その日、わたしはどうも体調が悪かったんだよね。 
 熱は無いみたいなんだけど、頭がちょっと痛いなあ、とかちょっと身体がだるいなあ、とか。 
 放っておいたら風邪ひきそうだなっていう体調。 
 だから、用心のためにキットンに薬をもらおうと思ったんだ。 
「ねえキットン。風邪薬があったらちょうだい」 
 わたしがそう言うと、薬草の実験をしていたキットンは、カバンを漁って粉薬を渡してくれた。 
「いつ飲めばいいの?」 
「食後に飲んでください」 
「わかった」 
 食後ね、食後。忘れないようにしなくちゃ。 
 そう言い聞かせて、わたしは部屋に戻った。 
  
 それからお昼ごはんの時間になって、みんなで猪鹿亭に行くことになった。 
 今日は、バイトがある人もお昼過ぎに出かければいいってことなので、パーティー全員で食事。 
 猪鹿亭の料理は相変わらずどれも安くて美味しかったんだけど。 
 食べ終わった後、わたしはキットンにもらった薬のことを思い出して、リタに水をもらった。 
 ううっ、キットンの薬って……効果は抜群だけど味がちょっと、ねえ…… 
 まあ、でも熱出したりこじらせたら大変だからね。我慢我慢。 
 そう思って、ごっくんと薬を飲み干したときだった。 
(ん? あに飲んでんだ?) 
「ああ、風邪薬よ。ちょっと体調が悪くて」 
 トラップの声が聞こえた気がして、わたしが振り向いて答えると……視線の先でパンをかじっていた彼は、変な顔でわたしを見つめていた。 
 ……ん? 
(こいつ、何言ってんだ?) 
「何って……何飲んでるか聞いたのトラップじゃない」 
 わたしがそう言うと、トラップはますます顔をしかめていた。 
(あに言ってんだ? こいつ、ついにおかしくなったか?) 
「だ、誰がおかしくなったよ! しっつれいな!!」 
 あんまりな言い草にわたしが立ち上がって叫ぶと……何故か、食卓についていたパーティー全員が、わたしを見てざっと椅子を引いた。 
 な、何? 何? 
「ぱ、パステル……さっきから、何言ってるんだ?」 
 おずおずと声をかけてきたのはクレイ。 
「何って……だから、トラップが失礼なこと言うから……」 
「トラップ? あいつ、さっきから何も言ってないけど……」 
 ……え? 
 不思議そうなみんなの表情。その中で、トラップだけがひどく不気味そうにわたしを見ていて…… 
(……色気もねえ、ドジ、泣き虫な方向音痴のマッパーが……) 
「なっ!? い、色気がなくてドジで泣き虫で方向音痴のマッパーで悪かったわねえ!!」 
 わたしが叫ぶと、今度こそ、クレイ達が本格的にわたしから目をそらし始めた。 
「なあ、パステル、ちょっとおかしくないか?」 
「最近急に気候が変わりましたからねえ……」 
「ぱーるぅが変だおう……」 
 うーっ、何よ何よみんなして!! 
 変なのはみんなの方よ。トラップはさっきからあんなにべらべらと…… 
 ……ん? 
 ふっとトラップの顔を凝視する。彼は、口いっぱいにパンを頬張っていたんだけど。 
 じーっとわたしを見つめた後…… 
(まさかおめえ、俺の考えてることがわかんのか?) 
「え? まっさかあ。そんなバカなことあるわけないじゃない」 
「やっぱりわかってんじゃねえか!?」 
 ずざざざざっ! 
 わたしが答えた瞬間、トラップはパンを吹き出しつつすごい勢いでテーブルから離れた。 
 な、何ぃ!? 何なの!? 
 い、いやいやいや。落ち着いてよく考えてみよう。 
 そう言えば何か変だった。トラップは口いっぱいにパンを頬張っていて……それなのに、すごくはっきりと言葉が聞き取れた。 
 変、だよね。それに、よく考えてみたら、耳で聞こえる声、とはちょっと違う気がする。 
 えーっと…… 
「トラップ、どういうことだ?」 
「俺が聞きてえよ! パステルの奴、さっきからなーんか変だ変だと思ってたんだけどなあ。俺の考えが読めてるみてえなんだよ!!」 
「はあ?」 
 トラップの言葉に、ぽかんとするクレイ。 
 そりゃそうだよね。唐突にそんなこと言われたってわけがわからないでしょう。 
 わたしにだってわからないんだから。 
「まさか、そんなことあるわけないだろう?」 
「読まれた当人がそう言ってんだぞ!? よーし、それなら実験してやる。おい、パステル」 
「え?」 
 声をかけられて振り向くと、トラップはわたしをひょいひょいと手招きしていて…… 
(ちょっと、紙とペン貸せ) 
「え? ああ、はい」 
 言われた通りいつも持ち歩いているノートとペンをトラップに渡す。 
 トラップは、そこに何かをさらさらと書きつけてクレイ達にだけ見せている。 
 何をするつもりなんだろう? 
(おい、パステル) 
「へ?」 
 突然の呼びかけに振り向くと、トラップは、何だか見たこともないくらい優しい笑みを浮かべていた。 
(おめえって、よく見ると可愛いな) 
「は、はあ?」 
(いやあ。美人だし気は利くし料理はうめえし、理想の嫁さんっておめえみてえな奴のこと言うんだろうな) 
「や、やだなあもう。急に褒めないでよ、照れるじゃないっ!」 
(……なーんて言うと思ったか?) 
「はあ?」 
(ばあか、冗談に決まってるだろ。おめえが美人だったら世の中美人じゃねえ女なんていなくならあ) 
「な、何ですって!?」 
(大体なあ、おめえなんか、嫁にもらった相手が気の毒すぎて泣けてくらあ。方向音痴で家に帰ってくるかもわからない嫁さんなんて……) 
「おい、いいかげんに信じろよおめえら!?」 
「ひゃんっ!?」 
 突然響いた怒鳴り声。トラップが叫んだ……んだよね? 
 それを聞いて、初めてわかった。 
 確かに、さっきまで聞こえていた声は、耳で聞いていた声とはちょっと違う。 
 何だか……頭の中に直接響いてきた声? みたいな…… 
 クレイ達は、そんなわたしとトラップ、そして彼が持っているノートを交互に見つめていたけど……やがて、顔を見合わせた。 
 ちなみに、トラップが持っていたノートには 
 ―今からここに書く言葉は、これから俺が考える言葉だ。 
 ―おい、パステル 
 ―いやあ。美人だし気は利くし料理はうめえし…… 
 と、さっきわたしが聞いた……と思っていたトラップの台詞がずらずらと書かれている。 
「ええっと、念のために聞くけど……」 
「トラップは、『実験してやる。おい、パステル』の後は、『おい、いいかげんに信じろよおめえら』まで一言もしゃべってませんよ」 
 冷静なキットンの声。 
 ……本当、なんだ。 
 本当にわたし、トラップの考えが読めてる!? 
「な、何で? 何でいきなりこうなるの!?」 
「んなの俺が聞きてえよ! 考えてることが読まれるなんて冗談じゃねえぞ!?」 
 そう叫ぶのはもちろんトラップ。そりゃあね、確かにその通りだと思う。彼にしてみればたまったもんじゃないだろう。 
 何より不思議なのは、聞こえてくるのはトラップの声だけで、他の人の考えは全然聞こえてこないんだよね。 
 ど、どういうこと?? 
「うーん、それにしても本当に突然ですね。食事中はそんなことなかったんでしょう?」 
 不思議そうにつぶやくのはキットン。 
 うん、そうだよね。確かに食事してるときはそんなことはなかった。 
 聞こえてきたのは、確か…… 
「……あああああああああああ!!?」 
「ど、どーした!?」 
 突然大声をあげたわたしに、トラップが心配そうに声をかけてきたけど……わたしはそれどころじゃなかった。 
「キットン! あれよ、あの薬!!」 
「はあ?」 
「風邪薬ちょうだいって言ったでしょ? あの薬を飲んでからなのよ、おかしくなったのは!!」 
「はああ? あの、ちょっと見せてもらえますか?」 
 キットンの言葉に、薬を包んであった紙を差し出す。 
 それを見たキットンは…… 
「あああああああああああああああああああああ!!?」 
 さっきのわたしの二倍くらいの大声で叫んで、わたしをまじまじと見た。 
「パステル、あなたこれ飲んだんですか!?」 
「の、飲んだわよ! 風邪薬だと思って、食後に……」 
「風邪薬!? 違いますよ、これはですねえ……」 
 言いかけて、キットンの言葉がぴたっと止まった。 
 何故か、わたしとトラップの顔を交互に見つめて、うんうんと頷いている。 
「ああ、なるほど。そういうことですか」 
「え?」 
「いえいえ、こちらの話です。こほん。パステル、失礼しました。どうやら薬を間違えて渡したらしいです」 
「はあ?」 
 風邪薬じゃなかった……って、じゃあどういう薬? 
「これはですねえ、わたしが実験で作ってみた薬で、まだ試作品なんですけど。まあ今のパステルを見ていれば大体わかるでしょう? 人の考えが読めるようになる薬です」 
「はあ?」 
 みんなが唖然とした顔でキットンを見る。 
 だって……さらっと言ってるけど、それって何だか物凄い薬なんじゃない? 
 あれ? でも…… 
「でも、わたし、みんなの考えが読めるわけじゃないよ。何でトラップの考えだけがわかるの?」 
「それはですねえ……まあ、パステルにとって一番考えが読みやすいのがトラップだから、ってことでしょう」 
「ええ?」 
 そ、そうかなあ。トラップってそんなに考えてることわかりやすい? 
 まあ確かにキットンよりはわかりやすい気がするけど…… 
「キットン、おめえなあ!! 何とんでもねえ薬作ってんだよ!!」 
「そ、そうだぞ。それはちょっと悪趣味じゃないか? 他人の考えが読めるなんて……」 
「何を言うんですか。そもそもこれはですねえ!」 
 トラップとクレイの抗議に、キットンは何か反論しかけたけど……何故か、そこでぴたりと口をつぐんで、意味ありげな笑いを浮かべた。 
「まあ、ですね。大丈夫ですよ。何もトラップの考えていることが100%読めるわけじゃありません。そんなことになったらうるさくて仕方が無いですしね。聞こえてくるのは断片的でしょう?」 
「え? うん」 
 ああ、言われてみればそうだよね。トラップに限らないと思うけど、「何も考えてないとき」の方がずっと少ないはずだもん。それなのに、トラップの考えが「聞こえて」くるのは断片的で、そんなにしょっちゅうじゃない。 
「この薬はですねえ、飲んだ人がある特定の一人の考えを読めるようになる薬なんですが、何でもかんでも読めるわけじゃないんです。この場合、パステルはトラップの考えが読めるようになったわけですが、トラップがパステルに関して何か考えた場合のみ読めるようになるんです」 
「はい?」 
「わかりやすく言うと、トラップがパステルと関係の無いことを考えていてもそれは読めない、ということです」 
 な、何、それ。 
 何だか物凄く限定的な薬……キットン、どうやって作ったんだろう? 
「っつーことはあれか? 俺はパステル絡み以外のことを考えている限りは大丈夫、ってことか?」 
「はい」 
「……まあ、それくらいならまだ害は少ねえか? んで、その薬、いつまで効果があるんだよ」 
「まあ、試作品なので丸一日が限度、じゃないですかね?」 
 丸一日。 
 短いようだけど……長い、よねえ。 
「けっ。一日くれえ何とかなるだろ。ようはパステルのこと考えなきゃいいわけだから……」 
 言いながら、トラップはひらひらと手を振って出口へと向かった。 
「ちょっとちょっと、どこ行くの?」 
「ああ? ギャンブルだよギャンブル。おめえのこと考えねえようにするためには、顔見ねえようにするのが一番だろ?」 
 ああ、なるほど。 
 それにしてもこんな昼間っからギャンブルなんて、トラップらしいというか…… 
 トラップの姿が、外に消えかける。そのときだった。 
「……っ!? い、痛いっ、いたたたたたたたたたっ!!」 
 突然、頭に割れるような痛みが走って、わたしはうずくまった。 
 痛いっ。何なの突然!? 頭、何かで締め付けられてるみたい…… 
「お、おい、パステル!?」 
「ぱーるぅ、大丈夫かあ?」 
 みんなの心配そうな声。その声に、外に出ていたトラップが戻ってきて…… 
(あんだ? パステルに何かあったんか?) 
「……あれ?」 
 トラップの姿が視界に入った瞬間。 
 わたしの頭痛は、嘘のようにぴたり、とおさまった。 
 ……な、何? 
「お、おい。どーした?」 
「わかんないわよ。トラップが外に出たら、突然頭が痛くなって……」 
「ふむ……」 
 わたしの答えに、キットンが頷きながら何かメモを取っている。 
 そして、残念そうに首を振った。 
「いやいや、残念ながらこの薬、致命的な欠陥があるみたいですねえ」 
「はあ?」 
「いえね、どうやら、考えが読める対象が視界から消えてしまうと、無理やり相手の考えを読もうとして激しい頭痛を引きこす……とまあ、そういう副作用が出ているみたいです」 
「はああ?」 
「いやあ、成功したかなあ、と思ったんですけどねえ。やはりそう簡単に人の考えを読む薬なんて作れるものじゃあないですねえ」 
 そう言ってぎゃっはっはと笑うキットン。 
 だけど、わたしにとっては当然、笑い事じゃないわけで。 
 な、何ですってえ!? 
 それって、つまり…… 
「おい。まさか、とは思うが……」 
 ぎぎぎ、と音がしそうな動きで、トラップがキットンの襟元をつかむ。 
「はい。どうやら、今から丸一日、トラップはパステルの視界にいないといけないみたいですねえ。でないとパステルが頭痛で苦しむことになりますから」 
「『苦しむことになりますから』じゃねえよ!!」 
 がくがくがく、とキットンを揺さぶって叫んだ。 
「おめえなあ! 物騒な薬作ってんじゃねえよ!! 何とかしろっ! 薬の効果打ち消す薬を作れっ!」 
「ぐ、ぐるじいっ……そ、そんな急には無理です……」 
「ま、まあまあ。落ち着け、トラップ」 
 そんなトラップに、クレイが苦笑をはりつかせながら言った。 
「き、気持ちはわかるけどな。キットンも悪気があったわけじゃないし……いいじゃないか。ようするにパステルのことを考えなきゃいいわけだろう? 丸一日くらい何とかしろって」 
「お、おめえなあ! 目の前に本人が立ってたら、どうしたって何か考えちまうだろ!?」 
「別にいいじゃないか。お前のことだから、どうせ考えてることの九割は口に出してるだろ? 今更読まれたってなあ」 
 クレイの言葉に、思わずわたしも頷いてしまう。 
 そう言えばそうだよね。あのトラップだよ? 考えていることを黙ってることの方が少ないに違いない。 
 もっとも、すぐにトラップにぎろってにらまれてしまったけど。 
 うーっ、わたしをにらまれたって困るわよ! 
「まあ、一日の辛抱だし……どうせトラップは、今日はバイトも無かっただろ? 一日くらい大人しくしてろって」 
「そうそう、そうです。はい。それに……」 
 クレイの言葉に相槌を打ちながら、キットンは言った。 
「トラップにとっては、決して悪いことばかりじゃないはずですよ?」 
 それは、とても意味ありげな言葉だった。 
 どういうこと? 
  
 そして……場所は変わってわたしの部屋。 
 わたしは机に向かっていて、ベッドにはこれ以上無いってくらい不機嫌な顔をしたトラップが寝転がっている。 
 他のみんなは、バイトに行ったり散歩に行ったり。誰か残ってくれない? ってさりげなく聞いてみたんだけど。 
 トラップのやつあたりを恐れてか、みんなに断られてしまったという。ははっ。賢明な判断だと思うけどね…… 
 ルーミィでもいてくれれば、ちょっとはこの空気も変わるんだろうけどなあ…… 
 トラップは何も言わない。けど、何も聞こえてこないからわたしのことを考えているわけではないみたいだけど。 
 もう空気がどうしようもなく重たくって!! 
 はあ。別にいいのに。トラップが今更わたしのことをどう思ってるかなんて、隠さなくてもわかってるもん。 
 というより、さっきほとんど言い尽くしてたじゃない。ドジだの間抜けだの色気が無いだの…… 
「ねえ、トラップ」 
「…………」 
「いいよ別に無理して考えないようにしなくても。何言われたって怒らないから。だって今更じゃない」 
「…………」 
 トラップは無言。というより壁を見つめてわたしの方を見ようともしない。 
 口の中で何かぶつぶつつぶやいているところを見ると、必死で何か別のことを考えようとしているみたい。 
 もうっ。何をそんなにむきになってるのよっ。 
 よーし、こうなったら。 
「ねえっってば!」 
(やばいっ!) 
「え?」 
 ぐいっ、とトラップの肩をつかんだ瞬間。 
 頭に響いたのは、とても大きなトラップの声。 
「やばい?」 
(やばいやばいやばいやばいやばい考えるな考えるな考えるな……) 
 トラップは何も言っていないのに、頭の中にがんがん声が響き渡る。 
 な、何だろ? 何でそんなに慌ててるの? 
「と、トラップってば。どうしたの? あ、あのね、そりゃちょっとはムッとしたけど、別にドジとか方向音痴なんてしょっちゅう言われてるし」 
(こ、こいつはどこまで鈍感なんだよ!?) 
「ど、鈍感!?」 
 な、何なのよー!  
「あ、あのねえトラップ。言いたいことがあるならさっさと言っちゃってよ! トラップのことだもん。何言われたって気にしないから」 
(ちげえよバカッ考えるな考えるな考えるな考えるな……) 
 うーっ、駄目っ。 
 トラップの考え? が頭の中でぐるぐるうずまいてる。どうやら、今彼の頭の中では「わたしに関する何かを考えようとするのを必死に隠そうとする心」がうずまいているみたい。 
 き、キットンのバカっ! 考えが読めたって苦痛しか感じないような薬、何で作ったりしたのよー!! 
 必死に耳を塞いでも頭の中にはトラップの考えがどんどん流れてくる。 
 そして、そんなわたしを見て、トラップはトラップでますます焦って色々考えてるみたいで…… 
 だ、誰か、誰か止めてえっ!! 
「……あーっ、くそっ、わかったよっ!!」 
 どれくらいの間そんな悪循環が続いたのかはわからないけど。 
 トラップがそう叫んだ瞬間、ぴたっと流れ込む考えが、止まった。 
(認めてやらあ。心を読まれちゃ、隠し通すのは無理だしな) 
 最後に流れてきたのは、そんな諦めに近い声。 
 え……何だろ? 
「トラップ……?」 
「必死に、考えねえようにしてたんだけどな。やっぱ無理だった。考えられねえようにすりゃあするほどおめえが苦しむみてえだから、諦めてやるよ」 
「え?」 
「諦めて言ってやる。言っちまえばすっきりして……無理に隠すこともねえからな」 
「トラップ……?」 
 トラップの顔は真面目だった。ひょいっとベッドに起き上がって、わたしの目をじーっと見つめている。 
「ど、どうしたの? 認めるって」 
(認めてやるよ。好きだってな) 
 ……え? 
 何、だろ。今の声。 
 トラップは口を開いてない。ただ、わたしの目を見つめているだけ。 
 それなのに、いやにはっきりと頭に響いた……トラップの声。 
「トラップ? 好きって」 
(ずーっと好きだった。おめえのことをずっとずっと見てたんだよ。好きだ) 
 ……え? 
 え、ええっ!? 
 な、何、それ。何で、そんな展開になるのっ!? 
 と、トラップが……わたしのことを、好き? 何で、そうなるのっ!!? 
(あーあ言っちまったよ。言うつもりなかったのになあ) 
「と、トラップ? 嘘、だよね。冗談だよね?」 
(心の中で冗談なんか言えるわけねえだろってーの。だからおめえは鈍感なんだよ鈍感! 気づけよいいかげんに!!) 
 すっごくイライラしたようなトラップの声。 
 いやいやいや、だけどだけどだけどっ。 
 ど、どうしよう。な、何を言えばいいの? 
 トラップは、仲間、で……パーティーの大事な仲間、で。 
 トラップの言う好きって、でも、多分そういう「好き」じゃないよね? それなら、無理に隠そうとすることないもんね? 
 え、ええ? ってことは、ってことは…… 
(わっかりやすいなあ、おめえ) 
「え?」 
(どーせクレイのことが好きに決まってるのに何で惚れちまったのかなあ、俺) 
「惚れ……く、クレイ? 何でクレイが……」 
(あーあ。本当に、バカみてえ……) 
 トラップの表情は、すごく寂しそうだった。 
 寂しそうで悲しそうな視線が、わたしを射抜いていて。 
 そして、そのまま……彼は壁の方を向いて、またぶつぶつと何かをつぶやき始めた。 
 それっきり、頭に流れ込んでくる声も途絶える。 
 ど、どうしよう…… 
 どうして、こんなことになっちゃうの!? 
  
 それから夜までが本っっっっっ当に長かった。 
 部屋を出て行きたかったけど、トラップと離れると動けないくらい酷い頭痛になっちゃうし。 
 みんなが帰ってきてくれて、やっとぎくしゃくした雰囲気から逃れられたんだけど。 
 だけど、今更言われた言葉を忘れる、なんてできるわけもなく。 
 だだだだだってあのトラップだよ!? あのトラップが、わたしをすっ……好き、だなんて。 
 そんなこと、あるわけないって……そう、思ってたのに。 
 トラップが好きなのはマリーナだって、ずっと思ってたのに。 
 どうして……わたしなの? 
 ちなみに、その夜、トラップと同じ部屋で眠るのは……いくらルーミィとシロちゃんも一緒だったとはいえ……本当に辛かった。 
 丸一日って……長いよね…… 
  
 どうにか薬の効果が切れたその後。 
 トラップは、そそくさとどこかに出かけてしまった。 
 気持ちはよーくわかるよ。……気まずい、よね。 
 はあ。人の気持ちが読めるなんて……ちっともいいことじゃないよね。 
 誰にだって、隠しておきたいことや知られたくないことってあるはずだもん。 
 ううっ……自己嫌悪。 
 これでトラップと気まずくなっちゃったら……嫌、だな。 
 どうすればいいんだろう、わたし。 
 そうしてわたしが部屋で一人落ち込んでいたときだった。 
 コンコン 
 響いたのは、ノックの音。 
「はい?」 
「パステル、ちょっといいですか?」 
 聞こえてきたのは、今回の全ての元凶となった人の声。 
 ……いやいや、キットンだって悪気があったわけじゃないし、薬そのものは凄い薬……だよね。 
 怒っちゃいけない、怒っちゃ…… 
「キットン? どうぞ」 
「失礼します。ちょっとデータ取らせてもらっていいですか?」 
 入ってきたキットンは、物凄く嬉しそうな顔でメモ帳を抱えていた。 
 ……データ……いやいやそうだよね。結果的に失敗だったんだから、色々と取りたいデータもあるんだろう。 
 だけど…… 
「キットン、あの薬は……完成させないほうがいいと思うよ」 
「はい?」 
「他人の心を読めたって、嬉しくも何ともない。辛いことばっかり。それに、読まれた方がかわいそうじゃない? 凄い薬だとは思うけど、完成させない方がいいと思う」 
 わたしがそう言うと、キットンはしばらくじーっとわたしを見ていたけれど。 
 やがて、にや〜〜っと、何というか物凄く嬉しそうな笑みを浮かべた。 
「ははあ。さてはあれですか。今朝トラップがやけに落ち込んでいたのは……パステル、あなた、もしかしてトラップに告白、のようなことをされませんでした?」 
 ――ボンッ 
 ずばり図星をつかれて、一気に頭に血が上ってしまう。 
 な、何で? 何ですぐにわかっちゃうの!? 
 わたしがあたふたしていると、キットンは一人うんうんと頷いて、 
「いやいややはりねえ。トラップはわかりやすいですしねえ。そうですか。あれ? パステル、それで断っちゃったんですか?」 
「こ、断ったっていうか……」 
 断ってはいない、よね。OKもしてないけど。 
 だってだって、突然なんだよ? そんなこと想像もしてなかったのに、いきなり言われて冷静になんか考えられないよ。 
 わたしが困っていると、キットンは不思議そうな顔をして言った。 
「どうしてですか? パステル、だってあなた……」 
「え?」 
「……あなた、まさか自分の気持ちに気づいてないんですか?」 
「ええ?」 
 じ、自分の気持ち? どういうことだろ? 
 わたしが顔いっぱいに疑問符を浮かべていると、キットンはふんふんをメモを取りながらつぶやいた。 
「なるほどお。本人に自覚が無くても効果ありですか……予想以上に深層心理に食い込んでますねえ。もう少し効果を弱めた方がいいかな?」 
「ちょっと、ちょっとどういうことなの? 教えてよキットン!」 
 深層心理? 一体何が言いたいのよ。どうしてわたしの気持ちがキットンにわかるわけ? 
 わたしがじーっとキットンを見つめると、彼はぎゃっはっはと意味のわからない笑い声をあげた後言った。 
「そうですねえ。まあ、そんなのわたしが教えることじゃないと思いますけれど。パステルには大いに協力してもらいましたしね。教えてあげますよ。あの薬なんですけどね、実は……」 
 キットンの答えに。 
 わたしは、顔まで真っ赤になるのを感じた。 
 な、な…… 
 そ、そうだったの? わたしってば……そう、だったの? 
 ああ、でも、言われてみれば…… 
 わたしって……どこまで、鈍いんだろうっ…… 
  
 その日の夜、わたしは台所で料理をしていた。 
 作っているのは、チョコレートドリンク。 
 別に何でもよかったんだけどね。味の濃いものなら。 
 ちょっと甘すぎるかな? っていうくらい濃いドリンクを、お鍋の中でかき混ぜる。 
 時間は真夜中。他のみんなはぐっすり眠っているけど、トラップはまだ帰ってきていない。 
 多分ギャンブルをしてるんだろうけど……いくら何でも徹夜したりはしないだろうから、そろそろ帰ってくるはず。 
 そうやってどれくらい待っていたのかはわからないけど、そんなに長くは待っていなかったと思う。 
 がちゃん、っていう音が、宿の入り口から響いてきた。 
 ……帰ってきた。 
 作ったドリンクを、コップの中に注ぐ。 
 トラップは……すぐに部屋に戻ろうとするかな? 
 先に台所に寄るかな? 
 ばたばたと入り口まで走る。階段に向かおうとしていたトラップが、びっくりしたような顔でわたしのことを見つめていた。 
「パステル……? おめえ、こんな時間に……」 
「おかえり、トラップ。これ……飲んでくれる?」 
 トラップの言葉を遮って、ぐいっと湯気の立つコップをつきつける。 
 立ち込める甘い香りに、トラップが顔をしかめた。 
「……あんだよ、これ」 
「飲んで。お願い……これ、わたしの精一杯のおわびのつもりなの」 
 おわび、という言葉を聞いて、トラップの表情が曇る。 
 あ……言葉、まずかったかな? これじゃ、誤解されちゃうかも。 
 でも、間違ってはいないんだよね。これはおわび。 
 すぐに返事をしてあげられなくて、本当に鈍くてトラップに辛い思いをさせちゃったおわび。 
「台所……来てくれる? 座って、ゆっくり飲んだ方がいいでしょ?」 
「…………」 
「お願い」 
 重ねて言うと、トラップはため息をつきながらわたしの後をついてきた。 
  
 台所のテーブルで、わたしとトラップは向かい合っていた。 
 トラップの手元には、わたしが作ったチョコレートドリンク。 
 少し冷めてしまっているそれは、ちょうど飲み頃の温度になっている……はず。 
「飲んで?」 
「……甘そうだな。もうちっと薄めに作れなかったのかよ」 
 わたしの催促に、トラップはゆっくりとコップを口元に運んだ。 
 ごくん、と喉が動く。 
 ……これで…… 
 わたしは、強く思った。今、自分が一番考えていることを。 
 考えた瞬間…… 
 トラップの手が、ぴたりと止まった。 
「おめえ……」 
「伝わった……でしょ?」 
 もう一度繰り返して思う。トラップは、わたしの口元をじーっと見つめた後……耳を塞いだ。 
 そうだよね。信じられないよね? 
 でもね、こんな感じなんだよ……人の心が読める、っていうのは。 
 もう一度。今度こそ、トラップの顔が強張った。 
「……どういうこった?」 
「キットンから、もらったの。あの薬」 
 まだ試作品だから……と渋るキットンから無理やりわけてもらった薬。 
 それが、このドリンクの中には入っている。 
 味がなかなか強烈だからね。ごまかすためには、うんと甘くする必要があったんだ。 
「おめえ、それは……」 
「聞いて、トラップ。この薬はね……」 
 キットンに言われた言葉を思い出す。 
 ――この薬はね、恋愛のための秘薬なんですよ。これを飲むことで、自分が一番好きな相手の心が読めるようになるんです。 
 ――相手の心がわかれば、失敗を恐れることなく告白することができるでしょう? まあちょっと効果が強すぎる、副作用があるなど、改良する点がたくさんありますけどね。 
 トラップの心が読めた、ということは。 
 わたしの一番好きな人は…… 
 そう、言われてみれば、ああ……と思い当たる点も多いんだ。 
 気がつけばトラップの姿を目で追っていたり、他の女の子としゃべっているのが気になったり。 
 でも、トラップはマリーナのことが好きだ……ってわたしはずっと思ってたから。 
 だから、多分認めようとしなかったんだと思う。 
 ごめんね、トラップ。 
 わたしが素直じゃなくて。鈍くって。 
「トラップ……わたしの心、今、読めるんだよね? だから、わたし嬉しい。トラップが、わたしを一番好きでいてくれるってわかったから」 
「…………」 
 わたしの話を、トラップはしばらく黙って聞いていたけれど。 
 やがて、ひょいっと音も無く立ち上がって……わたしを、強く抱きしめた。 
「トラップ……?」 
「おめえ……本っ当に鈍すぎ。……自分の気持ちくらい、さっさと認めろよな」 
「……ごめん」 
 ごめん。だから、おわびだって言ったじゃない。 
 好きだよって、あのときすぐに言ってあげられなくて、ごめん。 
 わたしの心の中の言葉に、トラップはにやっと笑って……まだ残っていたチョコレートドリンクを、ぐっと口に含んだ。 
 そして…… 
 え? 
 疑問に思う暇もなく、トラップの唇が、わたしの唇を塞いでいた。 
 舌先で強引に唇をこじあけられる。中に流れ込んできたのは……苦味の混じった、甘い甘い液体。 
 ごくん、と飲みこむ。その瞬間。 
(ああ、本当に鈍い奴) 
(悪かったと思ってんなら) 
(許してくれよな? 俺がこう思ってること) 
 切れ切れに流れてくる声。 
 トラップは、何も言っていないんだけど……彼の瞳は、いたずらっこみたいに輝いていて。 
 次々と流れてくる考えに、わたしは、顔が真っ赤になるのを感じた。 
 トラップは、すごく意地悪そうな笑みを浮かべてわたしを見ているけど…… 
 冗談じゃない、のは、よくわかった。だって、口に出して言ってるわけじゃないんだもん。 
 心の中で冗談が言えるわけがねえ。 
 昨日のトラップの言葉。その意味がよくわかった。 
 だって…… 
 トラップの考えに、わたしは反射的に答えてしまっていたから。 
 口で言われた言葉なら、多分照れて恥ずかしくて絶対言えなかっただろうけれど、頭の中でならすぐに答えられてしまった言葉。 
 わたしの答えに、トラップは…… 
 満足そうに頷いて、セーターに手を伸ばしてきた。 
 
 季節は、もうすぐ冬になる、という時期。 
 上着が無いと辛い、そんな時期。 
 チョコレートドリンクが入ったコップを持っていたせいで、少し暖かいトラップの手が、わたしのセーターの中にもぐりこんできた。 
 ……っ!! 
 ぐるぐると色んな考えがかけめぐる。その瞬間、トラップはちょっと顔をしかめて…… 
 ぐっ、とわたしの唇にくちづけた。 
 んっ…… 
 チョコレート味の唾液が交じり合う、甘い甘いくちづけ。 
 お互いの考えが頭の中でがんがん響いてうるさいくらいだったけれど、くちづけが深くなるにつれて……頭の中がぼうっとしてきて、段々と何も考えられなくなる。 
「……考えが読める、ってーのは、いいことばっかりじゃねえけど……」 
 トラップの、苦笑交じりの声。 
「おめえの素直な感想が聞けるってのは、ちっと嬉しいな」 
 ―――― 
 気持ちいい、もっとしてほしい、嬉しい。 
 口には出せないそんな感想が、わたしの頭に次々と浮かぶ。 
 それは……多分、トラップに筒抜けのはずで。 
 トラップの考えも、わたしにどんどん流れてくる。 
 可愛い、好きだ、嬉しい……抱きたい。 
 そんな考えが。 
 トラップの手が、わたしの背中にまわったかと思うと……くるっと抱きかかえられて、テーブルの上に寝かされる。 
 背中に感じる冷たく硬い感触。見上げれば、トラップの顔。 
 ……こんな、ところで…… 
 部屋戻ったら、二人きりになれねえじゃん? 
 考えと考えのぶつかりあい。キスしながらでも会話ができるっていうのは……便利かも。 
 セーターがまくりあげられる。膝の間に身体が割り込んでくる。 
 もう……止められない、よね。 
 止めて欲しくも、ない。 
 首筋から胸元、太もも。 
 次々と降ってくるキスの雨。最初は寒かったはずなのに、段々と火照ってくる身体。 
 トラップを受け入れた瞬間に、貫いたのは激しい痛み。 
 大きな声を出したら、誰かが気づくかもしれない。 
 そう思って必死に声をこらえたけれど、頭の中では悲鳴がうずまいていて。 
 その悲鳴に、トラップまで辛そうだったのは……気持ちが通じ合っている証拠、ということで、許してもらいたい、かも。 
  
 その後、わたし達は台所で夜明かしする羽目になった。 
 後先考えずに、ただトラップに気持ちを伝えたい一心で薬を飲ませたけど。 
 わたし達は、重大なことを忘れていたんだよね。 
 つまり……考えが読める相手が傍にいないと、激しい頭痛に襲われる、っていうあれ。 
 効果は丸一日。つまり、丸一日また離れられないわけで…… 
「俺は、嬉しいけどな?」 
「……まあ、ね」 
 嬉しいけど。 
 クレイ達に、何て説明すればいいのよ? 
 ため息をついて、わたしは、トラップの背中に体重を預けた。

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