「おい!おめぇら起きろよ!」 
乱暴にドアをノックする音とランドの声にわたしたちは顔を見合わせ、目をパチクリした。 
「どうしたー?」 
「とにかく、すぐにおれたちの部屋に来てくれ!ステアのやつが大変なんだよ!急いでくれよ!」 
ランドの声は緊迫していて、クレイの身に何か大変なことが起きたのがわかった。 
「ク、クレイ」 
「落ち着いて。とにかく着替えてステアのところに行こう」 
「う、うん」 
ねぇ、クレイ!?どうしたの!? 
わたしたちは急いで服を着ると、いてもたってもいられず、ランドたちの部屋へと向かった。 
 
「うそ……」 
わたしはクレイを見た瞬間、言葉を失った。わたしだけじゃない、クレイ・ジュダも言葉が出なかった。 
わたしたちが息を飲む音だけがリアルに聞こえる。 
だって、だって、クレイが消えかけているんだもの。まるで、ゴーストみたいに後ろの景色が透けてしまっている。表情は虚ろでわたしたちが来ても何の反応も示さなかった。 
「目を覚ましたら、ステアのやつこんな姿になっちまってたんだよ」 
ランドも相当困惑している。 
「ステア!返事してよぉ!」 
わたしが呼びかけてもクレイは返事をしない。目の前にいるのに、わたしなんか視界に入ってないみたい。まるで、抜け殻みたい……。 
「一体何が……」 
「わからねぇ。昨日の夜は普通だったんだぜ?なのによぉ……」 
何で?何で?わけがわからないよ。 
わたしとも昨日いっぱいおしゃべりしたじゃない? 
「パステル、心当たりはないのか?」 
心当たり……。 
まさか、クレイは元の時代に帰ろうとしてるんだろうか? 
だけど、それにしては様子がおかしな気がしてしまう。 
おかしいというより、嫌な予感。根拠はないけど、わたしの中の何かが、これは大変なことだって訴えてるみたい。 
「なぁ、ステアはどうなっちまうんだ!?おれは嫌だぜ?目の前で仲間が消えちまうなんてよぉ……」 
「わたしだって……!」 
だけど、どうすればいいの!? 
「パステル」 
「クレイ?何かわかったの?」 
クレイ・ジュダは真剣なまなざしをわたしに向けて、 
「パステルたちのこと、話してくれるね?」 
と言った。わたしはクレイ・ジュダが切り出した言葉にコクンと頷く。 
そして、わたしたちがジグレス467年から来たこと、湖で溺れて、気が付いたら、この時代にいたことを正直に話した。 
「これ、わたしの冒険者カードなの」 
二人とも最初はびっくりして顔を見合わせたけど、すぐに信じてくれた。 
「もしかすっと、ステアは元の時代に帰ろうとしてるんじゃねぇのか?」 
「わたしもそう思ったけど……何だか嫌な予感がするの。だって、わたしには何も起こってないのよ?それに……だんだん姿が消えていくなんて。こっちに来たときとは明らかに違う気がするの」 
「あのさ……」 
口元に手を当てたまま黙り込んでいたクレイ・ジュダが、深刻そうな表情のまま口を開いた。 
「まるで、ステアの存在が消えていくように感じないか?命が消えていくときの感じにすごく似てる気がするんだが……」 
「ど、どうして!?」 
「おれは魔法の師匠にいろいろ習ったからね。こういう感覚に関しては、他の人より敏感にわかるんだよ」 
「じゃあ、ステアは死んじまうのかよ!?」 
「いや……死ぬというより、存在が消えていくと言ったほうがいいかもしれない。この時代でステアの未来が変わってしまうことが起きてしまったとは……考えられないか?」 
わたしは、クレイがよく口にしてた言葉をふと思い出した。 
──パステルはおれのひいおばあさまになるんだよな── 
昨日の夜、わたしはクレイ・ジュダと将来を誓い合った。子供作ろっか?って、クレイ・ジュダに言われて……ああ、クレイが言うとおりわたしはクレイのひいおばあさまになるんだなぁなんて思ってたんだけど……。 
本来、クレイのひいおばあさまはわたしじゃない。 
それなのに、わたしがひいおばあさまになるとしたら……歴史が変わってしまう……だから……クレイは消えてしまうんだ……。 
「パステル……」 
悲しそうな顔……。 
クレイ・ジュダには、わかってしまったのかな。 
ううん。わかったんだと思う。 
察しがよくて、頭もいい彼だもの。 
未来の世界から来た自分とよく似たクレイの正体について……気付いてしまったんじゃないだろうか? 
そして、クレイを助ける唯一の方法が何なのか、これからわたしが口にする言葉は何なのか……クレイ・ジュダにはわかってしまったのかもしれない。 
「わたし……帰るね」 
「パステル……」 
「ごめんね、クレイ。約束……守れなく……なっちゃった……」 
クレイが消えてしまいそうになっているということは……クレイ・ジュダとわたしが昨日の夜の誓い通り結ばれて、わたしが彼の子供を産むってことでもあると思う。 
クレイ・ジュダは、本気でわたしを愛してくれてるんだ。 
わたしにはそれが改めてよくわかった。 
「ごめんなさい……わたしもクレイが大好き……だけど、ごめん」 
「パステル……!」 
クレイ・ジュダは強く強くわたしを抱きしめた。痛いくらいに強く抱きしめてくれた。 
どうしてかな?さっきまではそれが幸せで幸せでたまらなかったのに。 
今は強く抱きしめられるほど……悲しくなる。 
「クレイのこと愛してるの……でも、ダメなの」 
「おれも愛してるよ、パステル」 
「うん。クレイの気持ち……わかってる。どれくらい愛されてるかよくわかってる。わたしだって、同じくらい大好きなの。愛してるの。それでも……ダメなの。ごめんね……いっぱい……約束……したのに」 
わたしはクレイ・ジュダの腕の中で泣きじゃくりながら言った。ううん、最後のほうなんて、ちゃんと言えてなかったかもしれない。 
クレイ・ジュダは再びわたしを強く抱きしめて、 
「……わかった。別れよう」 
短くそう言った。 
その声が無理してるのは、わたしにだってわかった。 
今のわたしたちにとって、これ以上にないくらい辛いことだもの。 
わたしがはっきり言えないから、クレイ・ジュダが言ってくれたんだね。 
ごめんね。 
「……うん。別れる」 
言っちゃった……わたしはクレイ・ジュダが大好きなのに。 
お互い、本当の気持ちを知っているからこそ……わたしたちの別れは悲しいものになった。 
「お、おい!ステアが……!」 
「え!?」 
クレイの体が、まばゆい光に包まれて……はじけた。 
「う、うそ」 
一気に血の気が引く。 
間に合わなかったの……? 
クレイ……消えちゃったんだ……。 
わたしはショックのあまり茫然としてしまった。 
「な、なんだよ?これ?」 
ランドはクレイがはじけてできた光のもやを見つめている。 
わたしとクレイ・ジュダもそれを見てみた。 
「ステア……!」 
なんと光のもやの先にいたのはクレイだった……! 
クレイは湖のほとりに倒れていて……ここはわたしたちが溺れた湖? 
「ステア……無事みたいだな」 
「良かった……!」 
わたしはホッとした。クレイは消えたんじゃなくて元の時代に戻っただけみたい。 
「なぁ、もしかして……ここから元の時代に戻れるんじゃねぇか?」 
「だろうな……」 
「うん……」 
わたしとクレイ・ジュダはそのまま見つめ合った。まるで時間が止まったみたいに。 
「パステル……おれが昨日言ったこと、忘れないで」 
「忘れないわよ。あんなに素敵な言葉」 
「この命果てても、パステルを愛し続ける。約束するよ。おれは……生まれ変わっても、また君を見つけるから、必ず」 
「うん……」 
「また会おう、パステル」 
わたしとクレイ・ジュダは愛おしくて愛おしくて足りない言葉をキスで埋めた。 
これが、最後のキス、なのよね……。 
別の道を行くけど、本当はクレイ・ジュダを愛している気持ちが少しでもこの唇から伝わればいいな。 
わたしは、ありったけの想いを唇に乗せた。 
「おい、光が薄くなってきたぜ!」 
ああ、別れのときが迫ってきたんだなぁ。 
「ランド、いろいろありがとう。ステアも感謝してると思う。いつも楽しかった」 
「おう。おれもだ。おめぇらとはもっと冒険したかったな。寂しくなるが、仕方ねぇよ。元気でな」 
「ランドも」 
「ステアにもよろしくな!」 
「うん!……そろそろ行くね」 
わたしは光に向かって歩き出す。 
「あ!そうだ」 
「どうした?」 
「あ、あのね!ステアの名前なんだけど……」 
わたしがそこまで言うと、クレイ・ジュダは人差し指を唇に当てた。 
「大丈夫。もう考えてあるから」 
「へ?」 
「ほら、行くんだ。この光もずいぶん薄くなってきた」 
「うん……。クレイ……ありがとう。幸せだったわよ」 
「ああ、おれも。また出会うまでサヨナラだ」 
クレイ・ジュダはぐっとわたしの腕を引っぱって、一瞬触れるだけのキスをした。 
「クレイ……またね」 
わたしはもう後ろは振り返らずに、光のもやに飛び込んだ。 
その直前にわたしの手元に風をきる気配を感じたけど……意識は光の底に落ちていくばかりで、わたしの記憶はそこで途切れた。 
 
突然溢れ出した想いにかられておれが伸ばした手は空を切った。 
パステルは光のもやの中に消えてしまって……約束した再会に期待しても、今この瞬間の喪失感は拭えなかった。 
「なぁ、おめぇ……大丈夫か?」 
「大丈夫じゃないなぁ」 
「だよな。おれも寂しいけどよ。おめぇはもっと寂しいよな」 
「ああ、寂しいよ」 
こんなおれを見たら君は女々しいと思うだろうか?おれは苦笑いした。 
「おれは忘れないぜ。ステアのこともパステルのこともな」 
「おれも」 
「へへ。いつかおれに子供が生まれたらステアの名前をもらおうかな。あいつとは一緒に冒険できなかったけど、子供と冒険ってのも悪くねぇだろ?なーんてな。気が早いか」 
「大丈夫だ。おれはもっと気が早いから」 
「はぁ?」 
ランドはわけがわからないといった顔で目をパチクリさせる。 
おれはその顔が何だかとてもおかしくて笑った。 
 
コトユリの木が実を結ぶ頃、生まれてくる男の子に名前を譲ろう。 
また出会うために。 
 
君は鈍感だから、少し心配だけど。 
どうか気付いて欲しい。 
いつもおれが傍にいるってことを。 
 
この指輪に想いを託すよ。 
また君に会うために。 
遠いこの場所から願ってる。 
 
「パステル、パステル……、大丈夫か?」 
「う、ううん?ステア……?」 
わたしたちが目覚めたのは、クエストの途中で溺れた湖のほとりだった。 
「ステア、か。やっぱり、夢じゃなかったんだな」 
「……夢じゃないよ」 
左手の薬指の指輪が教えてくれる。わたしとクレイ・ジュダが確かに愛し合ったことを……。 
「パステル、まずはドーマに戻ろうか?ここからなら半日もあれば着くし」 
「そうね……」 
わたしは力なく答えた。予想以上の喪失感は渦のようにわたしを飲み込んでいる。 
「大丈夫か?」 
「うん……」 
「無理しなくてもいいんだぞ?」 
「ううん。日が暮れる前にドーマに戻ったほうがいいわよ。いろいろ考えるのはそれからで……」 
「パステル」 
クレイはわたしをギュッと抱き締めた。 
暖かくて大きな胸で安心するけど、クレイ・ジュダとは違う感触……。 
こうして少しずつ、クレイ・ジュダがもういないことを実感していくのかな。 
「おれ……何もしてやれなくて、ごめんな」 
クレイは優しいなぁ。わたしは、クレイに甘えることよりも、クレイ・ジュダのことで頭がいっぱいで……きっとクレイに失礼なことばかり考えてるのに。 
ごめんね、クレイ。 
「帰ろう。ドーマに。みんなクレイのこと心配してるわよ。シルバーリーブにも手紙を出さなきゃ」 
「そうだな。パステル、もし辛かったら言えよ?おれは一晩くらい野宿になっても構わないからさ」 
「ありがとう、クレイ」 
大丈夫。わたしも早くドーマに戻りたい。ひとりでゆっくり泣ける時間が欲しいから……。 
こうして、元の時代に戻ってきたわたしたちは、ここから一番近い町であり、クレイ・ジュダとクレイのふるさとでもあるドーマに向かうことにした。 
 
言葉少なに歩くわたしたちがドーマの近くにたどり着いたのは空が茜色に染まる頃だった。 
それは、ランドを思い出すような赤い夕焼けでわたしの切なさは増していく。 
「ランドみたいな空だよな」 
クレイも同じように感じたんだ。 
「うん……。船のデッキでみんなで見たわよね」 
だけど、今はもう、クレイ・ジュダもランドもいない。 
ねぇ、クレイ・ジュダ。 
そばにいた時より、いなくなってからの方が、わたし、クレイ・ジュダのことばっかり考えちゃうよ。 
どうしてなのかな。 
余計に寂しくなっちゃうのにね。 
「パステル?」 
「ん。大丈夫。ほら、もうドーマに着くわよ。早く家族に元気な顔を見せなきゃ」 
クレイ・ジュダと離れてから、わたしは今まで知らなかった自分の弱さを思い知った。 
困ったなぁ。 
あんなに決心して帰ってきたのに。 
 
わたしたちが行方不明になったって知らせを受けていただけに、クレイの家族は大喜びだった。 
そりゃそうよね。 
一ヶ月近く何の手がかりもなくて、最近では諦めかけてたんだって。 
そのクレイが帰ってきたんだもの。 
わたしもクレイを失いかけたから何となく気持ちはわかる。 
みんな、これ以上にないくらい嬉しいんだよね、きっと。 
 
そうそう、わたしたちが行方不明の間の話は秘密にしたの。 
だって、どう話せばいいかわからないもの。 
とりあえず、二人揃って記憶がないことになってるんだ。 
いつか気持ちが落ち着いたら、パーティーのみんなくらいには話すときはくるかもしれないけど。 
きっと信じられないもんね。 
だけど、トラップには話してあげようかな。素敵なひいおじいさまの話を。 
 
おいしい夕食をごちそうになってから、わたしは今日から泊まるクレイのお屋敷の客間のベッドにゴロンと横たわりながらいろいろなことを考える。 
ううん。いろいろというより、クレイ・ジュダのことばかりだ。 
今朝まで愛し合って、抱き合ってた、わたしの恋人。 
その彼がもういない。 
お揃いの指輪だって、もらったばっかりだよ。 
まだ一日とたっていないのに。 
と、そこにドアをノックする音。 
「パステル入るよ?」 
ドアが開き入ってきたのは、クレイだった。 
「どうしたの?」 
「パステルが心配でさ」 
「ありがとう」 
「大丈夫……じゃなさそうだな」 
「うん……」 
「つらい思いさせて、ごめんな」 
「クレイが謝ることないわよ?」 
「おれ、こっちに戻る前の記憶……少しあるんだ」 
「そっか。だけど、クレイのせいじゃないから。わたしは……クレイが消えちゃうなんて嫌だったから帰ってきたの」 
「……ありがとな」 
「クレイ言ってたじゃない。いなくなることは別の道を行くことだから寂しくないって。だけど、存在が消えちゃったらそこまででしょ?だから……わたし……」 
そこまで言うと、わたしは涙が溢れた。 
クレイが無事で嬉しい気持ちと、本当はクレイ・ジュダと離れたくなかった気持ちがぐちゃぐちゃになって……どちらかしか選べなかったのは仕方ないことで、納得して決めたことなのにね。 
「パステル、ありがとう……。ごめん、ごめんな」 
想いがこみ上げてきて泣きじゃくるわたしをクレイは抱きしめてくれた。わたしが泣きやむまで、ずっと抱きしめてくれた。 
クレイの腕の中は、すごく優しくて暖かい……。 
やっぱり、男の人、なんだね。 
「落ち着いた?」 
「うん……ありがとう、クレイ」 
「そうだ。さっき、父さんからこれを渡されたんだけど」 
クレイが取り出したのは、見覚えのある少し古びた指輪……。 
「これ……クレイ・ジュダの指輪よね?ほら、わたしの指輪とお揃いの」 
「ああ。クレイ・ジュダの指輪だよ。そうか、パステルとお揃いだったんだな」 
クレイはわたしの左手の薬指を見つめた。 
「どうしたの?」 
「前に話しただろ?おれの名前の由来の話」 
「うん」 
クレイ・ジュダがクレイのお父さんの夢に出てきて、コトユリの木が実を結ぶ頃、男の子が生まれたら名前を譲ってくれって言ったのよね。 
「そのときに、自分の名前を受け継いだ男の子にこの指輪を譲ってくれと言われたそうなんだ。不思議なことに今まで、すっかり忘れてたらしいんだけど」 
そういえば、別れる間際、わたしがクレイ・ジュダにステアの本名はクレイだって言おうとしたとき、 
──大丈夫。もう考えてあるから── 
そう言ってたクレイ・ジュダの言葉をふと思い出した。 
クレイ・ジュダはたぶんクレイが誰だかわかったのよね。 
それで、クレイに名前も指輪も譲った……の? 
それじゃまるで……クレイ・ジュダが時をこえてわたしに会いに来てくれたみたいじゃない? 
──また出会うまでサヨナラだ── 
本当にそんなこと……あるんだろうか? 
わたしはクレイを見つめる。 
クレイ・ジュダとよく雰囲気が似たクレイ。 
名前も指輪も剣もクレイ・ジュダから受け継いだのよね。 
もしかして、会いにきてくれたの? 
──この命果てても、パステルを愛し続ける。約束するよ。おれは……生まれ変わっても、また君を見つけるから、必ず── 
あの山火事のときに、クレイと出会ったことも、もしかして偶然じゃないの? 
わたしが気付く、ずっとずっと前からわたしを守ってくれてたの? 
クレイ・ジュダ、あなたは今そこにいるの? 
「ところでさ、この指輪……左手の薬指しかサイズが合わないんだよな」 
クレイは左手の薬指に指輪をはめながら言った。 
「じゃあ、左手の薬指に付ければいいじゃない?」 
「それは意味ありげすぎないかな?」 
「わたしは別にいいけど」 
「そ、そうか?」 
もし本当にクレイ・ジュダが約束を守ってくれたらなら、そこは迷わないで欲しい。 
やっぱり……そんなことあるわけないわよね。 
だいたい、クレイはわたしのことを恋愛対象として見てないわけだし。 
はぁぁぁー。 
少し、ガッカリした。 
さっき、わたしはクレイのこと、男の人として意識しちゃったけど。 
わたしとクレイが、なーんてないわよね。 
そう思った瞬間、胸がズキズキした。 
やだ。なに? 
「パステル、どうした?」 
「な、なんでもない」 
「ならいいけど。気分転換に外にいかないか?きっと今夜は星が綺麗だよ」 
「うん。いいかも」 
わたしは夕焼け空を思い出した。 
雲のない綺麗な空だった。 
きっと今夜は星も綺麗だろう。 
 
「大丈夫か?」 
「う、うん」 
クレイってば、どこに行くのかと思えば、お屋敷の裏の裏山というか小高い丘というか……とにかく、わたしたちは坂道を上がっている。 
「ほら、手を貸して?」 
「あ、ありがとう」 
クレイはわたしの手を取ると、その手をぎゅっと握って歩き出した。 
ドキドキ……するかも。 
「やっぱり、今夜は星が綺麗だよな」 
「そうね」 
「ここはさ、町の明かりもあまり届かないから……すごく綺麗に星が見えるんだ」 
そういえば、すごくロマンティックよね。 
綺麗な星空の下、男の人と二人で手をつないで歩くなんて。 
クレイがこういう場所に誘ってくれるなんて珍しいなぁ。というより初めてかもしれない。 
だけど、だんだん息が上がってくる。 
うう。どこまで行くのよ? 
「パステル、おれたちすごく運がいいぞ」 
「なぁに?」 
不幸のクレイらしくない言葉。どうしたの? 
「ほら、早く」 
いたずらっぽく笑ってから、早足でどんどん歩くクレイ。 
手をつないだわたしは足が絡まりそうになりながら、一生懸命クレイについていく。 
「もぉー、クレイってば。もっとゆっくり歩いてよ」 
「はは。ごめん。だけど、もう着いたよ」 
「え?」 
クレイについていくのに、いっぱいいっぱいで周りの景色が目に入ってなかったわたしの目に飛び込んできたのは……それはそれは素晴らしい景色だった。  
 

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