自分の目が信じられない、というのは、きっとああいうときのことを言うんだと思う。 
 わたしの目の前には、傷だらけの女の人が倒れている。 
 服が乱暴に引き裂かれて、うつぶせになってうめいている。泣いているのかもしれない。 
 早く助けなきゃいけないのに。わたしの足は、凍りついたようにその場を動けなかった。 
 信じられない。でも、わたしは別に目が悪いわけじゃないし、それにあいつの姿を見間違えるわけがない。 
 ほんの一瞬だったけど、見てしまった後姿。 
 ほっそりした長身と鮮やかな長めの赤毛。 
 ただいつもと違ったところといえば、背中に黒いマントをかけていて、後ろからでは服装が見えなかったこと。 
 だけど…… 
 だけど、間違いない、と思う。 
 あいつは…… 
 地面から聞こえてきた押し殺すような泣き声に、やっと我に返る。 
「だ、大丈夫ですか!?」 
 わたしは、大声で人を呼びながら、女の人を抱き起こした。 
  
 シルバーリーブは小さな村。そして平和な村、だった。 
 物価も安いし、住んでる人もみんないい人だし。だからこそ、わたし達パーティーは、普段はここを拠点にしてるんだ。 
 だけど…… 
 最近のシルバーリーブはちょっと違う。みんな不安そうで、夜になると人通りが途絶えてしまう。 
 夕食を食べに来るお客さんが減ったって、猪鹿亭のリタがぼやいていたくらい。 
 それというのも、最近、シルバーリーブで毎日のように凶悪事件が発生しているからなんだ。 
 最初の被害者は、バイトの帰りに襲われたっていう、わたしと同い年くらいの女の子。 
 持っていたバッグをひったくられた、最初はただそれだけだった。 
 ううん、ひったくりだって、犯罪には違いないんだけど。それでも、この後に起こる事件に比べたら、本当に可愛いものだと思う。 
 最初の何人かは、夜に出歩いているとそうやって荷物をひったくられる、そんな程度で、自警団の人たちが見回りを強化しようか、なんて話しが出る、その程度だった。 
 ところが、日をおうにつれて、事件はそれだけじゃすまなくなっていったんだ。 
 ひったくりだけじゃなく、突然刃物で切りつけられたりするようになり、長い髪をばっさり切られた女の子が出てきた。 
 酷く顔を殴られて、いまだにあざが消えない女の子も出た。 
 そして……ついに。 
 襲われる子が、出たのだった。 
 襲われるっていうのは、つまり……女の子にとって、もしかしたら殺されるよりも辛いかもしれない、あの「襲われる」ね。 
 不思議だった。毎日のように被害が出るから、夜遅くまで出歩かないようにってみんな注意してるのに。 
 不思議なくらい、毎日のように誰かが襲われた。 
 若い女の子ばかりじゃなく、それは子供だったり、中年のおじさんだったりと本当に色々だったけれど。 
 被害者の話しによれば、いきなり後ろから襲われたり真っ黒なフードつきのマントを目深に被っていたりで、人相とかは全然わからないんだけど。 
 ただ、割と長身で細身の、男の人には違いない、手がかりと言えばその程度。 
 犯人は、余程勘の鋭い奴に違いない。もうこうなったら、夜は絶対に出歩かないように。 
 そんな話まで出るようになって、今のシルバーリーブはかなりぴりぴりしている。 
 もちろん、わたし達パーティーも例外じゃなく。 
 ルーミィとシロちゃんは常にノルと一緒に行動することになり、わたしは、バイトに行ったり印刷所に行ったりするときは、絶対にクレイかトラップについていってもらう、ってことになったんだ。 
 もっとも、ほとんどクレイだったけどね。トラップはまあ、「俺が他人にのんびり襲われるような間抜けに見えるか?」なーんて自分の素早さに絶対の自信を持っている人だから。 
 こんなときだというのに、毎日毎日ギャンブルに明け暮れている。 
 シルバーリーブの人は出歩かなくても、旅の途中でふらりと立ち寄る冒険者達はいっぱいいるからね。相手には困らないんだそうな。全く。 
 そして…… 
 とにかく、一刻も早く犯人が捕まって欲しい。みんながそう願っているそんなときだった。 
 わたしが、そいつに出くわしたのは…… 
  
 その日。わたしはびくびくしながら、シルバーリーブの夜道を足早に歩いていた。 
 絶対に一人で出歩いちゃいけない、そう言われていたんだけど。 
 でも、今日は原稿の締め切り日。どうしても印刷所に行かなきゃいけなくなった。 
 出かけるとき、ノルはルーミィ達と遊びに行っていてまだ帰ってきていなかった。 
 キットンは薬草の採取とやらでやっぱり出かけていた。 
 トラップは多分ギャンブル、かな? 少なくとも宿にはいなかった。 
 頼みの綱、クレイは……今日はバイトだったんだよね…… 
 わたしだって、どんなにか、明日まで待とう、せめてクレイが帰ってくるまで待とう、って思ったことか! 
 でもでも、わたしがのんびりしすぎていたのが悪いんだけど、締め切りを破りたくはなかったし。あんまり夜遅くまで待たせちゃ、印刷所のご主人に悪いもんね。 
 原稿が出来上がったとき、空はまだ明るかった。急げば暗くなる前に戻ってこれる、迷ってる時間も惜しい。 
 そう思って、慌てて出てきたんだけど…… 
 まさか、シルバーリーブで迷子になるなんて…… 
 怯えて歩いていたせいだと思う。必要以上にきょろきょろしたり、妙に後ろが気になったり、集中できずに歩いていたら、いつの間にか知らない通りに入り込んでたんだよね。 
 どうにかそこから見慣れた通りまで出てきたときには、もう外は真っ暗。 
 人通りも全然無い。ううっ、怖いよお…… 
 一刻も早くみすず旅館に戻らなくちゃ、わたしがそう思って足を速めたときだった。 
「きゃあああああああああああああああああ!!」 
 辺りに響く悲鳴と、続いて人が争うような物音。 
 な、何!? 何なの、一体!!? 
 慌てて耳を済ませると、どうやらこの近く……みたい。 
 もしかして、また事件!? い、急いで人に……ううん、その前に助けに…… 
 理性はそう告げていたんだけど。 
 情けないことに、足ががくがく震えて、全然動けなかった。 
 もーわたしのバカバカ!! 何のための冒険者なの!? ためらってる場合じゃないでしょ!! 
 震える足を必死で叱咤激励して、おそるおそる声がする方向へ。 
 誰か助けを呼びに行けたらいいんだけど、ちょうどここはお店も家もない、本当にただの道。 
 呼びに行っている間に、犯人に逃げられたら……ううん! さっきの悲鳴、女の人の声だった。 
 今からすぐに助けに行けば……最悪の事態は、免れるかもしれない!! 
 よろよろしながら何とか声のする方向へ足を進める。本当に1分もかからないくらい近く。 
 一歩間違っていたら、わたしが襲われたかもしれない…… 
 思わずぞっとする。そうだったら、ますます放っておけない。 
「やめなさい!!」 
 叫びながら、わたしは角を曲がった。 
 普段シルバーリーブ内では武器は持ち歩かないんだけど、最近はいつも、護身用にショートソードくらいは身につけている。 
 それを構えて、わたしはばっと飛び出した。 
 目に飛び込んできたのは……恐ろしい光景。 
 黒いマントに包まれた人影が、知らない女の人の服を無理やり引き裂いて押し倒していた。 
 女の人は必死に暴れていたけれど、マントの人影はすごく手慣れた様子で、それを押さえ込んでいて…… 
 ただ、わたしが現れたせいだろう。マントの人影は、素早く女の人から離れた。 
 そして、振り返りもせずそのまま走り出す。 
 すごく早い足。わたしじゃ絶対に追いつけない。あっという間に、その人影は夜の闇の中に消えていったんだけど…… 
 わたしは、人影が消えた方向から、目をそらせなかった。 
 逃げる途中、マントのフードがずり落ちて、相手の頭が目に入った。 
 後姿だけど、見間違えるわけがない。 
 あの、とても鮮やかな赤毛は…… 
 ま、まさか。まさか……!? 
「ううっ……」 
 わたしが我に返ったのは、足元で女の人がうめいたときだった。 
 傷だらけだけど、どれも浅い。服はぼろぼろだけど、それ以上何かをされた様子は……無いみたい。 
「大丈夫ですか!? 誰か、誰か来て――!!」 
 わたしの悲鳴が、シルバーリーブに響き渡った。 
  
「一人で出歩いちゃ駄目だって、あれほど言ったじゃないか!!」 
 自警団の人たちにわたしが見たことを説明していたとき。 
 迎えに来てくれたクレイは、わたしの顔を見るなり叫んだ。 
「……ごめんなさい」 
 クレイの顔はすごく怖かった。本気で怒ってる。それだけ、わたしのことを心配してくれてるんだよね。 
「まあ、パステルに何も無くてよかった……あ、いや、でも襲われた人が……いるんだよな。すみません、不謹慎でした」 
「いやいや」 
 ぺこりと頭を下げるクレイに、自警団のリーダーは鷹揚に手を振って言った。 
「それはその通りさ。お嬢さんに何もなくてよかった。それに、彼女が勇気を出して飛び出してくれたから、今日襲われた女性は、カバンをひったくられて服を破かれたくらいですんだんだ。……心の傷は残るだろうけどね。それでも、最悪の事態だけは免れた。それは幸運だと思うべきだ」 
 リーダーの言葉に、詰め所にいた他の自警団の人達もうんうんと頷いている。 
 そうなんだよね。わたしのおかげかどうかはわからないけれど、犯人が途中で逃げたおかげで、幸いなことに、女の人は……まだ「襲われる」前だった。 
 もちろん、とてもショックを受けていて、まともに言葉も出せないくらいだったんだけど…… 
「あの、パステルはもう連れて帰っても?」 
「ああ、話は全部聞いたしね。もう帰ってもいいよ。面倒をかけたね……それと、もう二度と、一人で出歩かないようにね」 
 わたしの目を覗き込むリーダーに、こくりと頷く。 
 自己嫌悪で、まともにその目を見れなかった。 
 だって、わたしはついに言えなかったから。わたしは、ただ悲鳴を聞いてかけつけたら、黒いマントに包まれた人影が逃げ出すのを見た、それだけしか言えなかった。 
 鮮やかな赤毛と、長身で細身の身体。それは、とても有力な手がかりになるはずなのに……どうしても、言えなかったから。 
「じゃあ、パステル、帰ろう」 
 くいっ、と手を引っぱってくれるクレイに、曖昧な微笑を浮かべて頷く。 
 わたしは……どうしたらいいんだろう? 
  
 みすず旅館に戻ったとき、出迎えてくれたのは、ルーミィ、キットン、ノル、そしてシロちゃん。 
 わたしがクレイに手を引かれて戻ったとき、ルーミィは綺麗なブルーアイにいっぱい涙をためて飛びついてきた。 
 ノルはとてもほっとしたように「よかった」とだけつぶやき、キットンは「無事で何よりでした」と安堵してくれた。 
 だけど……そこに、わたしが一番会いたかった人はいなかった。 
「トラップは? まだ戻らないのか?」 
 クレイの言葉に、キットン達は顔を見合わせて、「今日は昼過ぎから姿を見ていない」と首を振った。 
 昼過ぎから…… 
 そう、最近のトラップはいつもそうだ。昼過ぎに出かけて、夜遅くにならないと帰ってこない。 
 本人は、「バイトだ」「ギャンブルだ」と言っていたけれど。 
「全く、あいつは……今日という今日はがつんと言わないと……」 
「あにをがつんと言うだって?」 
 クレイが拳を握り締めてつぶやいたとき。 
 とても場違いな、酷く能天気な声が、頭上から響き渡った。 
「えっ?」 
 皆がいっせいに顔を上げると、視線の先にいたのは……木の枝に腰掛けた、赤毛、長身、細身の男。 
 とても見慣れた姿。パーティーの大事な仲間の一人、トラップ。 
「トラップ! おまえいつからそこにいたんだ!?」 
「ん? 今さっきだよ。何か入り口の方が騒がしいから、様子見てたんだけど……パステルに、何かあったんか?」 
 そう言いながら枝から飛び下りる彼は、全く普段通りの姿。 
 逃げたのがトラップなら、わたしの声だってわかったはず。見られたって……わかってるはずだよね。 
 それとも、これは演技? 
「お前……何かあったんか、じゃない!! 今までどこに言ってたんだ!!」 
 珍しく声を荒げてつかみかかるクレイの手をひょいひょいと交わしながら、トラップは、 
「どこって……カジノだよカジノ。いやあ、今日はいいカモがいて……」 
 と、最近毎日のように言っていることを言った。 
 本当に? 
 本当に……カジノに行っていたの? 
 わたしがじーっと見つめると、その視線に気づいたのか、ひょいとトラップと目が合った。 
 思わずドキリとする。その目は、いつもと変わらない、いたずらっこみたいな光を浮かべていたけれど…… 
「で、何があったんだよ?」 
 すぐにその視線はそらされた。クレイの方に向き直って、わたしがどんな目にあったのか、を聞いている。 
 違う、よね。 
 トラップじゃ……無いよね。だって、本当にいつものトラップだもん。 
 ……わたしの見間違い、だよね。 
「へー。パステル、お手柄じゃんか」 
「『お手柄』じゃない! 一歩間違ってたら、パステルが襲われていたかもしれないんだ。お前、せめて俺がバイトでいないときくらいはパステルについていてやってくれってあれほど言っただろう!?」 
 夜のシルバーリーブに、近所迷惑な大声が響き渡った。 
  
 それから数日、わたしは部屋にこもってずーっと考えていた。 
 どうすればいいのか。いっそ自警団の人たちに本当に見たことを話すか…… 
 ううん、駄目。それは駄目。あんな鮮やかな赤毛、シルバーリーブでは多分トラップしかいない。 
 きっと、それだけでトラップを疑う。それは駄目。 
 トラップのわけがない。万が一トラップだったとしても……絶対何かわけがあるはず。 
 ほら、例えば、以前出くわした敵、ドッペルゲンネルとか。あるいは、何かに操られているとか。 
 とにかく、トラップが自分の意思であんなことするわけないもん。 
 それは、別に根拠があるわけじゃないけれど……ずっとパーティーを組んでいるわたしだからできる、確信だった。 
 そりゃあ、ねえ。トラップは大のギャンブル好きで、年中お金に困ってるし。それにしょっちゅうナンパもしてるみたいだけど。 
 それにしたって……いくら彼が盗賊だからって……ねえ。 
 でも、トラップを信じるとして、それはそれでまた問題が出る。 
 つまり……もし他の人に姿を見られたらどうなるか。 
 わたし達もねえ、色んなクエストを経験して、シルバーリーブじゃちょっとした有名人になっているから。 
 あんな目立つ赤毛だもん。きっとすぐに噂になっちゃう。むしろ、今まで誰も見てなかったっていう方が不思議なくらいだし。 
 でも、いつまでもそうだとは限らない。もし、トラップのことをよく知らない人が、あの姿を見たら…… 
 結局一緒。「とにかく、話を聞きましょう」ってことになっちゃうよね? 
 トラップはそんなことしない、っていくらわたし達が言い張ったって。事件がある日……というかここ最近、彼がずっと昼過ぎには出かけて夜遅くまで戻ってこないのは事実だし。 
 すると……わたしにできるのは、一つだけ。 
 真犯人を、捕まえること。 
 そう考え付いたとき、すごく背筋がぞっとした。 
 怖い。相手はモンスターとは違う。ちゃんとものを考えることができる、ごく普通の人間なんだから。 
 だけど、トラップの疑いを晴らす(いや、今のところ疑ってるのはわたしだけだけどね)ためには、それしか方法は無い。 
 クレイ達に相談しようかとも思ったけど……もし、もしよ。 
 もしも、万が一、本当にトラップ本人が犯人だったら…… 
 そうだとしたら、きっと何か、深い事情があるはずだから。 
 だから、じっくり話を聞いて、こんなことはやめてもらうように話して……もしわたしだけじゃどうしようもないような事情があったら、そのときは相談するしかないけど。 
 でも、もしわたしでも何とかできるような悩みだったら……今回のことは、わたしだけの胸に、そっとしまっておきたい。 
 よーし。やっぱりこれしかない。 
 わたしが、犯人を捕まえる。これしかないんだ! 
  
 そう決意したのはいいけれど。 
 じゃあ、どうやって? って考えると、またそこでつまってしまう。 
 自警団の人たちがあれだけ警戒して、それでも捕まらない犯人なんだよね。 
 わたし一人で、何ができるのか…… 
 数日、考えて。唸って。また考えて。 
 わたしがそんなことをしている間にも、事件は確実に起こっていた。 
 早く決断しなくちゃいけない。どうしよう。どうすればいいんだろう? 
 そう悩み続けて、そして出た結論。 
 それは、ひどく単純な結論だった。 
 ようするに、トラップの疑いさえ晴れればいい。 
 疑いが晴れないのは、事件のある日、いつも彼がどこかに行ってしまっているから。 
 なら、どこに行っているかつきとめればいい。 
 すなわち……彼を尾行すればいい。 
 これよ、これしかない。 
 一連の事件は、同じ犯人だっていうことは確実だって言われてるもの。 
 事件が起きた日、トラップが本当にカジノに行っていたことさえ証明できれば…… 
 よーし、明日、早速実行しよう! 
 決意も新たにして、わたしは久しぶりにゆっくり眠ることができた。 
  
 さて、とは言ったものの。 
 あの人一倍感覚の鋭いトラップのあとをつける……それは、なかなか容易なことじゃなかった。 
 一日目。 
 昼食を食べた後、「んじゃ、俺バイトに行ってくらあ」とトラップが立ち上がった。 
 わたしは、わざと彼の方を見ないようにしながらも、慌てて昼食を食べて「ちょっと散歩」なーんて言いながら彼の後を追って…… 
 遠くに赤毛頭を確認して、さあ、行くぞ! と追いかけたんだけど。 
 一つ目の角を曲がったら、もうトラップの姿は無かった。 
 バイトに行くって言ってたんだから……とバイト先に行ってみると、トラップは真面目にバイトに明け暮れていて。 
 じゃあバイトが終わるまで待てばいいか、と店の外でずーっと待ってたんだけど。 
 気がついたら……寝ちゃってたんだよね。たはは…… 
 人を見張るって、根気がいるんだあ…… 
 ちなみに、目が覚めたとき、既にトラップの姿は無かった。 
 カジノに顔を出してみようか、とも思ったんだけど、既に暗くなりかけてたし、今日は諦めることにした。 
 ちなみに、トラップが帰ってきたのはやっぱり夜遅くだった。 
 二日目。 
 今日はトラップはバイトは休み。だけど、昼食の後、やっぱりふらっと出かけて行った。 
 本人は、ちょっとそこまで、みたいなこと言ってたんだけど。 
 わたしは今度はすぐにトラップの後を追ったんだけど。何だかなあ。 
 ふっと気がついたら、もう姿が見えなくなってるんだよね。もしかして、気がついてる? 
 目を離したつもりはないのに、ちょっと人通りに視界を遮られて、その瞬間には姿が消えている。 
 ……でも、トラップなら、気づいてるなら「何か用か?」とか、声をかけてきそうなもんだよね。 
 何も言わずに姿を消すってことは……もしかして? 
 三日目。 
 今日もトラップのバイトは無かった。黙って後をついていってもまかれちゃうなら! とわたしは思い切って、 
「ねえ、トラップ。今日暇なら買い物つきあってくれない?」 
 と言ってみた。 
 OKなら、一応疑いは晴れる……かな? 
 ところが。 
「ああ? 何で俺? クレイにでも頼めよ」 
「えっ!? い、いや、トラップについてきてほしいの! お願い!!」 
 わたしがそう言うと、何故かその場にいたクレイ達からすごく不審そうな、それでいて意味ありげな視線をもらってしまった。 
 うー、何よ何よみんな。人の気も知らないで!! 
 わたしの言葉に、トラップはぽかんとしていたけれど。 
「……わりい。今日別の約束があるんだわ。またな」 
 と言われて、結局逃げられてしまった。 
「買い物、つきあおうか?」 
 と後で優しくクレイが声をかけてくれたけれど。「いい。トラップじゃないと……」と言ったところ、みんなは顔をつきあわせて何かひそひそ言っていた。 
 もっとも、それを気にかけている余裕は無いんだけど。 
 ……別の約束、ねえ。 
 もちろん、しょっちゅうナンパしているトラップのこと。そういうのがあってもちっとも不思議じゃないけれど。 
 怪しい……よねえ……断り方がトラップらしくない、というか。 
 トラップだったら、「めんどくせえ」とか言いそうな気がするんだよね。 
 わざわざ「別の約束がある」、しかも「またな」? 
 怪しい。怪しすぎる…… 
 こんな感じで、わたしの尾行はちっともうまくいかないまま、一週間が過ぎた。 
  
 その方法に気づいたのは一週間と一日後。 
 いやもう、何でこんな簡単なことに気づかなかったんだろ、って、自分の頭をぽかぽか殴りたくなった。 
 話は簡単じゃない。本当に毎日カジノに来てるかどうかなんて、カジノの店員さんか誰かに聞けば簡単にわかる。 
 幸い、トラップはああいう目立つ外見だし、有名人だし。 
 そう思い立って、昼食の後、案の定姿を消したトラップがカジノとは別方向に行くことを確認した後、わたしは出かけた。 
 カジノに行くのは初めてじゃないんだけどね。トラップを迎えに行ったことがあるし。 
 営業は夜からだから、お客さんも誰もいなくて、ちょっと寂しげなその建物に、おそるおそる足を踏み入れる。 
「あーすいません。まだ準備中なんですけどー」 
 わたしが入ってきたのを見て、床を掃除していた店員さんが声をかけてきた。 
 顔くらいは見たことあるなあっていう程度の知り合い。向こうもわたしに見覚えがあったらしく、怪訝な顔しつつ会釈してくれた。 
「あの、すいません。ちょっと聞きたいことがあるんですけどー」 
「はい?」 
 わたしの質問に、人の良さそうな店員さんは掃除の手を止めてくれた。 
「あの、わたし実は冒険者なんですけどー」 
「ああ、知ってるよ。あんたら有名人だしねえ」 
 にこにこしながら店員さんは頷いてくれた。 
 うう、照れるなあ……ってそんなこと言ってる場合じゃなくて! 
「あの、わたしのパーティーの仲間で、赤毛の男の子がいるんですけど。トラップって言う……」 
「ああ、彼ね。彼、どうかしたの?」 
「え?」 
 わたしが質問する前に、店員さんに質問されてしまった。 
 どうか……って? 
「えと?」 
「前は三日と空けずに通いつめてたのに、ここのところずーっと姿を見ないからねえ。ちょっと気になってたんだ。病気でもしてるの? まさかねえ」 
「あ……あはは。まさか……」 
 店員さんの答えは、半ば予想はしていたものの、外れて欲しいと願った答え。 
 ま、まさか……? 
「ま、また暇と金ができたら来るように言ってよ。彼が来ると店がにぎやかだからね」 
「あ、あはは。はい、伝えておきますう……」 
 多分、わたしはそんなことを言いながら店を出たと思うんだけど。 
 正直、よく覚えていなかった。 
 頭の中を、色んなことがぐるぐるまわっていて。 
 カジノには行ってない。 
 でも、トラップは毎日帰りが遅い。 
 一体、どこに行ってるの? 
 事件が起こっている日、トラップはいつもいなかった。 
 わたしが見た、長身細身の赤毛の男。 
 トラップ。まさか……まさか? 
  
 もう、なりふりなんか構っていられない。 
 カジノでの聞き込みの翌日。 
 わたしは、今日こそは、トラップがどこへ行っているかつきとめようと決心した。 
 夜道が怖いとかそんなこと言ってられない。今日こそは、何が何でもどこへ行くのか突き止めなくちゃ。 
 わたしはトラップを信じたい。でも、出てくるのは、疑いを裏付けるような証拠ばかり。 
 このままじゃ駄目だ。いっそ本人に聞いてしまいたいけど……答えを聞くのが、怖い。 
 早く安心したい。だから、今日こそは! 
 今日は、トラップはバイトの日だった。もうすっかりいつもの光景だけど、昼食の後、外出するトラップの後をこっそりとついていく。 
 何だかそんなわたしをクレイ達が暖かい目で見てるのがすごく気になるんだけど……まあいいや。全部解決したら、ゆっくり説明しよう。 
 トラップはまっすぐバイト先へと向かって、真面目に働き始めた。いつぞや寝てしまった場所、店の出入り口が見張れるけど、店側からは茂みが邪魔になって見れない、という場所に座り込んで、絶対寝ない! と自分に言い聞かせる。 
 トラップが何時までバイトなのかよくわからないけど、多分夕方過ぎまではやるだろう。 
 先はまだまだ長い。頑張らないと!! 
  
 で、そうして見張ること数時間。 
 地面に座り込んでいたせいですっかりしびれてしまった足をもみつつ、もう何百回見たかわからないお店の出入り口に目をやると、ようやくトラップが出てきた。 
 彼が向かうのは、やっぱりみすず旅館とは別方向。 
 よーし! 
 がさがさと茂みから這い出して、トラップが歩いていった方向へと向かう。 
 トラップの歩く速度は、わたしより大分速い。のんびりしてると置いていかれちゃうもんね。 
 最悪、見つかったって構わない。見つかったら見つかったで、どこへ行くつもりなのか聞くだけだもん。 
 そんなわけで、わたしはトラップの追跡を開始したんだけど…… 
  
 はあ、はあ、はあ…… 
 辺りはすっかり暗くなっている。人気のなくなった道の真ん中で、わたしは途方に暮れていた。 
 大分頑張ったんだけど、ついにトラップを見失っちゃったんだよね。 
 もー、歩くの早すぎ! 普段のクエストのときは、そうでもないのに!! 
 ……って、あれは多分、トラップの方がわたしやルーミィにあわせてのんびり歩いてくれてるんだよね。 
 はあ。もうちょっと体力つけた方がいいかなあ…… 
 いやいや、今はそんなことで落ち込んでる場合じゃない。 
 わたしの前には、三つ又に別れた道がある。 
 この手前までトラップが来たのは確か。ここから先、どこへ向かったのかが、わからないんだよねえ…… 
 左の道は、シルバーリーブの外へ出るための道で、人通りはほとんど無いし民家もお店も無い。 
 真ん中の道は、自警団の詰め所がある方向。 
 右の道は、街中へ戻る道。みすず旅館に戻るにも、カジノに行くにも、この道を使う。 
 一番可能性が高いのは、右の道だけど…… 
 ……だけど、もしトラップが犯人だった場合、右の道は多分使わない。犯行は大体人気の無い町外れとか森の中で行われてるもん。真ん中の道も同じく。自警団の詰め所の前で犯行に及ぶ……なんていくら何でもないよね。 
 だとすると……左? 
 いやいや、トラップが犯人じゃなかったら、やっぱり右だよね。犯人だったら、左。 
 どっちだろう。もちろん、迷わず右! って言えたらいいんだけど…… 
 ごくん、と息を呑む。 
 わたしがこんなことをしているのは、疑いを晴らすため。 
 左の道へ行って、トラップが見つからなければ…… 
 わたしは、おそるおそる左の道へと足を踏み入れた。 
  
 左の道は、夜はすごく不気味な道。 
 人通りはほとんど無いし、建物もなく、まさに自然の道。 
 あちこちに大きな木や茂みがあって、事件の最初の方の被害者は、大体ここで襲われている。 
 後の方になると、別の場所からわざわざここまで連れてこられて……っていうパターンもあったみたい。 
 つまり、それくらい……危ない道なのだ。 
 響くのはわたしの足音だけ。どんどん光が遠ざかっていくのを見て、わたしは段々不安になってきた。 
 や、やっぱり無謀だったかな? 
 やっぱり、クレイ達に相談した方がよかったかな。 
 それとも、自警団の人に…… 
 そんな弱気な考えがどんどん押し寄せてくる。 
 うーっ、これと言うのも、トラップが悪いのよ。カジノに行ってる、なんて嘘つくから! 
 信じてる。犯人じゃないって信じてるから、毎日毎日どこに出かけていたのか、しっかり白状してもらうからね!! 
 わたしが心の中で叫んだときだった。 
 ざわっ 
 ぴたり、と足を止める。 
 背後から聞こえた、微かな音。 
 茂みが揺れるような……そんな音。 
 ぞくり、と悪寒が走る。 
 人より鈍い、って言われるわたしでも……感じる。 
 背後に、何か……すごく、嫌な気配。 
 わたしは、重要なことを見落としていた。 
 トラップが犯人だったら? 犯人じゃなかったら? 
 そればっかり考えていて……考え無しにこんな危ない道に足を踏み入れて。 
 トラップが犯人だったらまだよかった(いや、よくはないけどさ)。そうだったら、話し合いの余地があるもの。 
 だけど…… 
 トラップが犯人じゃなかった場合。他の人が犯人だった場合。 
 夜、こんな危ない道を、一人で歩く。 
 それは…… 
 ばっと振り向く。腰のショートソードに手を伸ばしたけれど、情けないことに、手が震えてまともにつかめなかった。 
 いつの間にそこに立っていたのか。 
 長身痩躯の、黒いマントをすっぽり被った人影か、わたしの背後に、たたずんでいた。 
  
「……トラップ……?」 
 声をかけるけど、目の前の人影……ここしばらく、シルバーリーブを恐怖のどん底に陥れた犯人は、何も言わない。 
 違う……トラップじゃ、ない。 
 マントの隙間からわずかに覗く赤い髪。180センチにわずかに届かないくらいの身長。細く引き締まった身体。 
 その特徴は、どれもトラップの特徴と一致していたけれど……でも、違う。 
 トラップじゃない。トラップは……こんな、近寄りがたい冷たい雰囲気じゃない。 
 わたしは、ようやく気づいた。自分が、物凄くバカなことをしでかした、ということを。 
「その声……この間、俺の邪魔をした女か」 
 ぼそぼそとつぶやくような声が、風に乗って耳に届く。 
 聞き取りにくい、低い声。それは、うるさいくらいによく通る……だけど、聞くとすごく安心できるトラップの声とは、全く違う声だった。 
「あ……」 
 反射的に後ずさった。逃げなくちゃ、と頭の中でがんがん警報が鳴り響いていたけど、足がすくんで……動けない。 
「好都合……」 
 ふっ 
 目の前がぶれるような、そんな錯覚に陥る。それくらい、素早い動き。 
 気がついたときには、わたしは、背後から羽交い絞めにされていた。 
 喉元に、冷たい感触が押し付けられる。 
 これ、まさか……刃物っ!? 
 刃物で顔や髪を切られた女の子の話を思い出し、背筋にぞっと寒気が走る。 
「声を、出すな。死にたくなければ……」 
「あ……」 
 言われなくたって、出せない。喉が強張って……口の中がからからで、舌がはりつくような感覚。 
 そのまま…… 
 わたしは、傍の茂みにひきずりこまれていた。 
  
 がさがさがさっ!! 
 盛大な音を立てて、茂みの中に倒れこむ。 
 その上から、マントの人影が、のしかかってきた。 
 ――やだっ!! 
 思わず悲鳴をあげそうになったけど、その瞬間、ナイフが喉にぐっと押し当てられた。 
 わずかな痛み。ほんの少しだけど、血が流れ落ちる。 
「大人しく、しろ……」 
 ぐいっ 
 犯人の力は凄かった。 
 片手でわたしの肩を抑え、もう片方の手に握られたナイフが、喉元からゆっくりと下へ、下へと移動し…… 
 そのまま、一気にわたしの服を切り裂いた。 
「――――!!」 
 声にならない悲鳴。足をばたつかせて何とか逃れようとしたけれど、その瞬間、どこをどう動いたのか、犯人の足がからみつくように這い回り、あっさりと足の動きを封じられる。 
 う、動けないっ…… 
 背中をだらだらと冷や汗が流れる。どうしよう、どうしようっ…… 
 わずかに動かせるのは左腕。だけどっ…… 
 ぞくりっ!! 
 その瞬間、ナイフがわたしの胸に触れて、言いようのない寒気が全身を襲う。 
 犯人の動きはとてもなめらかだった。肌は全然傷ついてないのに、ナイフをほんの少し動かしただけで……わたしの下着は、あっさりと切り裂かれた。 
 夜の冷たい空気が胸に直に触れる。……恐怖が、どうしようもない恐怖が、身体を強張らせた。 
「そう、それでいい……大人しくしていれば、命までは、奪わない」 
 マントの隙間から覗く口元には、酷く冷たい笑みが浮かんでいた。 
 ……どうしようっ…… 
 情けないけど、本当にわたしにはどうしようもなかった。ショートソードがさしてあるのは右側。そちらの腕は、肩を押さえ込まれて全く動かせない。 
 何か、武器になるものっ…… 
 左手で地面をまさぐるけど、こんなときに限って、石にも何も触れない。 
 ……わたし、こんなところで…… 
 こんな、奴にっ!! 
 ぐいっ 
 犯人の手が、強引にわたしの脚を割り開いた。下着をはぎとられる気配。胸や太ももを這い回る手。 
 情けないくらに涙がこぼれた。 
 わたしがバカだったんだ。自警団の人だって捕まえられなかった犯人を、わたし一人で見つけようなんて。わたしが無謀だったんだ。 
 ごめん、トラップ。疑ってごめん。 
 だから…… 
 助けて――!! 
 犯人の息が荒くなっていく。もう駄目だ、と目を閉じたそのときだった。 
 バチッ!! 
「ぐっ!?」 
 突然響いたのは、何かが何かにぶつかる音。 
 何……!? 
 ぱっ、と目を開く。 
 そこにとびこんできたのは、マントのフードが外れて、あらわになった犯人の素顔。 
 はらり、とこぼれ落ちる鮮やかな赤毛は、確かにトラップの髪とそっくりだったけれど。 
 その顔は、美形ではあるけれど酷く冷たい雰囲気を漂わせた……全くの別人の顔。 
 そして。 
 人形のように白く整った顔。その額の部分から流れ落ちる、赤い血。 
 何が…… 
 ばちっ! ばちっ!! 
「ぐあっ……くそっ!!」 
 音がするたび、犯人の頬と腕から血が流れる。 
 たまらず、犯人はわたしから身を引き離し、逃げようとしたみたいだけど…… 
 その進路の前に、誰かが立ちふさがった。 
 木から飛び下りたらしき、その人影。 
 犯人とそっくりの体格に赤毛。ただし、まとわりつかせる雰囲気は、ひどく暖かい……わたしの、大切な仲間。 
「トラップ!?」 
「最近、シルバーリーブで起こってる一連の事件の犯人、だな?」 
 トラップは、わたしの方をちらりと見ただけで、即座に犯人に視線を戻した。 
「現行犯で……とっつかまえさせてもらうぜ!!」 
「くそっ!!」 
 犯人が取り出したのは、わたしの服を切り刻んだナイフ。それが、まっすぐにトラップの身体に…… 
「あ、危ないっ!!」 
「ぐはっ!!」 
 わたしは思わず叫んでいたけれど。 
 悲鳴をあげたのは、犯人の方だった。 
 トラップは、突き出されたナイフを何なくかわし、逆にその腕をねじりあげて地面におさえこんでいた。 
「今まで、自分より弱え相手しか狙ってなかったんだろ?」 
「…………」 
「わかってんだよ。おめえ、冒険者だな? それも、素行不良で冒険者カードを剥奪された……シルバーリーブの住人が犯人じゃねえとは思ってたんだ。流れの冒険者。シルバーリーブに長期滞在している奴の誰かだって、薄々思ってたんだ」 
「…………」 
「どんな気分だよ。てめえは単なる腹いせ、憂さ晴らしだったかもしれねえけどな……襲われた被害者の痛みは、こんなもんじゃねえぞ?」 
 バキィッ!! 
 トラップは、大した力をこめたようには見えなかった。 
 だけど、彼がわずかに腕を動かした瞬間……彼が拘束していた犯人の腕から、ひどく鈍い音が響いた。 
 たまらず、苦痛のうめき声をもらす犯人。それを、トラップは、酷く冷たい目で見下ろしていた。 
 わたしは、もう何が何だか。展開についていけず、茫然と見守るだけだったんだけど。 
 トラップが何か言いかけたところで、遠くから、ポタカンの明かりが近づいてきた。 
「おーい、トラップ! 見つけたか!?」 
 ……あれ? 
 明かりと一緒に近づいてきた声は、何だか聞き覚えのある声。 
 現れたのは…… 
「あ、あなたは!?」 
「ん? あんた……この間の?」 
 そこに現れたのは、自警団のリーダー、及び、その部下さん達。 
 手に手にロープを持って、トラップが拘束していた犯人を、あっという間に縛り上げてひきたてていく。 
 えと、えーと……? 
 な、何で? 何がどうなってるの……? 
 わたしが、ひきたてられていっく犯人をぼんやりと見送っていたときだった。 
 ばさり、と肩に何かが被せられる。 
 見覚えのある、オレンジのジャケット。 
 ふっと見上げると、何だか怖い顔をしたトラップが、わたしのことを見下ろしていた。 
「とらっ……」 
「おめえはっ!! んなところであにやってんだよっ!!」 
 炸裂した怒鳴り声は、もうすっかり、いつものトラップだった。 
「トラップ……」 
「バカか!? 危ねえから外には出るなって……クレイだってあんだけ言ってただろ!? こんなところで、何してたんだよ!!」 
「わ、わたし……」 
 言い訳できない。というより、どう言えばいいの!? 
 トラップが犯人じゃないかと疑ってました、なんて!! 
 わたしがおたおたとしていると。 
 不意に、ふわり、と暖かい気配。 
「トラップ……?」 
「……心臓、止まるかと思ったぜ……あんま、心配かけんなよ……」 
 ぎゅっ 
 トラップの腕に包まれて。 
 わたしは、またまた大泣きしてしまった。 
 ただし、今度は、安堵と……嬉し涙だったけど。 
  
「自警団で、バイトお!?」 
「まーな」 
 トラップのジャケットに包まれて、わたし達はみすず旅館へと急いでいた。 
 多分、クレイ達が死ぬほど心配してると思うしね。 
 で、その道すがら。隠してはおけない……と観念して、わたしは全てを白状したんだけど。 
 どれだけ怒られるか、とびくびくしていたんだけど、トラップは、怒る気にもなれないと言いたげな呆れた視線を向けてきただけだった。 
「おめえ、俺を何だと思ってんだ?」 
「盗賊」 
 そう即座に言うと、さすがにちょっと言葉に詰まったみたいだけど。 
 いやいや、信じてはいたよ。信じたかったよ。だけど、トラップの態度が、あんまりにも不審だったものだから…… 
 で、わたしが、毎夜毎夜何をしていたのか問い詰めてきたところ、帰ってきた答えが、 
「だあら、バイトだっつっただろ。犯人見つかるまでってことで、自警団でバイトしてたんだよ。人手不足だったみてえだしな」 
 だった。 
 バイト……それで、犯行が起こる日、いつもいつも姿が見えなかったのね……パトロールとかをしていたわけだ…… 
「だ、だったら、何で黙ってたのよ!?」 
 だけど、それだったら別に隠すようなことじゃないじゃない!! 
 わたしがぶーっ、と膨れて言うと、トラップは決まり悪そうに、 
「……知られたくなかった事情があんだよ」 
 とだけ言って、ぷいっと顔を背けた。 
 うー。何なのよ。気になるなあ。 
 だけど、トラップに助けられた手前、わたしもあまり大きなことは言えないんだよね…… 
「ま、犯人は無事に捕まったことだし。金もたまったし。今日でバイトも終わりだな」 
「どーせ、明日からまたギャンブルにつぎこむ気でしょう?」 
 そんな他愛も無い話をしていると、みすず旅館が見えてきた。 
 入り口の前では、おたおたと騒いでいるクレイ達がいて…… 
「クレイー! キットン、ノル、ルーミィ、シロちゃーん!!」 
「パステル!? ど、どこへ……トラップも!!?」 
 わたしが叫ぶと、皆がいっせいに駆け寄ってきた。 
  
 事情を説明したわたしが、クレイにこっぴどく怒られたことは言うまでもない。 
 まあ、でも無事に犯人も捕まり、シルバーリーブはやっと元の平和な村に戻ったんだけど…… 
 しばらくして、キットンに言われた。 
「いやあ、最近のパステルが妙にトラップを気にかけてると思ったら、それが原因だったんですねえ」 
「うーん。今考えるとバカなこと考えたなあって思うよ。トラップが犯人なわけないもんね」 
「いやいや。私達は、またてっきりパステルがついに自覚したのかと……」 
「え?」 
 自覚? って何のことだろ? 
 わたしがきょとんとすると、キットンは意味ありげに笑って部屋に戻ったんだけど。 
 このキットンの謎の言葉の意味がわかるのは、それからさらに三日後のことだった。 
  
 やっとこさ平和になってシルバーリーブは元ののんびりした雰囲気に戻りつつあった。 
 わたしは、この三日、しばらくさぼっていた原稿に追われて部屋にこもりっきりだったんだけど。 
 それもどうにか一段落ついて、やれやれと腰を伸ばしたときだった。 
 トントン、という遠慮がちなノックの音。 
 今日は、ルーミィとシロちゃんはクレイ、ノルに連れられて公園に行っている。キットンは隣の部屋で薬草の実験をしていて、トラップは昼寝、のはずだったけど…… 
「はい?」 
「あのよ、ちょっといいか?」 
「トラップ?」 
 ドアから顔を覗かせたのは、トラップ。珍しいー! この人がちゃんとノックしてから入ってくるなんて。 
「どうしたの? 何か用?」 
「……これ、渡そうと思って」 
「え?」 
 ぐいっ、とトラップがつきつけてきたのは、綺麗にラッピングされた箱。 
 え、何これ? 
「……わたし、今日は誕生日じゃないけど」 
「ちげーよ。おめえ、覚えてねえの?」 
「え??」 
 な、何だろ? 
 そんなわたしに、トラップはため息をついて、箱を強引に押し付けてきた。 
「四年前の今日だろ?」 
「?」 
「……四年前の今日、初めて会っただろ、俺達。だから、記念っつーか。お祝いっつーか」 
 ……あ!! 
 思い出す。 
 四年前、まだ14歳だったわたしが、両親の死をきっかけに、冒険者になろうと決めて。 
 途中でルーミィと出会って、二人でエベリンに向かっていたとき。ドッペルスライムに襲われて、逃げることもできずに悲鳴をあげていたんだよね。 
 覚えてる。そこに、さらさらの赤毛の男の子が現れて、言ったんだ。 
「あんたら、何やってんの?」 
 そう、それは……確かに、四年前の今日だった。 
「トラップ……?」 
「ま、今更、っつー気もすんだけどな。俺ももう19だし。おめえも18だし。そろそろいっかな、と思って」 
 え?? 
「そろそろ?」 
「……開けてみ」 
 トラップに促されて、箱を開けてみる。 
 そこに入っていたのは…… 
「……まさか。まさか、これ買うために……ずっとバイトしてたの?」 
「そ。何か変な疑いかけられちまったけどなー」 
 ああ、傷ついた、なんて言いながらにやにや笑っている彼に、わたしは視線を合わせることができなかった。 
 わたしってば……何てこと考えたんだろう!! 
 一瞬でも、一瞬でもトラップが犯人かもって思ってたなんて。トラップは、このために、一生懸命バイトしてくれてたのに!! 
「ごめん。ごめん、トラップ……わたし、何て言って謝ればいい?」 
「ん?」 
「変な疑いかけちゃって、本当にごめん……わたし、どうすればいい?」 
「んー……俺としちゃあ、それ受け取ってくれんのが、一番嬉しかったりするんだけど」 
 あ、そうか。そうだよね。まずは、返事だ。 
 だけど……それを見たとき。既にわたしの心は決まっていたりする。 
 キットンが言ってた「自覚」の意味、わかったよ。 
 トラップが、わたしにとって特別な人だっていう……自覚。 
「んで? どーなの?」 
「受け取る……に、決まってるじゃない……すごく、嬉しいんだから、わたし」 
 嬉しい。本当に、嬉しい……どうしよう。涙が出てきちゃった。 
 わたしにとっても凄く嬉しいことだもん。これじゃあ、おわびにならないよね。 
「ありがとう……これをくれたお礼と、変な疑いかけちゃったおわび。わたしにできることがあったら、何でもするから」 
「ん? マジ? 何でもしてくれんの?」 
「う、うん……」 
 そう言った瞬間、きらりと目を輝かせた彼に、一瞬後悔してしまったけれど…… 
 ま、いっか。今日くらいは、ね…… 
 降ってきた唇を受け止めて、わたしはベッドに倒れこんだ。 
  
 その日以来、わたしの左手には、クエストの最中だろうと、お風呂のときだろうと寝るときだろうと。 
 キラキラ輝く指輪が、はめられるようになった。

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