「ランド、二人で話しよ?」 
「そうだな……明日か」 
「うん……ごめんね」 
「あのなぁ、謝るようなことじゃねーだろ」 
「そうなんだけど。ランドにはいろいろとお世話になっちゃったし。感謝してるのよ?」 
「そりゃ、おめぇは仲間だからよ」 
「ランド……。一緒に冒険したかったな」 
「ま、まさか……おれらを遭難させたかったのかよ?」 
「もぉー。いじわるだなぁ」 
「元の時代に戻ったら、また冒険するんだろ?」 
「もちろん」 
「そーか、そーか。おれがいなくても一人前になれよ?」 
「なによ。ランドだって、レベル5でしょ。わたしと変わらないじゃない」 
「あのなぁ。おれは前の冒険者カードのころは最終レベル10だったんだぜ」 
「あ、そっかぁ」 
「そうそう。ま、あいつほどじゃねぇけど。おいらだって、すごいんだぜ」 
「言われてみれば、そうかも」 
「だぁー。おめぇも失礼なやつだな。だいたい、おめぇだって、いくら方向音痴だからって、違う時代に迷い込むんじゃねぇっつーの」 
「だから来ちゃったのかな?」 
「ああ。絶対そうだ。間違いねぇ」 
「……でも、二人に会えた」 
ああ、涙腺がやばいぞ。泣いちゃう。 
「そうだな……パステル、泣くんじゃねぇよ」 
わたしはランドに抱き締められた。 
「ごめん」 
ランドの腕に力がこもる。 
「パステル」 
初めて見るようなランドの真剣なまなざし。 
ど、どうしたのかな? 
戸惑ってるわたしにランドの顔が近づいてきて……おでこにキスをした。 
それは、すごく優しくて、わたしは目を閉じる。 
何回かおでこにキスをしたあと、ランドはわたしのほっぺにキスをした。 
ぎゅっと抱き締められる体。 
あ、あれれ?ちょっと、これは? 
「ラン……!」 
わたしが戸惑いを口にするより早く、ランドはわたしの唇を奪った。 
う、うそ───!? 
これは、まずいってば! 
そんなわたしの動揺なんてお構いなしにランドはわたしの唇を塞ぐ。 
クレイ・ジュダとも、ギアとも、違うキス。 
いやいやいや。そんなこと考えてる場合じゃないわよ! 
「やぁ……ダメ!」 
「惚れた女と別れるときはなぁ、キスくらいしてぇんだよ。わかったか」 
「ん……っ」 
再び唇が合わさる。 
何それ!?わかんないわよ? 
なになに?ランドって、わたしのこと……? 
うそ!?いつから?全然わからなかったわよ? 
ランドの舌が、わたしの唇をこじ開けて、侵入してくる。 
舌を絡め取られて、キスは深さを増していく。 
そりゃ、ランドのこと嫌いじゃないし、魅力的だと思うけど。 
わたしはクレイ・ジュダが好きで、彼もわたしが好きで、わたしたち三人は仲間で……これはまずいわよ! 
わたしが必死に抵抗すると、ランドは悲しそうに、 
「そんなに嫌か?」 
「そうじゃないけど……」 
「別に気持ちに答えてもらおうとは思わねぇ。だけど、今おめぇとキスしてぇ。それじゃダメか?」 
「ランド……」 
間違ってるかもしれないけど、クレイ・ジュダを裏切ってるけど。 
わたしはなぜかもう抵抗できなかった。 
さっきよりも優しいランドのキス。 
ああ。わたしのこと好きになってくれてたんだってわかった。 
唇からランドの気持ちが伝わってきた。 
抱き合う感触もクレイ・ジュダと全然違う。 
されるがままのキスだったけど、わたしもランドに応えた。 
強く抱き締めることで、ランドはわたしに応える。 
「……!」 
わたしにのしかかるランドの体。 
そう、わたしはランドに押し倒されたのだ。 
そりゃ、あのままキスすれば、こうなることは……だけど、これ以上、クレイ・ジュダを裏切って……いいの? 
「んんっ」 
胸に伸ばされた手は、クレイ・ジュダとはまったく違う指使いでわたしを刺激する。 
ランドの手のひらが、わたしの胸の膨らみをそっと包んで揉み始めた。 
絶妙な指使いにわたしは感じてしまう。 
盗賊、だからなのかな? 
わたしの太ももをなで上げるランドの手。 
そして、まだクレイ・ジュダにしか触れられたことがない場所を下着の上から、指先でツーッとなぞった。 
「ぁ…っ」 
その瞬間、体がびくんっと反応してしまう。 
ランドが行き場のないわたしの手を取り導いたのは……。 
お、おっきくなってる……! 
どうしよう!? 
ランドの舌の器用な動きに捕らわれた舌はとろけてしまっている。 
いけないことなのに、体温が上がっていく。 
もう、わたしはだらしない顔をしてるのかもしれない。 
クレイ……。きっと、彼は悲しむ。 
それなのに、どうして体は感じることをやめてくれないの? 
わたしの足をこじ開けて、ランドは体を割り込ませてきた。 
そして、ズボンの中で固く大きくなっているものを、わたしの小さな膨らみにあてがい、腰を動かし始めた。 
体がびくんびくんと反応してしまう。 
いくら服を着ていても、強すぎる刺激を敏感な部分に与えられてしまっては、されるがまま、受け取るしかない。 
グリグリと押すように腰を動かされ、わたしは完全に抵抗できなくなってる。 
こ、このままじゃ……。 
お互い服を脱いでしまったら、もう……。きっと、わたしとランドは……交わってしまう……。 
それほどに、わたしの体はランドを欲しがっていたし、いまだわたしに押し付けられてる彼はすぐにでも、わたしに入りたそうだった。 
そして、ついにランドがわたしの服に手をかけた……まくり上げられてあらわになる胸にランドはしゃぶりつき、もみしだき始めた。 
「ぁあ……っ」 
クレイ・ジュダとまったく違うランドの舌使いに抑えていた声がもれる。 
入り口がきゅーっとして、じんわりと熱を持ったのがわかった。 
わたしの体はランドを誘ってる。 
中に入って、突き上げてと、彼を求めてる。 
いけないことだと思えば、思うほどに、体がランドを欲しがる。 
「あぁ…っ、あんっ、あ……っ」 
胸のふくらみを、吸い上げられて、舌先でレロレロと絡めとられたかと思うと、突然甘噛みされて、強い刺激が快感となり全身を貫く。 
同時に、親指と人差し指で胸の先端を挟みながら、胸のふくらみをもみしだくランドの手の巧みな動きは激しさを増していった。 
「やぁ……っ」 
だけど、突然、その手が止まる。 
わたしに、のしかかる重みも消える。 
「ランド……?」 
「わりい。ダメだ。おれ、やっぱ胸のない女は抱けないわ」 
「なっ……!」 
「いやぁ。惜しかったな。おめぇがもう少しいい体してたら、ちゃんと抱いてやったんだけどな。へへ」 
「ちょ、ちょっと……!」 
「ま、おめぇとはここまでが限界だな。これ以上はする気になれねぇや」 
なぁーんて言ってるけど。 
なんだか。ランドの気持ちがわかってしまった。 
わたしのために、我慢、してくれたんだって。 
「ごめんなさい……」 
「なに言ってんだよ?あいつはおめぇに満足してるんだろ?ならいいじゃねぇか」 
そういうことじゃない……って。ランドだってわかってるんだよね。きっと、彼なりの強がりだ。 
「ランド……」 
ランドはもう一度わたしを抱き締めた。 
「無理矢理、抱こうとして悪かった。おめぇには、ひどいことしちまったな」 
「ランド……もう、いいわよ。わたし……そんなふうに思ってないから。それにわたしだって、その」 
「ああいうふうにされて、体が反応するのは仕方ねぇよ。自然なことだから、気にすんな。おれのせいだよ。おめぇが最初からあいつしか見てねぇことはわかってたけどよ。止まれなくなっちまった。本当にすまねぇ」 
「ね、ランド。そんなこと言わないで?そりゃ、びっくりしたけど」 
「パステル……。戸惑わせて悪かったな。おいらは少し感傷的になってるだけだ。おめぇを一番必要としてんのが誰かわかるな?」 
わたしはコクリと頷いた。 
「よしよし。いっぱい甘えてくるんだぞ。おめぇは泣き虫だからな」 
「ありがとう……ランド」 
「なぁ、生まれ変わったらデートしようぜ?そん時にはおれも大盗賊団の頭領になってるからさ」 
「あはは。楽しみにしてるわよ」 
「必ずだ」 
ふと、トラップの顔が頭をよぎるけど、トラップがわたしをデートに誘うなんて……あるんだろうか?うーん。 
わたしは、そんなことを考えつつ、まだ少しドキドキしながらも笑顔で、ランドの部屋をあとにした。 
 
 
クレイ・ジュダの部屋に彼の姿はなかった。 
あれれ?どこに行っちゃたんだろ? 
もしかして、わたしの部屋かな? 
わたしが部屋に戻っていると、 
「クレイ!」 
「パステル……探したよ」 
優しく微笑みクレイ・ジュダはわたしに歩み寄る。 
「ごめん。ランドと話してたの」 
うー。さっきのことを思い出すと、クレイ・ジュダには申し訳ないなぁ……。 
ズキズキと胸が痛んだ。 
「そうだったのか……少し散歩でもしないか?」 
「うん」 
クレイ・ジュダはわたしの手を取り歩き出した。 
静かな夜だった。 
わたしたちはバルコニーでぼんやりと月を見てた。 
つないだままの手が暖かい。 
「どこで見る星空も素晴らしいが、今夜はまた格別だな」 
「そうね」 
「初めて会った日の夜……覚えてるかい?」 
「うん。あの夜も星が綺麗だったわよね」 
「その星空を受けた水面も綺麗だったな」 
「ん。あの時ね、わたしもそう思ってたから……心が通じたみたいで嬉しかったなぁ」 
「通じてたんだよ、きっと」 
「きっとそうよね」 
わたしたちはまるで時間が止まったように見つめ合った。 
クレイ・ジュダの暖かな青い瞳が憂いを帯びている。 
もうすぐ、わたしはこの人を忘れてしまう。 
彼もわたしを忘れてしまう。 
「明日、か……」 
「うん……早かったなぁ」 
「……忘れてしまうのかな」 
クレイ・ジュダの瞳が遠くを見つめていた。 
彼の長い黒髪が夜風にさらっと揺れる。 
「クレイ……」 
「忘れたくないな」 
「ん……」 
クレイ・ジュダは優しくわたしの肩を抱き寄せた。わたしは彼に体重を預ける。 
こうして寄り添ってるクレイ・ジュダのことを忘れてしまうなんて実感がないなぁ。 
「パステル、これを受け取って欲しい」 
クレイ・ジュダはひざまずくと、そっとわたしの手を取った。 
そして、彼がわたしの左手の薬指にはめたのは指輪。 
繊細な文様が彫られていて、小さな宝石が埋め込まれていた。 
「わー。すごく綺麗。クレイ、ありがとう」 
そう、だって、この宝石は、今、二人で見てる星と同じ色をして輝いているんだもの。 
「おれも同じ指輪つけてるんだよ」 
「あっ!お揃いだったの?」 
えへへ。嬉しい! 
クレイ・ジュダとお揃いかぁ。いいなぁ! 
「……あのさ、パステル。もしかして、わかってない?」 
「へ?」 
ひとりで、きゃあきゃあ喜んでるわたしにクレイ・ジュダは苦笑いして、 
「それさ、正式な婚約指輪なんだよ」 
「えぇぇぇ!」 
もー、なんか頭の中真っ白。 
こ、婚約指輪ですって!? 
「別れるのにどうして、って思うよな」 
少し困ったように優しく微笑むクレイ・ジュダ。 
「おれとのこと忘れても、指輪は残るだろ?これくらい想いがこもったものなら……記憶がなくても、これが大切なものだってことは伝わるかなぁと思ってね」 
「クレイ……」 
「迷惑、かな?」 
「そんなことないわよ。絶対、大切にするから……クレイも大切にしてね?」 
「もちろんだ。おれを忘れても、ここからいなくなっても、この指輪だけはそばに置いてくれよ?別に身につけなくてもいいから」 
「うん。約束する」 
「おれも約束するよ」 
泣きそうなほどに綺麗な星空の下、わたしたちは指輪をはめた指を絡める。 
別れを前にしたわたしたちが交わすキスは、まるで永遠の愛を誓うかのようなキスだった。 
 
わたしたちの最後の夜。 
いつものように抱き合って、唇を合わせて、愛してるよ、と囁かれる。 
瞳を合わせるだけで愛おしさが、とめどなく湧いてくる。 
初めて結ばれたあの夜から毎日わたしはクレイ・ジュダに抱かれていた。 
だけど、もう体を重ねることはなくなってしまう。 
二人の左手の薬指には同じ指輪も光っているのに。 
なんで? 
溢れ出しそうな愛おしさが涙になった。 
クレイ・ジュダは、泣きやまないわたしを、激しく抱いた。 
何度も抱いた。 
わたしに痕跡を残すかのように、何度も彼はとろけた欲望を注ぎ込んだ。 
「忘れないでくれよ……」 
「クレイ……」 
何度もクレイ・ジュダが囁いた言葉がわたしの胸を切なさでいっぱいにした。 
わたしの下腹部の奥深い部分をクレイ・ジュダはこすり、引っかけ、突き上げる。 
与えられる快感にわたしは甘ったるい声を上げる。 
指輪をつけた指を絡ませ、つないで、離れたくないと、全身で訴えかけた。 
「体に……覚えさせてみるか……?」 
「あぁんっ、あっ、あっ、クレイ…っ、クレイってば…、激しい……っ、ダメぇっ、やぁんっ、おかしくなっちゃうよぉ…っ」 
「ああ、おかしくなればいい……」 
同じ指輪をつけたクレイ・ジュダの手がわたしの体を押さえつけて、彼を突き入れる。 
「そ、そんな動かし方……っ、ダメぇ、壊れちゃう……っ!」 
奥をこじ開けようとするかのように、執拗に奥深くを突かれる。そのたびに、しびれてしまいそうな甘美な快楽がわたしをめちゃめちゃにした。 
「別れてしまうなら……いっそ壊してやる」 
「やぁあぁっ、クレイ…っ、あっ、あんっ、壊して…っ、クレイっ、壊してよぉっ、あぁ…っ、やぁんっ」 
気持ちが高ぶり、わたしの瞳からはまた涙がこぼれ落ちた。 
「壊すよ…っ、壊してしまうよ…?、パステルっ、ほらっ、どうだ?」 
「クレイっ、あぁぁっ、いいっ、クレイ…っ、気持ちいいっ、あんっ、あっ、あぅ…っ、もっと、めちゃめちゃにして…っ」 
わたしは必死にクレイ・ジュダにかじりつき、何度も彼の背中に爪を立てた。 
「はぁ…っ、はぁ…っ、パステル…っ」 
クレイ・ジュダの背中に何本も付いた疼くような赤い爪痕は愛し合った痕跡。 
「んんっ」 
唇を合わせ、舌を絡ませる間も、深く挿入された彼は、わたしを引っかけ、よがらせる。 
クレイ・ジュダは激しくわたしの胸のふくらみをもみしだいた。 
右側の胸にクレイ・ジュダの左手の指輪のひんやりとした感触が伝わる。 
わたしが指輪をつけた左手をクレイ・ジュダに伸ばすと、彼はわたしの薬指をしゃぶった。 
「クレイっ、気持ちいいよぉ…っ、すごく……イィ…っ、あぁぁっ、あんっ」 
「ああ…、パステルの体、最高だよ…っ、く…っ」 
溜まり始めて外へ出ようとする欲望が彼をさらに膨らませる。 
わたしは強くなる摩擦に酔いしれて、甘ったるく快楽に溺れる。 
重なる鼓動がひとつになり、指輪をはめた指が絡み、ひとつに溶け合いたいと願う。 
「パ、パステル…っ、いいかい?出すよ…っ、はぁっ、はぁっ、うぅ…っ」 
「ひぁっ、クレイっ、あっ、あぁぁっ、あぅ…っ、クレイ───っ」 
放出された彼がゆっくり広がって、わたしを暖かく濡らした。 
「忘れないでくれよ……」 
何度も、何度も、クレイ・ジュダはこのセリフを繰り返した。 
そうやって、わたしを抱きしめた。 
果ててもつながり続けた、わたしたちは唇を合わせ、指輪をはめた左手を強くつなぎ合った。 
別れを前に何度も体を重ねたわたしたちの欲情は祈りにも似た想い。 
何度も求め、ひとつになり、抱き合ったけれど、そこに永遠はなく、あがなえない無力さを感じるばかりだった。 
 
 
ついに、この日が来てしまった。 
別れの日。 
大好きなクレイ・ジュダとも、大切な仲間のランドとも、この世界とも、わたしはお別れなのよね。 
実感、あるような、ないような。 
クレイ・ジュダは、わたしの隣りで、すやすやと眠ってる。 
当たり前になりかけてた、わたしの幸せな日常。 
昨夜、クレイ・ジュダにめちゃめちゃに抱かれた熱もまだ冷めていないのに。 
わたしが彼の背中につけた爪の傷だって、まだ生々しいのに。 
どうして、わたしたちはお互いを忘れてしまうんだろう。 
本当に忘れることなんてできるのかな。 
だって、こんなに好きなんだよ。 
「ん……パステル?もう起きてたのか。おはよう」 
「クレイ、おはよ」 
優しい微笑み。いつも、わたしはクレイ・ジュダのそんな表情に安心させられてた。 
離れたくないよ。何回目かな。わからない。それくらい何度も心の中で呟いてる。 
「パステル、おいで」 
クレイ・ジュダはわたしを抱き寄せてキスをした。もちろん、指輪をした指を絡ませるのも忘れない。 
キスの合間に、愛してる、と囁かれながら、何度も何度も合わさる唇。 
クレイ・ジュダの暖かみのある声が大切な言葉と一緒に心に染み入る。 
お互いを忘れて、いずれは、それぞれ違う人とこんな朝を迎えるようになっちゃうのかな。 
少なくとも、クレイ・ジュダはいずれ父親になるから。 
そういうことなのよね、きっと。 
わたしを抱いたように、他の女の人を抱いて子供を授かる……あのおじいさまだから男の子かぁ。 
別れることの意味を改めて痛切に感じる。 
できることなら、クレイ・ジュダを誰にも渡したくないのにね。 
だけど、考えてみれば、わたしたちが別れることは最初から決まってたんだ。 
運命ってやつ? 
残酷だよね。 
合わさってた唇が離れる。 
「……準備、しなきゃな」 
「そうね……」 
わたしたちはお互いの目を見ないで言った。 
胸がズキンズキンと痛い。 
クレイ・ジュダはわたしの左手の薬指の指輪にキスをして、愛してる、と呟いた。 
永遠に結ばれることのない二人の婚約指輪は朝の太陽の光を受けて、キラキラと眩しく輝いていた。 
 
着替えをすませ挨拶も終わったわたしたちは、いよいよ旅立ちだ。 
久しぶりに見るクレイ・ジュダの黒ずくめの装備とシドの剣をたずさえた姿に、改めて惚れ惚れとする。 
やっぱり、美しい人だなぁ。 
クレイ・ジュダの青い瞳の綺麗さがより際立つというか。彼の身に付けるもので、以前と変わったものといえば、左手の薬指の指輪。 
それは、わたしも同じ。 
「そろそろ、か?」 
遠慮がちなランドの言葉に、わたしとクレイ・ジュダは顔を見合わせ、お互い何かを決意した表情を浮かべ、頷いた。 
 
「それにしてもよ、南の森って言っても広いぜ?あいつがどこにいるかなんてわかるのかよ?」 
「ん。求めれば、姿を表すって言ってたわよね」 
「おそらく、森に行けばわかるんじゃないか?」 
「けっ。いいかげんなもんだぜ。いっそ逃げるか?」 
「ランド」 
クレイ・ジュダはランドを鋭くさとした。 
「わりぃ。おめぇらが真剣に考えて出した答えだもんな」 
「ランド、ありがとう。気持ちは嬉しいわよ」 
「へへ。そうか?」 
「そうだな。おれもそう言ってくれる気持ちはありがたいよ」 
「まぁーったく。おめぇらは二人揃って似たようなこと言いやがって。ところで、パステル。おめぇ大切なこと忘れてるぞ」 
「え?」 
「だぁぁぁー。おめぇはおれらのパーティーのマッパーだろうが」 
「でも、南の森までは一本道……あっ」 
「パステル、君の役割だよ」 
二人ともニコニコしてわたしを見てる。 
このパーティーで、最初で最後のマッパーの仕事なんだ……。 
本当ならマッピングの必要なんてない道なのにね。 
もちろん、クレイ・ジュダもランドもわかってる。 
それでも、最後に仲間として見てくれてるんだ。 
わたしは感無量になってしまった。 
「おめぇはなぁ。泣き虫すぎるぜ」 
「パステル、泣かないで」 
クレイ・ジュダがわたしの肩を抱き、ランドがわたしの頭をよしよしとなでる。 
はは。こないだもこうして二人になぐさめられたっけ。 
「ありがとう……わたし、二人ともっと冒険したかった」 
「そうだなぁ」 
「よし、じゃあ、生まれ変わったら、また三人で旅しようぜ?」 
「ランド……」 
「おまえもたまにはいいことを言う」 
「あー?ジュダちゃんよぉ。そりゃどういう意味だい?」 
「そのままだ」 
「なんでおめぇはそんなにいじわるなんだ」 
「そうか?」 
「ああ、そうだぜ。みんなおめぇの顔にだまされてんだ」 
「もー、クレイもランドもそこらへんにしなさいよ」 
「へへ。言われちまったな」 
「ああ」 
顔を見合わせて、苦笑いするクレイ・ジュダとおかしそうに笑うランド。 
タイプは全然違うのに不思議と息が合ってるんだよね。 
本当にいいコンビだ。 
「よっしゃ、行くか」 
「パステル、ちゃんとマッピングするんだぞ」 
「うん!」 
わたしは二人の優しさに感謝して、マッピングを始めた。 
 
南の森。 
「うへー。どうしろっていうんだよ?」 
「そうだなぁ。とりあえず、進んでみるか?」 
「おめぇらしくねぇな」 
「いや。おれたちが現れたとわかればどこかしらに導かれるんじゃないかと思ってね」 
「まぁな。それにしても、これは本格的にマッパーの出番だよなぁ。かなり深い森だぜ?」 
「う、うん。がんばるわよ」 
「パステル、おれも手伝うから」 
「ありがとう、クレイ」 
「ちぇ、おめぇはパステルには甘いよなぁ」 
「当然だ」 
涼やかな微笑みを浮かべて答えるクレイ・ジュダ。 
ああ、わたしはクレイ・ジュダが大好きだ。 
「おっと。その心配はないみたいだぜ」 
そう、いつの間にかわたしたちの目の前にいたのは、あのフードを目深にかぶった謎の人物だったからだ。 
「なんだぁ?」 
「ひゃあ!」 
「……!」 
次の瞬間、わたしたちは古びた館の前にいた。 
な、なんなのよ? 
「テレポーテーションだな」 
と、クレイ・ジュダ。 
「それなぁに?」 
「大魔法だよ。大魔法使いとして有名な魔法使いでも使える人はごくわずかしかいないはずだ。しかも、おれたちも一緒に移動するなんて。相当な魔法の使い手みたいだな」 
「ひぇー。すげぇな」 
「ああ。でも、パステルを元の時代に戻せるくらいだからな。こういう大魔法を使えても不思議はないよ」 
クレイ・ジュダはわたしの手をぎゅっと握った。 
そっかぁ。もうすぐ……。 
「クレイ……」 
「なんか信じらんないよな」 
「うん……わたし、大事にするから」 
「ああ。遠く離れても君を守り続けるよ」 
「わたしもクレイのこと、守るから。わたしを忘れても、お守り代わりに持っててね?」 
「もちろんだ」 
わたしの指輪にそっと口づけるクレイ・ジュダ。わたしもそれを真似してみた。 
「おめぇら……次は同じ時代に生まれろよ?」 
「三人でまた旅をするんだろ?」 
「そうよ、ランドも一緒だよ」 
「へへ。そうだったな」 
「ランド、そして、クレイ。本当にありがとう。わたし、すごく幸せだった」 
「おいらも楽しかったぜ、またな」 
ランドがわたしを抱きしめる。 
「パステル……またいつか会いたいな」 
クレイ・ジュダは、ぎゅっとわたしを抱き締めて、キスをした。 
「ん……。そうね。いつかきっと……」 
「ちぇ。おいらとのキスを忘れてるぜ」 
ランドはぐいっとわたしの腕を引っ張って、ほんの一瞬触れるか触れないかのキスをした。 
「ラ、ランド!?」 
ちょ、ちょっと!クレイ・ジュダがいるのに!? 
クレイ・ジュダは青い目をぱちくりさせてる。 
「だぁーら、これは友情のキスだ。おめぇら勘違いすんなよ。ジュダちゃんもするか?」 
「いや。おれは遠慮しておくよ」 
クレイ・ジュダは苦笑い。 
友情……なのかなぁ? 
むむむ。深く考えるのはよそう。 
「じゃあ、そろそろ行こっか」 
「ああ」 
「だな」 
わたしたちは、館の扉を開いた。 
 
館に入ってすぐ一階のホールの床に大きな魔法陣が描かれていた。 
その脇に、フード姿の謎の魔法使いがいる。 
「別れはすんだか?すべて忘れてしまうからそんなものは無意味だというのに」 
「うるせぇな。それはおれたちの勝手だ」 
「まぁ、いい。早速、始めようか。娘、魔法陣の真ん中に立て」 
ついに……サヨナラなんだ。 
クレイ・ジュダはつないだ手にぎゅっと力をこめるけど、わたしはゆっくりそれをほどいて歩き出した。 
振り返ると決心が鈍ってしまいそうだ。 
わたしは折れそうな心を支えながら、魔法陣の真ん中に立った。 
すぐに呪文の詠唱が始まる。 
えええ、こんなにすぐ始めちゃうの? 
クレイ・ジュダとランドが心配そうにこっちを見ている。 
白い光が魔法陣を包む。 
あ。なんだか頭の中が……。 
「パステル!」 
なんとクレイ・ジュダがわたしに駆け寄り強く強くわたしを抱き締め、唇を合わせてきた。 
い、いいのかな? 
でも、嬉しい。 
わたしはクレイ・ジュダの頬に触れる。 
だって、アーマーが邪魔なんだもの。あなたの感触を直接感じていたい。 
クレイ・ジュダもわたしの左手に指を絡める。何回目かな。指輪をプレゼントされて以来何度もこうして指輪をはめた指同士を絡ませてる。 
瞳を閉じるのが、もったいなくて、ゆっくりまぶたを開く。 
クレイ・ジュダもゆっくりまぶたを開いた。青い瞳がわたしを優しく見つめる。 
キスしながら、目を開けちゃうなんて、恥ずかしいわよね。 
だけど、少しでもあなたを見つめていたい。 
あれれ? 
キスしてるのに、唇の感触が……絡ませてる指の感触が……。 
クレイ・ジュダも同じことを感じたらしい。 
悲しそうな目をしてる。 
わたしが彼の頬に伸ばした手が、スッと彼を通り抜けた。まるでゴーストみたいに。 
ああ。もう、わたしたち抱き合えないんだ。 
「パステル、まだ大丈夫だよ」 
「クレイ?」 
「ほら、左手を……」 
クレイ・ジュダは左手をわたしの手を握るときのような形にした。 
わたしは左手をその手に指が絡むような形にして重ねた。 
「わたしとクレイ、つながってる」 
「そうだよ。パステル、愛してる」 
感覚はないけど、顔が近づいたことでキスされてると感じた。 
クレイ・ジュダは右手をわたしの背中を抱くような形にした。 
わたしは右手でクレイ・ジュダの頬をなぞる。 
もう一切感覚のないわたしたちの包容。 
それでも、今は幸せだった。 
「クレイ、またあなたに会いたい」 
「いつか必ず会いに行くよ、パステル」 
「クレイ……愛してる」 
「ああ、おれもパステルを愛してるよ」 
目の前のクレイ・ジュダが光に溶けていく。 
優しい微笑みがだんだん見えなくなっていく。 
ここはどこなんだろう? 
誰もいなくなって、真っ白になって。 
次の瞬間、わたしもその果てなく続く白に溶けていた。 
 
 
長い夢を見てた気がする。 
まぶたから透けて入ってくる光が眩しい。 
ゆっくりと、視界が広がっていく。 
見覚えがある天井。 
えっと、わたし、寝てた? 
頭がぼんやりする。 
眠る前のことを思い出そうとするんだけど、わからない。 
どうしたんだっけ? 
ドアが開く音。 
だけど、音のしたほうを見る力もない。 
「パステル!おまえ気が付いたのか!」 
「ク、レイ……」 
うまく話せない。なんだろ? 
「大丈夫か?どこか痛くないか?」 
クレイったら、泣きそうな顔。 
んんん?どうしたの? 
「なんだぁ?」 
廊下から聞こえてくる声。 
「パステルが気が付いたんだよ!」 
「なんだって!?おい、おめぇ、もう大丈夫なのか?」 
あはは。トラップがわたしを心配してるなんて変なの。珍しいなぁ。 
それから……。 
ルーミィ、ノル、キットン、シロちゃん……続々と駆けつけたみんなは、良かった、心配した、そればっかり。 
ルーミィなんて、顔をべちゃべちゃにして泣いてたんだよ? 
みんなどうしちゃったのよ? 
 
やっと頭がすっきりしてきて、体も動くようになってきた。 
なんと、わたしってば、二週間近く眠り続けてたんだって! 
わわわ。それは心配するわよね。 
そう、ダンジョンで間違って、スイッチに触っちゃって、穴の中をすべり落ちたの。 
みんなが駆けつけたときには、全身すり傷だらけで、目を覚まさなくなってたんだって。 
シルバーリーブに帰って、お医者さんを呼んでも原因がわからなくて、もしかしたら、このまま目を覚まさないままになってしまうかもしれない。 
そんなおおごとになってたんだ。 
もう、これにはびっくり。 
確かに、まだ怪我は治りきってなくて、あざが残ってたりして。 
うーん。わたしってば、生死の境をさまよってたのかもと思うと背筋が寒くなっちゃう。 
ま、何はともあれ、こうして生きてるならいいか、なんて。 
「パステル、リタがケーキを焼いてくれたよ」 
「わー。ありがとう、クレイ」 
クレイが持ってる包みからいい匂いがする。 
「おい、おめぇ調子はどうだ?」 
トラップだ。わたしが怪我をしてから少し優しい。少し、ね。 
「まだちょっとダルいけど元気になってきたわよ」 
「そっか。ホント安心したよ。おれたちめちゃめちゃ心配してたんだぜ?」 
「うん。ごめんね」 
「いや。おまえが元気になってくれたらそれだけでいいよ、それよりさ」 
「?」 
「おまえ、指輪なんてしてたっけ?」 
「へ?指輪?」 
あれれ?わたし、指輪してる。いつの間に? 
「おまえやっぱり打ち所が悪かったんじゃ……」 
「うっ。それはあるかも」 
「ちょっと見せてみ」 
トラップがわたしから指輪を取り上げる。 
「ふーん。こりゃいい指輪だぜ。宝石ついてるし。売るといい値段になりそうだな」 
「ちょっとー」 
「お?これ、婚約指輪じゃねぇか?裏にイニシャルが彫ってあるぜ。CP?」 
「CP?」 
「まさか、おめぇら……」 
「へ?」 
「そ、そんなわけないだろ!」 
な、なに?ま、まさか!CPはクレイパステル? 
でもでも!クレイは真っ赤になって否定してるし! 
「冗談だっつーの。こんな高そうな指輪買う金がねぇのくらいわかってら」 
「うーん」 
確かに。クレイがこっそりプレゼント、なんてことないわよね。一瞬そう思ってドキッとしたけど。 
わたしはトラップから指輪を取り上げて、また左手の薬指にはめてみた。 
ぴったり、なんだよね。 
まるで、わたしの指輪みたいに。 
「身に覚えはねぇのか?」 
「うん……。だけど……」 
なんだか優しい気持ちになる。気のせいかもしれないけど。 
あ。胸がきゅーっとする。 
切ないよ、なんで? 
わたしは涙が溢れてきた。 
「パ、パステル?」 
「わかんない、わかんないけど」 
胸の深いところで、想いがはじける。 
なんなの? 
「泣くなよ?どうした?」 
クレイがわたしの手を握りしめる。 
「え……?」 
優しく微笑むクレイの顔が一瞬すごく大人っぽく見えた、気がした。 
「なんだかさ、暖かいな」 
「うん」 
クレイにも伝わってるの? 
この指輪がなにか一生懸命語りかけてる気がすること。 
「パステル、この指輪、大事にしろよ」 
「うん……」 
「おれの曾祖父のクレイ・ジュダも指輪をお守りにしてたそうだよ。その指輪はマジックアイテムだったとか、別れた恋人との思い出の品だとか、いろいろ言われがあるんだけどさ。とにかく、彼はその指輪に守られてたって伝説があるんだ」 
胸が早鐘のように打つ。ドキドキする。なぜかクレイの話が、嬉しい。 
「パステルも今回大変な目にあったけど、こうして元気になったじゃないか。大事にすれば、これからもおまえを守ってくれるかもしれないよ?」 
「そうかも。クレイ・ジュダの話も素敵ね。真似してみようかな。クレイ・ジュダのご利益でもないかしら。イニシャルもCPだし」 
んっ。また胸がうずく。この気持ちはなんだろう。 
「言われてみれば、そうだよな。強引だけど。でも、いいと思うよ。これも、クレイ・ジュダの話なんだけどさ、彼は身に付けるものも人との出会いみたいなものだと思ってたそうだ。だから、パステルがその指輪に何か感じるなら大事にすべきだよ」 
「すごく……感じる」 
「そっか。おれもその指輪は大事にして欲しいと思うよ。理由はないけどな」 
「不思議、だなぁ」 
「不思議、だね」 
「なぁ、おれもそう思うぜ」 
トラップまで!?珍しい! 
「だぁぁぁー。何だよ、その顔は」 
「だって、さっきまで売ればいい金になるとか言ってたじゃない」 
「それとこれは別だ。ご利益がありそうなもんは大事にしたほうがいいぜ。これも、うちのじーちゃんの教えだ」 
あはは。そういえば、トラップってば、緑のタイツを先祖代々伝わるご利益のあるものって言われて、それが嘘ってわかるまで本当に大事にしてたよなぁ。 
「あー?なんだよ?」 
「トラップらしいなぁって思っただけよ」 
「そうだな、トラップらしいよな」 
目が合って、ぷっと吹き出すわたしとクレイ。 
もしかして、また同じこと考えてたの? 
あはは。なんでいつもわたしとクレイってこうなんだろ。面白いなぁ。 
わたしは、その指輪に鎖を通してネックレスにした。 
こうして身に付けているだけで、心が暖かくなるような不思議な指輪。 
大事にするからね。 
 
長い黒髪で黒ずくめの魔法戦士と赤毛の盗賊。 
あれれ?なんで、わたしってば、彼らのことがわかるの? 
あ、マッピングのノート……わたし、マッピングしてる。 
優しく微笑む二人にわたしは駆け寄った。 
ひゃあ!落とし穴!? 
ここはどこ? 
わ、わたし、裸じゃない! 
な、な、なんで!? 
ぎゅっと抱きしめられる。 
相手は、さっきの黒髪の魔法戦士───。 
ひゃあ!彼も裸! 
──そ、そんな、わたし、まだ、そんな経験ない!──おれが大人にしてあげたじゃないか──えぇー!?──忘れちゃったんだなぁ、仕方ないけど── 
彼の左手がわたしの左手を取り、くちづける。 
同じ指輪してる! 
わたしたち同じ指輪をつけて指を絡ませてる! 
──ねぇ、あなたがくれたの?── 
彼はニコッと微笑む。 
体がふわっとして、わたしはまた違う場所にいた。 
青みがかった銀色のアーマーを着た戦士。少し雰囲気は変わったけど、彼、だ。 
───! 
あれ、わたし彼に呼びかけてる。 
────! 
彼も呼んでる。わたし? 
───! 
わかんない。彼の名前? 
振り向いた彼の胸元に揺れているのは、鎖に通したあの指輪。 
──今度は大きな戦いになりそうだ──戦いって?なに?ね、行かないで── 大丈夫だよ──やだ、やめて、行っちゃやだよ──心配しないで──ダメ!──行ってくるよ── 
捕まえようとした指先がほどける。 
前のめりに転んだかと思ったら、仰向けにふわふわ浮いてるらしい。また景色が変わる。 
わたしと彼だけが漂う空間。 
二人が首から下げてる指輪がまるでキスするように、離れてはぶつかり小さな金属音をたてる。 
──ねぇ?どうしたの?──おれは守れたかな?──なに?わかんないよ──パステル……──わたしの名前……!──君もわかるだろう?──ずっとあなたの名前、呼んでるの、でも消えちゃうの──もう一回呼んでみて──クレ、イ?──やっと呼んでくれたね──クレイ!── 
優しく微笑む天使のような人。懐かしい。胸の奥が暖かくなるよ。 
──パステルだって忘れたわけじゃないんだよ──忘れる?──おれへの記憶につながる糸が断ち切られてるだけだよ、ちゃんと心の底に眠ってる、ほら── 
また景色が変わる。どこかのお城みたいな場所。 
──クレイ・ジュダ?──思い出したかい?──クレイのひいおじいさまじゃない!?──ひいおじいさま、は傷つくな── 
彼は苦笑いする。 
──どうして、クレイとわたしなの?──君の指輪と地図が教えてくれる── 
手品みたいにノートが現れる。 
こ、これ。わたしのマッピング用のノートよね? 
──見ればわかるよ──これを?──ああ、三人で旅をしただろう?少しだけど──クレイ……ランド?── 
彼はニコニコと柔らかく微笑んでいる。暖かな青い瞳に吸い込まれそう。 
──君はもっと深いところにいるのか──深い?──記憶の置き場所だ── 
また景色が変わった。満天の星空の中にわたしと彼は漂っている。 
──クレイ!どうやってここに来たの!?──わかってくれたみたいだな──指輪大事にしてくれてたのね──ああ、もちろんだよ──クレイは忘れなかったの?──おれもパステルと同じだ、記憶の糸が切られてた──じゃあ、どうして?──おれ自身がほどけてるからだよ──なにそれ?── 
わたしの問いかけにクレイ・ジュダは優しく微笑むだけだった。 
──今度は本当にサヨナラだ──え?どういうこと?──おれはもう来れない──なんで?──パステル、生まれ変わったらまた会おう、愛してる── 
柔らかく合わさる唇。抱き合う感触はわたしたちが何度も愛し合ったことを思い出させる。 
──そろそろ行くよ──どこに行くの?ね?クレイ!クレイってば!── 
最後に見たのは、あの時と変わらない優しい微笑み。 
──クレイ!行かないで!行っちゃダメ!── 
 
目覚めたわたしは泣いていた。 
夢、見てたのかな。 
胸がきゅうっとする。 
行かないでって何度も名前を呼んでた。 
名前……思い出せない。 
すごく大切な人、そんな気がするのに。 
そこだけ記憶が抜け落ちたみたい。 
地図……指輪……名前がわからない、彼。 
曖昧な夢の記憶を辿るけど、もやがかかったみたいな夢の形は現実世界に溶けてしまっていた。 
 
だけど、もうひとつ不思議な出来事があった。 
マッピングノートの一番新しいページ。 
いつものわたしの危ういマッピングで、 
そこに書いてあったのは、まったく知らない場所の地図が二枚。 
なにこれ!? 
だけど、間違いなくわたしの字だ。 
そして、そのマップのうち一枚は誰かの字で修正されてる。 
少し雑な字と、丁寧で綺麗な字。 
ふっと頭に浮かんだのは、わたしに笑いかける黒髪と赤毛の二人。 
な、なんだろう? 
今のは、わたしの記憶、なの? 
わたし、ここにいたの? 
笑われちゃうかもしれないけど、なぜだかそんな気がするんだ。 
わたしは指輪をつけた手をそっと包み込んで瞳を閉じた。 
夢の中の名前がわからない、彼。 
わたしは、彼、を思い出すことはないかもしれない。 
だけど、心のどこかに、彼、を感じるんだ。 
 
そして、記憶にはないその場所をわたしは地図にない場所と名付けた。 
 
おわり 
 

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