「好きだ。一目見たときから……ひかれてたんだ。頼む、俺とつきあってくれ」  
 目の前に立っているのは、見慣れた赤毛の盗賊の姿。  
 いつもはいたずらっこみたいに輝く茶色の瞳が、真剣にわたしを見つめていて。  
「……だ、駄目、よ。わ、わ、わたし、か、彼女を裏切れない、もの」  
「どうしてだ! どうして……俺達は、こんな風に出会ってしまったんだ!?」  
 彼の手が、わたしの肩をつかむ。ちょっと痛いけど、その力の強さが、彼が真剣なんだと、嫌でも思 
い知らせてくれて……  
「お、お願い、い、言わない、で。わ、わ、わたし……」  
「はーいストップストップストップ!!」  
 突然あたりに響き渡る明るい声。同時に、ぱっと身を離すわたしとトラップ。  
「もー駄目っ! 全然駄目よパステル。第一、ここは目をそらして言う場面じゃないでしょ?」  
 腰に手を当てて言うのはマリーナ。トラップとクレイの幼馴染で、すっごくスタイルがいい美人で、 
おまけに性格もいいんだ。  
 ううっ、神様って不公平だよね……  
 マリーナの横にはクレイも立っているんだけど、いつもなら優しくフォローしてくれるはずの彼も、 
苦笑をはりつかせて黙っていた。どうやら、それくらいわたしの演技は酷かったらしい。  
 そう、実はわたし達、お芝居の練習をしているんだ。  
 主役は、わたし、トラップ、マリーナ、クレイの四人。  
 他に、マリーナの知り合いだという人たちが脇役で少々。本当は練習はもうちょっと先なんだけど、 
演技経験の無いわたし達は、少し先に練習を始めることにしたの。  
 そして、わたしが一人怒られまくってるんだけどね……ははっ……  
 そもそも、どうしてわたし達がお芝居に出ることになったのかというと……  
   
 
「郵便でーす」  
 シルバーリーブのみすず旅館にその手紙が届いたのは、夏も終わって涼しくなるなーっていうある日 
の午後。  
 手紙を受け取ったのはわたしだったんだけど、差出人の名前がマリーナだったので、すぐにクレイと 
トラップに知らせたんだ。  
 だって、マリーナは二人の幼馴染だもんね。用があるとしたら、二人のうちどちらかでしょう。  
「え、マリーナから手紙?」  
「へー久しぶりだなあ」  
 二人は顔をつきあわせて手紙を読んでたんだけど……やがて、何とも言えない表情で顔を見合わせて、 
そしてわたしの方を同時に振り返った。  
 え、何だろう?  
「パステル、おめえも読め」  
 わたしが?マークを浮かべていると、トラップがぽいっと手紙を投げてきた。  
 もーっ、せっかくマリーナが出してくれたのに、乱暴だなあ。  
 慌てて手紙を受けとって、その中に目を通してみると……  
   
 ――ひさしぶり! パーティーのみんなは元気?  
 実は、折り入ってお願いがあるんだ。これはわたしからの正式な依頼だと思って。  
 今すぐエベリンのわたしのお店まで来てほしいの。  
 クレイとトラップとパステルの三人に。  
 もちろん、他のみんなも来てくれて構わないんだけど、あなた達三人にはどうしても来て欲しいの。  
 突然のお願いごめんね! そのかわり、ちゃんと依頼料は支払うつもりよ。  
 いい返事を期待してるわね!  
                  マリーナ  
                    
 ???  
 え、何だろ? マリーナ、どうしたんだろう?  
 依頼……それも、わたしとトラップとクレイの三人に?  
 もう一度手紙の中身をよく読んでみたんだけど、やっぱり書いてあるのはそれだけだった。どこにも 
依頼の内容はなし。  
 うーっ、マリーナらしくないなあ。どうしたんだろう?  
「クレイ、どうする?」  
 パーティーのリーダーであるクレイの方をうかがうと、クレイはちょっとだけ考えてたけど  
「まあ、他ならぬマリーナの頼みだし。別に俺達、今急ぎの用があるわけでもないし。いいんじゃない 
か?」  
 だよね。クレイならそう言うと思った。わたしも別に不満は無いし。  
「そうそう。第一、依頼だぜ依頼。依頼料だって払うっつってんだから、行くしかねえだろ」  
 あんたはマリーナに会いたいだけでしょ!  
 思わず言いそうになったけど、慌てて口をつぐんだ。危ない危ない。  
 トラップって、多分マリーナのことが好きなんだよね。その気持ちはすごくよくわかるけど……マリ 
ーナは、多分、クレイのことが好きなんだろうなあ……  
 ううっ、トラップかわいそう。応援してあげたいけど、こればっかりはねえ。  
「駄目よ、マリーナからお金なんて受け取れない。どんな依頼かわからないけど、もちろんタダで受け 
るのよ、タダで! ねえ、クレイ」  
「そうそう。俺達、マリーナには散々世話になったんだからな」  
 わたしとクレイが言うと、トラップは「ちぇっ」とか言って顔を背けてたけど。  
 最初からお金なんか受け取る気、なかったくせに。そらした顔がすんごく嬉しそうなの、わたしはち 
ゃんと見てたんだから。  
 そんなわけで、わたし達三人は、エベリンへと向かうことにした。  
 ルーミィ、キットン、ノル、シロちゃんはシルバーリーブでお留守番。何しろわたし達パーティーは 
万年金欠ですから。その……乗合馬車に乗るお金の都合が、ね。  
 そうして、それから3日後。わたし達はひさしぶりにマリーナに会ったんだけど……  
 
「しっ、芝居ぃ!?」  
「そう。わたしと、あなた達三人と、後はわたしの知り合いが何人かで」  
 マリーナの言葉に、わたしはぽかんとしてしまった。  
 だって、脇役ならともかく、マリーナってばわたし達に主役で芝居に出てくれないかって言うのよ!?  
 む、無理無理! わたし、お芝居なんてやったことないもの!  
「あー、それって、あれか。毎年ドーマでやってる」  
「そうそう、それ。今年はわたし達がやることになったんだけど、主役をやる予定だった人たちに、急 
に別の仕事が入っちゃって」  
 ドーマ? 何のことだろ?  
 クレイの方を見ると、彼は親切に、  
「ああ、ドーマの街では、毎年一回大きなお祭りをやるんだけど、そのメインの一つで、各家が持ち回 
りで代表となって芝居をやることになってるんだ。多分、今年はトラップの家が代表になったんじゃな 
いかな?  
 それで、マリーナに依頼がまわったんだと思う。ほら、マリーナは……」  
 と説明してくれた。  
 なるほど、よく考えたらマリーナって、職業は詐欺師だもんね。お芝居は確かにうまそう。  
「急なお願いだっていうのはよくわかってるんだけど、お祭りまではまだ一ヶ月もあるし。多分あなた 
達なら何とかなるの。お願い! 協力してくれない?」  
 ううっ、マリーナってば手まで合わせてくれちゃって。  
 そんな風にされたら、もう断れないじゃない。  
「わかった、マリーナ。俺達でよかったら、協力するよ」  
 ほら、やっぱり。  
 クレイが優しい笑顔で頷くと、トラップも「ま、しゃーねえな」なんて言ってるし。  
 これじゃあ、「無理です」なんて言えないじゃない。  
「パステル、ごめんね。お願いできる?」  
 そう言ってじっとわたしを見つめてくるマリーナに、  
「ま、まかせて!」  
 なーんてドン、と胸を叩いてしまった。ううっ、こうなったらやるしかないよね!  
 
 
 で、冒頭に繋がるわけなんだけど……  
 その芝居の内容がねえ。聞いたとき、わたしは改めて後悔してしまった。  
   
 わたし(パトリシア)とマリーナ(マリイ)は親友同士。  
 お互い、素敵な恋人を見つけた、と紹介しあうことに。  
 そこで、わたし達とわたしの恋人、クレス(クレイ)とマリーナの恋人、ステフ(トラップ)は初め 
て顔を合わせるんだけど。  
 一目見たときから、わたしはトラップに激しく恋をしてしまう。  
 そして、トラップもわたしを愛してくれるんだけど、お互い、マリーナとクレイのことが気になって、 
どうしても本当の気持ちが伝えられない。  
 そして、色々誤解とすれ違いを繰り返し、一度は完全に別れることになったんだけど……それでも、 
お互いを諦めきれない。  
 そんな中、運命のいたずらで二人は再び出会ってしまい、もう離れられないことを確信して……  
 そして、マリーナとクレイに別れを告げ、二人の前から去ろうとする。  
 ところが、そこで初めて知らされた事実。実は、マリーナとクレイも、お互い深く惹かれあっていた 
と。  
 これはきっと運命だったんだ、と、わたし達はお互いが幸せになることを誓いあって――エンド。  
   
 はいっはいっはいっ! 無理ですっ!!  
 こ、こんなこってこてのラブストーリー、わたしには無理っ!  
 だだだだって、あのトラップにだよ? 「お前を愛しているんだ」なんて真顔で言われたら、わたし、 
吹き出さずにはいられないもん!  
 
 第一、どうしてわたしとトラップなのよう。役を入れ替えた方がいいんじゃない?  
 そうわたしは提案してみたんだけど。  
「ごめんね。わたしは最初から『マリイ』役だったから、もう台詞も動きも全部そのつもりで覚えちゃ 
ったんだ。今から『パトリシア』を覚えなおすのは辛いから……」  
 なーんて言われちゃったら、どうしてもお願い! とは、言えないよね……  
 そうなると、これって結局は、「マリイ」と「クレス」が恋人同士になるんだから、マリーナの相手 
役(というか、わたしの最初の恋人役?)は、クレイの方がいいよねえ……  
 はあ。しょうがないなあ。  
 で、早速練習してみたんだけど。  
 やっぱり無理だった、というわけです、はい。  
 ううーっ、どうしてみんなそんなに役になりきれるの?  
「おめえなあっ! この際色気も雰囲気も何もねえのはしょうがねえとして、せめて台詞くらいまとも 
に言えねえのよかよ!?」  
 すっごくイライラしたように続けたのはトラップ。  
 むっ、た、確かにわたしが悪いんだけど、一言二言余計だよ、トラップ……  
 そうなんだよねえ。わたし以外の三人、マリーナはわかってたけど、クレイもトラップも、すっごく 
自然なんだ。  
 トラップなんか、普段と全然違う口調の役なのに、全く違和感が無いもんね。熱い視線で見つめられ 
ると、ちょっとドキッとするくらいかっこいい。  
 だから、余計にわたしが浮いちゃうんだよねえ……  
「トラップ、そんな言い方は無いだろう? 大丈夫だよパステル。最初からうまくやれる人なんていな 
いよ」  
「そうよ。そのために練習するんだから!」  
 ううっ、クレイもマリーナもありがとうね。  
 よ、よしっ。引き受けたからには、がんばるしかないよね!  
 トラップは「けっ、甘ぇなあ」とか言ってたけど、気にしないもん。  
 というわけで、わたし達は、しばらくエベリンのマリーナの家で寝泊りしながら練習することになっ 
たんだけど……  
 
「っだあああああああああああ!! おめえいいかげんにしろよな!!」  
 バンッ、と壁を叩いて怒鳴ったのはトラップ。  
 本番まで後二週間、というところに来て。わたし達も何とか台詞と動きを覚えて、本格的な通し練習 
に入った頃だった。  
 でも、相変わらずねえ、その……わたしの演技の方が、いまいち上達しなくて。  
 だって、そもそもトラップと目を合わせることができないんだもん! あんな真剣なトラップの視線 
を受けたのは初めてだったから、どうしても照れちゃって。  
「確かにねえ……パステル。もう二週間も経つんだから、いいかげん慣れてもいいと思うんだけど」  
 そう言うのは、クレイと練習していたマリーナ。  
 そうそう、さっきの説明では、わたしとトラップサイドがメインみたいな書き方だったけど、実は芝 
居そのものは、わたしとトラップ、クレイとマリーナのサイドを交互に織り交ぜてやるのよ。  
 そうやって、お客さん側の方から見るとお互いの事情がよくわかるから、ハラハラ感が増すような仕 
組みになってるんだ。  
 つまりは、どっちの組もそれなりに出番も台詞も多いから、一度台詞を覚えてしまったら、改めても 
う一度覚えなおすのは辛い、ってことなんだけど。  
 それで、しばらくはわたしとトラップ、マリーナとクレイに別れて練習してたんだよね。  
 もっとも、マリーナとクレイは、息もぴったりでもう練習の必要なんかないんじゃない? ってくら 
いなんだけど。  
「ほれ、もう一度行くぞ。目えそらすな、顔動かすな、後笑うな!」  
「う、うん……」  
 トラップの指導のもと、わたしは言われたとおり、トラップの目をじっと見て……  
「にらみつけてどーすんだ!! それが好きな男に向ける視線かよ!?」  
 ううっ、難しいよう……  
 そんなわけで、練習はちっとも進まないのだった。  
   
「こうなったら、荒療治で行くことにするわ」  
 本番まで後一週間というところ。そこで、マリーナは重々しく言った。  
 荒療治って、やっぱりわたし……だよね?  
 ううっ、何するんだろう。  
「大体ね、パステル。あなた、自分が思っているほど筋は悪くないわよ? わたしやクレイとのシーン 
は、それなりにうまくできてるじゃない」  
 マリーナの言葉に、クレイもうんうんと頷いている。  
 そうなんだよね。トラップだけじゃなくて、マリーナとの会話とか、クレイとの会話とか(最初は恋 
人同士の設定だもんね)、四人での会話とか。  
 そのあたりのシーンは、割と自然にできるんだよね。じゃあ、どうしてトラップと二人のシーンだけ 
駄目なんだろう?  
 ……普段と違和感がありすぎるからだよね。そうに違いない、うん。  
「だからね、トラップと二人のシーンがうまくいかないのは、恋人同士の雰囲気、っていうのをよくわ 
かってないからだと思うわ。  
 クレイとのシーンがうまく行くのは、どうせその後で破局するから、ってわかってるからじゃないか 
しら」  
 うーん、言われてみれば、そうかも。  
 わたしがうんうんと頷くと、マリーナとクレイは顔を見合わせて……  
 ……何なのよう、その「駄目だこりゃ」って言いたげな顔は。うーっ、二人とも何考えてるの?  
「だからね、パステル、それとトラップ」  
「……あんだ? 俺もか!?」  
 それまで、ふてくされて(わたしに付き合わされてずーっと練習だもんね)寝転がってたトラップが、 
マリーナの言葉を聞いてとびおきた。  
 でも、そうだよね。トラップはもう練習の必要なんか無いじゃない。すごく自然だし、うまいし、そ 
れに悔しいけどかっこいいし。  
「うん。荒療治。パステル、明日一日練習はお休みして、トラップとデートしてきて」  
「…………」  
「…………」  
 な、何ですって――!?  
「おいおい、冗談はやめてくれよなあ。何で俺がこんな出るとこひっこんでひっこむところが出てる女 
とデートしなきゃなんねえんだよ」  
 真っ先に文句を言ったのはトラップ。  
 きいいいいい!! そんな言い方はないでしょー!?  
 た、確かにわたしはマリーナと違ってあんまり胸は大きくないけど……  
 
「わ、わたしだって嫌! なんでトラップなんかとデートしなくちゃなんないのよ!!」  
「おめえなあ! トラップ『なんか』ってどーいう意味だ!!」  
 わたしとトラップがにらみあうと、マリーナがばんっ、と机を叩いた。  
 うっ、すごい迫力……  
「こうなったら、パステルには役になりきることを覚えてもらうわ。いい!? 明日一日、あなたとト 
ラップは恋人同士よ。デートして恋人同士っていうのがどういう雰囲気かを身体で覚えてきてちょうだ 
い!」  
「ま、マリーナ、でも……」  
「これは、依頼主からの命令よ」  
 そう言ってにっこり微笑まれると……断れないよね。  
 そして、わたしとトラップは、明日一日恋人同士になることになったのだった……  
   
「うん、可愛い。似合うわよ、パステル」  
「そ、そうかな」  
 翌朝。わたしはマリーナの見立てで、デートにふさわしい服装、というのをコーディネートしてもら 
っていた。  
 どうせ、そろそろ衣装とかも考えなきゃいけなかったしね。今日の服装が、そのまま本番のわたしと 
トラップの衣装になる予定なんだ。  
 さすが、マリーナは貸し衣装屋さんをやっているだけあって、たくさんの服を持っていた。  
 その中から選んでくれたのは、黄色のワンピース。  
 スカートは膝丈くらいで、前ボタン式のノースリーブ。  
 丈の長いブラウスみたいな形なんだけど、ウエストのあたりできゅっとしぼってあって、身体にぴっ 
たりフィットする形。  
 その上から白いレースで編んだカーディガンを羽織るんだけど、うーん。普段こんな服着たことない 
から、似合うのかどうかよくわからないなあ……  
 いつもは後ろでまとめてる髪はおろして、頭にワンピースと同じ色のリボンを結んでもらって、足元 
は白いローヒールのパンプス。  
 ちょっぴりお化粧もしてもらって、完成。  
「うんうん、やっぱりわたしの目に狂いはないわね。ぱっちりよ」  
「そ、そうかなあ……」  
 ううーっ、不安……  
「おーい、そっちもういい?」  
 そのとき、隣の部屋から聞こえたのはクレイの声。  
 あっちはあっちで、トラップの衣装合わせしてるんだよね。  
 ほら、彼は普段の服装が、ちょっと……あれな人だから。  
 本人にまかせたらどんな服着てくるかわからないから、クレイにまかせたんだけど。  
 
「ええ、いいわよ。ばっちり。そっちは?」  
「俺のセンスでまとめさせてもらったけど……どうかな?」  
 そう言って、ドアが開いた。  
 クレイに押し出されるようにしてこっちに来たトラップは……  
 思わず、ぽかんとしてしまう。  
 え? 誰、この人? って本気で考えてしまった。  
 いつもの赤毛をまとめた髪の上には、黒いキャップがつばが後ろを向くように被せられていて。  
 さすがに男の子だから化粧はしてなくて、顔は普段のままなんだけど、その服装が……  
 黒の革靴とスリムパンツ、ウエストから裾を出した赤いシャツの上から、深緑色の長めのジャケット 
を羽織り、とどめに首からシルバーのシンプルなネックレスをさげたその姿は。  
 ちょっと……いや、かなりかっこよかった。いつもの緑のタイツより、よっぽどよく似合ってるって!  
「うーん、トラップの赤毛には、黒い帽子ってよく合うわね」  
「どうかな。無難な服を選んだつもりなんだけど」  
「舞台の上で着るなら、もうちょっと明るい色の方がいいかもしれないけど……」  
 ぽかんとしてるわたしそっちのけで、マリーナとクレイが何か言い合ってるんだけど。  
 話題の当人、トラップは、何だかすごく不機嫌そうだった。どうせ、自分が選んだ服はことごとく駄 
目だしされたんだろうなあ。  
「まあ、いいわ。よく似合ってるし、トラップのセンスにまかせるよりよっぽどいいもの。じゃあ、本 
番もこれでいきましょう」  
「っあのなあっ……悪かったな、センスがなくて!」  
 マリーナの言葉に、ばっとトラップが顔を上げた。そして、初めてわたしの方に目をやって……  
 何なのよ、その顔は。どうせ似合わないって言いたいんでしょ、ふん!  
 トラップは、目を丸くしてまじまじとわたしを見つめてたんだけど、わたしがにらむと慌てて目をそ 
らした。  
 うーっ、どうせわたしはマリーナみたいに美人じゃないしスタイルもよくないわよ。悪かったわね。  
「よし、じゃあ、二人には早速デートしてきてもらいましょうか」  
 え、いきなり!? ま、まだ心の準備があ……  
「デートったってなあ……どこに行けばいいんだよ」  
「そんなの二人にまかせるわよ。ほら、行って行って」  
 マリーナとクレイの二人にぐいぐいと押し出される。  
 ちょっとちょっとお……  
 
「あ、それと!」  
「んだよ、まだ何かあんのかあ?」  
 トラップがすっかり諦めきった顔で振り向くと、マリーナがにっこり笑って言った。  
「恋人同士なんだから、ただ歩いてちゃ駄目よ!! ほら、二人、腕組んで!」  
 げげげげげっ、そこまでするのっ!?  
 わたしは思いっきりうろたえてしまったんだけど、トラップは「けっ、どーにでもしてくれ」とでも 
言いたげな顔で、ぐいっとわたしの腕に自分の腕をからめた。  
 そうすると、嫌でもわたしはトラップに密着することになるわけで……  
 うっ、何だかすごくドキドキするんだけど……何でだろう。  
「ほらよ。これでいいか?」  
「うんうん、ばっちり! じゃ、楽しんできてね!」  
 マリーナの楽しそうな声に押されて、わたし達は外に出た。  
 マリーナ……実は面白がってないでしょうね……?  
   
 エベリンの街は、何度も来たことがあるはずなんだけど。  
 こんな風に歩くのは初めてで……ううっ、何だか緊張するなあ。  
 ちらっとトラップを見上げると、彼は彼で、何だかすごく不機嫌そう。  
 そうだよね。トラップはマリーナが好きなんだもんね……ごめんね、相手がわたしで。  
 そうして、しばらく二人で歩いてたんだけど。  
 いつもはうるさいくらいよくしゃべるトラップが、何だかすっごく無口で。  
 ううーっ、会話が無いっ……やりにくいなあ……  
「あ、あのさあ、トラップ」  
「……あんだよ」  
 トラップは、目をそらしたまま言ってきた。  
 もーっ、恋人同士って設定じゃないの!?  
 
「もう、ちょっとはこっち見てよ。確かに、わたしのせいで悪かったとは思うけど……」  
「けっ。わかってんならちっとは反省しろ」  
 むっ。失礼な。反省はしてるわよっ……確かに上達はしなかったけど。  
「だからっ……マリーナに悪いもの、ちゃんとやらないと。もうすぐ本番なのに、練習一日つぶすよう 
なことになっちゃって。だから、わたし、ちゃんと恋人同士の雰囲気つかみたいから、それらしくして 
よ」  
 もっとも、どうやればそれらしくなるのかが、ちょっとよくわからないんだけど。  
 わたしがそう言うと、トラップは何だか真っ赤になってた。……どうしたんだろ?  
「お、おめえなあ、意味わかって言ってんのか?」  
「? 意味って?」  
「いや……わかってるわけねえよな。俺が悪かった……ほれ、行こうぜ。っつーかこのまま歩いてても 
しょうがねえから飯でも食おう」  
 あ、言われてみれば、ちょっとお腹が空いたかも。お昼ごはん、まだだしね。  
 トラップの言うことはよくわからないけど……ま、そのうちわかるでしょう。  
   
 トラップが連れていってくれたのは、ちょっと静かな雰囲気のお店。  
 お料理はすっごく美味しかったけど、わたしはもっとにぎやかに食べる店の方が好きかなあ。  
 食べながらそう言うと、トラップははーっ、とためいきをついて、「ま、おめえはそうだろうな」っ 
て言った。「おめえは」って何よ。トラップは違うの?  
 しかも、しかも! そのお店の代金、トラップが全部払ってくれたのよ!? あの人一倍お金にうる 
さいトラップが!  
 信じられない……  
 わたしがそうつぶやくと、トラップににらまれてしまった。  
「恋人同士って設定なんだろうが!! 普通こういうときは、男が払うもんなんだよ!!」  
 ……そうなの? へーっ。  
 正直にそう言うと、トラップはがっくり肩を落としていた。「鈍い奴」とつぶやいてる声が……しっ 
かり聞こえてるわよ。悪かったわね!  
 とりあえず、食事が終わったらどこに行こうか……って話は結局まとまらなかったので、そのままぶ 
らぶら散歩に出ることにした。相変わらず腕は組んだまま。  
 
 そうやって歩いてると、トラップって、細く見えるけど意外と腕とかたくましいなあ、とか。そんな 
ことが意識されちゃって。やっぱり、こうして見るとかっこいいよね、とか思えてきちゃって。  
 ううっ、何だろうこの気持ち? これが恋人同士の気持ち……って奴なのかな?  
 ただ歩いてるだけなんだけど、エベリンの街はにぎやかで、それだけでも十分楽しかった。  
 あっちこっちで露店が開かれたりしてるしね。普通のお店より安くて、しかも結構いい品物が置いて 
あるんだ。  
「はーいお二人さん! よっていかない!!」  
 わたし達に声をかけてきたのは、そんなお店の一つ。  
 店を出していたのは、わたしとあんまり年のかわらない女の子で、にこにこしながら手招きしてる。  
 売ってるのは、どうやら小さなアクセサリーみたい。  
「ねえねえトラップ。ちょっと見ていってもいい?」  
「ああ? ……ま、いいんじゃねえ?」  
 もー、そんなあからさまに退屈そうな顔しなくたっていいじゃない。そりゃ、トラップにとっては興 
味ないだろうけどさ。  
 そんなトラップをひきずるようにして露店をのぞきこんでみたんだけど。  
 わーっ、すごいっ! 綺麗……  
 本物の宝石ってわけじゃないと思うけどね。赤とか青とかキラキラ輝く石がふんだんに使われたネッ 
クレスとか、それよりもっと小さな石でシンプルにまとめられたイヤリングとか。  
 わーっ、これ可愛いなあ……  
 シルバーの細い金属が複雑に編まれて、中央にすっごく小さな白い石が花みたいな形にデザインして 
ある指輪。すごくシンプルなんだけど、細工はすごく凝ってるんだ。  
 すごーい……もしかしてこれ、この女の子の手作り?  
「安くしておくわよ。そちらの彼氏に買ってもらったら?」  
 にこにこしながら言われた言葉。  
 思わず、ボンッと真っ赤になってしまう。  
 かっ、かっ、彼氏って……  
 や、そりゃ、その、今はそういう設定で歩いてるんだから、そう見えるのはしょうがないんだけど… 
…  
 わたしが一人で慌てふためいてると、トラップの細い指が、ひょいっとその指輪を取り上げた。  
 まじまじと見つめて、女の子に目をやる。  
 
「これ、おめえが作ったのか?」  
「そうよ。全部わたしの手作り。いい品物でしょう?」  
「ああ。いくらだ?」  
「そうねえ……」  
 女の子が告げた値段は……まあ、高すぎることはないけど、安いことはないっていう値段だった。わ 
たし達のお財布では、ちょっと厳しいかな? っていうくらい。  
 まあ、しょうがないよね。こんなに綺麗な指輪だもん。そう思って諦めかけたんだけど、  
「んじゃ、もらうわ。ほれ」  
「まいどっ!」  
 トラップは、何のためらいもなく財布を出して、女の子にお金を渡していた。  
 えっ!? いっ、いいの、トラップっ!?  
 わたしがぽかんとしてるうちに、お店には他のお客さんがやってきて、トラップにひきずられるよう 
にしてそこを離れることになった。  
 うーっ、何だか申し訳ないなあ……  
「ほらよっ、欲しかったんだろ?」  
「そ、そりゃそうだけど、悪いよ。お金、後で払うから」  
「おめえなあ……」  
 わたしが言うと、トラップは呆れたようにわたしの左手をつかんで、薬指に指輪をはめた。  
 わ、ぴったり。うーっ、こうして見るとやっぱり可愛いなあ。  
「いいんだよ、遠慮すんなって。どうせ後でマリーナから必要経費もらうことになってんだから」  
 ……余計にもらうわけにはいかないじゃない!  
「わたし、返してくる」  
「ば、バカッ。今更んな真似ができるかっつーの。ほれ、とっとと行くぞ!!」  
 露店に戻ろうとしたわたしは、トラップにあっさりとひきずられてしまった。  
 ううーっ、ごめんねマリーナ!! 指輪のお金は、絶対絶対後で返すからね!!  
 
 そのまましばらく歩いて、わたし達は公園のベンチに座っていた。  
 そろそろ日が暮れそうな時間。ずっと歩いてて疲れちゃったしね。それに……  
 何だか、ずっと腕組んで歩いてると、その、ドキドキ感とかが強くなっちゃって……  
 もう、何なのかなあ。  
 並んで座ってるトラップを見上げると、彼は相変わらず不機嫌そうだった。  
 ……やっぱり、不満なのかなあ。いっぱい迷惑かけどおしだったしね。  
 そもそも、わたしがちゃんと演技できれば、こんなことしなくてもすんだんだよね。  
 よし、ちゃんと謝ろう!  
「ごめんね、トラップ」  
「あ? 何だよ急に」  
 振り向いたトラップの顔は、夕陽に照らされていて……正直言って、かっこいい。  
 いっつもクレイばっかり目立ってるけど、トラップだってねえ。黙ってそれなりの格好してれば、か 
なりかっこいいんだけどなあ。  
「ごめんね、迷惑ばっかりかけて。ちゃんと本番がんばるから」  
「けっ、どーだか。おめえは鈍いからなあ」  
 むっ、何よその言い方。第一、鈍い鈍いって……さっきから何が言いたいのよ。  
「何よ、謝ってるのに。そりゃ、巻き込んじゃって悪かったとは思うけど」  
 言いながら、段々悲しくなってきた。  
 トラップ、そんなに嫌だった? わたしとデートするの。  
 わたしは、それなりに……楽しかったんだけどな。  
「悪かったわよ。トラップがそんなに嫌だったなんて。ごめんね、マリーナじゃなくて!」  
 そう思ったら、思わず言ってしまっていた。  
 絶対言っちゃいけなかった言葉を。  
 トラップの顔が、強張った。  
 
「あに言ってんだ、おめえ……」  
「だってっ……トラップの好きな人って、マリーナなんでしょ?」  
 わーん、わたしのバカバカっ! 何言ってるのよっ。  
 ううっ、トラップの顔が怖い……絶対怒ってる。  
 そうだよね、わたしが気づくくらいだから、トラップがマリーナの気持ちに気づかないわけないもん。きっと、ずっと隠してたんだよね。  
 それなのに、わたしったら……  
「デートの相手がマリーナだったら、トラップは嬉しかったんでしょう? ごめんね、わたしで。そん 
なに嫌だったのなら、言ってくれれば……わたし、無理言ってでもマリーナと役を変わってもらったの 
に」  
 だけど言葉が止まらなかった。気がついたら、心の中で思ってたこと、ぜーんぶ吐き出しちゃって……  
 トラップのすごく怖い顔。わたしのことを、じーっと見つめて……  
 ベンチの背を握り締めている手が、白くなっていた。怒りをこらえてるみたいな、そんな顔。  
「っ……おめえは、本当に……」  
「え?」  
「……ああ、そうだな。マリーナが相手だったら、俺もこんな苦労しなくてすんだよ。おめえが相手だ 
ったせいでっ……」  
「っ……」  
 やっぱり……そうなんだ。  
 あれ……? 何でだろう。わかってたはずなのに……何で、涙が……  
「ごめんね……わたし、先に帰る」  
「あ?」  
「もう、デートは終わり……だよね。恋人同士って設定も終わりだよね。わたし、先に帰るから」  
「お、おいパステル!」  
 腕をつかもうとしたトラップの手を、乱暴に振り払う。  
 後ろで「おわっ」とかいう声とガターンって音がしたけど、わたしは振り返らずに走りだした。  
 わたし……何か変だよね。どうしたんだろう……  
 
 トラップと別れて、そのまま走りだしたわたしなんだけど。  
 ははっ……何でこんなときでも道に迷ってるのかなあ、わたし……  
 無我夢中で走り出したら、いつのまにか見覚えのないところまで出てしまっていて。  
 うーっ、一体ここはどこらへんなんだろ? マリーナの店に帰るには、どうしたらいいんだろ?  
 とぼとぼと道を歩いているうちに、気がついたら人通りが少ない裏通りまで出てしまっていた。  
 あたりは段々暗くなってくるし。何だか怖い。  
 ……絶対ここは違うよね。戻らなくちゃ。  
 そう思って、今来た道を振り返ると、そこに見知らぬ男の人が二人立っていた。  
 まあまあかっこいいんだけど、何だかすごく軽そうな印象の人達。……誰だろ?  
 無視して通り過ぎようとしたんだけど、わたしが行こうとすると、さっと道を塞がれてしまった。  
 ううーっ、もう、何なのよ!  
「あの、通してもらえませんか?」  
「ん〜? 俺達は別に何もしてないぜ」  
「そうそう、あんたが勝手に俺達のいるところへ来るんだよなあ」  
 ……何それ。  
 いつもの冒険者然とした姿なら、ちょっとはひいてくれるんだろうけどなあ。残念ながら、今のわた 
しは普通の女の子にしか見えないもんね。もしかして、バカにされてる?  
 よーし、それなら!  
 わたしは二人の間を無理やり割って入ろうとしたんだけど、通り過ぎた! と思った途端、両腕をそ 
れぞれにつかまれてしまった。  
 な、な、何……? 何だか、怖い。  
「あの、離してください」  
「なーお嬢ちゃん。人にぶつかっといて謝りもなしかよ」  
「そうそう。痛かったぜえ、今のは」  
 そ、そんなあ。何でわたしが謝らなきゃいけないの!?  
 
「だ、だって、今のは……」  
「何、謝らないって?」  
「じゃあ、身体で謝ってもらうしかないよなあ……」  
 かかか身体でっ!? な、何言ってるのよこの人たち……  
 逃げなきゃ、とわかってるけど、足がすくんで動かなかった。その間に、一人がなれなれしく肩を抱 
いてきて……  
「結構いけてるじゃねえか」  
「ああ、上玉だな。早速……」  
「早速……あにする気だ?」  
 ぐいっ  
 瞬間、後ろから首にまわされる腕。  
 そのとき聞こえたのは、とても聞き慣れた声。  
 聞き慣れてて、すごく懐かしい声。  
 まさか……こんな、すごいタイミングで現れるわけが……  
「何だ、てめえ? 邪魔すんなよ」  
「いやあ、別におめえらの邪魔をするつもりはなかったんだけどよ」  
「トラップ……」  
 振り向いたとき目に入ったのは、やっぱり、あの……見慣れた赤毛の盗賊の姿だった。  
 うっ、何だかほっとして涙が出てきそう。  
「けど、こいつは俺の女なんだけど、何か用か?」  
 ……俺の女? どういう意味、それ?  
 ぱっと顔を見上げて、そしてびっくりした。  
 そう言ったトラップの顔は、いつもと同じような軽い笑みを浮かべてたんだけど。  
 でも、その目が、見たこともないくらい怖くて……  
 二人組も、それがわかったのかな? しばらくトラップとにらみあってたんだけど、そのうち「けっ」 
とか「覚えてろ」とか言いながら走り去っていった。  
 
 こ、こ、怖かったあ……  
 思わず地面にへたりこんでしまう。服が汚れるけど、構ってられなかった。後でマリーナに謝ればい 
いや。  
 と、そのときだった。  
 後ろから、頭を思いっきりはたかれる。  
 もーっ、何なのよ、痛いなあ。  
 文句を言おうとして振り向くと、そこには、すんごく怖い顔したトラップ。  
 ……やっぱり、怒ってる……よね……  
「おめえはっ……散々心配かけやがって……何でこんなとこふらふらしてんだよ!!」  
「ふ、ふらふらって……」  
 べ、別にふらふらしようとしたわけじゃないもん。つい、その……迷っちゃっただけで……  
「もうおめえはぜってー一人で出歩くな!! 捜す方の身にもなりやがれ!!」  
「さ、捜してなんて言ってないじゃない!!」  
 何よー、そんなに言わなくたっていいじゃない!! そりゃ、助けてくれたのは、感謝してるけどっ 
……  
 ……って、あれ? 何? トラップ……何で……  
 わたしを……抱きしめてるの……?  
「……本当に……心配したぜ。今回ばっかりは……」  
「トラップ……?」  
 トラップの、暖かい腕に抱きしめられて……わたしは。  
 何故だか、わんわん泣いてしまった。怖かったのでもなく、安心したのでもなく、嬉しくて。  
 わたし……わたし、もしかしたら。  
 もしかしたら……トラップのことが……  
 
 わたし達が我に返ったのは、頬にぽつりと冷たい雫が当たったときだった。  
 それまで、わたしはずっとトラップにしがみついて泣いてたんだけど……  
 最初はぽつぽつだった雫が、段々多くなってきて……  
 って雨!? 嘘、さっきまではあんなによく晴れてたのに!!  
「あー、くそっ、夕立か」  
 トラップが、ぱっとわたしを離して恨めしげに空を見上げた。  
 そうしている間にも、雨の勢いはどんどん増してくる。  
「しゃあねえな。おい、走るぞ」  
「え? う、うん」  
 トラップに腕を引かれて走り出す。  
 ……ちょっとだけ、残念だったかな。もうちょっと……  
 トラップはわたしよりずっと足が速いから、わたしは走るというよりひきずられるに近かったんだけ 
ど。  
 どうやら、彼の足でも、雨にはかなわなかったみたい。  
 雨はついに本降りになってしまって、わたし達は仕方なく、せっかく抜けた裏通りからまた別の裏通 
りにとびこんで雨宿りすることにした。  
 どうやら、わたしはマリーナの家と正反対の方向に向かってたみたいで、マリーナの家までは走って 
もまだ大分かかるらしいんだよね。  
 ははは、結局わたしのせいなんだ……  
 その裏通りは住宅街に近いんだけど、そこに並ぶ家は、ほとんど空き家なんだって。  
「どっかの金持ちが道楽で家を建てたんだけどよ、建て終わった途端に詐欺にひっかかって没落したん 
だと。んでせっかく建てた家をつぶすのももったいねえからって売りに出したんだけど、高すぎてまだ 
ほとんど買い手がつかないんだとさ」  
 とは、トラップの説明。そんなわけで、わたし達は空き家の一つにお邪魔することにしたんだ。  
 もちろん鍵はかかってたけどね。そこは盗賊のトラップ。いつもの七つ道具は持ってなかったんだけ 
ど、わたしが頭につけていたヘアピンを一本貸すと、それであっという間に開けてしまった。  
 ううっ、持ち主の人ごめんなさい。少しお借りします。  
 心の中で頭を下げて家の中に入る。中は、やっぱり空き家らしく、家具もなくガランとしていた。  
 わたしもトラップも雨でびしょぬれだったからね。せめてタオルの一枚でもないかな、って探し回っ 
たんだけど、結局何も見つからなかった。  
 まあ、しょうがないか。雨がやむまでの我慢だし。  
 
 わたしはカーディガンを脱いでばんばんとはたいて水気をとばすと、床に広げた。トラップのジャケ 
ットも同じく。少しでも乾かさないとね。  
 そうして二人で床に座り込んでたんだけど。雨はいっこうにやみそうになかった。  
 窓の外からはざあざあっていう音が絶え間なく響いてる。  
「はあ……トラップ、どうしよう。マリーナ達、心配してるかなあ」  
 わたしが話しかけると、トラップは何故か目をそらしていた。  
 ……どうしたんだろう?  
「ねえ、トラップ」  
「う、うっせえな。パステル、おめえあんま俺に近づくな」  
 ……何、それ。  
 さっきは助けてくれたのに……どうしてそんなこと言うの?  
「どうしたのよ、トラップ。そりゃあ、わたしトラップに迷惑ばっかりかけたけど……」  
「ち、ちげーよ。んなことじゃなくてなあ」  
 わたしがぐいっと身体を寄せると、トラップは真っ赤になってうつむいた。  
 ……トラップ?  
「お、おめえなあ。自分の格好、よく見てみろよ」  
「え?」  
 格好? わたしの格好って……  
 はっ!  
 そういえば、わたし、雨でびしょぬれで……  
 カーディガンを脱いでるから、わたしは今、ノースリーブのワンピース一枚で。それも、もともとぴ 
たっとしたデザインだったのが、濡れてさらに身体にはりついて、ちょ、ちょっと下着が透けて……  
 きゃああああああああああ!!?  
「や、やだっ。見ないでよトラップ!」  
「だから見ねえようにしてるんだろうが! おめえなあ、ちっとは俺のことを……」  
 言いかけて、トラップは口をつぐんだ。  
 俺のことを? ……何だろ?  
 
「俺のことを? 何?」  
「…………」  
 トラップは、何だかじっとわたしをにらんでいるみたいだった。  
 何でそんな目で見られなくちゃならないのよう……  
「ねえ、何よ?」  
「んっとにおめえは……どこまでも鈍いなっ!」  
「なっ、何よー!!」  
 鈍い鈍いって、ちょっとしつこいわよトラップ!  
「おめえな、俺だって男なんだよ。そのへん、ちっとは意識しろよっ!」  
 ……え?  
 わたしの怒りなんかそっちのけで、トラップは叫んできた。  
 男……って。そりゃ、そうだよ。女には見えないもん。  
 って、あれ? それって……  
「トラップ……?」  
「お、俺はなあ……言っとくけど、クレイみてえに優しくねえし、理性にあふれた奴でもねえんだよ」  
 それは知ってるけど。  
 わたしが首をかしげると、トラップはますますイライラしたみたいで、  
「だあら……惚れた女が目の前でんな格好してたら、思わず手え出したくなるんだよ! わかったらち 
っとは警戒しろっ!!」  
 え?  
 惚れた女……? え、だって、トラップが好きな人って……  
「え、だって、トラップ、マリーナは……」  
「お、おめえ、まだんなこと思ってんのか?」  
 わたしの言葉に、トラップはがっくりうなだれた。「あんだけ態度で示したろーが」とか「んなこと 
俺に言わせんな」とかぶつぶつつぶやいてたけど……  
 やがて、どかっと座りなおして、真剣な目でわたしを見据えた。  
 あの、お芝居のときみたいな、すっごく熱い視線。  
「あー、もういいや。認めてやるよ。言わねえと、おめえ一生気づきそうにねえしな」  
「トラップ……?」  
「俺が、俺が好きなのはなあ、マリーナじゃなくておめえなんだよ! 気づけよいいかげんに!!」  
 ……ええっ!?  
 と、トラップ……それって……  
 
「言っとくけどな! 『嘘でしょ』とか『冗談?』とか『芝居?』とか言ったら、行動でわからせるか 
らな! 嫌だったら本気にしろ!!」  
 わたしが言おうとした台詞を見事に先取りして叫ぶトラップ。  
 その姿は、もうほとんどやけっぱちに近いんだけど……  
 だって、だってそんなことある?  
 わたしも……わたしも、さっき気づいちゃったんだもん。わたしも、トラップのことが……  
「だあら、わかったら俺から離れて……」  
「嫌」  
「あ?」  
「嫌。離れない」  
「お、おめえなあ!」  
 嫌だよ。今は、離れたくない。やっと、やっとわたし、自分の気持ちに気づいたんだから。  
 もし、トラップがそうしたいなら……  
「いいよ」  
「……あんだと?」  
「いいよ。トラップがそうしたいなら……手を出しても、いいよ」  
「お、おめえ、『手を出す』の意味、わかってんだろうな?」  
 わかってるよ、それくらい。  
 も、もちろん経験したことはないけど……わたしだって、本とか、友達に聞いたりとかして、それく 
らい知ってるもん。  
 ばっと顔をあげた。トラップの顔をじいっと見つめる。  
「わたしは、マリーナみたいに美人じゃないし、スタイルもよくないけど……トラップが、それでもい 
いって言ってくれるなら……」  
「パステル……」  
 わたしは、ワンピースのボタンに手をかけた。  
 濡れててちょっと外しにくいそれを、上から順番に外していく。  
 うっ……ちょっと、ちょっと大胆かな? で、でも、いいよね。こういうときって、こうした方がい 
いんだよね……?  
 三番目のボタンに手をかけたところで、トラップの手が、わたしの手首をつかんだ。  
 顔をあげると、そのまま唇を塞がれた。  
 
「……言っとくけどな、今更嫌だっつっても、もう止められねえからな」  
「……言わないもん」  
 トラップの言葉に、わたしはしっかりと目を見て答えた。  
 お芝居のときも、こうすればいいんだよね、きっと。  
 これが、「恋する女の子の視線」で、いいんだよね?  
 もう一度唇を塞がれた。ぐっとこじあけるようにして、熱い舌が、わたしの中に侵入してくる。  
 しばらく、わたしとトラップは何も言わずキスを深めあっていた。  
 キスって……こんな感じなんだ。  
 こんなに……気持ちいいものなんだ……  
 しばらくして、トラップはわたしから身を離すと、濡れてべたっとはりついた自分のシャツを脱ぎ捨 
てた。  
 痩せてるんだけど、ちゃんとしっかり筋肉がついていて、すごく引き締まって見える上半身は、わた 
しが見てもすごく綺麗だった。  
「いいなあ……」  
「あん? 何がだよ」  
「トラップって……きれいで」  
「……バカなこと言ってんじゃねえよ」  
 自分のシャツをぽいっと放り出すと、彼の手は、わたしのワンピースにかかった。  
 外れかけてた三番目のボタン、ついで四番目、五番目。  
 ボタンが全開にされたとき、わたしはいつのまにか、床に横たえられていた。  
 むきだしの木の床だからね。すごく冷たいはずなんだけど。  
 わたしの身体はいつのまにかすごく熱くなっていて、その冷たさが、逆に気持ちよかった。  
 ワンピースの前が完全に開かれて、わたしの身体は、下着だけの姿をさらしている。  
 ううっ、恥ずかしいなあ……わたしも、マリーナみたいにスタイルがよかったら……  
「おめえ、またくだらねえこと考えてるだろ」  
「え?」  
 真っ赤になって顔をそむけたわたしに、トラップが耳元でささやいた。  
 熱い吐息が触れて、何だかすごくぞくぞくする。  
「くだらない、こと……?」  
「おめえのこったから、どーせ『マリーナみたいにスタイルがよかったら』とか」  
 うっ! その通り……な、何でわかるの?  
 
「バーカ、俺がな、どんだけおめえのこと見てきたと思ってんだ……おめえの考えてることなんて、お 
見通しだっつーの」  
 言いながら、トラップはゆっくりと首筋にくちづけてきた。  
 びくっ!!  
 瞬間、走った感覚に、わずかに背中をのけぞらせる。  
 ううっ、何? この感覚……  
 そのまま、トラップは、わたしの身体をなぞるように舌を這わせていって……  
「おめえはな、十分綺麗だよ。少なくとも、俺にとっては、おめえ以上に魅力的な女なんていねえ」  
 ……え?  
 まさか、だって、いつもわたしのこと、「出るとこはひっこんで〜」なんてバカにしてたくせに……  
 何で、こんなときにそんなこと言うのよう……  
 トラップの手が、ゆっくりとわたしのブラにかかった。  
 そのまま、ゆっくりとずりあげられる。  
 み、見られてるっ……胸、絶対見てるよね……  
「で、できれば……あんまり見ないで……」  
「ああ? おめえなあ、無茶言うな」  
 言いながら、トラップの唇が、ゆっくりと胸に吸い付いてきた。  
 ひゃんっ!!  
 声にならない悲鳴をあげると、彼は、にやっと笑って言った。  
「こんなきれいなもん、見ないわけねえだろ」  
 ……意地悪。  
 いつのまにか、わたしは全身がほてってるのを感じた。  
 今は秋。それも、わたしはびしょぬれで、すごく身体は冷えていたはずなのに……  
 何で、こんなに熱いの……?  
 トラップの手は、巧みにわたしの身体をはいまわっていく。  
 それは、腕だったりお腹だったり肩だったりしたんだけど……彼の手が触れるたび、わたしの身体は、 
確実に熱くなっていって……  
 
「やっ、トラップ……あ、熱い……何だか、変……」  
「ああ、どんどん変になっちまえ……」  
 やんっ  
 太ももに感じるのは、トラップの唇。そのまま、どんどん上の方へと這い登っていって……  
 中心部に触れたとき、わたしはたまらず、悲鳴をあげた。  
「やあっ! やだっ、トラップ……そんな、とこ……」  
 ぐいっ  
 わたしの悲鳴を無視して、トラップの手が、わたしの脚を無理やり開いた。  
 つまり……トラップの目の前に、わたしの……  
 や、やだああああああああああ!!  
「ば、ばかあっ! そ、そんなとこ見ないで……」  
「…………」  
 わたしの声に、トラップはにやっと笑って……顔を埋めた。  
 ぴちゃり  
「――――!!」  
 恥ずかしいのと同時に、ものすごくぞくっとくる感覚がつきあげてきて……わたしは、段々、身体か 
ら力が抜けて……  
「やあん……と、トラップ……」  
「……甘い」  
 ぺろっと唇をなめて、トラップはつぶやいた。  
「おめえの、ここって……甘いな」  
「ううっ……」  
 トラップの……意地悪っ!!  
 思わず脚を閉じそうになったけど、その前に、トラップの身体が強引に割って入ってきた。  
 彼の手が、ズボンのベルトにかかって……  
 さすがに、目を開けてられなかった。  
 ぎゅっと目をとじて、身体を硬くしたとたん。  
 わたしは、トラップに貫かれていた。  
 
「――いっ……痛い……痛いっ……あああああああああ!!!」  
 痛いっ。何、これ? 何でこんなに痛いの?  
 こ、こういう行為って、き、気持ちいいものなんじゃ……  
「やっ……痛い、痛いよ、トラップ……」  
「っ……お、俺もいてぇ」  
「……?」  
「おめえの中って……すっげえ、締め付けられて……」  
 え? わ、わたし何もしてないけど……  
 トラップはぎゅっと目を閉じて首を振ると、そのまま一気に押し入ってきた。  
 傷口を無理やり裂かれるような痛み。激痛。  
 こ、こんなに痛い思いしたの、わたし初めてかもしれない……  
「やだっ……痛い、痛いよ……」  
 ぎゅっとトラップの背中にしがみつくと、彼の思ったより大きな手が、優しく髪をなでてくれた。  
「優しくしてやるつもりだったんだけど……我慢できなかった」  
「……え?」  
「ずっと、おめえとこうしたいって、思ってたから……」  
 トラップ……あなた、いつから、わたしのことを……  
 トラップの身体が、ゆっくりと動き出した。  
 本当にゆっくり、できる限りわたしに負担をかけないようにしてくれているのがわかる。  
 そのうち……本当に少しずつだけど、痛みが、何だかやわらいできて……  
 最初はすごくぎこちなかった動きが、段々なめらかになってきて……  
「あっ……ああっ、やんっ……あぁっ……」  
「…………」  
 わたしは思わず声をあげてしまったんだけど、トラップは無言。  
 そのうち、彼の動きが激しくなってきた。息が荒く、顔や身体に汗が浮かんできて……  
「うっ……」  
 一声うめいた瞬間、トラップの腕が、わたしの身体を抱きしめた。  
 ひときわ奥におしいられる感触。同時に……  
 トラップの身体が、脱力した。  
 
 結局、雨がやんだのは翌朝になってからだった。  
 わたし達は、そのまま抱き合って床に転がってたんだけど。  
 興奮して、あんまり眠れなかった。きっと、今鏡を見たらひどい顔になってるんだろうなあ。  
 マリーナの家に戻ると、玄関のドアを開けた途端、マリーナとクレイがとびだしてきた。  
 二人とも、昨日は一晩中起きて待っててくれたみたい。  
 ううっ、ごめんね、二人とも。  
「心配したのよ! どこに行ってたのよ、二人とも」  
「ああ? 雨が強いから、雨宿りしてたんだよ、雨宿り!」  
 マリーナの言葉に、トラップはぶっきらぼうに吐き捨てると、「寝る」と言って二階にあがっていっ 
た。  
 ……トラップも、眠れなかったのかな。  
 そんなトラップを呆れたように見送った後、マリーナはわたしの方に顔を向けた。  
 う、どうしよう。何て言えばいいのかな?  
「おかえり、パステル……どうだった? デートは」  
「う、うん。まあまあ、楽しかったよ」  
 本当に色々あったけどね。  
「そう、よかったじゃない……ところで、その指輪、どうしたの?」  
「え?」  
 言われて、わたしは初めて、昨日買ってもらった指輪をはめっぱなしだったことに気づいた。  
 あ、そうだ。このお金、マリーナが出してくれるんだよね。ちゃんと謝らなきゃ。  
 
「これ、昨日トラップが……ごめんねマリーナ、余計なもの買っちゃって」  
「え? 何でわたしに謝るの?」  
 わたしの言葉に、マリーナは心底不思議そうな顔をした。  
 ……あれ?  
「だって、デートの費用はマリーナが出してくれるって……」  
「トラップがそう言ったの?」  
「う、うん。そう言って、トラップが全部払ってくれたんだけど……」  
 そう言うと、マリーナとクレイは顔を見合わせて、同時に吹き出した。  
「パステル、鈍いにもほどがあるよ」  
 く、クレイまで鈍いって言うことないでしょ!?  
 ……って、二人のこの態度。もしかして……  
「やあねえ。わたし、そんなこと一言も言ってないわよ。あいつが出してくれたお金は、全部あいつの 
お金」  
「ええっ!? 嘘、だったら指輪のお金返さなきゃ!」  
「ちょ、ちょっとパステル、あなたねえ……」  
 わたしが慌てて二階に上ろうとすると、マリーナに引き止められた。  
 だって、結構高かったんだよ? この指輪。  
「ねえ、パステル。その指に指輪をはめてくれたの、トラップ?」  
「え? うん」  
 左手の薬指。確かにここにはめてくれたのは、トラップ……  
 って、ああ!?  
「パステル、まさか知らないなんてことないわよね? 左手の薬指にはめる指輪は……」  
 もちろん、わたしだって知ってる、それくらい。  
 ……エンゲージリング……  
 トラップ、まさか……  
「あいつにとっては、昨日のデートは、芝居じゃなかったんだろうな、きっと」  
 クレイの言葉に、わたしは何も言えなかった。  
 わたしって……本っ当に、鈍感だなあ……  
 
 
 ドーマのお祭りの日。つまり、芝居本番の日。  
 その日は、すっごくきれいに晴れ渡っていた。  
 キットンやノル、ルーミィにシロちゃんも、今日は見に来てくれることになっている。  
 ううっ、緊張するなあ……  
 わたしとトラップは、別にその後、あの日のことを話す機会もなく。  
 この数日、ひたすら練習に明け暮れていたんだけど。  
 わたしの演技もどうにか見られるものになったらしく、マリーナは満足そうだった。  
 いつだったか、「うまくいったわね」ってクレイと言い合ってるのを聞いたんだけど、大分心配かけ 
たんだろうなあ。  
 うん、今日の本番。ちゃんとやらなくっちゃ!  
 それに……  
 わたしは、そっとあの日以来ずっとはめたままの指輪に目をやった。  
 ちゃんと、返事しなくちゃね。今日こそは。  
 そして、大勢のお客さんの前で、芝居は始まった。  
 パトリシアとマリイ。クレスとステフ。  
 四人の、甘く切ない恋物語。  
 最初わたしが舞台に立ったとき、「ぱーるぅ!」という声が響いて危うくこけそうになったんだけど、 
ちらっと客席をうかがったらノルがルーミィの口を塞いでにっこり笑っていた。  
 これで、大分緊張がほぐれたんだよね。よーし、がんばるぞ!  
 そんなわけで、芝居は大体順調に進んだ。  
 トラップの真面目な視線にも、大分慣れたしね。わたしもしっかり受け止めて、真面目に台詞を返す。  
 「マリイを裏切れない」ってわたしがトラップと別れる場面では、泣いているお客さんもいたんだよ!  
 ううっ、がんばった甲斐があったなあ……  
 そして、芝居は最後の場面へとうつった。  
   
「マリイ、クレス……ごめんなさい。わたし、わたし、ステフを愛してしまったの!」  
 舞台の上で、わたしとステフ、マリイとクレスは見詰め合っていた。  
 もう離れられない。だから、二人で遠いところに行って一緒になろう。  
 そう誓って、マリイとクレスに別れを告げる場面。  
「パトリシア、どうして……」  
「ごめんなさい、マリイ。わたし、あなたのこと大好きよ……でも、この気持ち、止められない!!」  
 わたしの方に歩み寄ろうとするマリイを遮るようにして、わたしは一歩後ずさった。わたしを庇うよ 
うにしてその前に立つのは、ステフ。  
「すまなかった、マリイ。パトリシアを責めないでくれ。全て悪いのは……俺だ」  
「ステフ!」  
「殴ってくれて構わない。一生憎んでくれて構わない。だから……パトリシアだけは、許してやってく 
れ」  
「ステフ、やめて、どうしてあなたが謝るの!」  
 わたしがステフの肩をつかんだとき、マリイの前に、クレスが立った。  
「勘違いしないでくれ……二人とも」  
 とても辛そうな顔。わたしと、マリイを交互に見つめるようにして。  
「違う、マリイが言っているのは……『どうしてもっと早く言ってくれなかったの』だ……そうだろ?  
マリイ」  
 クレスの言葉に、マリイが大きく頷く。そして、大きな目に、涙をいっぱいためて言った。  
「そうよ……どうして言ってくれなかったの? わたしもずっと苦しんでいたのに。わたしとクレスも 
ずっと苦しんでいたのに! あなた達と同じように!」  
「え?」  
 マリイの言葉に、わたしとステフは言葉を返せなかった。わたし達の目の前で、マリイとクレスは……  
 お互いの手を、取り合った。  
 
「わたしも愛してしまったのよ、クレスを! パトリシア、あなたの大事な恋人だったはずのクレスを、 
一目見たときから……」  
「俺も……そうだっ。パトリシアへの気持ちは、嘘じゃなかった。本当だ。なのに、マリイに初めて会 
ったそのときから、俺は……」  
「嘘……」  
 ああ、どうして。  
 わたしは、どうしてもっとマリイとクレスのことを信じてあげなかったのだろう。  
 もっと早くに相談していれば……わたし達は、こんなにも苦しむことはなかったのに。  
「ははっ……バカみたいだな、俺達は……」  
 自嘲してつぶやくのは、ステフ。  
「最初から解決していた問題を、ずっと、苦しみ続けていたのか……」  
「ステフ……」  
 マリイとクレス、わたしとステフが見詰め合った後……わたしとマリイは、舞台中央で、かたく抱き 
合っていた。  
「ねえ、マリイ。わたし達、ずっと友達よね?」  
「当たり前じゃない……今までだって、これからだって、パトリシアはわたしの親友なんだから!」  
 そして、わたし達は身体を離すと、ぎゅっとお互いの手を握り合った。  
「ねえ、幸せになりましょうね、わたし達」  
「もちろんよ……なるに決まってるじゃない……」  
 そして。  
 わたし達は、お互いの恋人の胸へととびこんでいった。  
 抱き合う二組のカップル。やがて、マリイとクレスにスポットライトが当たって。  
「ずっと苦しんでいたわ。パトリシアを裏切ったという思いに。でも、やっと幸せになれるのよね?」  
「ああ。今まで苦しんだ分も、幸せになろう」  
 そうして、マリイとクレスの口付け。これ、舞台の上で見るとわかるけど、実はしてるように見せか 
けて「ふり」なんだよね。  
 もちろん、わたし達の方も、最初はその予定だったんだけど……  
 
 マリイとクレスの姿が闇に沈んで、今度はわたしとステフの方にスポットライトがあたる。  
「ずっと辛かったの。マリイを裏切ったという思いに。でも、やっと幸せになれるのね」  
「ああ。今までずっと耐えてきた分も、幸せになろうな」  
 ここで、わたし達が抱き合い、キスをするふりをして、終わるはずだった。台本では。  
 ……でも。  
 わたしは、ぐっとステフ……トラップの顔を見つめた。  
 予想外のわたしの動きに、トラップがけげんな表情をする。  
 今までわたしが鈍感だったせいで、トラップはきっとすごく辛かったんだよね。  
 だから……そのおわび!  
「あなたが、いつかくれたこの指輪」  
 そうしてわたしが見せたのは、あのデートの日、トラップが買ってくれた指輪。  
「あのときは、答えられなかった。マリイのことを考えて、とても答えられなかった。本当はとても嬉 
しかったのに。嬉しかったから返すこともできず、ここまであなたを苦しめてしまった。  
 本当にごめんなさい、ステフ……」  
「パトリシア……」  
「だから、今、返事をさせて。とても幸せな今日のこの日に……あなたを愛しているわ、ステフ。この 
指輪……受け取らせていただきます」  
 きっと、これで通じたはず。わたしの言いたいこと。  
 何だか視界の端で、マリイ……マリーナとクレイが手を取り合って「よくやった!」みたいなことを 
囁いてるのが見えるんだけど。  
 気にしないもんね! どうせいつかはわかるんだし。  
 トラップは、しばらく茫然としていたみたいだけど、やがてステフのものではない、トラップの笑み 
を浮かべていった。  
「全く、かなわないな。パ……パトリシアには」  
 そう言って、わたしとトラップは。  
 観客の割れんばかりの拍手が降りそそぐなか、ふりではない本物のキスを交わした――  
 
 

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