多分、決定的だったのはあのときだと思う。 
 それは、もうすぐ冬が始まるっていう肌寒い日のことだった。 
 その日、シルバーリーブのみすず旅館の裏で、わたしは数人の女の子に囲まれていた。 
 そんなに大きな村じゃないからね。どの子も、顔くらいなら見覚えのある子ばっかりだった。名前ま 
では知らないけど。 
 みんなわたしと同じくらいの年で、どの子もそれなりに可愛くて、でも、どの子もすごく怖い顔でわ 
たしのことをにらんでいた…… 
「パステル、あんたいいかげんにしなさいよね!!」 
「そうよそうよ!! 足手まといのくせにクレイ様にべたべたしちゃって」 
「トラップ様に迷惑かけてんじゃないわよ! お荷物のくせに!!」 
 そう、彼女達は、最近いきなりできたクレイとトラップの親衛隊。 
 わたし達も、色んなクエストをクリアして気がついたら結構有名人になっちゃっててね。それはそれ 
で嬉しいことかもしれないんだけど…… 
 それで、最近いきなりもてもてになったのがクレイとトラップ。 
 まあ、それはしょうがないと思う。二人ともかっこいいしね。 
 だけど…… 
 そのとばっちりがわたしにとんでくるのだけは、どうにかならないかなあ…… 
「ちょっと、何とか言ったらどうなのよ!!」 
「ほら、さっさと言いなさいよ。役立たずでごめんなさい、パーティー抜けますって!!」 
 むかむかむかっ 
 わたしはあんまり短気な方じゃない……と思うんだけどね。 
 それでも、いくら何でもあんまりだと思った。 
 そりゃあ……彼女達の言ってることは、ある意味正しいのかもしれない。 
 確かに、わたしは特に何のとりえもないし、方向音痴のマッパーで迷惑ばっかりかけてるかもしれな 
いけど…… 
 だけど、わたしはわたしなりに一生懸命やってるのに。クレイやトラップに言われるならともかく、 
それを何も知らないこの子達に言われたくない!! 
 そうやって言い返したかったんだけど。女の子達の雰囲気ののまれちゃって何も言えない。 
 く、悔しいっ…… 
 あんまり悔しくて、涙がこぼれそうになったそのときだった。 
「おめえら、くだらねえことやってんじゃねえよ」 
 突然響いたのは、聞きなれた声。 
 その声に、女の子達の表情が強張る。 
「と、トラップ……」 
 わたしが名前を呼ぶと、彼女達は「きゃあ」とか「いやあ」みたいな悲鳴をあげて、わたしからばっ 
と離れた。 
 すごい、何て素早い…… 
「トラップ様!? あ、か、勘違いしないでくださいね。わたし達は、この女に身の程を教えてあげよ 
うと思って……」 
「はあー? 身の程お?」 
 トラップ親衛隊の一人の言葉に、トラップは物凄くバカにしたような笑みを浮かべて言った。 
「んなことおめえらがいちいち教えてやんなくても、こいつはとっくに知ってるっつーの。んで、少な 
くともおめえらより俺やクレイの方がよーく知ってんだよ。それでも俺達はこいつとパーティー組んで 
んだから。文句あるんだったら俺かクレイに言えよな」 
「と、トラップ様!!」 
「こいつはなあ、俺達の大切な仲間なんだよ。仲間傷つけたら、さすがに温厚なクレイも怒るだろうぜ 
え? ま、それでもいいっつーんだったら、俺は別に止めねえけどな」 
 大切な、仲間…… 
 いつも人一倍罵ってるのはトラップなのに。そんな風に、思ってくれてたんだ……? 
 わたしは密かに感激してしまった。だってだって、あのトラップだよ? いっつも意地悪ばっかり言 
ってるあのトラップが、わたしのことをそんな風に言ってくれるなんて…… 
「わかったか? わかったらさっさと行け」 
「…………」 
 トラップがにらみつけると、女の子達は気まずそうに去っていった。 
 これで嫌がらせがなくなる、とは思わないけどね。わたしがクレイやトラップと一緒にいる限り。 
 でも……これからは傷つかなくてすみそうだよ。 
 トラップの、今の言葉さえあれば。 
「おい、大丈夫か?」 
「う、うん……」 
「げっ、おめえ何泣いてんだよ!! 情けねえなあ。それでも冒険者か!?」 
「ちっ、違う……」 
 違うよ。この涙は、悔しいとか悲しいとか辛い涙じゃなくて。 
 嬉しい、涙なんだ。 
  
 多分、あのときからだと思うんだ。わたしが、トラップのことを目で追うようになったのは。 
 もっとも、どうしてなのかは、よくわからないんだけど。 
  
 そんなもやもやを抱えたまま、冬を迎え、月日は流れていった。 
 あの日のことを話すことはなかったし、トラップにとっては何でもないことだったのか、もう忘れて 
るみたいだけど。 
 それでも、わたしはずっと忘れずにいた、そんなとき。 
 わたし達パーティーは、エベリンに向かうことになったんだ。 
 理由は買い出しのため。クエストに必要なものの中には、シルバーリーブでは揃わないようなものも 
あるしね。一度まとめて買い物しようかっていうクレイの意見で、みんなで出かけることになった。 
「おっ、いいな。久しぶりにマリーナにも会いたいしな」 
 その意見に、真っ先に賛成したのはトラップ。 
 マリーナ。その名前を聞いて、ずきん、と胸が痛んだ。 
 ……何で? 
 マリーナは、クレイとトラップの幼馴染。すごくスタイルのいい美人で、しかも性格までいい、とっ 
ても素敵な女の子。 
 彼女とはエベリンの街で偶然会って、それ以来、ちょくちょく手紙をやり取りしたり顔を合わせたり 
してるんだけど。 
 ……何で、胸が痛くなるんだろう? 
 わたしはマリーナのことが大好きだ。だって、あんないい子はいないと思うもん。彼女と友達になれ 
て、本当によかったと思ってる。 
 そう、思ってるはずなのに…… 
  
 エベリンの街は、いつ来てもにぎやかだった。 
 必要な買出しをすませた後は、滞在費もかかることだし、さっさと帰ろうか、って思ったんだけど。 
 何故か、みんなの強硬な反対で、しばらくエベリンに滞在することになった。 
「いいじゃないか、のんびりしてれば」 
「もう少しすると、薬草市があるはずなので、それまでは」 
「まあ、そんな焦るこたあねえだろう?」 
 うーっ、何なのよみんなして。そりゃあ、エベリンも久しぶりだし、のんびりしたいのはわかるけど。 
 何といっても、物価がねえ。宿代もかかるし。はあ…… 
 わたしがお財布の中身を考えてため息をついていると、トラップが何でもないことのように言った。 
「マリーナに頼めばいいじゃん。俺達なら、泊めてくれるんじゃねえ?」 
 ずきん。 
 ああ、そうだね。確かにそうだ。彼女なら、きっと快く泊めてくれるだろう。 
「ああ、そうだな。それなら、宿代も節約できるし」 
 トラップの案に、クレイも頷いている。 
 ……そうだよね。反対する理由なんか何も無いよね。 
「いいよな? パステル」 
 振り向くクレイに、わたしはもちろん頷くしかなかった。 
「そうだね。マリーナに感謝しなくっちゃ」 
 痛かった。 
  
「あら、あなた達ならもちろん大歓迎よ。ここでよければいつまでだってどうぞ」 
 マリーナは、相変わらずの素敵な笑顔でわたし達を迎えてくれた。 
「おっす、久しぶり」 
「相変わらず変わらないわね、トラップは」 
 顔を合わせるなり始まる、トラップとマリーナの談笑。 
 二人は、小さいとき一緒に暮らしていたらしいからね。兄妹みたいなものだって言ってた。 
 会話してるなんて、珍しいことじゃない。こんな光景何回だって見てるはずなのに。 
 何だか……二人を見ているのが、今は辛い。 
 はあっ。変だよね、わたし。本当に…… 
 どうしちゃったんだろう? 
 そうして、わたし達はマリーナの家でしばらく過ごすことになった。 
 その間、わたしは特にやることもなく、ルーミィと遊びに行ったり、ぼんやりと本を読んだりして過 
ごしたんだけど。 
 何故か、何をしても身に力が入らない。気がついたら、ぼーっとしてしまっている。 
「ぱーるぅ、どうしたんだあ?」 
 ルーミィの可愛らしい声に、はっと現実に引き戻されて「何でもないよ」なんて笑ってみせるんだけ 
ど。 
 何でもないわけがないよね。でも、わたしにも理由がわからない。 
 いつもなら、こういうとき、誰かが気づいて何かを言ってくれるんだけど。 
 エベリンについてから、みんなは何だか忙しそうだった。しょっちゅうどこかに出かけて、ご飯のと 
き以外、あまり顔も合わせない。 
 まあ、トラップあたりはどうせギャンブルだろうし、キットンは薬草でも見に行ってるんだろうって 
思うけどね。クレイやノルまで……一体どうしたんだろう。 
 買い物なら、わたしも一緒に行きたいんだけどな。気もまぎれるし。 
 そう思って、「どこに行くの? 一緒に行こうか」って言ってみたんだけど。 
 「いや、いいよ。一人で」「大丈夫」なんて言われてしまって。……何だか、わたし邪魔者にされて 
る? 
 ……落ち込むなあ。 
 はあっ。 
 エベリンでの数日は、そうして過ぎていったんだけど。 
 さすがにね、何日もため息ばっかりついてると、気が滅入ってくる。 
 うーっ、駄目駄目、こんなのじゃ。 
 よし、気晴らしに散歩にでも行こうっ!! 
 この日。ここ数日と同じくみんなは出かけていて、ルーミィとシロちゃんもノルに連れられて公園に 
行ってしまっていた。 
 家にいたのはわたし一人。だから余計に気が滅入るんだよね。 
 外はいい天気だし。よーしっ、決めた!! 
 お財布を入れたカバンを持つと、わたしは外に出た。 
  
 目的地は、特に無い。 
 宿代が浮いたとはいえ、お財布は相変わらず厳しい状況だったから。欲しいものがあったら買おう!  
ってわけにもいかないんだけど。 
 エベリンの街には、いくつもの露店が出ていて、見るだけで飽きなかった。いっつもシルバーリーブ 
にいるからね。たまににぎやかな街を歩くと、すごく新鮮。 
 もっとも、方向音痴のわたしとしては、その分迷子に気をつけなきゃいけないんだけどね…… 
 だ、大丈夫大丈夫。エベリンの街だって何回も来てるし。そんなに遠くにさえ行かなければ、いくら 
何でも迷うわけがない。 
 と、そう思っていたんだけど…… 
 う――っ、わたしのバカバカ! ドジ!! 
 気がついたら自分がどこを向いているのかもわからない状況に、わたしは途方にくれていた…… 
 本当にね、ついさっきまでは、見慣れた通りにいたはずなのよ。 
 それなのに、何でー? ううっ。嫌になっちゃう。 
 はあ。でも、大丈夫だよね? 街の外に出ちゃったわけじゃないし、人に道を聞けば、何とか…… 
 と思っていたんだけど。 
 マリーナの家は、ちょっとした古着屋さんをやってるんだ。 
 わたし達には馴染みのお店でも、エベリンの町の人にとってもそう、とは限らないわけで。 
 聞いても聞いても、「わからない」って言われ続けて、そのうちあたりは段々暗くなり始めてきた。 
 ううっ、駄目だ。もうこうなったら……待つしかないのかなあ。 
 歩き続けてすっかり疲れてしまって、わたしは近くのお店の壁によりかかった。 
 エベリンで迷子になるのは、実は初めてじゃないんだよね。 
 冒険者になるために来たときも、その後用があって訪れたときも、実は来るたびに迷子になっていた 
りする。 
 でも、そのたびに見つけ出してくれたんだよね。あいつが。 
 きっと、待っていれば、来てくれるはず。絶対に。 
 そう思ったそのときだった。 
 わたしの視界に、見慣れた赤毛の頭が入ったのは。 
 ……え? 嘘、本当に? 
 あまりにも都合のいい展開に、わたしは思わずぽかんとしてしまったんだけど。 
 いやいや、ぼーっとしている場合じゃない。探しに来てくれたのか、偶然かはわからないんだけど。 
 多分またバカにされちゃうだろうけど、そんなこと言ってる場合じゃないもんね。 
 トラップ、と名前を呼ぼうとしたそのときだった。 
 偶然、目の前で人の流れが途切れて、彼の姿が目に入る。 
 それは、確かにトラップだった。見間違いではなく。 
 ……そして。 
 トラップの傍に寄り添うように立っていたのは……マリーナ。 
 ずきん。 
 再び大きく痛む胸。 
 何を話しているのかは聞こえないけど、二人は何だか楽しそうに談笑しながら歩いていた。 
 そのまま、流れを歩いていく。そろそろ店じまいを始めようとしている露店を覗いたり、アクセサリ 
ーや小物を扱っている店を覗いたり。 
 それは、とてもトラップが行くようなお店とは思えなかったんだけど。あれこれ商品を指差している 
マリーナと、それに頷いているトラップは、何だかとっても楽しそうで…… 
 デート中。そんな単語が、頭に浮かぶ。 
 とてもじゃないけど、声をかけることはできなかった。 
 わたしのことになんて全然気づかないまま、二人の姿は街の中に消えていった。 
 ずきん、ずきん。 
 ひどく痛む胸。 
 ……ああ、そうだよね。わかってたじゃない。トラップは、マリーナのことが好きなんだって。 
 エベリンに来るたびに、マリーナに会ってたのだって、知ってたはずなのに。 
 ……そうか、思いが通じたんだ……よかったね、トラップ。 
 よかったね…… 
 喜ぶことなのに。大切な仲間の一人が、幸せになれたんだから。 
 それなのに、何でわたしは……泣いてるんだろう。 
 バカみたいだ、わたし。どうして、もっと早くに気づかなかったんだろう。 
 胸の奥にわだかまっていたもやもや。 
 マリーナを見るたびに感じていた胸の痛み。 
 羨望、嫉妬。認めたくなかった醜い感情。 
 わたし……焼きもち焼いてる、マリーナに。 
 好きだから。 
 わたしもトラップのことが、好きだから…… 
 もう、何もかも、遅いけど。 
  
 どこをどうやって歩いたのかわからない。 
 気がついたとき、わたしはエベリンの街の、かなり外れの方まで来てしまったみたいなんだけど。 
 そこまで来たところで、肩をつかまれた。 
 一瞬、期待してしまう。そんなはずはないって思いながらも、いつものようにわたしを助けに来てく 
れた、と。 
 だけど、違った。 
 振り向いた先にいたのは、わたしが密かに望んでいた赤毛の盗賊ではなく、ひどく心配そうな顔をし 
た、黒髪のファイター。 
「クレイ……」 
「やっぱり、パステル……どうして、こんなところにこんな時間まで……みんな心配してるよ」 
「え、う、ううん。また、迷っちゃって……」 
 言えるわけがない。 
 言っちゃいけない、わたしの気持ちは。 
 これからもずっとパーティーを組んでいきたいから。決して思いはかなわなくても、それならせめて、 
今の関係のまま、傍にいたいから。 
 だから、わたしの気持ちは、誰にも知られちゃいけない。 
 そう思って、わたしは必死に冷静を装ったんだけど。 
 わたしの顔を一目見た途端、クレイは、その綺麗な顔をしかめて言った。 
「パステル、どうした? ……何かあった?」 
「え?」 
「泣いてたんだろ? どうしたんだ?」 
 あ…… 
 さっき溢れた涙は、もう止まっていたけど。 
 きっと、目は腫れぼったくなってるだろうし、ほっぺたに跡が残っているのかもしれない。 
 ……何て、言おう。 
「ちっ、違うの、これは……」 
「どうしたんだ? パステル、最近ずっと元気がなかっただろう? ……俺でよければ相談に乗るけど」 
 本当に心配そうな顔。 
 ああ、本当に……クレイは、いい人だなあ。 
 しみじみ思う。いつもみんなの心配ばっかりして……優しくて、本当にいい人だな。 
 わたしは、どうしてクレイを好きにならなかったんだろう。 
 いつかトラップに言われた言葉を思い出す。 
『おめえも、珍しい女だよな』 
『何が?』 
『クレイみてえな男と、四六時中一緒にいてさ。何も感じねえわけ?』 
 きっと、普通の女の子なら……クレイみたいに、かっこよくて頼りになって、おまけに優しい、そん 
な人と一緒にいたら、好きになっちゃうんだろうな。 
 ……どうして、わたしはあんな……いつも意地悪ばっかり言って、トラブルばっかり引き起こすあん 
な人を、好きになっちゃったんだろう。 
 マリーナのことが好きだって知ってたはずなのに。今この目で見たばかりなのに。 
 それでも諦めきれないのは、何でなんだろう…… 
「……パステル?」 
「クレイ。どうしよう。わたし……何でかよくわからない。自分の気持ちがわからない」 
 再び溢れ出す涙を、止めることができなかった。 
 気がついたら、わたしはクレイにすがりついて泣きじゃくっていた。 
 クレイは、一瞬とまどったみたいだけど、優しく背中をなでてくれた。 
 本当に……いい人だな。 
 しつこく事情を聞こうともしないで、ただわたしが泣きたいだけ泣かせてくれる。 
 クレイになら、話してもいいかも。 
 誰にも知られちゃいけない、と思ったけど。このまま自分だけで悩み続けるのは、辛すぎる。 
 クレイなら大丈夫。誰かに言いふらしたり、変に茶化したりするような人じゃない。きっと真剣に考 
えてくれるから。 
 そう思って顔を上げたときだった。 
 クレイの顔が、茫然と遠くを見つめていることに気づく。 
 ……どうしたの? そう聞こうとしたんだけど。 
 クレイの視線を辿って、言葉が止まってしまった。 
 ……いつからっ…… 
 そこに立っていたのは、まぎれもなく。 
 ずっとわたしの心をいっぱいにしている、赤毛の盗賊。 
「トラップ……」 
 名前を呼んでも、何も言わない。 
 いつからそこにいたのか。彼は、何だか複雑な表情で、じっとわたし達を見ていた。 
 ……ああ、そうか。トラップも捜しに来てくれてたんだ、やっぱり。 
 気がつけば、もうあたりはすっかり暗くなっていて……こんな時間までわたしが帰らなければ、当然、 
みんな心配してわたしを捜してくれていたはず。 
 マリーナとのデートは、もう終わったの? 
 それはさすがに言葉に出せなかったけど。胸の中では、そんな言葉が渦巻いている。 
 ……何で。 
 何で、捜しに来てくれたりするの? 
 わたしのことなんか好きじゃないくせに……どうして、いつも気にかけてくれるの? 
 一体、どれくらい見つめあっていたのかわからないけれど。 
 先に口を開いたのは、トラップだった。 
「……わりい」 
 軽く片手をあげて、背を向ける。 
「邪魔したな……ごゆっくり」 
 そのまま、彼の姿は再び街の中へと消える。 
 何で。 
 トラップとマリーナは、わたしのことに気づかなかったのに。 
 わたし達は……何で、トラップに気づいてしまったんだろう。 
「パステル……いいのか、言わなくて」 
「……何を」 
「あいつ……絶対、誤解してるぞ、何か」 
「いいよ……」 
 いいよ。もう、今更…… 
「もう、遅いから」 
 わたしの言葉の意味が、クレイにはよくわからなかったみたいだけど。 
 もう、説明しようなんて気にはなれなかった。 
 もう、いいよ。どうにもならないんだったら。 
 せめて……わたしの気持ちには気づかないでほしいから。そのまま誤解してくれた方が、いい。 
  
 マリーナの家に戻ったとき。みんなはすごく心配そうに待っていてくれたけど。 
 その中に、トラップの姿はなかった。 
 どこに行ったの? って聞こうって気にもなれなかった。 
 どうせ、ギャンブルか何かじゃないかな。どうせ。 
「ごめんね、みんな。心配かけて」 
 無理やり微笑んで言うと、みんなは安心したようにそれぞれの部屋に戻って行ったけど。 
 何故か、マリーナはじいっとわたしを見たまま。 
 ……何か、気づかれた? 
「パステル、あの……」 
「ごめん、疲れたから……もう寝るね」 
 何か言おうとしたマリーナを無理やり遮って、わたしは階段をかけあがった。 
 ごめん、マリーナ。あなたは何も悪くないのに。 
 わたしは、今……あなたの顔を見ていたくない。 
 泣き喚いてしまいそうだから。 
 理不尽に叫んでしまいそうだから。 
 どうして、トラップの傍には、あなたがいるの…… 
 どうやったってかなわないあなたが、どうして傍にいるの。 
 そんなことを考えてしまう自分になんか、気づきたくなかった。 
 わたしは、部屋にかけこむと、布団を被ってまた泣いた。 
 こんな自分が……大嫌い。 
  
 翌朝。 
 起きたとき、わたしの目は真っ赤に腫れあがっていて、ひどい顔になっていた。 
 うーっ……嫌。こんな顔で、外に出たくない。 
 凄く寒い朝。わたしは、布団を被ってしばらくゴロゴロしていたんだけど。 
 遠慮がちなノックの音に、仕方なく身を起こした。 
 気がつけば、一緒に寝ていたルーミィとシロちゃんもいない。……朝ごはんでも食べに行ったのかな? 
「はーい」 
「……起きてんなら、下りてこいよ。朝飯できてんぞ」 
 びくり 
 ドアの外から響いた声は……1番聞きたくて、1番聞きたくない声。 
 駄目。今は顔を合わせられない。 
「……いらない」 
「ああ?」 
「いらない。一人にして」 
「……おめえなあ。何か変だぜ。こないだから。どーしたんだよ……入るぞ」 
「駄目!!」 
 思いがけず強い声が出た。 
 開きかけたドアが、ぴたりと止まる。 
 自分の声に、自分で1番驚いてしまったけれど。 
 口をついて出た言葉は……思っていることとは全然違う言葉。 
「トラップには……関係無いでしょ」 
 嘘。ひどい嘘。 
 トラップのことばかり考えてこうなったのに。 
 せっかく心配して見に来てくれたのに。わたしは……何で、こんなことばっかり言っちゃうんだろう。 
 ドアの外は、しばらく沈黙していたけど。 
「……勝手にしろ」 
 吐き捨てるような小さな声。階段を下りる音。 
 ……ねえ、どうして。 
 様子を見に来たのは、あなたなの? 
  
 そうやって、ご飯も食べずにベッドにこもっていたんだけど。 
 階下から微かに響いてくるにぎやかな声に耐えられなくて……外に出ることにした。 
 少しは、顔の腫れもひいたしね。 
 階段を下りて、そっと下をうかがうと、マリーナとルーミィが楽しそうに何かを作っていた。 
 ノルとキットンが、部屋を掃除していて……クレイとトラップの姿は、見えない。 
 その光景は、とても暖かくて……とてもわたしが入っていける雰囲気じゃなかった。 
 みんなに気づかれないように、そっと家を出る。 
 ……わたしの居場所は、どこにも無い。 
 ううん、違う。無いんじゃない。 
 居場所はあったのに。みんなが作ってくれたのに。待っていてくれたのに。 
 それを拒絶してしまったのは、わたし。 
 ……バカだなあ、わたし。何、してるんだろう。 
 そのまま歩き出す。今日はお財布さえも持っていない。 
 昨日よりもさらにひどい。ただ、気が向くままにフラフラしているだけ。 
 駄目、このままじゃ、また迷っちゃうよ……? 
 心の声がそう告げているんだけど。……足を止められなかった。 
 いっそ、このままどこかに行ってしまいたい。 
 こんな思いをするくらいなら…… 
 こんな思いを抱えたまま傍にいても、きっと、誰のためにもならない。 
 みんなに気を使わせて、トラップに嫌な思いをさせて、そしてわたしが嫌な思いをするだけ。 
 それくらいなら…… 
 傍にいたい、なんて思うべきじゃ、ないのかもしれない。 
 このまま、離れてしまった方が、いいのかもしれない。 
 わたしは、フラフラと歩いていった。 
  
 我に返ったのは、冷たい雨が頬を打ったから。 
 ああ、そう。今は真冬だけれど、雪が降るほどには寒くもなく、だけどただジッとしている分には耐 
えられないほど寒い、そんな日。 
 気がついたとき、わたしは、エベリンの外に出てしまったんじゃないか、と思ってしまうくらい、街 
の中とは思えない場所にいた。 
 鬱蒼と木が生い茂った森のような場所。気がついたら、わたしはその中でもひときわ大きな木に背中 
を預けて、空を見上げていた。 
 雨はどんどん勢いを増して、わたしはたちまちずぶぬれになった。 
 ……寒い。 
 よく考えたら、わたしって、コートも着ないで外に出てきちゃったんだよね。 
 ああ、本当に……バカだなあ。バカなこと、してるな…… 
 息が白い。震える身体を抱きしめて、少しでも雨を避けようと木の葉の下に身を縮める。 
 このままじゃあ、風邪、ひいちゃうな。 
 戻りたい。 
 ちらっと浮かんだ考えを振り払う。 
 拒絶してきたのはわたしなのに。今更戻りたいなんて、虫が良すぎる。 
 居場所が無いって決め付けて、離れたいと一瞬でも願ったのはわたしなのに。わたしは……いつのま 
に、こんなに嫌な子になったんだろう? 
 落ち込んでもすぐに立ち直る、それがわたしだったはずなのに。 
 それに…… 
 どうせ、戻りたくても戻れない。ここがどこかもわからないから。 
 このまま、雨に打たれて、風邪をひいて……そのまま死んじゃうんじゃないか。 
 そんな考えさえ浮かんだときだった。 
 雨にけぶる風景の中に、ひときわ鮮やかな色彩が浮かんだのは。 
 赤とオレンジと緑。灰色に曇る風景の中で、ひときわ目立つ色合い。 
 ばしゃばしゃと雨をはねとばして、息を荒くしながら……その人影は、わたしの前に立った。 
 ……何で。 
 望んだときは、来てくれなかったのに。 
 どうして、こんなときに…… 
「トラップ……」 
「おめえはっ……こんなとこで、あに、やってんだよっ!!」 
 炸裂する怒鳴り声。その声は、ひどく興奮している。 
 肩を揺らして、大きく息をつく。その身体は、わたしと同じようにずぶぬれ。 
 ……捜しに来てくれた? こんな、雨の中を? 
「どうして……」 
「……あん?」 
「どうして、捜しに来たりするのっ!!」 
 叫んだ言葉。浮かぶ涙。 
 違う、こんなことが言いたいんじゃない。本当は、すごく嬉しいくせに。 
 嬉しいことを認めたくなくて、わたしは叫んでいた。 
 期待させないで。諦めようとしているのに、気をひくようなことしないで。 
 どうして、意地悪なことばっかり言うくせに……優しいの? 
 わたしの言葉に、トラップは最初、酷く驚いたみたいだけど……その顔が、怒りに強張るのに、さし 
て時間はかからなかった。 
「おめえなあっ! 心配ばっかりかけて……迷惑ばっかりかけて! んで、その言い草か? 迷子にな 
ってたくせに、捜しに来てくれた人間によくんなことが言えるな?」 
「心配してなんて、言ってない……」 
 そうよ、心配してなんて言ってない。 
 放っておいてほしかった。トラップにだけは放っておいてほしかった。 
 そうすれば、好きにならずにすんだのかもしれないのに!! 
「心配してなんて頼んでない、捜してなんて言ってない、わたしのことなんかもう放っておいて!!」 
「おめえはっ……ああ、そうか。そうだよな」 
 トラップは、一瞬怒りに我を忘れかけたみたいだけど……すぐに、その顔に、皮肉げな笑みが広がっ 
た。 
「悪かったな、俺で」 
「……?」 
「悪かったな、クレイじゃなくて」 
 ずきん。 
 誤解してくれた方が、いい。 
 そう思ったのはわたし自身のはず。だから、あえて誤解を解こうともしなかったのに。 
 今、改めて言われると……何て、胸が、痛いんだろう。 
「わりいな……何なら、ここにクレイ、連れてきてやろうか? あいつも捜してるはずだぜ。みんな、 
おめえのこと心配して……悪かったな、余計なお世話で」 
 ………… 
 違う。 
 背を向けたトラップ。立ち去ろうとする気配。 
 駄目、もう……我慢できない。 
 どうせ、離れようと思っていた。今更元には戻れないって、そう確信した。 
 それなら…… 
「好き」 
 言ってしまえばいい。どうせ、元には戻れないのだから。それくらいならいっそ……完全に壊してし 
まった方がいい。 
 中途半端な状態は、もう嫌だから。 
「好き。あなたのことが、好き」 
 歩きかけたトラップの肩が、強張る。 
 振り向かないけど、行こうともしない。響くのは、雨の音だけ。 
「トラップがマリーナのこと好きなのは知ってた。……この間、デートしてたのも見たよ。思いが通じ 
て……よかったよね。そう思って、諦めようとしたんだけど。それでもっ!!」 
 それでも。わたしの言葉に、トラップがゆっくりと振り向いた。 
「あなたのことが、好き」 
 もう一度言葉を重ねる。 
 ふうっと心が楽になった。ずっとずっと、言いたくても言えなかった言葉。胸に秘めておくには重す 
ぎた言葉。 
 それを吐き出して、やっと少し、楽になれた。 
 後は、このまま忘れてしまえばいい。そう思った途端。 
 わたしは、力強い腕に、抱きすくめられていた。 
  
「……トラップ……?」 
「あんで……」 
 思わず名前を呼んだとき。返って来たのは、震える声。 
「あんで、んなこと言うんだよ……おめえ、何を勘違いしてやがる?」 
 ……え? 
「俺が……マリーナを好き? デート? 何の話しだよ、そりゃあ……」 
「っ……だってっ……」 
「諦めようとしてたのは俺の方だ!!」 
 わたしの言葉を強く遮る言葉。 
 ぎゅっと力がこもる腕。 
 トラップの声がつむぎ出す言葉は……まるで、夢のような言葉。 
「諦めようとしてたのは俺だ……おめえが好きなのはクレイだって、ずっと思ってた。この間おめえら 
を見たとき……やっぱ、俺の考えは間違ってなかったんだって。すっぱり諦めようとして……諦めきれ 
なかったのは俺だ……」 
「トラップ……?」 
 何、言ってるの……? 
 それは……それは、もしかして…… 
「好きだ」 
 耳元で囁かれる、甘い言葉。 
「おめえのことが好きだ。ずっと前から……」 
 トラップ…… 
 ああ、何で? まさか、こんなことがあるわけない。 
 わたしは……マリーナに比べて、美人じゃないし、スタイルだってよくない。何より……何も悪くな 
いマリーナに、勝手に嫉妬して、勝手に嫌な態度を取って、勝手に拒絶して…… 
 そんな、嫌な子なのに!! 
「嘘……」 
「あん?」 
「嘘。だって、信じられない。そんなこと……」 
「おめえ、なあ……」 
 寒さのせいで青白くなった顔に、優しい笑みを浮かべて、トラップは言った。 
「どうすれば、信じられる?」 
「…………」 
「何でもしてやるぜ。おめえが望むなら」 
「…………」 
「何でもして……いいんだな?」 
 どうして……そうなるのよ。 
 ああ、でも。拒否できない。 
 それは、きっと心の奥底で……わたしがずっと望んでいたことだから。 
 冷たく凍えた唇を塞いだのは、何よりも熱い、トラップのくちづけ…… 
  
 ぬくもりが、伝わってくる。 
 降りしきる雨の中、木に押し付けられるようにして、わたしはトラップを見上げていた。 
 熱いくちづけ。唇をこじあけて割って入って来る、柔らかく、暖かい感触。 
 ただひたすら、お互いを求め合って……わたし達は、どれだけそうしていたのか。 
 そっと首筋を撫でられて、びくりと身体がのけぞる。 
 そのまま、トラップの手が……わたしの胸元まで、おりてきた。 
 濡れてはりついた服を通して感じるトラップの手。その手に、微かに力がこもる。 
 ふっと唇が離れる。視線が合うと、トラップは声に出さずつぶやいた。 
 ――いいんだな? 
 大きく頷く。 
 その瞬間、トラップの手は……あっという間に、セーターをたくしあげていた。 
 もぐりこんだ手が、下着の間に滑り込み、直に胸に触れる。その手は、とても冷えていたけれど…… 
それでも、暖かい、と感じた。 
「忘れさせてよ」 
 トラップの耳元で囁く。 
 勘違いで勝手に傷ついたこと。傷つけたこと。 
 何もかも……今は、忘れたい。 
 幸せを、かみしめたいから。 
「何もかも、忘れさせて。トラップのことだけを、考えたいから」 
「……優しく出来ねえかもしんねえけど、いいのか?」 
 構わない。そうつぶやいた瞬間。 
 手の動きは、激しさを増した。 
 唇に、頬に、首筋に、胸元にふってくるキス。全身をかけめぐるのは、くすぐったいような、不思議 
な感覚。 
 これが、快感……? 
 それは、あっという間のようでいて、とても長い時間。 
 気がついたとき、わたしのセーターは完全にまくれあがり、下着はいつのまにかずりおろされていて 
…… 
 とても寒かったはずなのに。全身が上気して、とても熱かった。 
 声が漏れる。こんなところに誰もいないと思いつつ、もしも誰か来たら……と必死に抑えていたのに。 
 たまらず悲鳴のような声をあげてしまう。 
 わたしが声をあげるたび、トラップの息は段々荒くなって…… 
 気がつけば、膝の間に、彼の脚が割って入ってきていた。 
 明らかに雨じゃないものが、太ももを濡らす感覚。 
「やあっ、トラップ……も、もう……」 
 何て言おうとしたんだろう。 
 自分でもよくわからないんだけど、そう言った瞬間、トラップはにやり、と笑って。 
 そして。 
 激痛が、貫いた。 
  
「――――っ!!」 
 あんなに痛かったことは、初めてだった。 
 悲鳴をあげたくてもあげられない。声が喉の奥にはりついてしまうような痛み。 
 トラップの腕に抱えあげられるような格好で、視線がからみあう。 
 彼の目は、不安そうにわたしを見ていて…… 
 あまりの痛さに涙がにじんできたけど、わたしは無理やり笑顔を作った。 
 わたしが望んだんだから。 
 痛くても辛くても、それはわたしの望んだことだから。 
 やめないで欲しい。幸せだから。そうやって心配してもらえることで、自分が彼に思われているんだ 
と実感できるから。 
 軽く首を振って、首にしがみつく。トラップの腕が、ゆっくりとわたしの身体を揺さぶった。 
 微かな刺激。走る痛み。そして、痛みの中に、確かに残る快感。 
 ああ、これが。 
 愛されてる――そう思って、いいのかな。 
 どちらが先に力を抜いたのかはわからないけど。 
 雨の中、わたし達が脱力して座り込むまでの時間は、とても長く……そして。 
 とても、幸せな時間だった。 
  
 いつの間にか、雨はやみかけていた。 
 わたし達は、しばらくものも言わずに抱き合っていたんだけど。 
 やがて、トラップに手を引かれた。そのまま立ち上がって歩き出す。 
「……どこに行くの?」 
「ばあか、帰るんだよ……言っただろ。みんな心配してんだよ」 
 トラップの言葉がぶっきらぼうなのは、きっと照れ隠し。 
 その証拠に、彼は決して振り返ろうとはしなかったけど……背後から見える耳は、とても真っ赤だっ 
たから。 
 さっきの出来事は、夢じゃない……そう思えた。 
 しばらく黙って歩き続けたんだけど。 
 やがて森を抜けて、街中に入ったときだった。 
「ちょっと待ってろ」 
 それだけ言うと、トラップは走り出した。 
「ちょ、ちょっと、トラップ!?」 
「動かずにそこで待ってろ!!」 
 言葉だけ残して、トラップの姿はあっという間に消える。 
 な……何なの? 
 わたしはしばらくぽかんとしていたんだけど。 
 待つほどもなく、すぐにトラップは戻ってきた。そして、わたしの手をつかんで、さっきよりも早足 
で歩き始める。 
 な、何? 
 そう聞こうとしたとき。トラップはぽつんとつぶやいた。 
「おめえさ、忘れてただろ?」 
「……え?」 
 何を? 聞き返すと、呆れたようなため息が返って来た。 
「最近、みんなの様子が変だって、思わなかったか?」 
「そ、それは……」 
 思ってた。それで、わたしがのけ者にされていると感じていた。 
 そう言おうとして慌てて口をふさぐ。そんなわけがない。みんながそんなことをするわけがないんだ 
から。 
「やっぱりな。俺達がエベリンに来たのはな、別に買出しが目的じゃなかったんだよ」 
「……え?」 
「マリーナに呼ばれたんだよ。祝ってやりてえから、こっちに来ねえかって」 
「祝うって……」 
「ほれ、ついたぞ」 
 どん、と背中を押される。目の前にあるのは、ここ数日すっかりお馴染みになったマリーナの店。 
 窓からは明かりが漏れていた。微かなざわめきも聞こえる。 
 ……みんな、いる……のかな? 
 トラップを振り向くと、彼は、くいっと顎でドアをさした。開けろ、ってことかな? 
 がちゃり、とのぶを回す。その瞬間…… 
 ぱんぱんぱーんっ!! 
 耳鳴りがするくらい激しい音が、炸裂した。 
 え? え? な、何……? 
 目をまわしそうになっていると、中から飛び出してきた誰かが、わたしに抱きついた。 
「やっと……戻ってきた! 心配したんだから!!」 
「ま、マリーナ?」 
 わたしにしがみついているのはマリーナ。部屋の中には、クレイ、キットン、ノル、ルーミィにシロ 
ちゃんと、みんなが勢ぞろいしている。 
 手に持っているのはクラッカー。部屋のテーブルには、大きなケーキと、豪華な食事。そして、部屋 
に色とりどりに飾り付けられているテープ。 
 え……? 
「ハッピーバースディパステル! 誕生日、おめでとう!!」 
 全員の声が、一斉にはもった。 
 ……ああ。 
 どうして、信じてあげなかったんだろう。みんな、こんなに、いい人たちなのに…… 
 頬を伝う涙は、とても暖かかった。 
  
 わたしとトラップが着替えて戻ってくると、ケーキのろうそくに火が灯されていた。 
 誕生日。去年は、離れ離れになっているうちに終わっちゃったんだよね。 
 ああ、だから、みんな、こんなに手のこんだことをしてくれたんだ。 
 わたしの前には、みんながそれぞれすごく頭をひねって考えたんだろう、と思われるプレゼントの数 
々。 
 そのどれもが、シルバーリーブではなかなか見つけることができないような洒落たもので……ここ数 
日、みんながしょっちゅう出かけていた理由が、やっとわかった。 
 料理はとても美味しかった。ケーキはマリーナとルーミィの手作りだって。 
 わたし……こんないい人たちと、一瞬でも離れようと思ったなんて。 
 みんなは、こんなにわたしのことを考えてくれたのに。 
「このごろ、パステル、元気なかったでしょう?」 
 マリーナがそっと言ってきた。 
「もしかしたら、何か誤解してるんじゃないかと思って、心配してたの。……ねえ、誤解は解けた?」 
 ううっ、ごめんね、本当にごめんねマリーナ。 
 わたし、あんなに嫌な態度取ったのに。何ていい人なんだろう。 
「うん! ごめんね、マリーナ、色々と……ごめんね、それと、ありがとう!!」 
 わたしが満面の笑みで言うと、マリーナは、「やっとパステルが笑ってくれた」と嬉しそうに笑った。 
 そして、パーティーもそろそろ終了する、という頃…… 
「おい」 
 軽く袖をひっぱられる。振り返ると、ちょっと赤くなったトラップが、外を指差していた。 
 ……何だろう? 
 みんなは、思い思いにしゃべったり料理を食べたりしていて、こっちには気をとめてないのを確認して、トラップの後をついていく。 
 外に出ると、寒さが身に染みた。 
「何?」 
「……誕生日、おめでとう」 
 ぐいっ、と突き出されたのは、小さな箱。丁寧に包装紙でくるまれて、リボンをかけられている。 
 これって…… 
「おめえに、何が似合うか色々考えたんだけど……俺のセンスって、おめえと違うみてえだから。マリ 
ーナに色々アドバイスもらったんだよ。気に入るかどうか、わかんねえけど」 
 マリーナに? 
 それは、もしかして……わたしが見た、あの光景? 
 ううん、いいや。もうどっちでも。 
「開けてもいい?」 
 わたしの言葉に、軽く頷く。しゅるっとリボンを解くと、中から出てきたのは…… 
「トラップ、これ……」 
「二月の誕生石は、アメジスト……だったか?」 
 キラッ、と月の光を反射するアメジスト。 
 これ……いいの? もらっちゃって、本当に…… 
 わたしが震える指で「それ」をつまみあげると、トラップは、柔らかい笑みを浮かべていった。 
「ちなみに、はめるのは……ここな」 
 その日、わたしの左手の薬指に。 
 紫色の石がはまった指輪が、飾られることになった。 

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