玄関の方で、物音が聞こえた。  
 わたしは別に、特別耳がいいってわけじゃないんだけど。我が家が古いせいかな? ドアの音が、ものすごーくよく響くんだよね。  
 それよりも何よりも! 「まだかな? 早く帰って来ないかな?」って耳をすませて待っていた、っていうのが、一番大きいと思う!  
「おかえり!」  
 満面の笑みを浮かべてお出迎え――これは常々、わたしが胸に描いていた「新婚さん憧れのシチュエーション」だったりするんだけど。  
 残念ながら、わたしが目いっぱい浮かべた笑顔は、思いっきり無駄になってしまった。  
「なーんだ、トラップかあ」  
「何だとは何だよ、なーんだ、とは! 悪かったなあ、旦那じゃなくて」  
 わたしの心からの言葉に、不満そうな声をあげたのは赤毛の盗賊。  
 わたしの昔のパーティー仲間にして、現在は親友という間柄。  
 わたしの旦那様の、幼馴染。  
「クレイは? 一緒じゃないの?」  
「そのクレイからの伝言持ってきたんだよ。今日は遅くなる。もしかしたら泊まりになるかも、ってな」  
 そう言って、トラップは肩をすくめた。  
「なあ。旦那じゃなくてがっかりしたのはわかるけどよお。俺だって、クエスト帰りで疲れてるっつーのは一緒なんだよ。茶のいっぱいくらい、飲ませてくれても罰はあたらねえんじゃねえ?」  
「あ! ごめんごめん。どうぞ、あがって」  
 トラップの催促に、わたしは慌ててスリッパを出した。  
 確かに、わたしの態度は、いくら気心知れてる中とは言え、随分失礼なものだったと思う。反省反省。  
「お茶……だけでいい?」  
「何。もっと、って言ったら、色々食わせてくれんの?」  
「んー……そうだね、いいよ」  
 勝手知ったる我が家とばかり、ずかずかあがりこむトラップに、遠慮の様子は全くない。  
 相変わらずだよねえ、と苦笑が漏れるけど。どうせ、夕食は二人分、用意しちゃったんだよね。  
 クレイのことだもん。帰れそうなら、どんな無理をしてでも絶対に家に帰ってきてくれる。  
 「泊まりになるかも」って言ってるってことは、今日はもう無理、って思って間違いない。  
 新婚って言っても、結婚からもう三ヶ月は経ってるからね。彼の仕事のパターンなんて、大体読めてしまってる。  
「はい、どうぞ」  
「お、うまそうじゃん」  
 お茶を入れるついでに温め直した夕食を並べると、トラップの目が輝いた。  
 彼だって、家に戻れば夕食が待ってるでしょうに……と思わなくもないけれど。  
 まあ、昔から、細い身体の割によく食べていた彼のこと。戻ったら戻ったで、家の夕食もしっかり食べるんだろう、きっと。  
 それでどうして太らないのかは、本当に謎だけど!  
 
「トラップは? クエストは、相変わらず?」  
「んー……まあな」  
 わたしの質問に、トラップは適当に頷くだけ。  
 パーティーが解散した後も、トラップと、それにルーミィとシロちゃんだけは、冒険者を続けている。  
 もっとも、トラップは実家……つまりは盗賊団のみんなとクエストに出ているから、フリーの冒険者として大活躍しているルーミィ達とは、あまり顔を合わせることもないらしい。  
 わたしと結婚した後、クレイはお兄さん達の後を追うように、正式に騎士団に入隊して、毎日忙しい日々を送っている。  
 わたしは、冒険者を続けようかどうしようか、だいぶ迷ったんだけどねえ……やっぱり、女の子の夢として! 少なくとも新婚の間くらいは、家で旦那様を待っていてあげたいじゃない?  
 幸い、小説家としての仕事が適度に忙しかったこともあって、冒険者は引退することにした。  
 ちょっと残念だったけどね。まあ、将来子供が生まれたら、って考えると、やっぱりね。  
 冒険者に戻りたくなったら、また資格試験を受けてみればいいや、と、軽く考えることにした。  
 ノルもキットンも、今はそれぞれの道を進んでいて。結局、あのときの仲間で、今も頻繁に会うのは、クレイを除けばトラップだけになっちゃったんだよねえ。  
 あの頃は、「解散なんて!」なーんて言ってたものだけど。クレイと結婚した今となってみれば、「懐かしいなあ」の一言で済ませてしまえるのが、何だか寂しい。  
「はあー」  
「おい。人の顔見てため息ついてんじゃねえ!」  
「あ、ごめんごめん」  
 ふと顔を上げれば、トラップの前に並べたお皿は、すっかり空になっていた。  
「ちょっとボーっとしてた。美味しかった?」  
「ああ、まーな」  
 わたしの言葉に、トラップは、不機嫌そうな顔のまま頷いた。  
「クレイが、毎日自慢してるだけのことはある」  
「……もお! な、何よお、いきなりっ!」  
 唐突にとんできた言葉に、ぼんっ! と顔が赤らむのがわかった。  
 クレイとトラップは、歩く道は別々になったけれど、今でも頻繁に顔を合わせているらしい。  
 正確に言えば、トラップが時間の空いたとき、クレイのいる騎士団にちょっかいをかけに行ってるらしいんだけど。  
 だから、クレイがわたしのことを話していてもちっとも不思議じゃないんだけど……むしろ、褒めてくれていたっていうのはすごく嬉しいんだけど!!  
 やっぱり、他人の口から……そのう、惚気? を聞かされるのって、やっぱり恥ずかしいんだって!  
「どうせからかってるんでしょ! もお、トラップってば相変わらず!」  
「あんだよ。別にからかってねえっつーの」  
「だったら余計に信じられないって。パーティー組んでたときは、ご飯が物足りないとか文句ばっかり言ってたくせに」  
「あんときはっ……」  
 こうなると、売り言葉に買い言葉。  
 わたしが昔のことを持ち出すと、トラップは、ムキになって立ち上がったけれど……何故か、中途半端なところで言葉を止めて、すとんと腰を下ろした。  
「まあ、おめえだって成長したってこったろ」  
「? ……あ、ありがとう」  
 らしくない、褒め言葉。  
 けれど、彼の半端な笑顔を見たとき、わたしは喜ぶより先に警戒してしまった。  
 トラップがこういう顔をしているときって、絶対――  
 
「……で」  
 がしっ! と、伸びてきた手が、わたしの手を握った。  
「何?」  
「さっき、色々食わせてくれるって言ったじゃん」  
 ニヤリ、と浮かべた笑顔に浮かぶのは……何でしょう。名づけるなら「してやったり」とでも言う色。  
「だあら、食わせてくれよ」  
「……ええと、晩ご飯、足りなかった?」  
「ちげえよ、わかってる癖に」  
 確かに、大体わかってはいたんだけど。  
 わたしが漏らした言葉を切って捨てて。トラップは、それは嬉しそうに立ち上がった。  
「おめえを、食わせてくれるか?」  
 
 鼻歌交じりに、ソファーの方に引きずられた。  
 わたしは別に寝室でもいいんだけど……ソファーの上って狭いし……けれど、何故かトラップは、「それは駄目」と、頑なに拒否する。  
 どさっ! と投げ出される。クッションに埋もれるわたしの上にのしかかってくるトラップは、既に上半身裸。  
 っていつの間に!?  
「ねえ、トラップ」  
「ん? 何だよ?」  
「もしかして、最初から……そのつもりで、うちに来た?」  
「いんや? おめえが『駄目』っつったら、玄関先で帰るつもりだったぜ?」  
 いや、嘘だ。それはぜーったい嘘。  
 はあ、とため息をつきつつ、ブラウスを脱ごうとすると、トラップに止められた。  
「おめえ、わかってねえ。脱がせるのがまた男のロマンなんだよ、ロマン!」  
「……どうせ脱ぐんだったら、同じじゃないの?」  
「かーっ! ったく、おめえは結婚しても全然変わらねえのな! クレイは何も言わねえのか?」  
「うーん……」  
 軽い言葉を吐きながらも、トラップの手は実に滑らかで鮮やか。  
 あっという間にブラウスのボタンが全開になった。背中に回された手が、器用にホックを探り当て、窮屈な下着から胸が解放される。  
 クレイは、こういうやり方はしない。ベッドかソファーかの違いもあるけど、服も下着も、すごく丁寧に脱がせてくれる。  
 脱いだ服をたたんで、恥ずかしがるわたしのために、明かりを消して、暗闇の中で、大事に大事にしてくれる。  
 その彼と比べれば、トラップは随分と乱暴だし、身勝手だと思う。  
   
 ――でも、気持ちいい。  
   
「……やっ!」  
 ぴくん、と身体が震えたのは、太ももを上がってきた無遠慮な指のせい。  
 トラップの舌で弄ばれて、胸が固くとがるのがわかった。身体が震えるのは、これから襲ってくる快感を予感しているからか――完全に、溺れているからか?  
「やっ……ね、トラップ。あの……」  
「わあってるって。中で出すようなヘマはしねえから」  
 トラップのその言葉を疑うつもりはないんだけど――実際、彼とこうして身体を重ねたことは何度もあるけれど。一度だって、失敗されたことはないし。  
 そうじゃなくて。わたしが言いたいのは――  
 
「ひゃあっ!」  
 背中に回された手が、すうっ――と下に滑って行った。  
 狭いソファーの上で思わず悶えてしまう。苦しいんじゃなくて……もちろん、寒いわけでもなくて。  
 目の前の細い身体にすがりついた。細いようで、しっかりと筋肉に包まれた身体は温かい。  
「トラップ……」  
 意味なくつぶやいた名前は、唇で塞がれた。  
 生暖かい舌が、滑り込んでくる。それが、「何も言うな」って言っているようで、思わず言葉を飲み込んだ。  
 背中に回していた腕を緩めて、かわりに首にしがみつく。太ももの間に割り込んできた下半身は、既に、固くなっていた。  
「……いくぞ」  
 いいよな? とは聞かない。わたしの身体が既に十分熱くなっていることが、わかったんだろう。  
 最初に進入してきた指が、内部でぐちゅぐちゅといやらしい音を立てていた。  
 多分、下着はびしょびしょになっていることだろう――ああ、今日の下着、お気に入りだったのになあ、と、妙に場違いなことを考えてしまう。  
 するすると、最後の一枚が剥ぎ取られて行った――衝撃を覚悟して目をつむると同時、熱い塊が、奥深くまで突き入れられた。  
「ひゃっ……」  
「ん……痛いか?」  
「ん、ううん……痛く、ないよ……」  
 むしろ、気持ちいい……とは、さすがに言えなかった。  
 ただ、心の中でつぶやいていた。早く来てほしい、と。  
 けれど、いつもならすぐに動き始めるトラップなのに、今日は、やけに静かだった。  
 余韻を楽しむように……と言ったら変だけど。わたしを抱きしめたまま。内部に押し入ったまま、じっと動かない。  
「トラップ……?」  
「おめえ、もしかして、さ」  
 耳に触れそうな位置で囁かれて、思わず、力をこめてしまった。  
 きゅっ、と締まった下半身に顔を歪めながらも。トラップの意地悪な言葉は、止まらない。  
「昨日の夜は、クレイとお楽しみだっただろ?」  
「――なっ……」  
「やっぱり。だあら、今日は何つーか……すぐに濡れたわけだな」  
 くっくっと含み笑いを漏らしながら、ようやく、トラップは動き始めた。  
 それはもう、じれったくなるくらいにゆっくりと。  
「相変わらず、あいつのエッチってマンネリなのか? 自分がイクのに精一杯で、おめえを悦ばせてる余裕はないってとこか?」  
「もお……そういう言い方、しないでよっ!」  
 からかうような言葉に腹が立って、わき腹をつねりあげる。もっとも、それで彼を振り払おうという気にならないのは……まあトラップの言葉に一理ある、と、認めてしまっているからなんだけど。  
「クレイは、それでいいんだってば! わたしはクレイのそういうところも含めて……好きになったんだから!」  
「ふうーん?」  
「クレイが、色んな人と付き合ってて……その、こういう、エッチの方も経験たっぷりだったら、わたしは逆にショックだったよ? だから、いいの!」  
「ふうーん……」  
 がっ! と、乱暴に腕を振り払われた。  
 顔を上げると、目をぎらつかせたトラップが、わたしの両腕を押さえ込んできた。  
「ひゃっ……」  
「よっく言うぜ……自分はどうなんだよ」  
「ひゃあああああっ!?」  
 不意に、乱暴に突き上げられた。  
 それは痛みを伴うほどの激しい動き。けれど、同時に貫くのは、目もくらむような快感。  
 首筋にいくつも熱い痕が残るのがわかった。時間にしてみれば、ほんの数分……もしかしたら数秒かもしれないけれど。その短い間に、わたしの意識は、完全に飛ばされた。  
 目の前が真っ白になる――って、小説の中でよく使っていた言葉だけど。実際に経験してみるまでは、わからなかった。  
 こんなに……気持ち、イイなんて。  
「んっ……と、トラップ――!」  
 あああ……と意味のない叫び声をあげた瞬間、強引に身体を振りほどかれた。  
 温かい雫がお腹の上に降り注ぐのを感じて、わたしは、いつの間にか閉じていた目を、ゆっくりと開けた――  
 
 あれだけばたばたしていた割に、服やソファーに汚れがないのはすごいと思う。  
 なんてつぶやきながら、タオルでお腹を拭っていると。だるそうな顔でソファにひっくり返っていたトラップが、「なあ」と声を上げた。  
「何?」  
「……おめえ、何も思わねえの?」  
「思うって?」  
「クレイに悪いとか」  
 とんできた言葉は、全く意味がわからなかった。  
 クレイに悪い……って、何を、だろう? トラップと、こうしてエッチしてること、かな? やっぱり。  
「だって……今更、だし」  
「…………」  
「結婚する前から……ううん、クレイのこと、好きになる前から、ずーっとだし」  
 そう。ずーっと前から……なのだ、実は。  
 最初のきっかけはただの興味本位だった、と思う。  
 冒険者になって、女の子らしいことからはかなり遠ざかっていたわたしだけど。  
 それでも、やっぱり……ねえ? わたしだって、普通の、年頃の女の子ではあるわけで。  
 リタやマリーナと、ときどききゃあきゃあ言いながら回し読みした雑誌とかには、そういう情報がいっぱい載ってて。興味だけが、すごく膨らんで……  
 それは、多分、トラップだって同じだった。彼だって、そういうことに一番興味があるお年頃の男の子には違いがなかったわけで……  
 うーん、きっかけが思い出せない。とにかく、それくらいごく自然に、わたしはずっと前から、トラップと身体のお付き合いを続けていた。  
 クレイのことを男の子として好きになってからも、両思いになって恋人同士になってからも……結婚して、夫婦になってからも、ずっと。  
 何で? と聞かれると困る。強いて言うなら、やめるきっかけがなかったから。  
 トラップは変わらずわたしを求めてくれたし、わたしも、異性としてではなかったにしろ、トラップのことは大好きだから。今更、抵抗なんてぜーんぜんなかったし。  
 わたしにとっては、それは、友達同士が手を繋ぐのと同じ。手を繋ぐ、腕を組む、肩を組む……その延長で、身体を重ねただけだったから。  
 まあ、それに、トラップとのエッチは、正直クレイとより気持ちいい……何しろ、彼は慣れててうまい……から。  
「……まさか、クレイに話してねえよなあ? 俺達のこと」  
「うん……別に、聞かれないし」  
「聞かれたら話すのかよ?」  
「うーん……話した方がいい?」  
 そう言うと、トラップは、手で顔を覆って首を振った。  
 おめえに聞いた俺が馬鹿だった……って、何なのよ、それ。  
 第一、クレイに悪いと思うなら……これが悪いこと、なら、トラップがとっくにやめてるはず。  
 トラップはクレイの親友なんだから。彼を傷つけるようなこと、するはずがない。  
「……そろそろ帰る。クレイも、ひょっとしたら戻って来るかもしんねえし」  
「うん……わかった」  
 ひょい、と起き上がる彼の身支度を整えて、送り出す。  
 ふらふら揺れる赤毛頭を見るともなしに見ていると。トラップは、わたしの顔を見ないまま、「なあ」と声を上げた。  
「俺とおめえの関係って、何?」  
「ん? なーに、突然」  
「いや、何となく。おめえは俺のことどう思ってんのかなーって、ちっと気になった」  
「変なトラップ! そんなの、決まってるじゃない」  
 わたしとトラップの関係。それはもちろん――  
 
「親友だよ!」  
「…………」  
「昔は、パーティーの仲間で。今は、親友! 決まってるじゃない!」  
 わたしの答えに、トラップはしばらく無言だった。  
 黙って玄関のドアを開けて、いつものように、軽く手を上げて――  
「せめて『浮気相手』って言ってくれよ」  
「……へ?」  
「そしたら、俺だって希望が持てるだろ?」  
「はあ? 希望?? 浮気……って、何よそれ?」  
 全くわけがわからない、とわたしが肩をすくめていると、彼は小さく肩を震わせた。  
 最後まで振り返ろうとはしないまま。  
「わかんねえなら、いいよ。んじゃな。飯、さんきゅ。クレイに、もっと早く帰れって伝えとく」  
「あはは、ありがとう! でもいいよ。仕事なんだから、しょうがないじゃない。わたしは十分満足してるから!」  
「――そっか。またな、パステル」  
「うん、ばいばい!」  
 実家への道を戻っていくトラップに手を振って、わたしは、うーんと大きく伸びをした。  
 さあて。クレイが帰ってくるかどうかわからないけど……眠くなるまでは、待ってよう!  
 何か、簡単につまめるものでも用意して。お疲れ様って、言ってあげよう!  
 
 
  END  
 

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