背中に熱い滴が流れ落ちていく。  
 全く、身体を拭いてくれるというのはどうなったんだか。  
 ディランドゥはそう思いながらも、全く悪い気分ではない自分に気づく。  
 口元に浮かぶ苦笑の意味はなんだろうかと考えながら、腕の中の女を手放す気になれない気持ちと同等のものなのかもしれないと、  
我ながら解読に時間を要する結論を導き出した。  
 時折天を仰ぎながら、自分の行動に何か間違いはあっただろうかとも自問する。  
 自分より美しいものは嫌いだという理由で手に入れたはずの女だった。  
 それがどうだ。  
 美しいだけの女ではなかった。  
 女というものを知り尽くしている気でいた。自分が元はそうであったから。  
 それなのに、理解できない。  
 難攻不落の城と呼ばれるものを前にした気分だ。  
 身体を揺らしながら嗚咽を続けるこの女を、この先自分はどうしたいのだろう。  
 手放す気にはなれない。  
 でもこの気持ちはいつか変わってしまうかもしれない。  
 それを恐れた。訳もなく。  
 いや、訳はきっとある。  
 しかしそれを今決めてしまうのは、あまりにも早急すぎると思った。  
 まだ、今は。  
 
「僕の檻にいる気分はどうだい」  
 
 長くも、短くもない時間が過ぎる頃、ディランドゥは静かに言った。  
 タライの中はすでに冷え切っており、それを浸したもので体を拭かれるなど御免だと、ぼんやりと思った。  
 ミラーナもだんだんと落着きを取り戻しているようだ。  
 ディランドゥの体を拭いていたタオルで顔を押さえ、鼻をすする音がする。  
 美人が台無しだと思ったが、その顔を見てみたい気持ちになった。  
 くすりと笑ってから肩に手をかけると、ミラーナはうつむいたまま身をよじる。  
「今更恥ずかしがることなんてないだろう? 顔を見せておくれよ、花嫁さん」  
 声をかけると、ミラーナはささっとタオルを押さえたままでベッドから降りた。  
 今まで温めていた卵を取られた親鳥の気分とはこういうものなのだろうか。  
 素肌をさらしていたので尚更か、急に部屋の温度が下がったような寒気が襲う。  
 ミラーナはこちらに背を向けたまま、タオルで顔を拭っていた。  
「こっちを向いてごらんよ」  
 からかうように声をかけると、ミラーナは肩を怒らせて、口元をタオルで押さえたままこちらを振り返った。  
 目も鼻も真っ赤だが、そのアメジスト色の瞳は曇ってはいない。  
 そうでなくてはと満足した。  
 死んだとはいえ、他の男のせいで心を閉ざされてもらっては困る。  
 今は寛大な心で許しているが、いずれ思い知らせてやるのだ。  
 怒るのも、悲しむのも、憎むのも。  
 ――全て捧げるのは、僕にだけだ。  
 ふたりの間に、奇妙な沈黙が下りていた時だった。  
 
 不意に扉をノックする音がして、ミラーナは我に返ったようだった。慌ててかけていく。  
 興をそがれた気分でディランドゥが上着を着直していると、  
「気分はどうだ、ディランドゥ」  
「――別に。見ての通りだよ」  
「あ、あの。順調に回復していますわ」  
 静かにフォルケンが入ってきた。そっけないディランドゥの対応をフォローする形でミラーナが口を添える。  
 フォルケンは目を細めると、ディランドゥの傍らにある椅子に腰をかけた。  
「また共に酒を酌み交わそう。傷が癒えたらの話だが」  
「なんだ。見舞いに来たんなら、それくらい持ってきてくれてもいいんじゃないのかい、フォルケン」  
「いや、それはまたの機会に」  
「ふん」  
 ミラーナはそんなふたりのやりとりを見て、口元をほころばせていた。  
 フォルケンという男は、ディランドゥの手術にあまりいい顔をしていなかったと思ったのに、こういったやりとりができる間柄だったのだ。  
 今まで見舞いにも来なかったのは、きっと仕事が忙しかったのだろう。  
 ミラーナが見守る前で、フォルケンは話し出した。  
「今回の作戦についてだが」  
「軍師殿。こんな場所でその話は感心しないね」  
 ディランドゥが眉をひそめる。フォルケンはちらりと後ろのミラーナを見たが、目を戻した。  
「何か問題でも?」  
「おやおや。何事にも慎重に事を進めるのがお好きなんじゃなかったのかい?」  
 ディランドゥは明らかに苛立っている。ミラーナは邪魔にならないよう、出て行こうとした。  
「姫君はどうかここにおいでください」  
「え……っ」  
「フォルケン!」  
 静かなフォルケンの声に、ふたりは驚いた。  
「ザイバッハのことだよ。あの女は関係ないじゃないか!」  
「あ、あの、わたくしは……」  
「いや。いてもらって構わない」  
「気でも触れたのかいフォルケン。あんたらしくないね」  
「そうかな?」  
 所在無げに扉の前に佇むミラーナを、笑いを含んだ瞳で見やると、フォルケンはディランドゥを見た。  
「今回の作戦に、君は不要だ。今は体を治すことだけを考えていてほしい」  
「……あぁっ!?」  
 ディランドゥの荒れた声に、ミラーナはびくりと身体を震わせた。  
 久しぶりに見た気がした。  
 今にも人を殺してしまいそうな、あんなディランドゥは。  
「馬鹿にしてもらっちゃ困るね軍師殿……」  
 ディランドゥはフォルケンのマントをつかんだ。その手がぶるぶる震えている。  
「今の君に、ガイメレフを乗りこなすことは無理だ」  
「フレイドまであとどれくらいだ!?」  
「ディランドゥ」  
「あと何日でつくのかって聞いてるんだよフォルケン!!」  
 噛みつきそうな勢いで吠えるディランドゥに、フォルケンはやれやれと口を開く。  
「あと十日もあれば」  
「十分な時間じゃないか……それまでに治してみせるさ、こんなかすり傷はね!」  
「無理だ」  
「無理じゃない! ……僕にバァンの相手をさせないつもりだねフォルケン……そんなに弟が可愛いかい? ええっ!?」  
「え!?」  
 フォルケンが目を閉じると同時に絶句したのはミラーナだった。  
 ディランドゥはミラーナを見ることもしない。  
 爛々と燃える赤銅色の瞳を、フォルケンは淡々と見返した。  
「竜たちが先にフレイドに着いたとの報告を受けている。  
 すでにまやかし人も潜入済みだ。我々に戦う意思はないことをフレイドに知っていてもらわねばならない……」    
「それが狙いだろう? どうせ落とす国だ。竜も捕獲でき、フレイドも陥落できる。その作戦に僕が必要ないだって?   
 疲れてるんじゃないのかい軍師殿。僕は何日もベッドで休んでいるからよくわかるよ、あんたの頭がおかしいってことがね!」  
「いや。今の君に一番足りないのは冷静さだ」  
「おまえが僕の楽しみを奪う権利がどこにある!」  
 つかみかかるディランドゥに対し、フォルケンはどこまでも冷徹だった。  
 義手をディランドゥの首にかけたかと思うと、指の先端から針を出し、突き刺した。  
 
「う……っ!?」  
 目を見開き、ディランドゥの体がくず折れていく。  
「ディランドゥ!」  
 ミラーナは咄嗟に走り出ると、その熱くなった体を支え、ベッドにゆっくりと寝かしつけた。  
「やはりこうなったか。……成長しないな、ディランドゥ」  
 憐れみをこめたその声に、ミラーナはかっとして振り返った。  
「何故こんなことを!?」  
「彼が無茶をしないためです。姫君がいない間、彼は次の戦に備えていた」  
「だからって! ……こんなやり方は酷いわ!」  
「随分と、彼にお優しいのですね、姫君」  
「……え?」  
 激昂していたミラーナは、その物言いに目を丸くする。  
「彼は仇ではないのですか、アレン・シェザールの」  
「……っ!」  
 ミラーナはフォルケンをにらみあげた。  
 やはり知っていたのだ。  
 いや、その事実を今の今まで知らされていなかったのはミラーナひとりだったのだろう。  
 だからフォルケンは、ディランドゥの手術を買って出たミラーナに忠告したのだ。親切にも。  
 ……大きなお世話だ!  
「お目が赤い。そのことで泣いていたのでは? それを慰めたのは彼ですか。信じがたいことですが」  
 フォルケンは容赦がなかった。  
「愛していた男を殺したのは彼でしょう。私には理解できませんが、それもあなたの優しさですか、姫君」  
「――口を慎みなさい」  
 ミラーナは背筋を伸ばした。  
「――アレンのことを、黙っていて下さったのには感謝しますわ。もし手術をする前に知ったら、わたくしはきっとディランドゥを救わなかった。メスを握る手が震えたことでしょう」  
 前で重ねた手に力が入る。  
「わたくしは、騎士を愛しました」  
 脳裏に浮かぶのは、背中ばかりだった。  
 何度あの広い背を追いかけただろう。  
 いつだったか強引に唇を重ねた夜もあったが、彼はただ逃げなかっただけだ。受け入れてくれたわけではない。  
 それを知ってて、尚追いかけた。  
 振り向いてくれない背中。  
 ……でも。  
 
 ――忘れないで……  
 
「これからも、それは変わらないでしょう」  
 ミラーナは微笑んで見せた。  
 フォルケンは目を見開く。  
「……何故そのような顔ができるのです」  
 その問いに、ミラーナは不思議な笑みを浮かべるだけだった。  
 説明しても、きっとわかってもらえない。  
 最後の最後で振り向いてくれた。  
 この気持を表す言葉を、自分は知らない。  
「アレンという男は、幸せ者ですね」  
 フォルケンは穏やかに言った。  
「死してもそうして想ってくれる方がいるのだから」  
「……アレンへの思いはずっとあることでしょう。でも……」  
 ミラーナは笑みを深くする。  
「わたくしは、報われない恋をする運命にあるのかもしれません」  
 
「! それは」  
「それよりも」  
 フォルケンが追及するのを避けるように、ミラーナは口を出した。  
「先ほどのお話について、聞かせてください」  
「……どのお話でしょう」  
「おとぼけになるのがお上手ね」  
 ミラーナは苦笑した後、真顔になる。  
「あなた方は、ファーネリアを滅ぼし、更にフレイドにまで攻め入るおつもりなのですか」  
 フォルケンは何も言わない。ミラーナは眉根を寄せた。  
「……先ほどディランドゥが言ったことは、本当ですの? あなたが、バァンの……」  
「……すべて、事実です」  
 フォルケンは囁くように答えた。  
「なんてこと……」  
 ミラーナは充血した目を細めた。  
「それも全て……」  
「ザイバッハのため? 何故です? バァンのお兄様ということは、あなたはファーネリアを継ぐお方だったはずです! 何故ザイバッハに!?」  
「あなたが国を捨てる覚悟でここにいるように」  
 フォルケンは、義手の手を握り締めた。  
「私もここにいる。……我々の望む未来は、ザイバッハを含む全ての人々のためになることなのです」  
「ご自分の国を滅ぼしてまで、あなたは未来に全てを託すのですか」  
「それが必要とあらば」  
「フォルケン様」  
 ミラーナは首を振った。  
「そんな未来で、誰が幸せになれるというの」  
「幸せは、人の手で作れるもの。それを我々は探求し続けてきた。ようやく、つかみかけているのです、姫君」  
「男の方は、ロマンを語るのがお好きね」  
 ミラーナは笑えない冗談だと言うようにこめかみを押さえた。  
「ついてくる民がいなくて、何が未来だというの。そんな暗雲に包まれた未来なら、わたくしは今を見るわ。  
 傷ついた民を救い、すぐに来る明日を共に生きようと一緒に立ち上がるわ。  
 そのための王族ではないの?」  
「民を先導するのも仕事です」  
「……その民を滅ぼして、何が仕事なの!?」  
「だから私は、もう王族ではない」  
「っ!」  
 ミラーナは、手を振り上げた。  
 静かな湖畔のようなフォルケンの瞳は、揺らぐことはない。  
「……っ」  
 ミラーナは唇をかみしめながら、静かに手を下ろした。  
「…………フレイドを攻める理由を、教えてください」  
「あるものを手に入れるためです」  
「滅ぼしてまで、手に入れるものなの?」  
「いいえ。彼らが友好的であれば、それに越したことではない。私は戦を好みません」  
 ミラーナは今度こそフォルケンを打った。  
 乾いた音が室内に響く。  
 フォルケンは微動だにしなかった。  
 ミラーナは痛む手を握りしめ、まっすぐにフォルケンを見た。  
「わたくしに行かせてください」  
 
「…………」  
「わたくしなら、彼らと話し合えます。彼らはわたくしの顔を知っています。姉がフレイドへ嫁ぎましたから。……もう亡くなりましたが」  
「――感謝を」  
「えっ?」  
 頬を腫らしたフォルケンは、うっすらと微笑みながら、ミラーナに手を差し出した。  
 義手が突然マントから現れたので、ミラーナは反射的に下がり、ベッドの端へ膝の裏をぶつけた。  
 フォルケンはわずか目を細めたが、ミラーナはそれに気付かなかった。  
「あなたなら、そう言って下さると思っていました。姫君。勇敢なあなたなら」  
「あ、あなたまさか、最初から……!?」  
 絶句するミラーナに、フォルケンは静かに微笑みかける。  
「その優しいお心は、必ずやフレイドにも伝わるでしょう」  
「あなたという人は……!」  
 差し出された手を振り払ってやろうかと思った時だった。  
 
「僕の妻に触るんじゃないよ」  
 
「!?」  
「起きていたのか」  
 けだるげな声が後ろからして、ミラーナはぎょっとし、フォルケンは意外だと目を丸くした。  
「あんたの可愛い弟と違って、僕はこういう薬にはある程度免疫ができてるんだよ。  
 ……今回ばかりは、忌々しいあの魔術師共の実験体にされていて良かったと思うべきかな」  
 ディランドゥは息をつきながら前髪を後ろへ払った。  
「どこから聞いていた」  
「僕のお節介なお姫様が、フレイドと交渉するって辺りからかな」  
 ディランドゥはつまらなそうに言った。  
「お手並み拝見といこうじゃないか。どうせ僕は動けないんだしね」  
「ディランドゥ……!」  
「ほう。おまえがそんなことを言うとは思わなかった」  
 ふたりの言葉に、ディランドゥは舌打ちする。  
「またあんな失態はごめんだからね。今回はおとなしくしておくよ」  
「おまえにしては、賢明な判断だな」  
「うるさいよ。もう用は済んだんだろ。つまらない見舞いをありがとう軍師殿」  
「心おきなく休むがいい。ディランドゥ」  
 フォルケンはミラーナを見た。  
「では、よろしく頼みます、姫君」  
「できる限りのことは致しますわ」  
 フォルケンは軽くうなずくと、静かに出て行った。  
 
「随分と仲良くおしゃべりしていたみたいだね、ミラーナ」  
 扉が閉まると、ディランドゥはミラーナの腕をつかんだ。  
「……どうしたらそう見えたのか、教えてほしいものですわ」  
 まだ怒りが冷めないミラーナは、ディランドゥをにらみつけた。  
「おまえは僕のものだと言っただろう?」  
「それに了承した覚えはありません!」  
「ならわからせてやる。夫の機嫌を損ねた詫びをしろ」  
 ディランドゥが腕をつかんだ手を引いた。慌ててベッドの端を手でつかんで体勢を整えると、ちょうどディランドゥを見下ろす形になった。  
「いけないことをしたら、ごめんなさいって言うんだ」  
「……言いません」  
「さっきまで僕の胸で泣いてたくせに」  
「…………っ」  
 羞恥に頬が染まった。  
 まだアレンを失った悲しみは心の中にあるというのに、今は目の前の赤銅色の瞳が自分を捉えて離さない。  
「……ごめんなさい」  
 小さな声でそう言うと、ディランドゥは馬鹿にしたように笑った。  
「誰が許すか、この間抜け」  
「んぅ……っ!?」  
 ぐいと後頭部を押さえつけられ、荒々しく唇を奪われた。  
 歯と歯がぶつかり、ちりっと痛みが走る。どこか切ったようだ。顔を離そうともがいても、ディランドゥの手は力強く、このまま押しつぶされるのかと恐怖すら覚えた。  
「優しくすると、すぐこれだ……」  
 銀の糸で結ばれながら顔を離す合間に、ディランドゥが独り言をつぶやいているのがかろうじて聞き取れた。  
「やめ……っ」  
「こんな血の量じゃ足りないよ……っ、雨みたいに血が降る中を走るのが好きなんだ……!」  
「い……っ!」  
 がぶりと、首の根元を噛まれた。  
 わざと音を立てて吸いつかれ、肉を食いちぎられそうな激痛が走った。  
「その成りで出かけるといいさ。おまえがどんなにザイバッハと争うのはやめろと訴えたところで、フレイドはおまえを信用しない。  
おまえは哀れな捕虜で、僕たちに拷問されたと思われるだろう。おまえのせいで、戦争になるぞ。おまえのせいで、国が燃えちゃうんだ。いい気味だ!」  
「あなたは……!」  
 ミラーナは涙をこぼしながら、ディランドゥを打った。  
 二度目の乾いた音。  
 ディランドゥは目を見開き、わなわなとミラーナに向きなおった。  
「僕を……僕の顔を……!」  
「今度は顔くらいじゃ済まなくてよ!」  
 ミラーナは泣きながらディランドゥの両肩をつかんだ。  
「せっかくこうして生きているのに、何故あなたはそうやって死に急ぐの!? あなたには心配してくれる人があんなにいるのに、どうしてそれをわかろうとしないの!」  
「何を――」  
「見ていなさい。わたくしは戦争なんか絶対に起こさせない!」  
 ミラーナの気迫に、ディランドゥは息をするのも忘れた。  
 
 ――なんだ。何がどうなってる。どうしてこの僕が、女ごときにひるまなくちゃいけないんだ!  
 
「勝手にしろ!」  
「ええ、勝手にしますとも!」  
 ミラーナは放置してあったタライを抱えると、足早に去って行った。  
 扉が閉まると同時に、ディランドゥはありったけの力をこめて、枕を投げつける。  
「おまえの思い通りになんか、させるもんか……!」  
 ぎりぎりと奥歯をかみしめる。  
 何がいけなかった?   
 何故、あの女は怒るんだ?  
 そんな自問が脳裏をよぎるが、強引に打ち消した。  
「何もできるわけないじゃないか。あんな女に!」  
 
 それからフレイドへ着くまでの十日間、ミラーナは一度もディランドゥのいる部屋を訪れなかった。  
 最初は同室だったが、ミラーナがディランドゥの夜這いを警戒して別室にしてもらったのだ。  
 竜撃隊のうっとうしい見舞いもどうでもよくなった頃、ディランドゥは驚異的な回復力を見せ、ちょっとした運動ならできるようになっていた。  
「もういいのか、ディランドゥ」  
 後ろに竜撃隊を引き連れてやってきたディランドゥを見て、操縦室にいたフォルケンが声をかけた。  
 周囲をちらちら見ながら、ディランドゥは面倒そうに答える。  
「僕はいつでも出撃できるよ」  
「ディランドゥ。その必要はないと」  
「関係ないね。フレイドと同盟を結ぼうが、その前に僕らの力を見せつけておかなくちゃ……」  
 気もそぞろといったディランドゥの様子を見て、フォルケンは微笑んだ。  
「――姫君は、すでに準備をしているが」  
「ああそうかい」  
 ディランドゥはどうでもいいといった風に肩をすくませるが、ちらりとフォルケンを覗き見た。  
「……地下の、捕虜のいる部屋にいるが」  
「親善大使に随分な扱いだね。あの女にふさわしいよ」  
「いや、別の客人がそこにいるのでね。姫君は彼に会いに行ったんだろう」  
「彼ぇ?」  
 途端に不機嫌になる。フォルケンは穏やかに言った。  
「獣人だ。彼自らが、地下の方が落ち着くからということでね」  
「全く、僕の奥さんは何人の男をたぶらかしているんだか」  
「君の心配は、彼を見れば杞憂に終わると思うが」  
「何を言ってるのかわからないねフォルケン。僕にもわかる言葉で話しておくれよ」  
 ディランドゥはひらひらと手を振って歩き去った。  
 
 
 フォルケンの言葉は、獣人を見てすぐに理解した。  
「あん時の軍人さんじゃないですかぁ〜。良かったですねえ。もう歩けるようになってえ」  
 異臭に顔を背けるディランドゥの前で、もぐら男はにやにやと黄色い歯を見せて笑っていた。  
「なんだ、こいつは……!」  
「彼が手術道具を用意してくれたの。あなたの命の恩人よ」  
 口も利くものかと思っていたミラーナは、そんなディランドゥの様子を見て気分をよくした。  
「寒気がする……! ほんとに悪趣味だよミラーナ! 囲うなら、もっと美しいものにするんだね」  
「きれ〜なものなら、あたしゃいっぱい持ってますがねえ、ひひひ、ほら、お姫さん」  
 もぐら男はリュックサックを探ると、中から豪奢な首飾りを取り出した。  
「……まあ!」  
 ミラーナがその光に吸い寄せられていくのを、ディランドゥはつまらなそうに見た。  
「これからフレイドの王様と会うんでしょ? だったらちょっとおめかししていかなくちゃぁ」  
「これ、貸して下さるの!?」  
「とんでもない。差し上げますよぉ。この持ち主はあんただ。宝石は人を選びますからねえ」  
「ありがとう!」  
 ミラーナは早速その首飾りをしてみせた。  
「ほう! たまげた。やっぱりぴったりだぁ。ねえ、軍人さん!」  
 まるでミラーナに合わせて作られたかのような首飾りは、ミラーナの美しさを更に引き立てる。  
 暗い部屋の中でも目を細めたくなるほどのまばゆい輝きが、ディランドゥの目を撃った。  
「ふん。そんなものでいちいち喜ぶんじゃないよ」  
 ディランドゥはぷいと顔をそむけた。  
「ありゃりゃ。へそ曲げちゃったよ、この軍人さん。お姫さんがあんまり綺麗なんで、照れてるんですなあ、うひゃひゃひゃひゃ」  
 笑い転げるもぐら男に殺意の目を向けるディランドゥ。  
 ミラーナは咄嗟にディランドゥの腕を取った。  
「迎えに来て下さったんでしょう? 行きましょうっ」  
「ふん。ごまかそうったってそうはいかないよ」  
「行ってらっしゃぁあ〜い。気ぃつけてぇ〜」  
 間延びしたもぐら男の声を背に、ふたりは足早になった。  
「……でも、よかったわ。あなたがこうして元気になって」  
 ふたりで出口へ向かいながら、ミラーナはぽつんと言った。  
「言うのが遅いんだよ」  
 ディランドゥは、待機していた竜撃隊がこちらに向かってくるのを見ながら、そっけなく言った。  
「ふふ、ごめんなさい」  
「覚悟しておくんだね。今まで色々された分は、全部覚えてるからさ」  
「はいはい」  
 ミラーナは取り合わず、フレイド公国に降り立った。  
 
 
「――よう! 待ってたぜ!」  
 
 
 緊張した面持ちでフレイドへ足を踏み入れようとしていた一同を待っていたのは、場にそぐわない軽い声だった。  
「若旦那〜!」  
 小さな男が必死の形相で走ってくるのを無視し、声の主は呆気に取られているミラーナの前に立った。  
「久しぶりだなぁ! なんて綺麗になっちまったんだぁ、俺の許婚は!」  
 

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