも何でもなく。 
 どうやら、若返りの薬なる、果てしなくうさんくさい代物だったらしい…… 
 いや、それが見事に効果をあげていることは、目の前の光景を見れば、信じざるを得ないんだが…… 
 俺のポシェットを漁って、盗賊七つ道具を面白そうにいじっくっている4〜5歳のガキ。 
 パステル・G・キング。名前を聞いたら、ろれつの怪しい口調ではっきりとそう名乗った、 
 認めざるをえねえ。つまり……若返りの薬を飲んで、パステルは、子供に戻っちまった、と…… 
「お、おめえなあっ……!!」 
「わ、私に言われても困りますよ!? 飲ませたのはトラップでしょう!!」 
「だあら、んな危ねえ薬を無防備にほったらかしてんじゃねえよ!!」 
「だから、それに気づいたから戻ってきたんですってば!!」 
 ぎゃあぎゃあと不毛な言い争いが続く。 
 キットンの言葉によれば、ズールの森まで一度は出たものの、薬を机の上に置きっぱなしにしていたことを思い出して、慌てて戻ってきたんだとか。 
 何で、もっと早くに気づかねえんだよ!! 
「お兄ちゃん……」 
 俺達の言い争いに、パステルは、怯えたような目を向けてきた。 
 慌てて笑顔を向ける。いや、さすがに……罪悪感を感じるな、これは…… 
「な、何だ?」 
「ねえ、お兄ちゃん……ここ、どこ?」 
 不安そうな顔で、パステルは首をかしげた。 
「お父さんと、お母さんは……?」 
「うっ……」 
 かっ、可愛い。 
 じーっと上目使いで見上げられて、俺はぐらぐらと理性が揺れるのがわかった。 
 待て、待て落ち着け俺! 犯罪者になるつもりか!? これは確かにパステルだが、今は4歳の幼児なんだぞ!? 
「と、とにかく! トラップの責任ですからね!? 私は被害者ですよ。せっかく作った薬なのに、また1から作り直しじゃないですか」 
「作り直すなんな危険な薬っ!」 
「何てことを言うんですかっ! これは非常に画期的な薬なんですよ!?」 
 照れ隠しの意味もこめて、言い争いを再開させる。 
 それに……何て言えばいいんだよ。 
 おめえのお父さんとお母さんはとっくに死んでるんだぞ、なんて……俺の口から言えってのか!? 
「いいか! 若返りだか何だか知らねえが、まさか永久に効果が続くなんて言わねえよな!? いつだ、一体いつになったら元に戻るんだ!?」 
「そ、そうですね……それが、ちょっと……」 
 俺が詰め寄ると、キットンは、すごい勢いで目をそらした。 
 ……嫌な予感がする…… 
「おい……」 
「いえ、その……この薬は、まだ作ったばかりでして……実験をしていないので、どれくらい効果が持つかは、何とも……」 
「お、おめえなあっ……!!」 
 それは、あれか!? 下手したら、このまま一年も二年も戻らない……まさか、そんなこともありうるってのか!? 
 せっかくここまで関係を進展させたのに、また一からやり直しだってーのかっ!!? 
「キットン……」 
「わっ、たっ、お、落ち着いてくださいっ!! た、多分、何とかなりますからっ……」 
「多分?」 
「いえ、あの……ようするに、薬の効果を打ち消せればいいんですよね? 成分は全てわかってますから、逆の効果をもたらす薬草を使えば、おそらく……」 
「できるのか?」 
「多分……」 
 そうか。どうやら、ずっとこのまま、ってことには、ならずにすみそうだな。 
 なら…… 
「キットン」 
「はい」 
「さっさと作ってこいっ!!」 
「わっ! あぎゃっ! な、殴らないでくださいっ!!」 
 即座にキットンを部屋から蹴りだす。 
 まあ、あれだ。激しく不安が残るが……ああ見えても、キットンの薬草の知識は本物だからな。 
 あいつが何とかなるって言ったんなら、多分何とかするだろう……してもらわねえと、困るが。 
 はーっ、と大きなため息をつく。 
 何でだ……俺はただ、ちっとばかりこれまで我慢に我慢を続けた褒美をもらおうとしただけなのに。 
 何で、こんなことになるんだ!? 
「お兄ちゃん……大丈夫?」 
 俺が頭を抱えていると、パステルが、とてとてっと歩いてきて、小さな手をせいいっぱい伸ばして、俺の頭を撫でた。 
「どこか、痛い?」 
「……いや」 
「よかったあ」 
 俺が答えると、パステルは、一点の汚れも無い無邪気な笑みを浮かべた。 
 ……かっ、可愛いっ…… 
 再び危ない衝動がつきあげてくる。 
 待て、落ち着け俺。それは本格的にやばいだろ。 
 一瞬、自分が正気かどうかを疑いかけたが…… 
 いや……待てよ。 
 じっくり考えてみる。この衝動は、少なくとも17歳のパステルに抱いていた思いとは、ちっと違う。 
 何と言えばいいのか……保護欲をくすぐるというか。無条件に守ってやりたいと思う、というか…… 
 これは、あれか。父親の気持ちって奴か!? 
 俺が自分の気持ちに決着をつけかけたときだった。 
「ただいま! おーいパステル、原稿は進んだかい? お土産が……」 
 ひょい、とドアを開けて顔を覗かせたのは、クレイだった。その背中には、ぐっすり眠ったルーミィとシロがおぶわれていて…… 
 そして、俺と、俺の腕に抱かれているパステルを見て、ぎしっ、と身体を強張らせた。 
「トラップ……」 
「クレイか。あのな……」 
 立ち上がろうとした俺を制して、クレイは言った。 
「トラップ、どうして話してくれなかったんだ!?」 
「……は?」 
「お前、いつの間にパステルに子供を生ませたんだ!?」 
 その瞬間、俺がクレイに殴りかかったことは、言うまでもない。 
  
「……つまり、お前が悪いんだな?」 
 洗いざらい起こったことを話すと。 
 返ってきたクレイの視線は、とてつもなく冷ややかだった。 
 ……ああそうだ。否定はしねえよ。 
 けどなっ! 別に悪気があったわけじゃねえからな!! 
「お兄ちゃん、誰?」 
 俺とクレイがにらみあっていると、何も状況をわかってねえパステルが、俺の背中に隠れて恐々と聞いてきた。 
 どうやら、パステルは、俺には無条件で懐いたみてえだが……クレイやキットンには、いまいち気を許してねえようだ。何でなのかはわかんねえが。 
「心配するこたあねえよ。俺の友達。悪い奴じゃねえからな」 
「ともだち?」 
 とてとてっ、と危なっかしい足取りで前に出る。 
 じーっ、と見つめられて、クレイは、思いっきり困惑の笑みを浮かべた。 
「は、はじめまして……俺は、クレイ」 
「わたし、ぱすてる」 
「よ、よろしく……」 
「うん」 
 にっこり微笑むパステルにひきつった笑顔を返した後。 
 クレイは、俺を振り返って言った。 
「……いつ元に戻るんだ?」 
「知るか。キットンに聞いてくれ」 
「……そうか……」 
 そのままクレイは立ち上がると、ルーミィとシロをベッドに寝かせに行った。 
 そして。 
 男の俺でもはっきり美形と言い切れる顔に、疲れきった表情を張り付かせて、クレイは宣言した。 
「じゃあ元に戻るまで、パステルの面倒はお前が見ろよ」 
「はあ?」 
「パステルがこうなった以上、誰がルーミィの世話をすると思ってるんだ!?」 
「……ああ」 
 言われてみりゃあ、そうだよな。 
 キットンに子供の世話なんざできるわけねえし。ノルに頼んだら納屋に寝かせることになるしな。 
 俺が妙に感心していると。 
 バタンッ!! 
 言うだけ言って、クレイの姿はドアの外へと消えた。 
 あいつがあんだけ怒るのは珍しい……と思ったが。 
 よっぽど疲れてんだろうなあ…… 
 ルーミィの世話をまかされたことは何度かあるが。あいつら、本当にパワフルだもんな。遊びに関する体力ならノル並にあるんじゃねえか? 
 それをずっとやれって言われたらなあ…… 
「お兄ちゃん?」 
 きょとん、とした顔で俺を見上げるパステルを、そっと抱き上げる。 
 まあ、このまま戻れねえ、ってことはねえみてえだし。 
 よしんば元に戻らなかったとしても! だ。これは別の意味でチャンスかもしれねえ。 
 18歳と4歳。年の差14歳というとでかく感じるが……30歳と16歳くれえになったら、そう気になるもんでもねえだろう。 
 そう、この鈍い女を、俺好みの女に育て上げるという……それはまたそれで燃える展開と言えるんじゃねえか!? 
 俺の邪悪な考えに気づいているのかいないのか。 
 抱き上げられて、パステルは無邪気にきゃっきゃと喜んでいた。 
  
 が。 
 俺の考えは甘かった……どこまでも甘かったと、その日の夜には早くも思い知る羽目になった。 
 夕食は猪鹿亭へ。リタの奴が目を丸くしていたが、事情を話すと、面白がって色々と構っていた。 
 まあそれはいい。 
 問題は、その後、だ。 
「おふろ」 
 みすず旅館に戻った後。無邪気な顔をして言うパステルに、俺達はぴきーんと凍りついた。 
「おふろ入りたい」 
「ぱ、パステル……」 
 クレイも、キットンも、そして俺も(ルーミィは飯を食ったらさっさと寝てしまった)。顔を見合わせるしかねえ。 
 4歳のガキが、一人で風呂に入れるわけがねえ。必然的に、誰かが一緒に入ってやらなきゃならねえが…… 
「宿のおかみさんは?」 
「間の悪いことに今日は出かけてるんです……」 
 三人で顔をつきあわせてひそひそと話し合う。 
 そういや、パステルは綺麗好きというか風呂好きだった。どうやらそれはガキの頃からだったらしいが…… 
「リタにでも頼むか?」 
「馬鹿、仕事中だろ。猪鹿亭が終わるまで待ってたら、何時になると思う?」 
「だって、じゃあ……」 
 言い返すクレイに、そっとパステルを指差してやる。 
「俺達が、あいつを風呂に入れるのか?」 
「…………」 
 いちはやく逃げ出したのはキットンだった。 
「あ、あの。私はもともと風呂はそれほど好きじゃありませんので……そ、それに、早く薬を作りたいので! これで……」 
 だだだっ、と、あのキットンにしては妙に素早い動きで、階段を駆け上がっていく。 
 残されたのは、俺とクレイの二人。 
「……俺は、お前に面倒を見ろ、と言ったよな?」 
「お、俺にガキを風呂に入れるなんて、できると思うか!?」 
「じゃあ、俺がパステルと一緒に風呂に入ってもいいのか?」 
「うっ……」 
 言い返されて返事に詰まる。 
 そ、そりゃそうだ。それに、俺だって、これが17歳のパステルだったら、喜んで一緒に風呂に入ってた。 
 けどなっ! 今のパステルは、たった4歳のガキで…… 
 パステルがルーミィと風呂に入ってるとき。風呂場から響く声に中の惨状を想像して、密かに手を合わせたことがある。 
 まさか、俺にそれをやれと言うのかっ!? 
 俺が一人青ざめていると。 
 とことこ、とパステルが歩いてきて、俺の足にひし、としがみついた。 
「お兄ちゃん、お風呂、一緒に入ろ?」 
「…………」 
 ポン、と俺の肩を叩き、クレイは階段を上っていった。 
  
 子供特有の、全く凹凸の無い身体。 
 恥じらいもなく服を脱ぎ捨てるパステルを見て、俺は罪悪感にさいなまされていた。 
 いいのか。これは、いいのか!? 
 いや、俺には見る権利がある! あるよな? いいんだよな!!? 
「お風呂、お風呂〜」 
「ば、馬鹿、待て!」 
 ばたばたと脱衣所を走り回るパステルを、慌てて捕まえる。 
 ……しゃあねえ、覚悟を決めるか。 
 諦めて服を脱ぐ。ああ……元のパステルとだったら絶対ありえねえよな、こんな状況…… 
 タオルをひっかけて小脇にパステルを抱える。風呂場には、俺達以外誰もいねえようだった。 
 まあ、大して広い風呂場じゃねえしな。都合がいいっちゃいいんだが。 
「おふろ入る」 
「待て待て。まずは身体を流してからな」 
 ああ、男トラップ18歳。 
 こんなに早く子育ての気分を味わうとは思わなかったぜ…… 
 ざばーっ、とお湯をかけてやると、パステルは嬉しそうに笑った。 
 それから湯船につかって身体を洗って髪を洗う。 
 たったこれだけのことにどれだけ苦労したか……思い出したくもねえ。 
「だあら、身体洗うから湯からあがれってーの!」 
「馬鹿、動くな、走るな! 転んだら危ねえだろうが!?」 
「髪洗ってるときに目を開けんなっ! いいって言うまで目え閉じとけっ!!」 
 ああ……何で俺がこんな苦労しなくちゃなんねえんだ……? 
 頼むキットン! 早く……こいつを元に戻してくれーっ! 
 やっとパステルの髪を洗い終わったときには、俺はもうとっとと部屋に帰って寝たい、と心から思ったが。 
 まだ自分の風呂が終わってねえんだよな…… 
「おら、大人しく湯に入ってろ。すぐに終わるからな」 
「うん!」 
 どぼん、とパステルを湯船に座らせて、がしがしとタオルに石鹸をこすりつける。 
 はあ。とっととあがってとっとと寝よう。今日は色んなことがありすぎて疲れた…… 
 俺がため息をついたときだった。 
「お兄ちゃん」 
「……あんだ?」 
「あのね、背中流してあげようか?」 
 どきんっ 
 にこにこ笑って手を伸ばしてくるパステルに、不覚にも心臓がはねるのがわかった。 
 好きな女に背中を流してもらう。これは、男なら誰もが一度は憧れるシチュエーションではなかろうか。 
 ましてや、あのパステルのこと。今後、あいつが俺と一緒に風呂に入るなど、まあまずはありえねえだろうしな。 
「……そだな。頼む」 
「うん! あのね、お父さんとお風呂に入ったとき、いっつもやってたんだよお」 
 ………… 
 お父さん……ね。 
 ま、しゃあねえわな。今はそうとしか見れなくても。 
 13年後、おめえは俺の彼女になってんだぜ? 
 ごしごしと、一生懸命背中をこするパステルのことを、心から愛しいと思う。 
 こいつを誰にもやりたくねえ。元に戻っても、戻らなくても。 
 ずっと一緒にいてえと、そう思う。 
 ……あー、俺ってもしかして、意外と子供好きな父親になれるかもな。 
「あのねえ、お兄ちゃん」 
「あんだ?」 
 身体を洗って髪を洗って、そうして二人で湯船につかっていると。 
 パステルは、真っ赤な顔をして言った。 
「あのね、お兄ちゃん。ずっと一緒にいてくれる?」 
「……ああ」 
 顔が赤いのはどうせ湯につかってるから、なんだろうが。 
 その台詞は、素直に嬉しかった。 
 どうせなら17歳のときにも同じ台詞を言って欲しいもんだけどな。 
  
 すったもんだで風呂からあがったときには、もう夜はすっかり更けていた。 
 ちなみに、パステルに着せたのは勝手に拝借したあいつのブラウス。 
 ルーミィのじゃ小せえし、俺達のじゃでかい。キットンの服は……まあ改めて何も言うまい。 
 だぶだぶのブラウス一枚という姿は、それはそれで妙にそそるもんがあったが。 
 何だか一緒に風呂に入ってるうちに、すっかり親の気分ってーのは味わっちまってなあ…… 
 最初に見たときほどの危険な衝動は、もうつきあげてこねえ。いや、いいことだけどな。 
「はあ。パステル、もう寝ような」 
「うん。お兄ちゃん、一緒に寝よう?」 
「……………」 
 何度も何度も言うようだが頼む。 
 同じ台詞を17歳の姿でも言ってくれ。 
 思わず懇願しそうになったがさすがに自制して、その小さな身体を抱き上げる。 
 さて、それにしても、だ。 
 一体、俺はどっちで寝ればいいんだ? 
 男部屋……は、パステルを寝かせる場所は、ねえよなあ……キットンの寝相はすさまじいからな。 
 女部屋……って、ルーミィとシロとパステルと俺の四人? ……きっついな…… 
 俺は想像するだけでうんざりしたが。 
 女部屋を覗くと、何故か、ルーミィもシロもベッドにいねえ。 
 どこ行った? 
 首をかしげていると、隣の部屋のドアが開いた。 
 顔を出したのはクレイ。パジャマ姿で、すっかり寝る準備を整えている。 
「お疲れ、トラップ。随分長かったな」 
「こいつがなかなか湯からあがろうとしねーもんでな。ところで、ルーミィ達どうしたんだ?」 
「パステルがいないって泣くから、こっちの部屋に引き取ったよ」 
 苦笑して身体をずらす。 
 ドアの隙間から見えたのは、クレイのベッドを占領して眠るルーミィとシロの姿だった。 
「……大変だな、おめえも。今夜は床か?」 
「……仕方無いだろう。キットンはあれだし……」 
 誤解のねえように言っておくが、キットンは別に寝てたわけじゃねえ。 
 ただ、ベッドの上いっぱいに怪しげな薬草を広げて、自分の世界に浸ってるだけだ。 
 まあ、パステルを元に戻すためだから、それは仕方ないっちゃ仕方ないことだけどな。 
「んじゃ、俺あっちでこいつ寝かしつけてくるわ」 
「頼んだぞ。……泣かすなよ」 
「わあってるって」 
 ひらひらと手を振ると、パステルも真似をしてにこにこと手を振った。 
 けど、やっぱり何つーか……俺と比べて、クレイにはよそよそしいっつーか…… 
 子供に好かれそうなのは、どっちかっつーとクレイの方だと思ってたんだけどな。 
 頭をひねりつつ、女部屋のドアを開けた。 
 普通サイズのベッドが一つ。普段、あいつはルーミィとシロと一緒に、このベッドで寝てるわけだが…… 
 ……今日は、俺とパステルで一緒に寝ろ、と。つまりは、そういうことだよな? 
 ぎゅっと俺の首にしがみつくパステルの目は、既にかなりとろんとしている。 
 ……し、仕方ねえよな、うん。別にやましいことは何にも考えてねえからな! 
 自分に言い聞かせて、俺はベッドにもぐりこんだ。 
  
 何だかんだで俺も相当疲れてたんだと思う。 
 パステルを寝かしつけてるうちに、気が付いたら自分が眠り込んでたからな。 
 まあ今日は色々と精神的にも肉体的にも酷使したからな。それはしょうがねえ。 
 と自分に言い聞かせ、睡魔に素直に身を委ねる。 
 それから、どれくらい時間が過ぎたのやら。 
 わからねえ。普段の俺なら、一度寝たら滅多なことじゃ起きねえからな。 
 それなのに、今目が覚めたのは……やっぱり、そこにいたのがあいつだから、か? 
 ……ひっく、ひっく…… 
 耳元で響くしゃくりあげるような声に、目を開ける。 
 部屋の中は真っ暗だ。どう見ても真夜中。普段の俺なら、夢の中にいる時間。 
 ……ひっく、ひっく…… 
 規則正しく響く声。 
 そっと身を起こして明かりをつける。 
「どした?」 
 声をかけると、小さな人影が、ゆっくりを顔をあげた。 
 まあ言うまでもねえが……パステル。 
 小さな身体を丸めるようにして、彼女は、泣いていた。 
「お兄ちゃん……」 
「どーした。怖い夢でも見たんか?」 
 ひょい、とその身体を抱き上げると、パステルは、俺の首にしがみついて、わんわん泣き喚きながら言った。 
「お兄ちゃん……お父さんは? お母さんは……? ここ、どこ? わたし、帰りたい。おうちに帰りたい……どうして、お父さんとお母さん、わたしを置いていったの……?」 
「…………」 
 理解できねえだろう、と思ったから。パステルには、事情を告げていない。 
 俺達がどうして一緒にいるのか、そういったことを何も説明してねえ。 
 ただ、「おめえの親からしばらく世話してやってくれと頼まれた」という説明しかしてねえ。 
 それで納得したと思ってた。「すぐに家に帰れる」と言ったら、それ以上しつこく聞こうとはしなかった。 
 けど……やっぱり、それはどこか無理のある説明だったんだろう。 
 どこがどう、とは言えなくても。パステル自身、きっとどこか不安に思っていたんだろう。 
 クレイ達に気を許さなかったのも、多分それが原因だ。 
 不安だから。本当に気を許していいのかわからなかったから。 
「……パステル、父ちゃんと母ちゃんのこと、好きか?」 
「うん」 
 俺の質問に、パステルは即答した。 
 涙でぐしゃぐしゃになった顔で、それでも微笑んだ。 
「大好きだよ。お父さんもお母さんもやさしくって、いつも笑ってるから。大好き」 
「……そっか」 
 可愛がられて育ったんだ、ということがわかる。 
 10年後に、親と死別するなんて知ったら……こいつは、どんな反応をするんだろうな? 
 会わせてやれるもんなら、会わせてやりたい。 
 けど、それはできねえから。……だから、せめて俺にできることを。 
 ぎゅっ、と小さな身体を抱きしめる。 
「お兄ちゃん……?」 
「多分な、おめえの父ちゃんも母ちゃんも、おめえのことすげえ大好きで、すげえ大事にしてると思うぜ?」 
「大好き?」 
「ああ。でもな、大好きだからって、ずーっと一緒にいれるとは限らねえんだ。おめえの父ちゃんと母ちゃんはな、今、すげえ大事な用事があって、おめえのことを一生懸命考えて、それで俺達に預けていったんだ」 
「わたしのため……?」 
「そうだ。おめえのことが大事だから、怪我させたりしたくねえから、しばらく離れることにしたんだ。だからな、泣くな。泣いちゃいけねえ。おめえを泣かせるために、置いていったんじゃねえんだぞ?」 
「……よく、わかんない」 
 言葉の意味が理解できなかったわけじゃねえだろうが、パステルはそう言って目を伏せた。 
 多分、感情が追いついてねえんだろうな。大切だからこそ、身を引く……そんな気持ち、果たして17歳のあいつにだって理解できるかどうか。 
 じいっとその目を覗き込む。 
「今はわかんなくてもな、そのうちわかるようになるさ……大切なのはな、父ちゃんも母ちゃんも、そして俺達も、みんながおめえを大事に思ってるってことだよ」 
「……大事?」 
「そう。おめえは、俺達のこと、嫌いか?」 
「ううん」 
 俺の言葉に、パステルはぶんぶんと首を振った。 
「お兄ちゃんも、お兄ちゃんのお友達も、好き」 
「……そっか」 
 何とも言えねえ、じんわりと暖かい気持ちが胸に広がる。 
 何だかなあ……今までの自分が、何となくすげえ汚れてたような気がして…… 
 大好きな相手だからこそ、相手のことを一番に考えて。 
 俺、今まで……パステルの気持ち、考えてやったこと、あったか? 
 キスしたときも、押し倒したときも……あいつがどう思ってるかなんて、考えたこと、あったか? 
 いっつも欲望にまかせて動いて……それであいつがどう感じてるかなんて、考えようともしねえで。 
 ……いかん、罪悪感に押しつぶされそうだ。 
「お兄ちゃん……どうしたの?」 
 いきなり黙り込んだ俺に、パステルが不安そうに声をかけてくる。 
 そして。 
「……!!?」 
 ちょん、と唇に触れた柔らかい感触。 
 顔をあげると、パステルが、「えへへ」と小さな笑いを漏らしていた。 
「あのね、お母さんに聞いたんだ。大好きな人には、こうするんだよって」 
「……大好き?」 
「お兄ちゃんのこと、大好き。お父さんの次に優しいから」 
「優しいか……俺?」 
「うん」 
 じいっ、と俺を見上げて、パステルは言った。 
「お兄ちゃんは、わたしのこと、嫌い?」 
「……いや」 
 ひょい、とその身体を抱き上げる。視線を合わせて、顔を近づける。 
 その小さな唇にかすめるようなキスをして、笑顔で言った。 
「大好きだぜ」 
 
 いっそ本当にパステルを育てるか。 
 本気でそんなことを考えてたんだが、俺のもくろみは、翌朝、早くも崩壊することになる。 
「やりましたよトラップ! できました! 理論上、この薬を飲めばパステルは元に戻るはずです!!」 
 バタンッ!! 
 けたたましい声とともに、ドアが開く。 
 昨夜寝たのが遅かっただけに、その声は、堪えた。 
「キットン……てめえ、今、何時だと……」 
「何言ってるんですか、早く作れって言ったのはトラップ、あなたでしょう!? ああ眠い。私はもう寝ますからね。薬、確かに渡しましたよ!!」 
 ぎゃんぎゃんと一方的にわめいて机の上にびんを置くと、さっさと部屋を出て行く。 
 いつものあいつなら、効果を目で確かめていきそうなもんだが……元気そうに見えて、徹夜が堪えてんのかもしれねえな…… 
 大あくびをして身を起こす。俺の動きに合わせて、横で寝ていたパステルが、もぞもぞと身動きした。 
「起きたかあ?」 
「……おはよう、お兄ちゃん……」 
 ぼーっとした顔で起き上がる。その顔は、かなり眠そうだった。 
 まあな。子供には、ちっときついだろうなあ…… 
 何だか、このままでもいいんじゃねえか、と半ば本気で考えてたんだが。 
 いざ薬が目の前にあると、やっぱり元のパステルに戻って欲しい、と思う。 
 何より、これ以上4歳のパステルに、両親のことで嘘を突き通すのは……やっぱ、辛い。 
 10年後、死に別れることがわかってるからこそ、余計に辛い。 
 あいつは普段そんなことおくびにも出さねえけど……心の中では、多分苦しんでんだろうな。 
 元に戻ったら、話を聞いてやろう。 
 ちゃんと話を聞いて、どうしたいのか聞いて。俺のことを好きなのか聞いて。 
 キスするのも押し倒すのも抱くのも、とりあえずはそれからにしよう。 
 そう心に誓って、薬を取り上げる。 
 若返りの薬と見た目はよく似ている、中に気泡が浮いた無色透明の液体。 
「ほら、パステル。ジュースだぞ。飲むか?」 
「ジュース? 飲んでいいの?」 
「ああ」 
 こぽこぽと、昨日から置きっぱなしになっていたコップに注ぐ。 
 差し出すと、パステルは満面の笑みを浮かべて、受け取った。 
 ああ、これで、このパステルも見納めか…… 
 感慨深い思いで小さな身体を見つめる。 
 ごくん、とパステルが液体を飲み干したとき。 
 小さくなったときと同じように、ぼうんっ!! という妙な音が、響いた。 
 ……始まったか!! 
 パステルの目が、まん丸になる。みるみるうちに、その身体が成長していく。 
 背が伸びて、手足が伸びて。顔立ちが大人びていって、胸が…… 
「……おいっ……?」 
 そういや、服。ブラウス一枚しか着せてねえから、今元に戻したら、ちっとまずいかも…… 
 そんなことを考えていられたのは、最初だけだった。 
 胸が膨らむ。腰がくびれる。みるみるうちに、パステルは成長して…… 
「…………おいっ!!!?」 
 くたっ 
 腰が抜けた。 
 パステルはパステルで、そんな俺を、不思議そうに見つめていて…… 
 そして、俺の視線を辿って、大悲鳴をあげた。 
「きゃあああああああああああああああああああああ!!? な、何なのこれっ!? 何、何が起きたのー!!?」 
 目の前のパステル。 
 年の頃ならおそらく25歳前後。 
 大人びた顔立ち、豊満な胸、きゅっとくびれたウエスト、すんなり伸びた手足。 
 そう、それは……普段俺が多用している「幼児体型」という言葉が全く当てはまらない、それはそれは色っぽい姉ちゃんで…… 
 顔が真っ赤になるのがわかった。一瞬で反応した自分自身を恨めしく思いながら、慌てて目をそらす。 
 き……キットンの奴っ…… 
 ぷつんっ、という音がして、頭に何かが当たった。 
 手でぶつかってきたものをキャッチすると、ブラウスのボタンだった。 
 ………… 
 おそるおそる振り返る。胸元のボタンが弾けたブラウスを見て、パステルが、真っ赤になってうずくまっていた。 
 まさか。 
 まさか、25歳(くれえか?)になったら……パステルは、こうなる……ってのか? 
 いや、まさか。まさか……な…… 
 ってんなこと気にしてる場合じゃなくて!! 
「くおらキットン!! てめえなあ!! 何とかしろ、この事態を何とかしろー!!」 
 このまま同じ部屋にいたら、理性が絶対飛ぶ。 
 そう確信して、俺は部屋を飛び出した。 
  
 結局、薬の配合がどうのこうので。 
 それからしばらく若返りと成長を繰り返し、どうにかパステルが元の姿に落ち着いたのは、実に3日後のことだった。 
 全く、元に戻るまでの長かったこと…… 
「ご、ごめんね、トラップ。何だか、随分お世話になったみたいで」 
 ようやく見慣れた17歳の姿に戻ったパステルが、神妙に頭を下げる。 
 ちなみに、今も部屋で二人っきり。クレイとルーミィとシロが散歩。キットンは、ここのところ薬を作るためにろくに寝てないとかで、隣の部屋で高いびきをかいている。 
「いや、まあそれなりに楽しかったしな」 
 いいもんも色々見せてもらったし、とはさすがに言えなかったが。 
 聞いてみると、若返ってる間の記憶も、しっかり残っているらしい。俺がそう言うと、 
「うん、わたしも、楽しかった。トラップ、きっといいお父さんになれるよ」 
 そう言って笑われた。まあな、自分でもちっとそう思う。 
 もっとも、自分の子供……心から大切な奴にだけ、だろうけどな。 
「そういやさ、おめえ……」 
 部屋に二人っきり。以前なら、喜んで手を出したところだが。 
 今回のことでちっとばかり反省したので、今日は大人しくしておくことにする。 
「ん? 何?」 
「いんや。子供のおめえ、俺には懐いたけど、クレイやキットンには最後まで懐かなかったな、と思ってな」 
 それって、おめえの一番好きな男は俺ってことでいいんだよな? 
 本当はそう聞きたかったが、わざとそこで口をつぐむ。 
 パステルがどう答えるか。楽しみなような、怖いような。 
 じーっとその目をのぞきこむと、パステルは首をかしげて言った。 
「そう言えば、何でだろうね? キットンはともかく、クレイって、あんなに優しそうなのにね」 
「…………」 
 何だそのひっかかる言い方は。どうせ俺は優しそうには見えねえよ。 
 密かにすねていると、パステルは、ぽすん、と俺の肩に頭をもたれかけて、言った。 
「直感的にわかったからじゃない? わたしのことを、一番大切に考えてくれるのは誰かってこと」 
「…………」 
 なるほど。……まあ、その答えで満足してやるか。 
 ぐっ、とその肩を抱き寄せる。そのまま、二人でぼんやりと時間を過ごす。 
 今は、こうして一緒にいるだけで幸せだから。 
 焦ることは、ねえんじゃねえの? 
 ひょい、と目を向けると、パステルの視線と、ばっちりからみあう。 
 笑いかけてやると、パステルは、心から嬉しそうな笑みを浮かべた。

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