体が鉛のように重い。
立ち止まると、汗が額からぽたりと落ちた。
乾いた地面は何事もなかったかのように雫を飲み干す。
容赦ない灼熱の日に、じりじりと体力が奪われていくのを感じた。
(…ひとまずどこかで、体を休めなければ)
ドレイスは乱れた呼吸を整え、のろのろと歩き出した。
「…もう、いい」
男がかすれた声を出した。
「私を置いて行け。一人なら逃げきれる」
ドレイスは歩みを止めずに強い口調で言った。
「私は私の義を貫いているだけだ」
「…勝手な義の在り方だな」
「勝手に私をかばったのはそっちだろう」
男が小さく息をついたのがわかった。
▽
ロザリアとアルケイディアの戦いは熾烈を極めていた。
ドレイスが所属する部隊は敗走中だったが、不幸にも敵国の奇襲を受けてしまい、壊滅に近い状態となってしまった。
それでも、たまたま同じ方向に逃げた兵士がアルケイディアで1、2を争う腕のガブラスだというのは幸いだった。
なるほど、彼は恐ろしいほど強かった。
後から後からわいてくる敵を斬り続けながら、彼女はその剣技に驚きを隠せずにいた。
噂に聞いてはいたが、これほどまでに強いとは。
神のおわした時代の戯曲に勇将を讃えた詩があったが、誰だったか、ガブラスの強さはまさにその勇将のようだと言っていた。
何を大袈裟な、と鼻白んだ記憶があったが、その思いを今になって正すことになろうとは。
だが、今は戦闘中でドレイスとて鍛練を積んだ兵士だ。
余計な雑念を払い、彼ばかりにまかせてはおけないと、目前の敵を無心に倒し続けた。
しかし、襲ってくる疲労には抗えない。
ようやく最後の相手となった兵士と戦っている際、ドレイスはとうとうよろめいた。
鋭い切っ先が、目の前に迫る。
(これまでか)
その瞬間、何かがドレイスを覆うようにしてかばった。
肉を斬る音と、血の滴る音。
ドレイスは地面に倒れこんだ。
痛みはない。
慌てて顔を上げると、腿に深手を負ったガブラスが、力尽きた兵士の前でうずくまっていた。
▽
「…廃村か」
もしくは、戦で村人は皆殺しにされたか。
ドレイスは井戸から水を汲み上げ、懐にしまっていたきれいな布を濡らした。
村を見つけた時に、その場にあった木陰にガブラスは休ませてきた。
彼は危ないと止めたが、様子を見てくる、足手まといだからここにいろ、そう言って置いてきた。
深手を負った人間に、肩を貸したとは言え長距離を歩かせたのだ。
少しでも休息させてやりたいというのが本音だった。
ドレイスは立ち上がると、もと来た道を走った。
ざっと見た程度だが、人の気配は全くない。
損壊していた住居もあった。
やはり廃村と見て間違いないだろう。
▽
「骨に異常はないようだな」
濡らした布で傷口を清め、さっと布を脚にまいてやると、その様子をじっと見ていたガブラスが口を開いた。
「すまない」
ドレイスは思いきり眉根を寄せた。
なぜこの男はこうなのだろう。
失態をさらしたのはドレイスの方で、彼はそれをかばったのだ。
彼に落ち度はない。
それなのに、どうしてこの男は謝るのか。
「…聖者のような人間だな、お前は」
吐き捨てるように言って、ドレイスはまた後悔した。
先ほどから彼には、命を救ってもらったとは思えない態度ばかりとってしまう。
女だてらに兵士になったドレイスには、男に舐められるわけにはいかないという強い感情があった。
またそうでなければ、今までやってこられなかった。
だから体を鍛えあげ、剣の腕を磨き、誰よりも勇ましい戦士であろうと肩をはって生きてきたのだ。
それなのにやすやすと命を諦めようとしたことや、その命を男に救われた事実、そしてそれを認めきれずにこんな態度をとってしまう自分が許せなかった。
そして何より許せなかったのは。
ガブラスが音も無く笑ったのがわかった。
今顔を上げれば、眉を下げて、困ったような顔で笑う彼を見ることができるだろう。
うつむいたままドレイスは口を開く。
「笑うな、無礼者」
「…すまない」
きっとまだ、ガブラスは笑っている。
ドレイスは溢れ出しそうな気持ちを抑えるのに必死だった。
「…もう十分だ」
ガブラスが静かに言った。
「ドレイス、一人で逃げろ。じきにここも見つかる。どのみち、私には兵士としての未来はない。
…私の出自は知っているだろう」
―――アルケイディアに滅ぼされたランディスの生き残り、ガブラスは祖国のかたきをうとうとしている―――
彼には常に黒い噂がつきまとっていた。
だからこそ、恐ろしいほどの強さと輝かしい功績を持ちながら、いつまでも兵士としては出世できないのだと、まことしやかに囁かれていた。
ドレイスは震える手でこぶしを握った。
「黙れ。感傷にひたりたいのならアルケイディアに帰ってからにしろ。
そんなに死にたければ今すぐにここで舌を噛んで死ね。
墓くらいなら作ってやる」
「…ドレイス」
「黙れ」
「ドレイス、聞け」
「私に触るな!」
肩に触れた手をはらって、ドレイスはその瞳から思いを零しながら彼を睨んだ。
いろんな感情が押し寄せて、どうすればいいのかわからなくなった。
「…私は愚かで卑しい人間なんだ、ドレイス」
だからそんな眼で見るな。
低く呟かれた言葉を背で聞きながら、ドレイスは寄せられた温もりを否定できずに静かに泣いていた。
終