一方、牢に拘束されているディランドゥたちは、各々過ごしていた。
バァンはむっつりと黙りこみ、そばにはひとみとメルルがそれを不安そうに見つめ、ガデスは苦虫を噛み潰したような顔で
天井を睨みつけ、ほかの部下たちは出せとしきりに外に向かってがなりたてている。
そんな中で火花を散らしているのは――
「この俺を牢に入れるなんざ、フレイドめ、いい度胸してやがるぜ。俺の商品を買いたいとぬかしてきやがったら、
何割か吹っかけてやるかな」
ドライデンはそう言って、壁にもたれかかってあぐらをかいている。
「せいぜい首を取られないようおとなしくしておくんだね。僕とフォルケンはともかく、他はいつ殺されたっておかしくない
んだからさ」
ディランドゥはふんと鼻で笑った。
「随分な自信だなぁ。根拠があるのかな? この色白の軍人さんは」
丸メガネの奥の垂れ目を鋭く光らせ、ドライデンはディランドゥを挑戦的に見る。
それをまっすぐに受け止めて、ディランドゥは肩をすくめた。
「今フレイドの公王と話しているのは僕の許婚だからね。身の潔白はあいつがしてくれるさ」
「ほう! それは意外なことを言ってくれるねえ!」
ドライデンの眼光がますます強くなった。
「そもそも、なんで俺との婚約が解消されたのか、俺は不思議でならねえんだ。何か裏であったんだろうなっていう臭いが
しやがってなあ」
「アストリアの王がそう言ったんだよ。僕の方がいい男に見えたんだろ」
「へーえ」
ドライデンは壁から背を離し、片膝を立てて座っているディランドゥに四つん這いで詰め寄った。
「なんだ。気味の悪い」
ディランドゥが顔を背けると、ドライデンは無遠慮にディランドゥの顔をじろじろと眺めまわした。
「確かに悪くない顔立ちをしてるがね。いい男なら、俺の方がわずかに分がある。やっぱ解せねえ」
「知らないよ。僕の方が金持ちだから、あっさり乗り換えたんだろ。許婚の親を悪く言うのは気が引けるけど、
あの男は金で動くタイプのようだしね」
「はは。白々しいね。堂々と言いやがって」
ドライデンは意地悪そうに笑い、それからすっと真顔になった。
「おまえさんが金を持ってるとは到底思えない。口から出まかせもいいところだな」
「それこそ、何を根拠に、だろ?」
眉ひとつ動かさずディランドゥは応じた。黙ってそのやりとりを見ているフォルケンは、大した役者だと内心苦笑する。
ドライデンは淀みなく言葉をぶつけてきた。
「第一おまえさんからは、金のにおいがしない」
「あからさまににおわせてる方が下品だと思うけどね」
「それに、貴族なら俺の耳に名前くらい届いててもおかしくない」
ディランドゥは流れるようにそれらをかわしている。
ドライデンは最後にずばりと言い放った。
「何が目的で、ミラーナを俺から奪った?」
「はぁ?」
ディランドゥは目を丸くした。
「はっ、その反応だと、そういう気はなかったみたいだな。それならいいんだ。まだ間に合うからな」
ドライデンは安心したように髪をかきあげた。
「あんな美人がいたら、男なら誰だって手に入れたいと望むものさ。気持ちは分かる。だがそろそろ俺に返しちゃくれないか。
あんたは軍人だ。所帯を持つにゃ、ちょいと女が可哀想過ぎる。俺ならいつだってそばに置いて愛してやれる。幸せにできる
だけの財産もある。未来はバラ色ってな。その点あんたはいつおっ死ぬかわからん身だ。女の気持を考えてみれば、どちらの男
の元へ嫁げば幸せになれるか一目瞭然だろ?」
「馬鹿馬鹿しい」
ディランドゥは息を吐いた。
「金で女が幸せになるなんてのは、自分に自信がない証拠じゃないか。あんたはそういう後ろ盾がないと、好きな女にも迫れな
いのかい」
「……なんだと?」
ドライデンの声が低くなった。
「それに、あんたにあの女の気持がわかるとはとても思えないね。偉そうに色々言ってるけど、結局あの女が決めることだろ?
僕らの邪魔はしないでもらいたいね」
「……意外だな」
ドライデンは痛いところを突かれたような顔で笑った。
「てっきり捨て台詞とともに俺に返してくれるのかと思っていたんだが。おまえさんが入れ込んでるとは思えなかったからな」
「何故あんたのものでもない女をあんたに返す必要があるんだ。あの女は僕のものさ。どこにもやらないからね」
「ほう」
ドライデンはにやりと口元を歪めた。
「聞いておきたいんだが、おまえさんは金以外のものでミラーナを幸せにするそうだが、どう幸せにするんだ?」
「さっきから幸せ幸せってうるさいよ」
ディランドゥはハエを追い払うように手を振った。
「そんなに目くじら立てて求める幸せなんか、僕は要らないね。人の幸せは、人それぞれじゃないか」
「逃げないで答えてくれよ。そうでなきゃ、俺も引き下がれない」
「おふたりとも、こんな時に馬鹿なこと言ってねえで、この状況をなんとかする方法でも考えてくださいよ」
そこを、あきれ顔でガデスが割って入った。
「馬鹿なこととは言ってくれるねえ。世の中恋愛事ですべてがまわってるって言っても、過言じゃねえんだぜ?」
ドライデンは本気とも冗談ともつかぬことを言い始めた。
「またそんな……」
「恋だ愛だと馬鹿にするのは結構だ。だがな、実際ミラーナ姫は愛のためにザイバッハと手を組んでここまで来た。
俺はそのミラーナ姫を追ってここまで来た。愛ってのは偉大なもんよ。何でもできちゃうんだからなぁ!」
「ミラーナさん……大丈夫かな……」
ひとみがぽつんと言った。
「アレンさんを追ってきたのに、……こんなことになって……」
唇をかみしめるのと同時に、涙が零れた。
「ひとみぃ……」
メルルがひとみの頬をぺろりとなめる。
「愛は時に、残酷でもある」
「何を語ってるんだい。僕はそんなもののために動かされたことはないよ」
しみじみ言うドライデンに、ディランドゥがぷいと顔をそむけた。
「俺もだ。下らない」
珍しく、バァンも同意した。
「己の不甲斐無さで逃げ出すような愚者もいる。生まれ故郷を滅ぼすような、な。それが愛のためだと言うのなら、
俺は生涯そんなものは必要としない!」
憎しみに満ちた目でフォルケンを睨みつける。フォルケンは静かに目を閉じた。
「はは。ま、こればっかりはな」
ドライデンはガリガリと頭を掻いた後、遠くを見つめた。
「アレンなぁ……まさか死んじまうたぁ思わなかった……いろいろ聞きたいこともあったんだがな……」
「聞きたいことって?」
メルルが素直に聞いた。
「んー? ほら、アレンの父親のことさ。結構な有名人だからさ」
「そうなんですか?」
ひとみがわずかに身を乗り出した。バァンが我知らず、眉根を寄せている。
「案外あんたら知らないかもな。アレンの親父さんは、家を捨ててアトランティスのことを調べるために蒸発しちまったのさ。すげーだろ?」
「それは本当か!?」
バァンを筆頭に、ガデスたちも驚いていた。
ディランドゥだけは顔をそむけたまま無反応だった。
「んで、だ。俺はそのアレンの親父さんが残した日記ってえのを、見てみたかったんだがな」
「日記?」
ガデスが反応する。
「おう。アトランティスのことを調べていた男の日記だぜ。垂涎ものだろう? もし残ってたら、それはアレンの遺品になるなあ。
あ、不謹慎なこと言っちまったかな」
「……前に」
ひとみが目をこすりながら口を開いた。
「あたし、前にアレンさんを占ったことがあるんです。その時、アレンさんは、お父さんのことで今も苦しんでいるという結果
が出て……近いうちに、再会を果たすことになるかもしれないって……」
「――まあ、父親が蒸発したんだ。いい思い出なわけはないわな」
ドライデンが顎をなでる。
「……お頭、今頃あの世で親父さんぶん殴ってるかもな」
ガデスの横で、リデンが拳を握り、片方の手のひらに打ち付ける。
「だろうな。隊長、すんげ強いし、ボコボコにされてんのは間違いないだろ」
ガデスは何かを吹っ切るように頭を振った。
「ドライデンの旦那。俺、その日記ってのを持ってますよ」
「マジかよ!?」
しんみりしていた雰囲気を吹っ飛ばす勢いでドライデンがガデスに詰め寄った。
「うわっ、顔近付けないでくださいよ。気持悪っ! 隊長の私物を片づけてたら、出てきたんです。
隊長に中身のこと聞いたことあるんだけど、知らんの一点張りで……。捨てるには忍びないけど読む気はしないってとこだったのかなぁ……」
そう言って、懐から古びた一冊の書物を取り出した。それをひったくるようにして奪い去ると、ドライデンは震える手でページをぱらぱらとめくった。
「こいつはすげぇ……!」
それからしばらく、一同はドライデンが鼻息を荒くしながら日記を読むのを見守っていた。
やがてドライデンは丸メガネをくいと指で押し上げて、ふうと息を吐いた。
「いやはや、すごいお人だったんだな」
そう言って、横目で見ているディランドゥに目をやった。
「この人は、幻の月の娘を追っかけて、家を捨てたんだとよ」
「はぁ?」
ディランドゥは目を丸くした後、何故か腹の底から怒りがわいてくるのを感じた。
「なんだって?」
「かーっ! ロマンだねえ!」
「幻の、月……?」
ひとみがおずおずというと、ドライデンはにやりと笑ってひとみを見つめた。
「そ。あんたと同じだな」
「あたしの他にも……」
「そんなことはいいよ。アレン・シェザールのろくでなしの父親が、なんだって?」
不機嫌なディランドゥの声が水を差した。
「んあ? だから、アレンの親父さんは、女を追いかけて蒸発したんだ」
「……最低な男だね。死んで当然だ」
ディランドゥは吐き捨てた。
「何を怒ってんだ? 俺は好きだけどな、こういう生き方!」
「残された妻子のことを思えば笑えない冗談だね。愛があったのにそれを捨てて、新しい愛に走る? ありえないね」
ディランドゥはぎりぎりと奥歯をかみしめていた。それをフォルケンがじっと見つめている。
「ならあんたは、生涯ミラーナ姫を愛し続けると?」
ドライデンが苦笑交じりで言った。
ディランドゥはしばらく黙って怒りを抑えていたが、やがてふんと笑った。
「誓いならもうしたよ。花嫁の父親の前で、とっくにね」