原稿が進まない。
パステルはうんうんと唸りながら、真っ白な原稿用紙を前に悩んでいた。
「パステル……大丈夫か?」
ドアをそっと開けて顔を覗かせたのは、クレイ。
彼女があんまり原稿に苦しんでいるものだから、ルーミィを連れ出して遊んでくれていたのだが。どうやら既にルーミィは寝てしまったらしい。
「ありがとう、クレイ。全然進まないけど……でも、多分何とかなるから」
パステルが無理やり笑顔を向けると、クレイはますます心配そうに眉をひそめた。
どうやら、彼女のささやかな嘘はパーティーのリーダーたるクレイには通じなかったようだ。
この原稿は、締め切りがかなり迫ってきている。本当は今日中には書きあげている予定だったもの。
まだ半分も終わってない。このままだと、今日はパステルは徹夜することになるだろう。
「じゃあ、俺、お茶でも入れてきてあげるよ。あまり無理しすぎないようにな」
「うん、ありがとう」
バタン、とドアが閉まる。
(うーっ、クレイってばやっぱり優しいね! よし、頑張らないと)
パステルはそう呟くと、再び原稿用紙に向かった。ちょうど場面はクレイが敵に向かっていくところにさしかかっている。
本人に会ったからか、やっと何とか文章になりそうだと少しばかり先に進んだときだった。
バタン、とまたドアが開く音。
ああ、クレイもう戻ってきたんだ? 早いなあ。
パステルは何の疑いもなくそう思ったが、ちょうど筆が進んでいることもあって、振り返ろうとはしなかった。
足音が背後に近づいてくる。その瞬間、ばさっと肩に毛布がかけられる。
ああ、そうか。お茶の前に毛布を取りに行ってくれたんだ。もう大分寒くなってきてるもんね。
そう思ったとき、彼女の口からは、自然にお礼の言葉が漏れていた。
「ありがとう、クレイ」
そう言って振り返った視線の先。
そこには、毛布をかけたそのままの姿勢でパステルを見つめているトラップの姿があった。
あ、あれ?
首をかしげる。確か、パステルの記憶によればトラップは、カジノに出かけていたはずなのだが。いつの間に戻ってきたんだろう。
「何だ、トラップだったの。帰ってきてたんだ?」
「……まあな」
それだけ言うと、トラップはパステルの机の上に目を走らせた。
ちょうど1ページくらい進んだ原稿。それをひょいっと取り上げる。
「やだ、見ないでよ。まだ完成してないんだから」
パステルは必死に取り上げようとしたが、盗賊たるトラップの動きに彼女がついていけるはずもなく、ひょいひょいひょい、とかわされてしまう。
もうっ! 不服そうに彼女が頬を膨らませた。
そのときだった。
「……好きだぜ」
ぽつん、とトラップが呟いた。
パステルは、しばらく首をかしげていたが、やがて太陽のように微笑んだ。
「ありがとう。原稿が進まなくって苦労してたんだけど、そう言ってもらえると嬉しい」
「……嬉しい?」
「そりゃあ、自分の書いたものを褒められたんだから、嬉しいに決まってるじゃない」
パステルの言葉に、トラップはしばらく原稿を見つめていたが、やがてぽん、と原稿を机の上に投げてそのまま部屋を出て行った。
ちょうどドアの前でお茶を運んできたクレイと鉢合わせをしたようだが、特に会話は無い。
クレイの入れてくれたお茶はパステルの体を十分すぎるほど温めてくれて、その後、原稿は先ほどまで難航していたのが嘘のようにすらすらと進んだ。
それからいくらか月日が流れたある日、ちょっとしたお使いクエストのために、クレイ、ルーミィ、キットン、ノル、シロが二日ほど出かけることになった。
パステルが行けなかったのは別の原稿の締め切りが迫っていたからであり、トラップが行かなかったのは「用事がある」と本人が断ったため。
ダンジョンに行くようなクエストでもないし、別に彼らがいなくても困ることはないだろう、とパーティーのメンバーは悩むこともなく出かけて行った。
そして、その夜、全ては壊れた。
うーん、とわたしはまたまた原稿を前に頭を抱えていた。
ははは。何だかちょっと前にも同じことして悩んでいたような気がするなあ。
でも、今日はこの間と違って、お茶を持ってきてくれるクレイもいない。一人で頑張らないと。
今、わたしはみすず旅館の部屋の中に一人っきり。
クレイ達はお使いクエストに行ってしまって、明後日にならないと帰ってこない。
いつもよりずっと静かな部屋の中。本当ならさくさく原稿が進むはずなのに。
はあっ。
わたしが落ち込んで、ペンを置いたときだった。
バタン
ノックも無しにドアが開く。
もーっ、何なのよう。って、こんな失礼なことする人は一人しかいないんだけどね。
第一、他のみんなはクエストに行っちゃってるし。
「トラップ、入ってくるならノックくらいしてよ」
振り返って一言。いつもなら、ここで「ああ? いちいちうっせえな」みたいな文句が飛んでくるはず。
……なのに。
ドアを背にもたれかかっているトラップは、珍しいことに何も言ってはこなかった。
……どうしたんだろ?
そういえば、用事があったんじゃなかったっけ。もう終わったのかな?
ふっと窓の外に目をやってみた。
うわっ、気がついたらもう真っ暗! 今何時くらいなんだろう?
その、わたしの視線がトラップからそれた瞬間。
ふっと背中に何かの気配を感じた。
え?
振り返ったその瞬間目に飛び込んできたのは、とても鮮やかなオレンジ。
「とらっ……」
どすん
お腹にものすごく重たい衝撃が走った。
一瞬火花が飛ぶくらいの衝撃。
ぼおっ、と目の前が暗くなっていく。最後に目に入ったのは……すごく冷たい目をしたトラップ。
何……?
何が、起こったの……?
くらくらと倒れこむわたしの身体を、力強い腕が支えてくれる。
そのまま、わたしは意識を失った。
どさっ
乱暴に身体を投げ出されたショックで、わたしは目が覚めた。
うーっ……何? 何が起こったの?
何度かまばたきをして目を開ける。
わたしが倒れていたのは、硬い床。
そんなに広くも無い部屋だけど、隅っこには一応ベッドらしきものが置いてある。
窓ガラスはほこりで曇っていて、外がよく見えない……ここ、どこ?
「気ぃついたか」
突然頭上から降ってきた声に、わたしは顔をあげた。
ずきん、とお腹に痛みが走ったけど、何とか立ち上がる。
目の前には、オレンジのジャケットと緑のズボンという、いつもの服装をしたトラップ。
さらさらの赤毛も、ひょろっとした体格も、いつもと全然変わらないのに。
いつもいたずらっこみたいな光を浮かべている明るい茶色の瞳が、今日は、やけに暗くて……
「トラップ……? 何、ねえここどこ? 何が……」
「…………」
「ねえ、わたしを、ここに連れてきたのは……トラップ?」
「他に、誰がいるってんだ」
そう言って彼が唇の端に浮かべた笑みは、酷く冷たいものだった。
こんな笑い方をするトラップなんか、見たこと無い……
「とらっ……」
名前を呼ぼうとしたそのときだった。
突然トラップがわたしの肩をつかんだ。そして……
その瞬間、わたしは唇をふさがれていた。
「んっ……」
痛い。
痛いくらいに押し付けられる唇。トラップの舌が無理やりわたしの唇をこじあけて、口の中へともぐりこんでくる。
舌がからみとられて、一瞬、背筋がぞくり、とした。
何? 何が起こってるの?
トラップ……どうしちゃったの?
「やっ……」
無理やりトラップの身体を引き離す。やっと解放されて、大きく息をついた。そのとき。
ぐいっ!!
「きゃあっ!!」
トラップの腕に力がこもる。その瞬間、わたしの身体は床に押し倒されていた。
じたばたともがいたけれど、腕を振り上げた瞬間、トラップの手が、わたしの両手首をまとめて床に押し付けていた。
やだっ……嘘、何この力!?
トラップって、こんなに力が強かったの!?
動けない。わたしは必死に力をこめているのに、トラップは、片手でそんなわたしも苦もなくおさえこんでいて……
「いやあっ!?」
がしっ、と音がしそうなほど乱暴に胸をつかまれて、悲鳴が漏れる。その瞬間……
「えっ……」
バシン
頬に走った熱い衝撃。口の中が切れて、鉄みたいな味がいっぱいに広がった。
叩いた……? トラップがわたしを叩いた?
何で? 何が起こってるの? 何でこんなことされなきゃいけないの?
一瞬茫然としてしまったけれど。
しゅるりっ
トラップがポケットから取り出したロープを見て、思わず身体が強張る。
トラップ……!?
逃げようともがいたけれど、トラップは、全然力をこめてないみたいなのに、わたしは身動きが取れなくて。
あっという間に、わたしの両手首は、まとめてベッドの脚に縛り付けられた。
手首に縄が食いこんで、痛い……
「痛い、痛いよ……やめて。ねえ、離し……」
「黙れ」
つぶやかれたのは、とても短い一言。
聞いたこともないような冷たい声。背筋がぞくり、とした。
そのまま……
トラップは、わたしの膝をつかんで、強引に脚を開かせると自分の身体を割り込ませた。
人より鈍い鈍いって言われるわたしだけど……知ってる。
この、体勢って……
「いやあっ!? やめてお願い! やだっ、やだやだ、トラップっ……」
トラップの手が、わたしのブラウスを乱暴に引き裂いた。
乱暴に胸をつかまれる。
痛い。痛い、としか思えない。
逃げたくても、もがけばもがくほど手首が痛いだけだった。
優しさなんて全然感じられない。
違う、こんなのトラップじゃない。
トラップは……こんな人じゃない。
何で? 何がどうなってるの……?
また唇を塞がれた。熱い舌がわたしの中にこじいれられ、乱暴にかきまわされる。
唾液と唾液が交じり合って、唇の端からあふれた。
無理やり口を閉じようとしたけれど、顎に力が入らなかった。そのキスは、とても乱暴だったのに……わたしの頭を、とてもぼおっとさせて……
唇が離れる。つたった唾液の後をたどるように、唇から首筋、胸元へと移動していく。
胸に歯を立てられて、わたしはびくり、とのけぞった。
嫌。
こんなのは嫌。何が……どうなってるのよ。
何で、何が起きてるの? ねえ、トラップ……
ブラと素肌の間に、手がこじいれられた。
冷たい手。冷えきったその手が、酷くわたしの身体を震わせる。
乱暴に胸をもまれて、わたしは涙がにじんでくるのを感じた。
痛いだけ。そんな感想しか浮かばない、そんな乱暴な愛撫。
優しさなんかかけらも感じない。微かな初夜の憧れが、木っ端微塵に壊れてしまうその瞬間。
身体にいくつも赤い痕が残った。
トラップがつけた痕。きっとこの日のことが忘れられなくなる、そんな確信が持てるそんな痕。
一瞬諦めににた感情に囚われたけれど。
それでも、トラップの手が、わたしの太ももにかかったとき……わたしは、抵抗せずにはいられなかった。
こんなの嫌だ。
このまま黙って諦めてしまうなんて嫌だ。
違うよ、トラップはそんな人じゃない。いつも意地悪で口が悪くてトラブルメーカーで、でもいざというときは助けてくれたじゃない。わたしが困っていたら、さりげなく手を貸してくれたじゃない。
「いやあっ……」
無理やり脚を閉じようとしたそのときだった。
暗がりの中で、トラップの目が……すっと細まった。
嫌な予感。全身に緊張感が走ったそのとき。
ドン!!
首のすぐ横で、鈍い音がした。
頚動脈に触れるか触れないか……そんなギリギリの位置に、とても冷たい感触がある。
怖くて首を動かせない。そっと視線だけを横に向けると、そこに突き立っていたのは……トラップの、ナイフ。
「ああっ……」
「動くなよ。動くんじゃねえ」
しゃきん
まるで魔法のように、トラップの手の中にもう一本のナイフが現れる。
そのナイフが、わたしの脚をつつつっ、となであげる。
刃を立てないようにはしてくれている。だから、肌は傷ついていない。
けれど、その冷たい感触は、わたしの心をずたずたに切り裂いていた。
ナイフが、わたしの大事なところに触れた。
わずかに刃が動く。痛みも何も感じなかったけれど、ほんの数回の動きで、はらり、という音とともに下着が切り取られた。
風が触れる。冷たさに身震いした。
「お願い……やめ……」
びくりっ!!
生暖かい感触が、「そこ」に走る。
トラップは、わたしの脚の間に顔を埋めるようにしていて、全く表情が見えなかったけれど。
けれど、何をされているのかは、大体わかった。
「っ……ああっ、やあっ、やだっ……あ、あんっ……」
声が漏れる。
それは初めての感触。
トラップの舌がうごめく。ひどく繊細で、そのくせ荒々しい。わたしの中をかきまわし、理性をとばしてしまいそうな、そんな冷たくて暖かい感触。
ぐちゅっ
やけに生々しい音が響いて、わたしは羞恥で顔が真っ赤になった。
何で? 何、何なのこの感覚。
こんなに乱暴にされて、何で……
「……おめえって……」
ふっ、と顔をあげてトラップが呟いた。
「意外と、淫乱だな」
ぐじゅっ
びくりっ!!
細い指がわたしの中にもぐりこんできて、わたしは身をよじらせた。
もちろん、そんなことで逃げられるわけはないんだけど。
「犯されてるってのに……反応だけは、きっちりするんだな」
トラップの手がリズミカルに動く。
普段、どんな鍵でも罠でも平気で解除してしまう器用な指先が、わたしの中で踊っている。
そのたびに、ぐじゅっ、というような恥ずかしい音が、いやに大きな音で響いた。
「やああっ……」
「ほれ。こんなに、濡れてる」
ひょい、とあげられたトラップの手は、わずかに差し込む明かりを反射して、透明な粘液にまみれていた。
まさか……あれ、わたしのっ……
やだ……恥ずかしい。見ないで、見せないで。もう嫌だっ……
ぎゅっと目を閉じる。全身が火照って、熱いとさえ感じる。
そんなわたしを見て、トラップは……笑っているようだった。
低く、冷たい笑い声が耳に響く。
その瞬間、痛みが、全身を走り抜けた。
「っっっあ……痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛いー!!」
悲鳴をあげる。首の横にナイフが刺さっていることも忘れて全身をばたつかせる。
わずかに皮膚が切れたみたいで、首筋から一筋、血が流れた。
ぐいっ
わたしの悲鳴になんか全然構わず、トラップはわたしの奥深くへと無理やり侵入していく。
肉が裂けるみたいな嫌な音。太ももを流れ落ちる、べたべたした感触。
何が起こったのかわかってはいたけれど、それでも認めたくはなかった。
冗談だと思いたかったのに。ちょっと度が過ぎた冗談で、きっといつもみたいに「ばあか、何マジになってんだよ」って笑ってくれると思ったのに。
「痛い、抜いて……お願い抜いて、痛い、痛いっ!!」
「…………」
わたしの悲鳴なんか聞こえてないみたいに、トラップは動き始めた。
激しい動き。太ももに彼の脚が当たって、パンッ、というような音が響く。
快感なんて感じない。気持ちいいなんて思えない。
涙でどろどろになった頬を床に押し付けて、わたしはつぶやいていた。
これは嘘。これは夢。こんなことが現実にあるわけない。
どぐんっ
感じたのは、わたしの中で何かが弾けるような……とても、とても嫌な感触だった。
ずるり、とパステルの中からモノを引き抜く。
俺自身が放ったブツと、パステルが溢れさせた蜜と、流れ出した血が交じり合って、ひどくどろりとしたピンクの粘液にまみれたモノ。
パステルの太ももと床を酷く汚しているその粘液が、収まりかけた欲望を再び高まらせる。
パステルはうつろな視線で床を見つめていた。その顔は涙でかなり酷い有様になっている。
……これは、おめえの罪。
俺の心をこれほどまでに傷つけ、追い詰め、絶望に狂わせた、おめえ自身の罪。
一度なんかで終わらせねえ。
もう逃げねえと、逃げられねえとわかっていたから、床に刺したナイフを抜いて、手首を戒めていたロープをほどいてやる。
何されてるのかもわかってねえのか、パステルは全くの無抵抗だった。
その上半身を無理やり抱き起こす。
愛しい女だった。心から愛しくて、好きで好きでたまらなくて、そして自分のものにしたいと願って。
それが叶わないとわかって、だから盗んでやることに決めた。
俺は盗賊だ。欲しいものは盗んででも手に入れる。だから、パステルの心も盗むことにした。これはただそれだけの話だ。
「おい」
俺が声をかけると、パステルはのろのろと顔をあげた。
その目に浮かぶのは、怯え。
それすらも、俺の中の嗜虐心じみた感情を煽って、欲情へと昇華させる。
ぐいっ、とパステルの頭をつかむと、無理やり俺の腰のあたりにつきつけた。
ひっ、と喉の奥で悲鳴が漏れるのが聞こえる。
さっき欲望を放出したはずなのに、早くも勢いを取り戻しかけているモノ。
「なめてみろよ」
「…………?」
「くわえてみろ。しゃぶってみろよ。俺を満足させてみろ。そうしたら、やめてやるよ」
パステルの身体が強張る。怯えた顔で必死に首を振る。
……めんどくせえ。
手で強引にその唇をこじあける。そのまま、力ずくでくわえさせる。
生暖かい、まとわりつくような感触。
さっき、パステルの中で感じたのとは、また違った感覚の快感。
びくり、びくりとモノが大きくなっていくのが自分でもわかる。
パステルは必死に首を振って逃れようとしたみてえだが、俺が頭を押さえ込んでいるせいで、それもかなわない。
小刻みに頭が揺れるたび、快感が、ぞくり、ぞくりと背筋を震わせる。
「さっさとしろよ」
「…………」
「やめてほしけりゃ、舌つかえ。俺を満足させてみろ」
満足させてみろ。そう繰り返すと、諦めたのか、パステルはおずおずと目を伏せて、一度は止まっていた涙を再び溢れさせながら舌を動かし始めた。
ちろちろ、といった遠慮がちな動き。
それは、本当にわずかな刺激だったのに。パステルの泣き顔と重なって、酷く快感を与えてくれる。
やべえ、そう長持ちはしねえか。
不器用に、それでも必死に舌を動かすパステルの頭を、さらにおさえこむ。
喉の奥にまでモノが入り込んで息ができないのか、苦しそうにうめき始める。
安心しろ。すぐに楽になる。
その瞬間、俺は、パステルの口の中で、果てていた。
ごほっ
せきこみながらパステルがうずくまる。
口から白っぽい液体を吐き出し、それが床の上で涙と交じり合う。
……おめえは、俺のもんだ。
誰にも渡さねえ。俺だけのもんだ。
クレイになんぞ絶対に渡さねえ。
暗い独占欲が俺の頭を支配する。
苦しそうに、それでも目には哀願の色をこめて、パステルは俺の顔を見上げた。
帰して欲しい、辞めて欲しい、せめて理由を話して欲しい。
多分あいつが願っているのはそんなことだろう。
……駄目だ。
帰したら、おめえは俺から離れるだろう。
だから離さねえ。帰さねえ。
ひょい、とパステルの身体を抱き上げる。
既に服は服としての機能を果たしていない。白やピンクの淫靡な液体にまみれたその身体。
それは、おさまった欲望を何度でも高ぶらせてくれる。
ドサッ、とベッドに投げ出すと、パステルの瞳に絶望の色が灯った。
やっと気づいたんだろう。どれだけ俺を満足させようと、何度俺に抱かれようと、俺がおめえを帰すつもりなんかねえってことに。
ベッドの脚にパステルの手首を縛りつける。今度は片手ずつだ。
脚を開かせれば大の字になる、そんな格好で、ベッドに固定する。
パステルの力じゃ絶対にほどけねえ。俺にしかこいつを解放できねえ。
「トラップ……ねえ、お願い……もう……」
何かをつぶやくパステルの唇を塞いだ。
うるせえよ。
おめえは、大人しく俺のものになってりゃいいんだ。
いくらでも絶望すればいい。先に俺を絶望させたのは、おめえだ。
俺は、再びパステルの上にのしかかっていった。
何度でも抱いてやる。何度イッたってイキたりねえ。
ずっと我慢してきたんだから。おめえとこうなることを。
再び貫くと、パステルは泣き声とあえぎ声が混じったような声で、うめいた。
一日目の夜が終わる。
最後には、もうわけがわからなくなっちゃってた。
最初は痛いだけだったのに、何度も何度も抱かれているうちに、そのうち……「ぞくり」という感覚が、段々強くなっていって。
やがて痛みは「くすぐったい」になって、そのうち「きもちいい」になった。
悲鳴しか漏れなかったのに、その中にあえぎ声が混じり始めたのは……いつからだろう?
トラップがやっとわたしを解放してくれたのは、もう窓の外がうっすらと明るくなる、そんな時間。
解放、と言っても、ロープをほどいてくれたわけじゃないけれど。
トラップもさすがに疲れたような顔をしていたけど、その目は……酷く輝いていた。
暗い暗い光で。
そのまま、彼は何も言わずに外に出て行った。もちろん、わたしはベッドに固定されたまま。
バタン、と冷たく閉じるドア。
どうしよう。
大声で叫べば、誰かが来てくれるかもしれない。だけど、こんな格好を人に見られたくない。
わたしの服は、もうぼろぼろで、裸同然だった。
一応、身体にはトラップのジャケットが被せられていたけど……
鮮やかなオレンジのジャケット。その色が目に染みて、また涙がこぼれてきた。
もう枯れたと思ったのに。
ねえ、トラップ。何が……どうなってるの?
わたしは、あなたに何をしたの?
わたしは……そんなに、あなたを怒らせたの?
何も言ってくれなきゃわからない。せめて理由くらい教えて欲しい。
謝りたくても謝れない……どうすれば、許してもらえるのか。
声を出そうとして気づいた。喉がからからで、舌がはりついたようになって……全く声が出ない。
ああ、だから。
トラップは、手首を縛っただけで出て行ったんだ。
どうせ、わたしは逃げられないとわかっていたから。
いつだってそうだった。トラップはわたしのことなんか何でもわかってる。
……ねえ。
わたしは、いつまでこうしていればいいの?
いつになったら……許されるの?
そのつぶやき声は、誰にも聞こえなかったに違いない。
わたしにしか。
二日目の朝が来る。
俺が飲み物や食い物を持って小屋に戻ってきたとき、パステルは、真っ赤な顔で身もだえしていた。
どうにか縄を解こうと暴れたんだろう。手首は血まみれになっていた。
……無駄なこと、してんな。
がちゃん、と鍵を閉める。その音に、パステルは必死の表情を向けてきた。
「どうした? 食い物持ってきてやったぜ」
「トラップ……お願い、ほどいて……」
俺が精一杯優しく声をかけてやると、パステルは涙混じりにつぶやいた。
……まだんなこと言ってんのかよ。
いいかげんに諦めろ。大人しく俺のものになっちまえ。
そうすりゃあ、少しは優しくしてやるよ。
俺の目に凶暴な光が宿ったのがわかったのか、パステルは必死に首を振って言った。
「違うっ……と、トイレ……トイレに行きたいの。お願い、ちょっとでいいから……」
言われた答えは……まあ、当たり前と言えば当たり前な答えだった。
トイレね。そうだな。もう拘束してから半日は経ってるもんな。
「……いいぜ」
にやり、と笑うと、パステルは背筋を震わせた。
怯えている。俺が何を考えているのかわからなくて、何をされるのかがわからなくて怯えている。
それだけで、俺の中のゆがんだ欲望は、十分に満足していたが。
ロープを解いてやる。長時間無理な形で拘束されて、腕は変な形に固まっていた。
「痛い」
つぶやくパステルを無視して、その両手首を後ろ手にまとめて縛り上げる。
こすれた傷口の上からまた縛られてパステルは悲鳴をあげたが……そんなもんは気にならねえ。
俺が受けた痛みに比べれば、んなもん痛みじゃねえ。
そのままパステルをひきずって、小屋の隅に置いてあったバケツの方を顎でさした。
「ほれ」
「…………?」
「そこでやれ。トイレ、行きてえんだろ?」
俺が言うと、パステルの顔は再び絶望に曇った。
嫌だと言っても、やめてと泣いても、許してやるつもりはねえ。
「せめて……外で……」
「…………」
「じゃあ、じゃあ……見ないでっ……」
「さっさとしろよ。漏らしてえのか?」
どん
俺が突き飛ばすと、パステルは諦めたようにしゃがみこんだ。
もちろん、視線をそらしてやるつもりは、毛頭無かった。
多分、このままだとわたしの心は壊れる。
トラップに抱かれながら、わたしはぼんやりと悟っていた。
トイレを済ませて見上げたトラップの顔は、それはそれは嬉しそうだった。
わたしを困らせて、悲しませて、絶望させるのが嬉しくて仕方が無い、そんな顔。
わたしは……彼に何をしたんだろう。
どうして、トラップはこうなったんだろう。
つぶやく声は、誰にも聞こえない。
すぐ傍にいるトラップにも。
わたしの身体を乱暴にタオルで拭いた後、「飯だ」とトラップが差し出したのは、どれもわたしの好きなものばかりだった。
そう、トラップはわたしのことなら何でも知っている。いつのまにか……知っていた。
お腹はちっとも空いていなかった。第一、後ろ手で縛られたままで、食べられるわけがない。
そっとトラップの顔をうかがうと、彼は、ビンに入った飲み物を口にふくんでいるところだった。
そして。
そのまま、わたしに口付けて来た。唇の間から流れ込む液体。
少し生暖かいそれを、わたしは必死に飲み下した。
お腹は空いていなくても、喉はもうからからだったから。
ごくん、と飲み込むと、トラップはひどく満足そうに、もう一度飲み物を口にふくんだ。
そのくちづけは、優しかった。少なくとも、昨日よりは。
「ほれ」
差し出された食べ物を、機械的に口にする。
今は、トラップに逆らっちゃいけない。きっと、いけない。
これ以上怒らせちゃいけない。
味も何もしない食べ物を飲み込む。食事が終わると同時、トラップは、わたしにのしかかってきた。
逃げられないなら、解放してもらえないなら。
せめて、優しくしてよ。
胸に食い込む手の痛みに、わたしは、また少し泣いた。
押し倒して、組み敷いて、抱いて。
何度果てても俺の欲望は尽きねえ。
抱き続けるたび、パステルの身体は少しずつ感じるようになったみてえで。
手を触れるだけで濡れ、愛撫にあえぎ声をあげるようになった。
悲鳴と泣き声よりは、色気があっていいけどな。
だけど、まだ駄目だ。
自分から「抱いて欲しい」「トラップのものになりたい」そう言わねえ限り、拘束を緩めるつもりはねえ。
抱いて、休んで、また抱いて。
気がつけば、パステルの身体は傷だらけになっていた。
俺が、乱暴に扱うから。優しくしてやらねえから。
擦り傷と切り傷、歯型、キスマーク。
そんな痕でいっぱいになった身体は、元が色白だっただけにかなり痛々しかったが。
それでも、綺麗だった。俺にとって、おめえ以上に綺麗な女なんていねえ。
おめえはわかっちゃいねえだろうけどな。
また夜が来る。
二日目の夜が、やって来る。
窓の外が暗い。
わたしは、曇った窓ガラスの外をぼんやりと見つめていた。
身体はもうどこもかしこも痛くて、「痛い」と思えない。それが普通になってしまった。
今、わたしは後ろ手に縛られてベッドに転がされている。
トラップは、しばらく床に座り込んで休んでいたみたいだけど……
月明かりが差し込む頃、ふらりと立ち上がって、わたしの隣に横たわってきた。
ああ、また……
見上げれば、暗く濁った茶色の瞳。
焦点も合わないほど間近にある彼の顔。
唇が塞がれる。舌がからみあう。
彼の手が、わたしの胸を這い回る。……こうして、わたしは何度彼に抱かれたんだろう。
彼自身の反応が鈍くなれば、わたしは手で、口で、満足させろと命じられて。
何度彼自身を受け入れてきたんだろう。
つつつっ、という手の動きに、ぞくり、と反応が走る。
夜。
夜。二日目の、夜。
トラップの身体が、わたしの脚の間に割り込んできた。
心地よい程度の重みが身体にのしかかる。
その瞬間、わたしはつぶやいていた。
もうずっと口をきけなかったけれど。どうしても気になることがあったから。
「……ねえ」
わたしがつぶやくと、トラップの愛撫が、ぴたりと止まった。
「これから、どうするの?」
「…………」
「明日になれば……クレイ達、帰ってくるよ。どうするの……?」
わたしのつぶやきに。
トラップの目に、酷く凶暴な……凶悪な色が、灯った。
二日目の夜は、まだ終わらない。
クレイ。
その名前を呼ぶな。
俺の中で、癒されることの無い絶望が、じわじわと広がっていく。
いつだってそうだった。
女が最初に惚れるのはいつもクレイ。
男の俺から見ても美形で、優しくて、自分よりも他人のことばかり気遣って……そう、女が惚れる要素を全て満たした、あらゆる意味で俺と正反対の幼馴染。
それはある意味仕方ねえと思っていた。俺はどうがんばったってクレイみてえにはなれねえし。それに好きでもねえ女にきゃあきゃあまとわりつかれるくれえなら……と、そう思っていた。
だけど。
こいつは、こいつだけは渡さねえ。渡したくねえ。
初めてだった。クレイと俺を同じように扱ってくれた女は。
クレイだけでなく俺にも同じような視線を向けてくれたのは。
それが例え仲間に向ける視線であったとしても。それでも満足だった。
それなのに、結局こいつも他の女と同じだ。
俺じゃなくクレイを選ぶ。俺がどれだけ愛していても。
「言うな……」
「え?」
「その名前を、言うなっ」
「トラップ……?」
ぎりっ
歯を食いしばる。
そうだ、わかっていた。明日にはクレイ達が戻ってくる。
俺がどうするつもりなのか、パステルは確かに気になるだろう。
俺達の姿が消えたとあっちゃ、あのお人よしの連中のことだ。真っ青になって探し回るだろう。
そうしたら助けてもらえると、期待しているんだろう。
だけど、そうはさせねえ。どんな汚ねえ手をつかっても、おめえはぜってー離さねえ。
「……逃がさねえ」
「え?」
「クレイ達には、おめえはガイナに帰ったとでも……そうだな、いっそ事故にあって死んだっつってやってもいい」
「! ひ、ひどい……何で……」
パステルの目に、非難の色が走る。
非難。おめえが、俺を非難するか?
今まで、俺がおめえに……どれほど傷つけられたと、思ってやがる?
「おめえが悪い」
「……え?」
「おめえが悪いんだ。俺をここまで狂わせたのはおめえだ、パステル」
そう呟いて。俺は続けることにした。
一度は萎えかけたものの、再び勢いを取り戻したモノを、パステルの中に深く沈めてやる。
もう、俺にはこれしか方法がねえから。
おめえを感じるには、これしか方法が考えられねえから。
「おめえが悪い」
つぶやかれた言葉は、わけがわからない。
わたしが悪い。そう、薄々わかっていた。わたしが何かトラップを酷く怒らせたんだって。
でも、その原因がわからない。わたしは何をしたの? こんな目に合わなきゃならない何かを……したの?
トラップがわたしの中に入ってくる。もう何度目かもわからない結合。
その動きはひどく手慣れていて、ここまで来れば、もうわたしも、痛いと感じることは少なくなっていたけれど。
それでも、トラップの動きに、優しさは感じられない。
「わたしが何をしたの……」
わたしを抱きしめるトラップの耳元でつぶやく。
「わたしが何をしたの!? わたしがあなたに何をしたっていうのよ、トラップ!!」
わたしがそう叫ぶと同時、トラップは、わたしの中で、ぐったりと脱力していた。
「クレイ、あのね……」
「クレイ、それ取って……」
「ごめん、クレイ。ちょっといい?」
パステルの声がクレイの名前を呼ぶたび、俺の中でどうしようもないイライラがこみあげてくる。
何でクレイなんだよ。別に俺だっていいだろう?
それはぜってー口には出せない思い。だけど、俺の中で少しずつ少しずつたまっていった思い。
俺はあいつのことが好きなんだと、自覚したのがいつかはわからねえけど。
気がついたら好きになっていた。そうとしか言いようがねえ。
その思いは、冷めるどころか、徐々に大きくなっていった。同時に、俺の中で、どろどろした感情がうずまくのも感じていた。
ちょうどその頃だと思う。パステルが、俺とあまり目を合わせなくなったのは。
俺の名前を呼ぶかわり、クレイの名前を呼ぶことが多くなったのは。
そう悟ったとき、俺の心を絶望がかすめた。
いつもそうだった。女が惚れるのはいつもクレイ。
パステルだけは違うと、俺のこともクレイに向けるのと同じ視線で見てくれるとそう信じて。
今思えば、そのことがこいつを愛しいと感じた瞬間でもあったのに。
こいつは、あっさり俺を裏切った。やっぱり、おめえも他の女と同じなのか。
それがいつのことだったかは忘れたが。
ある日カジノから帰ってくると、パステルの部屋から明かりが漏れていた。
あいつが原稿に煮詰まっているのは知っていた。だから、俺は珍しくも親切心を起こして、毛布を差し入れてやった。
それなのに、あいつは振り向きもせず言った。
「ありがとう、クレイ」
クレイ。
優しくしてやるのはいつもクレイか。お礼を言うのはいつもクレイか。
振り向いたパステルの目は、驚きに満ちていた。
「何だ、トラップだったの。帰ってきたんだ?」
何だ、だと。
何だよ、その残念そうな声は。クレイでなくて、悪かったな。
思わずにらみつけそうになって、視線をそらせる。目にとびこんできたのは、あいつが書いていた原稿。
目のいい俺にはわざわざ取り上げなくても内容は読めたが、それでもあえて取り上げた。
取り返そうとパステルがばたついているが、気にもならねえ。
何度読み返しても同じだ。クレイの名前で溢れた原稿。
クレイ、クレイ。
そうか、そんなにクレイがいいのかよ。
俺は、こんなにもおめえを好きなのに。
「……好きだぜ」
そうつぶやいたのは、ほとんど条件反射だった。
意識して欲しい。
俺だってクレイと同じ男なんだよ。
ずっとおめえを見守ってきた……男なんだよ。
せめて意識して欲しい。おめえのまわりにいる男は、クレイだけじゃねえって。
パステルの顔を見れなくて、拒絶されるのが怖くて、俺はわざと原稿から目をそらさず……つぶやいた。
けれど。
俺のつぶやきに、パステルはしばらく首をかしげていたが……やがて……
微笑んだ。俺を魅了してやまなかった微笑を浮かべて、言った。
「ありがとう。原稿が進まなくって苦労してたんだけど、そう言ってもらえると嬉しい」
……何、だと?
驚きと困惑が支配する。嬉しい、だと?
それは全くあいつらしくねえ答えだった。あいつの性格だったら、告白されたら、真っ赤になって慌てふためくところだ。
「……嬉しい?」
「そりゃあ、自分の書いたものを褒められたんだから、嬉しいに決まってるじゃない」
パステルの答えは、俺の心を、完全に引き裂いた。
原稿、ね。
おめえにとって、俺は……そんな存在なんだな。
かけらも男として見てもらえねえ……そんな存在なんだな。
暗く濁った絶望が心を支配する。今すぐ押し倒してやりたい、めちゃくちゃに傷つけてやりたい、俺のものにしてやりたいという、酷くゆがんだ愛情が暴走する。
それを押しとどめたのは、ほんのひとかけら残った理性。
今ここで押し倒したって……すぐに誰かがかけつけて、殴られて引き離されてそれで終わりだ。
それくらいなら。
ばさっと原稿を机に戻して部屋を出る。
ドアの前で茶をトレイに載せたクレイと鉢合わせたが、声をかける気にもなれなかった。
クレイは、俺を見てちょっとばかり驚いたようだったが、俺が何も言わずに自分の部屋に戻ると、それ以上気にしないことにしたらしく、パステルの部屋へと入っていった。
自分の耳がよかったことをこれほど呪ったことはない。ドアの隙間から聞こえる、パステルの嬉しそうな声。
焦ることはねえよ。
俺の中の悪魔が囁いた。
チャンスはいくらでもあるんだからな。
パステルが原稿を抱えているときにまいこんだクエストの話。
それこそがチャンスなのだと……もちろん、この俺にわからないはずがねえ。
ふと気がついたとき、トラップの姿を目で追うようになっていた。
いつも可愛い女の子と一緒にいる彼を見るたびに、胸の中に何だかもやもやがたまっていくのを感じた。
でも、どうしてそうなるのかわたしにはわからない。
どうしてこんなにトラップのことが気になるのかわからない。
だから、わたしはあえて気にしないようにしようと思った。
トラップのことを目で追ってしまうたび、慌てて目をそらした。
いざというとき、ふと頼りたくなったとき、わざとトラップではなく他の人の名前を呼ぶようにした。
トラップの隣には大抵クレイがいたから、その名前は大抵クレイだった。
どうしてだろう。どうして、クレイには何でもないように話しかけることができるのに。
トラップに話しかけようとすると、胸がどきどきするの?
自分の気持ちが、わからない。
こんな気持ちを抱えていたら、絶対ぎくしゃくする。今のみんなとの関係を、壊したくない。
だから、わたしはこの気持ちを絶対に表に出さないようにしよう、と、そう決めた。
けれど。
あれは、わたしが原稿につまって困っていたとき。
クレイがお茶を持ってきてくれる、と姿を消した後、足音がして、背後から毛布がかけられた。
ああ、お茶の前に毛布を取りにいってくれたんだ。
当たり前のようにそう思って、お礼を言って振り向いたとき。
目に入ってきたのは……わたしの心を支配してやまない、赤毛の盗賊の姿。
「何だ、トラップだったの。帰ってきたんだ?」
そう答えたのは照れ隠し。
彼の気遣いが嬉しくて嬉しくて、とても心臓がドキドキして、だから照れ隠しに気にしてないふりをした。
トラップは、わたしの様子になんか全く気にかけてないように原稿を取り上げて、そんないつもの姿にすら、つい見とれそうになって。
慌てて視線をそらした。原稿を取り返すふりをしながら顔を見ないようにしていたわたしの必死の努力に気づきもしない彼に、少しばかりいらだってもいた。
だから。
「……好きだぜ」
そう言われたときは、心臓が止まるかと思った。
とてもとても嬉しくて。ああ、わたしはこの言葉が欲しかったんだってそう思って。
でも。
顔を上げた彼は、原稿から目を離そうとはしていなくて。わたしの顔なんかちっとも見ていなかった。
……ああ。
そう、そうだよね。そんな都合のいいことが……起こるわけがなかったんだ。
涙が流れそうになる。自意識過剰な勘違いをした自分が情けなくて。
そう、彼はただ原稿の感想を述べただけ。
彼のまわりには、自分なんか足元にも及ばないような素敵な女の子がいっぱいいて……だから、彼がわたしを選ぶ理由なんか、どこにもなかったのに。
みじめになりそうな自分を元気付けるつもりで、わざと笑った。そして言った。
「ありがとう。原稿が進まなくって苦労してたんだけど、そう言ってもらえると嬉しい」
「……嬉しい?」
「そりゃあ、自分の書いたものを褒められたんだから、嬉しいに決まってるじゃない」
痛かった。
嘘をついている自分がとても痛かった。
トラップはそれ以上何も言わず、原稿を置いて部屋から出て行った。
その背中にすがりつきたい。「行かないで」「傍にいて」「好きだから」そう叫びたい。
だけどそれはできない。彼を困らせるだけだから。
トラップが出て行ってすぐ、クレイがお茶を運んできてくれた。
悲しい気分を振り払おうと、わたしはわざと明るい声をあげた。
「わたしが何をしたの!? わたしがあなたに何をしたっていうのよ、トラップ!!」
パステルの中で果てると同時。
その声が、言葉が、頭を殴りつけた。
何をした、だと……?
俺を裏切ったくせに。これほどまでに傷つけて、絶望させたくせに。
何をした、だと……?
悪魔がそうわめく一方で、消えかけていた良心が、冷静な心が、つぶやく。
……仕方ないだろう。
お前は、彼女に何も言わなかったじゃないか。
告白を誤解されたときも……説明すら、しなかったじゃないか。
彼女は知らなかった。わからなかった。お前の気持ちに気づかなかったことを責めるのは、それは酷だろう?
そうつぶやく理性を殴りつける。
ああそうだ。わかっていたんだ。
本当はわかっていた。俺がしていることは酷く身勝手で、パステルを傷つけているだけで、何の意味もねえって。
こんなことしたってあいつが振り向くわけはねえって、わかっていたんだ。
わかっていたけれど俺はそれでも。
こいつを、自分だけのものに、したかった……
「したんだよ」
「何を?」
俺のつぶやきに、パステルは涙で濡れた目を瞬かせた。
一から説明させるのかよ。おめえは……どこまで俺の傷口を広げれば、気が済むんだ。
「おめえは、俺を裏切った。傷つけた。絶望を与えた」
「何それ……わけが、わからないよ……」
かすれた声で、パステルがつぶやく。
「わからないよ。傷ついたのも裏切られたのも、絶望したのもわたしだよ! どうして? トラップ、どうしてこんなことしたのよ!」
「愛してるからだよ!!」
パステルの叫び。心からの叫びに……俺は答えた。
ずっと変わっていない。こんなことになっても、ずっとずっと変わらなかった答えを。
「愛してるんだ。おめえを愛してる」
汚れたパステルの頬に手を当てて。
俺は、それまでで一番優しい口付けを……パステルに、与えていた。
おめえを、愛してる。
アイシテル。
聞かされた言葉は……わたしが、ずっと待ち望んでいて。
そして、もう絶対に与えてもらえないと確信していた……言葉。
何で? トラップ、何を言ってるの?
アイシテル。愛してる?
なら、どうして……こんなことをするの?
優しさなんか感じられなかった。力づくでわたしを抱いて、傷つけて、いたぶって、それでどうして愛してるなんて言えるの?
それとも……これが、あなたの復讐?
わたしを絶望させるために、優しい言葉をかけた後に裏切りの言葉を吐く、復讐なの?
わたしは半ば以上それを覚悟していたのだけれど。
トラップは、それ以上は何も言わず……ゆっくりと、わたしの唇を塞いだ。
優しいキス。今までの、力づくのキスとは全然違う。
溶けるような幸せが、じんわりと脳に染み渡って行く。
「愛してる」
耳元で囁かれた言葉。
「おめえを愛してる。ずっと前から……」
裏切った。傷つけた。絶望を与えた。
同時に思い出される。ただ一度だけ、彼がわたしに「好きだ」と言ったあの日。
今になって、思い出される。
原稿から目を離さなかった彼の耳が、真っ赤になっていたことを。
彼が本を、小説を愛でるような性格ではないことくらい、わたしはとっくに知っていたはずなのに。
彼が、わたしの小説を「好きだ」と言う理由なんかどこにも無いことくらい知っていたはずなのに。
彼の性格なら、意地悪を言うか、たとえ褒めるにしたって……「おもしれえ」、せいぜいこの程度だろう。
「好きだ」なんて言う理由はどこにもなかった。原稿には。
じゃあ、じゃあ。あのときの、あの言葉は。
あれは、わたしの勘違いじゃなかった……?
傷つけた。告白を無視したから。だから傷ついた、そういうことなの?
そうだったの、トラップ……?
「好き……」
つぶやいたのは、言いたくても言えなかった、決して言うまいと決めていた言葉。
「わたしも好きだよ。トラップ……ずっと、ずっと好きだよ……」
わたしがそうつぶやいたとき。
トラップの手が、しなやかに……わたしの身体の上をなぞった。
乱暴で、力づくだった愛撫とは違う。
心から愛しいと思っている相手にだけできるような、とても優しい……幸せを与えてくれる、愛撫。
「ああっ……」
唇から素直にあえぎ声をもらすことができたのは、初めてだった。
トラップの唇が、身体中にできた傷口の上を優しく、優しく這いまわる。
少しでも、癒されるように。
熱い吐息が触れて、わたしの身体は……もうすっかり彼に馴らされてしまった身体は、実に素直に、反応を示した。
火照る身体と内部から溢れる何か。
純粋な快感だけを感じながら、わたしはトラップを……初めて、心から、受け入れていた。
抵抗もなく、俺のモノはもぐりこんだ。
その途端、今までに無い快感が締め付けてくる。
素直に俺の愛撫に身をまかせ、反応し、あえぐパステルの姿は……異様なまでに扇情的で、俺の欲望を果てしなく高めてくれる。
遠慮なく動いた。痛がって泣いていた最初とは全然違う。
なめらかで、暖かくて、まとわりつくようで締めつけるようで。
そう。どこまでも、どこまでも快感だった。
呆気なく果てる。だが、パステルの顔を見ただけで、口付けただけで、わずかに触れるだけで。
何度でも復活した。何度でも抱けた。
時間を忘れて、俺とパステルは、お互いの身体を求めあった。
「わたしも好きだよ」
絶望を取り払ったのは、その一言。
そのたった一言が、歪んでねじれた俺の愛情を、まっすぐに叩きなおしてくれた。
どうやってでも償おう。
おめえが望むなら、今この瞬間に舌をかんでやってもいい。
おめえ以上に欲しかったものなんて、俺には何もねえんだから。
全てが終わったとき、既に、外は明るかった。
二日目の夜が終わる。
好きだから。
クレイにばかり声をかけた理由。目を合わせられなかった理由。
トラップは、わたしの血まみれになった手首に包帯を巻きながら、黙って聞いていてくれた。
どうすればいいんだろう。
わたしは、彼に何て言って謝ればいいんだろう?
あの照れ屋で、滅多なことでは本心を告げない彼が、「好きだ」という一言を吐くのにどれだけの苦労を重ねたか。
それがわかるからこそ……わたしは、何をしてでも彼に償いをしなければならない。
そう思ったのだけれど。
『ごめん』
言葉は、同時だった。
同時につぶやき、同時に頭を下げていた。
それが妙におかしくて……わたしは、笑った。
ああ、そうだ。
最初からわかっていた。トラップが、理由も無くこんなことをするはずがないって。
彼にあんな冷たい目をさせたのはわたし。あんなに暗い目をさせたのはわたしなのだから。
だから、わたしは彼を許さなければならない。
それが、わたしにできる最大の償い。
「愛してる」
そっとわたしを抱きしめるトラップの耳元でささやく。
その囁きにびくり、と身を震わせて。そしてトラップもつぶやいた。
「俺も。愛してる」
わたし達の関係は、これから始まる。
夜が明けて、空が明るくなり、朝が来る。
もうすぐ、クレイや、ルーミィや、キットンやノルやシロちゃんが帰ってくる。
大切な仲間達が。
まずは、彼らに告げよう。
わたしとトラップが、仲間から特別な関係に変わったことを。
三日目の朝が来たとき、わたし達は、幸せになった。