「ねーねー、おかあさん。おかあさんは、どうしておとうさんとけっこんしたの?」  
 子供から聞かれて困る質問、と言ったら、色々あると思うけど。  
 一番困る質問の一つは、間違いなくこれじゃないだろうか?  
「えーと……あのね、もうすぐご飯だから……」  
「ねえ、どうしてー?」  
 わたしのささやかな抵抗は、娘のつぶらな瞳に、あっさりと潰えてしまった。  
 うっ……か、可愛いっ!  
 はしばみ色の瞳と、おっとりした顔立ちはわたしゆずり。だけど、癖の無い黒髪は父親ゆずり。  
 まさに「目に入れても痛くない」という表現がぴったり来る我が娘を前に、わたしは、苦悩していた。  
 お父さんとどうして結婚したのか、ねえ……  
 そりゃ、もちろん色んな理由がある。相手が自分の娘じゃなかったら、例えば友達か誰かだったら、それこそ一晩中でも語り明かせるくらいに。  
 でも……  
「それはね」  
「うんうん」  
「お母さんが、お父さんのことを大好きだからだよ」  
 さすがに、五歳にもならない娘に、惚気るわけにも行かない。というよりもできない。恥ずかしくて。  
「お母さんはね、お父さんのことがすっごく大好きで、一緒に居たかったから結婚したの。わかる?」  
「ふーん」  
 わたしの言葉に、娘は小首を傾げて頷いた。  
 まさかこの子に「大好きだから結婚する」の深い意味がわかっているとも思えないけれど。まあ、今はそれで十分でしょう。  
 わかったようなわからないような……という顔をする娘を見つめて、わたしが心中密かに微笑んでいると。  
「じゃあ、わたしも!」  
「……え?」  
「わたしもおとうさんのことすき! せかいでいーっちばん、おとうさんのことがだいすき! だからね、わたし、しょうらいおとうさんのおよめさんになる!」  
 さすがはわたしの娘だと思う。  
 何と言うか。素直……と言うか。うん。単純なところが、本当にそっくり!  
 まあ、そこが可愛いんだけどさあ。けど、それはいくら何でも……  
「あ、あのね。お父さんは……」  
「面白そうな話をしているな」  
 わたしがどう説明したものか、と頭を悩ませていると。  
 不意に、頭上で低い声が響いた。  
 
 顔を上げる。そこに立っていたのは、わたしの最愛の旦那様にして、娘のお父さんでもある人……ギア。  
「あ。ごめん。夕食、まだ……」  
「急がなくてもいいよ。今日は、仕事も休みだしね。ゆっくりで構わない」  
 おろおろとうろたえるわたしに、にっこりと微笑みかけて。  
 ギアは、大きな手で、娘を軽々と抱き上げた。  
「おとーさん!」  
「楽しそうな話をしていたな。お母さんを困らせるんじゃないぞ」  
「こまらせてないもん。おかあさんがいってたもん。おかあさんがおとうさんとけっこんしたのは、おとうさんのことがだいすきだからだ、って!」  
 ぎゃああああああああああああああ! な、何を言い出すのよーっ!!  
 照れもきらいもない娘の言葉に、わたしは頬を押さえて絶叫しそうになったけれど。さすが、ギアは大人……というか。そのびっくり発言にも、ニコニコ微笑んでるだけ。  
 もっとも、何やらわたしを見る目に、妙に意味ありげな色が含まれているように見えたのは気のせいじゃないだろうけど。  
 うーっ……だ、だってしょうがないでしょ!? それしか説明が思いつかなかったんだからっ! そ、それに……別に、嘘じゃない、し……  
「そうか。お母さんはそんなことを言っていたのか」  
「うん。だからね、わたしも、しょうらいはおとうさんのおよめさんになるの。おとうさんのことがだいすきだから!」  
「ははは」  
 娘の天真爛漫な発言に、ギアは、笑っているだけ。  
「ありがとう。楽しみにしているよ」  
 娘の長所を上げろと言われたら、わたしによく似て素直なところだ、と答える。  
 だけど、じゃあ短所はどこか? と聞かれたら。わたしによく似て、単純なところだ、と答える。  
 ギアは多分、軽い気持ちで……そ、そりゃ、娘にそんなこと言われたら、世間のお父さんは大抵そんな風に答えるだろうけどさ!? ……言ったんだろうけど。  
 自分の発言には、責任を持ってよね。  
   
「…………」  
 わたしの恨めしげな視線に、ギアは、苦笑で答えるだけ。  
「すまない、パステル。その……」  
「いいよいいよっ。ギアは将来、この子をお嫁さんにしてあげるつもりなんでしょ?」  
「…………」  
 我ながら子供っぽいなあ……と呆れてしまうような言葉に、ギアは、答えようとはしなかった。  
 ただ、「困ったなあ」という目で、視線を下げただけ。  
 その胸にひしっ! としがみついているのは、天使のような笑みを浮かべた、我が娘。  
 もっとも、今はその笑みが、小悪魔のように見えて仕方が無い。  
「全く、パステルによく似てるよ、この子は」  
「似てる? そうかなあ」  
「思い込んだら一途なところが……言い直そう。頑固なところが、よく似ている」  
「…………」  
 
 ひ、否定できないかも! それはっ!  
 時刻、真夜中。場所、夫婦の寝室。  
 わたし達は、普段この部屋に、ダブルベッドで二人で寝ている。娘は、その傍らに置いた子供用の小さなベッドで寝ている。  
 当初は、ダブルベッドでわたしとギアの間に寝かせようか……とも思ったんだけどね。何しろ、子供の寝相は凄いし。  
 それに、その、まあ……夜は夜で、ギアと二人、色々と話したいこともあるし、で。生まれたときからずっと、この形を貫いている。  
 娘だって、今までそれに不満を言ったことなんか無かったのに。  
「わたし、おとうさんといっしょにねるの!」  
 今日、「将来はお父さんと結婚する!」と宣言した後。  
 ご飯を食べてお風呂に入って。さあ寝ましょうか、と寝室に誘ったところ、娘は、さも当然のように宣言した。  
 そして、宣言通り、ギアの胸元にしがみついて。そのまま、ベッドに潜り込んで来てしまった。  
 うーん……ま、まさかこの子に、「夫婦が一緒のベッドで寝る」という意味がわかっているとも思えないけどっ……  
「仕方が無い。今のうちだけだよ。子供は気まぐれだからな」  
「そうだねっ。学校にでも行くようになれば、同じ年頃の素敵な男の子がいーっぱいいるもん。ギアのことなんか、すぐに忘れるよっ!」  
「……パステル……」  
 どこまでも可愛くないわたしの言葉にも、ギアは、決して言葉を荒げたりしない。  
 それは昔からそうだった。いつまで経っても子供なわたしを、ギアは決して見捨てたりせず、いつだって優しく見守って……  
「……やきもちを妬いてるのか? 可愛いな」  
 ぞくっ!  
 うなじに、冷たい指が触れて。  
 背筋が、一気にあわ立った。  
「ぎ、ギア」  
「大きな声を出すな……娘が、起きる」  
 そ、そんなこと、言われなくても百も承知ですっ!  
 ぞくり、ぞくり。  
 ギアの指が、ゆっくりとうなじを辿り……パジャマ越しに背筋を辿って、腰に、触れた。  
 そう。わたしがふてくされていた理由。それは、いくら自分の娘とは言え! わたしという妻の前で他の女(の子)のプロポーズを喜んだ……というのもあるけれど。  
 それ以上に……その、何と言うか……  
 寂しくて。  
「だ、駄目っ! 起きちゃうからっ……あんっ!」  
「何を今更」  
 娘を胸に抱いたまま。ギアは、長い指で、ゆっくりとパジャマの裾をめくりあげた。  
 微かな動きにもたちまち反応を見せてしまう。そんな自分の身体が、恨めしい。  
 
「ギアっ……」  
「熱いな」  
 指が、裾から内部へと潜り込んで。  
 そのまま、下着をつけていない胸を、直にもみしだいた。  
「あ……」  
「全く……イケナイ子だな。君は」  
 くっ、くっ……と、低い笑みを漏らして。  
 娘がしがみついているパジャマをすっぽりと脱ぎ捨てると、上半身裸になって、わたしの上に、のしかかってきた。  
「こうして欲しいのなら、素直に言えばいいのに」  
「……そ、そんなこと……」  
「声には出さなくても。目が、唇が、そうしてくれって訴えていたよ」  
 優しく唇をついばまれた。  
 胸への愛撫は止めないまま。脚をからめられて、一気に身体が火照ってくるのがわかった。  
   
 結婚してから、これまで。こうしてギアに何度抱かれて来ただろう?  
 その間、どれだけ「幸せ」を感じさせてもらっただろう?  
 昔はそうじゃなかった。好きな人はただ傍に居てくれるだけで幸せ。ただ見つめるだけで幸せ……そう思っていたときも、確かにあったのに。  
 今は、もう。好きな人とは……触れ合えなければ、満足できない。  
 そんなわたしに、ギアが変えた。  
「やっ……あんっ……」  
 キスは余りしつこくしない。ギアの抱き方は、ひどくあっさりとしているようで……それでいて、情熱的だ。  
 軽いキスを何度も繰り返しながら、着実に、身体をほぐして行ってくれる。彼の指が、わたしの中心部をなぞる頃には。ソコは既に、すっかりと濡れそぼって、彼を待っている……  
 そんなわたしを見て、ギアは笑う。「可愛い」と、そう言って。  
「やあっ……もう……ギア、早くっ……」  
「駄目だ。今日のパステルは素直じゃなかったからな。お仕置きだよ」  
「っ……ひどっ……や! そ、そこ駄目っ! ああっ……」  
 周囲に響く淫靡な音に、耳を塞ぎたくなる。  
 けれど、彼はそれを許してくれない。顔を伏せようとすれば視線を絡み取られ、耳を塞ごうとすれば両腕を囚われる。  
 そうして、わたしを散々にいじめた後。逆らう気力もなくしたわたしの身体を、易々と蹂躙していく。  
 ああ、もう本当に……  
 わたし、何で……もう結婚して何年も経つのに。子供だってもう四歳になって、立派な「お母さん」になったのに。  
 今でもこんなにも、ギアのことが、大好きなんだろう?  
 
 ギアのパジャマに包まるようにして、娘は、幸せな寝息を立てていた。  
「……可愛いね」  
「そうだな」  
 寝顔を見ていると、一瞬とは言え本気でやきもちを妬いていたことが馬鹿らしくなる。  
 本当に……わたしって……いくつになっても、子供だよねえ。  
 だけど、それを素直に認めるのは悔しい。だって……さ。やきもちを妬けるってことは、それだけ、わたしがギアのことを大好きな証拠……でしょ?  
 だからさ。  
「ねえ、ギア」  
「何だ」  
「もしも、さ」  
 娘の頬に張り付いた髪を梳きながら、何気なさを装ってつぶやいた。  
 それは、さっき散々いじめられたお返しのようなもの。  
「わたしと、この子が同じ年くらいでさ。タイムスリップでも何でもいいよ。結婚する前の……そうだね、十七歳くらいのときに、ギアと出会っていたら。ギアは、どっちを選んでいた?」  
「パステルに決まってるだろう」  
 けれど。  
 意地悪のつもりだった質問は、あまりにもあっさりと返されてしまって。  
 わたしは、喜ぶよりも先にぽかんとしてしまった。  
「……えと?」  
「馬鹿なことを言うな。俺がこの子を可愛いと思うのは、俺とパステルの娘だから可愛いんだ」  
 そう言って。ギアは、実に優しい笑みを浮かべた。  
「パステルと結婚しなければこの子は生まれない。生まれない以上、この子と結婚することもできない。当然だろう?」  
「……そうだね」  
 ギアは大人だなあ、と思う。  
 冷静で、頭がいいなあ、と思う。  
 だけど、たまには慌てふためくところを見せてくれてもいいんじゃないだろうか。わたしは、ギアの奥さんなんだからさ?  
 そんな微かな不満を胸に秘めて。  
 わたしは、夫と娘の頬に、そっとキスをした。  
 
 
 ――END  

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