フレイド公王の言葉に、ミラーナは立ちすくんで固まっていた。
――返答次第で、私はそなたに尽力する。
……今なら、元の生活に戻れるかもしれない?
ミラーナの動悸が早くなる。
公王の顔からは、何を考えているか想像もつかないが、何かを悔やんでいるのは読み取れる。
それは何に対してなのか。何を償おうとしているのか。
黙りこくるミラーナを見て、公王は柔らかい口調になった。
「急いで答えを出す必要はない。ただ私は、そなたには幸せになって欲しいと思っているのだ」
「……何故です? マレーネお姉様に関係が?」
「そうだ」
公王はうなずくと、わずかに目を伏せた。
「マレーネは物静かな女だった。同盟を結ぶための婚姻も静かに受け入れたように見えた。
互いに利益のあることだからと、我々は割り切った結婚をした。
……だが私は、彼女を心から愛していることに気づいた」
肖像画を見上げる横顔には、複雑な思いが浮かんでいた。
「私はマレーネのために全てを捧げるつもりで日々彼女に接した。
だがマレーネは、私が大切に扱うたびに、やつれていったのだ」
「え……?」
ミラーナの顔を見て、公王は小さく笑う。
「その名を口に出すことはしないが、彼女には他に愛する男がいた。だが彼女とその男は、国のためにと身を切られる思いで
運命を共にしようとはしなかったのだ」
「そんな、マレーネお姉様が……!?」
驚愕のあまり、それ以上言葉が出てこなかった。
あの、マレーネお姉様が!
「ある晩、彼女は私に短剣を差し出した。自分は彼の子供を身ごもっている。私の妻でいる資格はないから、
どちらかを殺して欲しいと涙ながらに訴えた。……あの美しい女は、私の前で、床に額をこすりつけて、泣いて懇願したのだ」
「なんてこと……!」
青ざめ、ミラーナはがくがくと震えた。足元がおぼつかない。涙が零れる。息ができない。首飾りが戒めのように重く、
喉がしめつけられるようだ。
公王はミラーナの肩を抱き、静かに椅子に座らせると、その前にひざまずいた。
「すまない。このようなことを、そなたに聞かせるべきではなかった。
だが、私は彼女を許し、シドを実の息子として育てている。
あれは私の子だ。フレイドを継ぐべき王になる男だ」
「公王……! ああ、なんとお詫びすればよいか」
ミラーナは溢れる涙を指先で拭いながら嗚咽する。
「そなたが謝ることなど何もない」
「いいえ! いいえ、言わせてください。姉を許してくださって、ありがとうございます。シドを愛してくださって、
ありがとうございます……!」
ミラーナは泣きながら、深々と公王に頭を垂れた。
きっと姉も、同じ事をしただろう。
血が繋がっているとはいえ、自分にこんなことを言う資格はない。
茶番じみた台詞を言って泣くのは自己満足にすぎない。
それでもミラーナは、公王の心の寛大さにひれ伏さずにはいられなかった。
「そなたにこのような真似をさせるために、この話をしたのではない」
公王は困惑しながらも、優しくミラーナの肩に手を置いた。
「マレーネは私を愛して死んだが、そなたはどうなのだ。あの男を愛せそうか?」
「わ、わたくしは」
「ザイバッハの男の元へ嫁ぐということは、色々なものを捨てなくてはならない。その覚悟はおありか?」
ミラーナは充血した目を公王に向けた。
「お義兄さま」
ミラーナは首を振った。
「わたくしの恋は、実らないものと決まっておりますの。……ここ数日、その覚悟を固めていたところですわ」
「誓いだぁ?」
ディランドゥの言葉に、ドライデンは大げさにのけぞって見せた。
「そう。だからこの話はこれで終わりだよ」
ディランドゥはうるさげに手を振る。
「おまえさんの言葉に、どれだけ信憑性があるのかねえ」
「しつこい男は嫌われるよ、商人殿」
ディランドゥは舌打ちする。取り上げられた剣さえあれば、こんな男の口などすぐにふさげるものを。
「彼が誓いを立てたのは本当のことだ」
すると、今まで黙っていたフォルケンがぼそりと言った。
ドライデンが眉をつりあげ、バァンが殺意のこもった目で兄を睨みつける。
「へえ! そいつはすげぇ」
「ふたりは婚約した。あなたはその事実を認めたほうがいい」
「認めてないから食い下がってんだよ俺は!」
ドライデンはバンと床を叩いた。
「ドライデンさん!」
ひとみが非難の目を向ける。
「わわ、若旦那、どうか冷静になって……」
今まで小さくなって震えていたドライデンの従者がおずおずとなだめる。
「――みなさん!」
そこへ、ミラーナが公王と共に現れた。
「ミラーナさん!」
ひとみがほっとして格子に近寄った。
「手荒な真似をしてすまなかった」
公王は兵に指示を出し、鍵を開けさせる。
わらわらと出てくる一同を前に、公王の後から現れたボリスが姿勢を正して言った。
「完全というわけではないが、そなたたちの疑いは晴れた。アストリアにはアレン・シェザールの戦死を伝え、
皆を帰還させる手はずを整える」
「そいつはありがてえ!」
一部を除いた皆が歓喜した。
「ただし、アストリアでどういう歓迎をされるかはわからんぞ」
「知ったことか! いざとなりゃ逃げ出すまでだぜ!」
リデンがにやりと笑うと、残りの部下たちも下卑た笑いを浮かべた。
「王様たちはどうするんですかい」
ガデスがバァンたちを見た。
バァンはフォルケンを見据えながら、きっぱりと言った。
「――俺はここに残る」
「バァン……」
ひとみが心配そうに、バァンを見上げる。
「好都合だね。僕らもおまえに帰ってもらっちゃ困るところだからさ」
ディランドゥが見下すような目つきをして笑った。
「王様が残るんじゃぁ、俺たちも帰るわけにゃいかねえなあ……」
ガデスがうなる。
バァンは安心させるように微笑んで見せた。
「アレンを、弔ってやってくれ。俺なら大丈夫だ」
「王様……」
「あたしもバァンについていきます」
「あたしも! あたしも!」
ひとみとメルルが、バァンを守るように傍らに寄り添った。
「……なんかあったら、アストリアに帰ってきてくださいよ。戦力は必要だ。その頃にゃ、
俺らも充分に準備しておきますんで」
「ああ!」
ふたりは固く握手した。
「公王」
フォルケンが進み出た。
「……」
公王は無言でフォルケンを見つめる。
「フォルケン!」
バァンが咄嗟に割って入った。
「何をする気だ! 公王に手出しはさせん!」
「バァン……」
「ファーネリアの王よ」
公王は、殺気立つバァンをなだめた。
「そなたは、その内に巣食う鬼を鎮めねば、何も見えはせぬぞ」
「……っ!」
バァンがかっとして公王を振り仰いだ。
「そなたからは焦燥と憎悪しか感じられぬ。白き竜がそなたを閉じ込めていたのは、
その鬼を解放することを恐れたからやもしれぬ」
「俺は……っ!」
「そうだよ、バァン」
ひとみがバァンの腕に触れた。
「あのイスパーノの人も、もうエスカフローネに乗っちゃいけないって言ってたじゃない。あたしもそう思う。
今度はどうなるかわからない。エスカフローネは乗り手をとり殺すって!」
「俺はとり殺されたりなんかしない!」
バァンは乱暴にひとみの手を振り払った。
「きゃ……っ!」
「ひとみ!」
よろけたひとみを、メルルがしがみつくようにして支えた。
「哀れな」
公王はそれを痛ましそうに見つめた。
「近くにいる者の思いをわかろうとせず、そなたは何を思って鬼のいいようにさせているのか。
その鬼は、そなたを死に急がせる。何故それがわからない?」
「!」
ぎくりとしたのは、バァンだけではなかった。
――せっかくこうして生きているのに、何故あなたはそうやって死に急ぐの!?
あなたには心配してくれる人があんなにいるのに、どうしてそれをわかろうとしないの!
ディランドゥは、はらはらしながらバァンたちを見守っているミラーナをこっそりと見つめた。
バァンの仲間だったくせに、どうして向こうへ行かないのだろう。
アストリアへ帰れるというのに、何故動かない?
……自分を心配しているという人間の中に、まさか。
「ファーネリアの王には休養が必要なようだ。しばらく部屋でゆっくりされるがいい」
公王の言葉と共に、兵たちがわらわらやってきた。
抗議するバァンを半ば強引に連れ出す。ひとみとメルルも小走りでそれについていった。
「王様が心配だな。俺たちも行くか」
その場の空気を読み取ったのか、ガデスがちらりとミラーナを見、仲間たちを振り返った。
「だな!」
リデンの合図と共に、男たちもそれを追う。
静かになった場で、公王が口を開いた。
「おまえたちの狙いはわかっている」
「……ザイバッハだけの問題ではないのです」
フォルケンは瞳を閉じた。
「このガイア界全ての幸福のために」
「何故アトランティスの力が封印されたかわかっているのか?」
「使い方を誤ったせいです」
「おまえたちなら正常に動かせると?」
「はい」
公王は全く表情を変えることなく、フォルケンを長いこと見つめていた。
それから、不意にミラーナの方を見た。
「!?」
ミラーナがどきりとすると、公王は言った。
「どうやら話は長くなりそうだ。場所を変えよう」
フォルケンと公王はふたりだけで交渉を進めるようだ。
マレーネの部屋に戻り、ミラーナは鏡台の前に座って一息ついていた。
映った自分の顔を見て、目を丸くする。
「……怖い顔」
ディランドゥと出会ってからの日々は、呑気にショッピングを楽しんでいた甘い時間からは縁遠く、緊張の連続だった。
勝気で無邪気な小娘だった顔が、今では目元が引き締まり、化粧も大分落ちている。
「ふふ。でも、嫌いじゃなくてよ」
なんだか、大人になったみたいで。
アレンの背を追いかけていた、恋に恋していた無垢な乙女だった自分。
ディランドゥと過ごした、決して甘くはない中で過ごした自分。
「……ええ、嫌いじゃないわ。今のわたくし」
「俺の方がもっと好きだね」
「!?」
唐突な声にぎょっとする。鏡台には、ミラーナの後ろで笑みを浮かべるドライデンがいた。
「あ、あなた、ノックもせずに!」
「したさ。あんたが気づかなかっただけ」
立ち上がり、抗議するミラーナを見つめながら、ドライデンはずんずん近づいてきた。
「な、何の御用?」
「決まってる。一緒にアストリアへ帰って、結婚することを承知してもらうことを言いにな」
うろたえるミラーナの両脇に手をつくと、ドライデンはにやりと笑った。
鏡台に背を預け、ミラーナは眉をひそめる。
「何を言ってるの?」
「もう一秒だって待ってられない」
ドライデンはかちりと丸めがねを外して後ろへ放ると、訳がわからないといった顔をしているミラーナの頬に触れた。
「こんなに美しい女がいるなんてな……誰が手放すかよ」
「ドライデン……!」
「あんたはずっと昔から、俺のものだった」
搾り出される声と共に、頬に触れていた手が耳の後ろをつかんだかと思うと、ドライデンはミラーナに唇を寄せた。
「……!?」
がたんと鏡台が揺れ、ミラーナは目を丸くしたが、すぐに自分が何をされているかに気づき、
両手をドライデンの胸に当てて身を放そうとする。
「ん……っ、はっ、思ったとおりだ。あんたの唇はすごく甘い……」
「や……っ、いやっ!」
身をよじるミラーナを強引に抱きしめて、ドライデンはミラーナ着ているドレスに手をかけた。
スカートの部分をたくしあげ、露になった部分へ手を伸ばす。
「ひ……っ!」
「ああ、この感触ときたら……っ! なあ、あの軍人とはもう寝たか?」
「!」
ドライデンの息が荒い。囁かれるようにしてつぶやかれた言葉に、ミラーナはショックを受けた。
「俺はどっちでも構わない……いや、寝てないならそれに越したことはないな。こんなに綺麗な女を目の前にして、
理性を抑えてろってのが無理な話だ。あんな貧相な身体した男じゃ物足りなかったろ?
俺なら、あんたをもっと感じさせてやれるぜ……!」
言いながら、ドライデンはミラーナの膝を抱え込み、強く鏡台に押さえつけると、
開いた足の付け根に自らの腰をすりよせるようにしてのしかかってきた。
「あぁ……っ」
布越しからでもはっきりとわかる固くなった感触を直に感じ、ミラーナは恐怖と羞恥で顔を横に振る。
「俺は欲しいものは必ず手に入れる。今までずっとそうしてきたんだ。なあ、俺が好きだと言えよ。
軍人なんかがあんたを幸せにできると思うか? なあ――」
「やめて……っ!」
「あんたの身体は嫌がっちゃいない。なあ、俺のに触れよ、今、怖いくらいにあんたに感じてるんだぜ」
ミラーナの手を掴み、ドライデンは自らの欲望を握らせようとする。ミラーナはぞっとして固く拳を握り締めた。
「まだそんなに深い仲にゃなってないみたいだな。安心したぜ。今から俺が教えてやる。我を忘れるほどに溺れさせてやるよ。
あんたを幸せに出来るのは、俺だけだ」
ドライデンは荒々しくミラーナの胸をつかんだ。ずるりとドレスを下げると、真っ白な果実が顔を覗かせる。
「全部、俺のものだ――!」
「あぁっ、あっ!」
熱い舌がぬるりと肌を味わったかと思うと、ドライデンはそこに吸い付いた。わざと水音をさせ、劣情を煽って行く。
片手は濡れ始めたミラーナの秘部を探り当て、もう片方は吸い付いている隣の果実へ伸ばした。
「やめて! ドライデン!」
ミラーナが強く肩を叩いても、ドライデンはびくともしなかった。
「ほら、火照ってきたろ? 今あんたは俺に感じてるんだ。すぐに心も俺の物にしてやる。俺が欲しいと言え、ミラーナ!」
「いやぁっ!」
「こんなにしてるくせに……! ま、素直じゃないあんたも、俺は好きだがな」
くちゅりと音をさせ、ドライデンはミラーナの秘部からあふれ出した蜜をすくいとりながら笑った。
涙が浮かんでくる。
違う……!
――別に悦んでるわけじゃないんだ。だろう?
「!」
ミラーナは目を見開いた。
――体が勝手にそうなるんだ。自分を護るためだからね。仕方ないんだ。でも言われるんだよ。
『感じてるからこうなってるんだろ』って……はは、何もわかっちゃいないんだ、やつら
「――あぁ……!」
「泣くなよ……今から気持ちよくしてやるから」
ドライデンの困ったようなつぶやきも耳に入らない。
「愛してる。俺の物になれ」
唇を塞がれる。
ぐちゃぐちゃと溢れる泉の中に、ドライデンの欲望があてがわれる。
あっと叫ぼうと口を開けると、舌が割って入ってきた。
揉みしだかれる胸が、痛んだ。
「――!!」
ミラーナは咄嗟に、口の中をかきまわす舌に噛み付いた!
「!!」
突然の激痛に、ドライデンはかっと目を開けてのけぞった。
ミラーナはその隙に、ドライデンを思い切り突き飛ばし、扉へと走る!
「っ痛ぅっ……! とんだじゃじゃ馬姫だなっ!」
「きゃあっ!」
後ろから抱きつかれ、ミラーナはもがいた。
「情事の最中に相手に噛み付くなんざ、随分とお行儀が悪いな」
「放してっ!」
ディランドゥに噛み付かれた胸が痛んだのだ。もうとっくに治っている傷なのに。
それが、ミラーナを我に返らせた。
初対面で自分を大嫌いだと罵った男。
ぼろぼろにして捨てるつもりだと宣言した男。
捨てるときの顔が楽しみだと見下した男。
でも。
「報われない恋だっていい……!」
でも!
「幸せになれなくたっていい!」
ミラーナは叫んだ。
「わたくしは、ディランドゥが好き!!」
その時、けたたましい音と共に扉が開かれた。
あられもない姿のふたりが、扉の向こうにいる男の姿を見て絶句した。
「あ……!」
ミラーナの瞳から、新たな涙が零れる。
それを見た男は微笑んだ。
「――ようやく言えたね。ご褒美をあげようか? その邪魔者を始末した後に」
足で扉を蹴破ったディランドゥが、にこやかに言った。
だがその目だけは、笑っていなかった。