〜子供と大人の狭間で〜  
 
 空は青く蒼く澄んでいる。流れる風は少し温かい。波の音は全てをを優しく包むかのように穏やかだ。  
 それは、まるであの時と――十七年前と、そして一週間前と同じで。  
「変わらないな。ここは」  
 俺、桑古木涼権は思わず呟いていた。  
 五月十四日、日曜日。  
 あの救出劇から一週間後のインゼル・ヌルに俺はいた。  
 白いカモメが飛んでいる。群れを成し飛翔する白色が空の青色と混じるその光景もあの時と何ら変わらない。  
 それが彼には腹立たしく感じられてしまった。  
「この十七年間で。俺達はこうも変わったと言うのに……」  
 十七年前。俺がここで出会った仲間達。  
 つぐみは、傷ついた。武を失い、それでも二人の子を守るため傷つき傷つき傷ついて。  
 それすらも……奪われて。  
 空は、優は、そして俺は戦った。仲間を取り返すために。悲劇を繰り返さないために。  
 そして十七年……無力を痛感しながら待ち続けて。  
 武とココは奪われた。十七年前の日常を。友を。両親を。体験するはずだった思い出を。  
 何も知らずに……失っていて。  
 ホクトと沙羅もそうだろう。引き裂かれて。引き離されて。不甲斐無さに苦しみ。寂しさに、心細さに苦しみ。  
 愛される日々を失って。  
 みんな変わった。変わらざる終えなかった。変わるしかなかった。  
 失ったものは数え切れないほど多いだろう。それだけたくさんのものを失った。たくさんの代償を払ってきたのだから――  
「これは得て当然のものだよな」  
 手に入れた幸せ。かけがえのない幸せ。  
 武は、つぐみは、ホクトは、沙羅は、温かい家庭を。  
 安定した普通と呼べる日々を手に入れた。  
 日々来る四人からの連絡は苦労してきた四人の幸せな日々を知らせてくれる。  
 それに比べたら。俺と優と空は少し外れ籤を引かされた感は無いわけではないのだけど……。  
 いや、こんなことを考えるのは酷く罰当たりなことだろう。  
 欲しいものは手に入ったんだ。望むものは手に入ったんだ。  
 幸せを得るのは難しいことだ。不幸な四人にその何倍もの人数分の幸せを与えたこと。  
 俺と優と空の行為にはそれだけの意味がある。  
 後悔は……していない。  
 それは、断言できた。  
 これは唯の。欲しいものを得た子供が更に次の欲しいものを求めるのと同じこと。  
 それは、大人のすることじゃない。見返りを求めるのは、愛じゃない。  
 俺は、あの四人を愛していたのだろう?  
 なら、それでいいじゃないか。  
「それでいいんだ。これでいい」  
 それでも。俺にもあの四人のような幸せが欲しいなんて思ってしまうのは――  
 まだ子供な俺には、どうすることも出来ない感情だった。  
 
 それから数十分後。俺は、車の中にいた。  
 もともと、インゼル・ヌルに行ったことに大した意味はないのだった。ただ、何となく行かないといけないような気がしただけで。  
 今日は日曜日だ。勤めさせてもらっている大学は休みだし、講義の準備やテスト製作などの面倒くさい仕事も無い。よって時間は有り余っていた。  
 車内の時計を見る。二時。昼ごはんを食べてからインゼル・ヌルに行ったので、もうすることが無くなってしまっていた。  
 こういう時、趣味の無い自分が恨めしくなる。打ち込めることがあるのは良い事だ、と年を取るにつれてひしひしと感じるようになっていた。  
 しかし、趣味が無いのも仕方の無いことだろう。十七年間。ただ、仲間の幸せだけを思って生きてきたのだから。  
「……偽善者」  
 ぽつり、と言葉が零れた。  
 それは自分への――十七年間の努力を言い訳にする自分への言葉。  
 まだまだ子供なのだろう。してはいけないと意識しながらも気付けばそう考えてしまっている。  
 はぁ、とため息を吐き思考を打ち切った。大人にはまだなれそうも無い。  
「優の家にでも行くか」  
 俺の思考は紆余曲折しながらも目的地を決定した。  
 
「あら、桑古木。何しに来たの?」  
 ドアを開けて迎えてくれたのは優だった。  
 ……一瞬、どちらの優か区別に困るも、しばし考えて春の方だと言う結論を出す。  
 それから、考えていた建前を口に出した。  
「ココのことで相談にな」  
 ココは今、優の家で暮らしている。しかし、ココも実年齢を考えれば(出来ればスルーしておきたいことだが)ココも自立することが必要なのは明白だった。  
「また? 最近そればっかりじゃない桑古木。心配なのはわかるけど、今すぐ考えないといけないことじゃないでしょ?」  
「でも、ココのことを考えると早めに答えを出したほうがいいだろ? 今は幸運にも景気が良い。不況になる前にしておいた方がいいんじゃないか?」  
「あのねぇ。景気なんてそうそう変わるものじゃないの。ココの将来を決める大事なことなんだし、じっくり考えてから決めた方がいいじゃない。出来ればココが自分から言ってくれたらありがたいんだけど……。とにかく、焦ってもこれは仕方ないことなの。わかった?」  
「……わかった」  
 完全に俺の負けだった。優は、俺よりもココのことをしっかり考えている。ココの未来なのだ。俺達がとやかく言うことじゃない。そんなことにさえ気付いていなかった。  
 自分が何とかしなくてはいけない。それは、この十七年間で身についてしまった考え。しかし、もうこの考えは必要ないのだと心から思い知らされた。  
「しかし、桑古木は何でココにそこまでこだわるのよ。この一週間でそうやって家へ来たのもう三回目よ。……もしかしてココを狙ってるとか?」  
 少し怖い顔で優は言ってくる。俺は咄嗟に否定した。  
「違う違う! 第一ココには『お兄ちゃん』がいるだろうが!」  
「それもそうよね。……じゃあ何で?」  
「それは……『お兄ちゃん』のためだ。俺達が呼び出してしまったんだから、彼も被害者だろ。だからせめて安心させてやりたくてな」  
「へぇ……桑古木も考えてるのねぇ」  
 感嘆したように言う優。  
 ちくり、と胸が痛んだ。  
 実は、今言ったことは本心じゃない。本当は、ただ何となく優の家に行きたかったから。その建前が全てとまではいかないが大部分はそのためだった。  
 つまり、今俺は欺いたことになる。優を、そしてブリックヴィンゲルを。そして、ココの未来をそんな俺のくだらない言い訳に使ってしまったことになるわけで。  
 後悔をしてから、大人は遠いなぁ、とぼんやり思った。  
 俺が……いや、僕が大人になる日は来るのだろうか、とも。  
「じゃあ、そんな桑古木の思いやりに免じて今日はじっくり考えてあげようか」  
 そんな俺の思いなど少したりとも知らない優は明るく言い放つ。  
 その笑顔と明るい声に、少しだけ救われたような気がした。  
 
「しかし、難しい問題よねぇ。働くにしても周囲の人に絶対不審がられるし、高校とか大学に行くにしても勉強がどの程度出来るのかによって変わってくるし」  
「ココはどの程度勉強できるんだろうな?」  
「さあ? 全く想像出来ないわね」  
 一時間ほど議論したところで議論は行き詰った。これ以上は突き詰められないのである。ココの学力がどの程度か分かればもう少し先にいけるんだけど。  
「ココは今どこにいるんだ?」  
「映画見に行くって言ってたかな。『お兄ちゃん』とデートだぁ、って張り切ってたわよ」  
「デートねぇ……」  
 ココとブリックヴィンゲル。超能力者と四次元存在。ひよこごっこと結構常識人(優談)。  
 ……デートは成立するのだろうか。  
 本気で心配してしまった。  
「ねえ桑古木。私達もデートに行かない?」  
 一瞬、思考がフリーズした。  
 まさか優は俺のことを、という単語が何度も頭を駆け巡ってから、冗談で言ったんだろ、という結論に至る。  
「息抜きにさ。車で来てるんでしょ。ちょっと行きたい所があるのよね」  
「秋香菜の方は大丈夫なのか? 今日見てないけど」  
 訊くと、優は肩をすくめて、  
「大丈夫大丈夫。ユウもなんか洋服を選ぶのに一時間くらい悩んでから、友達と遊んでくるって出かけて行ったから」  
「デート、か」  
 ホクトとだろう。上手くやっているようだった。  
「そういうわけで私達も行くわよ」  
 優はそう言って席を立つと、玄関に向けて歩いていく。  
 どうやら、一緒に住んでいる二人が共にデートで出かけてしまったので悔しかったらしい。  
 中々、可愛いとこあるじゃないか。  
「さっさと行くわよ!」  
「はいはい」  
 返事をしてから俺は優の後に続いた。  
 
 優が運転席に。俺が助手席に座り走ること二十分程度。  
 優の目的地に俺達は着いた。  
 そこは、始まりの場所であり。俺が。仲間達が目指した場所であり。  
 そして、俺が先程来た場所だった。  
「インゼル・ヌル……」  
「ええ。ちょっと来てみたかったのよね。私達の物語の舞台は今どうなっているのか気になって」  
「ああ。俺も昼間来た」  
 俺が言うと、優は少し驚いた顔をした。  
「……そうだったんだ。ごめん。付き合わせて」  
「いや、構わないぞ。どうせ暇だったしな」  
「なら、いいんだけど」  
 そう言って優は歩き出す。俺もそれに続いた。  
 二人でしばらく歩いて、着いたのは防波堤。  
 青い海は俺が来たときと変わらず穏やかに揺れている。  
 優は防波堤に腰を下ろすと海の方へ投げ出した足をぶらぶらさせた。  
「変わらないわね、ここは」  
 優は呟く。それが俺と同じ感想だったのが少し嬉しかった。  
「ああ、そうだな」  
「ホント同じ。こうしていると、昔に戻ったみたい。私も桑古木もあんまり変わってないしね。いや、桑古木は変わったか。あの頃は小さかったのにねぇ。タツタサンドはもう嫌だーって」  
「そんなこともあったな」  
 それは懐かしい記憶だった。十七年前。LeMUに閉じ込められた中での出来事。思えば、俺の最古の記憶も十七年前のLeMUでのことだった。  
「ホクトはタツタサンドに文句を言わなかったらしいわよ」  
 優がからかうように言ってくる。  
「それは……負けたな」  
「まあ、ちょっと味は良くしてあげたからそのお蔭かもしれないけど。だから落ち込むな少年」  
 ぽんぽんと俺の肩を叩いて言う優。いつの間にか立ち上がっていたらしい。そのまま車の方へ歩いていく。  
「じゃ、帰りましょ」  
「もういいのか?」  
 まだ三分も経っていないくらいだ。いくらなんでも早すぎると思い、俺は優に訊いた。  
「ええ。もう目的は達成できたみたいだから」  
 端的に言う優。その笑顔を見て、俺は疑問を感じつつ優に続き車に向かって歩く。  
 優の目的は何だったのだろう?  
 それが疑問だった。優はここで何一つしていない。来て海を見ただけだ。じゃあ海を見に来たのか? いや、それは違うような気がした。それならもっとしっかり海を見ているだろうし。  
 じゃあ何だ、と次の可能性を考えようとしたところで、一つの答えが頭に浮かんだ。  
 ああ、これだ。そうだろう。それ以外にはありえない。いや、ありえるだろうがこれが一番綺麗だから。せめて今だけでもこれが答えだと思っていたい。  
 たまには答えが正しくなくてもいいだろう。俺にとって、それが最良ならそれでいい。そんな問いがあったっていいじゃないか、とそんなことを思った。  
 空は相変わらず青く蒼く澄んでいる。流れる風は温かい。波の音は全てを優しく包むかのように穏やかだ。  
 だけど違うのは俺の心。今、俺の心は昼と正反対に晴れやかだった。  
 ――俺を元気付けるため。  
 そんな綺麗な答えだってたまには良いだろ?  
 
 

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