その嵐はすさまじいものだった。  
「あーくそっ、ついてねえっ!!」  
 マントのフードを目深に被っても、隙間から容赦なく雨風が吹き込んでくる。  
 一応防水加工もしてある高いマントだっつーのに、自慢の赤毛も、その下に着込んでいる服も、水に 
とびこんだみてえにずぶぬれになっていた。  
 ずるずる滑りやすい山道。体重の軽い俺では、油断したらふっとばされそうな風。バケツをひっくり 
返したみてえな雨。  
 典型的な嵐だ。こんなときにこんな場所を歩いてるなんて、俺ほどついてねえ奴も珍しいんじゃねえ 
か?  
 俺の名はトラップ。職業は探偵。地道な調査からピッキングまで何でもこなす、自分で言うのも何だ 
がそこそこ名前の知れた探偵だ。  
 今日俺がこんなところを歩いているのは、ちょっとした依頼を受けて遠出したからなんだが……  
 その依頼そのものは大したもんじゃなかった。その日のうちに調査は終了し、一晩泊まっていくか?  
と言われたのだが。  
 その依頼人……齢50を軽く超えた、身長は俺の3分の2、体重は俺の2倍に達しそうなばば……女性の目 
が、何つーかとてつもなく怖いくらい熱かったので、丁重に辞退して出てきたっつーわけだ。  
 来るときは迎えの車が来てたんだが、俺が断ったのが余程気に入らないらしく、帰りの車は出なかっ 
た。  
 くっそ、こんなことなら、襲われること覚悟で泊めてもらった方がよかったかあ?  
 いやいやいや。いくら俺でもあんなばばあの相手は勘弁願いたい。  
 気をまぎらわすためにバカなことを考えているうちに、何とか山を抜けそうなところまで出た。  
 山さえ抜けてしまえば、どっかに街くれえあるだろう。そこで宿を借りよう。  
 そう思って足を速めたときだった。  
「ううっ……だ、誰かっ……」  
 うめき声に、俺は足を止めた。  
 何だ? 誰かいんのか? こんな嵐の晩に物好きな。  
「うううっ……」  
 声のする方に近寄ってみる。道を少しばかり外れた木々の間。  
 そこに、えらく大柄な男が横たわっていた。  
 俺も決して背が低い方ではないが、その俺より軽く頭2つ分は高い。2メートルを優に超える大男が。  
 足から血を流して、倒れていた。  
 
「おいおい、大丈夫か?」  
「す、すみません……手を貸して……」  
「わ、わかった」  
 俺は大男の腕を肩にまわすと、力をこめて持ち上げた。  
 何とか大男の上半身が起き上がる……そ、それにしても、重いっ……  
「はあっ……おめえ、どうしたんだ? こんなところでこんな嵐の夜に、何してたんだ?」  
「す、すまない。俺の名はノル。アンダーソン家のボディガード。主人の使いで山向こうの屋敷まで届 
け物をしたんだけど、足を滑らせて……」  
 ノル、と名乗った大男は、ウエストにくくりつけていた袋から薬らしきものを出すと、足に塗り始め 
た。  
 何の薬かはわからねえが、みるみるうちに怪我が治っていく。おいおい、すごい効果だな?  
「それで足を痛めて、自分で起き上がれなくなって……ありがとう。君は命の恩人だ」  
「いや、まあいいけどよ。立てるか?」  
「大丈夫。キットンの薬はよく効くから」  
 言いながら、ノルは立ち上がった。……本当にでけえな。正直、肩を貸せと言われたら困るところだ 
った。  
「ありがとう。ところで、君はこんなところで何を?」  
「んあ? あー、俺もちっと野暮用で山向こうに出かけてたんだけどよ、嵐に出くわしちまってこのざ 
ま。あのさ、この近くに街とかあるか?」  
 俺の言葉に、ノルは首を振った。どうやら、この山を抜けても、さらに夜通し歩かない限り街はない 
らしい。  
 おいおい、マジかよ。  
 俺がいっこうにおさまりそうもない嵐の空を見上げると、ノルはぽつんとつぶやいた。  
「街はないけど、アンダーソン家はすぐ近くにある」  
「あ?」  
 アンダーソン家? 聞いた名だな。  
 確か……この近辺を束ねる相当の名士……だったか?  
 そういや、こいつアンダーソン家のボディガードとか言ってたな。  
「よかったら、一晩泊めてもらうといい。俺が言えば、多分大丈夫」  
「本当か? 助かったぜ」  
 正直、こんな嵐の中を夜通し歩き続けろと言われたら、体力が尽きるのが先か、と絶望しかけてたん 
だよな。  
 俺はありがたくその申し出を受けることにして、ノルの案内で、山を抜けたすぐ先にあるアンダーソ 
ン家の屋敷へと辿りついた。  
 
「ほー、すげえ屋敷だな……」  
 見上げる、という形容詞がぴったりくる重厚な屋敷。印象はむしろ城に近い。  
 ノルの案内で、俺はその扉をくぐった。  
 まあ何だ。中も外観を裏切らねえ、それはそれは豪勢な屋敷だった。  
 ひいてある絨毯一枚とっても、それだけで庶民の家が十軒は買えるくらいの値段がするだろう。  
「まあ、ノル! お帰りなさい、大丈夫だった?」  
 俺達が玄関にあがると、屋敷の中から高い声が響いた。  
 出てきたのは、蜂蜜色の長い髪を束ねた、はしばみ色の目が印象的な女。  
 服装から察するに、屋敷のメイドといったところか。  
 年齢は多分俺よりいくらか下だろうが……まあ、それなりの可愛い顔だとは思うがちっとばかし色気 
が足りない。俺の好みじゃねえな。  
 勝手に評価していると、女は、初めて俺に気づいた様子で、不審そうな顔をした。  
「ノル、この方はどなた?」  
「ああ、山で怪我をしていたところを助けてもらった。ええっと……」  
 そこでノルが言葉につまる。  
 あ、そういえば、俺名乗ってなかったか? もしかして。  
「俺の名はトラップ。ちっと野暮用で山を越えたところに出向いてたんだが、途中で嵐にあってね。ノ 
ルに勧められたんだが、一晩泊めてもらえっか?」  
 俺の答えに、女は困ったように目を伏せた。  
「それは、ありがとうございます。ですが、わたしの一存では……主人に聞いてみませんと」  
「パステル、どうしたんだい?」  
 そのとき、屋敷の中からさらに二人の人間が現れた。  
 一人は、ノルほどではないが俺よりも長身の、王子様じみた正統派美形の男。そして、男によりそう 
ようにして立っている、前髪だけをピンクに染めたグラマーな女。  
「ああ、クレイ様。実はこの方が……」  
 パステル、と呼ばれた女が事情を説明すると、男は、その顔に優しい笑みをたたえて言った。  
「それはそれは、お困りでしょう。我が家でよろしければ、一晩お泊りください。申し遅れました、私 
の名前はクレイ・S・アンダーソン。このアンダーソン家の長男です」  
 そう言って、クレイと名乗った男は丁寧に頭を下げた。  
 ふーん。いいとこの坊ちゃんにしては、嫌味なところが全然ねえな。女ならこの笑顔にノックダウン 
されるとこなんだろうが……  
 
「パステル、おじいさまには俺から話しておくから、こちらの方の部屋を用意してあげて」  
「はい。……トラップ様。こちらに来ていただけますか?」  
 パステルの案内で、俺は屋敷内部へと足を踏み入れることになった。  
   
 案内されたのは、玄関を入ってすぐ近くにある客間らしき部屋だった。  
 もっとも、俺が普段住んでる部屋よりよっぽど豪華だったけどな。  
「へー。立派な屋敷だな」  
「アンダーソン様は、名士ですから」  
 俺が褒めてやると、パステルは自分のことのように誇らしそうに言った。  
 その笑顔は……まあ、何というか魅力的だった。不覚にも、ちょっとドキッとしたくれえだ。  
 おいおいトラップ。こんなガキに手を出してどうする。俺の好みは、例えばクレイの傍にいた女みて 
えな、グラマーな姉ちゃんじゃなかったのか?  
「ふーん。なあ、あんた、ここのメイドか?」  
「はい。申し遅れました。わたしの名前はパステル・G・キング。アンダーソン家のメイドです。トラッ 
プ様、用がありましたら何なりとお申しつけください」  
「いや、用っつーわけじゃねえんだけど」  
 こんなでかい屋敷にメイドまで雇えるような名士。俺はむくむくと興味がわいてくるのを感じた。  
 好奇心が強いのは、探偵の性だな。  
「あのさ、ちっと聞いていいか?」  
「はい、何なりと」  
「アンダーソン家って、何やってんだ?」  
 俺のぶしつけな問いにも、パステルは嫌な顔一つ見せずに言った。  
「アンダーソン家は、代々騎士の家系でした。世が世でしたら、王陛下の直属の従者にもなれたような 
家柄です。今でも、その功績を称えられて、こうして地方とは言えまとめ役のようなことをやっていま 
す」  
「ふーん。すげえんだな」  
「ええ、それはもう。現在の家長アンダーソン老は、もうかなりのお年なのですけれども。まだまだお 
孫さんのクレイ様にも負けない剣の腕前を持ってらっしゃいます」  
 クレイの名前を呼んだとき、少しばかりパステルの頬が赤らんだように見えたのは……俺の気のせい 
だろうか?  
 
「クレイってさっきの男だよな。男の俺から見ても魅力的な男だと思うぜ」  
「ええ。それはもう。マリーナ様がいらっしゃるまでは、婚姻の申し出が後を立たなかったんですよ」  
 ……マリーナ?  
「マリーナって?」  
「失礼いたしました。先ほどクレイ様の隣に立っていらした女性で、クレイ様の婚約者です」  
「ふーん……」  
 婚約者ともう同居か。結婚は近いってとこか?  
 俺とそう年は変わんねーだろうに。羨ましいこった。  
「あの、もうよろしいでしょうか? わたし、夕食の準備が……」  
「ん? ああ、そーだな。後一つ」  
「はい?」  
 聞き返すパステルに、俺はにやりと笑って言った。  
「様はいらねえ。ただのトラップでいい。敬語も結構だ……そういうのは苦手でね」  
 俺の言葉に、パステルは暖かい笑みを浮かべていった。  
「わかりまし……わかったわ、トラップ」  
 そう、それでいい。  
 俺が頷くと、パステルは部屋の外へと出て行った。  
   
 夕食に呼ばれたのは、それから一時間くれえ経ってからだった。  
 そこで、俺はこの屋敷に住む人間全員と顔を合わせることになった。  
 一番の上座に座ってるのが、この屋敷の主人、アンダーソン老。  
 まあ、いかめしい顔に年の割には鍛えられた体。全身から「威厳」っつーオーラをぷんぷんと匂わせ 
ているじいさんだ。  
 その隣に座っているのが、さっきも会ったクレイ。美形ではあるんだが、アンダーソン老に比べると 
威厳っつーかカリスマというか、そういうものが数段劣って見えるのは……まあ、まだ若いからな。し 
ょうがねえか。  
 クレイの向かいに座っているのが婚約者であるマリーナ。美人でグラマー、話題も豊富で、自分より 
立場は下のメイドであるパステルにも気さくに話しかけている。  
 そして、クレイの隣に座っているのが、まだ三歳くらいのガキ。将来は多分すげえ美人になるんだろ 
うが、今のところはそれ以上でも以下でもない。クレイの妹、ルーミィ。夕食を食べるのにも、いちい 
ちパステルの手を煩わせている。  
 ルーミィの足元に座っているのがシロ。「わんデシ」というおかしな吼え方をする白い犬だ。今は大 
人しくエサを食べている。  
 
 そして、食事をしている一同の傍らに立っているのが使用人達。  
 メイドのパステル、ボディガードノル、そして、初めて顔を合わせることになった、執事、キットン。  
 こいつがノルと対照的にえらく小柄な男で、身長は俺の腰くれえまでしかない。ボサボサ頭でお世辞 
にも清潔な印象とは言いがたいが、ちょっと話してみてわかった。かなり頭が切れるらしい。  
 ちなみに、ノルの足をあっという間に治した薬を作ったのもこいつだとか。薬師としても相当の腕前 
を持っているようだ。  
 そして、客人である俺。総勢八人と一匹が、今屋敷にいる全員らしい。  
「トラップ殿……と言ったかな? こたびは我が家の人間を助けていただいたとか。感謝の言葉もない。 
お礼と言っては何だが、自分の家と思ってくつろいでくだされ」  
 俺が紹介されると、アンダーソン老は鷹揚に頷いて言った。俺みたいな流れ者にこれだけの態度が取 
れるあたり、見た目で人を差別したりしねえかなりの大物と見た。  
 夕食はかなりうまかった。聞いてみたところ、全てパステルの手作りらしい。  
 褒めてやると嬉しそうに笑った。……まあ、同じような笑顔をクレイにも向けてるけどな。  
 って、何考えてんだが、俺は。  
 夕食の後は、通された客間でくつろぐ。俺の服はパステルが全部持っていって洗濯してくれることに 
なり、今はクレイの服を借りてるんだが……これがどうも落ち着かねえっつーか。こんな高そうな服、 
普段着ねえからなあ。  
 それにしても、退屈だ。  
 服がしわになるか、とちらっと思ったが、まあクレイならんなこと気にしねえだろうと思いなおし、 
そのままごろっと横になる。  
 夕食が終わると、皆はそれぞれの部屋へと引き上げていった。こうなると、流れの客である俺にはや 
ることが何もねえ。  
 客間には小難しそうな本が並んでいたが、そんなもん読む気にならねえし。パステルに話し相手にな 
ってもらおうかと思ったが、後片付けが忙しい、と断られてしまった。  
 ……しょうがねえ、寝るか。  
 ごろりとベッドに横たわる。嵐の中を長時間歩いていたこともあって、俺はすぐに眠りに落ちた。  
 
「きゃあああああああああああああああああ!!」  
 心地よい眠りに落ちていた脳を目覚めさせたのは、屋敷中に響き渡るかのようなパステルの悲鳴だっ 
た。  
(……何だ!?)  
 即座に飛び起きる。寝起きの悪い俺にしちゃあなかなかの快挙だ。  
 窓の外は相変わらずの嵐だったが、時計を見るともう朝になっているらしかった。  
 服のまま寝てたこともあって、寝起きそのままの姿で部屋の外にとび出す。  
 パステルの姿は見えねえ。どこだ?  
 耳をすませてみると、微かなざわめきが聞こえてきた。自慢じゃねえが、俺は人より耳がいい。  
 ざわめきの方に足を進めると、昨夜食事を取った食堂を通り抜け、屋敷の東側に出た。  
 この屋敷の構造は、食堂を中心として西側と東側に別れている。  
 玄関や俺が泊まっていた客間があるのが西側、東側には、主にアンダーソン老やクレイ達の部屋があ 
るらしい。  
 西側から東側に移動するためには、一階に降りて食堂を通り抜けるしかない、という構造。走りなが 
ら、俺は無意識のうちに部屋の配置を確認していた。  
 東側に出てみると、真っ青な顔をしたパステルが立ちすくんでいた。  
 悲鳴を聞きつけたのか、階段の上にクレイとマリーナ、クレイの腕に抱かれている、寝ぼけた顔のル 
ーミィとシロ。  
 そして。全員の視線の先には。  
 東側の構造は、食堂を抜けたところがホールのようになっていて、一階には階段だけ、部屋は無いよ 
うだった。  
 その、ホールの奥に。アンダーソン老人が、額から血を流して仰向けに倒れていた。  
「おい……」  
 俺が声をかけようとしたそのとき。  
「何の騒ぎですか!?」  
 どたどたどた、というやかましい足音と共に、食堂からキットンとノルが顔を出した。  
 使用人の部屋も西側にあるため、到着が遅れたらしい。  
 そして、俺達の視線を辿って、二人そろって硬直した。  
 ……何てこった。  
 まさか、こんなところでこんな事件に出くわそうとは……  
 
 誰もが何も言えず立ち尽くしていた。真っ先にそこから立ち直ったのは、クレイ。  
「お……おじいさま!?」  
 マリーナにルーミィとシロを預けて、階段を駆け下りてくる。  
 ……まずいな。  
「待て、触るな」  
「……トラップ!? 君は……」  
「触るな!!」  
 何か言いたげなクレイを一喝して、俺は慎重にアンダーソン老の元にひざまずいた。  
 まあ間違いねえとは思ったが、念のために脈を取ってみる……ゼロ。瞳孔反射……なし。  
 チラリと腕時計に目をやった。朝の8時。死亡推定時刻は……昨夜、2時過ぎ、といったところか。  
「駄目だ。もう死んでる。触るな、このままにしておけ」  
 俺がそういうと、激昂したようにクレイが詰め寄ってきた。  
「な、何を言うんだ! おじいさまを、こんな場所に放っておけるか!! し、死んだなんて……そん 
なわけが」  
「うるせえっ!!」  
 ええい。これだから世間知らずの坊ちゃんはいけねえ。  
「これは、どう見ても殺人事件だぞ!? 役人が来るまで、手を触れるな、そのままにしておくんだ 
!!」  
「と、トラップ……あなたは、一体……」  
 俺の様子に、キットンがおそるおそる声をかけてきた。  
 ああ、もうこうなったら言うしかねえか? できれば黙っておきたかったんだが。  
「俺は、トラップ……探偵だ」  
 名乗った瞬間。  
 緊張の糸が切れたのか、限界に達したのか……ふらふらとパステルが倒れこんだ。  
「おい!?」  
 慌てて抱きとめる。……貧血か? まあ、しょうがねえか。死体なんて見たのは、初めてだろうから 
な。  
「おい、毛布か何かあるか? アンダーソン老にかけておいてやってくれ。手を触れないようにな。そ 
れと、役人に連絡してくれ」  
 俺の指示に、マリーナが即座に部屋に戻り、キットンがあたふたと食堂へと戻っていった。  
 クレイは、青ざめた顔でじっと俺をにらんでいたが、やがて部屋へと戻っていった。ルーミィを寝か 
せにいったのかもしれねえな。  
 俺は、一人残ったノルの方を振り向いた。かなり青ざめてはいるが、取り乱してはいない。  
「おい、パステルの部屋はどこだ?」  
 
 パステルが目を覚ましたのは、それから15分後だった。  
「う、うーん……」  
「目え、覚めたか?」  
「……トラップ? わたしは一体……」  
 だるそうに身を起こして、まわりを見回す。  
 どうやら、自分に何が起きたのか、よくわかってねえみてえだな。  
「覚えているか? アンダーソン老が死んだ」  
 俺がずばりと言うと、再びパステルの顔が青ざめた。  
 ……もうちっと優しい言い方ができればいいんだけどな。残念ながら、俺は他に言い方を知らねえ。  
「俺はあんたの悲鳴を聞いて、そのことを知ったんだ。……あんたが第一発見者か? ショック受けて 
っかもしれねえけど、発見したときの様子、詳しく教えてくんねえか?」  
「……どうして、そんなこと聞くの?」  
 パステルの返事は弱々しかった。こりゃ、相当参ってんな。  
「言っただろ? 俺は探偵だ。目の前でこんな事件が起きたとあっちゃ、黙ってらんねえ」  
「だって、あなたには関係の無いことでしょう?」  
「ばあか、何言ってやがる。同じ屋敷の中にいたんだ、俺だって容疑者の一人だぜ? 立派な関係者だ」  
 俺の答えに、パステルの身が強張った……本気にすんなよ。  
「まあ、俺は犯人じゃねえけどな」  
 そう続けると、パステルはほっとしたように少しばかりの笑顔を見せた。  
 素直な奴だな。思ってることがすぐ表情に出てる。……少なくとも、パステルは犯人じゃねえな。殺 
人なんてできる奴じゃねえ。  
 探偵をやってる以上、見た目を裏切る人間なんていくらでも見てきたが、ことパステルに関しては、 
俺は確信していた。  
 こいつだけは絶対犯人じゃねえ。何でそう思うかってのは、俺の直感だけどな。  
「なあ、教えてくんねえか? ……あんただって、犯人を捕まえたいだろう?」  
 ハッとパステルは息を呑んだ。しばらく躊躇していたみてえだが、やがて重たい口を開く。  
 
「……朝食の準備が整ったから、ご主人様を呼びにいったの。そうしたら……」  
「それは何時くらいだった?」  
「朝食は、いつも8時に取ることになっているから……7時50分くらい」  
 俺が遺体を確認した時間から逆算しても、そんなもんだろうな。  
「何か見なかったか? 怪しい人影とか。気づいたこととか」  
「別に……何も」  
 まあ、そうだろうな。どう見ても死んだのは昨夜の2時……4時より前ということはねえだろう。パス 
テルが発見したときには、犯人はとっくにどっかに逃げていたはずだ。  
 俺がぶつぶつと考え込んでいると、  
「あの……本当に、ご主人様は亡くなっていたの?」  
「ああ? おめえ、俺を疑ってんのか?」  
「そうじゃないけど……信じられなくて」  
 パステルは、わずかに身を震わせてつぶやいた。  
 確かに、昨夜会った限りでは、後30年くれえは余裕で生きそうな感じだったからな。突然死んだ、っ 
て言われても、納得できねえものがあるのはわかる。  
「残念だが、確かに死んでたな。あれで生き返ることがあるなら、世の中さぞかし死人が減るだろう」  
 俺の答えに、パステルの目から涙が溢れ出した。  
 ……参ったな。  
 女に泣かれることなんか珍しくねえが……何故か、パステルの涙は、俺にかなりの動揺を与えた。  
 大体、何て慰めてやりゃあいいんだ?  
 俺がおろおろと彼女の肩に手をやろうとしたときだった。  
「トラップ! 大変です!!」  
 いいタイミングというか、悪いタイミングというか……執事、キットンが、ノックもしねえでパステ 
ルの部屋にとびこんできた。  
「どうしたんだ?」  
「いえ、役人に連絡を取ったのですが……」  
 キットンは、泣いているパステルには目もくれずにまくしたてた。  
「この嵐で、ここまで来るのは無理だと……嵐がやむまで待ってくれ、ということです」  
 その返事に、俺は天を仰いだ。  
 おいおい、マジかよ?  
 
 食堂には、屋敷にいる人間全員が集まっていた。  
 一応朝食の準備は整っていたが、事情をよくわかってねえルーミィとシロを除いて誰も手をつけよう 
とはしない。……まあ、当たり前か。  
「役人がしばらく来れねえっつーことなんだが……この嵐がいつやむか、わかるか?」  
 口火を切った俺の質問に、キットンが即答した。  
「おそらく、2〜3日で収まると思いますが」  
「そっか。……できれば、その間に事件を解決しちまいてえな」  
「……自分にはできる、そう言いたそうだな、トラップ」  
 暗い表情でつぶやいたのは、クレイ。  
 さすがにショックなのか、その顔には疲労の色が濃い。  
「さあね。絶対、なんて言う自信はねえが……これだけは言えるな」  
 全員を見渡す。主を失った上座の席が、妙に寒々しい。  
「もしこの中で事件を解決できる奴がいるとしたら……俺しかいねえだろうな。プロを甘くみねえで欲 
しい。『探偵トラップ』と言やあ、ちっとは名が知れてるんだぜ?」  
 俺の言葉に、誰も何も言わねえ。反論が無いってことは、認めてる……とみなして、いいんだな?  
「……もし、事件を解決できたとしたら……おじいさまを、きちんと弔ってもらえるんだろうな?」  
「当たりめえだろ? まあ、俺が解決できなかったとしても、役人さえ来てちゃんと現場検証が終わっ 
ちまうまでだから、長くて3日程度の辛抱だけどな」  
「3日も……おじいさまを、あんなところに寝かせておけるか」  
 クレイは、指が白くなるほど拳を握り締めて、言った。  
「わかった。俺達は協力を惜しまない……トラップ。おじいさまを殺した犯人を、見つけてもらえるか? 相応の依頼料は払おう」  
「……了解」  
 依頼料なんざなくても引き受けるつもりだったが、まあもらえるものはもらっておくか。  
 探偵である俺の目の前で殺しとは、犯人もいい度胸をしてやがる。  
 この事件、役人が来るまでに、絶対解決してみせるからな。  
 
 クレイの許可をもらって、屋敷中を見回る。  
 玄関、窓、裏口、二階も含めて、出入りできそうなところは全てだ。  
 案内をしてくれるのは、パステル。どうやら、アンダーソン老には随分世話になったらしく、犯人を 
捕まえてもらえるならと、俺に協力を申し出てきた。  
 ……決して、クレイに「トラップに協力してやってくれ」と頼まれたから……ではないと思いたい。 
何でかはよくわかんねえけど。  
「ふん、やっぱりな」  
 出入り口の最後の一つを確認して、俺は確信した。  
「どうしたの?」  
「……ショックかもしんねえけどな。外部からの犯行ってことは、まずねえな。物盗りとか強盗とか、 
その線は消えた。犯人は、屋敷内の人間とみて間違いねえ」  
「そんな、バカなこと!! どうしてそんなことが言い切れるの!?」  
「はあ? わかんねえのか?」  
 俺は、窓の手前の絨毯を指差した。汚れ一つなく、掃除が行き届いている。  
「外は嵐だぜ? 玄関からだろうが窓からだろうが、外から入ってきて汚れをつけずに屋敷内を歩き回 
るなんて不可能だ。それとも、あんた、昨夜の二時過ぎから今朝にかけて、濡れた絨毯を取り替えたり 
玄関先を掃除した覚えがあるってのか?」  
「……ない、けど」  
 まあ、最初からわかってたことだけどな。  
 アンダーソン老は、武芸に関しては達人に近い腕前だった。  
 犯人が見知らぬ奴だったら、何がしかの抵抗をしただろう。騒ぎが起きれば、現場の真上で寝ていた 
クレイやマリーナが何かを聞いているはずだ。  
 つまり、犯人は顔見知り。屋敷内に犯人がいるってのは……まず間違いねえだろうな。  
「なあ、パステル」  
 声をかけると、パステルの肩がひきつった。  
 ……何だ?  
「な、何?」  
「いや。あのさ、まあちっと思い出させてわりいけど……遺体を見つけたとき、な。まわりに何か落ち 
てなかったか?」  
「何かって……」  
「だあら、何かだよ。何でもいい。何か拾わなかったか?」  
 パステルは、しばらく考えてたみてえだが、やがてふるふると首を振った。  
 何もなし、か……すると。  
 
「よし。次行くぞ」  
「ま、待ってよ」  
 俺がさっさと歩き出すと、パステルは慌てて追いかけてきた。  
「ねえ、どこに行くの?」  
「あー。おめえはついてこねえ方がいいかもしんねえな」  
「そ、そんなわけにはいかないわよ。クレイ様から、トラップに協力するように言われてるんだから」  
「…………」  
 クレイ様、ね。ま、別にいいんだけどよ。  
「ねえ、どこに行くの?」  
「死体の検証」  
 俺の言葉に、パステルが息をつまらせた。  
   
「額を一撃、即死だな」  
 マリーナが被せたらしき毛布をめくって、俺は改めて死体を検分していた。  
 アンダーソン老の額はぱっくりと割れていて、その表情は驚愕で固まっている。  
 ……まあ死体なんざ見慣れているが、何回見ても気持ちのいいもんじゃねえな。  
 そんな俺の様子から、パステルは必死に目をそらそうとしている。  
 まあ、当然の反応だな……早く終わらせるか。  
 改めて傷口をよく見たが、凶器が何だったのか特定できそうなものは無いみたいだった。  
 しいて言えば、やや幅のある棒……のような形のもの、といったところか?  
 だが、その凶器になりそうなものはまわりには落ちていない。……犯人が持ち去ったのか。  
 どっちにしろ、これ以上は専門家でもない限りわかりそうもねえ。  
「おい、もういいぜ」  
 毛布をかけなおして声をかけると、やっとパステルがこっちを向いた。  
 必死に平静を装っているが、顔はかなり青ざめている。  
「大丈夫か?」  
「へ、平気よ」  
 どう見ても平気には見えなかったが。  
 とりあえず、俺達は食堂にひきあげることにした。そこには、いまだに屋敷の人間が全員集まってい 
る。  
 現場を見た。屋敷の中もチェックした。  
 次にやることは……関係者の証言を聞くことだろう。  
 
「っつーわけでだな、以上の点から、どうも犯人はこの中にいるとしか考えられねえ、という結論が出 
た」  
 全員の前で俺が宣言すると、恐ろしく重たい沈黙が帰ってきた。当然の反応だが。  
「ば、バカなっ……おじいさまは、誰かに恨まれるような人ではない!」  
 真っ先に反応したのはまたもやクレイ。まあ、よく見知った人間が犯人かもしれねえ、と言われたら、 
冷静じゃいられねえだろうな。  
「んなこと言われたってな。人間、どんなことで恨みを買うかなんてわかんねえぜ? 俺が前に関わっ 
た事件では、猫が敷地に入ってきて鬱陶しいなんつー理由で口論になって人を殺したバカな奴がいたし 
な」  
「っ……だが、この中の誰かがおじいさまを殺したなんて、そんなバカなことが……」  
「ああ? んじゃ何か? おめえはあの滅多なことではくたばりそうもねえじいさんが死んだ理由を、 
他に説明できんのか?」  
 俺が聞き返すと、クレイは言葉に詰まったらしく黙りこんだ。  
 ……クレイを言い負かしたってしょうがねえだろ。身内を殺されて、しかも犯人も身内の人間だなん 
て言われたら、ああいう反応をするのは当たり前だ。  
 何でイライラしてんだか。  
「まあいいや。とにかくな、昨夜の2時から4時の間、何をしてたか言ってもらえたら助かるんだけどな」  
 俺の言葉に、全員が顔を見合わせた。……期待しちゃいねえが。  
「俺は……寝ていた」  
「私もよ」  
「俺も」  
「私もです」  
「……わたしも」  
 やっぱりか。まあ、時間が時間だからな。当然か。  
「ぱーるぅ。どうしたんだあ?」  
 誰にもアリバイの証明ができないと知り、黙り込む一同に、いまだに事情を理解してねえルーミィが 
のんきに話しかけた。  
「ルーミィ様。ね、お菓子でも食べます?」  
「うん! ルーミィ、お腹ぺっこぺこだおう!!」  
「ごめん、トラップ。ちょっと……」  
 つぶやくパステルに、軽く頷いてやる。  
 俺の返事をもらって、パステルはルーミィとシロを食堂の外に連れ出した。  
 ……確かに、子供に聞かせるような話じゃなかったな。  
 
「ねえ、トラップ探偵。本当に私達の中に犯人がいるの?」  
 パステルが外に出た後。口を開いたのはマリーナだった。  
 そういえば、この女と話すのは初めてかもしんねえな。  
「ああ。十中八九な」  
「そうね。あなたの言った通り、現場の様子からはそうとしか思えないわね。あのおじいさまが、見知 
らぬ人間に襲われたとして、やすやすと殺されるとは思えないもの。でも……」  
 そこで、マリーナはパステルには絶対にできそうもない色っぽい微笑を浮かべた。  
「動機は何かしら? トラップ探偵。おじいさまは立派な方だったわ。メイドや執事にも、息子や娘同 
様の扱いをなさっていたし、財産に関しては、順当にクレイに行き渡ることになっていた……  
 パステルやキットン、ノルがおじいさまを殺したとしても、一円の得にもなりはしないし、クレイは 
今急いで殺さなくても、いずれは財産を受け取れる立場にいたのよ?」  
 ……なるほど、言いてえことはわかる。確かにそこは重要な問題だ。  
「さて、どうだろうね。クレイに例えば借金があったとすればどうだ? 急に金が入用になったとした 
ら?」  
「そんなものがあるかどうかは調べればすぐにわかることでしょう? トラップ探偵。あなただって、 
そんなこと信じてはいないくせに」  
 頭の切れる女だ。確かにその通り。クレイがそんなヤクザなところから金を借りているとは到底思え 
ない。  
「なるほど。だが……あんたならどうだ?」  
「え?」  
「マリーナ。クレイの婚約者だったな? だがあのアンダーソン老はまだまだ生きそうな勢いだった。 
クレイに財産が行けば、あんただって当然その金を自由に使えるわけだ。そこで……」  
「やめろ!!」  
 バンッ  
 俺の言葉を遮ったのは、クレイだった。いつもは温厚そうな顔が、怒りでひきつっている。  
「マリーナを侮辱するな。トラップ……確かに俺はおじいさまを殺した犯人を見つけ出して欲しいと頼 
んだ。だが!!」  
「ああ、失礼。気に触ったのなら謝る。何でも疑ってかかるのが探偵の性分でね」  
 クレイの言葉を止めて、俺は立ち上がった。  
 アリバイは無い。動機も無い……だが、状況証拠から考えると……  
 俺がもう一度現場に行こうと東側のドアを開けると。  
 不機嫌そうなパステルが、俺をにらんでいた。  
 
「どうして、あんなひどいことを言うの?」  
「どうして、って?」  
 現場に向かう俺の後を追いながら、パステルは言った。  
「クレイ様やマリーナ様に、あんなひどいことを……」  
「言っただろ? あらゆることを疑ってかかるのが、探偵の性分なもんでね」  
「でも!」  
「パステル」  
 足を止めて振り向く。パステルは、急に立ち止まった俺の胸にぶつかるようにして止まった。  
「い、いきなり止まらないでよ……」  
「パステル。いいか、勘違いすんなよ。アンダーソン老は死んだ。死んだからには、絶対その原因があ 
るはずだ。犯人がいるはずなんだよ。いちいち私情を挟んでたら調査にならねえ。おめえは犯人を見つ 
けたくねえのか?」  
「っ…………」  
 間近にあるパステルの顔。視線と視線がぶつかった。  
 パステルは、真っ赤な顔でじっと俺を見つめていたが、やがて絞り出すようにして言った。  
「じゃあ……あなたの理論では、わたしのことも疑っているのね?」  
「…………」  
「わたしが犯人かもしれない、そう思っているのね?」  
「……いいや」  
「どうして?」  
「おめえみてえな鈍そうな人間に、アンダーソン老みてえな使い手をどうにかできるもんか」  
 俺の答えに、パステルはカッと手を振り上げた。  
 頬にぶち当たる寸前、その手首をつかむ。  
「なっ……何よ」  
「……おめえは、人を殺せる人間じゃねえよ」  
 はしばみ色の瞳をのぞきこんで、にやりと笑った。  
「俺の直感は、当たるんだからな?」  
「っ…………」  
 悔しそうなパステルの顔。その顔を見た瞬間、つきあげてくる衝動。  
 気がついたら、俺はそのまま、パステルの唇を塞いでいた。  
 
「んっ……やっ」  
 どんっ、と胸を突き飛ばされる。さっきよりさらに真っ赤になった顔で、潤んだ瞳で、俺をじっとに 
らみつけている。  
「なっ……何、するのよ」  
「……初めてか?」  
「なっ……」  
 全く悪びれた様子を見せない俺に、パステルは抗議することすら忘れたようだった。  
 ……どう見ても、初めてだな。こりゃ。  
「ほれ、さっさと行くぞ」  
「え?」  
「もう一度現場検証だよ」  
 さっさと歩き出す。泣き喚かれたりしたらたまらねえからな。  
 何で、あんなことをしちまったのか、自分でもよくわからねえ。  
 ただ、精一杯強がっているパステルを見つめていると、何だか……  
 少なくとも、今ので、ちっとは和らいだだろう。  
 身近な人間が死んだというショック。それを殺したのがやはり身近な人間だという衝撃を。  
   
 再び、アンダーソン老が殺された現場。  
 もっとも、遺体のチェックはさっき終わらせたからもう必要ねえ。  
 見るのは……  
「ふん」  
「……どうしたの?」  
 俺がまわりを見回しながら頷いていると、パステルがおずおずと声をかけてきた。  
 どうやら、さっきの件に関しては、ひとまず忘れることにしたらしい。  
「パステル。アンダーソン老は、どれくらいの身長だった?」  
「え?」  
「身長だよ。高かったか?」  
「え、ええ。クレイ様と同じくらいは、あったと思うけど」  
「ふん……」  
 
 アンダーソン老人は、仰向けに倒れていた。  
 倒れている場所は階段よりも奥まったところだから、まあ階段から落ちた、という可能性はねえだろ 
う。  
 そもそも、階段下付近の絨毯は綺麗なものだしな。血の跡一つ落ちてねえ。  
 倒れているあたりの絨毯には、わずかながら血痕が残っている。絨毯にひきずったような跡もなし。 
遺体を動かしたような形跡はねえ。  
 すると……  
「パステル。おめえは、身長はどれくらいある?」  
「わ、わたし? 163センチだけど……」  
 163か。俺の身長が177。見た感じ、クレイは俺よりも10センチ近く高いから185前後といったところ 
か。アンダーソン老がクレイと同程度の身長ということを考えると……  
「少しは犯人が絞れたな」  
「え?」  
 パステルが不思議そうな表情を向ける。今の質問で、どうして犯人が絞れるのかがわからねえんだろ 
う。  
 マリーナはパステルとほぼ同じ身長。ノルはクレイよりもずっと高い。多分220センチはあるはず。 
キットンは俺の腰ぐれえでルーミィが膝ぐらい。シロは……  
 そこまで考えてさすがに馬鹿馬鹿しくなってやめる。とにかく、だ。  
「遺体の倒れている格好と場所から考えれば、犯人は正面からアンダーソン老を殴った、と思われる」  
「う、うん」  
「だが、キットンの身長じゃ……かなり長い凶器を使わねえ限り、アンダーソン老人の額まで凶器が届 
かねえだろう」  
 ハッ、と顔をあげる。  
「だが、そんな長い凶器をぶら下げて、正面に立たれて、アンダーソン老が不思議に思わねえはずがね 
え。そうだろう?」  
「……確かに、そうよね」  
 少なくとも、キットンが犯人、という可能性は低くなった。  
 あくまでも低くなっただけだがな。  
 
「さて……せっかく東側に来たわけだから、できればクレイ達の寝室を見せてもらいたいんだがな?」  
 俺がそう言うと、パステルはこの上なく不満そうな顔をした。  
「どうして? クレイ様やご主人様の寝室なんか見てどうするの?」  
「決まってんだろ? 凶器を捜すんだよ」  
「凶器って……」  
 アンダーソン老人を殴った凶器。それが見つからねえとなると。  
 誰かが、部屋の中に隠し持っている可能性もあるからな。まあ、この嵐だ。窓の外に投げ捨てられた 
ら、ちっと捜しようがないんだが。  
 万が一を考えれば、室内はチェックしておくべきだろう。  
「そういうこと。おめえなら開けられんだろ? みんなの寝室」  
「っ……確かに、鍵は持ってるけど。でもっ……」  
「犯人、見つけたくねえのか?」  
 俺の言葉に、パステルはぐっと黙り込むと、不承不承エプロンのポケットから鍵を取り出した。  
 俺達以外の人間は、いまだに食堂にとどまっている……いや、ルーミィだけは、菓子を与えて部屋に 
寝かせてきたらしいが。  
 凶器を処分される可能性も踏まえれば、できれば皆に知られずにやってしまいたい。  
 俺はパステルを促して、二階へと上った。  
   
 最初に入ったのは、アンダーソン老人の部屋だった。  
 まあ、主を現してるっつーか。  
 愛想のかけらもねえ無骨な部屋。机とベッド、クローゼット、本棚、暖炉。壁には、剣やら槍やらに 
加えて数えきれねえくらいの勲章がかかっている。  
 凶器になりそうなもの……剣や槍か。  
 だが、剣や槍なら、「撲殺」ではなく「刺殺」になるだろう、普通は。  
 あの傷口は、切られた傷では断じて無い。……一体、何で殴られたんだか。  
「アンダーソン老は、遺言の類は書いてなかったのか?」  
 ふと思い出して聞いてみる。  
 ありがちな話だが、息子なり孫なりがあまりにも自分を冷遇するので、親身に世話をしてくれるメイ 
ドなり執事なりに全財産を譲ることにした……そこへ、当然あてにしていた遺産が入らないとわかった 
息子なり孫なりが思い余って、というストーリーも成り立つ。  
 
 だが、それはパステルにはっきりと否定された。  
「遺言はないわ。ご主人様は、クレイ様に全財産を譲ると決めていたもの」  
「それは屋敷中の連中が知っていたのか?」  
「ええ。クレイ様はお優しいし立派な方だもの。ご主人様の跡を継ぐことに、反対している人はいなか 
ったわ」  
 ふーん。やけに褒めるんだな、クレイのことを。  
 ……って何考えてんだ。まあとにかく、財産がらみのごたごたはなさそうだな。  
 まあさっき食堂で言ったように、早く財産を自由にしてえマリーナが……などという可能性が無いと 
は言わねえが、あの頭の切れる女が、そんなバカな真似をするとも思いにくい。  
 万が一やるとしたら、自分が完全に容疑の外に外れるようにやるだろう。  
「んじゃ、ここにはもう用はねえ。次、行くぜ」  
 次に入ったのは、ルーミィの部屋。  
 ベッドの上では、ルーミィとシロが幸せそうに寝ていた。  
 子供部屋らしく、ぬいぐるみやら人形やらが溢れていたが、家具はアンダーソン老の部屋にあったも 
のと大差はなかった。  
 そして、この部屋には武器の類すら置いてねえ。つまりは、凶器になりえそうなものも何もなかった。  
「ところで、ルーミィとクレイだが、えらく年の離れた兄妹だな?」  
「え? ええ。実は、ルーミィ様とクレイ様は、本当の兄妹じゃないの」  
「ふーん」  
 名家では珍しくもねえ話だ。愛人に生ませた子供を引き取ったのか、それとも……  
「実はマリーナが生んだクレイの娘、なんていう落ちはねえだろうな?」  
「な、何てこと言うのよっ!!」  
「冗談だよ、冗談」  
 全く、からかうとおもしれえ女だ。  
 二階には結構な数の部屋があったが、実質使われているのは三つだけ、ということだった。  
 残りの部屋は空き部屋で、鍵はパステルとキットンしか持っていないという。  
 使われている部屋の最後の一つ、それが、クレイとマリーナの部屋だった。  
 
「クレイとマリーナは……同室だったのか?」  
「ええ。そりゃあ、婚約者だもの」  
「ふーん。するってえと……」  
 犯行時間。寝ていたからアリバイは無い、ということだったが。  
 すると、クレイとマリーナには、実質、アリバイがあるってことにならねえか? もちろん、共犯だ 
とかお互いをかばってとかも考えられるから、完全に容疑を外すわけにはいかねえが。  
 少なくとも、隣で眠っている奴に気づかれねえようにして人を殺しに行くってのは、そう容易なこと 
じゃねえだろう。  
 もっとも、それを言ってやるつもりはねえけどな。  
 入り口でじっと俺を見ているパステルの視線は無視して、俺は遠慮なく部屋を捜索させてもらった。  
 二人で使っているせいか、部屋そのものはアンダーソン老やルーミィの部屋より広い。だが、ベッド 
とクローゼットがやや大きめな以外は、置いてあるものにそれほどの違いはなかった。  
 アンダーソン老の部屋と同じく、壁には立派な剣が飾ってあったが……  
 ちょっと手に持ってみる。壁に作りつけてあるわけではなく、取り外しは簡単にできるようだ。  
 持ってみてわかったが、かなり使い込まれているしその刃は本物だった。  
 ……模造の刃なら、あるいはそれで、とも思ったが……  
「……ん?」  
 壁から暖炉に目をうつして、ふと違和感を感じる。  
 この時期は、暖炉に火を入れるほど寒くはねえ。だが、中には、何かの燃えカスが残っていた。  
 つい最近燃やしたばかりのもの。塊の大きさから、そんなに小さなものじゃねえ。  
 本か何かを燃やしたのか……だが、クレイやマリーナの性格上、いらなくなったからといって本を燃 
やすような人間には見えねえしな……  
 じゃあ、これは何だ?  
「トラップ……何? 何か……見つけたの?」  
「……いや」  
 振り向いて、唇の端だけで笑ってみせる。  
 これだけじゃ、何の証拠にもなりはしねえが……  
 だが、これは、きっと事件の鍵になる。  
 俺は、ポケットからハンカチを取り出すと、そっと燃えカスの一部を包んだ。  
 
 
 2階の部屋で使われているのはこのこれだけ。後の三人は、全員西側に部屋を持っているらしい。  
 そう聞いて、俺はひとまず東側を出ることにしたが……  
 そのとき、ふと、目に付いたものがった。  
 二階の手すり。そこから一階が見下ろせるようになっているが。  
 その手すりの一部に、補修された跡があった。  
「おい、パステル」  
「え?」  
「これ……いつ、修理したかわかるか?」  
 俺が手すりを指差すと。  
 それとわかるくらい、パステルの顔が強張った。  
「……おい?」  
「あ……いえ、それは、わたしが」  
「あん?」  
「わたしが、もたれて壊してしまって……」  
「それ、いつの話だ?」  
「え?」  
「えらく新しいな、これ。いつの話だ?」  
「……き、昨日。トラップが、来る前に……」  
「ふーん……」  
 俺は、かがみこんで修理の跡をじっくりと見た。  
 別に珍しいものじゃねえ。古くなった家にはよくある、腐った部分を切り取って新しい木を継ぎ足し 
た……そんな修理の跡。  
「おめえが修理したのか?」  
「ええ」  
 ふーん……  
 確かに、継ぎ足された木も、打たれた釘も、真新しいが……  
 それ以上言わず、俺は立ち上がった。  
 
 キットンとノル、パステルの部屋は西側にある、ということだった。  
 だが、見るまでもねえ。俺には、もう大体事件の構図がつかめてきた。  
 だが、もし俺の想像するとおりだとしたら……  
   
 嵐はまだしばらくやみそうもねえ。  
 俺はその日も泊まることにした。そのことについて、誰も文句は言わなかった。  
 パステルが腕を振るった夕食は相変わらずうまかったが。  
 雰囲気は、どうしようもなく重苦しかった……まあ当然だが。  
「どうだい、トラップ。何かわかったかい?」  
 憔悴した様子で声をかけてきたのはクレイ。大分疲れてるようだな。  
「まあ、それなりにな」  
「それは、犯人がわかった、ということか?」  
「そこまでは話せねえな。証拠が無いもんでね」  
 俺の言葉に、食事をする皆の手が一斉に止まった。  
「それは……あなたの頭の中でなら、犯人がわかっている、ととらえていいのかしら? トラップ探偵」  
「ご想像におまかせする」  
 マリーナの挑発的な言葉に、笑みとともに返してやる。  
 この事件、どう片付けたものか。  
 俺の頭の中では、断片的な想像は浮かんでいるものの、それがうまく組み合わさっていない状態だっ 
た。  
   
 
 その夜。皆が寝静まった深夜。  
 俺はベッドの上で悩んでいた。  
 確かめる方法はなくはねえ。もし俺の想像通りだとするなら……しばらく見張っていれば、きっと犯 
人はボロを出すだろう。  
 だが、やっちまっていいのか? それを。  
 普段の俺なら、迷うことはねえんだが。  
 今回ばかりは、ちと慎重にならざるをえねえ。さて、どうしたものか。  
 と、そのときだった。  
 部屋に、遠慮がちなノックの音が響いてきたのは。  
「……誰だ?」  
「あの……わたし」  
 心臓がはねる。  
 この声は……パステル?  
 こんな時間に、何の用だ?  
 はやる心を抑えて、ドアを開ける。  
 目の前には、寝巻き姿のパステルが立っていた。  
 ……おいおい。こんな時間に、そんな格好で、男の部屋に来るなんて。  
 おめえ、何考えてんだ……?  
「……何か用か?」  
「事件のことで、ちょっと……入っても、いい?」  
 上目遣いに、俺を見上げてくる。  
 ……勘弁してくれよ。理性が持たねえかもしれねえぞ。  
 だが、事件のことと言われれば、嫌とも言えねえ。  
 仕方なく、俺はパステルを部屋に通した。  
 
 
「……で、何だ? 話って」  
「……トラップには、犯人が、わかってるのよね?」  
 俺がベッドにどかっと腰かけて聞くと、パステルは、その隣に座りながら、必死の形相で聞いてきた。  
 ……何が、言いてえんだ?  
「だったら、どうした……言ったろ? 証拠もねえし、全部俺の想像で……」  
「聞いて!」  
 ぐっ、とパステルは身を乗り出してきた。  
 ……いい匂いがすんな。風呂上りか?  
 って、いかんいかん。何考えてんだ、俺は。  
 とびそうになった理性を慌てて呼び戻しながら、俺はせいいっぱい余裕の表情を浮かべてみせた。  
「いくらでも聞くけどよ。結局、何が言いてえんだ?」  
「犯人は、わたしよ」  
「…………」  
 おい。一体、何を言ってやがる?  
 予想外のことを言われて、俺はバカみてえにぽかんと口を開いてパステルの顔をじっと見つめた。  
「犯人は、わたしなの。ねえ、トラップ、お願いだから、もうこれ以上皆のことを調べまわるのはやめ 
て」  
「おいおいおい」  
 あからさますぎるぜ、おめえ……  
 つまり、おめえは……犯人を、かばってるんだな?  
「おめえが犯人?」  
「そうよ」  
「動機は何だ?」  
「っ……そ、それは……」  
「凶器は何だ? どうやって殺した? 何時頃に?」  
「っ…………」  
 俺の質問に、何一つとして満足に答えられねえ。  
 あまりにもわかりやすすぎる嘘。  
 おめえ、そこまでして……かばいたいのか? 犯人を。  
 
 
「……プロの探偵を、甘くみんなよ」  
「…………」  
「おめえ、かばってるだけだろ? 犯人を」  
「…………」  
 決して認めようとはしねえが、その態度は、雄弁に俺の質問に答えていた。  
 そうか。そんなに、決意が固いなら……  
「いいぜ」  
「え?」  
「見逃してやっても、いい。俺は何も知らねえふりして、大人しく屋敷を去ってやってもかまわねえ」  
「トラップ……」  
「ただし」  
 そこで、俺はパステルの肩をつかんだ。  
 思ったよりも小さな肩が、びくりと震える。  
「あんたが、俺のものになるってーのならな?」  
 パステルは、ただじっと震えていた。  
   
 そっとその身体をベッドに押し倒す。  
 抵抗は、無い。  
 パステルは、ただじっと目を閉じて、震えていた。  
 寝巻きの胸元のリボンをほどく。しゅるっ、という音とともに、下着を身につけてねえ胸が、あらわ 
になった。  
 男の手なんか、触れたこともねえだろう、白い胸。  
 ゆっくりと口付けると、パステルの身体はびくりと震えた。  
 ……初めてだな。ま、そりゃそうだろうな。  
「……いいのか? おめえ、そこまでして、そいつを庇いてえのか?」  
「…………」  
 返事は無い。  
 硬く閉ざされた唇にくちづける。硬く閉ざされたそこを、強引にこじ開けて舌をさしいれ、からみと 
り吸い上げる。  
 寝巻きと素肌の間に手を差し入れる。その身体は温かかったが、小刻みに震えていた。……決して、 
寒いわけじゃねえだろうが。  
 さして大きくもねえ胸に手を触れると、柔らかい感触が伝わってきた。指先で軽く愛撫した後、手の 
ひら全体で包み込むようにしてあてがう。  
 その先端が、徐々にかたくなってくる。  
 
 
「……綺麗だな」  
 耳元でつぶやいてやると、パステルの身体がわずかにのけぞった。  
 ちっとは、感じてきたか?  
 パジャマの上から、太ももをなであげる。ゆっくりと中心部をさすりあげると、わずかに身をよじっ 
てうめいた。  
 自分でしたことも……ねえんだろうな、こいつなら。  
 軽くこすりあげると、徐々にだが身体が反応してきたらしい。パステルの身体が朱に染まり、中心部 
からはわずかに蜜があふれてきた。  
 ……感度は、まあまあみてえだな。  
 まだ潤って間もないそこに、指を差し入れる。唇から漏れるわずかな悲鳴。  
 そのまま奥深くまで挿入しかきまわすと、パステルはあえぎ声をもらして身体をよじった。  
 我慢、できねえ。  
 ズボンのベルトに手をかける。強引に足を開かせて身体を割り込ませる。  
 今まさに貫こうとしたその瞬間。  
「うっ……」  
 ……?  
 微かなうめき声。ふっと顔を見やる。  
 パステルの目は、相変わらずかたく閉じられていたが……  
 その両目からは、涙が零れ落ちていた。  
「…………」  
 女に泣かれるのは、別に初めてじゃねえが。  
 こいつの涙だけは……苦手だ。  
「……泣くなよ」  
 耳元でつぶやく。高まっていた欲望は、半ば静まりかけていた。  
「俺が悪かったよ。もう、しねえよ。だから、泣くな……話してみろよ、俺に、何もかも」  
 俺の言葉に。  
 ようやく、パステルはゆっくりと目を開けた。そして。  
 俺にしがみついて、子供のように泣きじゃくった。  
 
 パステルの話は、大体、俺の想像通りだった。  
 いや、正確に言えば、パステルの想像と俺の想像が一致した、と言うべきか。  
 パステル自身、その想像が当たってるかどうかの確信はねえらしい。  
 だが……まあ、まず間違いはあるめえ。  
「最初は、クレイ様が犯人かと思ったの」  
 泣きながら、パステルは言った。  
「ご主人様と対等に渡り合えるのは、クレイ様しかいないと思っていたから……でも、でもっ……」  
「……いいか、ショックなのはわかるが……」  
 パステルの話を聞いて、俺は確信した。  
 このままにしておいちゃいけねえ。いつかきっと、また悲劇が起こってしまうから。  
 だから、そのためにも……  
「そのためにもはっきりさせなきゃならねえ。俺は顔が広いからな。決心さえしてくれりゃ、何とかで 
きると思う」  
「トラップ……」  
「ただし、一つ条件があるがな!」  
「…………?」  
 パステルの不思議そうな顔。  
 ……こんなことを聞くのは、俺の性分じゃねえが。  
「おめえ……クレイのこと、好きなんか?」  
「……へっ?」  
 俺の質問が余程意外だったのか。  
 パステルは、しばらく間の抜けた顔で俺を見つめていたが……  
「やだっ……ち、違うわよ。クレイ様にはマリーナ様がいるじゃない! ただ、あの方は……雰囲気が、 
わたしの死んだお父さんにとてもよく似ていたから。優しいところ、全てを包み込んでくれるようなと 
ころ。だから……」  
 …………  
 父親、ね。なるほど。言われてみりゃあ、クレイにはそんな雰囲気があるな。  
 ……その言葉、信じていいんだな?  
「よし、わかった」  
「トラップ……?」  
「早いとこ、行くぞ。……嵐がいつやむかわからねえ。役人が来る前に、決着をつけなくちゃならねえ 
からな」  
「……うん」  
 それだけで十分だった。  
 俺とパステルは、部屋を出た。向かうのは……屋敷の、東側。  
 
 
 俺達が東側にたどり着いたとき。  
 階段の下では……クレイが立っていた。  
「クレイ様……」  
 パステルのつぶやきに、クレイが振り向く。  
 酷く憔悴した顔は、単なる寝不足……だけではねえだろうな。  
「来たのか、トラップ……全て、わかってるんだろう?」  
「まあ、大体はな」  
 俺が頷いたとき。  
 2階の部屋のドアの一つが……開いた。  
 そこから出てきたのは……  
「ルーミィ様……」  
 パステルの言葉が、ホールに響き渡る。  
 歩くのがやっとの、三歳にもならねえガキ。  
 部屋のドアを開けて、よたよたと歩く様は……見るからに、危なっかしい。  
「クレイ、おめえは、いつから気づいてたんだ?」  
「……ルーミィのあの症状が出るようになったのは、うちに来てから、一週間後くらいだった」  
 クレイの表情は、ひどく苦しげだ。  
 ルーミィは、俺達には全く気づいていないかのように、ふらふらと廊下を歩いている。  
 いつもはぱっちりと開いている目が……今は、半分閉じていた。  
 夢遊病。原因はよくわからねえが、寝ている間、本人も自覚していない間に外を歩き回ったりする病 
気。  
「聞いただろう? ルーミィは俺の本当の妹じゃない。二年前、山火事があって……そのとき、パステ 
ルが捨てられていたルーミィを見つけて、引き取ったんだ」  
 その山火事は俺も知っていた。死者は出なかったが、山一つが丸ごと燃えて、消火するのに3日3晩か 
かったという、大規模な火事。  
「俺達はせいいっぱい彼女を可愛がっていたつもりだ。だけど、慣れない環境は、ルーミィの心の奥深 
くにストレスを与えていたのか、あるいは火事の恐ろしい記憶がトラウマになったのか、ああして、夜 
中になると歩き回るんだ。まるで、本当の居場所を捜しているかのように」  
 俺達の会話が聞こえねえ距離じゃねえだろうに、ルーミィは全く反応を示さなかった。  
 半分眠ったような顔で歩き回るその姿は、どこぞの妖精か何かかと思うほど可愛らしい姿だったが… 
…それだけに、残酷だった。  
 
「だから、あんた達は、交代でルーミィを見張っていたのか?」  
「そうだ。階段から落ちたり、あるいは窓から落ちたりしたら、怪我ではすまないかもしれないからね 
……ルーミィは大切な妹だ。守ってやりたいと思って当然だろう?」  
 クレイの必死の顔は、心から本音を語っている証拠だった。  
 こいつは、本当に……どこまで、優しいんだ。  
「俺の、せいでもある」  
 そのとき、俺の背後で、食堂のドアがのっそりと開いた。  
 立っていたのは、ノルとキットン。同時に、二階でまたドアが開き、そこからマリーナが顔を出した。  
 やれやれ、結局全員そろっちまったのか。  
「あのとき、2階の手すりの一部が腐っていたことに気づいていたのに、すぐに直さなかった。俺にも責 
任がある」  
「いいや、ノル、違うよ。君のせいじゃない。あれは……不幸な事故だ」  
 あのとき、起きたこと。  
 夢遊病を起こして歩き回るルーミィ。それを見張っていたのは、アンダーソン老。  
 恐れていたことが起こる。ルーミィがもたれかかった瞬間、腐りかけていた手すりが折れて、落下――  
 アンダーソン老はルーミィを受け止めようとして、運悪く……一緒に落ちてきた手すりで額を強打し 
て、死んだ。  
 そう、これは事故だ。恐ろしい不幸な偶然が重なった事故。誰にも、責任はねえ。  
「トラップ探偵。どうして……わかったの?」  
 歩き回って疲れたのか。やがて、こてん、と倒れてしまったルーミィを抱き上げながら、マリーナが 
つぶやいた。  
 見上げる。彼女の手は、ルーミィを愛しそうに撫でていた。  
 そう、まるで本当の妹のように。  
「落ちたのがルーミィ以外の人間だったら……アンダーソン老の怪我は、あんなもんじゃすまなかった。 
人間の体重一人を受け止めたんだぜ? 頚骨が折れたはずだ。だが……全てわかったのは、パステルの 
おかげだ」  
「……え?」  
「パステル、手すりの修理をしたのはおめえじゃねえ。ノルだろう?」  
「え、ええ」  
 あの日。手すりの折れる音を聞いたのか、何なのかはわかんねえが。  
 とにかく、クレイ達は事故を知った。そして、それを隠し通そうとした。  
 運悪く、屋敷には赤の他人である俺が泊まっていた。クレイ達は、凶器となった手すりを暖炉で燃や 
し、ルーミィを部屋で寝かせると、ノルを起こして手すりの修理を頼んだ。  
 
「何で、おめえは自分でやったなんて言ったんだ?」  
「っ……わたし、わかっちゃったから。ルーミィ様の病気のことは知っていたから。手すりに補修の跡 
があるって聞いて、わかっちゃったから、だから、それは事件と関係が無いってことを言いたくて……」  
「俺が、新しい補修の跡だって言ったから、前日だって言うしかなかったんだな?」  
「……そうよ。だけど、そのときノルは、屋敷にはいなかったじゃない。山向こうへおつかいに行って 
いて……だから、わたしがやったって言うしか……」  
「よく考えた、って言いてえけどな」  
 俺は、ゆっくりとパステルの方を振り向いた。  
 クレイのこと、ルーミィのこと。アンダーソン老のこと。  
 おめえは、皆のことを考えて考えて……必死に考えすぎたんだよ。だから、俺の罠にひっかかった。  
「それは、ありえねえ。釘の打ち方が、違うからな」  
「……え?」  
「もし、おめえが手すりを修理するとしたら、二階に上って手すりの内側から修理をするだろう? だ 
けどな、あの補修の跡は、内側だけじゃなく、外側からも釘が打ってあった」  
「…………」  
「補修を完璧にしようとしたんだろうな。だけど、外側から釘を打つためには、宙に浮かびでもしねえ 
限りおめえには無理だ。腕を無理な方向に曲げる必要があるから、力が入らなくて、そんなにしっかり 
とは釘が打てねえ」  
「…………」  
「だけどな、ノルなら、それができた。人一倍背の高いおめえなら、ちょっとした台でも使えば……あ 
るいは、手を伸ばしさえすれば、一階にいながら2階の手すりに手が届いた」  
 俺がノルの方を振り向くと、ノルは軽く頷いてみせた。  
 万が一にも、もうあんな事故が起きないように。  
 ノルは、補修を完璧にしようと、内側からも外側からも釘を打ちつけた。それが……今回の決め手と 
なったわけだが。  
「おめえの言ったとおり、ノルは昨日俺と一緒にここに戻ってきた。補修をしたとしたら、その後だ。 
だけど、おめえは『自分がやった』と嘘をついた。……そのとき、わかったんだよ」  
「……最初から、ノルがやったとわかっていて……わたしに聞いたの?」  
「……ああ」  
 パステルの顔を、まともに見ることができねえ。  
 結果はどうであれ……俺は、彼女を騙したことにかわりはねえから。  
 どんな風に罵られてもかまわねえと、そう思っていたが。  
 パステルは……笑った。 
「やっぱり……プロの探偵には、かなわないよね」  
「…………」  
「ねえ、ルーミィは治るよね? いつか絶対に、治るよね?」  
「……ああ。言ったろ? 俺は顔が広いんだ。いくらだって、いい病院を紹介してやる」  
「よかった……」  
 パステルは、涙で濡れた笑顔で、クレイの方を振り向いた。  
「クレイ様……これでよかったんですよね?」  
「……ああ」  
「それが、ルーミィのためでもあるんですよね? ルーミィは、あんなに小さいのに、いっぱい辛い目 
にあって……いっぱい苦しんでいるんですよね。それを癒してあげるためにも……これで、よかったん 
ですよね?」  
「そうだよ、パステル」  
 クレイは、優しい笑みを浮かべて言った。  
「そうだよ。これで、よかったんだ……ありがとう、トラップ。俺達に、決心を与えてくれて」  
 クレイの言葉に、耐え切れなくなったのか、マリーナが涙を流していた。  
 もうすぐ、夜が明ける。  
 嵐は、大分、弱まっていた。  
   
 その後、やってきた役人には、「事故だ」と説明して追い返した。  
 役人は何だかわめいていたが、俺はこう見えても名の知れた探偵だ。俺がそう言い張ると、渋々納得 
していた。  
 アンダーソン老は丁重に弔われ、アンダーソン家はクレイが継ぐことになり、近々マリーナと結婚式 
を挙げるそうだ。  
 ノルとキットンは、その後もクレイの下に仕えることに決めたらしい。  
 そして、ルーミィは。  
 起きたら何も覚えていないルーミィに、「幸せか?」と聞いてみたところ、満面の笑みで「うん!」 
と答えた。  
 この笑顔を、永遠のものにするために。  
 俺は、いくつかの病院を紹介してやった。恐らく、原因は山火事。恐ろしい炎が、ルーミィの心の一 
部を焼いてしまったんだろう。  
 そうに決まっている。アンダーソン家の人々は、全員が、あんなにもルーミィを可愛がっていたんだ 
から。  
 
 
「ありがとう、トラップ。色々と世話になった」  
 そして、俺がアンダーソン家を去るときが来た。  
 クレイを先頭に、屋敷の人間が総出で見送ってくれるという丁重な扱い。来たときとはえらい違いだ 
な。  
 そして、当然、その中にはあいつがいて……  
 クレイは、例の優しい笑顔を浮かべて言った。  
「約束の報酬だ。いくらが相場かよくわからないから、俺の独断で包ませてもらったけれど……」  
 クレイの手に握られた封筒は、かなり分厚い。  
 相当の額が入ってるだろうことは想像に難くなかったが……  
 俺の心は、決まっていた。  
「いや、その報酬なんだけどな……それは、いいや」  
「え?」  
 俺の答えが余程意外だったのか、クレイは目を見開いていた。  
 おい、そんなに驚くこたあねえだろう。  
「いや、そんなわけには。トラップには散々世話になったんだし」  
「だあら、ちげーよ。現金はいらねえっての。そのかわり、と言っちゃなんだけど」  
「ああ」  
「えっとな、俺は探偵やってるわけだけど、今んとこ、従業員っつーのがいねえんだよ。電話番とか、 
事務とか経理とか、全部俺一人でやるのは、なかなか大変でな」  
「……?」  
 俺の言いたいことがよくわからないらしく、クレイは首をかしげていたが。  
 その後ろで、マリーナとキットンが、何やら意味ありげに笑っていた。  
 ……妙に鋭い奴らってのも腹が立つな、何か。  
「それに、男の一人暮らしっつーのは、飯が寂しくて仕方がないっつーか……ああ、もう、わかれよ 
!!」  
「な、何がだ??」  
 目を白黒させるクレイを押しのけて、俺はあいつの前に立った。  
 蜂蜜色の長い髪とはしばみ色の目が印象的な、ちっとばかりガキくせえ女。  
 なのに、妙に芯は強くて、俺の心を捉えて離さなかった女……パステル・G・キングの前に。  
 
「えと……?」  
「報酬は……メイド一人、で、どうだ?」  
「えっ?」  
「はあ?」  
 ぽかんとするパステルとクレイ。  
 「もう、察しなさいよ鈍いわね!!」とか言いながら、マリーナがクレイをひきずって屋敷の中へと 
戻る。  
 その後を、キットンとノルも続いた。  
 玄関先に残ったのは、俺とパステルの二人っきり。  
「ええと、あの……?」  
「っ……だあら……俺の事務所を手伝ってほしい、っつーか……その……」  
 くっそ、はっきり言わなきゃわかんねえのか? 何でこんな鈍い女に参っちまったんだか。  
「……俺と一緒に、来てくんねえ? おめえと一緒に、やっていきてえんだよ」  
「え……?」  
 
 アンダーソン家で起こった殺人事件。  
 解決に要した時間は一日。  
 報酬は、可愛い事務員を一人。  
 その事務員が、嫁さんになってくれるかどうか。  
 それは、このトラップ探偵の腕の見せ所だ。  
 まあ、見てろよ。俺は、有能な探偵だからな。必ず、やりとげてやらあ!  
 

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