いつから気になってたのかはわかんねえ。 
 だけど、決定的だったのは、あのときじゃねえかと思う。 
 最近、シルバーリーブでは、俺やらクレイやらにうるさくつきまとう女の集団ができた。 
 ま、当然だけどな。やっと世間も俺の魅力に気づいたってこった。 
 そう思うと悪い気はしねえが。 
 あれだけは……ちょっとまずいだろ。 
 偶然見たのは、つきまとっている女どもがパステルを囲んでいる光景。 
 切れ切れに聞こえてくるのは、「べたべたするな」だの「お荷物のくせに」だの……その言葉だけで、 
十分に状況を確認できるような言葉だった。 
 瞬間、かっと頭に血が上るのを感じた。 
 パステルは確かに方向音痴のマッパーだ。そのせいで迷惑かけられたことも多い。魔法が使えるわけ 
でも剣の腕が立つわけでもねえ。外から見たら、役立たずに見えるかもしれねえ。 
 だけど、俺達パーティーには、あいつは絶対必要な存在なんだよ。 
 あいつがいなきゃ、俺達は一緒にいることができなかったんだからな。 
 気がついたら、女どもに声をかけていた。 
 ここで、俺がパステルを庇ったって状況は悪化するだけだ。そうわかっちゃいたけど、止められなか 
った。 
 何やらぶつぶつ言い訳めいたことを言う女達を追い払ってパステルに目をやると、あいつは……泣い 
ていた。 
 「情けねえ」とか口で言いながら、そのとき俺は思ったんだよ。 
 こいつを、守ってやりてえって。 
 おめえは必要な存在だって。ずっといてほしい、って、そう心から思った。 
 それ以来、俺の目は、自然にあいつを追いかけるようになった。何をしているのかが気になって仕方 
がなかった。 
 自分の気持ちに気づかねえほど、俺は鈍くねえ……認めざるをえなかった。 
 俺は、あいつに……パステルに惚れてるんだと。 
  
 この気持ちを知られちゃいけねえ。 
 自覚したとき誓ったのはただ一つ、それだけだ。 
 パステルが好きなのは……どうせクレイに決まってる。 
 いつもそうだ。もう10年以上も一緒にいるが、女が最初に惚れるのは、いつもクレイ。 
 あの鈍感な幼馴染は、それに気づくことはほとんどねえけど、その橋渡しだの後始末だのを嫌という 
ほど頼まれた俺には、よくわかる。 
 だから、どうせ決まってる。パステルは、きっとクレイに惚れている。 
 だから、俺の気持ちは……知られちゃ、いけねえ。 
  
 その手紙が来たのは、1月の終わりのことだった。 
「郵便でーす」 
 そんとき、パステルはたまたま原稿を届けに行っていて留守で、後のメンツは全員宿で何かをしてい 
た。 
 俺は昼寝をしていたんだが、クレイに呼ばれて下におりた。そこではパステル以外がテーブルを囲ん 
でいて、その真ん中には手紙が広げられていた。 
「あんだよ。どーしたんだ?」 
「マリーナから手紙が来たんだ」 
「マリーナ?」 
 マリーナは俺とクレイの幼馴染だ。小せえときはずっと一緒に暮らしてたからな。言ってみれば俺に 
とっちゃ妹みてえなもんか? 
 頭も切れるし気はきくし、何より美人でスタイルもいい。 
 俺は密かに、マリーナはクレイに気があるんじゃねえかと踏んでるんだが……さて実際はどうなのや 
ら。 
 もしそうだとしたら、すげえお似合いのカップルだと思うんだけどな。 
 バカなことを考えながら手紙を取り上げる。宛名はクレイ宛になっていたが…… 
  
 ――ひさしぶり! みんな元気? 
 最初に言っておくね。この手紙、パステルにだけは見せないで。 
 不思議に思われるかもしれないけど、読んでもらえればすぐに意味がわかると思うわ。 
 二月三日、パステルの誕生日よね? 
 去年の誕生日、確か、みんなと離れている間に誕生日が終わってしまったのよね。 
 わたしもお祝いしてあげられなかったわ。それがすごく心残りなの。 
 だから、今年は派手に祝ってあげたいんだ! ねえ、何とか口実をつけて、エベリンに来れないかし 
ら? 
 シルバーリーブじゃあ、パーティーの準備してるってことがすぐばれちゃうでしょ? 
 来てもらえるなら、わたしの家を提供するんだけど、どう? 
 いい返事を期待してるわね! 
                             マリーナ 
                              
 何ともあいつらしいと言うか。 
 手紙をクレイに返すと、全員の視線が集中する。 
 もちろん、それは「どうする?」という意味じゃねえ。「何て口実でエベリンに行く?」だ。 
 俺達が、こんなこと言われて、「行かねえ」なんて、言うわけねえだろうが。 
 確かに、去年はキスキン国の姫さんと交代してる間に誕生日が過ぎていた。 
 せっかく渡した誕生日プレゼントも、その後の火事騒動でほとんど燃えちまった。 
 あのときの寂しそうなパステルの顔は、今でも覚えてる。 
 だったら、今年は盛大に祝ってやりてえ。それは、きっとみんな同じ考えだろうな。 
 もちろん、俺にも依存はねえ。 
 大体、あいつはこういうイベントが好きな奴で。 
 誰かの誕生日となると、率先して祝いだプレゼントだと色々計画する奴だったからな。 
 だから、俺達も、あいつの誕生日にできることはしてやりてえ。 
 そして俺達は計画を練ることにした。 
  
 帰ってきたパステルに、さりげなさを装ってクレイがエベリン行きを計画すると、パステルも特に反 
対はしなかった。 
 まあ、エベリンの方が色々物が揃ってるのは確かだしな。冬から春にかけて色々準備が必要なのは本 
当のことだ。 
 ただ、エベリン行きが決定した後、パステルの顔が何となく暗いように見えたのは……何でなんだろ 
う? 
  
 エベリンの街は相変わらずだった。 
 あっちこっちで賑やかな声が響いている。 
 必要なものの買出しはあっという間に終わった。ここからが、俺達の腕の見せ所だ。 
 エベリンっつーのはいるだけで何かと金がかかるからな。宿代もバカになんねえし。何しろ、俺達は 
貧乏パーティーだからな。財布を握ってるパステルのことだ。終わったらすぐに帰ろうと言い出すに決 
まっている。 
 案の定、「じゃあ帰ろうか」と言い出したパステルを、あの手この手で引き止めるのはなかなか骨が 
折れた。 
 何しろ、こういうことは本人にばれないようにやらねえと意味がねえからな。どうせ、あいつが気に 
してるのは金のことだろうと踏んで、俺が切り札である「マリーナの家に泊めてもらう」を出すと、や 
っと納得した。 
 影でほっとしたもんだぜ。もし「マリーナに悪い」とか言い出したら、何て言い訳しようかひやひや 
したところだ。 
「あら、あなた達ならもちろん大歓迎よ。ここでよければいつまでだってどうぞ」 
 自分から言い出したことのくせに、さも俺達に頼まれた風を装うマリーナの演技は見事なもんだった。 
 白々しい挨拶をかわして、目だけで笑いあう。 
 誕生日まで、後数日。準備する時間はたっぷりある。 
 プレゼントを用意して、料理の準備をして、飾り付けの準備をして、やることはいくらでもある。 
 それをパステルにばれねえようにやるのは、大変だぜ? 
 こっそりそう言うと、「望むところよ」とマリーナは笑った。 
 そうして、俺達は数日をエベリンで過ごすことになった。 
  
 それから数日は本当に忙しかった。 
 何しろ、一緒に暮らしてるわけだからな。準備はぎりぎりまで外でやることになった。 
 みんなして外で集まって計画を立てたり、プレゼントを下見したり、料理の材料を買い出したり。 
 結果として、パステルと顔を合わせるのはほとんど食事のときだけ、っつー有様だが。 
 日が経つにつれて、あいつの顔から元気がなくなってくのは……何でなんだ? 
 みんな忙しくて、あいつは一人で家にいることが多いからな。そのせいで気が滅入ってんのかもしれ 
ねえな。 
 わりいな、パステル。もうしばらくの辛抱だぜ。 
 寂しそうなパステルを見て、影でこっそり手を合わせたもんだが。 
 全てが崩壊したのは、二月二日……誕生日前日のことだった。 
  
 決まらねえ。 
 通りを歩きながら、俺は悩んでいた。 
 誕生日プレゼント。ある意味、もっとも重要なもの。 
 だが、何をやればいいものか。 
 あいつは、俺にとっては特別な女だ。例え本人が気づかなくても、何か特別なもんをプレゼントして 
やりてえ。 
 そうすると、菓子とか食ったらなくなるものは却下だな。何か形に残るもんだろ。 
 かと言って……女って、何をやれば喜ぶんだ? 
 夏場に俺が愛用していた緑のタイツを、パステルはいつも「趣味が悪い」だの「センスが悪い」だの 
言ってたからな。どうも俺とあいつでは好みにずれがあるようだ。 
 俺のセンスで選んだもんを、果たして喜んでもらえるもんだろうか。 
 あーっ、くそっ。何でこんなに悩まなきゃいけねえんだ!! 
 店先に並ぶどこが可愛いのかさっぱりわからんぬいぐるみを見て頭をかきむしっていると、ポン、と 
肩を叩かれた。 
「うおっ!?」 
「何してるのよトラップ」 
「マリーナ?」 
 この俺に気配すら気づかせねえとは……やるな。 
 マリーナは、腕に小さな袋を抱えて、にやにやと俺を見つめている。 
 ……こいつは昔から鋭い奴だったからな。ぜってー気づいてんだろうな。 
「マリーナ、おめえ、プレゼント用意したか?」 
「当たり前でしょ? これよ」 
 手に持っていた袋を、目だけで示す。 
「何買ったんだ?」 
「香水よ。パステル、なかなかお洒落する機会が無いみたいだけど、こういうのは、持ってるだけでも 
嬉しいものなのよ、女って」 
 香水、ねえ。 
 んなもんつけて、何が楽しいんだか。 
 俺が理解できねえ、という顔をすると、マリーナは俺が見ていたぬいぐるみを見て、ためいきをつい 
た。 
「で? どうせあんたはまだ用意してないんでしょ? 何にするか決めたの?」 
「……うっせえな。んな簡単に決まるようなら、こんなところにいねえよ」 
 こいつ相手に見栄をはったってしょうがねえ。どうせ見抜かれるんだからな。 
 俺がそう言うと、マリーナはうんうんと頷いて言った。 
「まあねえ。なかなか難しいわよね。……よかったら、選ぶの手伝ってあげましょうか?」 
「お? いいのか?」 
「あんたにまかせると、とんでもないもの選びそうだからね」 
 ……どういう意味だよ、そりゃあ。 
 だがまあ、願ってもねえことだ。マリーナにまかせりゃ、きっといいアドバイスをくれるに違いねえ。 
 そうして、俺達は店をまわってみることにした。 
  
 アクセサリーだの小物だの。 
 マリーナが示すものは、どれもそれなりにパステルが喜びそうなもんだったが。 
 どーもありきたりというか……ぴんとこねえ。 
「あんたねえ。一体どんなものをプレゼントしたいのよ?」 
 俺が顔をしかめていると、マリーナにどつかれた。 
 まあ、自分が選ぶもんにことごとく駄目だしされりゃあな。そりゃむっとするだろうが。 
「何つーかな、もーちっとこう……俺にしかできないっつーか……特別なもんがいいんだよ」 
 俺がそう言うと、マリーナの目がきらりと光った。 
 ……何か、すげえ嫌な予感がするぞ。俺、もしかしてものすげえまずいこと言ったんじゃねえ? 
「そういうことは早く言ってよ。それなら……これでしょ?」 
 そう言ってマリーナにひきずられていった先は……アクセサリー屋。 
 指差しているのは、紫色の石がはまった指輪。 
 おいおい、結構高えぞ? っつーか、何でこれが特別なもんなんだよ? 
「アクセサリーねえ……ありきたりじゃねえ?」 
「はあ? あんたバカじゃないの?」 
 マリーナは腰に手をあてて、呆れたように言った。 
「愛する女性に贈る指輪の、どこがありきたりなのよ!!」 
 ぶはっ!! 
 これは不意打ちだった。俺は思わずまわりを見回したくれえだ。万が一にもパステルに聞かれたら、 
洒落になんねえぞ? 
 まあ、当たり前だけど、周囲に知り合いはいなかった。ただ、見知らぬ客が、こっちを見てくすくす 
笑ってやがったが。 
「お、おめえなあ! いきなり何を言い出すんだよ!!」 
「何言ってんの。あんたの気持ちなんてね、ばればれだって。気づいてないのはパステル本人くらいじ 
ゃない? ああ、ルーミィとシロちゃんもかな。それ以外は全員知ってるわよ、とっくに」 
 ……マジかよ。 
 必死に隠してきたつもりなのに……結構ショックだぞ、それ。 
「だ、だけどなあ。んなもん渡したってしょうがねえだろ? あいつは、クレイのことが……」 
「はあ? 何でそこでクレイが出てくるのよ」 
「何でって……」 
「あんたねえ……」 
 マリーナは、付き合いきれんといったように首を振った。 
「そりゃあね。今まで散々クレイにばっかり女の子の視線が集中してたから、信じられない気持ちはわ 
かるけど……パステルのクレイを見る視線は、ただの友達よ、友達! 家族でもいいわ。お兄さんとか 
お父さんとか。どっちにしろ、異性を見る目じゃないわね」 
「…………」 
 本当か? それは……俺にとっては、かなり嬉しい情報なんだが。 
「女の目から言わせてもらうんだから確かよ。わたしの目から見れば、パステルが見てるのはクレイよ 
りむしろ……」 
 そこでマリーナは意味ありげに笑って言った。 
「まあ、わたしにアドバイスできるのはここまでね。後はあんた次第よ。……言っておくけどね、言わ 
れないとわからない人だっているんだから。やらないうちから諦めるなんてあんたらしくないわよ、ト 
ラップ」 
 それだけ言うと、ひらひらと手を振って外に出る。 
 ……指輪、ねえ。 
 ひょいとつまみあげる。はまっている石は、見覚えのねえものだが…… 
「プレゼントですか?」 
 そのとき、店の売り子がにこにこしながら近寄ってきた。 
 げっ、まだ買うって決めてねーんだけど。 
「あー、まあ……な。なあ、この石、何だ?」 
「はい、アメジストですね」 
「アメジスト?」 
「石言葉は誠実と平和。もっとも美しい紫色に例えられ、二月の誕生石となっております」 
 ……なるほど。 
 誕生石なら、まあ……言い訳はきくか。 
 気がつくと、俺は財布を取り出していた。 
  
 ポケットの中にプレゼントをつっこんで、マリーナの家に戻る。 
 パーティーは明日。できれば、ぎりぎりまで黙っておきたい。明日は、誰かがパステルを外に連れ出 
す予定だが、結局誰がやることになるんだか。 
 そんなことを考えながらドアをくぐると、血相変えたクレイとぶつかった。 
「おいおい、何の騒ぎだ!?」 
「パステルが戻らないんだよ! 捜しに行くぞ!!」 
 前後の状況をすっぱり省略して、クレイが駆け出していく。その後を、ばたばたとノル、キットンが 
続いた。 
 玄関から中を覗くと、心配そうに眉をひそめたマリーナが、ルーミィをシロを抱えて座っていた。 
「おい、どういうことだ?」 
「パステルが、出かけたまま帰ってこないのよ。もうこんな時間だし……わたし達、最近パステルのこ 
と全然構ってあげなかったでしょう? 最近いつも寂しそうだったから気になってたんだけど……だか 
ら、余計心配で」 
 ……確かにな。 
 食事のときも、たまに顔を合わせるときも、あいつの持ち味である明るさとか笑顔とかが、最近すっ 
かり消えていた。 
 何か……変な勘違い、してなきゃいいけどな。 
「トラップも捜しに行ってくれる?」 
 言われるまでもねえ。 
 俺は、くぐったばかりのドアから再び外にとびだした。 
  
 全く、あいつはいつになったら慣れるんだ? 
 エベリンに来るたびに迷子になって、そのたびに俺が捜す。いいかげんにしてくれ。 
 一体どんだけ心配かけりゃ、気がすむんだか。 
 街中を歩き回るが、見慣れた蜂蜜色の頭は見つからねえ。 
 あいつの方向音痴はある意味天才的だからな。普通ならこんなとこまで行かねえぞ、ってとこまで平 
気で歩いて行きやがる。 
 ちっと捜す範囲を広げた方がいいか。 
 そうして、俺が街外れまで来たときだった。 
 その光景が、目にとびこんできたのは。 
「…………」 
 マリーナ……おめえ、言ったよな? 
 パステルのクレイを見る視線は、どう見ても異性を見る視線じゃねえって。 
 じゃあ、目の前に広がってるあれは……一体何だ? 
 人通りが途切れた街外れ。 
 俺の目の前には、見慣れた黒髪の幼馴染と、蜂蜜色の髪をした……最愛の女。 
 その二人が、抱き合っているその光景は……多分、今まで見たどんな光景よりも残酷だ。 
 パステルの表情は背を向けていてわからねえが……視線を感じたのか、顔をあげたクレイと、ばっち 
り目が合った。 
 クレイの顔が強張った。……何て声かければいいのかわからねえ。どうすりゃいいんだよ、一体。 
 その様子に気づいたのか、パステルもこっちを振り向いた。 
 頬には涙の跡が見える。クレイの胸にしっかりとしがみついて……俺の方を見ていた。 
「トラップ……」 
 その声にこめられたのは、困惑と非難。 
 ……やっぱりな、俺の勘は、当たるんだよ。 
「……わりい。邪魔したな……ごゆっくり」 
 他に、何を言えばいい? 
 俺は、手だけ振ると、即座に背を向けた。 
 ……見てられるか。あんな光景。 
 嫉妬で狂いそうになる。……わかってたはずなのに。 
 わかってたはずだ。どうせパステルはクレイのことが好きに決まってると、そうわかっていたはずな 
のに。 
 マリーナの奴が、期待を持たせるようなことを言うから……勘違い、しちまったじゃねえか。 
 ……諦めるしかねえって、わかってたはずなのに。 
 何で……こんなに苦しいんだ? 
 ポケットに入れた箱が、やけに重たかった。 
  
 すぐに家に戻る気にはなれなかった……今顔を合わせたら、絶対マリーナにやつあたりしちまう。 
 マリーナは何も悪くねえ。あいつはただ思ったことを言っただけで、その予想が外れてたからって、 
俺が怒るのは筋違いってもんだ。 
 エベリンの街をうろついて、家に戻ったとき。 
 すでに、パステルとクレイは帰ってきていて……部屋に引き上げた後だった。 
 ありがてえ。顔合わせるのは、気まずいからな。 
 今夜は部屋じゃなくソファーでも借りて寝よう、そう思って一階の部屋へ向かったときだった。 
「トラップ」 
 不意に声をかけられて、びくりと振り返る。 
 そこに立っていたのは、疲れた様子のマリーナ。 
 ……ああ、そうか。 
 そういや、マリーナはクレイのことが好き……なのかもしれねえ、って思ってたんだよな。 
 もしかしたら、その予想は大当たりか? ……だとしたら、俺達、立場が同じだな。 
「よう、マリーナ。……おめえの勘も、たまには外れるんだな」 
 皮肉めいた口調になるのを抑えられずに言うと、マリーナの目に非難の色が灯った。 
「あんた、何言ってんの……?」 
「何って……あのな。俺は今ちっとばかりショック受けてんだよ。改めて説明させんな」 
 どうせ、見たらわかっただろ。そう告げると、何故か…… 
 マリーナの張り手が、頬に炸裂した。 
「ってえな!! あにすんだよいきなり!」 
「バカ! バカバカバカ! あんた何もわかっちゃいない、パステルやクレイのこと鈍いなんて言えな 
いわよ!?」 
「あんだと!?」 
 いくら何でも、俺はあいつらほど鈍くねえぞ。何が言いてえんだ? 
「何なんだよ!!」 
「自分で考えなさいよ……もう、本当にバカ!! あんた、何でパステルが泣いてたと思ってるのよ 
!!」 
 それだけ言うと、マリーナは肩を震わせながら階段を上っていった。 
 ……はあ? 何が、言いてえんだよ。 
 パステルが泣いてた理由? んなの…… 
 長年の思いが実った、嬉し涙じゃねえ? 
 考えるのも辛くなって、俺はソファーに横になった。 
  
 翌朝。パステルの誕生日。 
 本来なら、明るい笑いが絶えねえはずの朝食の席は……どうしようもなく重たかった。 
 パステルの奴はおりてこねえし、マリーナは露骨に不機嫌だ。クレイは困惑した目で俺を見ているし、 
事情を知らない他の三人と一匹はとまどっている。 
 ……ったく。何だってんだよ、一体。 
 パステルを喜ばせるための企画だったんだろ? なのに……何でこんなことになるんだよ。 
 重たい状況に耐えられなくなったか、ノルとキットンはルーミィとシロを連れて、そそくさと食堂を 
出た。 
 「飾り付けの準備……してきますね」とはキットンの言葉だが、果たしてその必要があるかどうか。 
 下手したらパーティー自体がおじゃんになりかねねえぞ、この状況。 
「……トラップ」 
 そのとき、詐欺にあったってここまで不機嫌にはなるめえ、という顔で、マリーナが言った。 
「パステルを起こしてきて。朝ごはん食べないと、身体に悪いじゃない」 
「はあ?」 
 何で俺なんだよ。んなのクレイの役目だろうが。 
 さっとクレイに視線を走らせると、クレイの奴は即座に視線をそらした。 
 ……おい。 
「あのなあ、何で俺が。大体な、食いたくなったら勝手におりてくんじゃねえ? いちいち呼びに行く 
必要なんざ……」 
「わたしはあんたにパステルを呼んできて、って言ってるのよトラップ!!」 
 そう叫んでにらみつけてきたマリーナの目は……これまで19年ちょい生きてきた中でも、ベスト3に 
確実に入るくらいきつかった。 
 ……何を怒ってんだよ。そんなにショックか? クレイに振られたのが。 
 もうちっと、冷静な奴かと思ってたけどな。 
 やれやれとため息をついて立ち上がると、背後で「鈍い奴!」という声と「まあまあ」となだめてい 
るクレイの声が聞こえてきた。 
 ……まさか俺が言われるとは思わなかったな。「鈍い」とは、ねえ。 
  
 パステルの部屋からは、何の音もしねえ。 
 ……本当にまだ寝てんのか? 
 軽くノックしてみる。だが、 
「はーい」 
 返事は、すぐに返ってきた。……起きてんのかよ。 
「……起きてんなら、下りてこいよ。朝飯できてんぞ」 
 そう告げると、部屋の中は、水を打ったように静まり返った。 
 ……何だよ、その反応。 
「……いらない」 
 返って来たのは、この上なく素っ気無い拒絶の言葉。 
 瞬間、頭に血が上る。 
「ああ?」 
「いらない。一人にして」 
「……おめえなあ。何か変だぜ。こないだから」 
 何をすねてやがる。 
 そりゃあ、ここ数日、ずっとほったらかしにされて、寂しかったのはわからねえでもないが。 
 そんなに、おめえはみんなを信じられねえのかよ? 
 何かわけがあるって、思わねえのか? 
 第一……俺とマリーナ、二人を不幸にしてまで、やっと幸せを手に入れたんだろうが。すねてえのは 
こっちの方だ。 
「どーしたんだよ……入るぞ」 
「駄目!!」 
 ドアノブに手をかけた瞬間。 
 中から響いたのは、初めて聞くかもしれねえ、強い言葉。 
 俺を、拒否する言葉。 
 ……何で。 
 何で、ここまで言われなくちゃいけねえ? 
 俺が、一体おめえに何をしたって言うんだ。 
 確かに、俺はクレイみてえに優しくねえよ。きついことばっか言ってるって自覚はある。 
 けどな……ここまで、おめえに憎まれるようなことを……俺が、何をしたっていうんだ? 
 握っていたドアノブを離す。 
「トラップには……関係無いでしょ」 
「……勝手にしろ」 
 おめえが、そこまで俺を拒絶するのなら。 
 そこまで嫌われているのなら。 
 俺は…… 
  
 下に下りると、マリーナとクレイが深刻な表情で話し合っていた。 
 だが、俺が姿を見せると、二人はいっせいに振り向いた。 
 ……息ぴったりだな、本当に。 
 俺がぼんやりと考えていると、マリーナの低い声が響いた。 
「……パステルは?」 
「朝飯なら、いらねえってさ」 
 俺が投げやりに言うと、マリーナに胸倉をつかまれた。 
 おいおいおいっ! 何なんだよ!! 
「っ……あんた、それでまさかそのまま下りてきたの!?」 
「しゃあねえだろ!? あいつがいらねえって言うんだから!! ……それに、な」 
 ちらりとクレイに目をやる。あいつの目は、マリーナみてえに俺を責めている目じゃなかったが。 
 何故だか、哀れみをたたえた目で見られた。 
 ……何だよ、その目は。 
「それにな。拒絶したのはあいつだ。『トラップには関係ない』だとさ。そうまで言われて強引に部屋 
に押し入るわけにはいかねえだろうが!! そんなに飯を食わせたきゃ、クレイがいきゃあいいだろ。 
おめえなら……」 
「トラップ」 
 激昂して叫ぼうとしたらしきマリーナを遮ったのは、クレイだった。 
「ちょっと、こっちに来い」 
 そのまま、俺は外に連れ出された。 
  
 マリーナの家の裏手。人通りの少ねえ道で、俺とクレイは向き合っていた。 
 ……気まずい。 
「あんだよ」 
「お前さあ……絶対、何か誤解してるだろ?」 
「誤解?」 
 誤解も何も。俺は見たままの光景をそのまま信じてるだけだぜ? 
 そう言うと、クレイは壁に手をついてはーっ、とため息をついた。 
「あのさあ……念のために言っておくけど、俺とパステルは何でもないからな」 
「はあ?」 
「だから……俺とパステルは別につきあってるわけでも何でもないって」 
「ああ?」 
 バカ言え。じゃあ何で抱き合ってたりしたんだ。 
 俺が目で訴えると、クレイは疲れたように額に手を当てた。 
「だからなあ、誤解してるだろうからちゃんと話せって言ったのに……二人とも素直じゃないから。あ 
のさ、あのときのあれはな、パステルを見つけたのがたまたま俺だった、それだけだぜ?」 
「はああ?」 
 意味がわからねえ、どういうことだ? 
「だから……俺が見つけたとき、もうパステルは泣いてたんだよ。何があったのかはそのときはわから 
なかったど、ひどくショックを受けてた。そこにたまたま知り合いが現れたから、辛い思いをぶつけた 
くなっただけなんだって。パステルを見つけたのがノルだろうとキットンだろうとルーミィだろうと、 
多分パステルは同じ行動を取ったな。でも」 
 そこで、クレイは意味ありげに俺を見た。 
「見つけたのが、トラップ、お前だったら……また状況は違ったと思うけどな」 
「はあ? 何だよそれ」 
「……お前、あの日、マリーナと買い物してたんだろ?」 
 はああ? 
 クレイの言いたいことが本格的にわからなくなって、俺は間の抜けた声をあげた。 
 ああそうだ。確かに、昨日の昼間、マリーナにプレゼントを選ぶのにつきあってもらった。 
 だけど、それが何だっつーんだよ? 
「だから……お前さあ、俺やパステルのこと鈍い鈍いって言うけど、お前だって人のこと言えないぜ?」 
「ああ? バカ言え。おめえよりゃぜってーマシだ」 
「……そうか」 
 肩をすくめて、クレイは家の方へときびすを返した。 
「なら、俺から言うことは何も無いよ。ちょっと考えれば、すぐにわかるはずだぜ?」 
 そのまま、クレイの姿が家の中に消える。 
 ……わけがわかんねえよ。クレイもマリーナも、何が言いてえんだ? 
 ポケットに手をつっこむと、硬い手触りが返って来た。 
 昨日から入れっぱなしだった、今となっちゃ意味のねえプレゼント。 
 ……捨てちまえばいい。こんなもん、どうせ渡したって何の意味もねえんだから。 
 だけど。 
 ぐっと握り締める。 
 捨てられねえ。高かったから、じゃねえ。諦めてきれてないから。 
 あれほど拒絶されたのに。自分の耳で聞いたのに。 
 それなのに、まだ想っているから。 
 クレイの言うこともマリーナの言うこともわけがわからねえ。だけど……何を言われようと、事実が 
消えるわけじゃねえ。 
 パステルが俺を嫌っているという事実が、消えるわけじゃねえ。 
 諦めなきゃいけねえとわかっているのに、諦めきれない。 
 まだ、好きだから。 
  
 しばらく時間を潰してから家に戻ると、マリーナはルーミィと台所でケーキを焼いていた。 
 俺の方をチラッと見たが、特に何も言おうとはしねえ。 
 キットンとノルが部屋の掃除をしていて、クレイが飾りつけをしていたが……みんな、俺の方をあえ 
て見ないようにしている。 
 ありがてえけどな。もう放っておいてくれ。 
 俺は、二階にあがると部屋のベッドにごろりと横になった。 
 パステルの部屋からは、物音一つしねえ。眠ったのか、それとも…… 
 ま、俺には関係ねえや。 
 気がついたら、俺は眠りに落ちていた。 
  
「トラップ!! 起きて、起きて起きて!!」 
 眠りを覚まさせたのは、乱暴に揺さぶる手。 
 目を開けると、目の前に真っ青になったマリーナがいた。 
「……あんだよ」 
「パステルがいないのよ!!」 
「ああ?」 
 おいおい、何の冗談だよ。昨日もそういや同じことを言われたよな……もしかして、夢か? 
「夢じゃないわよ!? 本当にいないのよ、どこにも!! お財布もコートも持たずに、この寒いのに 
外に出たみたいなの!!」 
 マリーナの言葉に、さすがに飛び起きる。それは……さすがに普通じゃねえぞ。 
 外は暗くなりかけていた。思ったより長く寝てたらしいな。 
「誰も気づかなかったのかよ? 出ていくとこに」 
「そうなのよ……準備に追われてたから。そろそろ呼びに行こうか、と思って部屋にいったら、もう誰 
もいなくて……」 
 トイレとか……と言いかけてやめた。捜してねえわけがねえからな。 
「どうしよう。パステル、絶対誤解してる。違うのに、違うのに……」 
 ぶつぶつとつぶやきながら、階段を駆け下りるマリーナ。俺もその後に続く。 
 一階はえらくにぎやかに飾り付けられて、テーブルには豪華な食事が並んでいたが、さすがにみんな 
の表情は重たかった。 
 あのルーミィですら、料理に手をつけようとはしねえからな。こりゃ相当なもんだぞ。 
「……んで、パステルがいねえって? いつ出てったか、誰も知らねえのか?」 
 俺の問いに、皆はとまどったように頷いた。 
 あのバカ……本当に…… 
 どこまでも、俺の気持ちをかき乱しやがって!! 
「どーせ迷子になってんだろ? ……捜しに行くぞ」 
 俺の言葉に、反論する奴はいなかった。 
 外に出ると、冷たい雨が、頬に当たった。 
  
 あいつは、どこまで方向音痴なんだか。 
 街中捜してそれでも見つからなくて。ついにはもうここを抜ければエベリンの外に出る、という森ま 
で来て。 
 まさかこんなところまでは来ねえだろう、と思ってたのに……何で、いるんだよ。 
 雨で雲って見える光景。 
 その中に、濡れ鼠で茫然とたたずんでいたのは……間違いなく、パステル。 
 見た瞬間、胸が痛んだ。いつも明るく笑っていたあいつの顔が、ひどく暗かったから。 
 その目に、絶望という色が浮かんでいたから。 
 ……一体、何があったんだよ。 
 ばしゃっ 
 俺がわざと音を立てながら近づくと、パステルの目が、ゆっくりと俺を見た。 
「トラップ……」 
「おめえはっ……こんなとこで、あに、やってんだよっ!!」 
 名前を呼ばれた瞬間、かっと衝動がつきあげてきた。 
 そのまま、抱きしめてしまいたい。心配かけるな、と優しく声をかけたやりたい。そんな衝動。 
 それほどまでに、今のあいつは……脆そうに見えたから。 
 だが、それはできねえ。必死に自分を押しとどめる。 
 それは、俺の役目じゃねえ。 
 しばらく黙って見詰め合う。パステルの目は、ひどく悲しそうだったが……やがて、ぽつんとつぶや 
いた。 
「どうして……」 
「……あん?」 
「どうして、捜しに来たりするのっ!!」 
 それは、あのときと同じ、俺を拒絶する言葉。 
 俺の心を支配したのは、パステルの目に浮かぶのと同じ、絶望。 
 ……そこまで。 
 そこまで、俺が嫌いか? 
 そんな、今にも死にそうな顔してるくせに。それでも、俺を頼りたくはねえってか? 
 そんなに……クレイの奴が、いいのかよ……? 
 顔が強張る。何を言えばいいのかわからねえ。ここまで拒絶されて……今更俺に何が言える? 
 せめて、できることは。いつも通りの態度を取ってやること。 
 気にしてねえ。俺は何も気にしてねえ。俺はいつもどおりの俺なんだ、おめえに嫌われたからって… 
…ショックを受けたりはしてねえ。そう、見せてやること。 
「おめえなあっ! 心配ばっかりかけて……迷惑ばっかりかけて! んで、その言い草か? 迷子にな 
ってたくせに、捜しに来てくれた人間によくんなことが言えるな?」 
「心配してなんて、言ってない……心配してなんて頼んでない、捜してなんて言ってない、わたしのこ 
となんかもう放っておいて!!」 
「おめえはっ……」 
 っ……おめえはっ……どこまで俺を傷つければ、気が……すむんだ。 
 もう十分に絶望を与えているくせに。どこまで、俺を堕とせば……気がすむんだ!? 
 気遣いもここまでだった。声が皮肉る調子になるのを止められねえ。 
「ああ、そうか。そうだよな。悪かったな、俺で」 
 それは自分を嘲る言葉。 
 自分で自分をどん底に突き落とす言葉。 
「悪かったな、クレイじゃなくて」 
 ずきん。 
 自分で言っておきながら……胸の奥に、どうしようもない痛みが走る。 
 俺って奴は、どこまで……バカなんだ? 
 どこまで……諦めが悪いんだ? 
 これだけ言われて、どうして……まだ、傷つくことができる? 
 諦めてしまえば楽になれた。ああそうだ、クレイはいい奴だ。あいつが相手ならしょうがねえって、 
今までなら思えたんだ。 
 今回もそうできたら……こんなに苦しまなくてもすんだのに。 
 どうして、俺はっ…… 
「わりいな……何なら、ここにクレイ、連れてきてやろうか? あいつも捜してるはずだぜ。みんな、 
おめえのこと心配して……悪かったな、余計なお世話で」 
 そう言って、背を向ける。 
 そうだ。慰めてやるのはクレイの役目だ。パステルに何があったのか知らねえが……あれほどまでに 
絶望に染まったパステルを、これ以上見てられねえ。 
 これ以上拒絶されるのに耐えられねえ。 
 そうして、去ってしまおうとしたそのときだった。 
 微かな、本当に微かな声が響いたのは。 
「好き」 
 ……? 
 立ち止まる。最初は、空耳かと思った。 
 だって……そうだろう? どうして、この状況で……そんな言葉が出る? 
「好き。あなたのことが、好き」 
 再び聞こえた言葉。 
 ……聞き間違いじゃ……ねえ……? 
「トラップがマリーナのこと好きなのは知ってた。……この間、デートしてたのも見たよ。思いが通じ 
て……よかったよね。そう思って、諦めようとしたんだけど。それでもっ!!」 
 駄目だった。 
 嘘に決まっている、空耳に決まっていると思いながら。 
 俺は、振り返らずにはいられなかった。 
「あなたのことが、好き」 
 あなたのことが、好き。 
 それは……全てを癒す言葉。 
 パステルの言葉が耳に残っている。 
 俺が、マリーナを好き? デート? 
 何のことだかわからねえ。だが、少なくとも……マリーナやクレイがしきりに繰り返していた言葉。 
「誤解」の意味が……今、やっと、わかった。 
 俺は……夢、見てるんじゃねえか? 
 まさか、そんなことがあるわけがねえ。 
 絶望のどん底に突き落とされた後にこんな幸せが……来るなんて。 
 さっき抑えこんだ衝動が、再びつきあげてくる。 
 気がついたら、俺はパステルの身体を、抱きしめていた。 
  
「……トラップ……?」 
「あんで……」 
 とまどうようなパステルの声。 
 誤解。そう、全ては誤解から始まった。 
 俺の誤解が先か、パステルの誤解が先か。それはわからねえが。 
 それが……俺達のすれ違いの原因。 
「あんで、んなこと言うんだよ……おめえ、何を勘違いしてやがる? 俺が……マリーナを好き?  
デート? 何の話しだよ、そりゃあ……」 
「っ……だってっ……」 
 まだ、わかんねえのか? 
 これだけ、態度で示してるだろう? 俺は…… 
「諦めようとしてたのは俺の方だ!!」 
 抱きしめる腕に力をこめる。もう二度と、逃がさないように。 
 そうだ、ずっと諦めようとしていた。そうすれば楽なんだと自分に言い聞かせていた。それでも…… 
「諦めようとしてたのは俺だ……おめえが好きなのはクレイだって、ずっと思ってた。この間おめえら 
を見たとき……やっぱ、俺の考えは間違ってなかったんだって。すっぱり諦めようとして……諦めきれ 
なかったのは俺だ……」 
「トラップ……?」 
 これが、俺の誤解。 
 ずっと心を縛って、素直になれなかった……誤解。 
 だから、素直になってやる。今、この瞬間。 
「好きだ」 
 吐き出したのは、ずっとずっと胸の奥に閉まっておいた思い。 
「おめえのことが好きだ。ずっと前から……」 
 言葉にしてしまえば、三秒で終わる。 
 この三秒のために……俺は、今まで。どれだけの回り道をしてきたんだか…… 
 パステルは、しばらく茫然としていた。だが…… 
 やがて、小さく身体を強張らせてうつむいた。 
「嘘……」 
「あん?」 
「嘘。だって、信じられない。そんなこと……」 
 ……おい。 
「おめえ、なあ……」 
 このごに及んで。まだんなこと言うか? 
 俺が、これだけ態度で示して、言葉で示して……これ以上、何を…… 
 ジッとパステルの目を見つめる。その瞬間…… 
 どくん。 
 心臓が、はねた。 
 潤んだ瞳と、冷え切った全身の中で唯一赤らんだ頬。 
 その目に浮かぶ感情は…… 
 全身が熱くなる。パステルの目を受けて、膨らんだのは……欲望という名の、本能。 
「どうすれば、信じられる?」 
「…………」 
 パステルは答えねえ。ただ、俺の顔を見つめているだけだ。 
 その瞳には……抵抗や嫌悪の色は、全く、無い。 
「何でもしてやるぜ。おめえが望むなら」 
「…………」 
「何でもして……いいんだな?」 
 答えは、俺の手をはねのけようとしない、パステルの態度。 
 ゆっくりと顔を近付ける。視線と視線が交じり合う。 
 唇を重ねても……抵抗は、なかった。 
  
 パステルの身体を木に押し付ける。 
 わきあがる衝動。はやる心を抑えて、もう一度、今度は深く口付ける。 
 深く、長く、甘い。強引にこじあけて舌をからめとり、そのまま交わりあう。 
 ……ずっと、こうしたいと思っていた。 
 諦めきれなかった。こんな思いを抱えちゃいけねえとわかっちゃいたけど。 
 ……止められなかった。 
 はやる思いをおさえながら、抱きしめていた腕をほどき……ゆっくりと、手を、胸にはわせた。 
 さして大きくはないが、確かに返って来る手ごたえ。 
 ……いいのか? 
 視線で訴える。 
 今なら、まだ止められる。おめえは、本当に……後悔しねえのか? 
 俺の目を見て、パステルは大きく頷いた。それが答えだった。 
 その瞬間、俺の手は、パステルの肌に触れていた。 
 手や腕なら、つかんだことはいくらでもある。 
 今触れているのは……きっと、俺以外の男が触れたことのない場所。 
 身体は冷え切っていたが、柔らかかった。今までつかんだどんなものよりも。 
 ゆっくりとなで上げると、パステルがわずかにうめいた。 
「忘れさせてよ」 
 そのまま、耳元で囁かれる。 
 ……意味が、わからねえ。 
 顔を見ると、パステルは、相変わらず潤んだ目で、言った。 
「何もかも、忘れさせて。トラップのことだけを、考えたいから」 
 おめえ、それは…… 
 ……ガキくせえ女だ、と思ってたけど、訂正してやる。 
 そんなつもりは、なかったんだろうけどよ……おめえ、十分に色っぽいぜ? 
「……優しく出来ねえかもしんねえけど、いいのか?」 
 俺のつぶやきに、「構わない」という返事。 
 いいんだな、……本当に。 
 身体は限界寸前だった。 
 今にも爆発しそうな欲望を抱えて、俺は……ただ、パステルの身体を愛撫し続けていた。 
 何度もくちづけをかわし、身体に痕を残しながら……雨の中、俺達は長い間からみあっていた。 
 しっかり、潤してやらねえと。 
 初めてのときは、相当痛いって言うしな。 
 身体が上気して、ほてってきている。 
 息が荒く、声を抑えられなくなってきている。 
 ……いいのか、これで? そろそろ……いいのか? 
 ゆっくりと、「そこ」に手を触れる。 
 抵抗なくもぐりこむ指。まとわりつくのは……明らかに雨ではない、何か。 
「やあっ、トラップ……も、もう……」 
 うめいたパステルの言葉に、笑みを返してやる。 
 もう、我慢できない……か? 
 安心しろ……俺もだ。 
 限界……だった。 
 その瞬間、俺とパステルは、一つになっていた。 
  
 貫いた瞬間、パステルは、声にならない悲鳴をあげて、俺にしがみついてきた。 
 ……大分、時間をかけたつもりだが。 
 やっぱり……痛えんだろうな。 
 だけど、安心しろ。 
 長持ちしそうも……ねえ。 
 初めて体験する「それ」は、ひどく快感で。 
 それは、相手がパステルだから、なのかもしれねえが。 
 パステルの身体をわずかに揺するだけで……爆発しそうになる。 
 それでも、大分耐えたんじゃないだろうか。 
 痛いままで終わらせたくねえ。少しは、快感というものを味あわせてやりたい。 
 限界の限界まで、俺はパステルを抱きしめ……そして、果てた。 
  
 雨の中、座り込んでいる時間は、そう長くはなかった。 
 しばらく俺とパステルは抱き合っていたが……本音を言えば、いつまでだってそうしたかったが。 
 そういうわけにも、いかねえか。 
 空を見上げる。 
 今が何時くらいなのか、よくわからねえが。 
 もう、ルーミィ辺りは寝ちまってもおかしくねえ時間。 
 でも……やり直せるよな? 今なら、まだ。 
 俺は、パステルの手を引いて、立ち上がった。 
「……どこに行くの?」 
「ばあか、帰るんだよ……言っただろ。みんな心配してんだよ」 
 そう言って、振り返ろうとしたが。 
 パステルの顔をまともに見れなくて、慌てて目をそらした。 
 駄目、だ。 
 照れる。 
 多分、俺の顔は、今、真っ赤になっているに違いない。 
 そのまま歩き続けて、どうにか街中に戻ってくる。 
 こんな遠くまで、よくもまあ歩いてきたもんだと我ながら感心する。 
 ……さて、このままパステルを連れて帰るのは簡単だが。 
 まだ今日は……終わってねえ。 
「ちょっと待ってろ」 
 それだけ伝えて、走り出す。 
「ちょ、ちょっと、トラップ!?」 
「動かずにそこで待ってろ!!」 
 呆気に取られたパステルを残して、俺は全力で走った。 
 向かうのはもちろん……マリーナの家だ。 
  
 家に戻ると、皆はもう戻ってきていた。 
 料理を前にして、沈痛な表情で黙り込んでいる。 
 ……辛気くせえな。やっぱ、一度戻ってきて、よかった。 
「トラップ!!」 
 俺がドアを開けると、マリーナが音を立てて立ち上がった。 
 俺の後ろのパステルがいないのを見て、落胆したように腰を落としたが…… 
 安心しろ。 
「見つけたぜ」 
 にやり、と笑って答えてやる。みんなの驚いた顔が、愉快だった。 
「ちっとばかし離れたところで待たせてある。……おめえら、今日は誕生日パーティーなんだろ? 祝 
ってやるんだろ? んな辛気くせえ顔で出迎えるつもりかよ? ぱーっとしろ、ぱーっと」 
 その声に、慌てて皆が立ち上がった。 
 あらかじめ準備しておいたらしいクラッカーを手にしたり、料理を温めなおしたりしている。 
「……トラップ」 
 そこに近づいてきたのは、クレイ。 
 この上なく優しい笑みを浮かべて、言った。 
「俺とマリーナの言ってた意味、わかっただろ?」 
「……まあな」 
「何か言うことはあるか?」 
 こいつ、案外意地悪なところもあるんだな。 
「……さんきゅ」 
 悪かった、とは言わねえ。誤解したってしょうがねえだろ、あの状況じゃ。 
 そのかわり。 
 ちゃんと、感謝はしてやるよ。 
 俺の言葉に、クレイは苦笑を浮かべたようだった。 
  
 パステルのところに戻ると、ちゃんと元の場所で待っていた。 
 よかった。これでまたどっかに行ってたらどうしようかと思ったぜ。 
 そのまま手を引いて早足で歩き出す。……早く教えてやりてえからな、全てを。 
「おめえさ、忘れてただろ?」 
「……え? 何を?」 
 声をかけると、間の抜けた返事が返って来た。 
 やっぱりか。まあ、もしかしたら……とは思ったんだよな。 
 しかし、何というか。……自分の誕生日を、忘れるか、普通? 
「最近、みんなの様子が変だって、思わなかったか?」 
「そ、それは……」 
「やっぱりな。俺達がエベリンに来たのはな、別に買出しが目的じゃなかったんだよ」 
「……え?」 
 どこまでも間の抜けた声。 
 本当に……おもしれえ奴だよ、おめえは。 
 面白くて……愛しい奴だ。 
「マリーナに呼ばれたんだよ。祝ってやりてえから、こっちに来ねえかって」 
「祝うって……」 
「ほれ、ついたぞ」 
 パステルの言葉を最後まで聞く前に。 
 俺達は、マリーナの家に到着した。 
 この後何が起きるか知っている俺としては……やはり、こうするしかねえだろう。 
 どん、とパステルの背中を押して、顎でドアをさししめした。 
 パステルは、不思議そうな顔をして俺を見ていたが、やがてドアに手をかけた。そして…… 
 ドアを開けた瞬間鳴り響いたのは、近所迷惑なぱんぱんぱん!! という破裂音。 
「やっと……戻ってきた! 心配したんだから!!」 
「ま、マリーナ?」 
 そして、次の瞬間、とびだしてきてパステルに抱きついたのは……マリーナ。 
 やれやれ。全く、ここまで来るのに長い道のりだったぜ。 
 パステルの後ろから顔を覗かせると、玄関先に待ち構えていた皆と目があった。 
 そっと視線で合図をする。こういうのは、一人でもずれると間抜けだからな。 
 1、2。 
「ハッピーバースディパステル! 誕生日、おめでとう!!」 
 全員の声が、綺麗に揃った。 
 ……おいおい。 
 泣いてんじゃねえよ……全く。おめえって奴は、どこまでも苦労をかけやがる。 
  
 パーティーは大盛況だった。 
 まあな。あんだけ周到に準備したんだ。それが当然だけどな。 
 えらく回り道をしたが…… 
 パステルの前にはプレゼントの山ができていたが、俺はあえてそこには加えなかった。 
 これは、俺の、俺だけにしか贈れねえプレゼント。 
 できれば、皆とは別に渡したい。 
 それまでジッと待つ。全員の目が俺達からそれる瞬間を。 
「おい」 
 くいっ、と袖をひっぱると、パステルは不思議そうな目で俺を見た。 
 ひょいっと外を指差す。……わかれよ? ちゃんと。 
 俺が歩き出すと、パステルは怪訝な顔でついてきた。そのまま外に連れ出す。 
 ……本当に……ここまで長かった…… 
「何?」 
 数時間ぶりに二人きりになる。ぽかんとしてるパステルに……俺は、プレゼントをつきつけた。 
「……誕生日、おめでとう」 
 つきつけた箱と、俺の顔の間を、パステルの視線が往復する。 
 ……んなに不思議そうな顔、するこたねえだろうが。 
「おめえに、何が似合うか色々考えたんだけど……俺のセンスって、おめえと違うみてえだから。マリ 
ーナに色々アドバイスもらったんだよ。気に入るかどうか、わかんねえけど」 
 全くな。できれば、俺のハイセンスをわかってほしいもんだけど。 
 俺も、おめえのセンスは一生理解できそうにねえから、それは諦める。 
 そんなこたあ、ささいな問題だしな、多分。 
「開けてもいい?」 
 パステルの言葉に頷いてやると、しゅるっとリボンが解かれた。 
 長い間ポケットにつっこんでおいたせいで、ちっと包装は乱れかかってたんだけどな。中身には、傷 
一つついてねえ。 
 月光を受けて輝く、アメジストの……指輪。 
「トラップ、これ……」 
「二月の誕生石は、アメジスト……だったか?」 
 もっとも、誕生石だからこれを選んだわけじゃねえけどな。 
 石なんか別に何でもいいんだよ。 
 指輪だから……意味があるんだ。 
 パステルのとまどった顔に、徐々に笑みが広がる。指輪を持つ手が微かに震えているように見えるの 
は、気のせいか? 
 まさか、意味がわかんねえ、とか……言うなよ? 
 いやいや、こいつならありえそうだな。念のためだ。 
 俺は、パステルの左手を、ぐいっとつかんだ。 
「ちなみに、はめるのは……ここな」 
 パステルの左手の薬指。 
 俺の贈った指輪は、そこに、ぴったりとおさまった。 

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