「ちょっと少年、どこ行くつもりなの?」  
突然席を立った少年を、優はあわてて引き止めた。  
「LeMU」  
少年は振り向きもせず、そう言い放つ。  
「待ちなさいよ!」  
優は少年の肘を掴んだが、すぐに振りほどかれた。  
「邪魔しないでよ! 武とココを助けに行くんだ!」  
「だからそれはダメだって言ってるでしょ!」  
17年。  
「17年?」  
17年待て、と。  
「そんなに待てるわけないだろう!」  
確かに、そう言った。  
あの声は確かに、そう言った。  
「大体、そんな突拍子もない話、信用できるかあ!」  
全くだ。  
一体この世のどこに、そんな戯言を易々と信用する人間がいよう?  
ましてや、そんな話を真面目にされたところで、大抵の人間は大笑いするか、相手のことをものすごく心配するといったところが関の山であろう。  
しかし、優にはそれを信じるしか道はなかった。  
 
「でも、君は『IBFに武とココが取り残されている』というところは信じるわけ? 都合のいいところだけ信用するの?」  
「現に武とココはいないじゃないか! 可能性があるのならすぐにでもいかなくちゃ!」  
「だからそれはダメだって言ってるでしょ!」  
「優には僕の気持ちなんて分からないんだ! 所詮優にとって武やココは『他人』だもんな!  
 大好きな女の子を深い海の底に置き去りにしてしまった僕の気持ちなんて……!」  
「違う!」  
少年の辛辣な言葉に、優は怒鳴った。  
少年は思わず体をびくっとさせてしまった。  
怒りで熱くなっていた体温が急激に低下していった。  
「あなただけじゃない! 私だって同じよ!」  
そう叫ぶように言う優の目には涙が溢れていた。  
「優……まさか」  
「私は、武のことが好きだったの」  
 
溢れた涙が、はらりと零れる。  
「愛してたの。愛してたのよ!」  
一雫、また一雫。  
ぽろぽろと零れる涙をふきもせず、優はただ泣いていた。  
少年は、立ったまま、ただうつむいていた。  
「…………」  
優のこの、狂気に満ちた計画。  
なぜ優がこのような計画を平気で実行に移す気になれるのか。  
なぜ優がこの計画を成功させることに異常なまでの執念を見せるのか。  
やっと、分かった。  
優もまた、僕と同じだったのだ。  
 
愛する人を助けたいからこそ、自分が救出できる可能性が高いと思う方法にかけているんだ。  
しかし……。  
「……でもやっぱり、どうしても信用できないよ」  
それは極度の疲労からくる幻聴だったのかもしれない。  
あるいはあの諸悪の根源、憎きライプリヒの新たな実験だったのかもしれない。  
なんにせよ、優の言う話よりはよっぽど可能性の高い話だろう。  
少年は、そう結論づけた。  
もう、怒りはおさまっていた。  
もともと、誰に対して向けられていた怒りなのかはよくわからなかったけれど。  
「だから僕はやっぱり……」  
「……お願い少年、私のことを信用して」  
大分泣き止んだ優は、未だ出てくるしゃっくりを抑えながら言った。  
極度の疲労からくる幻聴?   
あの「クソったれ」ライプリヒの実験?  
何でもいい。信じるしかなかった。  
「あなたの力が必要なの」  
そうするしか、あの人を救えない、というのなら。  
「……その代わり、あなたに私の大事なものをあげるわ」  
そうするしか、愛するあの人を救えない、というのなら。  
「……私の、純潔をあげるわ」  
私は、どんなことにでも耐えてみせる。  
 
「……!」  
突然、掴まれた頭。  
突然、塞がれた唇。  
あまりのことに、少年の頭は状況を把握できなかった。  
鈍感な彼の体は、数秒遅れて頭に血を上らせる。  
「……ぷはっ」  
優は、唇を離して息継ぎをした。  
「……なっ、なっ、なにを……!」  
するんだいきなり、と言おうとした少年の顔は、優の胸の中に埋められた。  
豊満、とまではいかないもののそれなりのボリュームを備えた優の胸はふにふにとしていて、  
少年の顔をよりいっそう赤く染めるのには充分すぎるほどだった。  
少年は反射的に離れようとしたが、頭を抱きしめられた時にバランスを崩してしまい、優によりかかる形になっていたためになかなか逃げることができない。  
「ゆっ、優! じょ、冗談はやめてよ……!」  
少年はまだじたばたともがいていたが、突然腕の力が緩んだ。  
体は密着したままだったが、埋もれていた頭が解放される。  
自由になった頭を上げ、優の方へと向けると、優も少年の方を見た。  
 
お互いの目が合う。  
「少年……」  
先程の涙のせいであろう、優の目もとは赤くなっていて、その目は少しうるんでいた。  
だが、頬などもほんのりと桜色に染まっており、呼吸も少し荒いようだった。  
「少年……」  
もう一度、少年の仮の名を呼ぶと、首にかけていた右手をするり、と少年のシャツの下に忍ばせる。  
「うっ」  
突然の、脇腹や背中を伝わる冷たく、熱い感触に少年の体はピクッと反応した。  
また、顔が熱くなる。  
「優……やめてよ……」  
そう抗議する少年の口は、優の唇でふさがれた。  
 
少年の心泊数はどんどん上がっていく。  
「んっ……むう……」  
今度は優の片手だけで頭を抑えられているに過ぎなかったのだが、なぜか力が入らない。  
思考回路が鈍る。  
それでも、とにかく離れなきゃ、と思い、少年は両手で彼女の体を引き離そうとした。  
その時、口の中に何かが侵入してきた。  
「っ!?」  
ぬめっとしていて、ざらざらとした不思議な感触の生き物が、少年の口の中に入ってきた。  
その生き物は、まるで少年の体を乗っ取ろうとするかのように、うねうねと暴れながら、奥へ奥へと進んでくるように感じた。  
予想だにしなかったことに、少年の頭はパニックになる。  
目をつぶり、身をすくめてしまう。  
それが優の舌だということを理解するには、それから数秒を要した。  
 
内股からお尻にかけてのあたりにぞわっとしたものを感じた。  
夏の夜、みんなで怪談話をした時のあの感覚とは全く異なる、例えば、小便をした後のような感覚だった。  
少年は、優の舌に自分の舌をからめようとした。  
それが、さも当然であるかのように。  
まるで、そうすることが予め決まっていたかのように、自らの本能が舌と舌をすりあわせようとした。  
ぬちゃ、くちゃと少年の口の中で汚い音が発生する。  
いつしか、少年の細い腕は優の体に回されていた。  
 
優は少年より背が高く、また予想以上に細身だったために、逆に腕をからめにくかった。  
一方、少年の首にかけられていた優の左手も、少年のシャツの中に入り込み、その体にまきつけた。  
やっぱりちっちゃいな、と優は思った。  
小さい、といってもそれはあくまで男性を基準としての話であって、女の子としては平均的な体格はあった。女子校で生活していた優にしてみれば女の子同士で抱き合うなんて日常茶飯事だったわけで、むしろこの位の方が抱きしめやすかった。  
もっとも、優が今基準として考えた「男性」が世の男性の標準か、というとそれは大いに疑問であるけれど。  
二人は抱き合いながら、貪るように互いの舌を求めあう。  
始めはぎこちない動きをしていた少年も、少し慣れてきたのか、だんだんねっとりとしたいやらしい動きをするようになっていた。  
しかし、少年がやっと行為に熱中できるようになったころ、またも異物が口内に入り込んだ。  
液体である。  
ちょっと粘り気があるけど、さらさらとした液体。  
何より、甘い。  
砂糖の甘さとは違う。  
比較にならない程、甘かった。  
それこそ、少年の脳神経を隅から隅まですり潰してしまうような、そんな破壊的な甘さ。  
考える間もなく、少年はその液体を飲み込む。  
おそらく、優の唾液だろう。  
しかし、自分自身の唾液などに味は感じない。  
異性の唾液とは、何という味をしてるんだろう。  
もちろん少年の頭でそこまではっきりと考えたわけではないが、ともかく少年はそう感じた。  
送り込まれた唾液を飲み込んで、そのまま口の中で舌と舌のダンスを踊っていると、優は背中にからめていた右手を肩まで回し、腕の中の少年の体に、くいくいと軽く下へ力を加えた。  
すでに力を失っていた少年の膝はやすやすと折れ、その場にへたり込むと、優はさらに少年におおいかぶさっていった。  
 
唇から頬、そして耳へと優の舌は這っていく。  
少年は、背筋を駆け上る電流に顔を歪め、思わず顔を背けてしまう。  
優の、舌が、熱い。  
舐められたところから、熱が広がってゆく。  
優の胸、優のお腹、優の足。  
服で隔てられているのに、こんなにも優の熱が伝わってくる。  
それは、もしかしたら体温でないのかもしれない。  
でも、少年は確かに、流れ込んでくる熱を感じた。  
優の口は少年の耳を含み、その歯で柔らかくほぐしていた。  
鈍い電流は未だ少年の脊髄を襲っている。  
「はむっ……んっ……」  
優は少年の耳のなめ、噛むことに夢中になっているようだ。  
耳が燃えるようだ。  
「ゆ……優……僕、変になっちゃうよ……」  
しかし、優は何も反応しない。  
聞こえていないのか?  
少年は力をふりしぼって、もう一度、優に声をかけようとした。  
その時、優の返事が返ってきた。  
「ふわあぁっ」  
少年が情けない声を上げる。  
優に、耳の穴の中に舌を入れられたのだ。  
 
今までとは全く異なる、全身に高圧電流を流されたような感覚。  
ぴりぴりとした、奇妙な快感。  
そう、それは確かに快感だった。  
爪先から、ふくらはぎ、もも、お尻、背中、肩と体中のありとあらゆるところが硬直する。  
しびれ、麻痺する。  
そして、そのしびれは、精神にまで及んでいた。  
 
優は、首すじをひとしきり舐めたあと、軽くくちづけて起き上がった。  
ひと休み、というわけではない。  
その両手は少年のシャツにかかっていた。  
「……脱がせるわね」  
少年の服をゆっくりとめくりあげる。  
そこには、少年の身体があった。  
大人の男の身体でもなく、全くの子供の身体でもない。  
細身だけれど、ガリガリに痩せているわけでもない。  
筋肉質というわけでもないけど、脂肪でぶよぶよというわけでもない。  
他の誰でもない、少年の身体、としかいいようのないものがそこにあった。  
 
胸のあたりまでめくりあげると、少年のピンク色の乳首が見えた。  
優はそこにくちづけする。  
「はあぅっ……」  
ぴくん、と少年の身体が跳ね上がる。  
背中を大きくそらす。  
そのまま優はその小さな小さな突起を口にくわえると、舌でちろちろとなめはじめた。  
「う、うう……」  
少年は身を竦め、苦しそうに唸る。  
もし、少年が一人そのようにしていたならば、誰もが病気だと思うだろう。  
しかし、少年の上には、女が一人。  
自分の貞操を奪おうとしている女が一人。  
その姿は、愛し合う者同士のまぐわいそのものだった。  
 
優が強く吸うと、そこには桜色の後がほんのりと残った。  
「これが、最初の契約の証……」  
優は、顔を赤くし、目もうつろな少年のもう一方の乳首に舌を垂らした。  
少年の肌にうっすらと浮かんだ汗を、丹念に舐め取り、飲み込む。  
「おいしいわ……」  
「やめてよ……優……お願いだから……ひゃうぅっ」  
びりっとした快感の電流が流される。  
少年のもう一方の乳首を指でつつかれたのだ。  
つんつん、つんつんとつつくたび、少年は苦しみと快感の声をもらした。  
もはや、少年の言葉は何の力ももたなかった。  
何を言おうとも、優の攻め手がその言葉を遮ってしまうのだ。  
 
唐突に、ぴたっと行為を止める。  
そして、先程胸を露にしたところで止めていたシャツを一気に脱がせた。  
少年は、優に促されてバンザイの格好をさせられた。  
するするする、と抵抗もなく服は剥がされていく。  
ぱっとその辺に服を放り投げると、上半身裸の少年にくちづけを行った。  
「優……背中がちくちくして痛いよ……」  
確かに、ホテルのじゅうたんに裸で寝転がれば、痛いに決まってる。  
「そう……じゃあベッドにいきましょ……」  
優は少年を起こす。  
ふらふらと起き上がった少年は、優に引かれてベッドの前までのろのろと歩いていった。  
 
ぼうっとした頭で、現在の状況を確認する。  
(ここは……ホテルの一室で……)  
(目の前には……ベッドに座って熱っぽい目でこちらを見ている少女が一人……)  
(……っておい!)  
少年は犬のようにぶるんぶるんと頭を振るう。  
「……どうしたの?」  
「あのねえ優! なんだってこんなことするんだよ!」  
とりあえずは正気に戻った頭で、優を問いただす。  
「…………」  
優は目を細める。  
「優?」  
「それはね少年……」  
すっ、と優は静かに立ち上がる。  
そのまま、流れるような動きで少年を抱き締める。  
「!」  
「こういうことよ」  
静かに、音もなく、優の体は後ろへと傾いていき、そして倒れた。  
後ろにあったのはベッド。  
そして、前にいたのは少年。  
優に抱き締められていた少年が行き着く先は――  
優の上だった。  
 
「わかる? 自分が今どんな状況にあるか?」  
「えっ……」  
「この状態で私が悲鳴をあげたら、どうなるでしょうね?」  
「……!」  
……わかった。  
自分が今、おかれている状況が。  
つまり、  
「もう、僕には逃げ場がない、ってこと……?」  
「……私の言うことをきく以外は、ね」  
少年は青ざめた。  
まさか、目の前の女の子が、こんなことをするとは思わなかった。  
まさか、自分がこんなことに巻き込まれるとは思わなかった。  
しかし、それはまぎれもなく事実であった。  
「優……なんてことを……」  
「ごめんね少年。こうするしかなかったのよ」  
優はそう言って少年の首に手を回し、ひきよせるとそのまま唇を重ねた。  
「んっ……」  
恋人同士が行うような熱いディープキス。  
息を止め、ひとしきり少年の口を味わった後に、ぷはっと息をつぐ。  
「でも、ちゃんと最後までするから……安心してね?」  
少年は答えられなかった。  
優のくちづけが封じたのは彼の口ではなかった。  
彼の理性だったのだ。  
 
(続く)  
 

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