つきあうっていうのは、何が目的なんだろう。 
 二人っきりでいること? ずっと一緒にいること? 
 好きだって気持ちを確認すること? それとも…… 
 きっと色々目的はあるんだと思う。 
 彼女が欲しい、彼氏が欲しい。理由はそんなものだって人も、いるかもしれない。 
 だけど、わたしは強く思う。 
 どんな目的だって構わない。それで本人たちが幸せならそれでいい。 
 だけど、一つだけ。 
 身体のつながりが一番の目的。そんな関係にはなりたくないって。 
  
「なー、パステル……」 
「…………」 
「おい、いつまですねてんだ、おめえは」 
「…………」 
 いつまで経ってもわたしが返事をしないことに、トラップは相当イライラしてるみたいだけど。 
 ふんだ。怒ってるのはわたしの方なんだからね。 
 いくら何でもひどい。ひどすぎる。 
「あのなあ、好きだからだって言ってんじゃん。おめえのことがすげえ好きだから、つい暴走しちまったっつーかなあ……」 
「…………」 
 あ、駄目だ。うっかり許しそうになってしまった。 
 思わずにやけそうになって、慌ててぶんぶんと首を振る。 
 駄目駄目、許しちゃ駄目! 今度ばかりは、絶対に、絶対に許せないっ! 
 あの照れ屋なトラップが、その台詞を吐くためにどれだけ苦労したか、わからないわけじゃないけど。でも、そんなことではごまかされないくらい、わたしはものすごーく怒っていて…… 
 わたしが振り向きもしないことに諦めたのか、トラップは大きなため息をついて、顔をひっこめた。 
 ……ふんだ。 
 好きだから。その言葉は素直に嬉しい。 
 だけど、たまに思う。 
 お互いがお互いを好き。ずっと一緒にいたい。 
 どうして、それだけじゃ駄目なんだろう? って。 
 どうして……キスしたり、その、身体を求めたり、そんなことしなきゃ、気がすまないんだろう? って。 
 こんなこと誰にも聞けない。だからわからない。 
 大きくため息をつく。 
 どうして……こんなにもトラップのことが好きなのに。許してあげることができないんだろう、って。 
  
 わたしとトラップは一緒の家に住んでいる。 
 わたしの両親とトラップの両親が友人同士で、事故でわたしが両親を失ったとき、引き取ってくれたのだ。 
 ところが、トラップの両親は麻薬取締官という、何ともすごい職業についていて、一年のほとんどを海外で過ごすとかで、実質的には二人暮らし状態だったりする。 
 引き取られた当初は色々あった。ちょうど、学校の方でも担任の先生に言い寄られるなんていう珍事が起こっていて、一時期は本当にトラップに色々助けてもらって。 
 そして、色んなことに決着がついた今……わたしとトラップは、恋人同士になっていたりする。 
 そのことに関しては素直に嬉しい。トラップは、口は悪いけど本当はいい人だって、一緒に暮らすようになってよくわかったし。 
 でもね…… 
 トラップはずっとわたしを想っていてくれた、と言った。 
 ずっとわたしを見ていた、とも言ってくれた。 
 それはすごく嬉しいことなんだけど。 
 ことあるごとに、キスしようと、押し倒そうとするのは……やめて欲しいんですけど…… 
 最初のうちは、そりゃちょっとは嬉しかった。 
 担任のギア先生に告白されたとき、無理やり身体を奪われそうになって、それ以来わたしの中ではちょっとしたトラウマ状態になっていたりするんだけど。 
 トラップとなら、嫌じゃない。本気でそう思った。もっとも、いつもいつも、ここぞ、というときに色んな邪魔が入って、何だかんだで最後までは……まだいってなかったりするんだけど。 
 だけどね。 
 あまりにも頻繁に迫られると……何て言うのかな? いわゆる「身体が目当て?」などという、とっても悲しい疑問が浮かんできてしまって…… 
 一緒に暮らしてるんだから、二人っきりになる機会はそれこそ毎日のようにある。 
 わたしにはそれだけで十分なのに。一緒にいれるだけで満足なのに。 
 どうして、トラップは……キスしなきゃ、身体に触れなきゃ、満足してくれないのかな? 
 そう思ったから。わたしはトラップに、はっきり言ったんだ。 
「あのね、トラップ。しばらく冷却期間っていうか……キスとかするの、やめてみない?」 
 わたしとしては、そんなことしてもしなくても、気持ちに変わりはないってことを証明したい、そんな思いがあった。 
 ところが。とーこーろーがー!! 
 この乙女心というものをチラリとも理解しない男は、わたしがそう言った途端、目をまん丸にして言った。 
「あんだ? おめえ、俺に飽きたのか?」 
 ……絶句。 
 どこで、どうしたら、そんな結論が出るの? 
「そ、そんなこと誰も言ってないでしょ!? ただ……」 
「ただ?」 
「ただ、ちょっと……気持ちを確かめたい、っていうか……」 
「はあ? んなのなあ、確かめなくてもわかりきってんだろ?」 
 わたしが詳しく説明しようとすると……それを聞こうともせずトラップは。 
 そ、その場でしょうこりもなく押し倒そうとしたのよ!? 台所で! 食事の最中に!! 
 信じられない! やっぱりトラップの頭にはそんなことしかないんだ! 
「馬鹿馬鹿バカー!! もう知らない!!」 
 もちろん、わたしは全力で抵抗した。手当たり次第にものを投げつけて、必死に自分の部屋に逃げ込んで。 
 そして、さっきの場面に繋がる、というわけなのだ。 
 ちなみに、トラップの部屋とわたしの部屋はベランダで繋がっている。「さっきは悪かったって」とベランダ越しにトラップが声をかけてきたのは、わたしが部屋にこもってから30分後のことだった。 
 で、諦めて顔をひっこめるまでにかかった時間が、およそ一時間。 
 あの短気なトラップにしては、随分粘ったんじゃないか、と思うけど。 
 わたしのことを大事に思ってくれてるのはよくわかるけど。 
 でも、でも……! それとこれとは、別なんだから!! 
「トラップなんか……トラップなんかっ……」 
 大っ嫌い、そう言えない自分が、情けなかった。 
  
 そして、翌朝。 
 今日は終業式。そう、気が付けば、もう一学期も終わり。 
 高校二年生になってからもう三ヶ月が過ぎた、なんてなかなか信じられない。それくらい、色んなことがあったから。 
 いやいや、まあそんな感慨はともかくとして。 
 終業式だから、もちろん午前中で終わり。お弁当はいらないから、いつもよりはゆっくり寝ていられる。 
 けど、わたしはあえていつもの時間に目覚ましをセットした。理由はもちろん、トラップと顔を合わせたくないから。 
 こういうときって、一緒に暮らしてるのは不便だよね……会いたくないときでも、普通にしてたら嫌でも顔を合わせちゃうんだもん…… 
 あんまり食欲もなかったから、朝食はトーストだけ。 
 それでも、きっちりトラップの分の食事を用意しているわたしは、とことんおひとよしだなあ、と思う。 
 トラップの分のお皿にはラップをかけて、味のしないトーストをかじる。 
 はあ。美味しくない……そういえば、一人で食事するのって、久々だなあ…… 
 軽いカバンを抱えて外に出たとき、時間は、まだ7時半前だった。 
 いくら何でも早すぎる。けど……ま、いいか。いっつもギリギリだし。たまにはね。 
 わたしが起こさないと、トラップは遅刻するかもしれない。 
 チラリとそんな考えが浮かんだけど、頭を振ってそれを追い払う。 
 知らないもんね。子供じゃないんだし。第一、わたしが来るまでは一人暮らしをしてたんだから。 
 それくらい、どうとでもするでしょう。 
 玄関を振り返らないようにして、わたしは外に出た。 
  
 いつもよりずっと空いた電車。人通りの少ない道。 
 学校についたのは、8時を少しまわった頃だった。 
 不思議……ちょっと時間をずらしただけで、こんなにスムーズに来れるなんて。 
 いつもだったら、人ごみをかきわけてるだけで無駄に時間が流れるもんね。うん、これは新しい発見だなあ…… 
 人気の無い教室に座って、ぼんやりと窓の外を眺める。 
 もうすっかり夏。セーラー服は白い半そでに変わって、学生服はカッターシャツになって。学校の中が一気に明るくなった。 
 これから一ヵ月半の夏休み。去年までなら、家族旅行とか、友達と旅行とか、色々楽しい計画を練ってわくわくしたものだけど。 
 今年は……どうしようかなあ…… 
 そんなことを考えていたときだった。 
「パステル? どうした、随分早いな」 
「……あ」 
 教室の入り口が、ガラリと開いた。 
 顔を出したのは、わたし達の担任……ギア先生。 
 わたしのことを好きだと言って、割と強引に迫ってきて、でも、最終的には、わたしがトラップのことを好きだと言ったら、身を引いてくれた……そんな先生。 
 あの後、しばらくはぎくしゃくしてたけど。 
 宣言通り、先生はもう何も言ってこなかったししてこなかったから。今ではすっかり、元の関係、つまりはただの先生と生徒になれた……と思ってる。 
 わだかまりが無いって言ったら嘘になるけどね。結局は何も無かったんだし。いつまでも気にしてたってしょうがない、って思うようにしてる。 
「先生こそ、早いですね」 
「当直でね。学校の鍵を開けなきゃならんから、早めに来たんだ。……ステア・ブーツは一緒じゃないのか?」 
「……はい」 
 もちろん、ギア先生はわたしとトラップが一緒に住んでいることも知っている。 
 あ、ステア・ブーツってトラップの本名ね。ご両親の職業が職業だから、いつも誘拐の危険にさらされていて、自然と本名を名乗らなくなったんですって。 
 まあ、それはともかく。 
「どうした。喧嘩でもしたのか?」 
「……喧嘩ってわけじゃ、ないです。わたしが一方的に怒ってるだけだから」 
 先生に隠し事をしても仕方ない。わたしは嘘が下手だし、それに先生は、わたしとトラップのことなら何でもお見通しだから。 
 トラップと幸せになれることを祈ってる、わたしのことをずっと影で見守り続ける、そう宣言して手を引いてくれた先生には、話すべきなんじゃないか。 
 何となくそう思ったら、わたしはぽろりとつぶやいていた。 
「先生……男の人って、やっぱり……付き合う目的の一つって……身体が目当て、なんですか?」 
 後で思い返すと、我ながら何てすごい発言なんだろう、って思うけど。 
 どうやら、自分で思っていた以上に、わたしはこの事態に動揺していたみたいで。 
 先生も、まさかわたしがそんなことを言い出すとは思ってなかったみたいで、しばらく目を丸くしていた。 
「……パステル。それは、俺に対する皮肉かい?」 
「え? いえ、別にそういうつもりじゃ、ないんですけど……」 
 皮肉……ああ、そうか。先生も、告白してきたとき、確か…… 
 あのときのことを思い出すと、今でも恐怖がよみがえる。力づくで来られたら、わたしの腕力じゃ、どうしたって男の人にはかなわない、そう思い知った瞬間だったから。 
 そう……トラップとギア先生は、性格とかは全然正反対もいいところなのに。 
 それなのに、その一点だけは……共通してるんだよね。 
 どうして? 
「男と女じゃ、考え方が違う。俺はステア・ブーツを一生好きにはなれないだろうが……彼の気持ちは、わからなくもないね」 
 詳しい事情を話したわけじゃないけど。たったそれだけで、先生は大体事情を悟ったみたいだった。 
 そして、余計なことは何一つ言わず、慰めも気休めも言わず、ただ一言だけ言った。 
「男には2つのタイプの人間がいる。愛が無くても抱ける男と、愛が無ければ絶対に抱けない男。ステア・ブーツがどちらのタイプか、君にはわかってると思うけどね」 
 それだけ言うと、先生は教室を出て行った。 
 職員会議か何かが、あるのかもしれない。 
 また教室に一人になって、再びぼんやりと外を見る。 
 ちらほらと、登校してくる生徒の姿が、窓の外に見えた。 
 愛が無くても抱ける人と、愛が無ければ絶対に抱けない人。 
 トラップがどっちのタイプか、なんて、そんなの。 
 そんなの……決まってるよね? 
「おはよう、パステル! 随分早いじゃない……あれ、トラップは?」 
 がらり、と教室のドアが開いて、親友のマリーナが顔を出した。 
「おはよ。トラップは……寝坊じゃないかな」 
「起こしてあげなかったの? 喧嘩でもした?」 
 はは……マリーナ、鋭い…… 
 わたしがひきつった笑みを浮かべると、マリーナは、ぽん、と肩を叩いて言った。 
「何があったのか知らないけど。あんまり長引かせないようにね。時間が経つとどんどん仲直りしにくくなっちゃうんだから。仲直りがしたかったら、自分は悪くないと思っても、とりあえず謝っちゃいなさいよ。文句はその後でだって言えるんだから。ね?」 
 マリーナの明るい笑みに、わたしは素直に頷いた。 
 そうだね。どうせ、このままずっと顔を合わせずにいるのは無理なんだから。 
 それに、例えそれができたとしても……そんなの、やっぱり辛すぎるから。 
 ちゃんと謝ろう。昨日、トラップはあんなに一生懸命謝ってくれたんだから。 
 今度はわたしの番だよね? 
 時計を見ると、後数分で8時30分になるところだった。 
  
 ところが。とーこーろーがー! 
 8時40分になって、始業の時間になっても。 
 わたしの隣の席……トラップの席は、空っぽのまんまだった。 
 ま、まさか本当に寝坊した!? 
 思わず青ざめる。 
 トラップの寝起きの悪さを考えたら、十分にありうるもんね。 
「欠席は……一人か。これから終業式だ。HRが終わったら、すぐに体育館に行くように」 
 短いHR。ギア先生の言葉に、教室が途端に騒がしくなる。 
 今朝のことから、トラップが風邪なんかじゃないことはわかってるんだろうけど。 
 ギア先生はそれ以上は何も言わず、さっさと教室を出て行った。 
「パステル。あいつ、どうしたの?」 
「……さあ……」 
「一緒じゃなかったの? 珍しいわね」 
 もう一人の親友、リタの言葉が、耳に突き刺さる。 
 ……まずいなあ。 
 どうしよう。メールくらい、打っておいた方がいいかな。 
 携帯を取り出したけど、何て言えばいいのかわからなくて、結局またしまってしまう。 
 終業式しかないから、多分トラップはもう来ないだろう。 
 いやいや、それどころか、家に帰ってみたらまだ寝てる、なんて可能性も、ありうるし。 
 それなら、まだその方がいいんだけど。 
 わたしが一人で登校したことを知ったら……多分、怒るだろうなあ。 
 はあ。 
 つまんない意地、はるんじゃなかったかな…… 
  
「あれ、トラップの奴は?」 
 終業式にて、舞台袖でため息をついていると、クレイに声をかけられた。 
 クレイ・S・アンダーソン。一年上の先輩にして、マリーナの恋人にして、トラップの幼馴染にして、学校の生徒会長。 
 その絡みで、トラップが副会長、わたしが書記などを務めてたりするんだけど。 
 終業式みたいな何かの行事のときには、生徒会役員が司会とかをするんだよね。 
 まあ、ほとんどの仕事は会長のクレイがやってくれるから、わたしとトラップがすることなんて余りないんだけど。 
「うん……ちょっと、喧嘩しちゃって。わたしが朝起こさなかったから。起きれなかったんじゃないかな」 
「はは。あいつならありえるかもな」 
 爽やかに笑うクレイの顔は、どこまでもほがらかで。見ていると何だか癒される。 
「ねえ、クレイ。クレイなら、誰かと喧嘩したとき、自分は絶対に悪くない! っていう自信があったら、どうする?」 
 クレイはとってもいい人だ。優しいし、自分のことよりも先に他人のことばっかり考える。どっちかというと人生で損をしそうなタイプなんだけど、本人はそんなことちっとも気にしてないんだよね。 
 クレイが人と喧嘩するなんてあまり想像できないんだけど……どうなんだろう? 
 わたしの言葉に、彼はしばらくうーんと考えていたけど。 
 やがて、全然迷いの無い口調で言い切った。 
「自分が全然悪くない、なんてありえないと思うな。例えそんな風に思えたとしても、それは自分の考えで、誰かが別の見方をすれば、やっぱり俺にも何かしら悪いところはあると思う。だから、相手が謝ってくれるかどうかは別にして、俺からもちゃんと謝るよ。そいつと仲良くしていたいのならね」 
 それはすっごくクレイらしいっていうか。 
 何だか、考えさせられる意見だった。 
 自分が悪くないと思っても、それは所詮自分の考え。他の人が別の見方をすれば、何かしら自分にだって悪いところはあるはずだ…… 
 言われてみればそうだよなあ、って素直に聞けるのが、クレイの言葉の不思議なところ。同じ台詞を別の人が言っても、こんなにすんなりとは納得できなかったと思う。 
 とにかく、クレイのおかげで、わたしの心のもやもやは完全に晴れた。 
 トラップがどんなに怒っててもいい。まずは謝ろう。 
 謝ってから、ゆっくり話し合おう。わかってもらえなかったら、わかってもらえるまで話すんだ。 
 トラップと、ずっと仲良くしていたいから。 
  
 終業式が終わった後、HRが一時間。その後解散、っていうのが今日のスケジュール。 
 HRでは、夏休みの宿題とか、登校日の連絡とかが主な内容。 
 終わるのは、大体11時くらい。 
 ギア先生は、淡々とプリント類の山を配って、注意事項の説明をしていった。 
「連絡は以上。明日から夏休みだが、羽目を外しすぎないように……ああ、パステル・G・キング、後でちょっと来てくれ。では、解散」 
 ……はい? 
 宿題の量にうんざりしていたとき、さらりと言われた言葉に、思わず顔をあげる。 
 先生がわたしを呼び出すのは、あの出来事以来……そう思うと、自然に身体が強張った。 
 ま、まさか。今更……ね。 
 けど…… 
 怖い、という思いが抜けきれず、先生が教室から出て行く前に教壇に駆け寄る。 
 マリーナもリタも教室にいる。うん、大丈夫だよね! 
「先生、何ですか?」 
「パステル」 
 ギア先生は、わたしをじーっと見つめて、そっと手をとった。 
 そして。 
 どさっ、とプリントの束を渡す。 
「ステア・ブーツのプリントだ。彼に渡してやってくれ。宿題をさぼるな、と伝えてくれると嬉しいな」 
「…………」 
 何考えてんだろ、わたしってば。先生を疑ってどうするの! 
 激しい自己嫌悪に陥ってしまう。 
 はあ。これと言うのもトラップが悪いのよ。変なこと散々吹き込むから…… 
 思わずトラップに責任転嫁をしていたときだった。 
 ひょい、と先生が耳元に唇を寄せて、囁いた。 
「ついでにこうも伝えてくれ。パステルを泣かせるようなことをしたら、俺がどんな手を使ってでも奪ってみせる、とな」 
「…………」 
 言われた意味を理解して、瞬間的に顔が真っ赤に染まる。 
「せ、先生っ……」 
「……君は、本当に見ていて飽きないな」 
 抗議しようにも言葉がうまく出てこなくて、口をぱくぱくさせていると。ギア先生は、低く笑って言った。 
「冗談だよ。だが、こう言ってやれば、彼のことだ。きっとすぐにでも仲直りしてくれるんじゃないか? 君の寂しそうな顔なんか見たくない、というのは、本当だよ」 
 ぽん、と肩を叩いて、先生は教室を出て行った。 
 ……ギア先生といい、クレイといい。 
 みんな、トラップのことをよくわかってるんだなあ…… 
 わたしは、彼のことをどれくらいわかってるんだろう? 
「パステル、話終わった? ねえ、これからどうする? どこかに寄る?」 
 声をかけてくれたマリーナに、わたしは手を振って言った。 
「ごめん、今日はまっすぐ帰ることにする」 
 早く謝りたいから。そう目で訴えると、マリーナはすぐにわかってくれたみたいで、小さくガッツポーズをしてくれた。 
 
 学校から家まで大体40分。急いでいるときは、ちょっと遠いなって感じる。 
 トラップと二人だと、あっという間なんだけどね。 
 そんなことを考えながら、靴をはき替えて玄関を出たときだった。 
 校門のあたりが、ちょっと騒がしい? 
 まだ帰宅途中の生徒があたりにはいっぱいいたんだけど、門のあたりに、ちょっとした人だかりができてた。 
 ……何かあるのかな? まあ、わたしには関係無いよね。早く帰らなくちゃ。 
 そんなことを考えながら、校門をくぐったときだった。 
 ぴろろろろろろろろろろろ♪ 
 ポケットの中で、突然携帯電話の着信音が鳴り響いた。 
 ……誰だろう? 
 ちょうど人ごみをかきわけようとしたとき。 
 携帯を取り出すと、そこに出ている名前は…… 
 ……トラップ!? 
 な、何なの突然……? 
 慌てて通話ボタンを押したときだった。 
『……そこかよ』 
 へ!? 
 わたしが何か言うより早く、トラップの声が耳から届いた。 
 携帯電話からと、そして……もっと近くから。 
 慌てて振り向く。みんながざわついている、その視線の先の主を。 
「トラップ!?」 
 視線と視線がぶつかった。 
 人だかりの中心にいたのは、トラップ。 
 片手でヘルメットを抱えて、学校の前だと言うのに大胆にも私服姿でバイクにまたがっている。 
 彼は生徒会副会長もつとめているし、鮮やかな赤毛が目立つし、成績はトップクラスで運動神経も抜群で…… 
 つまりは、そういうとても目立つ人なのだ。 
 そりゃあ……人も集まるよね…… 
 わたしが名前を呼んだ瞬間、周囲の人が……主に女の子が……一斉に振り向く。 
 その鋭い視線に、思わずきびすを返そうとしたんだけど。 
 その前に、トラップにがっちり腕をつかまれてしまった。 
「ちょ、ちょっと……」 
「…………」 
 トラップは何も言わない。ただ、ずるずるとわたしを無理やり引きずって…… 
「きゃあああああああああああ!!? ちょ、いきなり、何をっ……」 
 ぐいっ、と片手で担ぎ上げられる。そのまま、どさっ、とバイクの後部座席に乗せられた。 
 頭にがぼっと被せられるのはヘルメット。わたしの文句なんか聞こうともしない。 
 エンジン音が響いた。 
 は、走り出すっ!!? 
 振り落とされちゃかなわない。わたしは慌てて、座りなおしてトラップのウエストにつかまった。 
 この間、一分とかかってはいない。 
 集まってきた人達が唖然としている間に、バイクは、校門から走り去って行った。 
  
 バイクはノンストップで走り続けた。 
 どういう道を選んでるのか知らないけど、信号待ちすら無い。つまりは、話しかけてもエンジン音のせいでトラップには聞こえていない。 
 いや、聞こえてるけど無視されてるだけなのかも……? 
 とにかく、トラップは何も言わずバイクを走らせていた。 
 既にまわりの光景は、一人で帰れって言われても絶対無理だと確信できるくらい、見覚えの無い場所。 
 ううーっ、い、一体何なのよう!! 
 トラップが何を考えているのかわからなくて怖かった。だけど、走るバイクから逃げる術なんてわたしには無い。 
 ただぎゅっとトラップの身体にしがみついて、早く目的地についてくれるように祈るばかりだった。 
 バイクが止まったのは、それから30分後くらい。 
 何の予告もなく突然急ブレーキをかけられて、身体がわずかに振り回される。 
「トラップっ……」 
「…………」 
 彼は何も言わずにバイクを降りた。 
 辿り付いた場所は……ここは? 
 思わずまわりを見回す。 
 臨海公園。以前、両親が事故にあった場所に連れていってもらった帰りに、立ち寄った場所。 
 そこで、わたしとトラップは、初めて…… 
「トラップ?」 
「そこで待ってろ」 
「え?」 
 返ってきたのは、たった一言。 
 トラップは、わたしを無理やりバイクから降ろすと、自分は再びまたがった。 
 そして、わたしの返事なんか待たずに、さっさとバイクをスタートさせる。 
「ちょ、ちょっと……」 
 止める暇なんか全く無い。バイクは、土煙を残して走り去った。 
 ……ま、全く……一体何なの!? 
 はあ、とため息をついて、ベンチに座る。 
 帰ろうにも、一人じゃ無理だし。まさか、置いていかれたりはしないよね? 
 ……トラップ、やっぱり怒ってるのかなあ…… 
 わ、わたしもちょっと意地をはりすぎたかな? 
 で、でも、だから謝ろうとしてたのに! 帰ったら一番に謝ろうって。なのに…… 
 うう。トラップが何考えてるのか、わたしには全然わからないよ。 
 どうして、こうなっちゃったのかなあ…… 
 落ち込んでうつむいてしまう。それから、どれくらい時間が経ったのか。 
 そんなに長くは無い時間。多分、15分とか20分とか、それくらい。 
 聞き覚えのあるエンジン音が、後ろから響いてきた。 
 ……戻ってきた? 
 振り向きたかったけれど、今にも泣きそうな顔を見られたくなかった。 
 ぎゅっ、と唇をかみしめてうつむく。そんなわたしの後ろで、エンジン音が止まった。 
 足音が響く。そして…… 
 ガサッ 
 紙がこすれるような音とともに、目の前に何かが差し出された。 
 ……えっ……? 
 ばっ、と顔をあげる。目の前には、すっごく不機嫌そうな表情で、でも耳まで真っ赤に染めたトラップの顔。 
 彼がわたしに差し出しているのは、色とりどりの花が包まれた、小さなブーケ。 
「トラップ……?」 
「……悪かったよ。俺が悪かった。本当に悪かった。だあら……これで許せ」 
 謝ってるのに何で命令形なのよ。 
 一瞬そう思わないでもなかったけれど、それよりは喜びの方がずっと大きかったから、言えなかった。 
 ブーケを抱きしめると、ふんわりといい匂いが漂う。 
 花束。トラップが女の子に贈るものとして、これほど似合わないものもないんじゃないだろうか。 
 だけど、わたしを喜ばせようとして……買ってきてくれたんだよね? 
「ありがとう……」 
「礼なんざいいっつーの。んで!? 許すのかよ、許さねえのかよ?」 
「……ごめん」 
 そう言うと、トラップは頭を抱えてしゃがみこんだ。 
 あ、ごめん。言葉が足りなかったみたい。 
「ごめんね。わたし、変な意地、張っちゃって」 
 そう続けると、トラップは、疑い深い目でわたしをちらりと見た。 
「……それって、つまり許すってことだよな?」 
「許すも、許さないも……」 
 ベンチから降りてしゃがみこむ。トラップと目線を合わせて、微笑みかけた。 
「トラップはちゃんと謝ってくれたじゃない。それに変な意地を張ったのはわたしだから。だから、今は、悪いのはわたしなんだよ? だから、ごめん、って謝ったの。トラップは、わたしを許してくれる?」 
 そう言うと、トラップの表情に微かに笑みが走った。 
 あっ、と思う間もなく、抱き寄せられる。 
「……許すに決まってんじゃん? おめえな、今朝俺がどんだけショックを受けたか、わかってんのか?」 
「……ごめん」 
「どうすりゃ許してくれるのかって、学校さぼって必死に考えたんだからな」 
「ごめんって。お礼に……あ、そうだ。お昼ごはん、おごるから」 
 そう言えば、学校から直接ここに来たから、ご飯もまだだった。 
 思い出した途端、お腹が空いてることに気づくなんて、我ながら現金だなあって思ったけど。 
 そう言った途端、トラップは、かくんとうなだれた。 
「お、おめえって奴は……色気のねえ……」 
「な、何よお」 
「こういう場合はなあ、お礼っつったらこー何つーか……」 
 そこでトラップは口ごもったけど。 
 彼が何を言いたいのかは大体わかった。 
 ……懲りてない、この男っ! 
 わたしが頬を膨らませたのがわかったのか、トラップは慌てて「い、いや、ありがてえよ、うん」なんてごまかしてたけど。 
 ……そんなに。そんなに、身体の関係って……重要なのかな…… 
「ねえ、トラップ」 
「あんだよ」 
「何で、抱きたいって思うの?」 
 ぶはっ!! 
 わたしがそう言った途端、トラップは派手にふきだした。 
 まじまじとわたしを見つめて、はーっ、と盛大なため息をつく。 
「おめえも……鈍いくせしてさらっととんでもねえこと言うなあ……」 
「うっ……そ、そんなことないもん……」 
 そう返されると、自分がとんでもないことを口走った、ということに気づいてしまう。 
 うう……だ、だって気になるんだもん! 
「ねえ、どうして? わたし、トラップのこと好きだよ。だから、一緒にいれるだけですごく嬉しいのに……トラップは、それだけじゃ駄目なの?」 
「……んじゃ、聞くけどよ。おめえは、俺に抱かれるのが嫌なのかよ?」 
 ………… 
 無言で首を振る。 
 嫌じゃない。相手がトラップなら嫌じゃない。それははっきり言える。 
「んじゃ、何で駄目なんだ?」 
「だって……怖いから」 
「何がだよ。痛そうだから、とか?」 
「違う……」 
 まあ、それは確かにあるんだけど。 
「身体の関係が先に来るのは、嫌だから」 
「はあ?」 
「だから……何て言えばいいのかよくわからないけど。『好き』って気持ちより『抱きたい』って気持ちの方が先に来るような関係は、嫌だから」 
「…………」 
「もし……何かあってね、わたしが事故か何かにあって、身体がすっごく傷ついたりとかしちゃって、もう抱けなくなったら、トラップはわたしのことを好きじゃなくなるんじゃないかって……そんな風に思うのは、嫌だから」 
 気持ちをうまく説明できない。 
 わたしが一生懸命説明するのを、トラップは黙って聞いていてくれた。 
 全部説明し終わって、もう言うことがなくなっても、トラップはしばらく黙ったままだった。 
 ……呆れられた? わたしの考えって……そんなに変なのかな。 
 あんまりにも沈黙が続くものだから。わたしが自信をなくしてうつむいたときだった。 
 ぽん、と頭に手が乗せられた。 
「トラップ……?」 
「パステル」 
 トラップは、じーっとわたしを見つめていた。いつもの軽い雰囲気なんかちっとも無い、シリアスな顔で、 
「ばあか」 
 あっさりと言い切った。 
「……と、トラップ!?」 
「ばあか、うぬぼれてんじゃねえよ。おめえ、自分の身体にそんな魅力があると思ってんのかよ?」 
「な、な、な……」 
 わ、わたしが一生懸命話してるのに。 
 な、何てこと言うのよ、この男は!? 
 思わず立ち上がろうとしたけど、トラップの手が頭を押さえつけていてできなかった。 
 ひ、ひどい…… 
 仕方ないから視線で抗議すると、トラップはそれをしっかりと受け止めていた。そらすことなくじっと返して、そのまま続ける。 
「身体が目当て、なんつーのはな、もっと出るとこが出て引っ込むところが引っ込んだナイスバディな姉ちゃんにだけ許される台詞だっつーの。おめえの魅力はな、そんなつまんねえもんじゃねえんだよ」 
「……え……?」 
 えと、それは、つまり……? 
 ぎゅっ、と頭に置かれた手に、力がこもる。髪が巻き込まれて、ちょっと痛かった。 
「トラップ……?」 
「……俺はな、焦ってたんだよ。ギアみてえな物好きが他にも出てくるんじゃねえかって。早くおめえを自分のものにしてえって、焦ってたんだよ」 
「え……?」 
「身体の関係っつーのはな、一番わかりやすい。おめえみてえな女を、身体目当てで抱く男なんかいねえだろうから」 
「…………」 
 激しくひっかかる物言いなんですけど……ねえ、これって怒ってもいい場面だよね? 
 わたしの剣呑な視線に気づいているのかいないのか。トラップは、表情一つ変えずに続けた。 
「早くおめえを俺だけのもんにしたくて、焦ってた。おめえがそんな風に思ってたなんて知らなかったよ。……悪かったな」 
「…………」 
 ええっと。ええっと…… 
 言い方は、何だかすごーくひっかかるところがいっぱいあったけど。 
 これって、つまり……好きだ、って言われてるんだよね? ……そうだよね? 
「バカ」 
「な、何だよ! 人が珍しく真面目に話してんのになあ……」 
「だって、バカだもん。そんなの、全然トラップらしくない」 
 わたしがそう言うと、トラップは皮肉っぽい笑みを浮かべた。 
「俺らしくないって?」 
「いっつも自信たっぷりなトラップらしくないもん、だって。トラップだったら、『俺以上にいい男なんているわけねえ』とか言いそうじゃない? 他の男の人に取られるかも、なんて……トラップらしくない」 
 そう答えると、トラップの腕がすっと伸びた。 
 ぐいっ、と肩を引き寄せられて、自然に顔が胸に押し付けられた。 
「おめえな。俺だって、口で言ってるほど自信があるわけじゃねえんだぜ?」 
「……そうなの?」 
「ああ。不安に思うときだってあるよ。強がりっつーかな、泣き言言ったって仕方ねえときは、自信がなくてもそれを表に出さねえようにしてた。そんな情けねえ姿を、見られたくなかったから」 
「…………」 
「俺がこうやって本音を出せる相手ってな、おめえしかいねえんだぜ? わかってんのか、そのへん」 
「……そうなんだ」 
「もっと感動しろよなあ」 
 してるよ、すっごく。そんな風に言ってもらえて、すっごく嬉しいんだから。 
 だけど……悔しいから、それを表には出さない。 
 わたしはちっともトラップのことがわかってなかったんだって。それを認めるのは、悔しいから。 
 だから、代わりに。 
「安心してよ」 
「はあ?」 
「わたしの心は、とっくにトラップにあげちゃってるから」 
「……そうかよ」 
「きっとね、タイミングっていうのかなあ……そういうのがあえば、なるようになると思うから」 
 だから、焦らないで。 
 わたしがそう言うと、トラップはかしかしと赤毛をかきあげて、 
「……努力はする」 
 とぶっきらぼうにつぶやいた。 
  
 帰り道。せっかくもらったブーケを、潰さないように持ってバイクに乗るのは大変だった。 
 それでも、何とか無事に家に帰りつく。 
「はい、トラップ」 
「……あんだよ、これ」 
 どさどさっ、とプリントを渡すと、トラップはすっごく不機嫌そうににらんできた。 
 わたしをにらまれたって困るもん。 
「夏休みの宿題とか、連絡とか、そういうの。トラップに渡しといて、ってギア先生が」 
「けっ。ギアせんせーが、ね」 
 トラップの口調は、すっごく皮肉げ。 
 ……ギア先生のことが気に入らないのはわかるけど。もう何もしないって言ってるんだから。 
 ちょっとは態度を改めて欲しいなあ…… 
 そう思ったら、ちょっとしたいたずら心がわいてしまった。 
 何でもないような顔をして、続ける。 
「あのね、ギア先生から伝言。宿題をさぼるな、だって」 
「へえへえ」 
 全然真面目に聞いてない。トラップは、プリントをテーブルの上に置くとお湯をわかすべく、やかんを火にかけた。 
 ……ふんだ。次を聞いても、その態度、続けてられる? 
「後、もう一つ」 
「まだあんのかよ」 
「うん。『パステルを泣かせるようなことをしたら、俺がどんな手を使ってでも奪ってみせる』だって」 
 ガタンッ 
 その言葉は効果てき面だった。準備しかけていたコーヒーを放り出して、こちらに向き直る。 
 うわー、こめかみがひきつってる…… 
「……ギアの野郎、まだんなこと言ってんのか?」 
「知らない。わたしは伝えてくれって言われただけだもん」 
 笑いをかみ殺してそう答えると……トラップは、ニヤリと笑った。 
 その何というか……いかにも「何かたくらんでいます」という笑いに、一瞬背筋が寒くなる。 
「トラップ?」 
「んじゃあ、ギアにこう伝えておいてくれ」 
 すたすたすた 
 言いながら、トラップはこちらに歩み寄ってきた。 
 そんなに広い台所じゃない。一気にわたしの正面まで来て、どんっ、と壁に手をつく。 
 壁とトラップの間に挟まれて、わたしは身動きが取れなくなった。 
「ちょ、ちょっと……」 
「奪えるもんなら奪ってみやがれ、何かの奇跡が起きて奪われたとしても……俺が即座に奪い返してやる、ってな?」 
 ひょい、と顎を持ち上げられる。 
 あっという間に唇を塞がれた。随分と久しぶりな気がする、濃厚なキス。 
 薄いシャツごしにトラップの体温が伝わってきて、鼓動が一気に早くなる。 
 そのまま、彼の手は、わたしのセーラー服にもぐりこもうとして…… 
 お湯が沸いたことを知らせる「ぴーっ」という音に、がっくりと脱力したのだった。

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