それは荷物運びのバイトをしていたときの出来事。  
 わたし達は、バケツリレー方式で延々と積み上げられた荷物を運び続けていた。  
 いや、「荷物」って一言で片付けてるけどさ、これが結構大きな木箱で。ルーミィとシロちゃんはもちろん無理だからお留守番で、男四人+わたしで頑張ってたんだけど。正直、わたしの腕にはかなり辛いものがあった。  
 もっとも、「辛いから宿で待ってるね」とは言えない事情があるから、文句も言わず頑張っていたんだけど。え、事情って何だって? 主にお財布の重さ。いつものことだけど……って、言ってて悲しくなるけど。  
 で、その最中。  
 隣のトラップから受け取った荷物をさらに隣のキットンに渡そうとして、手を滑らせてしまった。  
 それは全くわたしらしい、ドジ。  
「あっ!」  
「お、わりいっ!」  
 ずるっ! と指先をかすめて転がる木箱。ああ、割れ物でなくてよかったあ……と安堵すると同時、鋭い痛みが、腕を駆け上がった。  
「痛っ……」  
「パステル?」  
「あちゃあ、やっちゃった……」  
 顔をしかめていると、ぐいっと腕をつかみ取られた。  
 そのまま手首を持ち上げられる。ぷっくりと膨れ上がった血の塊が、つつうっ……と滴り落ちていくのが、見えた。  
 うああ、これは結構大きな傷だぞ? 大丈夫かなあ。このバイトの後、原稿もあるのに。  
 そんな呑気なことを考えていると、隣で見ていたキットンが「薬取って来ますから待っててください」と走り出した。  
「あ、いいよいいよキットン! それよりこの仕事、早く終わらせ……」  
 ぬるり。  
 妙な感触が走って、一瞬、言葉が途切れた。  
 
「と、トラップ!?」  
「ん?」  
 ちゅうっ、と、やけに大きな音が響いた。  
 同時に指先を駆け巡るのは、やけに生暖かい……それでいて不快ではない、不思議な感触。  
「やぁっ……ちょ、ちょっと」  
「黙ってろ。化膿したらどうすんだ」  
「だ、だって……」  
 指先が、トラップの唇に触れていた。いや、包まれていた。  
 やけに艶かしい赤い舌が、ちろちろとわたしの指先をくすぐって、溢れる雫をなめとっていた。  
 ただそれだけのことなのに。それがどうしてか、とても……とても、恥ずかしい。  
「あの、すぐにキットンが薬持ってきてくれるって、だからっ……」  
「…………」  
「トラップ、聞いてる……?」  
 ちろちろと、最初はかすかな動きだった。  
 本気になれば振り払える程度の、ゆるやかな動きだった。  
 なのに、わたしは、動けなかった。呆気に取られた、というのもあるけれど。何より……  
 少しだけ、気持ちイイと……そんな風に、感じてしまった。  
「っ……トラップ!」  
 けど、駄目。いや、何が駄目なのかわからないけど……とにかく、これは非常にまずい状態な気がする!  
 このままこうしていたい、という誘惑を振り切って、わたしがきつい声を上げると同時……  
「パステルートラップー! 薬、持って来ましたよう!」  
 呑気なキットンの声が響いて。その瞬間、わたしの指を弄んでいた舌は、するり、と引っ込められた。  
 
「……あ」  
「ちゃんと手当てしとけよー」  
 一瞬前に自分が何をしていたのか、なんて、まるで覚えていない、という顔で。トラップは、ぱっと身を離した。  
 思わずよろけそうになる。そうして初めて、わたしは、トラップに身を預けかかっていたんだ……という事実に気づいた。  
 って、えー!? な、何これ!? 何なの!? ただ、指をなめられただけなのに。怪我をして、化膿したら大変だって、消毒代わりになめてくれただけなのに!  
 な、何でわたし……こんなに、身体が熱いの!?  
「う、嘘っ。何だろ、わたし……」  
「おい、どうした?」  
「! な、何でもないっ。何でもっ! そ、それより、あの……ありがとう」  
「……いや」  
 何が何だかわからないけど。とにかく……トラップには、黙っていた方がいい気がする。  
 そう思って、慌ててごまかすと。トラップは、何だか意味ありげな笑みを浮かべていた。  
「感謝してんなら、今度、お礼に俺のモノもしゃぶってくれ」  
「ああ、うん。それくらいいくらでもっ! 本当にありがとう」  
 とにかく、とにかく落ち着こう。うん。まあよく考えたら本当に大したことじゃないよね。大体、血で服や荷物を汚しちゃったら大変だし。その意味でも助かった、って言える。何とか、血は止まってくれたみたいだし。  
 もしかしたら、トラップの家では誰かが怪我をしたら薬を塗る代わりにこうやって消毒するのが普通だったのかな? ありそうだ。大家族だし、盗賊なんて手を怪我することは日常茶飯事だろうし。そのたびにいちいち薬! なんて言ってられないこともあるだろうし。  
 よし、今度、もし彼が怪我するようなことがあったら、お礼代わりに同じ「消毒」をしてあげよう。うん。  
「トラップ?」  
 そう決意すると、どうにか心が落ち着いた。  
 そのとき初めて、わたしは、背後がやけに静かなことに気づいた。  
 何だろう、と振り向くと、トラップがさっきのわたしよろしく真っ赤な顔でこっちを見つめていたんだけど……  
 何で彼がそんな顔をしているのか。わたしには、さっぱりわからなかった。  
 
 

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