ゆさゆさゆさ 
 優しく身体を揺さぶられる。 
 耳元では、俺の名前をささやきかける甘い声。 
「起きて。ねえ、起きてってば……」 
 わかっているさ。そう焦るな。 
 俺は、うーんと唸り声をあげつつ、ゆっくりと手を伸ばして相手の肩をつかむ。 
 そのままぐいっと抱き寄せようとして…… 
「きゃああああああああああああああ!! 何するのよエッチー!!」 
 ばっしーん!! 
 その朝の俺の目覚めは、20年近く生きてきた中でもベスト3には確実に入るくらい最悪のものとなった。 
  
「おい、コーヒー」 
「…………」 
「……おーい、朝飯は?」 
「…………」 
 俺がどれだけ声をかけても、パステルは振り向こうとすらしない。 
 色白な頬が、いまだに真っ赤になってやがる。 
 ったく。寝ぼけてたって言ったじゃねーか。まあ、パステルが拒否しなけりゃ、無論その先へと進むつもり満々だったことは否定しねえが。 
 俺の名はトラップ。そこそこ名の知れた優秀な探偵である。 
 さっき俺を起こしに来たのはパステル・G・キング。 
 我が探偵事務所唯一の従業員にして、俺の将来の嫁さん……になってほしいと心密かに思っている女である。 
 いつだったか、アンダーソン家という名家で起こった事件のときに知り合い、報酬かわりに貰い受けてきたんだが。 
 女の扱いには慣れた方だと自負しているこの俺が、何故かこいつだけはなかなかものにできねえ。 
 驚異的なまでに鈍感で、お子様で、なかなかこのナイーブな男心って奴をわかってくれねえんだよなあ。 
 はあ。 
 ため息をつきつつ立ち上がる。しゃあねえ、自分で用意すっか。 
 台所でつったったまんまのパステルの横に立ち、自らコーヒーメーカーをセットする。 
 パステルが来る前は全部自分でやってたからな。扱いには慣れたもんだ。 
 もっとも、最近台所に立つのはもっぱら彼女だから、気がつかねえうちにものが増えたり配置が変わったりしてちっととまどったが。 
 ちなみに、この事務所は兼俺の家でもある。どっかにアパートでも借りようかと思ったことはあるが、どうせ毎日ここに顔出すことになるんだ、と考えたら面倒になっていつのまにかそうなった。 
 パステルは、ここに来た当初、どこか小さな部屋でも借りようとしたらしいが。 
「部屋代なんざ出すつもりはねえ」 
 と俺が冷たく言ってやると、不承不承ここに住み込むことに同意した。 
 もちろん俺はけちでそう言ったわけではない。断じてない。 
 住み込みなら四六時中顔をつきあわせるわけで、そうなりゃあ口説くチャンスも増えるってもんだ。さすがに部屋は別々だが。 
 俺がごぼごぼとコーヒーをカップに注ぐと、いまだ真っ赤になったままのパステルがぐい、と何かをつきつけてきた。 
「ん?」 
「……お砂糖とミルク」 
「さんきゅ」 
 もともとコーヒーはブラックで飲んでいたが、パステルが来るようになってから、甘いコーヒーってのも悪くない、と思うようになった。 
 全く。この俺が女一人のために自分の主義まで曲げることになるとは。 
 パステル・G・キング。大した女だぜ。 
  
 ようするに、パステルは立ち直りが早い女なんだ。 
 過ぎたことをぐずぐず拘るような人間じゃねえ。ま、そこがいいところなんだけどな。 
 俺が爽やかに「寝ぼけてたんだ」と繰り返すと、どうにか機嫌を直してくれた。 
 一人暮らしのときでは絶対食えなかったようなうまい朝食を二人で堪能していたときだった。 
 玄関のドアがノックされたのは。 
「はーい」 
 ばたばたとパステルが応対しにいく。 
 こんな朝早くに、誰だ? 依頼人か集金かあるいは変な勧誘か。 
 一番最後の予想が当たっていた場合、パステルでは荷が重い。何しろあいつは救いがたいお人よしだからな。 
 ずずっとコーヒーを飲み干して俺も玄関に向かうと…… 
 黒髪長身、すらっとした体格の男の俺から見てもいい男……が、パステルの肩を抱いて顔を見つめていた。 
 瞬時にどっかんと頭に血が上る。 
 なななな何やってんだこいつらは!? 
「あ、あのっ……」 
 パステルもかなり困惑しているようだが、男は、一切気に止めずにじーっとパステルの目を見つめて…… 
「おい」 
 明日事務所が倒産する、と言われてもできねえだろうというくらい不機嫌な顔で男の肩をつきとばす。 
 そこで初めて、男は俺の存在に気づいたようだ。 
「誰だてめえ? うちの従業員に何か用か?」 
 こいつは俺のもんなんだよ。手え出すな。 
 後半は視線にこめて男をにらみつけてやる。ついでにどさくさにまぎれてパステルの肩を抱いてみる。 
 男は、そんな俺達をしばらく見比べていたが、やがて、にやりと笑って口を開いた。 
「これは失礼。あんまり驚いたもんでな。ここは探偵事務所……だな?」 
「ああ、そうだ」 
 表に看板が出てるだろうが。そう口の中でつぶやくと、 
「すると、こちらのお嬢さんも探偵なのか?」 
「え、わたし?」 
 お嬢さん、と言われたのが嬉しいのか、パステルはへらっ、と笑って首を振った。 
「いえいえ、違います。わたしはただの事務員で……」 
「探偵は俺だ。あんた、依頼人か?」 
「ああ」 
 俺の問いに、男は頷いて言った。 
「ギア・リンゼイと言う。そちらのお嬢さんに、依頼したいことがあってな」 
 男の問いに、俺とパステルは目を見合わせた。 
  
 応接室に男、ギアを通す。 
 パステルは茶を入れるべく台所だ。 
 水でいい、と言ってやったのだが「何言ってるのよ」とたしなめられてしまった。 
 くっそ。何もわかってねえな。 
「んで? 詳しい話を聞かせてもらいてえんだが」 
 どかっ、とソファにふんぞりかえって言うと、ギアは頷きながら、写真を一枚取り出した。 
 そこに写っていたのは…… 
「ん?」 
 じーっ、と目をこらす。 
 そこに写っていたのは……パステルだった。 
 いや、正確に言うとパステルによく似た女だ。あいつの髪はくせ毛だが、写真の女はストレート。だが、違いといえばそれくらい……それほどよく似た女。 
「誰だ? この女は」 
「彼女の名はミモザ。とある大貴族の一人娘だ。俺が用心棒を受け持った相手でもある」 
 用心棒? おいおい、話が物騒になってきたぞ。 
 ちょうどそのとき、パステルが紅茶と手作りのクッキーを持って入ってきた。 
 テーブルに並べて、俺の隣に座る。 
 こうして比べてみると、ますます似てるな…… 
 パステル本人も驚いたらしく、じーっと写真を凝視している。 
「ミモザ、ね。んで? その貴族のお嬢様の用心棒が、何の用なんだ?」 
「トラップ探偵。お前も探偵なら、薄々察してるんじゃないか?」 
 ギアは実に面白そうに俺を見た後、茶をすする。 
 まあな、大体の想像はつく。 
 貴族の娘、用心棒、よく似た娘、パステルへの依頼。 
「身代わりを頼みてえ、とそういうことか?」 
「察しがいい、その通りだ」 
 俺の答えにギアは満足そうに頷いて、詳細を語り始めた。 
  
 ありがちと言えばありがちな、遺産相続問題に絡んだ騒動。 
 大貴族の娘、ミモザの父親が、病床に伏してもう長くは無いという。 
 当然遺産を相続するのは一人娘であるミモザだが、家を継ぐための条件として、彼女は結婚をしなければならない。 
 結婚相手は決まっている。家同士が幼いときから決めていたという、古くから付き合いのあるやはり貴族の息子、ナレオ。 
 本人同士も納得しており、それで話は終わるはずだったが。 
 そこに意義を唱えてきたのが、ナレオの父親、ゾラ。 
 当初はミモザの家の方がナレオの家よりも遥かに力を持っていた。そのため、ナレオがミモザに家に婿入りする、ということだった。 
 だが、ここ近年、ミモザの家が少々衰退気味なのに対し、ナレオの家は逆に力を増していった(どうせ裏で汚ねえことでもやってんだろ、と俺が口走り、パステルに睨まれた)。 
 そうなるとゾラとしては欲が出てくる。ナレオを婿入りさせるのではなく、ミモザをこちらの家に嫁入りさせろ……とまあ、そうもめているのだとか。 
 だが、これはあくまでもゾラの意見であり、ナレオとしてはミモザの家に婿入りすることに全く不満は無い。 
 そこで二人が考え出したことは、ゾラが文句を言い出す前にさっさと既成事実……この場合は婚姻か……を成立させよう、ということだった。 
 どこの貴族にも古くからのしきたり、というものがあるもんだが、ミモザの家の場合、婚姻に当たっての条件として結婚相手と二人で指輪をとある搭に納めに行く、というものだ。 
 ところが、もちろんゾラとしてはそんなことをさせるわけにはいかない。あれやこれやと妨害行為を持ちかけてくる。ついにはおかしな連中を雇って二人を襲わせたりもしたとか(おいおい、死んだらどうするつもりなんだよ、そいつバカじゃねえの? と口走り、パステルに嫌というほど足を踏まれた)。 
 そこで、用心棒として雇われたのがギア、及びここにはいねえがダンシング・シミターというギアの相棒。 
 この二人とミモザにナレオ、そしてミモザの家の執事頭であるアルメシアン(こいつはどうやらミモザの世話をするためについてきたんだとか)の五人で、搭を目指して旅を始めた、と。 
 それが三日前のこと。この町に滞在して物資の調達などをしているとき、偶然にも買い物に来ていたパステルを見かけ、妙案を思いつく。 
 パステルは遠目に見ればミモザにそっくりだ。身近な人間ならともかく、雇われたごろつき程度なら見分けはつかねえ。 
 ミモザとパステルが入れ替わって目をくらませながら搭に向かい、ミモザは少し遅れて別ルートから搭を目指す、とまあそういう案を考え付いたわけだ。 
 
「断る」 
 話を聞いて、俺は一刀両断した。 
 パステルはびっくりしたように俺を見つめているが……冗談じゃねえぞ。 
 そんなパステルを危険にさらすような真似ができるかっつーの。お家騒動なんざ知ったことか。 
「ちょっと、トラップ。そんなすぐに断らなくても。困っているみたいだし」 
「ばあか、他人の家の遺産相続問題なんかに首つっこんでみろ。ろくなことにならねえぞ。ギア、とか言ったか? あんたえらく腕が立ちそうじゃねえか。そこらへんのごろつきくれえ、どうにかできねえの?」 
 多分にバカにしたような響きをこめつつ言ってやる。 
 大体用心棒なんて奴は、自分の腕に自信を持ってるもんだ。当たりめえだが。 
 プライドを傷つけるような発言をしてやれば、「お前達なんかに頼む必要は無い」とかなんとか言って引き下がるだろう、と思っていたのだが。 
 ギアはどうやら、そんな俺の考えなぞお見通しだったらしく、平然とした顔で言った。 
「用心というのは、いくらしてもしすぎるということはない。ゾラも少々頭に来ているようだしな。もしかしたら、婚姻を成立させてナレオを婿入りさせた後、ミモザの暗殺を企むかもしれない。そうすれば結果的にミモザの家はナレオのものになるからな。そのためには、ここでゾラを徹底的に叩き潰す必要がある。これはナレオも了承済みだ」 
「はあ? ナレオってのはゾラの息子だろ? 自分の父親をか?」 
「それ以上にミモザの方が大事なんだとさ。何、別に殺すわけじゃない。赤の他人、一般人であるパステルに追っ手を差し向けた……そのことを役人に通報して少々痛い目を見てもらうだけだ」 
 おいおい、さらっととんでもないこと口走るな、こいつ。 
 だがまあ、ありえねえ想像とは言えねえが。 
 ギアの言葉に、パステルは真っ青になっていたが、やがて拳を握り締めて立ち上がった。 
「わかりました。わたし、やります」 
「おい、パステル!?」 
「だって許せないもの。本人達は愛し合っているのに、それを引き裂くような真似……トラップ、あなたそれでも探偵なの!? 困っている人を見過ごすつもり!?」 
 探偵は便利屋じゃねえ。 
 そう言ってやりたかったが、パステルの目は、変な使命感に燃えていて…… 
 ああ、もうこいつがここに来てから嫌というほど思い知ったが……パステルは、どこまでも、どこまでもお人よしなんだよな。こいつがこういう目をしたら、もう止められねえ。 
 そのおかげで、何度無償で依頼を受けさせられたことか…… 
「わかった。わかった、いいじゃねえか、引き受けよう」 
「そうか」 
 俺とパステルを面白そうに見ているギア。その目が、何だか全てを見透かしているようで果てしなく気にいらねえ。 
 くっそ。黙って引き受けるつもりだけは、毛頭ねえからな。 
「ただし、条件が二つばかりある」 
「聞こう」 
「一つ、依頼料は弾んでもらうぜ。危険手当て込みでな。大貴族なんだろ? ミモザっつーお嬢さんの家は」 
「言われるまでもない。この探偵事務所が丸ごと買い取れるだけの額はすぐにでも準備できる」 
 何とも豪快な話だ。まあそれならこの件に関しては文句はねえ。 
 もう一つ。もっとも重要な条件。 
「二つ、俺も連れていけ」 
「トラップ!?」 
 俺の言葉に、パステルは驚いたようだが……ギアの方は、ぴくりとも表情を動かさなかった。 
 どうやら予想してたらしいな。 
「いいか、パステルは探偵じゃねえ。ただの従業員だ。依頼を受けたのは俺だ。だから俺も連れていけ。これは譲れねえからな」 
「駄目だ、という理由は無い。噂を聞いたが、探偵としては随分優秀らしいな、トラップ」 
 にやり、と笑ってギアは立ち上がった。 
「ミモザ達が泊まっている宿に案内しよう。ついてきてくれ」 
 
 ギアに連れていかれたのは、俺の探偵事務所から歩いて一時間ばかりかかるところにあるぼろっちい宿屋。 
 ちなみに、そこに来るまでの道中、2、3回ごろつきに襲われた。 
 「手を引け」みてえなことを叫んでたところを見ると、ゾラって奴が差し向けたごろつきなんだろうが。 
 ギアが2、3回剣を振り回しただけで、奴らはあっさりと退散していった。俺は剣技に詳しいわけじゃねえが、それでもわかる。かなりの使い手だ。 
 パステルの奴は感心しきった様子でギアを見ている。くそっ、面白くねえ。 
 そうしてたどり着いたのが、「みすず旅館」という名前の宿。風が吹いたら倒れそう、という表現がぴったりくるおんぼろだ。 
「おいおい、大貴族のお嬢さんが、よくもまあこんな宿に泊まることを了承したな」 
 俺が皮肉ってやると、ギアはぴくりとも表情を変えずに玄関の戸を開けた。 
 バタン、と、旅館全体を揺るがしそうな盛大な音がする。 
 おいおい、どんだけ安普請なんだよ…… 
「追手の目をくらますためだ。誰も、こんなところに大貴族が泊まるなんて思わないだろう?」 
 へえへえ、言われてみればその通り。 
 俺は、念のために顔を隠したパステルと並んで、玄関をくぐった。 
  
 宿屋には、部屋は一階に三つ、二階に三つの計六部屋しかないとか。 
 ギアに連れていかれたのは、一階の真ん中の部屋。 
「ギア!」 
 ドアを開けると、中で待機していた四名が一斉に立ち上がった。 
 一人がミモザ。こうしてみると本当にパステルによく似ている。 
 一人が、色白な肌に金髪、まあ美形と言えなくもないがひょろっと痩せていまひとつ頼りない雰囲気を漂わせている男。こいつがナレオだろう。 
 一人が、白髪の上品な老人。こいつが執事アルメシアンか。 
 そして、最後の一人が、みんなから少し離れた場所で壁にもたれかかっている、禿頭に長い三つ編みを一本ぶらさげただけという、どうにも理解しがたいヘアスタイルの男。 
 だが、一目見てわかった。かなりの使い手だ。こいつがダンシング・シミター。ギアの相棒だろう。 
「ギア、すまない。迷惑をかけた……そちらが?」 
 ミモザがかけより、俺達の方に視線を向けた。 
 大貴族として甘やかされたであろう割には、俺達に対する態度は悪くはない。俺はいつぞやの事件で知り合ったクレイを思い浮かべた。貴族だからって偏見を持つのはよくねえかもしんねえな。 
「彼女がパステル。……見てわかるだろう、ミモザ。君の身代わりを引き受けてくれる女性だ。そして、こちらが……」 
「トラップ。探偵だ」 
 俺が名乗ると、ミモザは深々と頭を下げて言った。 
「面倒なことを頼んですまない。本来、このようなことに他人を巻き込むべきでないことはわかっているが……」 
「皆まで言わなくても結構。こっちとしちゃ、依頼料さえ相応にもらえりゃいいんだ。仕事だからな」 
 そう言うと、後ろでアルメシアンらしき男がいきり立った。 
「お、お嬢様に何という口のきき方を……無礼な! ギア殿、我々が必要としているのはパステル嬢。このような輩を呼んだ覚えはありませんぞ!?」 
「ああ? おめえなめたこと言ってんじゃねえぞ?」 
 ぐいっ、とミモザを押しのけ、アルメシアンをにらみつける。 
「パステルはなあ、探偵でも何でもねえ、ただの事務員なんだよ。その可愛い部下を、『俺達だけじゃどうにもできないから助けてください』なんつー情けねえ奴らにまかせて一人でのんびりなんてできるわけねえだろうが? 勘違いすんなよ、探偵は俺だ。依頼を受けたのも俺。パステルじゃねえ」 
「な、な……」 
「ちょ、ちょっとトラップ……」 
 パステルが慌てていさめようとしたらしいが、それを軽く手で追い払う。 
 勘違いしてもらっちゃ困る。おめえは利用されてるんだぜ? ミモザを傷つけたくはねえけど、おめえなら例え殺されても問題はねえ、そう思われてるんだぜ? 
 しばし俺とアルメシアンのにらみ合いが続いた。ナレオとギアは面白そうにそれを見ており、ダンシング・シミターは全くの無表情。パステルははらはらしていて…… 
「よいのだ、アルメシアン」 
 割って入ったのは、ミモザだった。 
「よい。トラップの言う通りだ。わたくし達はパステルを危険に巻き込もうとしている。不安に思われるのは当然だ。トラップ探偵、改めてわたくし達に協力を願えないだろうか? 無論、礼は弾ませてもらう」 
 ミモザは、丁寧に頭を下げて言った。 
 親の躾がきっちり行き届いたお嬢さんだ。そこまで言われちゃ、俺にも文句はねえ。 
「わかった。詳しい計画を聞こうじゃねえか」 
 俺の言葉に、七人はテーブルを囲んだ。 
  
 計画は単純だ。ようするにゾラを罠にはめる。 
 ナレオとパステルで搭に向かい、ミモザは別ルートから搭に向かう。 
 無論、ミモザの方はある程度変装をして、だ。 
 雇われのごろつきをナレオ達でひきつけている間にミモザが先に搭に潜入しておき、パステルとナレオは搭の前までわざとごろつきを引き寄せる。 
 そこで、ナレオに搭に入ってもらい、ミモザと誓いの儀式とやらを済ませてもらう一方で、ミモザ及びギア達用心棒がごろつきと応戦、と。 
 ミモザ(と思われているパステル)が搭に入らない限り、儀式は成立しねえから、ゾラとしてはまさか既に儀式が終わっているとは思いもしねえわけだ。 
 そこで、パステルに「大人しく嫁に行くからこんなことはやめろ」とでも叫ばせれば、ゾラのこった。のこのこと姿を現すだろう。 
 それが動かぬ証拠。一般人、パステルにごろつきを差し向けて襲わせる。貴族としちゃ救いようのない醜聞になる。 
 この時点でナレオはもう儀式をすませてミモザの家に婿入りした形になっているから、形式上、ゾラ(というより家?)とは無関係、という扱いになるわけだ。ならなくてもさせる、という方が近い。 
「ゾラ本人がそう都合よく姿を現すか? 危険のねえところで高みの見物してんじゃねえの?」 
 と聞いてみたが、それは息子たるナレオに否定された。 
「父さんの性格上、ありえないね。いつだって大事なことは自分で確認しないと気がすまない、そういう人だから。気が小さいんだよ、ようするに」 
 息子にこうまで言われるとあっちゃ、父親としておしまいだな。 
 まあ、とにかく。危険なことに変わりはねえが、ギア、そしてダンシング・シミターも、かなりの使い手ということだ。そこらへんのごろつきなんざ相手にもならねえらしい。 
 で、問題は二手に別れるその組み分け方なのだが。 
「私はお嬢様についていきます!!」 
 そう言いはったのはアルメシアン。まあ、大事なお嬢さんを素性もわからねえ用心棒にまかせるのが不安だ、っつー気持ちはわかるんだが。 
「あんたバカじゃねえの?」 
「な、何ですと!?」 
「敵さんにはなあ、パステルをミモザだ、と思ってもらう必要があるんだぜ? それなのに、大事な大事なお嬢さんを守る立場であるあんたがついていかなくてどーすんだよ」 
 ぐっ、とアルメシアンは言葉に詰まる。 
 全く、考えなしというか何というか。 
「そうだ、アルメシアン。おまえはパステルとナレオについていってくれ。わたくしは……」 
「ダンシング・シミター。ミモザ嬢の護衛を頼む」 
 そう声をあげたのはギア。その言葉に、ダンシング・シミターはにやりと笑って頷いた。 
 まああいつなら、少々敵に囲まれても何てこたあねえだろう。 
「俺がパステルとナレオ殿の護衛につこう。トラップ、お前はミモザ嬢の方についていってくれるか?」 
「はあ!?」 
「ぎ、ギア殿! こんな男にお嬢様をまかせるなど!!」 
 続けて言われた言葉に、思わず間の抜けた声をあげる。横では、アルメシアンがとんでもない、と頭から湯気を出しそうな勢いでわめいている。 
 おいおい、俺はパステルを危険な目に合わせねえためについていく、って言ったんだぜ? 何で俺が離れなくちゃいけねえんだ? 
「自分で言っただろう。アルメシアンにはどうしてもナレオとパステルについていてもらいたい。さりとて、トラップ、いざ敵に襲われたとき、お前にパステル達を守って敵を撃退するだけの腕があるのか?」 
 ギアの言葉に、ぐっとつまる。 
 確かにそうだ。俺も飛び道具なら多少腕に自信はあるが、大勢を守って多数を守れる程の腕はねえ。 
「だから、俺とダンシング・シミターが二手に別れる。だが、トラップ、お前みたいな目立つ奴が突然一行に加わられると、ゾラに不審がられるかもしれないだろう。ダンシング・シミターの扮装をしてもらうわけにはいかないしな」 
 気持ちわりいことを言うな。 
 一瞬おさげにした自分を想像して、ぶんぶんと首を振る。 
 まあ、確かに言われてみりゃその通りだ。俺の赤毛は相当に目立つし、ダンシング・シミターとは体格が違いすぎるから扮装は無理だ。 
 ゾラには油断してもらわなきゃならねえ。そのためには、護衛が減るのはいいが、余計な人間が増えるのは避けたいところだ。 
 しかし、なあ…… 
「いいのよ、トラップ。わたし達はギアがいるから大丈夫。ミモザさんを守ってあげて」 
 何もわかってねえパステルがのんきな声をあげる。 
 おい、おめえはいつからそんなにギアの腕を信頼するようになったんだ。人の気も知らねえで。 
「よろしく、トラップ」 
 同じく何もわかってねえらしきミモザが、再び丁寧に頭を下げる。 
「こっちこそ、よろしくな。……あんたもな、ダンシング・シミター」 
 さっきから一言もしゃべらねえ男に声をかけると、ダンシング・シミターは軽く手を上げて言った。 
「せいぜい、俺の足手まといにならんようにな」 
 ………… 
 ナレオとギアはどこまでも面白そうに見つめており、アルメシアンは不機嫌丸出しの顔で俺をにらんでいて、パステルはにこにことギアの方を見ている。 
 くっそ。おもしろくねえ!! 
  
 で、まあひと悶着はあったが、とにかく出発は明日、今日は俺とパステルもこの宿に泊まる、ということになった。 
 が。 
「え……同じ、部屋?」 
 宿の人間の話に、パステルが不満そうな声をあげる。 
 そうなんだよな。先にも言ったが、この宿には六部屋しか部屋がねえ。 
 で、うち既に五つは、ミモザ、ナレオ、ダンシング・シミター、ギア、アルメシアンで埋まっている。 
 そうなると、俺とパステルは当然、残り一部屋に二人で泊まり……ということになる。 
「大丈夫大丈夫。エキストラベッドは入れてあげるから」 
 宿の女将はにこにこしながら言って、鍵を渡す。 
 いや、俺としては別に同じベッドでもいっこうに構わねえんだが。 
 当初、ダンシング・シミターとギアの二人が一部屋に、という案もあった。 
 が。 
「護衛のため、左右の部屋に戦力になる人間を入れておきたいんだ。夜中、宿に襲撃がある可能性もあるからな」 
 と言われちゃあなあ。ナレオは「他人が部屋にいると眠れねえ」とほざくし、まさか女であるミモザの部屋にアルメシアンが一緒に寝るわけにはいかねえ。 
 かと言って、アルメシアンに言わせりゃ一般人が貴族たるミモザと一緒の部屋で寝るなんてとんでもねえ、とこうだ。 
 そうなったら、もう俺とパステルが一緒に寝るしかねえじゃねえか? 
 実は俺がギアかダンシング・シミターの部屋に泊めてもらう、という方法があるが、それはあえて口にしなかったし向こうも言ってこなかった。 
 冗談じゃねえ。あんないけすかねえ奴らと一晩とは言え同じ部屋で寝れるかっつーの。 
「ほら、しょうがねえだろ。他に方法はねえんだから。安心しろ、おめえみてえな出るとこひっこんでひっこむところが出てる女になんか何もしやしねえよ」 
「なっ、何よおしっつれいな!!」 
 ふん、と顔を背けて、パステルは鍵をひったくると階段を上っていった。 
 まあ、嫌がるというか不安そうな顔をした、っつーことは。 
 ちっとは、俺を男として意識した、と思っていいんだよな? 
  
 部屋割は、一階の左端からギア、ミモザ、ダンシング・シミター。二階の左端から俺とパステル、ナレオ、アルメシアン、となった。 
 おんぼろとは言え一応窓もドアも鍵がかかる。ミモザが一階というのは危険じゃないか、とも思ったが、いざというときすぐに逃げられるようにとの配慮かららしい。 
 で、そのおんぼろで大して広くもねえ部屋に無理やりエキストラベッドを入れて。 
 俺とパステルは身体を休めていた。 
「はあ。緊張するなあ。明日にはもう出発なのよね?」 
「ああ、早いとこすませてえらしいからな。お嬢さん達としちゃ」 
「うーっ、眠れないかも」 
「けっ、おめえがんな神経質なたまかっつーの」 
「なっ、何よ。失礼ねっ!」 
 ばっとベッドから起き上がると、パステルはドアの方へと歩いて行った。 
「どこ行くんだ?」 
「飲み物もらってくるの。あったかいミルクでも飲めば、寝れるかもしれないでしょ!」 
 バタン 
 ドアが閉まると、思いの他大きな音がした。ったく、これだから安普請は。 
 あー、それにしても、だ。 
 ごろごろごろ、とベッドの上を転がる。 
 全く、同じ部屋で一晩過ごすという絶好のシチュエーションだというのに、全くそれらしい雰囲気になりゃしねえ。あの鈍感女め。 
 ここは一つ、無理やり実力行使に出るかあ? 
 そんな不穏なことを考えていると、隣の部屋からがつん、というような音が響いた。 
 おんぼろなだけに壁も薄い。隣の部屋の音が筒抜けなんだよな。 
 ちなみに俺達の隣はナレオの部屋だが。どうやら何か物を落としたらしい。 
 駄目だ。こんな筒抜け状態で事に及んでみろ。宿中に音が響くぞ、きっと。 
 しゃあねえ、諦めるか。 
 そのまま枕に顔をうずめていると、眠気が襲ってきたが。 
 バタン、という音に顔をあげる。どうやら、パステルが戻ってきたらしい。 
 大きなトレイに、湯気の立ったカップを二つに籠にフルーツを盛っている。 
「どうしたんだ、それ?」 
「ああ、この宿ね、食事は宿泊料と別料金だけど、フルーツは食べ放題なんだって。好きな果物を持って行っていいですよ、って言われたから。トラップも食べる?」 
 言われてみりゃあ、ちっと小腹が空いたな。 
 籠の中からりんごを取り上げて丸ごとかじる。甘い味とたっぷりの汁気が広がった。 
 結構いいりんごだな。 
「もー。せめて皮くらいむいたら?」 
「ばあか、んなめんどくせえことできるかってーの」 
 りんご、バナナ、イチゴ、オレンジ。 
 籠に盛ってあったのはこの四種類。パステルの話しによると、今の時期は食べ放題のフルーツはこの四種類だけなんだとか。 
「季節によって、果物の種類は色々変わるんだって。ねえ、いい宿屋よね」 
「まあな」 
 おんぼろ、おんぼろと連呼してきたが。 
 サービスは、悪くはねえ。 
 果物をかじりながら、俺はつぶやいた。 
  
 その夜、幸いなことに襲撃はなかった。 
 宿の中は静かで(誰もいびきをかく奴がいなかったのが本当に幸いだった)、俺もパステルも、疲れもあってぐっすりと寝込んでいた。 
 だが、襲撃はなかったものの。 
 もっと最悪な事態が密かに起こっていたことに、誰も気づかなかった。 
  
 朝。俺とパステルは、どんどんどん、という激しい音に目が覚めた。 
「な、何?」 
「……あんだよ……もうちっと寝かせろよなあ……」 
 俺とパステルがもぞもぞと起き出したときだった。 
「起きろ、トラップ! パステル!!」 
 響いた声に、がばっと身を起こす。 
 この声は……ギア? あのすかした野郎がこれだけ慌てふためくなんて、一体何があった? 
「どうした!?」 
 ばん、とドアを開けると、珍しく蒼白になったギアが俺の腕をひっぱった。 
「とにかく来い。ミモザ嬢が……」 
「ミモザさんが!?」 
 ギアの言葉に、パステルも慌てて駆け寄る。 
 どたどたどた、と板を踏み抜きそうな勢いで階段を降りて、ミモザの部屋にかけこむと…… 
「お嬢様、お嬢様!?」 
 部屋の中はすげえ騒ぎだった。 
 ミモザが真っ青になって床に倒れている。それを必死に揺さぶるアルメシアン。無表情にドアにもたれかかるダンシング・シミター。 
 ……まさかっ…… 
「何だい? 何の騒ぎ?」 
 さすがにこれだけ大騒ぎをすると目が覚めたのか、階段からのんびりとあくびをしつつ降りてくるナレオ。 
 だが、俺達の様子を見て、さすがに血相を変えて走ってくる。 
「ミモザが、どうかしたのか!?」 
「わからねえ。ちっと、部屋に入らねえでくれるか?」 
 今にも部屋に押し入りそうなナレオを入り口で押しとどめて、俺はゆっくりと足を踏み入れた。 
 ギアもダンシング・シミターも入り口から動かねえ。部屋にはアルメシアンとミモザの二人。 
 アルメシアンを押しのけて、ミモザの手首をつかむ。 
 ………… 
「お、お嬢様は……?」 
「安心しろ。死んじゃいねえよ」 
 俺の言葉に、全員が一斉に息をついた。 
 ……実は、そう楽観したもんじゃねえんだが。 
「死んじゃいねえ。けど……この症状。何か毒を飲まされたな」 
「なっ!?」 
 俺の言葉に、アルメシアンが目をむいた。 
 それを無視して、俺はミモザを抱き上げナレオに押し付ける。 
「どっか、別の部屋で寝かせて医者呼んでくれ。早くしねえと手遅れになるかもしんねえぞ」 
「え? え?」 
「パステル、手伝ってやってくれ。後、役人にも連絡しろ」 
「わ、わかった!」 
 さすがに何度か助手を勤めただけあって、パステルの反応は早かった。最初の頃は、俺が何を言ってもおたおたしたもんだが。 
 ナレオをうながして部屋から出る。ギアがそれにつきあって外に出て行った。 
 ……何でいちいちおめえがついていくんだよ。 
 そう文句を言いてえところだが、今はそれどころじゃねえ。 
「おい」 
 アルメシアンの肩を叩くと、蒼白な顔で振り返った。 
 まずは、事情を聞かねえとな。詳しい状況を。 
「何があったんだ?」 
 
 アルメシアンの話しによるとこうだった。 
 朝、ミモザを起こそうとドアを叩いた。 
 だが、ミモザは一向に反応しない。 
 そう寝起きの悪い方ではないし、第一今日は搭に向かう日。まさか寝坊など…… 
 そう考えたアルメシアンは、悪いとは思いつつ、宿の女将に頼んで合鍵をもらい、部屋の鍵を開けた。 
 すると、テーブルの上につっぷしているミモザの姿が目に入った。 
 まさかこんなところで寝たのか? と不思議に思いつつ抱き起こしてみると、ミモザの顔は真っ青で、酷く身体が冷たかったとか。 
 アルメシアンが大騒ぎをしていると、それを聞きつけたギアとダンシングシミターがやってきた。 
 で、ダンシングシミターが入り口を見張っている間に、ギアが俺達を起こしに来た、とそういうことらしい。 
「ふーん……ってこたあ、部屋に入ったのはミモザを除けばあんただけなんだな? アルメシアン」 
「はい……」 
 いつもなら「お嬢様を呼び捨てにするな!」とか何とかわめくところなんだろうが、さすがのアルメシアンも少々ショックを受けているらしく素直に答える。 
「で、鍵はしっかりかかってたんだな?」 
「はい。私も合鍵をもらってくるまで部屋には入れませんでした」 
 うーん。 
 鍵のかかった部屋の中で、毒を飲んで倒れていた…… 
 普通に考えりゃあ、自殺、と思うところだが…… 
 テーブルの上には、ポットとコップと籠に盛ったフルーツが置いてあった。どうやら、このどちらかに毒が入っていたらしい。 
 籠の上には、りんごにバナナにイチゴにオレンジ。つまり、今の時期食べ放題なフルーツが全種類盛られている。 
「おい。これは、ミモザ本人が持ってきたのか?」 
 俺が聞くと、アルメシアンは首を振った。 
「それは、私がお運びしました。お嬢様の朝食に、と思いまして」 
「いつ?」 
「昨晩です」 
 運んだのは、アルメシアンねえ…… 
 ミモザ本人が毒をあおったのではないとすれば、一番怪しいのは運んだ人間、ということになるが。 
 まあ、毒がこの中のどれかに含まれていりゃあ、の話しだが。 
 この忠誠の塊みてえなアルメシアンが、ミモザを殺そうとする動機なんざあるのか? 
 もしかしたら、外部の人間か。毒を使うなんざごろつきらしかぬ手だが…… 
 俺が考え込んでいると、外が騒がしくなった。 
 医者と役人が到着したらしい。 
  
「またあなたですか。トラップ探偵……」 
 深々とため息をついたのは、長いつきあいになる役人、トマス。 
 短い金髪とめがね、そばかす顔に残る、小柄な役人だ。 
 探偵始めた頃からつきあいのある、まあ顔なじみ、って奴の一人だ。 
「んな嫌そうな顔するこたあねえだろうが。俺だって好きで巻き込まれたわけじゃねえよ」 
「わかっていますけど……」 
「んで、どうなんだ?」 
 トマスの他に、マックスやジェリーと言った同じく顔馴染みの役人達が、どやどやと部屋の中を調べている。 
 俺とトマスは、邪魔にならねえよう、外へと出ていた。 
「飲まされたのは、毒に違いありませんが。少量でしたしね、命に別状は無い、ということです」 
「んじゃ、助かったのか」 
「はい。すぐに話も聞けるようになると思いますよ。今は、ナレオさんの部屋で休ませています」 
 ナレオの部屋か。後で顔を出すとしよう。 
「んで、状況は?」 
「それがどうも……よくわからないんですよねえ」 
 トマスは、首を振り振り言った。 
「部屋の鍵はかかっていたそうですし、この宿も、夜の九時を過ぎたら鍵をかけてしまうそうです。もちろん中からは開きますけれど……昨夜、ここに泊まっていたのは皆さんだけなんですよね? 誰も外に出た人は……」 
「いねえだろうな」 
 それは言い切れる。何しろ、あれだけバタンバタンと盛大な音がするんだ。外に出たらぜってー誰かが気づく。 
「ですよねえ。こっそり鍵だけ開けておいて外部から人を呼び寄せる、というのも……」 
「それもねえな。ここの部屋のドアも入り口もな、えらく開け閉めに大きな音がするし、壁も薄い。夜中にそんな音を立てりゃ、ぜってー誰かが気づく。聞いてみろよ。誓って言うが、昨夜皆が寝静まった後、誰も部屋から出た奴はいねえし俺達を最後に宿に入ってきた人間もいねえ」 
 寝る前ならわかんねえけどな。いちいち気にしてなかったが、ドアの開け閉めの音は何度かしていた。 
 もちろん、夜中に部屋を出たって、「トイレに起きた」と言い訳すりゃあすむ話しなんだ。それなのに、音はしなかった。入り口のドアが開かなかったこともまず確かだろう。 
 夜中、部屋の出入りはなかった。それが何を意味するのか…… 
「うーん。となると、内部の人間の犯行、ということになりますが……」 
「ま、そうだろうな」 
 俺が肩をすくめると、それまで黙って話を聞いていたアルメシアンが、血相を変えて詰め寄ってきた。 
「な、内部ですと!? それはつまりっ……我々の中に、お嬢様に毒を盛った人間が……」 
「ま、そーいうこった」 
 俺があっさり答えると、アルメシアンはうーん、とうなってひっくり返った。 
 どうやら、ショックのあまり気が遠くなったらしい。 
「おい、誰か部屋に運んでやってくれ」 
 男を背負うなんざ、俺の趣味じゃねえ。 
  
「さて、だ」 
 ばん、とテーブルを叩く。 
 ここはアルメシアンの部屋。テーブルを囲んでいるのは、俺とパステル、ギア、ダンシング・シミター、ついでにベッドの上ではうんうん唸っているアルメシアン。 
 ナレオはミモザに付き添っている。へらへらと軽薄そうな男だったが、ミモザを愛している、というのは本当らしい。 
 ちなみに本当は役人達が事情聴取をしようとしたんだが、そこはそれ。 
 長いつきあいということで、俺が無理やり受け持つことにした。過去、俺の働きで何度も事件解決しているだけに、強くは出れねえからな。渋々だが了承してくれた。 
 何しろ、事がお家騒動だからな。役人達につつきまわされてゾラのことがばれた日には、話がややこしくなる。 
 もう十分すぎるほどややこしい気もするが。 
「聞いての通りだが、ミモザに毒が盛られた。役人の話しだと、鍵をこじ開けたような後はどこにもない、ということだ。入り口にも部屋にもな。つまり、犯人は不本意ながら俺達の中にいるとしか考えられねえ」 
 俺の言葉に、反対する奴は誰もいねえ。アルメシアンはいまだ気絶したまんまだしな。 
「ギア、ダンシング・シミター」 
「何だ?」 
 俺の言葉に二人が顔をあげる。その顔に、動揺のようなものは全く無い。 
「一階に寝ていたおめえらに聞きてえ。不審な物音は聞かなかったか?」 
「ドアの開閉の音は、何度か聞いた。だが、入り口のドアが開いた様子は無い」 
「部屋のドアだって、俺達が寝た後に開いた様子はねえな」 
 やっぱりか。まあ予想はしてたけどなあ…… 
「何度か聞いたドアの開閉の音ってのは?」 
「俺達が解散した後、だよな?」 
 確認した後、ギアが額に指をあてる。 
 ちなみに、昨夜話し合いが終わったのは夜の九時くれえだった。他の連中がどうかは知らねえが、俺とパステルが寝たのは夜の12時くらい。ギアに起こされたのは八時くらいだった。 
「俺とダンシング・シミターは、しばらく明日のことについて話し合っていた。部屋は俺の部屋だ。ダンシング・シミターが自分の部屋に戻ったのが十時くらい」 
「ああ、確かにそうだった」 
 それで、ギアの部屋が一回、ダンシング・シミターの部屋が一回。 
「あんたらの部屋も一度開いたよな? ダンシング・シミターが戻る前だったか」 
「ああ。パステルが飲み物を取りに行った。多分、夜の九時半くれえだ」 
 俺達の部屋が一回。 
「俺が部屋に戻るとき、アルメシアンとすれ違った」 
 そう続けたのはダンシング・シミター。 
「話をしたわけじゃねえが、台所の方へと向かっていった。しばらくしたら、お嬢さんの部屋が一度開いたな」 
 それは、多分果物と飲み物を運んだときだろう。アルメシアンの部屋にミモザの部屋も、一回は開いたわけだ。 
 すると…… 
「あ、わたし、ナレオとすれ違ったわよ?」 
 そう答えたのは、パステル。 
「わたしが果物を持って階段を上ってきたら、ナレオとすれ違ったの。飲み物を取りにいくところだったみたい。そのとき、果物が食べ放題だって教えてあげたら、自分も持ってこようか、なんて言ってたわ」 
 ナレオも一度出入りしているか……つまり、一度は全員の部屋が開いたわけだ。 
 俺と、そしてギア、ミモザ。三人は、部屋のドアは開けても外には出なかった。 
 一度部屋から出たのはパステル、ダンシング・シミター、アルメシアン、ナレオ。 
 うーん。 
 聞いた話では、ミモザの部屋が開いたのは一回だけ。毒を入れるとしたら……やはりミモザ本人か、アルメシアンにしかチャンスは無い、か? 
 だが…… 
 そのとき、部屋のドアがノックされた。顔を出したのはナレオ。 
「ミモザが、目を覚ました。どうすればいい?」 
 ナレオの言葉に、俺は迷わず立ち上がった。 
 本人の言葉を聴くのが一番だ。 
 一体、あんたは何を食って毒にやられた? 
  
「すまない、心配をかけた」 
 ナレオのベッドの中で、ミモザはまず俺達に謝った。 
 顔色は悪いが、言葉はしっかりしている。意識の混濁などは無いらしい。 
 部屋には、俺とパステル、ナレオとミモザの四人。あまり人数が多いと疲れるだろうということで、ギア達には隣のアルメシアンの部屋で待機してもらっている。 
「大丈夫か? ……ちっときついかもしんねえが、俺の質問に答えてもらえるか?」 
「と、トラップ。ミモザは……」 
「よい、ナレオ」 
 食ってかかろうとしたナレオを押しとどめて、ミモザは言った。 
「何でも聞いてくれ。これも、ゾラのやったことなのか?」 
「いや、その可能性は……限り無く低いな」 
「そうか」 
 その言葉が何を意味するかわからねえわけじゃねえだろうに、ミモザは冷静だった。 
 甘やかされただけのただのお嬢さんじゃねえようだな。……好都合だが。 
「まず、昨夜のことを聞きたい。昨夜、九時頃解散したな。そんで、皆は一度は自分の部屋に戻った。その後、あんたはどうしていた?」 
「わたくしは、しばらくボーッとしていた。色々と考えることがあってな。床についたのは、そう……11時くらいだろうか」 
 11時、ね。俺達が寝たとき、既にお嬢さんは眠っていたんだな。 
 すると…… 
「待て。すると倒れたのは今朝のことなんだな?」 
「そうだ。昨夜の10時過ぎ、アルメシアンが飲み物と果物を届けてくれた。だが、わたくしは食欲が無いからいいと断った。そうしたら、アルメシアンに『では朝食にどうぞ』と言われたので、そのままテーブルの上に置いておいた」 
 ふむ。 
「朝起きたのは7時過ぎくらい、だろうか……やや早く目が覚めてしまったので、飲み物でも飲もうと思った」 
「で、何を食べて倒れた?」 
「イチゴだ」 
 ミモザの話しでは、ポットの中に入っていたのは紅茶だったらしい。 
 だが、紅茶を飲んでも何ともなかった。イチゴを口にした途端、酷く気分が悪くなって倒れた……とまあそういうことらしい。 
 ちなみに、その果物の盛り合わせは、ナレオの部屋にも置いてあった。パステルに言われて自分も取りに行った、ということだが…… 
「ナレオ。おめえは、昨日何時頃部屋に戻った?」 
「俺? 俺は……そうだな。十時半くらいかな?」 
 十時半? 
「おめえがパステルとすれ違ったのは、九時過ぎだろ? いやに遅かったんだな」 
「しばらく台所でぼんやりしてたしね。それに、俺も一応貴族だから。自分で飲み物を用意するなんて慣れてないんだよ」 
 キザったらしい動きで髪をかきあげる。何か異様に気にくわねえな、こいつ。 
「30分くらいかな? ボーッとしてたらアルメシアンが台所に来たんだ。それで、俺も自分の飲み物を用意できたってわけ。ちなみに、アルメシアンは最初飲み物だけを取りに来たみたいだ。俺が『果物を取りにきたのか』って聞いたら、『果物?』って聞き返されたからね」 
 ふむ…… 
 つまり、果物が食べ放題だ、というサービスを、最初アルメシアンは知らなかった。ナレオに聞いて初めて知った、ということか? 
 いや、それを言うなら、ナレオもパステルに聞くまでは知らなかった。 
「パステル。おめえは、果物が食べ放題だって誰から聞いた?」 
「え? ああ、飲み物を取りにいったら、女将さんが教えてくれたの。『うちは大したものも用意できないけど、新鮮な果物だけはたっくさんありますからね。いくらでも食べてください』って」 
 ふーん…… 
「何、まさかトラップ探偵。あなたはアルメシアンを疑っているの?」 
 俺の様子に、ナレオは心底馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげに鼻を鳴らした。 
「アルメシアンがミモザに毒を盛る必要がどこにあるんだい。それに、俺はずっと見てたんだ。アルメシアンが果物を籠に盛って、ミモザの部屋に届けるところまで一部始終ね。アルメシアンと一緒に台所を出たから、それは確かだよ。ミモザがトレイを受け取った後、アルメシアンはすぐに部屋に戻った。毒を入れる隙なんか絶対になかった」 
 ナレオの言葉使いは気にいらねえが、それは非常に重要な証言だった。 
 唯一毒を入れるチャンスがあった……と見られていたアルメシアンだが、彼にも毒は入れられなかった。 
 すると、いつから毒はミモザの部屋にあったんだ? 
 黙って話を聞いていたミモザだったが、やがて顔を覆った。 
「すまない、トラップ……少し、休ませてもらえるか?」 
「……ああ」 
 どうやら、疲れたみてえだな。 
 付き添いのナレオだけを残して、俺とパステルは、ひとまず外に出ることにした。 
  
 どうにも、わからねえ。 
 場所はさらに変わって台所。俺とパステルは頭を抱えていた。 
 こうなったら、アルメシアンが籠に盛った時点で、既にイチゴに毒が含まれていた、という可能性を考えたのだが。 
 パステルの案内で台所に来てみると、すぐにそれはありえねえとわかった。 
 台所は広い。その広い台所の4分の1くれえのスペースを使って、大きな籠が4つ。 
 それぞれ、リンゴ、バナナ、イチゴ、オレンジがてんこ盛りになっている。 
 その横には籠が山積みになっている。 
 どうやら完全セルフサービス。客が自由に好きなだけ果物を持って行ける仕組みになってるようだが。 
「これじゃあ、何か一つに毒を入れても……それを相手が持っていってくれるか、わからないわよね」 
「ああ」 
 パステルの言葉に、頷くしかねえ。 
 そうだ。例えば、毒を塗ったイチゴを用意して、それをこの中にまぎれこませたとする。 
 だが、それをうまくアルメシアンが持っていってくれるとは限らねえし……第一、よくよく考えたら、ミモザが持ってきた果物を必ず食べる、と決まったわけじゃねえ。 
 もしかしたら、これは…… 
「まさか無差別殺人を狙ったわけじゃねえだろうな」 
「ええ?」 
 俺の言葉に、パステルが青ざめる。 
 犯人にとって、毒を食べるのは誰でもよかった。もっと言ってしまえば、別に俺達の誰かじゃなくても、別の泊まり客でもよかった。 
 まさかそんな理由じゃねえだろうな? ……違うと願いてえ。一歩間違えたら毒を飲んだのは俺達だったかもしれねえってことじゃねえか。 
「ねえ、トラップ……外から犯人が入ってきた、っていうことは、絶対無いの?」 
「…………」 
「ほら、例えば……睡眠薬とかでみんなを眠らせて、とか」 
「そうだな。ドアの開く音に俺達が気づかない、というのは、それでも説明できる」 
 パステルの意見に、俺はため息をついて言った。 
「だが、鍵のことがある。こじ開けたような跡はなかったんだ。例えば誰かが中から手引きして、入り口の鍵を開けたとしても、その後どうやってお嬢さんの部屋に入るんだ?」 
「あ……」 
 わからねえ。もしかしたらミモザは自分で毒をあおったのか? だとしたら何のために? 
 うーん、と俺達が悩んでいると。 
 ばたばたとトマス達がやってきた。 
 どうやら、一度役人は引き上げるらしい。 
 どう考えてもミモザに毒を盛る方法は無い、自殺ではないか、と考えているようだ。 
 気持ちはわからねえでもねえが。 
 ちなみに、毒そのものは、そこらの山で勝手に自生しているもので、手に入れることは誰でもできるらしいから何の手がかりにもならねえとか。 
「明日、また出直してきます」 
 そう言い残して、トマス達は帰って行った。 
 さて。 
 どうしたものか…… 
  
 夜になった。 
 ミモザの体調は思わしくねえし、とてもじゃねえが搭になんか行けそうもない、ということで、俺達はもう一泊、場合によってはもっとか……泊まることになった。 
 解決するまで出て行くな、とトマス達に釘を刺されたしな。 
 エキストラベッドが入ったせいで歩くスペースもほとんどねえ部屋で、俺とパステルは顔をつきあわせていた。 
 もっとも、話している内容は 
「ミモザが自殺なんかするわけないじゃない!」 
「んじゃあ、おめえは他に毒を盛った方法を説明できんのか?」 
「そっ……それは……」 
 と、色気も素っ気もないものだったが。 
 わからねえ。それにしても、だ。 
 そもそも根本的に、動機は何だ? どうしてミモザが狙われる? 
 外部犯ならともかく、どう考えても内部の人間が犯人としか思えねえ。だが……俺達の誰かに、ミモザを殺す動機のある奴なんているのか? 
 俺とパステルは問題外だ。ギアとダンシング・シミターにとっては大事な依頼主、アルメシアンにとっては主君、ナレオにとっては婚約者。 
 どう考えても、ミモザを殺して得する奴がいるとは思えねえが…… 
「あー、わかんねえな」 
 俺がごろっとベッドに横たわると、パステルが上から覗き込んできた。 
 ……何だ? まさか、ついに俺の思いが通じたか? 
 一瞬そう期待してしまったが。 
「ねえ、ギアに相談してみない?」 
 言われた言葉は、激しくむかつく言葉だった。 
 ギアあ? 何であいつの名前がここに出てくるんだよ。 
「あんでだよ」 
「だって、ギアはわたし達よりも前からミモザ達についてたんでしょう? もしかしたら、わたし達の知らない情報を持ってるかもしれないじゃない」 
「…………」 
 パステルにしては、珍しく正論を言っている。 
 だが…… 
「冗談じゃねえ」 
「トラップ?」 
「これは俺の専門分野だ。あいつの力なんか借りる必要ねえよ」 
「もー。何意地張ってるのよ」 
 意地……だあ? おめえこそ…… 
「おめえこそ、何意地になってんだよ」 
「え?」 
「やけにギアが気になってんじゃねえか。惚れたのか?」 
「なっ……」 
 俺の言葉に、パステルが真っ赤になる。 
 思わずはね起きる。おいおい、まさか…… 
「な、何を言ってるのよ。そんなわけないじゃない」 
「…………」 
「か、かっこいい人だなあ、とは思うけど……」 
 かっこいい、ね。……くそっ。 
 どうしようもなくむかつく。そして。 
 それは、反射的だった。反射的に…… 
 俺は、パステルの唇を塞いでいた。 
  
「ん……?」 
 一瞬何をされたのかわからなかったらしい。パステルは、最初きょとんとしていたが。 
「ん……んー!?」 
 慌てて俺を突き飛ばそうとした。が、そうはさせるか。 
 ぐいっ、と両手首つかみあげてそのままベッドに押し倒す。 
「ちょ、ちょっと、トラップ!?」 
「…………」 
「じょ、冗談はやめてよね。どうしたのよいきなり!?」 
 どうしたの、と来たもんだ。……鈍い奴。 
 実を言えば、前のアンダーソン家の事件のとき、俺とパステルはキスもしたし、抱く一歩寸前まで行った。 
 プロポーズに近いような言葉さえ吐いた。いや、俺にしてみれば、完全にプロポーズそのものと言っても過言ではない。 
 それなのに、この鈍感女は……どこまでも、どこまでも俺の思いに気づかねえ。 
 嫌いならそれはそれでしょうがねえ。なのに、一緒の家に住んでいるし、こうして同じ部屋に泊まることになっても、戸惑いこそすれ嫌がりはしねえ。 
 一体……おめえは俺をどう思ってるんだよ。 
「かっこいい男なら、おめえの目の前にもいるだろ?」 
「え……」 
 ぽかんとするパステルの唇をもう一度塞ぐ。 
 片手で胸をまさぐると、さすがに何をされているかを理解したのか……パステルが足をばたつかせた。 
 ベッドの端に置いてあった荷物が、振動で結構盛大な音を立てて床に落ちる。 
「ちょ、ちょっと、トラップ……」 
「嫌、か?」 
 ぶつっ 
 ブラウスのボタンを外す。パステルの顔が、夕陽のように真っ赤に染まった。 
「い、嫌って……だって……」 
「おめえ、俺のこと嫌いなのか?」 
「…………」 
「俺の気持ち、全然わかってねえのか?」 
「…………」 
 パステルの顔は、困惑の表情を浮かべていたが……拒否の色は、浮かんでいなかった。 
 ぶつっ 
 さらにボタンを外すと、下着に包まれた胸が露になった。 
 そっと手を差し入れると、びくん、という反応。 
 背中に手をまわして、下着のホックを外す。直に胸に触れると……やわらかい弾力が返って来た。 
 ゆっくりと口付ける。「やっ……」という小さな声。 
 だが、大して力もこめていねえのに……それを振り払おうという動きは、まだ無い。 
 ……これは…… 
 いいのか? 同意と思って、いいのか? 
 ……いいんだよな。正直、今更止めろ、と言われてももう止まらねえんだが。 
 ぎしっ、とベッドがきしむ。パステルの脚の間に膝を割り込ませる。 
 間近にあるパステルの顔は、怯えているようだったが……潤んだ瞳は、そらすことなく俺の視線を受け止めていた。 
 指先で軽く胸の先端をつまむと、徐々に硬くなってくるのがわかった。 
 両手首を拘束していた手を離してみる。……逃げようとは、しない。 
 スカートの中に手を差し入れて、そっと下着をずりおろす。太ももを撫でると、耳元であえぎ声が漏れた。 
 手先の器用さには自信を持っていたが。 
 それが、こんな場面でも役立つとは思わなかった。 
 リズミカルに指を動かし、撫で、つまみ、さする。 
 俺の手が触れるたびに、確実にパステルの身体は上気して、声が高く、大きくなっていった。 
 すっと中心部に触れると、粘っこいものがまとわりついてくる。 
「やっ……と、トラップ……わたし……怖い……」 
 荒い息の下で、パステルがつぶやく。 
 怖い、か。まあ初めてのときってのは、そんなもんだろうな。 
 安心しろよ。俺にまかせておけ…… 
 愛撫の手に力をこめる。ぐっと脚の間に顔を埋める。そのとき、だった。 
 ガタン 
 ………… 
 ぴたり、と俺とパステルの動きが、同時に止まった。 
 がばっ、と身を起こしてドアの方を凝視する。 
 ………… 
 それ以上の音はしねえが…… 
 ばばっ、とパステルが服を着ている。俺も乱れた服装を整えて、ゆっくりとドアを開けた。 
「……すまん、邪魔するつもりじゃなかったんだが」 
 ドアの前では、全くの無表情で、ギアが立っていた。 
 こいつは、いつかぜってー殺す。 
 俺は、心の中で誓った。 
  
「で、何か用か」 
 物音を立てたのはわざとじゃねえだろうな、と勘ぐりつつ。 
 俺とパステル、ギアは向かい合っていた。 
「いや、別に用があったわけじゃない。ただ」 
 言いながら、ギアは床に落ちた荷物を拾い上げた。 
「ただ、部屋にいたら、上からやけに大きな音が聞こえてきたものでね。何があったのかと、様子を見に来たんだ」 
 ………… 
 あれが床に落ちたのはいつだった? こいつ、いつから外にいたんだ? 
 物凄く気になったが、パステルが真っ赤な顔でわき腹をつねってきたので、聞かないでおくことにする。 
「まあ、あんたらがどんな関係だろうと、俺には関係ないがね」 
 くっくっく、と笑いながら、ギアは片手をあげた。 
「だが、まあそうだな。せっかく来たんだ。今後のことを話させてもらってもいいか?」 
「今後?」 
「ああ。ミモザ嬢の体調が治り次第、どうするか、だ」 
 ギアの言葉に、やっとパステルも真面目な顔をして座りなおす。 
 確かに、それは重要な問題だ。いつまでもここにこもっていてもしょうがない。 
 このまま搭に向かうのか、それとも一度家に引き返すか。 
「二人は何て言ってるんだ?」 
「搭のすぐ近くまで来ているから、できればこのまま計画を進めたい、だそうだ」 
 まあ、気持ちはわからねえでもねえが。 
 それには、事件を解決させる必要がある。 
「あんたの意見は?」 
「別に。俺は用心棒だからな。依頼主の言葉に従う、それだけだ。ダンシング・シミターも同じだろうな」 
 うーん。 
 ミモザ達の願いを叶えるためには、一刻も早く事件を解決して、詳しい事情がゾラ達に漏れる前にとっとと出発する必要がある。 
 しかし、だなあ。 
 毒。一体毒はいつから入っていたのか。アルメシアンが届けた段階で、毒が含まれていた可能性はかなり低い。 
 すると、その後、ということになる。ミモザの部屋のテーブルの上に置かれたイチゴ。そこにミモザに気づかれないように部屋に侵入し、毒を入れる方法…… 
「どうやら、探偵は考えに集中したいらしいな」 
 俺の様子に、ギアがそう言って立ち上がった。 
「まあ、せいぜい頑張ってくれ。それと、ここは音が響くからな。ああいうことは、もっと別の部屋でしたほうがいい」 
 ギアの言葉に、パステルの顔が再び真っ赤になる。 
 何やらものすごい視線を感じるが……まあ待て。その文句は後でゆっくり聞くから今は考えさせろ。 
 俺が無視しているのが気に入らないのか、横ですっくとパステルが立ち上がった。そしてギアの方へと歩いていく。 
「何だか、トラップはわたしが邪魔みたいだから。ねえ、ギアの部屋に行ってもいい? この真下なのよね」 
「ああ、構わない。いいのか?」 
「ええ」 
 おいおいおいっ!? 
 パステルの言葉に、慌てて立ち上がると……パステルは、べーっ、と舌を出していた。 
 おい……子供かよ、おめえは…… 
「誰も邪魔だなんて……」 
 一歩踏み出す。ぎしり、となる床。 
 そのときだった。 
 俺の頭に、突然ある考えが浮かんだ。 
 床。真下…… 
「ギア」 
「何だ?」 
「あんたの部屋は、俺達の部屋の真下……だよな?」 
「ああ、そうだ」 
 俺の言葉に、ギアも、パステルも不審そうな顔をしている。 
 俺が何を言い手えのか、わかってねえんだろう。 
「さっき、すごい音がした、と言ったな。それはこの荷物が落ちた音だと思うが……それは、はっきり聞こえたか?」 
「ああ。寝てても聞こえたと思うな、あの音なら」 
「……あんたの部屋、家具の配置は、俺達の部屋とほぼ同じ……だよな」 
「そうだな……」 
 ギアは、部屋を見回して言った。 
「エキストラベッドを外に出せば、全く同じになるだろうな」 
「……わかった」 
 俺の答えに、ギアはしばらく黙っていたが、やがて肩をすくめて出て行った。 
 パステルの方は…… 
 俺の様子が普通じゃねえことに気づいたんだろう。彼についていかず、こっちに戻ってくる。 
「トラップ……まさか、わかったの?」 
「……ああ。俺の想像が当たっていたら、な」 
「じゃあ……」 
 俺の考えを説明する。パステルは、驚きに目を見開いていたが…… 
 だが、待て。 
 確かにこの方法なら、ミモザに気づかれずに毒を盛れるし、そうだとすると犯人はあいつしかいねえ。 
 だが、動機は何だ? それがわからねえことには…… 
「ねえ……」 
 そのとき、ふと思い付いたようにパステルが言った。 
「あのね、ちょっと思ったんだけど……」 
 
 バタン、とドアを開ける。中にいた人間が、驚いたように振り返った。 
 俺とパステルは、了承を得ることなく、ずかずかと部屋に踏み込んだ。 
「な、何だ?」 
「説明してもらいてえ」 
 相手の言葉を遮って、俺は言った。 
「もっと、他の方法は思いつかなかったのか?」 
「…………」 
「こんなことをして、彼女の気持ちが確かめられると、本気で思ったのか?」 
「…………」 
「誰に犯人役をやってもらう予定だったんだ?」 
「全く」 
 俺がそこまで言うと、相手はふっ、とため息をついて言った。 
「あんたがそこまで優秀な探偵だとは思わなかったよ。女の尻ばかり追いかけている、肩書きだけの男だと思っていたのに」 
「…………」 
「別に誰でもよかった。ようするに、俺達には誰も犯行のチャンスは無かった……そう思ってもらえれば十分だったんだ」 
「だから、アルメシアンに毒を入れるチャンスは無いと……あれほど言い張ったんだな? ナレオ」 
 俺の言葉に、ナレオは、軽薄な笑いを浮かべて頷いた。 
  
 ミモザは眠っているようだった。相変わらず顔色は悪いが、胸がきちんと上下しているから、死んでいるってこたあねえだろう。 
「トラップ探偵。どうして俺が犯人だとわかったんだ?」 
「……確証があったわけじゃねえ。ただ、この方法しかないと思ったとき、それを使えるのがあんただけだった、ただそれだけのことだ」 
「じゃあ、もし俺が知らない、と言い張っていたら?」 
「いいや、動機の予想がついたとき、あんたが言い逃れをするはずはねえと思った」 
 俺の言葉に、ナレオはふんと鼻を鳴らす。 
「動機。動機……ね。ミモザを毒殺しようとした動機。あんたに本当にわかっているのか?」 
「予想だ。それと、嘘をつくなよ?」 
 じっとナレオを見つめる。どこまでも軽薄そうで、まあまあハンサムとは言えるけれど、自信、威厳、そういったものが全く感じられない顔を。 
「殺すつもりなんざなかったんだろう? あの毒はそんなに強力な代物じゃねえ。イチゴに含まれる程度の量で、人が死ぬはずはねえというのが、役人の意見だ」 
「…………」 
「おめえは、ただミモザの気持ちを確かめたかった。いざというとき、自分を頼ってくれるか、自分を愛してくれているか、確かめたかった。それだけだろう?」 
 
 あのときのパステルの言葉。 
 ――ナレオは、ミモザのことを好きみたいだけど、ミモザはどうなのかしらね。 
 ――嫌いなわけないと思うけど、親同士が決めた話でしょう? 
 この部屋に来る前、ギアの部屋を訪ねてみた。 
「最後に、一つ教えてくれ」 
「何だ?」 
「あんたを雇ったのは、ミモザか? 俺達を雇う、という計画を出したのは?」 
「……俺達を雇ったのは、ミモザ嬢だ。あんたらは、俺がたまたま見かけて、案だけ出したら、ミモザ嬢とアルメシアンがその気になった」 
「……そうか。わかった」 
 
 それを聞いたとき、俺は思った。 
 用心棒を雇い、俺達を雇い……それは全てミモザの意見であり、ナレオの意見は含まれていない。 
 ナレオは、ただミモザに言われるがままついてきただけなのか。それを、ナレオはどう思っていたのか? 
 少しは頼りにしてほしい、少しは自分に相談してほしい。自分はミモザにとって何なのか、と思わなかったのだろうか? 
 そう考えたとき、それが動機じゃねえかと、思い当たった。 
 ミモザに頼られているか確かめること。信頼されているか確かめること。 
 内部の人間が犯人かもしれねえ。そんな状況で、看病を申し出た自分を頼ってくれるか。 
 それが、ナレオの賭けだったんだろう。酷く身勝手で、リスクの高い賭け。 
 だが、それが動機なら、同時に、言い逃れはしないだろうとも踏んだ。 
 ナレオのミモザに対する愛情は本物だ。だからこそ、ミモザの前で、嘘を語ることだけはないだろう、と。 
 そっとナレオを押しのける。抵抗は無かった。 
 部屋の中央に置いてあるテーブルをがたんと動かすと、その床板の一つに手をかけると、呆気なく外れた。 
 覗き込む。さして厚くもねえ床。すっかり古くなって、釘が抜けかけている床。 
 穴の下には、ミモザの部屋が見えた。真下に見えるのは、テーブルに置いてある果物の籠。 
「これ……おめえが開けたのか?」 
「まさか。最初から開いていたんだよ。それを見たとき、思い付いたのさ」 
 ナレオは、肩をすくめて言った。 
「毒は、近所にいくらでも自生していた。取ってくるのは、大した手間じゃなかったしね」 
 あのとき起きたこと。 
 ナレオは、皆が寝静まった時間まで待ち、長い紐におもりをつけたものを用意する。 
 床板をそっと外し、ミモザが完全に眠っていることを確認して、その紐を静かに落とす。 
 正確に果物の真上に位置を固定した後、そこから毒をたらす。 
 紐を伝って、毒は果物籠の一番上に乗っていたもの(この場合はイチゴだったわけだが)にたれる。 
 翌朝、目覚めたミモザは、何の疑いもなく一番上に乗っている果物に手を伸ばした。 
 別にイチゴでなければならない理由はなかったし、果物が無くても、飲み物のカップにたらしてもよかった。 
 あるいは、失敗しても……それはそれでよかったんだろう。また別の方法を考えただけだ。 
 ミモザを殺すことが目的ではなかったのだから。 
 どう考えてもそれしか方法は無い。ミモザが自分で毒を盛ったのでもない限り、この方法以外毒をしこむことはできない。 
 そう考えれば、犯人はナレオしかいねえ。ミモザの部屋の真上に泊まっていた、ナレオしか。 
「どうする、トラップ探偵。俺を役人に突き出すかい?」 
「…………」 
「遠慮することはない。探偵だろう? どうせ、婚約は解消だ。父さんのやったことも立派な犯罪だしね。俺にミモザはつりあわない。そういうことだったんだよ」 
「……違う」 
 ぼそり、とつぶやいたのは…… 
 パステルだった。 
「違う。ナレオ、それは違うわよ。ミモザは……」 
「…………」 
「ミモザは、あなたのこと、愛してるわよ」 
 え? 
 俺とナレオは、同時にパステルを振り返る。 
 何故そんな答えが突然出たのか、それがわからずに。 
  
「パステル? どういうことだ?」 
 俺の問いに、パステルが前に出る。 
「ミモザは、別にあなたのことを、頼りにならないと思っていたわけじゃないし、信頼してなかったわけでもないわよ」 
「…………」 
「あのね、ミモザは試していたのよ。他の男性を頼ることで、あなたが焼きもちを焼いてくれるかどうか」 
「えっ?」 
 そのときのナレオの顔こそ見ものだった。 
 ぽかん、と口を開けて、パステル、そしてミモザを交互に見やる。 
 ちなみに俺もだった。 
 な、何だと……? 
「女の子はね、好きな人に焼きもちを焼いてもらうのが嬉しいものなんだから。それで、愛されてるって実感できるから。だから、わざと好きな人の前で他の男の人を褒めたり、頼ったりして、反応を試してみることがあるの」 
「パステル……?」 
「だって……わたしも、そうだから。わかるもの」 
 ………… 
 俺の頭の中が、めまぐるしく回転する。 
 それは、あれか? あの、わざとギアを信頼してみせたり、頼ってみせたりした……あれをさしている、とみなしていいのか? 
 すると、パステルの好きな男は? もしかして…… 
「バカな……」 
「だって、ナレオ、わたし不思議だった。あなた、いつも軽そうに見せていて、ミモザがギアやトラップを頼っていたときも、全然嫌そうな顔しなかったじゃない。なのに、ミモザのことを愛してるなんて、本当なのかな? 
 って、ずっと不思議だったんだから」 
「あ……」 
 ナレオは茫然としている。パステルはじっと彼を見つめていて…… 
 そこに、俺は割って入った。 
「パステル、それは違う」 
「え?」 
「男ってーのはな……惚れた女の前で、嫉妬してるなんて見苦しい姿、見せたくねえもんなんだよ」 
 なあ? と肩を抱くと、ナレオは弱々しく微笑んだ。 
「ようするにな、男心は女にはわかんねえし、女心は男にはわからねえ。そういうこったろ?」 
 なあ、お嬢さん。 
 俺が振り返ると。 
 ベッドの中で、ミモザが、弱々しい微笑みを浮かべて、ナレオを見つめていた。 
  
 結局、その後。 
 翌朝やってきた役人達には、「誤飲事故だ」と言い張って追い返した。 
 トマスは何やら不満そうだったが、「いつかの事件は俺がいなかったら……」と言い出したら渋々帰っていった。 
 つくづく、人脈ってのは広げておいて損はねえ。 
 ミモザは一週間ばかり寝込んでいたが、特に後遺症もなく、元気になった。 
 その後、当初の計画通り、搭に向かってナレオと婚姻の儀式をすませ、ゾラの方は役人につきだした。 
 まあ、金だけはある貴族だからな。大した罪にはならねえし、すぐに出てくるだろうが。 
 ミモザの手回しによって釈放されたとあっちゃ、これから一生、ゾラはミモザに頭が上がらねえだろうな。 
 ギアとダンシング・シミターは、ゾラを役人に突き出した後、どこへともなく旅立って行った。 
 どうやら、流れの用心棒らしく、またどこかで仕事を探すつもりらしい。 
 で、俺達は。 
「なあ、パステル」 
「何?」 
 久しぶりに戻ってきた探偵事務所。 
 まあ一週間ほどしか留守にしてねえが、妙に懐かしいのは何故だろう。 
「あのさ、ちょっと聞きてえことがあるんだけど」 
「え?」 
 食事の用意をしていたパステルの手首をつかみ、俺は自分でも寒気がするくらい優しい笑みを浮かべて言った。 
「おめえ、俺のこと好きなんか?」 
「……なっ……」 
 ぼん、と音がしそうな勢いで、パステルの顔が真っ赤に染まる。 
 ……わかりやすいなあ、おめえ。 
「な、何言ってるのよ! もー、自意識過剰……」 
 すっ 
 皆まで言わせず、その唇を塞ぐ。ぐっ、と唇を割り開き、舌をからませて吸い上げる。 
 くたくた、とパステルの膝から力が抜けた。 
 その身体を抱きとめて、俺は耳元で囁いた。 
「俺は、好きだぜ?」 
「…………」 
「言っただろ? 男心は女にはわかんねえし、女心は男にはわかんねえ。はっきり言わなきゃ、伝わらねえこともいっぱいあるってこった」 
「…………」 
 視線をそらそうとするパステルの顎をつかんで、その目を覗き込む。 
「返事は?」 
「……すき……」 
「聞こえねえんだけど?」 
「好き、だよ! トラップのことが……好き」 
「よく言った」 
 それだけ言って、俺はパステルの身体を抱き上げた。 
「ちょ、ちょっと!?」 
「暴れるなって」 
 そのまま、俺の部屋まで強制連行して、どさっとベッドに投げ出す。 
「ちょ、ちょっと……」 
「みすず旅館での続き。あんときゃ、ギアに邪魔されたからな。嫌か?」 
 俺の問いに、パステルはうつむいて、首を振った。 
 まあここまで来る道のりの長かったこと。 
 全く、おめえは大した女だぜ。 
 ゆっくりとその身体を押し倒しながら、俺は満面の笑みを浮かべて言った。 
「なあ、探偵夫人って肩書き、事務員よりもかっこいいと思わねえ?」 
 
 みすず旅館で起こった殺人未遂事件。 
 解決に要した時間は二日。 
 報酬は、必要経費+α、及び最高の嫁さんが一人。 
 ちっとばかり鈍感で、ドジで、探偵の助手としてはそう有能でもねえが。 
 まあ見てろよ。俺は有能な探偵だからな。頼りねえ助手だって、最高の助手に鍛えてやらあ! 

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