その日のクエストは、ある山の中に暮らすと言われる貴重な鳥の存在を確かめに行く
ことだった。
証拠としてその鳥の羽を取ってくるっていうクエストだったんだけど、幸いなことに
凶暴な鳥じゃなかったし。我がパーティーには動物と話せるノルがいるからね。クエス
トそのものは、簡単だったんだ。
……ところが、わたしがまーたまたやってしまいまして……
それは帰り道のことだった。どこからか、猫みたいな鳴き声が聞こえたなー、って思
ったのよ。
ノルやトラップに聞こえなかったのに、わたしにだけ聞こえるなんておかしいから、
最初は空耳かなって思ったんだけど。でもどうしても気になっちゃって。
そっちの方に気を取られてたら、いつのまにかみんなとはぐれてしまっていたという
……
ははっ。いつものことのような気もするけど、わたしって本当に方向音痴だなあ……
「クレイートラップールーミィー」
みんなの名前を呼びながらうろうろしてると、いつの間にか山の奥深くに入りこんだ
みたいで。まわりはどんどん暗くなるし、寒くなるしで、物凄く不安になった。
わたし、本当にみんなと会えるのかな?
トラップはいつも言うんだけどね。「迷ったと思ったらその場を動くな。うろうろ動
き回るから余計迷うんだ」って。でも、その場でじーっと待ってるのってますます不安
になるんだよね。
そうして歩き回って……どのくらい経ったのかなあ?
突然、大きな木が立っているちょっとした広場みたいなところに出た。わたしが十人
くらいいないと抱え込めないくらいすっごく大きな木を中心として、そこだけ草しか生
えてないんだ。
休憩するのにちょうどいいからその木の根元に座り込んでたんだけど、そのとき気づ
いた。
あの、猫みたいな鳴き声。それが、木の中から聞こえるってことに。
「どうしたの? 何かいるの?」
わたしは声をかけながら、木のまわりをぐるぐるまわってみた。そうしたら、ちょう
ど裏側の部分に、大きなうろがあったんだ。
そして、その中に、猫……みたいな動物が二匹、罠にかかってたの!
あの、猛獣を捕まえるのによく使う、踏んだらとげとげのついた鉄の輪がばちんと閉
まる奴ね。
その中に、手のひらくらいの凄く小さな動物が、二匹まとめて挟まれてたんだ。
「嘘っ、大丈夫!?」
慌てて罠を開こうとしたんだけど……うーん、か、かたいっ!
どこかを押せば簡単に開くと思うんだけど、どうやればいいのかさっぱりわからなく
て。
とげとげが身体に食いこんで、猫みたいな動物は、血を流して苦しんでいるのに。わ
たしじゃ助けてあげられなくて。
悔しくて情けなくって、泣きながら「トラップ!」って思わず叫んでたの。
そうしたら!
「あんだよ」
本当にトラップが現れたの! わたしが叫んだらすぐによ。すごい偶然だと思わない?
「おめえはなあ! 一体どこをふらふらしてやがる! ちゃんと前見て歩いてたのかよ
!?」
「そんなことよりトラップ! この子達助けてあげて!!」
長々と続きそうなトラップのお説教を遮って、わたしは叫んでいた。
トラップはちょっと面食らったみたいだけど、すぐにその動物達に気づいてくれて、
あっという間に罠を解除してくれたんだ。さすが盗賊だよね。
「なんだあ? この動物」
二匹まとめてつまみあげて、トラップがすごく不思議そうに聞いてきたんだけど。
そう。さっきから「猫みたい」って言ってたんだけど、その動物は猫じゃなかった。
猫みたいな三角の耳でふわふわの毛に包まれてるけど、足が六本あってかわりにしっぽ
が無いんだ。
でもでも! すっごく可愛いの。小さいから余計にそう見えるのかもしれないんだけ
どね。
で、わたしとトラップが持ってた傷薬を塗ってあげて、ハンカチを巻いてあげたら、
動物達(何の動物なんだろ?)はぺこぺこおじぎしながら山の奥に歩いていったんだ。
はーっ、怪我が思ったよりひどくなくてよかったあ。
「ほれ、気がすんだか? とっとと戻るぞ。みんな心配してんだかんな」
もートラップったら! そんな言い方しなくてもいいじゃない!
で、この後、わたしは無事みんなと合流することができて、クエストは無事終了した
んだけどね。
このことが、後になってあんな騒ぎを引き起こすなんて、そのときは思ってもみなか
ったんだ。
「えーっ、またあの山に?」
トラップが新たなクエストの情報を持って来たのは、その出来事から十日後のことだ
った。
わたし達は、シルバーリーブで相変わらずバイトに明け暮れていたんだけどね。
トラップは小さな本屋さんでバイトしてたんだけど、そこのお客さんが依頼してきた
んだって。
「そうそう。ほれ、この間見つけた鳥の羽。あれさ、何か、結構研究価値があるらしく
って、本当に存在するんだったらもっと取ってきてほしいんだとさ。羽一枚につきいく
らで金くれるって言うから、集めれば集めるほど稼ぎになるぜ」
トラップの目はきらきら輝いている。もー、本当にお金には目が無いんだから。
「俺、あんまり賛成しない」
ところが! いつもは寡黙なノルが、珍しく反対した。ふえー、どうしたんだろう?
「羽がないと、あの鳥、年越せない。あれが彼らの洋服だから。たくさん取るのよくな
い」
うーん、そう言われると、何かかわいそうになってくるなあ。
トラップのことだから、多分羽を丸ごとむしりとる気満々だろうし。
チラッとうかがってみたら、わたしの予想は当たってたみたいで、目をそらしてるし。
「いやいやいや、ノルの言うこともわかりますけどねえ」
それにさらに反対したのがキットン。何だかトラップに負けず劣らず目が輝いてるん
だけど……
「研究することによって、あの鳥は絶滅を免れるかもしれませんよ? それに、羽は再
生しますからね。まだ冬には間がありますし、今の時期なら少々取っても大丈夫でしょ
う」
「おお! 珍しくいいこと言うじゃねーかキットン! そうそう、そのとおりだぜ、ノ
ル。あの鳥の絶滅を防ぐためにも、俺達ががんばらないと!」
すかさず話しに割り込むトラップ。あんたはお金のためでしょ! とつっこみたいの
は山々だったんだけど。
まあ、これから衣替えのシーズンだから買いたいものもいっぱいあったし。結局は
「行ってみますか」ってことになったんだ。
で、それから2日後、わたし達は再び、山の中へと入っていった。
「いいかパステル。今度こそ迷うんじゃねーぞ」
「もー、わかってるわよ」
先頭にわたしとトラップ、次にクレイとルーミィ、シロちゃん、最後尾にノルとキッ
トンという隊列で、わたし達は山の中を歩いていた。
前回はわたしが最後尾でキットンが先頭だったんだけどね。「おめえを後ろにまわす
と気がついたらいなくなる」というトラップの言葉で、今回は1番前。
ははは。反論できないのが悲しい……
目的の鳥は、山の頂上に住みかを作ってるんだけど。日帰りできるくらいの低い山だ
からね。道さえ間違わなければ、そんなに時間はかからない。
間違わなければだけど……
「おめえは! 何回言やあわかるんだよ!! 今の道を右、次の道を左だろうが!!」
「あ、あれ? 今わたし右に曲がらなかった??」
なーんてやりとりをしながら、山の中腹くらいまで進んだときだった。
ゴゴゴゴゴゴ……
突然不気味な地響きがして、傍の木に止まってた鳥達が、いっせいに飛び立った!
「な、何?」
「危険が迫ってる、逃げろって鳥達が言ってる」
「危険!?」
ノルの言葉に、慌てて引き返そうとしたんだけど。
ノル、キットン、クレイと抱っこしてもらったルーミィ、シロちゃん……とわたしの
間で、突然地面が割れたのよ!!
「きゃああああああああああああ!!?」
「パステル!!」
危うく割れ目に落ちそうになったわたしを、トラップがひっぱりあげてくれた。
ふえええええええ、何なの一体!?
茫然としてる間に、地割れの大きさはもうジャンプしても絶対向こう側に届かないく
らいになっちゃって。
クレイ達が何か叫んでるみたいなんだけど、それも全然聞こえない。
「と、トラップ……どうしよう……」
「お、落ち着け。まわりこめば絶対どっかから下りれるはずだ」
そうして、わたしとトラップは揺れる地面を這うようにして進んだんだけど。
何てこと! そんなことしているうちに、今度はわたしとトラップの間に地割れがで
きちゃって!!
「きゃああああああああ!? トラップ、トラップー!!」
「パステル!!」
トラップが一生懸命手を伸ばしてくれたけど、届かない。
わたし一人だけ取り残されちゃって、一体どうしたらいいのよー!?
なーんて、よつんばいになったまま茫然としていたら。
地面がさらに大きく揺れて、わたしはどこかに頭をぶつけたみたいで……
そのまま、気が遠くなっていって……完全に気を失ってしまったのだった。
……ル……
うーん、何なのよ……
……テル……
頭痛い……もうちょっと寝ていたいなあ……
……ステル……
「起きろパステル!!」
「は、はいっ!!」
突然耳元で響いた大声にびっくりして、わたしは飛び起きた。
もー、何なのよ!!
目を開けてみると、目の前には見慣れた赤毛の盗賊の姿。まわりは、地割れだらけ、
ぼこぼこだらけと無残な姿になった地面。
揺れは収まってるみたいだけど……大丈夫かな。この山、崩れないでしょうね……
……ってトラップ?
「トラップ? どうしてここに? さっき……」
「ああ? おめえ、俺の職業何だと思ってんだ? これ使って渡ってきたんだよ」
そう言ってトラップが取り出したのは、フックつきのロープ。
おお、さっすがー!
「なら、クレイ達ともすぐに合流できるよね!?」
「いや……それがさ、あいつらの姿が見えねーんだよ。地割れだらけで危ねえからな、
先に下山したみてえ」
「えー!?」
わたしとトラップがこっちにいるのに!? ま、まあ、この状況じゃあしょうがない
けど……
「じゃあ、わたし達も早く下山した方がよくない? また地震が起きたら今度こそ危な
いかも」
「いやー、それは大丈夫じゃねえ?」
「え?」
「いや、こっちの話」
……トラップ? 何か変なような気がするんだけど……気のせいかな?
「ま、んなことはともかく、とっとと行くぞ。ほれ、立て立て」
「あ……うん。でも、道わかるの?」
「んー、ま、適当に歩いてりゃ何とかなるんじゃねえ?」
……??
何か落ち着いてるなあ、トラップ……どうしたんだろう?
まあ、でも、焦ってるよりはマシかな?
というわけで、わたしはトラップと歩き出したんだけど。
トラップの足取りは、全然迷いがなかった。山の状況が全然変わっちゃってるのに、
道なんかあって無いようなものなのに、よ?
わたしと合流する前に、道をチェックしておいてくれたのかな?
「ほれ、パステル。そこ危ねえぞ」
「え? きゃあっ!?」
なーんて考え事してたら、ぐいっと肩を捕まれた。ひょいっと足元を見たら、3メー
トルくらいはありそうなすっごく大きな蛇が!!
「きゃあああああああああああ!?」
「あー、うるせえな。いちいち騒ぐなよ」
「だ、だって蛇よ、蛇っ!」
「どこにでもいるだろ、んなもん」
「あんな大きな蛇見たことないわよ!!」
……って、あれ? 何、このわたしの肩にまわされた手は。
トラップ?
「ほれ、さっさと歩け」
「え? あ……うん……」
トラップの手は、わたしの肩を抱いたまま。
……??
何か……トラップ、変? もしかして、頭を打ったとか?
何だか釈然としないまま歩き回ったんだけど、トラップの足取り、自信に満ちてた割
には、全然下山する気配が無いんだよね。むしろ、上に登っていってない?
いや、わたしの方向感覚が全然あてにならないことはわかってるんだけどね。
「ねー、トラップ。何だか上に上ってるような気がするんだけど……」
「ああ? 気のせいだよ気のせい」
「そう……?」
うーっ、何か変。絶対、変。
そうして、ずんずんとトラップが歩いて行った先。そこにあったのは、前にあの猫み
たいな動物達を助けてあげた、木のうろだった。
「……トラップ?」
「もうじき暗くなるだろ」
わたしの言葉を無視して、トラップは言った。
「夜の山は危ねえからな。一晩野宿すっぞ」
「えーっ!?」
嘘っ、こんな崩れそうな山の中で!? クレイ達もいないのに!?
「トラップ、大丈夫なの? また地震が来たら、かえって危なくない?」
「バーカ、心配しすぎだって。暗い中で道に迷う方が危ねーよ。ほら、入った入った」
「う、うん……」
そう言われてみれば、そうかな? わたし一人じゃ絶対下山は無理だし……ついてい
くしかないよね
「わかった。でも、そこ大丈夫? 狭くない?」
「ああ、案外広いんだぜ、中は」
「ふーん」
トラップにひっぱられてうろの中に入ってみたんだけど、確かに、思ったよりは広か
った。思ったよりはね。
いくら大きな木だからって、ここに二人は、無理があるんじゃないかなあ……
だって、わたしとトラップ、二人が座ったらもうほとんど動くスペースが無いんだよ?
これじゃ寝ることもできないじゃない。
「ねー、トラップ。本当にここで夜明かしするの?」
「あ? しつけーな。外で寝るよりマシだろ。蛇だの虫だのがうじゃうじゃいるんだぜ」
「うっ……うん……」
さっきの大きな蛇を思い出して、改めて身震いしてしまう。うーん、それにしても……
さっきから全然離れようとしない、この手は何なのよ、トラップ……?
相変わらずわたしの肩を抱いたまま、鼻歌なんか歌ってるトラップに、わたしは思わ
ず疑いの目を向けてしまった。
だって……どう考えても、変じゃない? 何か……
外見も服装も口調も何もかもいつものトラップだけど、何か……変……
そして、わたしがそっと彼の手を外そうとした、そのときだった。
「なあ、パステル」
「……な、何?」
「二人っきりだよな」
な、何を言い出すのよこの人は!
「そ、そうだね。早くクレイ達と合流できるといいね」
「いやあ、俺は合流できない方が嬉しいね」
「……え??」
トラップ? 何を言ってるの……?
「だってさ。みんながいたらできねーだろ?」
と、トラップ? 何、この手は……
「こんなことは……」
そう言って、彼は……
突然、わたしの頬に手を当てて、き、き、キスしてきたのよ!?
ななななな何がどうなってるのー!!
目が覚めたら、俺は一人になってた。
一体何がどうなってんだあ??
えーと、落ち着いて考えよう。地震が起きて、地割れで俺とパステルだけが取り残さ
れた。んで、もう一回地震が来て、そのパステルとも離れ離れに……
っておい! あの方向音痴が一人で取り残されてるのか!?
俺は即座に立ち上がった。のんきに倒れてる場合じゃねえぞこりゃ。
パステルと離れた後、俺は不覚にもどっかで頭を打ったらしい。それでしばらく気ぃ
失ってたみたいなんだが……
一体、ここは山のどこらへんなんだろうな?
まわりをみまわしても、様子がすっかり変わっちまってさっぱり想像つかねえ。こり
ゃあ、早いとこパステル見つけねえととんでもないことになるぞ。
そうして歩き出したものの。何しろ道という道が地割れで分断されてるからな。まっ
すぐ歩くことすらままならねえ始末だ。
「ったく。どーすりゃいいんだろうなあ。クレイ達、助けに来てくんねえかな?」
俺が立ち止まってつぶやいたときだった。
――ップ――
微かな声が、耳に届いてきた。自慢じゃないが、俺は耳と目には自信がある。しかも、
この声は……
――ラップ――
声の聞こえる方向に歩いてみる。思ったより近くにいるみてえだな、こりゃ。
……と、
「――トラップ!!」
「おわっ!!」
突然茂みから飛び出してきた人影は、そのまま俺にしがみついてきた!
ななな何だ!?
「トラップ! よかった、無事だったのね!」
「ぱ、パステル!?」
俺の胸にしがみついてるのは、まぎれもなくあの方向音痴のマッパー、パステルだっ
た。
俺があいつの顔を見間違えるわけがない。いいかげん長い付き合いだしな。
……しかし、こいつって、こんな大胆なことする奴だったか? よっぽど怖かったん
だろうな。
「無事だったか? パステル」
「うん、わたしは大丈夫。トラップこそ大丈夫だった? 怪我してない?」
「ああ? おめえ、俺を誰だと思ってんだよ。おめえと一緒にすんなよな」
ここで、いつものパステルなら「ひどーい。心配してあげてるのにその言い方はない
でしょー」と返すところだ。あいつの返事のパターンなんか大体決まってる。
ところが、だ。
「そうだよね、ごめん」
何と、素直に謝りやがった!
……パステル、頭でも打ったか??
「謝らなくてもいいけどよ。とっとと下山するぞ。クレイ達とも合流しねーといけねー
し」
「うん、そうよね。行こう、こっちよ」
「……へ?」
ぱ、パステル? 何だ、その自信に満ちた足取りは??
いつもなら、俺の後ろを自信なさそうに歩いてくるパステルが、だ。何と、俺の腕を
ひっぱって自ら進もうとしてやがる。
……本格的に変だぞ、こいつ。本当にパステルか?
「トラップ? どうしたの?」
「……いや、何でもねえよ」
顔も、服装も、口調も、何もかもいつものパステルだ。
変なのは、行動。こいつは、もしかすると……
「おい、パステル」
「……なあに?」
「ちょい、こっち来てみ」
確かめる方法は簡単だ。本物のパステルだった日には、おそらく無傷じゃすまねえだ
ろうが……
近寄ってきたパステルを、ぎゅっと抱きしめてやる。
……この出るとこがひっこみひっこむところが出てる体型は、間違いなくパステルだ
な。
そして、あいつなら、こんなことをされたら「もう、何するのよスケベ!」とひっぱ
たくか何かするはずなんだ。
ところが! この目の前のパステルはこともあろうに……
「トラップ? どうしたの、急に……」
とか、潤んだ目でこっちを見上げやがった!!
……やべ。罠にかけたつもりで、俺が罠にはまったかも……
わ、わけがわからない……トラップが、わたしに、き、き、キスするなんて!?
でも、まぎれもなく唇には柔らかい感触があって。目をあければ焦点も合わないくら
い間近にトラップの顔があって!!
逃げようにも、狭すぎて動くこともままならなくって……何なのよ一体――!
「ん――ん、んんっ!!」
「ん、何だ? 何か言いたいことでもあんのか?」
どんどんと胸を叩いて無言の抗議をすると、やっと唇が解放された。ううっ、苦しか
った……
ってそんなこと言ってる場合じゃなくて!
「と、トラップ、どういうつもりよ!」
「あ? どういうつもりって?」
「な、な、な、何のつもりでき、キスなんか……」
「何、わかんねえの、おめえ? どういうつもりも何のつもりも……」
そう言いながら、トラップはわたしをうろの壁に押し付けた。いや、狭いからね。も
ともと壁に背中ついてたんだけど。
その上から両肩をおさえつけられて、わたしは本格的に身動きができなくなった。
「簡単じゃねえか。俺がパステルを好きだってこと」
二回目のキスも、よけられなかった。しかも、しーかーもー!
唇を強引にこじあけるようにして、と、トラップの舌がっ!
「んんーっ!!」
ふりほどこうにも頭ごと抱え込まれちゃって動かせない。そのまま、舌がからめとら
れて、転がされて……
ち、違うっ、こんなのトラップらしくない! 何か変! 絶対変!!
思ったときには、わたしは思わず動かしていた。唯一自由になった、顎を
「っつ……」
唇をかみきられて、ようやくトラップの顔が離れる。その表情は……何だか無表情で、
とっても怖いんですけど……
「と、トラップ、変だよ? どうしちゃったの、一体……」
「変? どこが? 俺はいつもの俺だぜ」
「違う! いつものトラップなら、絶対こんなことしないもん! あなた一体……」
「……それは、パステル」
と、突然、トラップの口調が変わった。声は同じなんだけど、何だか、雰囲気が全然
……
「それは、君が彼のことをわかってなかった証拠だ。彼はいつも思っていたよ。君と、
こうしたいと」
「……え?」
トラップの顔で、声で、目の前の知らない人は……
そのまま、わたしのブラウスに手をかけて力任せにひきちぎった!!
俺の腕の中で、パステル(?)は、じぃっと俺を見つめている。
何つーか、その……顔は全くパステルと同じなんだが、可愛かった。やばいくらいに。
「ぱ、パステル……」
「そうよ、わたし。トラップ、どうしたの?」
「……違う。おめえ、パステルじゃねえだろ?」
「え?」
違う。絶対違う。こいつはパステルじゃない。
いつも傍で見てた俺が言うんだ。断じて、こいつはパステルじゃない。
「何言ってるのよ、トラップ。わたしのこと忘れたの?」
「覚えてるから言うんだよ!! おめえはパステルじゃねえ、パステルなら、俺にこん
なことされて黙ってるはずがねえんだ!!」
「……そんなこと、ないわよ」
「へ?」
パステル(偽者)は、ふっと目を伏せた後、自ら俺にしがみついてきた。
な、何なんだこいつは……誰なんだ、一体?
「わたしは、トラップとずっとこうしたいと思っていたよ? トラップ、どうして気づ
いてくれないの?」
「……なんだと?」
どういうこった、それは? この偽者、何を言うつもりなんだ?
「気づくって何をだ? おめえ、一体何が言いてえんだ」
「どうしてわかってくれないのよ、バカ! わたしは……」
その瞬間、起こったことを、俺は多分一生忘れねえ。
偽者、とはいえ、だ。パステルと同じ顔で、同じ声をした女が……
自ら、俺にキスしてきやがったんだよ!!
な、何しやがるこいつ!!
思わず力任せに押しのける。正直言って、怖かったんだよ。
このまま、理性がとびそうになるのが。
「わたし、トラップのことが好きだよ! トラップは、わたしが嫌い?」
だが、俺が必死こいて理性を保っているにも関わらず、だ。
邪険に扱われて、偽者はこの上なく悲しそうな顔をした。
今にも泣きそうな、そんな顔が、やっぱりパステルにそっくりで……
やややややばい、冷静になれトラップ。あれはパステルじゃない! パステルじゃな
くて……その……
「ねえ、トラップ。わたしを見て、わたしだけを見てよ……」
ゆっくりと俺の頬に手を伸ばしてくる偽者を……
俺は、力いっぱい抱きしめていた。……罠にかけるつもりじゃなく、本気で。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!!?」
はじけとぶボタン。あらわになる胸。
わたしは叫んでいた。うろの中でわんわんと反響して物凄くうるさかったけど、それ
でも叫んでいた。
何で、なんで。なんでこんな……
この人は、一体……
「俺、好きだぜ。パステルのこと」
目の前のトラップの顔をした人は、口調を戻して言った。
「好きだから、ずっとこうしたかった」
「やあっ、やめて触らないで!!」
逃げようにも、何度も言ってるけど狭くて身動きできない!! どうしたら……
その間にも、トラップの偽者……だよね? トラップじゃないよね? ……の手が、
遠慮なく伸びてきて……
わたしの胸を、思いっきりつかんだ。
「やっ……痛いっ……」
「おめえ、まだ処女だろ?」
偽者は、にやにや笑いながら言った。
「いい気持ちにさせてやるから。大人しくしてろ」
「やだあ……やめて……」
違う。絶対トラップのはずがない。嫌、こんなの嫌。
本物のトラップはどうしたの? どうなってるの? 何でこんなことに?
多分、わたしは現実から逃げたかったんだと思う。
偽者トラップの力は強くて、わたしは全然身動きが取れなくって。逃げられないとわ
かったから……
「……やっ……」
胸から背中へ、首筋へ。偽者の手が、遠慮なく這い回る。
でも、1番辛いのは。
そうやって、微妙に刺激が来るたびに、わたしの身体が、段々熱くなってることで……
「あっ……やだっ、違うっ……やめっ……」
「へえ。おめえ、背中が弱点か?」
びくっ!
背筋をなでられて、思わず反応してしまう。
「結構感じやすいみてえだな。気持ちいいか?」
「……違うっ……よくなんか……ないんだから……」
「無理すんなよ。目ぇうるんでるぜえ? 素直になれって」
「っ誰がっ……」
「ほれ」
びくっ
くっ、悔しいっ……こんな、こんな人に……
トラップ……助けて……
「……俺が、トラップなんだよ」
偽者は、わたしの心を読んだみたいにつぶやいた。
「認めろよ! おめえも俺が好きなんだろう!?」
「いやあっ、違うっ! わたしが好きなのはっ……」
わたしが、好きなのはあなたじゃなくて。
本物の……
俺はパステルのことが好きだ。
そう自覚したのがいつだったか、はっきり覚えちゃいねえが。
あの鈍感女が、このナイーブな男心って奴に気づくはずもねえ。
それに、見たところ、あいつはクレイの奴が好きみてえだしな。だから、俺はこの気持
ちを表に出さねえつもりだった。
けど辛かった。一緒にパーティー組んでるんだからな。四六時中顔をつきあわせなきゃ
なんねえし、もちろんクレイも一緒だし。
だが、そのパステルと同じ顔をした女が、今、俺を好きだと言って……
「トラップ……」
……違う、違う、違う違う違うっ!!
冷静になれっ。あのパステルに、こんな色っぽい表情ができるか!? 違う、こいつは
パステルじゃねえんだ!!
「違う……」
「何が違うの? わたしはパステルよ。わたしはあなたが好き、トラップ。あなたもわた
しが好きなんでしょう?」
「違うっ!! 俺が好きなのはおめえじゃねえ! 俺が好きなのはっ……」
本物の……
「トラップよ!」
「パステルだ!」
……え?
わたしが叫んだとき、突然、目の前の偽者トラップが微笑んだ。
「最初から、素直になればいいんだよ」
そして……彼の身体が、輝き始めて……
なっ、何!? 何が始まるの!?
瞬間。
わたしがもたれてた木の幹が、突然消えた。
……え?
それと一緒に、目の前の偽者トラップの姿が、急に小さくなっていって……
な、何? 一体何が起きてるのー!?
後ろ向きに倒れながら、わたしは心の中で叫んでいた。
な、何が起きたんだ!?
俺が叫んだ瞬間、偽者パステルは、微笑んだ。
「そうやって、素直になればいいのよ」
そうつぶやくと、そいつは突然光り始めて……
って何なんだよこいつは! 一体何者なんだ!? モンスターか!!?
俺がパニックになってる間に、偽者の姿はどんどん縮んでいって……
同時に、ぼこぼこの穴だらけだった周りの地面が、揺れ始めた。
こ、今度は地震かよっ!!? 一体何が起きてんだー!!?
その間に、偽者の姿は俺の膝くれえの大きさまで縮んで……そこで止まった。
そして。
俺の周囲が、突然光に包まれた。
あー、もう、何が何だか。色んなことが起きすぎてわけわかんねえよ。
どうにでもしてくれ、という気分で天を仰いだとき、包まれたときと同じように光は
消えて……
で、だ。
何で目の前にいきなりパステルの背中が現れるんだよ!! しかもこっちに倒れこん
でくるし!!
「おいっ!!」
パステルの身体を抱え込みながら、俺は派手にしりもちをついた。
「おいっ!」
聞こえたのは、何だかとっても懐かしい声。
さっきまで同じ声を聞いていたはずなのに、やっぱり何かが違う。この声は……
「トラップ!」
「パステル、パステルなんだな!」
わたしを抱えるようにして地面に座り込んでるのは、間違いなくトラップだった。今
度こそ本物の。
見た目は全く同じなんだけどね。わたしにはわかるんだ。一緒にいると安心できる空
気が、偽者にはなかったもん。
で、トラップはトラップで、わたしのことじーっと見つめてて……
……って、そういえば。
はっと思い出して自分の服装を見おろしてみる。
きゃああああああああああ!!? そういえば、わたし、ブラウス破られて……
「ば、バカッ! エッチ! 見ないでよー!!」
「うげっ!!」
思わず彼の頭をはたき倒してしまった。うーっ、恥ずかしいっ……
「お、おめえなあ! いきなり何すんだよ! ったく……」
「きゃあっ、顔あげないでー!!」
「だ、誰が見るかよそんな貧相な身体!!」
ムカッ
そりゃー、わたしはマリーナとかに比べたら胸とかも小さいけど……そんな言い方す
ることないじゃない!!
「ひ、貧相で悪かったわねっ。何よお……怖かったんだから……」
一生懸命破れた前身ごろあわせていると、上から上着をかけられた。
このオレンジ色の上着って、トラップの……?
「あ、ありがと……」
「着てろ。見たいもんでもねえし……」
……悪かったわねっ、本当に。
411 名前:トラパス 謎の生物編 19 投稿日:03/09/19 00:48 ID:pbMrFgkW
上着のボタンをとめていると、トラップは、周囲を見渡してつぶやいた。
「ところでさ、おめえ一体何があったんだ? っつーかその格好……」
「あっ! そうだ聞いて! トラップが……」
「は?」
いや違う。トラップじゃなくて……えーと、もーややこしい!!
四苦八苦しつつ、何とか状況を説明する。襲われかけたっていうのも……まあ、格好見れば一目瞭然だからね。恥ずかしかったけどしゃべっちゃう。
それを聞いて、トラップは何だかすごく驚いたみたいだった。
「あんだと!? おめえの方にも偽者が!? しかも襲われただと!?」
「え、えと、触られて……キスされただけ、だけどね……」
「んだとお!? 偽者の俺め、本物でもまだやってないことを……」
ん? 何の話? いやいや、まあ細かいことは後で聞こう。
で、わたしの方にも、ってことは、もしかして……
「ってことはトラップのところにも?」
「ああ。おめえを百倍色っぽくしたような偽者のおめえが俺に迫ってきた」
……微妙にひっかかる言い方なのは気のせいかな?
でも……一体、何だったんだろう?
よくまわりを見れば、地震で崩れそうなほどぼろぼろになってた山も、すっかり元通
りになってる。
一体……
と、いきなりトラップがわたしの腕をひっぱった。
「おい」
「えっ、何?」
「あれ。いつかの猫もどきじゃねえ?」
……え?
トラップの指差す方向。そこには、確かにあのときわたしとトラップが助けてあげた、
猫みたいな二匹の動物がいた。
わたしとトラップの方を、じーっと見て……そして。
「きゃあ!」
「うわっ、何だこりゃ!?」
突然、頭の中に、声が響いてきた。
――これが、我ら流の恩返し――
――お互いに、1番望んでいたものを――
――わかっただろう? 自分の気持ちが――
――素直になりさえすれば、お前達は、1番欲しいものが手に入る――
――助けてくれて、ありがとう――
「……え?」
声が聞こえなくなったとき。
あの不思議な動物は、もう、どこにもいなかった。
「ねー、トラップ。結局何だったんだろうね」
「けっ、俺に聞くな」
トラップは、何だかすごく不機嫌そうだった。まあね、散々ふりまわされたから。
気持ちはわかるけど……
それにしても、何だったのかなあ。恩返しって言ってたから、きっと、助けてあげたこ
とのお礼をしてくれたんだよね。
とてもそうは思えなかったけど……
わたしの一番望んでいたもの、って、何だったんだろう?
――素直になりさえすれば――
「おおーい……トラップ――パステル――?」
と、そのときだった。遠くから、懐かしい声が聞こえてきたのは。
「あ! クレイ達だ!! そっか、結局地震とかって全部あの子達が起こした幻覚みたい
なものだったのかな」
「あ、ああ……多分、そうなんじゃねえ?」
「よかったーみんな無事で。トラップ、早く行こう」
「……パステル」
「え?」
声は聞こえるけど、クレイ達の姿はまだ見えない。そんなときだった。突然トラップに
呼び止められて……
とっさに何が起きたのかわからなかった。
えーっと……?
わたし……何で、抱きしめられてるの??
「と、トラップ!? まさか偽者……」
「バカ、俺は本物だ!! ……あいつらが言ってたじゃねえか。素直になりさえすれば、
1番望んでいたものが手に入るって……」
……え?
それって、まさか。
「俺はっ……あいつら、余計なことしやがって……言うつもりなんかなかったのに……」
「と、トラップ?」
「――おめえのことが好きなんだよ!! わかったか!?」
……え。
えええええええええええええええええええええ!!?
驚くと同時に、思い出していた。
あのとき、偽者トラップに言いかけたこと。
わたしが好きなのは、本物の――
「で、どうなんだよ!! 俺は素直になったぞ。返事は!?」
トラップ、真っ赤になってるよ……
そっか、そういうことだったんだね。素直になるって……
わたしも、素直になればいいのかな。
「うん。わたしも――」
返事は、暖かいキスだった。