それはただの偶然だった。 
 偶然と不運と、とにかくそんな要素が重なり合っただけで、俺にそんなつもりは一切無かったし、彼女の方だってそうだっただろう。 
 そして笑って「ごめんごめん」とでも言えば、それで流れるはずだったのに。 
 ……何でこんなことになるんだろう? 
 まさか、こんなにも彼女のことが気になっていたなんで。 
 こんなことになるまで、そのことに気づいてすらいなかったなんて。 
 ……自分の鈍さが嫌になる。 
  
 その日、クエストの最中、俺達は垂直に切り立った場所を這い登る羽目になった。 
 そこを通らなければ目的地につかないということだったけど、それは結構な高さで(20メートルはあったんじゃないだろうか?)、トラップや俺、ノルはともかく、ルーミィやキットン、それにパステルの腕力では、かなり厳しいと言わざるを得なかった。 
 トラップがフック付きロープを使って先に上ってみたところ、何とか足がかりになるところはあるけど、奴の身軽さを持ってしても、なかなか簡単にはいかない、という返事が返ってきた。 
「ど、どうしよう……?」 
 パステルが不安そうな目を向けてくる。彼女は、自分の腕力ではここを登りきれないだろうと早々に理解したらしい。 
「トラップ、お前、ルーミィを連れて上れるか!?」 
 上に向かって叫ぶと、しばらくの沈黙の後、「ちっ、しゃあねえな。やってみるよ」という返事。 
 トラップはいつも厳しいが、反面、頑張っても無理なものは無理だと判断したら、手を貸すことを厭わない。そういう奴だ。 
 するすると身軽にロープを降りてくると、「ほれ、チビ、おぶされ」とルーミィに背を向ける。 
「チビじゃないもん! とりゃーのバカっ」 
「だー! んなこと言ってる場合かっ! 後がつかえてんだよ、とっととおぶされっ!!」 
 ぎゃあぎゃあと言い争いを始める二人に苦笑して、ルーミィを抱えてトラップの背中に預ける。 
「ほら、ルーミィ。トラップにまかせて。ここを上らないと先に行けないんだ」 
「おんぶかあ?」 
「そう、おんぶ」 
 そう言うと、ルーミィはトラップの背中にがしっとしがみついた。 
 念のためにシロに傍を飛んでいてもらうことにする。トラップは、一人のときとはさほど変わらない速さでするすると上っていった。 
 ……ここからが問題だな。 
「ノル、キットンを頼む」 
「わかった」 
「パステル、俺がおぶっていくから、心配しなくていいよ」 
「……ええ!?」 
 キットンがノルに「よろしくお願いします」と言ってる横で、パステルが顔を真っ赤にして首を振っていた。 
「い、い、いいよ! クレイに悪いもん。重たいだろうし……」 
「はは、大丈夫大丈夫。パステル一人なら、フルアーマーより軽いよ。それに、一人じゃここはきついだろう?」 
「うー……ご、ごめんなさい……」 
 ぺこり、と頭を下げる様子が可愛い。 
 パステルのことは、何となく守ってあげたいと思った。それは初めて会ったときから変わらない。 
 何でだろう。妹みたいで放っておけない、と言えばいいのか。 
 もっとも、そうやって手を貸そうとすると、俺の幼馴染は「けっ、甘い甘い」なんて説教をしてきたりするけど。 
「おーい、次、いいぞー」 
 上からトラップの声が降ってくる。とりあえず、先にノルとキットンに行ってもらうことにした。 
 それはロープの耐久性を試すためで、別に深い意味なんかこれっぽっちも無かった……はずだ。 
 するするとノルとその背中にしがみついたキットンがロープを上っていく。トラップはよほどしっかりした固定場所を見つけたらしく、ロープは微動だにしなかった。 
 ……大丈夫そうだな。 
「じゃ、パステル、背中につかまって」 
「う、うん……ありがとう」 
 ぎゅっ、と背中に押し付けられる胸の感触に、思わずドキッとする。……こうしてみると、やっぱりパステルは、女の子なんだよな…… 
 っていかんいかん。何を考えてるんだ、俺は。今はクエスト中だぞ? 
「おい。ノルついたぞー。次、クレイ。大丈夫かあ? んな特大級の奴背負って」 
「なっ、なっ、し、しっつれいなー!!」 
 トラップの言葉に、パステルが抗議の声をあげる。 
 ……相変わらずだなあ、トラップは。いつもそうだ、余計なことを言ってパステルを怒らせる。 
 以前、俺は奴はパステルが好きなんじゃないか、と思ったことがある。 
 ところが、それはあっさり本人に否定された。 
「はあ? からかうとおもしれえんだよ、あいつ。パステルを好き? そりゃ、俺じゃなくて……」 
 その後、奴は何だか意味ありげに俺を見ていたが……そういえば、あれはどういう意味だったんだろう? 
 まあ、考えてもわからなかったので、今まで気にしてなかったんだけど。 
「クレイ……?」 
「あ、ああ。ごめんごめん、ボーッとしてた。じゃ、行こうか」 
 パステルに笑みを向けて、ロープを握る。 
 ……正直、ちょっときついかもしれないな、と思った。 
 パステルが重いわけじゃなく、足がかりが本当にわずかしかない。気を抜くと落ちるな。 
 慎重にロープをよじ登る。俺はロープを握ってるから、パステルは両手両足を使って俺にしがみついているわけで…… 
 ……ウエストのあたりに巻きついた両脚に目をやって、集中力が途切れそうになった。 
 ば、バカか俺は! こんなときにそんなこと考えてる場合じゃないだろ!? 
 集中しろ、集中…… 
 俺がぶつぶつとつぶやいていると…… 
「あ……」 
 微かなパステルの声。 
 同時に、首に巻きついていた両腕が、一気に俺の喉を締め上げた。 
「ぐっ!?」 
「きゃああああ!?」 
 息がつまる。たまらず、ロープを離してしまう。 
 結果は……まあ、想像がつくだろう。 
「うわあああああああああああ!!?」 
「きゃあああああああああああああ!!」 
「お、おい!! 大丈夫かあ!?」 
 珍しく焦りまくったトラップの声。 
 だけど、俺達にそれに答える余裕があるわけもなく。なす術もなく落下する。 
 ……幸いだったことは、まだ大して高さの無い場所だったことか。 
 慌ててパステルと体勢を入れ替える。俺の下敷きになったりしたら、大怪我をおいかねない。 
 ――ドサッ!! 
 二人まとめて地面に叩きつける。幸い、大怪我はしなかった……怪我は。 
 俺の上に、かぶさるようにしてパステルが倒れている。……そして。 
 …………!? 
 状況を理解して、俺は瞬時に真っ赤になるのがわかった。 
 こ、この、唇に触れる柔らかい感触、は…… 
 パステルもしばらく茫然としていたみたいだけど、自分がどういう格好になっているのかがわかったのか……みるみるうちに、その顔色が変わった。 
「わっ、わわわわわっ……く、クレイ、ごめんっ!!」 
 ばばっ!! 
 面白いくらい素早く、パステルがとびすさった。……その調子じゃ、怪我は無いみたいだ。よかった。 
 ……いや、よくはない、か……? 
「あ、あの……あの……」 
「け、怪我は無いか!? パステル」 
 何か言いかけるパステルを遮って、俺は慌てて言った。 
 何を言えばいいのかわからない。どんな言葉をかければいいのかわからない。 
 そう考えたとき、俺にとっさにできたことは……ごまかすことだけだった。 
「え? う、うん……」 
「よかった。さっきは一体何があったんだ?」 
「あ、あの、あのね。髪に、鳥が……そのまま髪をひっぱられて……」 
「鳥はどうした? モンスターじゃなかったか?」 
「うん、それは、大丈夫……」 
「そ、そうか。なら良かった。じゃ、行こうか、ほら、背中に捕まって」 
「……うん」 
 心なしか元気のない声で、パステルは俺の背中にしがみついてきた。 
 ドキドキする鼓動の音を、彼女に聞かれなければいい。 
 本気でそんなことを願った。 
「おーい、おめえら、大丈夫かあ?」 
 何も知らない幼馴染ののん気な声が、何となく腹立たしかった。 
  
 クエストを無事クリアして数日。 
 それだけ時間が経っても、俺はあのことを忘れられなかった。 
 密着したパステルの身体と、触れた唇。 
 あれは……キス、だよな。うん。それしか考えられないよな。 
 ……事故、だよな。あんなのはキスのうちに入らないよな!? 
 そう考えて、忘れよう、忘れようとしているのに。 
 何故か、それを思い出すたび、パステルの顔が浮かんできて……忘れられない。 
 何なんだろう、この気持ちは。俺は一体どうしたんだ? 
 気恥ずかしくてパステルの顔をまともに見れない。それはパステルも同じらしく、露骨に俺のことを避けている。 
 彼女は考えていることがすぐに顔に出る。「あのこと」が気になっているのは、まず間違いないだろう。 
 ……どうすればいいんだ。 
 謝る……っていうのも変だよな。忘れよう、と言えばいいのか? 
 だけど、女の子にとって、キスっていうのは……そんなに軽いものじゃないだろう。 
 下手なことを言って、余計に傷つけることにならないか? 
 ……どうすればいいんだ…… 
「クレイ、おめえさっきから何なんだ。うっせえんだけど」 
 俺が部屋の中でああでもない、こうでもないと頭を抱えていると。 
 ベッドで昼寝をしていた幼馴染……トラップが、いつのまにか身体を起こしていた。 
 ちなみに、もう一人の同室、キットンは、俺達のことなんか目にも入らない様子で、怪しげな実験をしている。 
「……ああ、トラップ……すまない。ボーッとしていてね……」 
「ったく。ここ数日、おめえ変だぜ? あのクエストのとき、パステルと何かあったのかよ?」 
 ぎくっ!! 
 ずばり図星を当てられて、思わず顔色を変える。 
 トラップの顔が、最上級のいたずらを思い付いたときの笑みを浮かべた。 
「わっかりやすいよなあ、おめえら。んで? 一体何があったんだよ」 
「…………」 
 こいつに話していいものか。 
 いや、でも俺と違って、トラップは女の子とも割りと気軽につきあっている。 
 本気の関係になりそうになったら逃げ出すような奴だが……それでも、俺よりは経験豊富だろう。 
 ここは一つ、アドバイスを頼むべきか。 
「……ちょっとつきあってくれるか? 俺がおごるから」 
「おっ、話せるねえ、クレイちゃーん」 
 へらへら笑いながら肩を叩くトラップを尻目に、俺は盛大なため息をついた。 
  
 猪鹿亭でビールなんかを傾けつつ。 
 面白そうにこっちを見てくるトラップに、俺は何と切り出そうかと迷った。 
 ……やっぱり、正直に言うしかないよなあ…… 
 トラップはかなり勘が鋭いし、はっきり言って俺は嘘が下手だ。 
 ごまかそうとしても無理だろう。よし。 
「なあ、トラップ」 
「うん?」 
「お前、キスしたことあるか?」 
 ぶはっ!! 
 そう言った瞬間、トラップは盛大にビールを吹き出した。 
 それをまともに顔面に浴びる。……勘弁してくれよ。 
「げほっ、ごほっ……あ、あんだよいきなり……」 
「いや……」 
 いきなり、と言われても、他に聞きようがないんだが。 
 この過敏な反応を見ると、トラップもそういう経験は……全く無いか、あったとしても俺と同じく、事故とかそんな程度じゃないだろうか。 
 怖くてこれ以上確認できないけど。 
「まあ、無理して答えなくてもいいけどさ……」 
「あるぜ」 
「は?」 
 あっさりと返ってきた返事に、俺は思わず間抜けな声をあげた。 
 目の前には、心底面白そうに笑っているトラップ。 
「ある……んで? それがどーしたんだ?」 
「いや、ええと……」 
 参った。そういえばその後どう聞けばいいんだろう? ……その後のフォロー? 
「あのさ、もし、もしだぞ?」 
「うん?」 
「事故で……つまり、そんなつもりはなかったのに偶然キスしてしまったとして……お前なら、どうする?」 
 そう言うと、トラップは、何故だか深く納得したという風にうんうんと頷いていた。 
「なるほど」 
「ん?」 
「さてはおめえ、あんとき……ロープから落っこちたあんとき、パステルに手え出したな?」 
 ごほっ!! 
 今度は俺がむせかえる番だった。 
 な、何て言い方をするんだこいつは!! 
「て、手を出したわけじゃない! ただ……」 
「キスしちまったんだろ?」 
「…………」 
 それは事実なので、軽く頷く。 
 トラップは、うんうんと首を振って言った。 
「なーるほどなあ。それでおめえもパステルも、うじうじしてたんだな? ったくおめえらは。つまんねえことで悩んでんなあ」 
「つ、つまらない!?」 
 聞き捨てならない台詞に思わず立ち上がるが、トラップは表情一つ変えなかった。 
「つまんねえっつーの。話は簡単だろ? おめえはパステルが好きなのか? 嫌いなのか?」 
「……そりゃ、好きさ」 
 好きに決まっている。嫌いだったら一緒のパーティーを組んだりしない。 
 俺がそう言うと、話にならんとトラップは手を振った。 
「俺が言ってるのはそーいう好きじゃねえの。ったく、おめえは鈍感だよなあ……いいか? 事故だろーが何だろーが、キスしちまったんだろ。やっちまったもんはしょうがねえだろ。今更取り消せるわけもなし。だったら、後は簡単だろうが。『事故だから気にしないで』とでも言って割り切って忘れるか、『責任取る』っつって付き合うか、選択肢はどっちかだろーが」 
 ………… 
 そのあまりにも乱暴と言えば乱暴な意見に、俺は一瞬返す言葉が見つからなかった。 
 何というか……トラップらしいと言えばトラップらしい。 
 現実主義というか……それによってその後どうなるか、なんて一切考えてないんじゃないか? と思うくらいに簡潔な意見。 
「お前なあ……」 
「あーうっせえうっせえ。文句は受けつけねえぞ。これ以外に何かあるってーなら言ってみろよ? このまま黙ってるってのは却下だからな。おめえらがそんなんだと、こっちが気い使ってしょうがねえんだよ」 
 お前がいつ気を使った。 
 そう突っ込みたいのは山々だったが、数倍反論が返ってきそうなのでやめておいた。 
 はあ…… 
 大きくため息をついていると、肩を叩かれた。 
「まあ、おめえにはちっとばかり酷な試練かもしれねえな」 
「試練って……」 
「おめえみてえな鈍感野郎に、女心の機微なんてわかんねえっつってんの」 
「うっ……」 
 それはその通りかもしれないな……反論できない。 
 俺が落ち込んでいると、トラップは腹を抱えて笑いながら言った。 
「ったくしゃあねえなあ。他ならぬ親友のためだ。俺が一肌脱いでやるよ」 
「……は?」 
「だあら、俺が何とかしてやるっつーの。まあまかせとけって。何もかも解決してやるからよ」 
 そう言うトラップの顔は、どこまでも。どこまでも面白そうで…… 
 ……嫌な予感がする。物凄く嫌な予感がする。 
 だけど、こんな顔をしたときの奴は……多分、奴のじいちゃんでもない限り、止められる人間はいない。 
「……何するつもりだ?」 
「教えたら意味ねえだろ? ま、騙されたと思って、そだな……後一時間したら、パステルの部屋を訪ねてみろよ? 何もかも解決してるはずだぜえ」 
 にやにや笑いながら、トラップは残っていたビールを一気飲みして出て行った。 
 ……本当に、何をするつもりなんだ? 
 頼む、頼むぞトラップ。 
 解決してくれなんて贅沢を言うつもりはない。だから。 
 これ以上事態をややこしくしないでくれ――!! 
  
 最近ぼーっとすることが多い。 
 そのことを自覚しているから、わたしはため息をつかずにはいられなかった。 
 原因……はわかりきってる。 
 あのクエストのとき。偶然とは言え、クレイと……キス、しちゃったんだよね。 
 偶然。事故……だよね。 
 はあ。 
 別にファーストキスってわけじゃない。以前知り合ったギアっていうファイターと、その……まあちょこっと。 
 だけど、だからって誰とでもしていいってものじゃないよね、キスは。 
 はああ…… 
 思わずため息をついてしまう。 
 クレイは、全然気にしてないみたいだった。あんなにかっこいいんだもん。多分、キスなんて慣れてるか……いやいや、そもそも事故だと割り切って、キスだなんて思ってないのかも? 
 ……辛い、なあ。 
 そう思う自分に、ちょっとびっくりする。 
 わたし……何で辛い、なんて思ってるんだろう? 
 別に何でもないことなら、忘れちゃえばいいじゃない。 
 クレイだって悪気があったわけじゃないし、それを責めるつもりなんて全然無い。 
 むしろ……う、嬉しかった? ちょっとだけ、嬉しかったかも? 
 ショックだったのは……クレイが気にもとめてないってこと? 本当は、意識してほしかった……? 
 ああ、もう、わかんない!! 
 思わず頭をかきむしりたくなる。あー、わたしどうしちゃったんだろう? 
 こんなとき、ルーミィとでも遊んでいれば気がまぎれるんだろうけど、今日はルーミィとシロちゃんはノルと一緒にお散歩に行っている。 
 部屋にはわたし一人だけ。だから、余計に考えこんじゃうんだよねえ。 
 はあ…… 
 わたしがもう一度ため息をついたときだった。 
 コンコンコン 
 響くノックの音。 
 思わずドキンとする。ノックをするような礼儀正しい人は、我がパーティーには一人しかいない。 
「は、はーい?」 
 ばたばたとドアに駆け寄る。もしかしたら……っていう期待が走る。 
 だけど、ドアを開けて、拍子抜けしてしまった。 
「トラップ? 何よ、珍しいじゃない、ノックするなんて」 
「…………」 
 トラップは何も言わない。けど、するり、と部屋に入り込むと、バタン、とドアを閉めた。 
 ……どうしたんだろ? 何の用……? 
「ちょっと、トラップ?」 
 ぐいっ 
 ……え? 
 急にウエストに腕がまわされる。気が付いたとき、わたしはトラップに抱き寄せられていた。 
 ……ええ? 
「あの、何……?」 
「…………」 
「お金なら、貸さないわよ?」 
 わざと冗談っぽく言ってみたけれど……トラップの目は、怖いくらいに真剣だった。 
 真剣に、わたしの目を見つめていて…… 
「……なあ」 
 ぼそり、と耳元で囁かれて、一瞬息が止まる。 
「キスでもすっか?」 
「……はあ?」 
 一瞬何を言われたのかわからなくて、わたしは間抜けな声をあげてしまった。 
 ……な、何なの? 
「な……何言ってるのよー。冗談やめてよね!」 
「いやあ? 別に冗談でもねえんだけど」 
 ……え? 
 間近に迫る茶色の瞳。思わず身体をそらそうとしたけれど、がしっ、と背中を支えられて、逃げられない。 
「ちょ、ちょっと、トラップ?」 
「いやー、俺らも結構長い付き合いじゃん? ここらで一つ、関係一歩前進、というかだなあ」 
「な、な、な……」 
「いいじゃん別に。どーせ、おめえだって……」 
 後数センチ。そこまで迫ったトラップの唇から、甘い声が漏れる。 
「初めてってわけじゃ、ねえだろ……?」 
 ――――なっ……! 
 あんまりと言えばあんまりな言葉に、思わず頭に血が上る。 
 も、もう怒ったわよ!? こ、こうなったら、足を踏んで…… 
 その瞬間だった。 
 コンコンコン 
 再び響くノックの音。 
 ……え? 
「おい、トラップ。いるのかあ? 一体何なんだ?」 
 がちゃん 
 ドアが開く。そこに立っていたのは……クレイ。 
 トラップの目に面白そうな色が浮かび、クレイの顔がひきつり、わたしは……青ざめた。 
 み、見られた!? クレイに……見られた!!? 
 ど、どうしよう。何て……何て、言い訳すればっ…… 
 その瞬間だった。 
 トラップが、突然わたしごと横とびにジャンプした。 
 強引にひっぱられて、思わずたたらを踏む。 
 そして、さっきまでトラップが立っていた場所を、クレイの拳が通り過ぎた。 
 ……ええ? 
「ひゅー、いきなり乱暴だな、クレイちゃん」 
「ととととトラップ!? お、お前、い、い、一体何、何をっ……」 
「あーもう。怒るなっつーの」 
 ぱっ 
 突然手を離されて、わたしは床にしりもちをつく。 
 だけど、それに文句を言う気力も無かった。 
 何が何だか、わけがわからなくて。 
 い、一体これはどういうことっ!? 
「トラップ……?」 
「だあら、これでわーったろ? ったく。おめえら鈍すぎんだよ」 
『……はあ?』 
 わたしとクレイの言葉が、見事にはもった。 
「あの……?」 
「パステル、おめえ、俺とキスすんのは嫌だったろ?」 
 にやにや笑いながら言われた言葉に、わたしは大きく頷いた。 
 あったりまえよ! わたしの返事なんか全然聞こうともしなかったくせに! 
 頬をふくらませて抗議すると、トラップはかしかし頭をかきながら、今度はクレイを見た。 
「んで? クレイ。おめえは、俺がパステルにキスしようとしてんの見て、すげえ腹が立ったわけだろ?」 
「あ? あ、ああ……」 
 クレイもクレイで何を言われたのかよくわかってないらしく、こくり、と頷いている。 
 ……一体トラップは何が言いたいわけ? 
「だー! おめえら、ここまで言ってまーだわかんねえのかよ? あのなっ……」 
 トラップはイライラしたように赤毛をかきむしっていたけれど……やがて、わたしの腕を強引につかんだ。 
 同時に、クレイの腕もつかんで……わたしの手を、無理やり握らせる。 
 ……あの? 
 クレイと二人でとまどったような視線を向けると、トラップはため息をついて言った。 
「おめえら、よーく考えてみろよ。事故だろーが何だろーがキスしちまって? で、おめえらはどう思ったんだよ。嫌だったのか? それとも嬉しかったのか? それ考えたら、俺の言いたいことだってわかるだろーが」 
「……えと……?」 
「あ……」 
 トラップは、それ以上教えてくれるつもりはなかったらしく。 
 そのまま、わたし達に背を向けた。 
「あったく。俺って親切すぎんぜ。クレイ、パステル、後で飯おごれよ。すげえ高い奴!」 
 バタンッ 
 それだけ言うと、トラップは、部屋から出て行った。 
 ……ええっと…… 
 トラップの言っていたことを、ゆっくりと思い返す。 
 キスしちゃって、嫌だったのか、嬉しかったのか? 
 わたしは…… 
 じーっとクレイの顔を見上げると、彼の顔は、何だか真っ赤になっていた。 
  
 トラップの言いたいこと。それは、さすがに鈍い俺でもわかった。 
 わからされた、と言うべきか。 
 部屋のドアを開けたとき、トラップとパステルがキスをしている(ように見えた)光景に、瞬間的に怒りがわいた。 
 それは、多分嫉妬……と呼ばれる感情なんだろう。 
 パステルと偶然とは言え、キスをしてしまって……嬉しかったのか? 嫌だったのか? 
 そんなの、決まっている。俺は…… 
「あの、あのね、クレイ」 
 パステルは、真っ赤になってつぶやいた。 
 視線を合わせようとしない……照れてるんだろうな。 
「何?」 
 声をかけると、パステルは、ぼそぼそとつぶやいた。 
「わたしは……嬉しかったよ?」 
「……俺も」 
 答えは割りとすんなり言えた。 
 ふっと思い出す、あのときのパステルの柔らかい唇と……密着した身体と。 
 やっぱ、俺だって男なんだよなあ…… 
 苦笑が漏れる。 
 じっとパステルの目を覗き込むと、照れたように目を伏せられたけれど。 
 唇を塞いでも、嫌そうな顔も、驚いた顔も、見せなかった。 
  
 さて、どうするべきか。 
 部屋に二人っきりで、好きな女の子と抱き合っていて、唇を重ねて。 
 鈍いとか言われる俺だが……ここまで来たら、先に進みたい、と思う欲望くらいは持ち合わせている。 
 だけど、それでパステルを怯えさせるのは嫌だった。 
 ……かといって、本人に確認するのもなあ…… 
 何だか離れるタイミングを逃してしまって俺が悩んでいると。 
 パステルが、ぎゅっと俺の服をにぎった。 
 ……何だろう? 
「パステル?」 
「あの……わたし、いいよ?」 
「ん?」 
 パステルは、真っ赤な顔のまま言った。 
「クレイなら、いいよ……その、もっと……先にいっても、いいよ?」 
 そう言うパステルの顔は、かなり可愛かった。 
 ……ごめん。俺もまさか、自分がここまで…… 
 いや、もう難しく考えるのはよそう。 
 もう一度唇を塞ぐ。触れるだけのキスじゃない、もっと深いキス。 
「んっ……」 
 小さくうめいたパステルの腕に、力がこもる。 
 ちなみに俺は初めてだ。パステルもそうだろう。 
 ……トラップにアドバイスを受けるべきだったかな? 
 一瞬そんなバカな考えが浮かんだけれど。 
 もつれるようにしてベッドに倒れこむと、余計なことは考えられなくなった。 
 待て、焦るな。焦ると余計にうまくいかなくなる。 
 一応、兄さん達から話しくらいは聞いていた。ようするに、落ち着いて、怖がらせないようにして、優しくしてあげればいい……はずだ。 
 服をまくりあげると、びくり、と震える。 
 白い肌をなであげるようにすると、その震えは大きくなった。 
 怖い……のかな? いや、俺もかなり怖いんだけどさ。 
「無理しなくてもいいよ」 
 そう言うと、パステルはぶんぶんと首を振った。 
 ぎゅっと目を閉じて……それでも、逃げようとはしない。……健気だなあ。 
 こういうところが、好きなんだ。守ってあげたいと思うんだよな、きっと。 
 下着に包まれた胸が、目に入る。正直に、見たい、と思った。 
 背中にまわしてホックを外そうとしてみたけれど、どうもうまくいかない。 
 四苦八苦していると、パステルが背中に手をまわして、自分でホックを外した。 
 な、情けないなあ、俺…… 
 ちょっと落ち込みそうになるが、パステルは、にっこり笑って言った。 
「クレイが、こういうことに慣れてたら……わたしは、逆にショックだったけど」 
 ……ありがとう。 
 パステルに言われて、俺も服を脱ぐ。 
 我ながら不器用な手つきだった。どうやればいいのかもよくわからない、手探りの愛撫。 
 だけど、そんな愛撫でも、パステルはしっかり反応してくれているみたいだった。 
 白かった肌が徐々にピンクがかってきて、漏れる息が少しずつ荒くなってきている。 
 それは、俺も同じなんだけど…… 
「んっ……」 
 太ももに手を伸ばすと、声が一層大きくなった。 
 ああ……そっか。こんな風になってるんだ。 
 俺達男の身体とは明らかに違うそこを見て、何となく妙に感心してしまう。 
 手を伸ばすと、湿ったような感触が返ってきた。 
「やっ……も、あ、あんまり見ないで……」 
「あ……ごめん……」 
 ぐっと指を深くもぐらせる。ぬるっとした感触が、まとわりついてきた。 
 ……もう、いいのかな……? 
 痛い思いをさせたらかわいそうだ。けど……よくわからない…… 
 ふっと顔色を伺うと、パステルは、ぎゅっと目を閉じて、微かに頷いた。 
 やってみるしか、ない……かな? 
 ぐっとパステルの肩をつかむ。身体を割り込ませる。 
 最初はちょっと手間取った。すんなりいくものではないらしい。予想外に狭くて、入れるのも苦労した。 
 だけど、いざ成功してみると…… 
 あ、そうか。女の子を抱くって、こんなに気持ちのいいものなんだ…… 
 と、妙な感慨にふけってしまった。 
 パステルは相当痛かったんじゃないだろうか。目に涙がいっぱいたまっていたし。 
 妙に冷静に思われるかもしれないけれど、俺の方も、最後は「優しくしなきゃ」なんて考えはふっとんでいたから。 
 だけど……終わったその後。 
 パステルは、以前と変わらない笑顔を浮かべてくれたから。 
 だから、きっとこれでよかったんだろう……きっと。 
  
 別にその後、俺達の関係がパーティーに何か影響を与えた、ということはなく。 
 しいて言えば、トラップがよくからかってくるようになったくらいか。 
 たまに不安になるときもある。トラップは、本当にパステルのことを何とも思っていなかったのか? 
 あいつの顔は、そんな様子はちらりとも見せなかったけれど。 
 だから、たまたま二人きりになる機会があったとき、聞いてみた。 
「なあ、トラップ。おまえ、キスしたことあるって言ってたけど、それって、相手は誰だったんだ?」 
「あん?」 
 トラップは、ベッドでごろ寝をしていたけれど、俺の言葉を聞くと、何やら嬉しそうに目を細めて上半身を起こした。 
「何、気になるわけ? クレイちゃん」 
「いや、別に……」 
 本当はすごく気になっている。まさか、とは思うけど…… 
「別に気になんかしてないけどな。で? どうなんだ?」 
「パステルだよ」 
 そのときの俺の気持ちを、どう表現したらいいものか。 
 全身が強張る、というのは、ああいうことを言うんだろうな。 
 そんな俺を、トラップはまじまじと見つめて……そして。 
 腹を抱えて大爆笑した。 
「トラップ……おまえ、おまえなあ!? からかっただろ!?」 
「ぶはははははは! あ、あったりめえだろ? 何で俺が、あんな色気のいの字もねえ女とキスなんざ……大体なあ、あいつは最初に会ったときから、ずっとおめえのことしか見てなかったんだぜ?」 
「……はあ?」 
 そうなのか? ……ちっとも気づかなかった。 
 そう言うと、「どーせパステル本人もそうだろうけどな」なんて、したり顔で言われてしまった。 
 何でこいつはこう、無駄に鋭いんだろう…… 
 はあ、とため息をついていると、トラップはにやり、と笑って言った。 
「マリーナだよ」 
「え?」 
「マリーナ。俺のファーストキスの相手。もっとも……」 
 その後続いた言葉に、俺が激怒したとしても……許されてもいいんじゃないだろうか? 
「もっとも、14、5年前の話だけどな?」

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