はあーっ…… 
 思わずため息をつきながら、わたしは前を行く赤毛頭をにらみつけた。 
 わたしの名前はパステル。職業、冒険者にして小説家の卵でもあるんだ。 
 前を行く赤毛のひょろっとした体格の男の子はトラップ。職業盗賊で、同じパーティーを組んでいる 
仲間。 
 仲間……だったはず。 
 なのに。 
 はああーっ。 
 またまたため息。ううーっ、どうしてこんなことになっちゃったんだろ? 
 仲間だって思ってたのに。家族みたいなものだって。そう思えたままだったら、こんなに悩まなくて 
もよかったのに。 
 はああああーっ。 
 三回目のため息をついたときだった。突然、くるっとトラップが振り返った。 
 明るい茶色の瞳には、いつもの人をバカにしたような光は浮かんでいないけど…… 
 そのかわり、かなりイライラしてるなーってわかる光が、これでもかってくらい浮かんでいた。 
「うっせえな! さっきからはーはーはーはー。何なんだよ、言いてえことがあるんならはっきり言 
え!!」 
「見つかった?」 
 言われた通り、言いたいことをはっきりと言ってみる。 
 もっとも、それは二番目に言いたかったこと。一番言いたかったことは……絶対に言えないから。 
 わたしの言葉に、トラップは、うっと息をつまらせてそっぽを向いた。 
 ……まだ、なんだ。 
 わたしとトラップは、今、ズールの森の中を歩いていた。 
 二人だけ。クレイ達は、先にシルバーリーブに戻ってるんだ。 
 何で二人だけで歩いているのかっていうと、トラップが落としたわたしのリボンを捜しているから。 
 今はちょっとしたクエストの帰りだったんだけど。ズールの森くらいなら、もうわたし達にとっては 
慣れっこの場所だからね。クエストっていうより散歩に近い感じで、みんなで歩いてたんだけど。 
 そこに、退屈したトラップが、わたしのリボンをひっぱって…… 
 たまたま強い風が吹いて、そのまま飛ばされちゃったんだよね。 
 で、責任取って捜してもらっているのだ。 
 もっとも……わたしは、別にリボン自体は、半分くらいどうでもいいかなって思ってる。 
 もちろんもったいないなあとは思うけど、いっぱい持ってるしね。トラップだって悪気があったわけ 
じゃないし。 
 ただ、こう言えば、二人っきりになれるかな……なんて思って、思わず「捜して!」なんて言っちゃ 
ったんだけど。 
 クレイ達も一緒に探してあげようか? なんて言ってくれたんだけどね。ルーミィが眠そうだし、そ 
れにクエストクリアの報告をしなきゃいけないでしょ? って言ったら、わたしとトラップを残してみ 
んなは先に引き上げて……で、わたしは思った通り、トラップと二人っきりになれたのだ。 
 ……そう。 
 認めたくなかった。こんな思いを抱いてるなんて、絶対認めたくなかったのに。 
 わたしは、トラップのことが好きなんだって。友達として、家族として好きなんじゃなくて、男の人 
として好きなんだって、認めざるをえなかったんだよね…… 
 何かきっかけだったのかなんてわからない。ただ、気がついたらそうなってた、としか思えない。 
 何気ないとき。例えば、食事のときとか、気がついたらトラップの姿を目で追っていたり。 
 ああ見えて結構もてるトラップが、しょっちゅう他の女の子をしゃべっているのを見ては、そのたび 
にちょっとムッとしてしまったり。 
 わたしは人より鈍い、ってよく言われるけど……ここまで来たら、もう自分でも認めるより仕方ない 
でしょ? 
 だけど、この思いは、伝えちゃいけない。 
 同じパーティー内で恋愛なんて、絶対ぎくしゃくしちゃうから。みんなに気を使わせるから。それは 
嫌だから。 
 だから、わたしは絶対、自分の口から「好きだ」って言えない……そう、最初は、思ったんだ。 
 ただ一緒にいれるだけでいいじゃないって、そう思おうとしたんだ。 
 でも……駄目だった。 
 日を追うごとに「好き」って思いはどんどん強くなって、隠しているのが辛くなって、せめて気づい 
て欲しいって思うようになった。 
 トラップもわたしのことを好きでいてくれる……なんてことは、きっと無いと思う。トラップの好み 
って、マリーナみたいなスタイルのいい色っぽい美人タイプみたいだしね。わたしとは正反対の…… 
 だけど、好きになってもらえなくても。 
 せめて……わたしの気持ちには気づいて欲しい。わたしだって「女の子」なんだって、思って欲しい、 
って、そう思って…… 
 そう思って、ここのところ、わたしなりに頑張ってみたんだ。 
 じーっと見つめてみたり、さりげなく頼ってみたり、今みたいに、さりげなく二人きりになれるように 
がんばってみたり…… 
 わたしなりに、できることを頑張ってみたつもり、なのに。 
 どうして、全然気づいてもらえないのかなあ。 
 はあっ…… 
 またまたため息。 
 じーっと見つめれば、「あんだ? 欲しいんか?」と手に持っていた食べ物をつきつけられたり、頼 
ってみたら「めんどくせえなあ」「甘えんな」と突き放されたり、二人きりになってみても、いつもと 
全く変わらない態度で「あん? 他の連中はいねえの? あ、そう」みたいな感じで昼寝されちゃった 
り。 
 今だって、今だってねえ! 真っ暗な森の中で、二人っきり、なんだよ。 
 ちょっとは、心配してくれる、とかくらいしてくれたっていいじゃない。優しくしてくれたっていい 
じゃない。 
 いやいや、トラップは優しくないわけじゃない。例えば、知らない街でわたしが迷子になりそうにな 
ると、さりげなく手をひっぱってくれたりはするんだよね。 
 でも、それは……女の子として扱ってくれてる、というより、わたしが迷子になったら後で捜すのは 
自分だから、っていう理由の方が大きいみたいで…… 
 だから、こういう慣れた道では、そういうことも期待できなくて。 
 ちょっとは……女の子なんだって、意識してくれたっていいじゃない。 
 はあーっ…… 
 いつもと全く変わらない態度のトラップ。 
 憎まれ口を叩いたり意地悪なことを言ったり厳しいことを言ったり、そんなトラップを。 
 どうして、好きになっちゃったのかなあ…… 
 はああーっ…… 
 何回目かわからないため息をついたときだった。 
「おら」 
 ぐいっ 
 突然、腕をつかまれた。 
 つかんでいるのは……もちろん、トラップ。当たり前だよね。他に誰もいないんだから。 
 え? え? 何……? 
「見つけたぞ。これで文句ねえだろう」 
 そう言って、彼がわたしの手に握らせたのは、間違いなくわたしが今日頭に結んでいたリボン。 
 ……ああ、そういうこと。 
「ほれ、気いすんだか? とっとと帰るぞ」 
 それだけ言うと、トラップはさっさとシルバーリーブの方へ歩いていってしまった。 
 ……もう。 
 ちょっとは……ちょっとは、気づいてよー!! 
  
「ううっ。ねえ、リタ。わたしってそんなに魅力無いかなあ」 
 いつもの猪鹿亭のテーブル。 
 夕食の後、わたしはリタと向かい合ってしゃべっていた。 
 他のみんなは一足先にみすず旅館に帰っちゃったんだけど、わたしがあんまり暗い顔してたからかな? リタが「ちょっとおしゃべりしない?」って、誘ってくれたんだ。 
 ううっ、ありがとうね、リタ。正直、誰かに聞いてほしかったんだ。 
 こんな話、クレイ達にするわけにはいかないしね…… 
 リタが出してくれたジュースを飲みながら、わたしはぽつんぽつんと今までのことを話していた。 
 本当はね、知られたら恥ずかしい、黙ってようかな、って思いもあったんだ。 
 でも、わたしが悩んでる、って言ったら「トラップのことでしょ」ってあっさり言われてしまった。 
 リタってたまにすっごく鋭い。まあ、リタによれば、「パステルの気持ちなんて、見てればすぐにわ 
かるわよ」ってことらしいんだけど。 
「でね、でね、わたしは、わたしなりに頑張ってるつもりなんだあ……なのに、どーして、トラップは 
全然気づいてくれないの? ねえ、リタ、わたしってそんなに魅力ないい?」 
 
 ううっ。何だろ? 何だかしゃべってたら熱くなってきたぞ? 
 おっかしいなあ。 
 喉が渇いて、わたしはジュースをぐっと飲み干した。うん、冷えてておいしい。 
 何だか頭がボーッとしてきたけど…… 
「ねえ、リタ、おかわりい、もらえる?」 
「はいはい。ねえ、パステル。やっぱりさ、わたしが思うに、それはちょっとやり方が甘いと思うのよ」 
「甘いぃ?」 
 リタが差し出したおかわりのジュースを一気に飲み干す。うーっ、おいしいっ…… 
 でも、甘い……って、どういうこと、かな? 
 あれ? 何だか、本当に、頭がぼーっと……ぼーっと…… 
「パステルはね、とっても魅力的よ。でも、トラップにとっては見慣れちゃったのよ。だからね、もっ 
とこう刺激的っていうか」 
「しげき……てきい?」 
「そう、例えばね……」 
 リタが何か言ってるみたいなんだけど。 
 わたしは、何だか、それ以上は……考えられなくて。 
 目の前に座ってるリタが、何だかすごくにこにこ笑っていたのは覚えているんだけど。 
 何、だろ…… 
 リタが何かしゃべってる。頭の中にその言葉がぐるぐるうずまいている。 
「気づいてほしいんでしょ?」 
 うん、気づいて……ほしい。 
「だったら、やってみなさいよ。これなら、絶対気づいてもらえるから」 
 ……本当に? 
「今のままじゃ、嫌なんでしょう?」 
 ……嫌。 
「わたしが何とかしてあげるから、がんばってみたら?」 
 ありがとお……リタ、って、本当にいい子……らよねえ…… 
 何だかふらふらする足で、わたしは立ち上がった。 
 やって、みるしか、ないっ! 
  
 
 そろそろ寝ようか、なんて考えながら俺が宿屋のベッドでごろごろしていると、いいかげん夜も更け 
たっつーのにルタの奴が突然訪ねてきた。 
 ルタは、猪鹿亭のリタの弟。まあ、あんな気の強い姉ちゃんを持ったら、弟ってのは大体こんな風に 
育つんじゃねえ? というような奴だ。 
 俺は起きんのが面倒くさくてクレイに対応をまかせといたんだが、ルタが帰った後、クレイは部屋に 
戻ってくるなり、実験をしていたキットンの腕をひっぱった。 
「な、何ですか?」 
「いや、よくわからないけど、リタが俺達を呼んでるらしい」 
「リタが?」 
 キットンの声に、俺はちょっと顔をあげた。 
 ルタを使いに出したのは、クレイ達を呼び出すためか。でも、こんな時間に? 
「私とクレイだけですか? トラップは?」 
「トラップはどうせ頼んだって来てくれないだろうから俺達だけでいい、ってさ」 
 おーおー、リタも随分言ってくれるな。まあ当たってんだけどな。 
「おめえらもこんな時間にご苦労さんだな」 
「まあ、リタには散々世話になってるしなあ……ほら、行くぞ、キットン」 
「わ、わかりましたからひっぱらないでくださいよう」 
 実験道具を片付けながら、キットンはぶつぶつつぶやいて立ち上がった。 
「じゃ、俺達ちょっと出てくるから。帰りは遅くなるかもしれないけど、鍵はかけないでくれ」 
「へいへい」 
 投げやりに手を振って、目を閉じる。 
 リタが一体こんな時間に何の用があるのかはちっと興味があるが…… 
 ま、俺には関係ねえらしいし。気にするこたあねえか。 
 バタン、とドアが閉じる音を聞きながら、俺は眠気に素直に従うことにした。 
  
 再び目が覚めたのは、やけにけたたましいドアが開く音。 
 ちら、と外を見ると、クレイ達が出て行ってからまだそんなに時間は経ってねえようだ。 
 えらく早いな。もう帰ってきたのか? 
 俺が完全に覚めてない目をこすりながら考えていると、どたどたという足音は、俺達の部屋ではなく、 
隣の部屋へと入っていった。 
 ……ああ、そうか。パステルか。 
 思い当たる。そういや、夕食の後、パステルの奴、リタと何か話しこんでたな。 
 まあ、最近あいつは様子が変だしな。何か相談してえことでもあったんだろう。 
 どうも最近、俺はパステルに恨まれてるような気がしてならねえ。 
 視線を感じる、と思ったらパステルの奴がにらんでいる。大した用事でもねえくせに、嫌がらせのよ 
うに俺に押し付けようとする。たまたま他の奴らがいなくて二人きりになった日には、はーはーとため 
息ばっかりつきやがって。俺と一緒にいるのがそんなに嫌なのかよ。 
 しかしなあ、俺、パステルに何かしたか? まあちょいちょいイタズラはしてるが、んなの別に今に 
始まったことじゃねえだろうに。 
 あれか。もしかして、パステルの財布からこっそり金抜いてギャンブルにつぎこんだことがばれたか? 
 あんまりにも少ねえから増やしてやろうという親切心だったんだが……まあ、わかれ、っつー方が無 
理かもしんねえな。 
 何だかなあ。パステルの顔見ると、つい構ってやりたくなるんだよ。あんなにおもしれえ反応する奴 
はいねえからな。もしかしたら、そのせいでついに切れたのかもしんねえな。 
 しゃーねえ。しばらく大人しくしとくか? あいつは立ち直りが早えっつーか、あんまり終わったこ 
とを引きずるタイプじゃねえからな。すぐにほとぼりは冷めるだろう。 
 と、俺がそんなことを考えていたときだった。 
 一度は隣の部屋に入った足音が、また廊下に出てきた。 
 何だか、歩いている、っつーよりよろめいてる、に近いような妙な足音。 
 ……何だあ? 
 俺が身体を起こしたとき。 
 ノックもなしにドアが開いて、部屋に誰かが入ってきた。 
  
「……ぱ、パステル!?」 
 誰だ、と一瞬真面目に聞こうとしてしまった。 
 部屋に入ってきたのは女。女は、ドアをばん、と閉めると、一直線に俺の方に向かってきたが…… 
 いや、女女と言ってるが、間違いねえ。パステルだ。蜂蜜色の長い髪も、はしばみ色の目も、間違い 
なくいつものあいつだ。 
 ただ…… 
 髪はほどかれて、背中でゆるく波うっていた。 
 着ているのは、そんなもん持ってたのか、と聞きたくなるような、薄手の……ネグリジェ、っつーの 
か? 膝丈くらいのワンピースタイプのパジャマ。 
 そして、その顔は。 
 口紅、やら何やら……とにかく、今まで見たこともねえような色っぽい化粧がされていて…… 
 正直言って、普段に比べて3歳くれえは年上に見えた。大体あいつはどっちかと言えばガキくせえタ 
イプで、色気なんてものを感じた経験は皆無なんだが。 
 そうやって、透けて見えそうな服を着てると……嫌でも、女だ、っつーのがわかるわけで。 
 思わずごくりと息をのむ。ぱ、パステルの身に何が起きたんだ? 
「パステル……? ど、どーした? 何か用か?」 
「……とらっぷぅ……」 
 パステルが口を開いた瞬間。 
 感じたのは、「酒臭い」という思い。 
 ……まさか。 
 じーっと顔を見る。化粧でわかりにくいが、その頬やら、腕やらは真っ赤に上気していて、目は潤ん 
でいて…… 
「とらっぷぅ、あのねえ、はなしがあるんだぁ……」 
 呂律の怪しい口調で喋り出す。間違いねえ、酔っ払ってやがる。 
「お、おめえ何飲んだんだ? いや、っつーかな、大人しく寝た方が……」 
「あのね、あのねえ!! とらっぷはあ、わたしのこと、すきぃ?」 
 はあ?? 
 俺の言葉を無視して、パステルの奴はベッドによじのぼってきた。 
 な、何だ、突然? 好き? パステルをか? 
 まあ、そりゃ、嫌いじゃねえのは確かだな。でなきゃ二年も三年もパーティー組んでられねえし。 
 けど……いや、まさかとは思うが。パステルの言う「好き」っつーのは、そういう好きじゃなくて… 
… 
「あ、あのな。おめえちっと今普通じゃねえから、そういう話は素面のときにな……」 
「やだぁ! ごまかさないでぇ!!」 
 ぐいっとパステルは身を乗り出してくる。思わず俺は身をひいちまったが…… 
 そのとき、ネグリジェの隙間から胸元がのぞいて、思わずそこに視線が釘付けになる。 
 こ、こいつ……下着、つけてねえぞ? 
 服越しにはっきりわかる身体のライン。お世辞にもグラマーとは言いがてえが、それでも、俺達男と 
は明らかに違う。 
 や、やべ。ちょっとこの状況は……やばい。 
「や、パステル。落ち着け、な? 一体何があった? いや、あの、むしろ休め」 
「やだあ! だってえ、とらっぷがわるいのよお!?」 
 じわっ 
 俺がそう言うと、パステルは目にいっぱい涙をためて言った。 
 俺が悪い!? 一体俺が何したっつーんだ!? 
「だってえ! とらっぷが全然気づいてくれないんだもん、わたしはあ、ずっと前から、とらっぷのこ 
とがすきだったのにい!!」 
 今度こそ、俺の身体は硬直した。 
 ……は?? こいつ、何を言ってやがる? 
 すき? 隙? 鍬? ……好き?? 
 こいつが、俺のことを……好き? 
「おめえ、酔っ払っておかしくなったか……?」 
「ちっがうもん! わたしはあ、ずっとすきだったのお、とらっぷのことが! ずっとずーっと見てた 
のに、トラップは、全然きづいてくれないんだもん!!」 
 見てた? 
 そりゃもしかして、気がついたらにらんでた……と思ってたあれのことか? 
 いや、おめえ。あれは「恋する女の視線」なんてもんじゃなかった気がするぞ? 
「それにい、ふたりっきりになっても、なんにもしてくれないし! ねえ、わたしってそんなにみりょ 
くないい? とらっぷってそんなに胸の大きい人がすき??」 
 パステルは、潤んだ目でじーっと俺を見つめながら、徐々に俺に近づいてきた。 
 その分俺は身を引いていったわけだが……ついに、壁に背中があたる。 
 まあ、ベッドの上なんてそんな広いもんでもないしな。当たり前だが。 
 ……誰か帰ってきてくれよ。ちっとやべえって、この状況は…… 
 って、待てよ。 
 そこで何となくぴんと来た。 
 パステルはリタとしゃべっていて、突然リタがクレイとキットンを呼び出して、俺が一人になったと 
ころでパステルが戻ってきてこの状況…… 
 り、リタの奴! さては仕組みやがったな!? あいつパステルに何を吹き込んだんだ!? 
 考えてみりゃあ、こんな服をパステルが買うとは考えられねえし、化粧の仕方なんか知らねえはずだ。 
一人でこんなこと思いつくわけがねえ。 
 もっとも……今頃わかったって遅いんだけどな。 
 背中を嫌な汗がだらだら流れる。パステルはじーっと俺を見ているが、その表情は……かなり、色っ 
ぽい。 
 やべえ、マジで……これはやばい。 
 18歳の健康な男子らしい反応を示しかけてる身体を呪いつつ、俺は何とか逃げだせねえものかと思案 
したが。 
 生憎、ドアとは逆方向に追い詰められているし、窓は遠かった。 
「え、えーと、な。いや胸の大きさなんぞどーでもいいが……」 
「ほんとお? ねえ、とらっぷう、わたしのこと、きらい?」 
「いや……嫌い、じゃねえけど……」 
「じゃあー、好き? 好きなのにい、何でなんにもしてくれないのお?」 
 パステルは、素面のときだったら自分でも言ってる意味がわかんねえじゃねえか、というようなこと 
を平然と言い放った。 
 おおおおおめえなあ! 何つーことを言い出すんだ!! 
 何でなんにもしねえのか、って……俺達一緒にパーティー組んでんだぞ!? 何かしたらまずいだろ 
うが!! 
 もし素面のときに聞かれたら、そう答えたと思う。だが、そう改めて言われると…… 
 んなことは建前で、本音は別にあった、とわかる。 
 大事にしてやりてえからだよ。 
 もし、おめえと付き合うとしたら……遊びや一夜限りなんつー関係じゃなく、本気の関係になりてえ 
から。大事にしてやりてえから、滅多なことはしねえようにしてたんだよ。 
 いや、俺も自分で気づいてなかったけどな。おめえをからかうのが楽しくて仕方がなかったのは、お 
めえの表情をずっと見ていたかったから。 
 そう言われるとな、多分、俺はおめえのことが…… 
 いや、いやいや待て待て!! 
 んなことはだな、ここで言うことじゃねえだろう!? 
 パステルの目を見てりゃわかる。こいつは酔っ払って、多分リタに吹き込まれた通りしゃべってるだ 
けだ。俺のことを好きだ、っつーのは、もしかしたら本音かもしれねえが……まあ、そうだとしたらち 
っと嬉しいが…… 
 酔っ払いに告白したってしょうがねえだろ!? 賭けてもいいが、こいつはぜってー、明日になった 
ら何も覚えてねえぞ!? 
 とにかく、酔いを冷まさせねえと…… 
 そうして俺が立ち上がろうとしたときだった。 
 突然、パステルは、俺の身体に覆いかぶさってきた。 
「おわっ!?」 
 不意打ちをくらって、ベッドに倒れこむ。寝転んだ俺の上に、またがるような形で……パステルは言 
った。 
「あのね、あのね、リタからきいたんだあ」 
 とてつもなく無邪気な顔で、パステルは言った。 
「とらっぷがあ、全然気づいてくれないのはあ、わたしのやりかたが甘いんだってえ。でね、でね、リ 
タが言ったんだ。こうやれば、とらっぷは、ぜったい、気づいてくれるよ、ってー」 
 にこにこ笑いながら、パステルは。 
 がしっ、と俺の顔をつかむと、ゆっくりと自分の顔を近付けて来て…… 
 間近で見るとよくわかる。完全に酔っ払ってる。でなきゃ、あのパステルにこんな真似ができるわけ 
がねえ。 
 強引に塞がれる唇。感じるのは、酒臭い……生暖かい…… 
 唇を強引に開いて押し入ってくる舌を感じながら、俺は心の中で絶叫していた。 
 わかった。おめえの気持ちはよーくよーくわかったから。 
 さっさと目を覚ましてくれ――!! 
  
「――ぶはっ!!」 
 やたら長いキスの後。やっと解放されて、俺は大きく息をつく。 
 っリタの奴っ……明日、覚えてやがれっ…… 
 そう心に誓うが。生憎、んなことで今の状況が変わるわけじゃねえ。 
 パステルは、にこにこしながらジーッと俺の顔を見ている。……何を期待してるんだ? 
「あ、あのな……おめえ……」 
「わかったあ?」 
 俺の言葉を遮って、パステルは言った。 
「わかったあ? わたしの、きもちい」 
「や、あのな……」 
「わからないい!? まだわからないのお?」 
 全部言い終わる前に勝手に決め付けてんじゃねえよ!! 
 そう怒鳴りつけたかったが、次の瞬間、俺は全身が凍りついた。 
 パステルは、さっきまで笑っていたくせに一転して泣き顔になっていたが…… 
 そのまま、くるっ、と背を向けた。 
 そして。 
 俺のズボンのベルトに、手をかけた。 
 待て――!! 何をするつもりだ!? 
「い、いや、待て待て待て!! 早まるなパステルっ!!」 
「やだあ! とらっぷがあ、わかってくれないんだもんっ!!」 
 言いながら、パステルの手が、不器用にズボンを脱がせようとする。 
 この体勢で脱がせられるわけねえだろうが。いや、脱がせられたらまずいんだけどな。 
 実を言えば、さっきから……その、俺のナニは、理性とは無関係にきっちりと反応しちまってて…… 
 そ、そりゃあな? 憎からず思ってる女が、こんな時間にこんな格好で迫ってきたら、そりゃあ健康 
な男子なら誰でもそうなるんじゃねえか!? 俺は悪くねえだろ!? 
 何とかパステルを振り払おうとしたが、腹の上に座り込まれると力が入らねえ。 
 俺がもがいているうちに、脱がせることは諦めたのか、パステルはベルトだけ引き抜いて…… 
 そして、ズボンのファスナーをひき下ろした。 
 ……おい。 
 待て、まずい!! そ、それは非常に……非常にまずい!!! 
 俺の心の叫びも空しく。 
 パステルの手が、隙間から下着の中へともぐりこんできて……俺の、その、ナニを、握った。 
 っい、痛え――――――!! 
 ざーっと全身から血の気が引く。 
 まあな、パステルにはわかんねえだろうけどなっ……そ、ソレはな、結構デリケートなんだよ!!  
力任せに握るんじゃねえっ!! 
「ば、ばかっ、やめっ……」 
「んとお、えっとー」 
 俺の声なんか聞いちゃいねえ。 
 パステルは、しばらくソレをいじくりまわしていたが、やがて……酔っ払ってるせいか? でやけに 
熱い手で、ゆっくりと……ソレを握ったまま上下させた。 
 どぐんっ 
 元々、反応だけは十分にしていた。 
 そこを、不器用だが一生懸命しごくパステルの姿は……何つーか、えらく扇情的だった。 
「えっとねえ、こうすればあ、とらっぷは、きっと喜んでくれるって、リタがそう言ったんだあ」 
 パステルは、にへらっ、と笑って、俺を振り返った。 
「ねえー、とらっぷう、嬉しい?」 
「…………」 
 正直、口がきけなかった。 
 嬉しいとか嬉しくないとかそういう問題じゃねえ。 
 イきそうに……なってやがるっ…… 
 冷や汗がだらだら流れる。間違いなく、快感を感じている。それは否定しねえが…… 
 欲望が、本能が、理性を次々とぶっとばしていく。 
 こ、このままじゃ……俺、わけが、わかんなく…… 
「……だめえ?」 
 だが、俺の葛藤なんぞパステルにわかるはずもなく。 
 俺の返事が無いことに勝手な解釈を下したらしく、それはそれは寂しそうな目を向けてきた。 
 ……んな目えされたって困るんだよっ!! お、おめえもな、自分の身が可愛けりゃ、さっさと目え 
覚まして…… 
 そう声に出そうとしたそのとき。 
 パステルは……顔を伏せた。 
 手の動きが止まる。わかってくれたか、と安堵した瞬間。 
 戦慄が、全身を走った。 
 ソレにまとわりつく、生暖かい、柔らかい感触。 
 手の動きよりも格段に遅いが、格段に……気持ちいい。 
 これ、は…… 
「――――!!」 
 声にならない悲鳴をあげて足をばたつかせるが、パステルの奴は離れない。 
 そんな行為、素面だったら、パステルの奴なら悲鳴をあげて目をそむけるだろうに。 
 っつーか、正式名称とかも……そういう行為が存在する、っつーことすら知らないだろうに。 
 パステルは、一生懸命……口で、やっていた。 
 ……もう、持たねえっ!! 
 離れろ、という間もなく。 
 俺のナニは、限界を迎えた。パステルの口の中で……欲望を、爆発させた。 
 ――やっちまった…… 
 パステルは、しばらく茫然としていた。 
 いきなり勢いを失ったことに驚いたのか……口の中で何かが弾けたことに驚いたのか…… 
 くるりと振り向く。 
 口元や頬に白っぽい汚れをこびりつかせて、パステルは…… 
 首をかしげた。 
「いまの……なにい?」 
 がくうっ 
 思わず力が抜ける。 
 こっ、こいつはっ……何も、わかってねえくせに何つーことをするんだ!!? 
「なにかあ……へんな、あじ……」 
「……顔、拭いた方がいいんじゃねえ? っつーか、どけっ!!」 
「……怒っちゃ、やだあっ……」 
 俺が怒鳴りつけると、パステルは、再び涙をにじませた。 
 元々表情豊かな奴だったが……酔っ払うと、それが極端だな…… 
 くっ……しかし、何だかなあ。何だ? このすんげえ空しい思いは。 
 ああ。気持ちよかったよ。それは否定しねえよ。んなことされたのは俺だって初めてだったしな。 
 だけどなっ……何つーか…… 
 俺が激しく落ち込んでいると、パステルは…… 
 べたべたに汚れた手で、そっと俺の頭をなでた。 
「とらっぷう? 大丈夫?」 
「……頼むからそんな手で触るな」 
「あのね、あのね……よかったあ? あのね、わたし、がんばったよ? とらっぷのこと、好きだから 
あ……がんばったよ?」 
「…………」 
 好きだから、ね。 
 おめえ、同じ台詞を……素面のときにも、言えるか? 
「怒った? おこったあ? ……とらっぷは、わたしのこと、きらい?」 
「……嫌い、じゃねえよ」 
 嫌いじゃねえ。 
 おめえはそういう奴だよ。自分がそうと信じたことには一生懸命で……何にでも、まっすぐな奴だよ。 
 だから俺は…… 
「嫌いじゃねえけどな」 
 なおも触ろうとするパステルの手首をつかんで、じっと目を覗き込む。 
「酔っ払ってるおめえは嫌いじゃねえ。けど、素面のおめえは……好きだぜ」 
「?」 
 意味がわからねえのか、パステルはきょとんと俺を見ている。 
 ああ、全くな。 
 まさか、この鈍感女の方から攻められるとは……思わなかったぜ。 
 とりあえず……どうすりゃいい? まさか、このままっつーわけにはいかねえだろう? 
 顔やら手やらをベタベタに汚したパステルの身体を抱えあげて、俺はドアを蹴飛ばした。 
 パステルは、それが嬉しいのか、俺の首にまとわりついてきたが…… 
 まあ、待て。何をするにしてもだな。 
 風呂入って汚れ落として、話はそれからだ。 
 
  
 頭……痛い…… 
 ガンガンと割れるような痛みで、わたしは目を覚ました。 
 ……なにい? 昨日、何があったっけ? 
 ええっと、リタと一緒に話してたんだよね。それから…… 
 それから? 何が…… 
 起き上がる。ずるっと胸元を滑り落ちる布団。 
 じーっと自分の身体を見下ろして…… 
「き……きゃああああああああああああああああああああああああ!!?」 
 宿中に響き渡るような悲鳴をあげた。 
 な、何でわたしっ……裸で寝てるのっ!!? 
「……っせえ……」 
 もぞり。 
 わたしの声に、隣で誰かが動く。 
 え? えと、ルーミィ? ……にしては、やけに、身体が大きい…… 
 ばさりっ 
 布団をはねのけるようにして、その人物が上半身を起こす。 
 その姿を見て、わたしはくらくらと眩暈がした。 
「と、トラップ……?」 
 長い赤毛をかきあげているのは……間違いなく、トラップ。 
 わたしが、ずっと、好きだって……そう思っていた人。 
 な、何で…… 
 何で、トラップまでっ……裸で、同じベッドに!!?? 
「ととととトラップ!!? 何、何なのこれっ!!?」 
「あー? おめえ、覚えてねえの?」 
 トラップは、だるそうな笑みを浮かべて言った。 
「言っておくけどなあ……迫ってきたのは、おめえだぜ?」 
「はあ??」 
「俺のことが好きなんだって?」 
「あ、あのっ……」 
「好きで好きでずーっと見てたのに、俺がちっとも気づかねえって、悩んでたんだって?」 
 な、な、何で。何で……知ってるの……? 
 昨日の記憶が無い。全然、無い。昨日ジュースを飲んでから…… 
 ジュース……じゃなかった? まさか、あれって…… 
 まっ、まさ、か……? 
「昨日のおめえな……すごかったぜえ。できることなら、見せてやりてえ」 
「な、な、何か……した? わたし……」 
「んー? 何か?」 
 トラップは、大げさに手を広げて肩をすくめた。 
「おめえ、この格好見りゃあ、一目瞭然だろ?」 
「きゃあああああああああああああああああ!!?」 
 ややややややややっぱりっ!? やっぱり!!? わたし、わたしってば……何て、ことっ!! 
「本当にすごかったよなあ。ああ、安心しろよ。ここは俺の部屋だけど……クレイとキットンは、昨日 
は猪鹿亭に泊まったみてえだから」 
「いっ、言わないで、お願いだから言わないでっ!!」 
 ははは恥ずかしいっ。わたしってば…… 
 そ、そりゃ気づいてほしかった。わたしのことを、女の子って見てほしかったけどっ。 
 こんな知られ方だけは、したくなかったわよっ!! 
 恥ずかしさのあまり、ばっと目をそらす。 
 ベッドの下には、二人分の服が落ちてたんだけど。 
 ……何、この薄い服……わたし、こんなの持ってないけど……ま、まさかリタ!? 
 認めざるをえないっ……わ、わたしの方から、トラップを…… 
 そのとき、肩に、大きな手が乗せられた。 
 びくりっ、と震える。そのまま、その手は、ゆっくりとわたしの身体を抱き寄せて…… 
 ぽすん 
 思ったより広い胸に、抱きとめられた。背中に、直に感じるトラップの肌は……とっても、暖かい。 
「あのっ……」 
「もし、昨日の言葉が本音だ、っつーなら」 
 耳元で囁かれる、甘い言葉。 
「俺も、本音で答えてやるけど。いいか?」 
「…………」 
 いい、に決まってるじゃない。 
 それは、わたしがずっと望んでいたことなんだから。 
 ゆっくりと振り仰ぐ。トラップの顔は、真剣にわたしを見つめていて…… 
 わたしの「初体験」は、その日の朝、終わった。

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