――わたしの使命は、とあるヴァンパイヤを退治すること。  
   
 ヴァンパイヤ―始祖吸血鬼。全ての吸血鬼の源にして、不老であり、膨大な魔力、恐ろしいま 
での自己治癒力を持つ、間違いなく最強最悪の魔物。  
 彼の魔力の源は、人間の血液。生まれ持った鋭い牙による吸血行為は、彼に力を与えるだけで 
なく、血を吸われた人間を同じ吸血鬼に変えてしまうという――  
 血を吸われた人間は、ヴァンパイヤと同じ吸血能力を与えられ、不老となり、  
 日のあたる場所では力が半減し、十字架や純銀に弱くなるなど、ヴァンパイヤと同じ特性を持 
つようになる。ただ違う点は、吸血鬼にはヴァンパイヤ程の強大な魔力は備わっていないし、自 
己治癒力も弱い、ということ。だから、弱点さえつければ、倒すことは難しくない。  
 だけど、吸血鬼に血を吸われた人間は、やはり吸血鬼になってしまう。そう。それはまさしく 
伝染病のようなもの。一度吸血鬼になってしまったら、もう二度と人間に戻ることはできない 
――不治の病のようなもの、と言われている。  
 だからこそ、吸血鬼は――ヴァンパイヤは根絶やしにしなければならない。  
 そのために、わたし達がいるのだから。  
 ヴァンパイヤハンター……吸血鬼を倒すために生み出された、殺戮集団……  
 
「ついに、ここまで来たんだから……絶対に、倒すんだから……」  
 わたしは、おまじないのように何度も何度もつぶやきながら、遠くに見える城の尖塔をにらみ 
つけた。  
 わたしの名前は、パステル。職業は、新米ヴァンパイヤハンター。  
 ……といっても、ハンターになってから結構経つんだけどね。いまだに一人も倒したことがな 
いから、新米の文字がなかなか取れない。。  
 まあ、それについては理由があって。そもそも、わたしがハンターになったのは、あるヴァン 
パイヤを倒すため。その人を倒すためだけにハンターになったから、他の吸血鬼には手を出さな 
い。  
 だって、彼らもよく考えたら被害者だと思わない? 全ての元凶はヴァンパイヤであって、血 
を吸われて、無理やり人間をやめさせられちゃった人まで手にかけることは……わたしにはどう 
してもできなかった。  
 そりゃあ、そりゃあ吸血鬼だって、伝染する以上危険な存在に変わりはない、って理屈はわか 
るんだけど……  
 でも、わたしは信じてるんだ。いつか、吸血鬼となってしまった人々を、元に戻す方法が見つ 
かるって!  
 そのためにも、わたしは他の吸血鬼には目もくれず、あるヴァンパイヤを捜すことだけに明け 
暮れていたんだ。  
 そして、とうとう目的のヴァンパイヤの情報を入手したのが、一ヶ月前のこと。  
 その情報を元に辿り着いたのは、シルバーリーブという小さな村だった……  
   
「いらっしゃい。あなた、冒険者?」  
 その村は、ヴァンパイヤの目撃情報を入手していくうちに辿り着いた村で。あ、始祖吸血鬼っ 
ていうくらいだから、厳密に言えばヴァンパイヤって呼ばれるべき存在なのは一人しかいないは 
ずなのよ。  
 だけど、ヴァンパイヤに血を吸われた吸血鬼達には、個人能力に差があって(これは、吸われ 
た血の量に比例するとか、持って生まれた能力に比例するとか諸説乱れてるんだけど)、最近で 
は強力な吸血鬼は皆ひっくるめてヴァンパイヤって呼ばれたりしてるんだ。  
 そのせいで、情報が混乱してるんだけどね……とほほ。  
 
 で、その村にある猪鹿亭っていう小さな食堂で遅い食事を取っていたときのこと。  
 リタっていうきさくなウェイトレスが色々と話しかけてきてくれて、わたしは久しぶりに楽し 
い食事を堪能できた。  
 一人旅をしていると、食事を大勢で囲む機会なんてなかなかなくなっちゃうからなあ……  
 若い女の子の冒険者は珍しいってことで、リタはわたしに色々な話を聞きたがったんだけど、 
仕事中はあまり話しこめないから、また夜にでも来てくれないか、って言われたんだ。  
 どうせしばらくは滞在するつもりだったので、ありがたく招待を受けることにして、猪鹿亭が 
終わる間際の時間に再び訪ねてみると……  
「やあ。君がパステル?」  
 お店の中は、リタと一人のお客さんしかいなかった。  
 それも、それも! そのお客さんが、今まで見たこともないくらいすんごいかっこいい人で!  
 年の頃なら多分18〜20歳くらい。180センチ以上はありそうな高い身長と、本から抜け出してき 
た王子様みたいな正統派美形! 女の子なら誰でもうっとりしちゃうようなそんな人が、わたし 
に甘い微笑みを向けてくれて!  
「ああ、パステル、いらっしゃい! よく来てくれたわね〜」  
 リタは微笑みながら、わたしにお茶を出してくれた。お金を払おうとすると、「わたしが招待 
したんだからいいのよ」だって! いい子だなあ。  
「彼はね、クレイって言うのよ。うちの常連さん。夕食しか食べに来てくれないのが残念だけど」  
「ははっ、リタ。俺だって働いてるんだから、しょうがないだろう? ……はじめまして、クレ 
イと言います。リタから話を聞いていたところだよ。冒険者なんだって?」  
「え? は、はいっ」  
 突然話しかけられて、思わずしどろもどろになってしまう。  
 うーっ、こんなかっこいい人としゃべる機会なんて滅多にないんだもん。緊張するなあ。  
 
「ねえねえパステル、冒険者って、色んなところをまわってるんでしょう? 何か面白い話をし 
てよ!」  
 リタは期待に胸を膨らませてるみたいだけど……うーんっ。  
 正直に言えば、わたしは今まで、ヴァンパイヤを捜すためだけの旅をしてきたわけだから…… 
つまり、情報収集が目当てで。モンスターと戦闘とか、難しいダンジョンに突入とか、そういう 
経験は無いんだよね……  
 この村に来たのだって、「ハンター情報網」でヴァンパイヤ目撃情報があったからだし。  
 うーんうーん、何て言えばいいのかなあ。  
「あのね、リタ。わたし、冒険者って言っても、正確にはハンターなんだ。ヴァンパイヤハンタ 
ー。知ってる?」  
 嘘をつくのは嫌だったから正直に答えると、何故かリタとクレイの顔が強張った。……どうし 
たんだろう?  
「この村に来たのもね、ヴァンパイヤを見たっていう情報があったからなんだ。二人は、何か知 
らない?」  
「……パステル。捜しているのは、ヴァンパイヤなの? 吸血鬼じゃなくて……」  
「え? うん……」  
 あれ? リタはヴァンパイヤと吸血鬼の違いを知ってるの? 最近じゃ、結構ごっちゃにされ 
てることが多いんだけど。  
「確かに、この近くに、ヴァンパイヤが住む、って言われているお城があるよ」  
 リタの言葉を引き継いだのは、クレイだった。  
「だけど、お勧めしない。ヴァンパイヤがどれだけ怖い存在かは知ってるだろう? 噂じゃ、城 
の周辺は、並の人間じゃ近寄っただけで大怪我をするような強力な結界が張られていて、侵入す 
ら容易じゃないらしいよ」  
「でも! わたしはヴァンパイヤを倒さなければいけないの! お願い、城の場所を教えてくれ 
ない?」  
「……村の皆は、危害を加えてこないのをいいことに、その城の存在を無かったことにしている 
わ。余計なとばっちりは、たくさんだから。もしヴァンパイヤが本気になったら、こんな村なん 
か一瞬で全滅してしまう。わかるでしょう? ごめんなさい。教えられないわ」  
 リタはすまなそうに目を伏せると、カウンターの奥へと行ってしまった。  
 
 ……そっか。この村の人たちは、そういう考えなんだ。まあ、しょうがないよね。わたしは見 
た目はいたって普通の女の子だし。誰もわたしがヴァンパイヤを倒せるなんて思ってないんだよ 
ね……  
 うーっ、でも、気になるなあ。ヴァンパイヤが近くにいるのに危害が加えられないって、そん 
なことあるのかな? もしかして、情報がガセだったのかも……  
 そうやってわたしが一人でもんもんと悩んでいると、ずっと黙り込んでいたクレイが、ぽつん 
と言った。  
「ズールの森を北に抜けたところ……」  
「え?」  
 わたしが思わず聞き返すと、クレイは素知らぬ顔でお茶を飲んでいた。  
「俺は何も言っていないよ。ただ、初めてこの村に来たパステルに、周辺の地理を教えてあげる 
だけ。ズールの森っていうのは、シルバーリーブの近くにある森のこと」  
 クレイ……それって、もしかして。  
「初対面だけど、俺はパステルは信じてもいい子だと思った、ってだけ伝えておく」  
 そういって、ぱちんとウィンクする姿も、どこまでも決まってるー!  
 クレイは、わたしを信じてお城の場所を教えてくれたんだ。  
「ありがとう! 早速行ってみるね!」  
 クレイに別れを告げて、わたしはズールの森へと急いだのだった。  
   
 ――あーん! でもでもでも!  
 実は、わたしってば物凄い方向音痴なんだよね。初めての場所はもちろん、通いなれた道でも 
迷うことができるくらい筋金入りの。  
 ズールの森自体は、シルバーリーブから見える場所にあったからすぐわかったんだけど……森 
に入っちゃったら、もうどこが北なのか全然わからなくって。  
 そもそも夜だっていうのに森に入ろうとしたわたしがバカだっていうのは、よーくわかってる 
んだけど。  
 でもでもでも! 村ではヴァンパイヤのことは禁句になってるみたいだし。とてもじゃないけ 
どのんびり滞在しようっていう気にはなれなかったのよう……  
 もちろんわたしも野宿くらいしたことあるけど、夜の森っていうのは初めて。風にそよぐ葉の 
音にさえびくっとなっちゃって……  
 かといって、今更シルバーリーブに戻ろうにも、戻る道すらわからないのよ!!  
「もう。どうしたらいいの……」  
 
 わたしが無謀だったのはよくわかってる。だけど、わたしは一日も早く、ヴァンパイヤを倒さ 
なきゃならないんだから……  
 ううーっ、情けなくって、涙がこぼれてきちゃった。泣いたってしょうがないのに……  
 と、そのときだった。  
「あんたさあ、こんなとこで、何してんの?」  
 とんでもなく場違いな声が、頭上から降ってきた。  
 ざざっという大きな音がしたかと思うと、すぐ近くの木の上から身軽に下りて来る一人の男の 
子。  
 さらさらの赤毛をちょっと長めにのばした、茶色の瞳がいたずらっこみたいな輝きを持つ男の 
子。年は、多分17歳くらい? クレイよりちょっと年下みたいに見える。  
 彼は、こんな真っ暗な森の中だというのに、全然迷うことなく、まっすぐわたしの方に向かっ 
てきた。  
 えーっと……?  
「あんたさ、もしかしてシルバーリーブの人? こんな時間に森で散歩なんて変わった趣味して 
んなあ」  
「ち、違います!」  
 何、このなれなれしい態度! そ、そりゃあ、わたしはあんまりハンターっぽく見えない外見 
をしてるけど……  
「わたし、ヴァンパイヤハンターなの。ヴァンパイヤの城がこの近くにあると聞いて、彼を倒す 
ためにここに来ました!」  
 迷子になっちゃったけどね、という言葉は飲み込んで。  
 わたしは精一杯威厳をこめて言ったつもりなんだけど、それを聞いた男の子の反応は、一瞬目 
を大きく開いたかと思うとぶはっと吹き出すという、大変に失礼なものだった。  
「は、ハンター? おいおいお嬢ちゃん、嘘をつくにしたって、もっとマシな嘘をつきなよ」  
「ほ、本当です!」  
 言いながら、ハンター証明書かわりとなる、銀の十字架をあしらったペンダントをつきだした。  
 男の子は、じーっとそれを見て、わたしを見て、またペンダントを見て……  
 何故だか、物凄く落胆の表情を見せた。  
「信じらんねえ……ハンターってのはそんなに人材不足なのか……そのうち世の中は吸血鬼に滅 
ぼされるな」  
「し、し、失礼な!!」  
 初対面なのに、何でこんなこと言われなきゃならないのよ!!  
 
 もう彼は相手にしないことにして、わたしはぷいっと背を向けて歩き出した。  
 全く、クレイとは大違い! せっかくの幸せな気分が台無しになっちゃった。  
 ところが!  
 わたしが歩き出すと、背後からがさがさという音。  
 振り向くと、何故か彼がついてきていた。  
「……何でついてくるのよ?」  
「別にー」  
「用が無いならついてこないで!」  
「用は無いさ。無いけどさー」  
 ここで、男の子はひょいっと右手を指差した。  
「ヴァンパイヤの城って、あっちだぜ。ちなみに、シルバーリーブに戻る道は、あんたが向かっ 
ているのとは全く逆の方向なんだけど、あんた、どこに行くつもりなわけ?」  
 …………  
 くっ、悔しいっ、悔しいけど……  
「……ヴァンパイヤの城は、あっちなの?」  
「そう。何、行きたい? ちなみに、道はまっすぐじゃないし一本道ってわけでもないぜ」  
「……」  
「案内してやろっか」  
「お、お願いします……」  
 悔しい悔しい悔しい悔しい――!  
   
 そうして、わたしは彼と二人で歩き始めたんだけど。  
「そういえば、あんた名前は?」  
「パステル」  
「ふーん」  
 ……  
「人に名前聞いたんだから、あなたも名乗りなさいよ!」  
「んー何? パステルちゃん、俺の名前知りたいの?」  
「……い、いいわよ、別に!」  
「うそうっそ。俺のことはトラップって呼んでくれ」  
 一時が万事こんな調子で、もう調子が狂うったら。  
 
 彼――トラップはトラップで、明らかにわたしのことからかって面白がってるし!  
 道案内さえなければ、すぐにお別れしてるのに! ……って。  
「ねえ、トラップ」  
「何だ? 愛の告白ならお断りだぜ。俺、幼児体型には興味ねえんだ」  
「――――!! ち、違うわよっ。あなた、シルバーリーブの人じゃないの?」  
「……違うぜ。何で?」  
「ううん。シルバーリーブの人たちは、ヴァンパイヤが危害を加えない限りは無関心でいた 
いって言って、何も教えてくれなかったから」  
「ふーん。ま、賢明な判断だろうな。普通の人間でヴァンパイヤに挑もうなんて奴は、余程 
のバカだ」  
 …………  
 もしかして、わたし、バカにされてる?  
「いやいやいや。もちろん、お強ーいハンター様は別だけどな?」  
 やっぱり、バカにされてる!  
 ……そりゃ、確かに道に迷って泣いてたようなわたしが、ヴァンパイヤに挑もうなんてい 
うのは、バカなことかもしれないけど……  
 でも、でも! わたしは……  
 気がついたら、ぼろぼろ涙が溢れてきた。さっき、道に迷っていたときとは比べ物になら 
ない、大粒の涙。  
 泣いたって、どうせトラップにバカにされるだけなのに……  
 ところが。予想に反してトラップは何も言ってこなかった。  
 不思議に思ってちょっと顔をあげると、何だか物凄くうろたえたトラップが、こっちをじ 
ぃっと見てた。  
 わたしと視線が合うと、彼はあたふたしながらハンカチを差し出してきてこう言った。  
「わ、悪かったよ。ちょっと、言い過ぎた。だけどな、ヴァンパイヤってのは、半端な強さ 
じゃねえんだ。いくらハンターとしての経験を積んでいてもだ。勝てるみこみもないのに突 
っ込むのはバカのすることだって、そう言いたかったんだよ」  
「え……?」  
「だから……あんたに、死んでほしくはなかったから……」  
 ……もしかして、気遣ってくれてたのかな?  
「……でも、わたしはどうしてもヴァンパイヤを倒さなくちゃいけないから」  
「……」  
「ごめんなさい。トラップを巻き添えにはしたくないから、お城へ案内してくれたら、すぐ 
に帰ってくれていいから。だから、道案内だけ、お願い」  
「……ついてこいよ」  
 トラップは、それ以上は何も聞かず、ぐいっとわたしの腕を引っぱった。  
 
 真っ暗な道を、トラップは全く迷うことなくずんずんと歩いていく。  
 そうして、30分くらいも歩いた頃かな?  
 突然森が開けて、目の前にどどーんと大きな城が現れたんだ。  
「トラップ……」  
「ここが、シルバーリーブの奴らが言うヴァンパイヤの城だよ。おめえが捜してるヴァンパ 
イヤと同一人物かどうかは、知らねえけどな」  
 トラップの説明を、わたしは聞いてなかった。  
 わたしにはわかるんだもん。間違いない、ここがわたしの捜している「あの男」の住む城 
だって。  
 ここまですごく長かった。けど、ついにあいつを倒すことができるんだ!  
「トラップ……どうもありがとう」  
「あん?」  
「後は、わたし一人で」  
「お、おい!」  
 トラップが何か叫んでたけど、わたしは振り返らずに走った。  
 ありがとう、トラップ。初対面のわたしのことを心配してくれて。  
 意地悪なことばかり言っているけど、あなたはとてもいい人だって、わたしにはわかるか 
ら。  
 振り返ったら、あなたと一緒に帰りたくなっちゃうかもしれなから。  
 だから、振り返らないんだ。  
「パステル! 待てって!」  
 後ろからトラップが追ってきてるみたいだったけど、もうわたしは城門に手を触れそうな 
位置だった。  
 そのまま、門を開けようとして……  
「っくしょう! 待てって言ってるじゃねぇか……!」  
 がっ!!  
 がくんと頭がのけぞった。一つにまとめてた髪の毛を、後ろからひっぱられたんだ。  
 いったーい!! 何するのよう!!  
 そう文句を言おうとした瞬間……わたしは見てしまった。  
 
 わたしの髪の毛を横なぎにひっぱって、無理やり方向転換させるトラップ。  
 おかげで、わたしは横向きに倒れこむことになったんだけど……その反動で、トラップは 
背中からまともに城門に叩きつけられた。  
 ――――バチバチバチッ!  
「ぐはっ!!」  
 その途端に弾ける閃光と、何かが焼け焦げるような嫌な臭い。そして、トラップの悲鳴。  
「……トラップ?」  
「だから……ヴァンパイヤの、城、には……結界、が……てめ、それ、でも……ハンター、 
か、よ……」  
 ……あ!  
 そういえば、クレイが言ってた。そんなこと。  
 トラップ……わたしをかばって?  
 それだけ言うと、トラップは力尽きたみたいに前のめりに倒れこんだ。  
 ――きゃあああああああああああああああああああああああああ!?  
 その背中が、真っ黒に焼け焦げて煙をあげているのを見て、わたしは森中に響くような悲 
鳴をあげていた――  
 それから後のことは、よく覚えていない。  
 とにかく、わたしは無我夢中でトラップを背負うと、闇雲に歩き出したんだ。  
 どこをどう歩いたのかはさっぱり覚えてないんだけど、いつのまにか小さな小屋に辿り着 
いていたときは、全身から力が抜けそうになった。  
 うーっ、駄目駄目! まだまだ倒れるわけにはいかないんだから!  
 トラップのぐったり重たい体をひきずって、何とか小屋の戸を押し開ける。  
 中は、ベッドとかテーブルとかは揃ってたけど、誰もいなかった。埃も積もってないし、 
誰かが住んでいるとは思うんだけど……  
 ううん、考えるのはあとあと! 住人が帰ってきたら、そのときに謝ればいいわ!  
 わたしはベッドにトラップの身体をうつぶせに寝かすと、背負っていたリュックをひっく 
り返した。傷薬とか、包帯とか、簡単な治療道具は旅の必需品だもんね。  
 そうして、トラップの背中を改めて見たんだけど……  
 ううっ、酷い怪我。焦げた服の切れ端を払ってみたら、血が焦げ付いてたもんね。  
 トラップが庇ってくれなかったら、わたしがこの怪我をしてたんだ。ううっ、自己嫌悪……  
 消毒薬を垂らしてぐるぐる包帯を巻きつけたけど、トラップは全然目を覚まさない。  
 お願い、死なないで――!  
 彼の手を握り締めているうちに、わたしはいつの間にか、眠ってしまったみたいだった。  
 
「おい。夜這いとは、意外と大胆だな、おめえ……」  
 わたしは、皮肉気な声で目が覚めた。  
 ……え? この声……  
「トラップ! 大丈夫だった!?」  
「ふん。あのなあ、派手に見えたけど、ただの火傷だよ、火傷。おめえ気が動転してたから 
わかんなかったみてえだけど。あの結界はんな強力なしろもんじゃねえよ」  
「嘘! だって、昨日は……」  
 昨夜と全くかわらないトラップ。  
 わたしはあわてて包帯をほどいてみたけど、確かに、昨夜思ったほどはひどくないみたい 
だった。背中が全体的に赤く腫れて水ぶくれみたいになってるけど、薬を塗れば一週間くら 
いで治っちゃいそうな、その程度の火傷。  
 ……暗かったから、見間違えたのかな?  
「それよかさ、助けてやった恩人に、何か言葉はないわけ?」  
 ……はっ! そういえば、わたし、何もお礼言ってない!?  
「トラップ、本当にありがとう」  
「んー。感謝してんなら、何か礼くれ。現金とか」  
 わたしに向かってぐいっと突き出される手。  
 ……何だか、お礼言って損しちゃった気になったんだけど……  
「じょ、じょーだんだよ。マジにとるなよ」  
 わたしのふくれっつらが目に入ったのか、トラップはあわてて弁解しながら体を起こした。  
 そのとき、わたしは見てしまった。何気なく壁にもたれかかって、顔をしかめるトラップ 
の姿を。  
 そうだよね。痛くないはずがないよね。きっと、わたしが必要以上に責任感じないように 
わざと明るく振る舞ってくれてるんだ……  
 ううっ。わたし、トラップに何てお詫びすればいいんだろう?  
 一気に落ち込んでしまったわたしを見て、トラップは何か考えていたけど、やがてポンと 
手を打った。  
「そうだ。金はいらねえけど、かわりに一つ、俺の願い聞いてくんねえ?」  
「……え?」  
 何だろ。もちろん、わたしにできることなら何でもするつもりだけど。  
「いいわよ。何?」  
「まあまあ、ちょい、こっち来てみそ」  
 ひょいひょいと手招きするトラップ。  
 わたしが傍に近寄ると……  
 ぐいっと手をつかまれた。気がついたときには、わたしは、トラップに抱きすくめられて 
いた。  
 
 ――!!!!!??  
 突然のことに、わたしの頭はパニックになった。  
 え? え? 何……突然……  
「あの結界は、そんな強力なしろもんじゃねえ」  
 わたしをぎゅっと抱きしめたまま、トラップは続けた。  
「俺なら、結界を解くことができる。いつだって、おめえを城に送り届けてやるよ。そうし 
て、ヴァンパイヤを倒したら、おめえはここからいなくなっちまうんだろ? だから、一度 
だけでいいから……」  
「トラップ……?」  
「――おめえの、パステルのことが、好きになっちまったみたいなんだよ!!」  
 !  
 え……え……今、何て?  
 わたしのことが……好き……? だって、昨日会ったばかりなのに?  
 だけど、わたしは、嘘だ、とか冗談だ、って思えなかった。  
 抱きしめられて、好きだって、言われて、気づいてしまった。  
 わたしも、トラップに凄くひかれていることを。  
「すっげえ卑怯なこと言ってるのは、わかってる。だけど……」  
「――いいよ」  
「あ?」  
「いいよ。トラップなら……いいよ」  
「パステル……」  
 返事は、重ねられた唇だった。  
 
 
 軽く重ねられた唇。そのまま、首筋を這うようにして、襟元から内側へともぐりこむ。  
 トラップの手が、わたしのブラウスのボタンを一つ一つ丁寧に外していった。  
 もう片方の腕が、背中を支えながらゆっくりとベッドに倒される。  
 見上げれば、すぐ近くにトラップの顔。  
「――本当に――いいんだな?」  
 わたしは、声を出さずに、軽く頷いた。  
 正確には出せなかったんだけどね。もう、心臓が痛いくらいドキドキしてて。  
 だってだって、よく考えたら、わたし、き、キスだって、まだしたことなかったのよ!?  
 それが、昨日会ったばかりのトラップと……こんな……  
 ブラウスのボタンが、全部外された。  
 あらわになった胸。突然空気に触れて、ちょっと寒い。  
 トラップの手が、ゆっくりと鎖骨のラインをなでた後、遠慮がちに胸を包み込んだ。  
 ――ぴくっ  
 初めて、男の人に触れられた。  
 それは、何だかとても不思議な気分で。くすぐったいけど、ぞくぞくするみたいな、そん 
な気分で……  
 手に力がこめられる。胸の……谷間の部分? から、頂点に向けて、徐々に指が這い登っ 
てきて……そのたびに、わたしのぞくぞく感も強くなってきて……  
 それと同時に、トラップの唇が、反対の胸におりてきて。  
 ――ちゅっ  
 優しく口付けられた後、そっと舌先で転がされた。  
「やんっ!」  
 指とは違う感覚。ううっ、わたし、わたし……  
「おめえの、胸ってさ。きれいだな……白くて、ピンクで……」  
「ぁんっ……よ、幼児、体型って……言った、くせに……」  
 ううっ、息が荒れて、まともな言葉にならないっ……  
「ばぁか。子供の方がさ、きれいなんだぜ……誰にも触れられてないから」  
 しゃべりながらも、トラップの動きは止まらない。  
 
 手が、胸から首筋を伝い、背中へとまわった。背筋を優しく撫でられて、わたしは思わず 
のけぞった。  
「あ、い、いやっ……」  
「おめえ、背中が弱点か……?」  
 呟きながら、トラップは耳たぶをかるくなめた。  
「それとも、耳か」  
「ああっ!」  
 どうしよう、どうしよう。涙が出てきちゃった。  
 嫌なんじゃないけど。すごく、すごく変な気持ち……  
 体の奥が熱くなって、何だか、じわっと染み出てくるみたいな……  
「おっ」  
 トラップの手が、背中からお尻の方へと移動してきた。  
 そのまま、スカートの中へともぐりこむ。  
「おめえ……よりにもよって、こんなときに毛糸のパンツなんかはいてんなよなあ……」  
 きゃあああああああああああああああああああ!!? そ、そういえば!!  
「や、やだっ。見ないでっ。い、今脱ぐからっ」  
「だぁめ」  
 いたずらっこみたいな笑みを浮かべて、トラップはスカートのホックを外した。  
「俺が脱がせてやるよ」  
 ああああもうっ! 恥ずかしくて死にそうっ  
 スルッ、とスカートが床に落とされた。  
 トラップの手が、毛糸のパンツ(だってだって寒かったんだもん!)にかかり、徐々に足元 
へとずらされていく。  
 そのまま、内股にくちづけ。そして、唇が、舌が、徐々に上の方へと……  
「や、やだっ、そんなとこ……汚いよ、トラップ……」  
「汚くなんかねぇよ」  
 ひょいっと顔をあげて、トラップは微笑んだ。さっきとは違う、すごく優しい顔。  
「おめえは、きれいだよ。どこも、全部」  
 
 ――ぴちゃっ  
「やぁんっ!! あ、やだっ……」  
 感じられる。ゆっくりとなぞるような動き。ときどき、強くなったり、弱くなったり、確実 
に刺激を与えるように……  
 そのたびに、わたしは……何だか、何も考えられなくなっちゃって……  
 トラップの唇が、離れた。今度は肩、もう一度首筋。  
 強く吸い上げられるような感覚、そのたびにわたしの身体に、赤い痕が残って……  
「ばか……襟の開いた服、着れなくなっちゃうじゃない……」  
「バーカ。他の男なんかに、おめえの肌、見せるかよ……これは、おめえが俺のもんになった 
っていう、証明……」  
 手が、わたしの、凄く大事なところに、触れられた。  
 ぐちゅっ……という、何だか、すごく恥ずかしい音がする。  
 ううっ。多分、わたしの顔、真っ赤になってるんだろうなあ……  
 そのまま、トラップの細い指が、わたしの中へともぐりこんできた。  
 ズプリッ  
「っあ……あああああああ!」  
 やだっ……何、この感じ……  
 全身が火照ってきて、すごく、すごく熱くて……  
 彼の指は、とても器用に動いた。中をかきまわすように、でも決して爪は立てないように。 
優しく、強く……  
「やあっ、もう……トラップ、わたし……」  
 トラップは、何も言わない。ただ、荒い息遣いだけが聞こえてくる。  
 やがて、彼の指はゆっくりと動きを止めて引き抜かれた。そして……  
 パサッ、という軽い衣擦れの音。ベッドのきしむ音。  
 次に感じたのは、指よりも、ずっと大きな……力強いものが、入ってくる感覚。  
 
「っあ……い、いやっ……痛い、痛い痛いっ! やあっ、トラップ、痛いぃ……」  
 びちっ、みちっ……と何かが引き裂かれる感触。それと同時に、少しずつ、奥へ、奥へと何 
かが侵入してくる感触。  
 痛かった。すごく痛くて……でも、痛いけど、やめてほしくない、不思議な感覚で……  
「っ……あ、うぅ……」  
「うっ……」  
 しばらく、わたしも、トラップも、うめき声しか出せなかった。  
 最初はゆっくりと、段々と早く、トラップの動きが激しくなっていく。  
 ズリッ、という動きだったのが、段々、ヌルッとした感じになって。  
 痛くなくなって。しびれるような気持ちいいって感覚が襲ってきて。  
「あんっ……あっ……――――!!」  
「ぐっ……駄目だ……もう、いくっ……」  
 どくんっ  
 そんな音が聞こえたのかどうかは、わたしにはわからないけど。  
 わたしの中で、何かが弾けたのは、わかった。  
 頭の芯がしびれる感じ。わたしは、思わずトラップにしがみついていた。  
 びくっ、びくっと痙攣を続ける彼の身体を、思い切り抱きしめて――  
「ばか……いてぇよ……」  
 トラップがつぶやくまで、彼が背中に怪我をしていたことすら、忘れていたのだった。  
 
 ことが終わったその後、わたしは小屋を出た。  
 まだ城には行かない。けど、トラップのために、何か作ってあげたくて。それに、火傷の薬 
も買いたいし――というわけで、シルバーリーブに向かうつもり。  
 そうそう、聞いてびっくりしたんだけど、実はこの小屋、トラップが寝泊りしてる小屋なん 
だって!  
 どうして村に住まず、こんなところに住んでいるのかはわからないけど……偶然って不思議。  
 トラップは、「おめえが一人でシルバーリーブに行けるわけがねえ」とか失礼なこと言って 
たけど、怪我人を連れて遠出するわけにはいかないもんね。道順は詳しく聞いたし、何より、 
ヴァンパイヤの城から案内もなくここまで来れたんだし! きっと大丈夫!  
 
……なーんて変な確信持って出てきたんだけど。  
 やっぱり、わたしの方向音痴はそんなに簡単に治るものじゃないらしく。  
 昼過ぎに小屋を出て、シルバーリーブまで30分もかからないと言われたはずなのに、どうし 
てついたときには辺りが暗くなりかけてるのかなあ……  
 ううっ。トラップ、心配してるだろうなあ……怒ってる可能性の方が高そうだけど。  
 わたしは閉まりかけてたお店を無理やり開けてもらって、料理の材料を買い込んだ。  
 途中、「キットンの薬草屋」という看板も見つけて、火傷の薬も手に入れる。  
 背が低くてぼさぼさの髪をしたそこの店主さんは、「火傷ですか? ふむふむ。水ぶくれが 
できている場合は、よーく冷やした後、火であぶった針で水ぶくれをつぶし、水を抜いてです 
ねえ……」なんて親切に治療方法を教えてくれた。  
 とっても嬉しいんだけど、話がとっても長くてね……気がついたら、外は完全に真っ暗にな 
っちゃってて……  
 ううっ、どうしよう。またあの暗い森を歩くの、嫌だなあ……  
 とぼとぼと村の外に向かう。途中、明かりと笑い声が漏れる猪鹿亭が目に入ったけど、その 
まま通り過ぎてしまった。  
 リタを巻き込んじゃ、悪いもんね……  
 そうして、足早にそこを離れようとしたそのとき……  
「パステルじゃないか?」  
 突然、後ろから声をかけられて振り向いた。この声は……  
「どうしたんだい。もう外は真っ暗だから、外に出ると危ないよ」  
「クレイ!!」  
 立っていたのは、優しく微笑むクレイだった。月明かりを長身に浴びて立っている姿は、や 
っぱりとってもかっこいい。  
 通り過ぎる女の人が、みんな振り返ってるもんね。トラップに会わなければ、わたしもそう 
だったんだろうなあ。  
「もしかして、野宿してるの? 何なら、俺が宿に口をきいてあげようか。大丈夫。パステル 
なら、言わなければハンターってばれないよ」  
 それって地味に傷つくんですけど……まあいいや。クレイの顔はとっても優しくて、わたし 
のこと凄く心配してくれてるのがわかるから。  
「ありがとう。でもいいの。わたし、待っててくれる人がいるから」  
「へー、そうなんだ。じゃあ、邪魔しちゃ悪いかな」  
「ううん。ありがとう、心配してくれて」  
 
 ぺこりと頭を下げて、わたしはそのまま別れるつもりだったんだけど。  
「あ、パステル。昨日は、結局どうしたの? ヴァンパイヤの城は見つかった?」  
 クレイに呼び止められてしまった。ううっ、早く帰りたいんだけどなあ。  
「うーん、見つかったといえば、見つかったんだけど……」  
「そうか。でも、今無事にここにいるってことは、ヴァンパイヤには会わなかったんだ?」  
「うん……まあね」  
「まだ挑むつもり? 本当に気をつけるんだよ。何しろ、あのヴァンパイヤは、今こそ何もし 
てないみたいだけど、昔は――」  
 ……え?  
 耳に入る、クレイの話。  
 何、それ。どういうこと? それって……まさか……  
 昨夜の出来事が、ぐるぐるとうずまく。  
 まさか……まさか……  
 気がついたら、わたしは走り出していた。  
 後ろからクレイが何か言ってたみたいだけど、全然耳に入らなくて……  
 でも、まさか。まさかっ――!!  
   
 ズールの森にとびこんで、闇雲に走った。  
 小屋の方角なんて、全然わからない真っ暗な道。そこを、ただ無我夢中で走り続けていた。  
 嘘だよね……そんなこと、無いよね……  
 わたしは、走りながら、髪の毛をまとめていたリボンに手をかけた。  
 シュルッと音がして、蜂蜜色の髪がほどける。  
 その間から滑り落ちたもの――それを、しっかりと握り締めて、つまづいても、枝にひっか 
かっても、ただ走り続けて……  
「――おいっ!!」  
 ぐいっ  
 横手から突然伸びてきた手が、わたしの腕をつかんだ。  
 つんのめりそうになったけど、そのまま優しく抱きとめられる。  
 さっきまで、すごく愛しかった、手……  
 
「おめえなあ……どっち向かってんだよ。おせえから見に来てみれば……」  
「トラップ……」  
 ゆっくりと振り向く。目に入ってきたのは、眩しいくらいに明るい赤毛と茶色の瞳。  
「お、無事にシルバーリーブにはついたみたいだな。ま、ちっとは成長したんじゃねえ?」  
「トラップ、あのね」  
「んで、何を作ってくれるんだ?」  
 買い物袋を覗き込もうとするトラップを、わたしは押しとどめた。その顔をまっすぐに見上 
げる。  
「……どーしたんだ、パステル」  
 不思議そうな顔をするトラップの頬に、ゆっくりと手をあてて。  
 わたしは、その唇に自分の唇を重ねた。  
 トラップの目が見開かれる。優しい、甘い、そして悲しいキス。  
 ……そして。  
 唇をこじあけて、私はそっとなぞるように舌を差し入れた。最初で最後の、深い口付けを。  
 その舌が、硬い、鋭い感触に触れる。  
 ――やっぱり――  
 ゆっくりと顔を上げる。目に入ったのは、とても、とても悲しそうな、トラップの顔。  
「――あなたが、そうだったのね、トラップ」  
「…………」  
「あなたが、ヴァンパイヤだったのね、トラップ!」  
 トラップの口が、わずかに開く。  
 そこからかすかにのぞいているのは……決して人間にはありえない、鋭く尖った、犬歯。  
 ――あの城のヴァンパイヤは、昔、多くの人々の血を吸い、恐怖をふりまいていた。 
『赤毛の悪魔』として、昔から恐れられてきたんだ――  
 クレイの言葉と、トラップの赤い髪が、わたしの目に突き刺さった。  
 
 
 
 そう。今思えば。  
 真っ暗闇の中でも、全然迷わなかった足どり。  
 異常に早い傷の治り。  
 何より――ヴァンパイヤが張ったと言われる、強力な結界を、『大したものじゃない。自 
分なら簡単に解ける』と言い切った、その自信が――  
「――このまま、何も知らないままわかれちまえばいいと、そう思ったんだ……」  
 とても苦しげなトラップの言葉。否定して欲しい、とどこかで期待していたわたしの心を 
引き裂く、残酷な言葉。  
 トラップ。せめて――  
 ――好きになる前に、本当のこと、教えて欲しかった!!  
「ぱすて……」  
 トラップの言葉が、止まった。  
 髪の毛の中に隠していた、純銀製の針。  
 ヴァンパイヤや吸血鬼を、唯一傷つけることができると言われるその針を、わたしはトラ 
ップの背中に突き刺していた――  
「…………!」  
 つぅっ、と彼の口から伝う、一筋の血。  
 同時に、わたしの目からも、涙がこぼれていた。  
 なんで、こんなことになっちゃったんだろう。どうして、彼を愛してしまったんだろう!  
 ぐらり、とトラップの体がよろめいた。そのままわたしの身体を突き飛ばすようにして、 
2、3歩後ずさる。  
 そして、背中に手をまわし、自分に刺さる針を引き抜いた。  
「…………」  
「――――」  
 しばらく、わたしとトラップは何も言えなかった。  
 ばかばかばか、こんなことしてる場合じゃないでしょ……? 早く、とどめを刺さないと。 
ずっと、この日のために旅を続けてきたのに。  
 わたしの理性はそう告げているんだけど、わたしはどうしても動けなかった。  
 トラップは何も言わない。だけど、その瞳。いつもいたずらっこみたいな輝きを秘めてい 
たその茶色の瞳が、すごく悲しそうで見てられなくて――!  
 
「ひどいよ、トラップ」  
 わたしは、思わずつぶやいていた。  
「こんなに好きになっちゃったのに、今更――!」  
 駄目、できない。  
 わたしにはトラップを殺すなんて、できない――!  
 わたしは目をそらして走りだした。  
 どうしよう、どうしよう……  
 わたしは、どうすればいいんだろう――  
   
 どれくらい走ったのか、よくわからなかった。  
 わたしの方向音痴は、こんなときでも治らないんだなあ……  
 走りつかれて辺りをみまわすと、もうここが森のどこらへんなのか全然わからなくて。  
 ヴァンパイヤの城も、シルバーリーブも、トラップの小屋も……どこに行く道もわからな 
い。  
 一度立ち止まったら疲れがどっと押し寄せてきて、わたしは近くの木の根元に座り込んだ。  
 これから、どうすればいいんだろう――  
 トラップ、大丈夫かな――  
 って、何でトラップの心配なんかしてるのよ! わたしが、自分で、刺したのに――  
 …………  
 自己嫌悪に陥って、わたしは膝の間に顔をうずめた。  
 わたし、どこまでバカなんだろう。ハンターとして、今まで何を勉強してきたんだろう?  
 よーく考えれば、すぐに気づいてもよさそうな場面がいくらでもあったのに。  
 どうして――  
 そのとき、ざっと目の前の茂みが揺れた。  
 ……え?  
「パステル! やっと見つけた」  
 一瞬トラップの姿を期待してしまったけど、違った。  
「――クレイ」  
「心配したんだよ。いきなり走っていくから……どうしたの?」  
 目の前に立っていたのは、息を切らせているクレイ。全然変わらない、優しい視線。  
 わたしは思わず、クレイに抱きついていた。そのまま、声をあげて泣いてしまう。  
 うー、駄目、何をやってるんだろう、わたし。  
 クレイのことが好きなわけじゃなくて、誰かにすがりたくて、甘えたくて……最低だね、 
わたしって。  
 
「ぱ、パステル? どうしたんだ?」  
「クレイ。あのね、わたし……わたしっ……」  
 わかっていてもやめられなかった。わたしは、今まで起きたことを全てクレイに話して 
しまう。  
 あ、その、もちろん、言えないところもあるにはあったんだけど……  
 クレイは、わたしが話し終わるまで、だまって聞いていてくれた。  
 昨日会ったばかりのわたしに、何でこんなに優しくしてくれるんだろう。  
「――それで、トラップを傷つけて、でも、殺せなくて――クレイ、わたし、どうしたら 
いいんだろう?」  
「そんなことが――大変だったんだね、パステル」  
 全部話を聞いて……クレイは、ぎゅっとわたしを抱きしめてくれた。  
 これは、わたしを慰めてくれるために、甘えたくてすがりたくてたまらないわたしの気 
持ちを察して、やってくれたこと……だよね。  
 クレイって、本当に優しい……ごめん、わたしが情けなくって。  
 でも、今だけ甘えさせて。  
 わたしは、ぎゅっとクレイに抱きついてもう一度泣いた。  
 そんなわたしの髪を優しくなでながら、クレイは呟いた。  
「そうか。そんな辛い目にあってたのなら、謝らなきゃな、パステル」  
「……え?」  
「俺、一つだけ嘘をついたんだ。昔は、たくさんの人の血を吸って人々を恐怖のどん底に 
陥れたヴァンパイヤ。本当はね……」  
 ドスッ  
 ……え?  
 わたしは、何が起こったのか、全然わからなかった。  
 何、この……わたしの、首、に刺さってるのは……  
 わたしの肩に、顔を埋めるようにして、クレイは……  
 急速に気が遠のいていく。わたしは、思わずクレイを突き飛ばしていた。  
 大した抵抗もなく、クレイの体が離れる。  
 月光を浴びて立っているクレイは、さっきと全然変わらず、やっぱりすごくかっこよく 
て。  
 だから、余計に凄惨だった。口元から顎にかけて、べっとりと血で濡らしているその姿 
が。  
「『黒髪の悪魔』……そう呼ばれていたんだよ、その城のヴァンパイヤは」  
 さらさらの黒髪を夜風になびかせて、クレイは優しく微笑んだ。  
 
 頭がくらくらする。  
 急に血を抜かれたせいで、わたしは貧血を起こしそうになっていた。けど、倒れるわけ 
にはいかない。  
 何で……どういうこと……  
 夜にしか現れない……そう、確か、リタはクレイが夕食にしか来ないと……  
 わたしも、夜しかクレイには会ったことがなくて。  
 ヴァンパイヤは、昼間は活動できない……  
 能力の低い吸血鬼なら、昼間でも動くことくらいは可能だけど。純粋な始祖吸血鬼、ヴ 
ァンパイヤは、昼間は全く動けなくなるという……  
 わたしの頭の中で、ハンターになるとき覚えた知識がぐるぐるうずまいていた。  
 でも、じゃあ、トラップは? 彼は、ただの吸血鬼だったの?  
 わたしは……  
「本当に、残念だよ、パステル……俺、何故か、君のことが一目見たときから気になって 
いてね……遠い昔のことを、やっと思い出せそうだと思っていたのに」  
「…………」  
「君が、ハンターでなければ。俺を狙ってきたんでなければ……俺も……」  
「っ……触らないでっ……」  
 わたしは、反射的に護身用に持ち歩いていたショートソードを抜き放っていた。  
 それが、クレイの腕をかすめてわずかに血が流れる。だけど、クレイは全然気にもして 
ないみたいで、わたしの方に手を伸ばしてきた。  
 その腕の傷が……わたしが見ている前で、瞬く間に塞がって、止まった。  
「ああっ……」  
「無駄だよ。君に、俺は傷つけられない……ハンターなら、わかってるだろう? ヴァン 
パイヤの能力のことは」  
 クレイの手が、わたしの頬に触れる。  
「……人の血を吸いたくなったのは、久しぶりだ。『彼女』との約束だったのに。どうし 
てだろうね? パステル、君を見ていたら、どうしても……」  
「――そいつから離れやがれ、この吸血生物が……」  
 ……!!?  
 不意に響いたその声は、忘れたくても忘れられない声。  
 ああ、でも、まさか……  
 クレイがゆっくりと振り向く。視界が開けて、そこに立っている人が目に入った。  
 わたしが、今1番好きな人――トラップ。  
 
「やあ、トラップ。吸血生物って言い方は無いだろう? ――お前も同類なのに」  
「へっ、おめえと一緒にすんな……とにかく、パステルから離れろよ。――そいつは俺の 
もんだかんな」  
「彼女はそれを望んでいるのかな?」  
 クレイの口調は全く変わらない。トラップは、やっぱりわたしが刺した傷が痛むのか、 
すごく辛そうで……  
 そして、わたしは全然状況がわからなくて。  
 うーっ、これってどういうこと? 一体、クレイとトラップはどういう関係なの?  
 わたしの視線を感じたのか、クレイはちらりとわたしの方を見て答えた。  
「混乱させているようだね。パステル、トラップは――俺が、1番最初に血を吸った人間だ 
よ」  
 ――!!?  
 クレイの言葉に、トラップが苦い顔をする。  
 何……ってことは……  
「そう。トラップを直接吸血鬼にしたのは俺ってことになるな。パステル、ハンターなら 
知ってるだろう? 吸血鬼の能力を決定する要因の一つに、かんだ相手がどれだけヴァン 
パイヤに近いかで決まる、というのがあるんだ。  
 つまり、俺が直接血を吸った奴は、間違いなく吸血鬼の中でも最強の能力を持ってるっ 
てことになるね」  
「へっ。それをありがたいなんて思ったことはねえがな……てめえを倒すためだけに、俺 
は今日まで何百年も生きてきたんだ」  
「おまえもこりない奴だなあ。今まで何百回、何千回と挑んで、お前が俺に勝てたことが 
あったか?」  
「へっ。何千回、何万回負けようと、次に勝てばいいんだよ……今回は負けねえ。パステ 
ルを傷つけたおめえを、俺は許さねえ」  
「トラップ……」  
 わたし……わたしは、本当に……  
 何て……バカだったんだろう……  
 にらみつけるトラップと、その視線を静かに受けるクレイ。  
 トラップの足元はふらついている。いくら吸血鬼で最強だからって、傷の治りが早いか 
らって……純銀製のもので傷つけられた傷は、そう簡単には治らない。  
 だけど、ヴァンパイヤは……もちろん、他の武器より少しはマシだろうけど、純銀製で 
も致命傷を与えることは、すっごく難しいはず。それくらい、自己治癒力がとびぬけてい 
て……  
 トラップはそれをわかってるはずなのに、わたしのために戦おうとしてくれてる!  
トラップのことを信じられなくて、傷つけたわたしのために――!  
 だから、わたしは……  
 
じりっ、とトラップが動く。クレイはただ彼を見つめるばかり。  
「覚悟しやがれ……吸血生物!」  
「ああ、かかって、こ……!?」  
 ごふっ  
 突然のことだった。  
 あまりにも突然のことで、走りかけていたトラップは、つんのめって転びそうになって 
いた。  
 クレイは、何が起きたのかよくわかってないみたい。  
 クレイの口からあふれ出ている、血の塊。  
 急速に衰えていく、魔力の波動。  
 がくがくと震える身体を抱きしめて、クレイは茫然としていた。  
 ――やっと、効いてきたみたい。  
「クレイ、トラップ……こんな話、知ってる?」  
 わたしは、貧血でくらくらする頭をおさえながら言った。  
 全ては、この日のために。この日のために、今日まで――  
「毒を持って、毒を制す……強い毒の効果を打ち消す、あるいは中和するために、あえて 
弱い毒を利用する、みたいな意味なんだけど……ヴァンパイヤは、強大な力を持っている。 
人間の血を吸うことで、ますます力を得る。でも、もし――」  
 夜風が、わたしの髪をなでて通り過ぎた。それまで髪の毛で隠れていた首筋が、あらわ 
になる。  
 さっき、クレイに血を吸われたはずなのに、傷口一つ残っていない首筋――  
「ヴァンパイヤが、ヴァンパイヤの血を、吸ったとしたら……?」  
 そして、わたしは微かに口を開いてみせた。  
 夜目の効くトラップなら、きっと見えているはず。  
 わたしの口からのぞく、二本の小さな牙に――  
 
「パステル――おめえ――」  
「バカなっ……ヴァンパイヤ……始祖吸血鬼は、俺一人のはず! パステル、君は……」  
 トラップの言葉も、クレイの言葉も、わたしには聞こえていなかった。  
 涙が止まらない。だって、やっと会えたんだから。  
「確かに、ヴァンパイヤ――純粋なヴァンパイヤは、あなた一人よ……クレイ。血を吸わ 
れて吸血鬼になった人は、例えどんなに強い力を持っていても、結局はヴァンパイヤとは 
違う存在だから……でも」  
 そのとき、クレイの顔が強張った。きっと、気づいたんだ。わたしの正体に。  
「まさか――君は、マリーナの……」  
 それは、お母さんの名前。  
 ヴァンパイヤを愛し、そして愛されて、自ら人間であることをやめ――最終的に、人間 
達に狩られて死んだお母さんの名前。  
「やっと、会えた――ずっと捜していたよ、お父さん――」  
 
 わたしの頭の中を、お母さんとの最期の別れがぐるぐるまわっていた。  
 ――パステル、あなただけでも、逃げて――  
 ――お母さん、嫌だよ、お母さん!!――  
 ――駄目、ね……お父さんに、迷惑かけたく、なくて……――  
 ――わたしがいると、お父さんの足手まといになるから――  
 ――あなたをずっと守ってあげたかったけど――  
 ――ごめんね、パステル――  
   
「お母さんは、最期まで、お父さん……クレイのこと考えて死んだよ」  
「…………」  
「クレイがヴァンパイヤじゃなければ……お母さんは……」  
 ごぼりっ、と音を立てて、クレイの口からまた鮮血があふれてきた。  
 ヴァンパイヤがヴァンパイヤの血を吸うと、血と血が滅ぼしあって、ヴァンパイヤとし 
ての能力を失ってしまう。  
 ヴァンパイヤを倒せるのは、ヴァンパイヤのみ――だから、わたしは……  
 
「クレイが……血を吸ったせいで、トラップはいっぱい苦しんだのよ……他の、たくさん 
の人も……あなたを倒さなければ、この悲劇はどこまでも終わらない。だからわたしは、 
クレイを倒すために、ずっと、ずっと一人で生きてきたんだからあ!!」  
「……パステル……」  
 わたしの言葉を、クレイは聞いてないみたいだった。  
 聞こえていないのかもしれない。今、クレイの体の中で、クレイの血とわたしの血が、 
戦って、身体をぼろぼろにしているはず……  
 すごく苦しいはずなのに。クレイは何故か、歩き出した。わたしの方へ……  
 そして。  
「!? おい、パステル、逃げ――」  
 茫然としていたトラップが我に返ったときは既に遅く。  
 わたしは、クレイに抱きしめられていた。  
「――え?」  
「……ごめんな、パステル……」  
 クレイは、弱っていく体から、せいいっぱいの力を出しているみたいだった。  
 だって、全然違うんだもん。さっき抱きしめられたときは、ちょっと苦しいな、ってい 
うくらいだったのに……今は……  
「ごめんな。今まで、ずっと辛かったんだな……やっとわかったよ。君に初めて会ったと 
きから、どうしても放っておけなかった……君が、マリーナに似ていたから。顔じゃなく 
て、何というのかな……全てを包み込むような、優しい雰囲気が……」  
「――クレイ?」  
「いいんだよ、パステル……俺は、どうせ長くなかったんだ。マリーナの、頼みで……も 
う、ずっと、人の血を吸っていなくて……力は、どうせ尽きかけていたんだ……」  
「!!」  
 クレイの言葉に、わたしも、トラップも、驚きを隠せなかった。  
 ああ……そう、そういえば……  
 リタが言っていた。ヴァンパイヤは何もしていない。誰も襲っていない。だからわたし 
達は彼に関わらない、と……  
 クレイは、ずっと人の血を吸っていなかった。お母さんに言われて――!  
 
「マリーナは……俺についてくるために、自ら、俺に血を吸われて……でも、彼女は、と 
ても人間を愛していたんだ……『わたしで、血を吸うのを最後にして』って……俺は……」  
「クレイ……?」  
 クレイの言葉が、だんだん弱くなっていって……  
 まさか……まさか。わたし、まだ何もしてない。クレイ、それほどまでに体が弱ってい 
たの――!?  
「彼女の、愛した、人間達と、関わりたくて……シルバーリーブに……ああ、神に憎まれ 
た俺でも、死ぬ間際には、恩恵を受けることができたみたいだ……パステル、まさか、最 
期に君に会える、なん、て……」  
「クレイ!? クレイ、待って……」  
 クレイの体から、段々力が抜けてきて、わたしじゃ、彼の身体を支えきれなくなったそ 
のとき。  
 不意に、それまでずうっと黙っていたトラップが、こっちに向かって歩き出した。  
 彼の目に浮かぶ感情が何なのか、わたしにはよくわからなかったけど……  
 でも、わたしは見ていた。トラップが振り上げたのは、純銀の針。  
 その針が、クレイの体を刺し貫くのを――  
「トラップ!?」  
「……パステルなんかに、殺されてんじゃねえよ……」  
 トラップは、すごく辛そうにつぶやいた。  
「おめえを殺すのは俺だって、そう言っただろう!?」  
「トラップ、何を……」  
 言いかけたわたしを制したのは……刺されたクレイ自身だった。  
「わかってるさ、トラップ」  
 クレイが、ゆっくりと離れる。もう、その身体からは、ほとんど魔力を感じない。  
「ああ、そうさ。俺を殺すのは……殺したのは、お前だ、トラップ」  
「そうだ。てめえは、俺に刺されて、死ぬ」  
 トラップの言葉に、クレイは……初めて会ったときと同じ、優しい微笑みを浮かべた。  
「――パステルを、よろしく頼むよ」  
「けっ。言われなくたって。てめえよくも俺のパステルに抱きついたな。あの世で会った 
ら覚えてろよ」  
「ははっ……了解……」  
 言い終わると、クレイはゆっくりと振り返った。じっとわたしを見つめて……  
「……さようなら、パステル」  
「クレ……」  
 ざあっ  
 ひときわ強い風が吹いた。  
 それと同時に、クレイの体が……一瞬にして灰となり、その場に崩れ落ちた。  
 
 ……あ……  
 それを見たとき、わたしの心に浮かんだのは……ヴァンパイヤを倒した、という満足で 
はなく……  
「クレイ……お父さん……お父さん――!!」  
 お母さんが死んだときと同じ、強い悲しみだった――  
   
 その場に残ったのは、灰の塊と純銀の針。  
 わたしは、しばらくぼんやりとそれを見つめていた。  
 わたしは、ヴァンパイヤを倒すためだけに生きてきて……  
 わたしもヴァンパイヤの血が流れているから、不老で……  
 でも、一度も血を吸ってないから……きっと、いつかはお父さんみたいに……  
「……おい」  
 突然声をかけられて、わたしはとびあがりそうになった。  
 目の前に立っているのは、すごく不機嫌そうなトラップ。  
「てめえ、俺の存在忘れてんじゃねーよ!!」  
「トラップ……」  
「何、ぼけーっとしてんだ!! んな暇があったらなあ! あったら……」  
「……あったら?」  
「お、俺の心配でもしやがれ!!」  
 ……はあ??  
 思わず目が点になってしまう。こんなときにまで、何でそんなことが言えるのよこの人 
は!!  
「俺はな、おめえに勘違いで刺されて死ぬとこだったんだぞ! その前にもかばって大怪 
我したし、ちっとは感謝して反省しろっ」  
「! か、感謝してるわよっ! 反省だってしてるわよっ。何よもうっ、こんなときに… 
…トラップのバカっ!」  
 あんまり勝手な言い草に、わたしが思わず立ち上がると、トラップは、にやっと笑った。  
「やーっと、泣きやみやがった」  
「……え?」  
「おめえは、笑ったり怒ったりしてるほうが、いい」  
 言われて初めて、わたしは涙が止まってることに気づいた。  
 
「ちなみに、ヴァンパイヤは俺が倒したわけだが」  
「……何でトラップ一人が倒したみたいな言い方なの?」  
「とどめ刺したのは俺だ! 俺が刺さなきゃ、仮にもヴァンパイヤだぞ? どんな手使っ 
ても生き延びたに決まってるだろーが。おめえは殺してない。誰も、殺してねえからな」  
 ……あっ!?  
 そのとき、わたしは初めて、トラップとクレイの最期の会話の意味がわかった。  
 二人とも……それを気にして……  
 わたしが、お父さんを殺したことを、後になって気に病まないように、と……  
「まあいいや。話を戻すぞ。そういうわけで、おめえの目的は達したんだよな? で、こ 
れからおめえはどうするつもりだ?」  
「……え?」  
 聞かれて、初めてわたしはそのことを考えてなかったことに気づいた。  
 そういえば、今までヴァン……お父さんを捜す、ってことだけに一生懸命だったから。  
 後のことなんて、なーんにも考えてなかった……  
「……どうしよう」  
「おめえ、本当に何も考えてねえの? ってか思いつかねえ?」  
「……え?」  
 トラップは何を言いたいんだろう?  
 わたしがぽかんとしていると、トラップは何だかぶつぶつと悪態をついていた。  
 鈍い奴とか、俺に言わせるなとか……本当に何のこと?  
「……だあら、俺も吸血鬼なわけで……んで、クレイを倒すためにずーっと生きてきて。 
今わかったんだけど、俺とおめえって似てるよな」  
「うん……」  
 きっと、だからひかれあったんだ、という言葉は、言わないでおく。  
「だから、俺も、おめえと同じ、この後どうすればいいかわかんねえんだよ!」  
「え、トラップも? 人のこと言えないじゃない!」  
「ううううっせえ! だ、だから……」  
 トラップは、何だか赤くなって黙り込んでしまった。  
 
 ……?  
 あれ、もしかして、トラップの言いたいことって……  
「だ、だから……言ったじゃねえか! 俺、パステルのこと好きになっちまったって…… 
その気持ち、変わってねえぞ、言っとくけど」  
「……うん」  
「あ?」  
「わたしも変わってないよ。トラップのこと、好き」  
 意外とすんなり出てきた本音に、自分でもびっくりしてしまう。  
 だけど、本当のことだもんね。  
 それっきり、しばらく二人で見詰め合ってたんだけど……  
 やがて、トラップが真っ赤な顔を伏せて、手を差し出した。  
「……これからは、俺と一緒に、生きていかねえか? 二人で、生きる意味を見つけようぜ」  
「……うん……」  
 いつかは、吸血鬼が人間に戻れる方法が見つかるかもしれない。  
 いつかは、ヴァンパイヤが血を吸わなくても生きていける方法が見つかるかもしれない。  
 だから、その日まで――生きていかないと。  
 わたしは、トラップの手を、ぎゅっとにぎった。  
 

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