タイトル:空回りなトラップ  
 
その日、俺がバイトから帰ってくると、俺の最愛の彼女(になる予定)のパステルの部屋から、とんで 
もない声が聞こえてきた。  
それは一組の男女の声。女の方はパステル。男の方は……俺の幼馴染、クレイ。  
パステルはクレイの奴に惚れてるんじゃないか、と一時期邪推したこともあったが、それはパステル自 
身が否定していた。  
だからこそ、俺にもまだ望みはあるんだ、と安心していたというのに。  
思わずドアに擦り寄って耳をすませる。聞こえてくるのは、クレイの荒い息と……  
『ぱ、パステル……まだか?』  
『待ってよクレイ。わたしだって、こんなの触るの初めてなんだから……』  
『早くしてくれ。俺、もうもたない……』  
『待って……や、やん、ああっ! 痛いっ!』  
『頼むから……早く中に入れてくれっ!!』  
 ボタッ  
 思わず手に持っていた帽子を落としてしまう。  
 ま、まさか、鈍感ぶりにかけては世界で1、2を争うあの二人が!?  
 やろう、クレイの奴め……俺ですらまだキスもしていないというのに!!  
「おい!!」  
 思わず後先考えずに部屋にとびこむ。すると……  
「ああ、トラップ、いいところに! お願い、その子捕まえて!!」  
「……は?」  
 部屋の中では……クレイがベッドを持ち上げていて、パステルが必死にベッドの下に手を伸ばしてい 
た。  
 そして。  
 ベッドの下には、怯えたように震える鶏が、捕まえようとするパステルの手をつついていた。  
「……どうしたんだ、それ」  
「バイトよ。ペットを預かってくれって言われたんだけど、ちょっと籠から出したら逃げられちゃって 
……お願い、捕まえて籠の中に入れて!」  
 パステルの傍には、大きな籠が転がっていた。  
 
 
タイトル:空回りなトラップ2  
 
 さて、ギャンブルでも行くか。と俺がみすず旅館を出たときだった。  
 ノルが泊まっている納屋の方に、俺の女(自称)パステルが、妙に嬉しそうに入っていくのが見えた。  
 ……怪しい。いやいや、ノルに限ってまさか……  
 だが、俺は疑いを捨てることができず、こっそりと納屋の扉に近寄った。 そっと耳をすませる。す 
ると……  
『わあ、ノルのて、大きい……』  
『入りそう?』  
『わ、わからない。頑張ってみる……』  
『ああ、無理はしないで』  
『んっ……きつい……ああっ』  
 黙って聞いていられたのはそれまでだった。  
 ま、まさかなあ。クレイならまだしも、ノルだとお!?  
 いやあいつがいい奴なのは認めるが、それにしたってちょっと違うだろ!?  
「おい、パステル!!」  
 バン!!  
 納屋の戸を開け放つと、中では……  
「あら、トラップ、どうしたの?」  
 パステルが、ノルの手に手袋をはめようとしているところだった。  
「……それ、どーした?」  
「毛糸たくさんもらったから手袋編んでみたんだけど、ノルの手って大きいから……破けちゃった」  
 しょんぼりと破けた手袋を見せるパステル。  
「パステル、俺、敗れたのでもいいよ。使わせてもらう」  
「本当? ありがとう、ノル」  
 あんまりな落ちに俺が一人すごすごと納屋から出ようとすると、  
「トラップにもマフラーか何か編んであげるね」  
 何も気づいてねえパステルの声が後ろから追いかけてきた。  
 
 
タイトル:空回りなトラップ3  
 
 それは、俺がパステルに押し付けられた買出しを済ませて宿に帰ってきたときのことだった。  
 荷物を持っていったのに、パステルの奴、部屋にいねえじゃねえか。  
 ったく、どこいったんだ?  
 俺がぶつくさ文句を言いながら自分の部屋に戻ったときだった。  
 中から、将来の嫁さん(願望)であるパステルの声が聞こえてきた。  
 いや、そりゃいいんだよ。あいつが男部屋の方にいたって不思議はねえ。  
 ただ、今日はクレイの奴はバイトでいねえから、部屋の中にはキットンしかいねえはずで……  
『ねえ、キットン。本当にこんなの……なめるの?』  
『ぐふぐふ、そうですよ。でないと元気になりませんからねえ……』  
『いやあ……』  
『私は別にどっちでもいいんですよ? お願いしてきたのはパステルの方でしょう?』  
『そ、そうだけど……』  
『それじゃあ、早くお願いします。私も、早くやりたくてうずうずしてるんですから』  
 瞬時に頭に血が上った。  
 きききキットン!? お、おめえなあ。キットンは結婚してんだぞ? 妻がいるんだぞ? 不倫か!?  
 っつーかな、おめえ選ぶにことかいて、もーちっとマシな男は選べなかったのかよ!?  
「おい、おめえら!!」  
 俺がバン、とドアを開けると。  
 どす黒い丸薬……のようなものをキットンに渡されているパステルの姿が目に入った。  
「……あにやってんだ?」  
「風邪気味だから、薬をもらおうとしたんだけど……普通の薬草の方がいいなあと思って」  
「何言ってるんですか。私の薬はよく効くんですよ? ほらさっさとなめてください。私、薬草の実験やりたいんですから」  
 俺って実は欲求不満?  
 トラップの問いに、答える者はなかった……  
 
 
タイトル:空回りなトラップ4 
 
 自分でもわかっちゃいたが、俺は不機嫌だった。  
 俺の隣に座っているのはクレイ。その向こうに座っているのはパステル。  
 いつもの猪鹿亭での食事。パステルの隣の席をゲットできなかったのは、不覚だったとしか言いようがねえが。  
 それにしても、だ。何でこいつら、こんなに仲がいいんだ!?  
 俺の隣で実に実に楽しそうに話しているパステルとクレイ。  
 会話の内容は大したもんじゃねえが。俺が隣に座ったとして、パステルは同じように話してくれただろうか?  
 そう考えると果てしなく気分が落ち込む。  
 くっそ、面白くねえ!  
 ぐいっ、とビールをあおる。  
 目がクレイ達の方に向くのを止めることができねえ。それが自分でもわかっているから余計にいらついていた。  
 と、そのときだった。  
「あっ、美味しい、このジュース!」  
 パステルのはしゃいだ声が耳に入った。  
 その手に握られたグラスには、新発売だ、とリタが言っていたジュースが注がれている。  
 それを見て、クレイが身を乗り出した。  
「そんなにうまいか?」  
「うん。あ、クレイも飲んでみる?」  
「いいのか? じゃあ少しもらうよ」  
 そう言って、ためらいもなくグラスを渡すパステルとクレイ。  
 そして、クレイの唇が、グラスに近付けられて……  
 ま、待て待てー! そ、それは俗に言う、関節キス、という奴か!?  
 しかも、中のジュースはパステルの飲みかけ!? そ、そこには唾液とかその他もろもろ多くのパス 
テル物質が含まれていてっ……  
 
 おのれクレイめ。どさくさにまぎれてパステルのキスを奪うなんざ、いい度胸してやがる!  
 即座に立ち上がって止めようとしたが、遅かった。  
 クレイはグラスに、しっかりと口をつけて中身をふくんでいて……  
 か、返せっ、それは俺のだっ!  
「おいっ!」  
「え?」  
 ぐいっ、とクレイの肩をつかむ。そして。  
 その唇を塞いで、無理やり中に舌をこじいれた。  
 口内をかきまわすようにして飲み込もうとしていたジュースを無理やり自分の口の中にうつし、ごっ 
くん、と飲み下す。  
 ふう、危ないところだった。パステル、おめえの唇は俺のだかんな!? 例え関節とは言え、クレイ 
になんかやるんじゃねえぞ!  
 そう言ってやろうか、と爽やかに顔を上げたとき。  
 目にとびこんできたのは、真っ青になったクレイとぽかんとしたパステル。  
 そして、痛いくらいに刺さるキットンやリタの視線だった。  
 し――ん。  
 水を打ったように静まり返る店内。そんな中、クレイが椅子ごとひっくり返る音がやけに大きく響いた。  
「……トラップ」  
 パステルの目は、どこまでも、どこまでも冷たかった。  
「あの、あのね、人の趣味はそれぞれだと思うから……トラップが、その、クレイにそういう感情を抱 
いてることに、別に文句を言う気はないよ? でもね。できれば、ルーミィが見てる前で、そういうこ 
とは控えて欲しいかな、なんて……」  
 何で……何でこうなるんだー!!?  
 俺の言い訳を聞こうとしてくれる奴は、誰もいねえ。  
 それ以来クレイは俺と目を合わせようとしないばかりか、半径2メートル以内に決して近寄らなくなった。  
 
 
タイトル:空回りなトラップ 5  
 
 いつものように、パステルの部屋のベッドでも借りるか、と俺が部屋のドアの前に来たとき。  
 中から聞こえてきた声に、俺は思わず床にスライディングをかましていた。  
 なっ、なっ、なっ……  
 自分の耳の良さがうらめしい。中から聞こえてきたのは、まぎれもなく、俺の最愛のパートナー 
(になるはず)のパステルと……  
 あ、あの声は、シロ……!?  
『ごめんね。ごめんね、シロちゃん。こんなこと頼んじゃって……』  
『いいデシよ。おねえしゃんのためなら、僕、何でもやるデシ』  
『じゃあ、全部なめて……何もかも忘れさせて!』  
『了解デシ!』  
『ああっ……うっ、ううっ、わたしって、ひどいよね? 悪い子だよね……』  
『おねえしゃん……美味しい匂いがするデシ。だから、気にしないでくださいデシ』  
『お願い、もう何も言わないで……どんどんなめて……』  
 あ、あ、あいつはっ……一体何をやってんだ!?  
 ずるずるとドアに這いより、どうにかこうにかドアノブに手をかける。  
 ぱ、パステルの奴め! そんなに欲求不満だったのか? 言ってくれれば俺はいつだって……!  
「おい、パステル!」  
 バンッ!!  
 ドアを開け、中で繰り広げられている光景をあますことなく目に収める。  
 そして、脱力した。  
「……あにやってんだ?」  
「トラップ……」  
 ぐずぐずと鼻をすすって泣いているパステルと、その前で一心不乱に皿をなめているシロ。  
「美味しい野菜もらったから、スープ作ろうと思ったのに、ちょっと目を離したら焦げちゃって……」  
「…………」  
「ごめんね、シロちゃん。いいから全部なめちゃって……」  
「おねえしゃん、これ、美味しいデシよ?」  
「うわーん! 料理だけは、料理だけは得意だったはずなのにー!」  
 パステルの泣き声が響く中、俺はいたたまれねえ思いを胸にそっと部屋を後にした。  
 
 
タイトル:空回りなトラップ 6  
 
 ああ、今日もギャンブルで大負けした。  
 パステルに何と言って金を借りようか……  
 俺はそんなことを考えながらみすず旅館の階段を上っていった。  
 そして、今しもドアをノックしようとしたそのとき。  
 中から響いてきた声に、思わずびたっとドアに張り付いてしまう。  
 こっ、こっ、この声っ……はっ……  
『はあっ、はあっ……あっ……うんっ……』  
 ぎしぎしぎしっ  
 中から漏れ聞こえてきたのは、間違いなく。  
 この俺をぞっこん骨抜きにした侮れねえ女、パステルの声と……ベッドのきしむ音。  
『あっ……うんっ……はあっ、はあっ……』  
 何とも悩ましげな声に、即座に俺の身体は若い男子としてごくごく当たり前の反応を示し始めた。  
 ま、まさかパステルにこんな日が来ようとは……あのキング・オブ・鈍感にも、ついに性に目覚める日が来たのか!?  
 し、しかし一人でやるというのはいかん、実にいかん。不健康だ。  
 全く水臭い奴め。言えば俺がいくらでも相手してやったというのにっ……!!  
「おい、パステル!」  
 驚かせてやろう、そして言い逃れできない状況を作ってあわよくばそのまま……などと考えながらドアを開けたその瞬間!  
 飛び込んできた光景に、俺はくたくたと膝から倒れこんだ。  
「んっ……な、何、何か用、トラップ?」  
「……いや……おめえ、あにやってんだ……?」  
 ベッドの上で、パステルは仰向けになって。  
 そして、一心不乱に……腹筋運動を、していた。  
「ほら、最近あんまりクエストに出てないでしょ? ちょっとは、体力つけておこうかなあと思って」  
 えへへ、と微笑んで、「それで? 何の用?」と聞いてくるパステルに。  
 俺は、即座に萎えた自分自身に安堵しつつ、ひきつった笑みを返していた…… 
 
 
空回りなトラップ 7−1  
 
「トラップ……ちょっと、いいかな?」  
 その日、パステルが皆の目を盗んでおずおずと俺に話しかけてきたとき。  
 頭の中で、俺は「来たな……」とほくそえんでいた。  
 ここ数日、どーもパステルの奴が熱い視線を俺に注いでると思ったら……そうかそうか。この鈍感女も、ついに俺の魅力に気づいたということか。  
「あんだ?」  
 笑いそうになるのをこらえながら聞き返すと、パステルは、うつむいて言った。  
「あの……あのね、お願いがあるんだ」  
「だから、何だよ?」  
「こ、今夜、その……」  
 パステルは、しばらく言い辛そうに口ごもっていたが。  
 やがて、意を決したように顔をあげて言った。  
「今夜、わたしの部屋に来てくれない……?」  
「……は?」  
 その、あまりにも一足飛びな「お願い」に、俺は一瞬目が点になった。  
 へ、部屋に? それは……  
「な、何でだ?」  
「あの……ね。一緒に……寝て欲しいの!」  
 どかーん  
 言われた言葉に、一瞬頭の中で火山爆発にも負けねえ音が響き、噴水のごとく鼻血を吹きそうになった。  
 いや、実際には必死こいて平静を装っていたんだが。  
 部屋に来て、一緒に寝て欲しい……  
 そ、それはあれか? つまりっ……アレ、なのか? 俺と、イタしたいと。そういうことなのかっ!?  
 い、いやいやパステルさん。それはいくら何でも早いんじゃアリマセンかっ!?  
 
「ぱ、パステル……?」  
「駄目、かなあ……?」  
 じいっ、と俺を上目遣いで見上げるその表情は、どこまでも、どこまでも……  
 か、可愛いっ……  
「あ、ああ。構わねえぜ」  
 その場で抱きしめて押し倒してえという野望を必死にこらえて、笑みを浮かべる。  
 嫌だなんて言うわけねえだろう? 俺はずっと、おめえとこうなるのを待っていたっつーのに。  
「ありがとう! じゃあ、待ってるね」  
 そう言って、パステルは身を翻した。  
 ま、待っていた……  
 そうかパステル、悪かったな。おめえがそれほどまでに俺を求めていたとはっ……  
 俺とていまだ経験がねえから、痛い思いもさせるかもしれねえが……  
 男トラップ18歳、精一杯優しくすることを誓わせていただきますっ!  
   
 で、その夜。  
 はやる思いを抑えながら、俺は鼻歌を歌いながら滅多にしねえノックをしていた。  
 準備は万端だ。ちゃんと風呂にも入ったし、下着も替えた。  
 クレイの奴には不気味なもんでも見るような目で見られたが。女が喜びそうな文句とやらも、柄じゃねえが色々と勉強した。  
 女にとって初体験っつーのはかくも重要なもんらしいからな。一生忘れられねえ思い出にしてやらねえと。  
「あ、トラップ。ありがとう、来てくれたんだ」  
「ああ」  
 あたりめえだろう? 誰が忘れるかっつーの。  
 
 自分でも驚くくれえに「優しい笑顔」なんつーもんを浮かべながら、俺は部屋に滑り込んだ。  
 パステルは、見たこともねえような「女らしい」服を着ていて。せいいっぱいお洒落をしているのがわかった。  
 ふっ、可愛い奴。まあどうせすぐ脱がせることになるんだが……  
 んじゃ、早速……  
「じゃあ、トラップ。お願いね」  
 すかっ  
 伸ばした手は、空しく空を切った。  
 パステルは、満面の笑みを浮かべて、部屋の外に出ている。  
 ……は?  
「おい、パステル……?」  
「じゃあ、わたし、出かけてくるから」  
「出かけるって……」  
「あのね、リタに誘われたんだ! 女の子だけでパーティーやらないかって。ついでに猪鹿亭に泊めてもらうから」  
「……はっ!?」  
 唖然とする俺を無視して、パステルは手を振った。  
「クレイだと、身体が大きいからこのベッドにはきついと思うし。じゃあ、トラップ。わたし、明日には帰ってくるから、ルーミィと一緒に寝てあげてね」  
 バタンッ  
 鼻先で、冷たくドアが閉められる。  
 振り向いた俺の目にとびこんできたのは、ベッド一つ占領して、幸せそうに笑っているチビエルフと子ドラゴンだった……  
 
 
 
 

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