「こんな所で命を落とすなんて、バカなやつらだ…」  
ザイバッハの所有する浮遊要塞ヴィワンから、一輪のバラが空を舞った。  
「何の手柄にもなりはしないんだぞ、おまえたち…」  
雲間へと吸い込まれていくバラを見ることもなく、ディランドゥは、しばし肩を震わせた。  
 
――ひとりにしないで…  
 
「っ!」  
突如脳裏に、泣きじゃくる女の子の姿が現れる。  
 
――ひとりに、しないでぇ…っ!  
 
「ぐ…っ」  
口を押さえ、身を屈める。  
「ひと…りに…っ」  
「大丈夫!?」  
倒れそうになるディランドゥを支えたのは。  
「お…ん、な…っ」  
ディランドゥが赤銅の瞳を向ける先、ドラグエナジストの結晶で作られたペンダントが揺れた。  
「大丈夫だよ、あたし、ここにいるから!」  
ステルスマントに覆われた、「視えないガイメレフ」の位置を見抜き、ディランドゥの頬に生涯消えぬ傷跡をつける原因を作った女。  
ドルンカーク様が注目していた、幻の月の女。  
薄れゆく意識の中、部下を全て殺され、精神の均衡を保てなくなったディランドゥの傍にいたのは、ここにいるはずのない少女だった。  
 
話はフレイド公国との戦前まで遡る。  
まやかし人ゾンギの報告を聞き、ゾンギが部下を殺したことへの報復を済ませた後に現れた白き竜、エスカフローネ。  
それに乗っていたのは、堕ちたファーネリアの若き王バァン・ファーネルと、あの女だった。  
ディランドゥは嬉々としてその女、神崎ひとみを狙ったが、忌々しいバァンが邪魔をして、  
なかなか女に届かない。ディランドゥはアルセイデスの腕を伸ばし、クリーマの爪から流体金属を噴射。  
四方八方に流れるしなやかな銀色の爪を、エスカフローネに向けて放った。  
「おまえさえ、いなければぁっ!」  
ディランドゥの雄たけびと同時に、エスカフローネは器用に流体金属の襲撃を抜けていく。  
 
――ぬ、許さぬぞ、ディランドゥ…  
 
ふと、ディランドゥの耳元で声がした。  
「なにっ」  
エスカフローネから目を離すことなく、アルセイデスの中からディランドゥは気配を探る。  
 
――我が主、フォルケン様に命を捧げるつもりだった私を、このような形で…!  
 
「ゾ…ゾンギ!?」  
クリーマの爪から流出している流体金属は、先ほどゾンギをミンチにしたもの。まさかその思念が、このような形で残っていたとは!  
「だから僕は、まやかし人は嫌いなんだよ! 亡霊はおとなしくしていろ!」  
ディランドゥは恐怖を覚えながらも、戦闘への高揚感でそれを無理やり封じ込めた。エスカフローネは相変わらず逃げ回っている。  
ここから逃げるつもりだ。させるものか!  
 
――おまえも許せぬが、私の正体を見破ったあの女も許せぬ…!  
 
ゾンギの声が、怒りに震えていた。  
 
――フォルケン様のため、最後に…!  
 
「ゾンギ!」  
クリーマの爪から噴出している流体金属のうちの一本が、どす黒く色を変え、ディランドゥの意思とは無関係な方向へ動く。  
「馬鹿な…! どういうことだ!?」  
 
――フォルケン様ぁあああっ!!!  
 
ゾンギの最後の言葉と共に、エスカフローネから悲鳴が上がった。  
「きゃあああああーっ!」  
「ひとみ―――っ!」  
黒い爪が、エスカフローネに乗る女を絡め、こちらへと戻ってきたのだ!  
急いでエスカフローネを動かし、こちらに迫ってくるバァンの顔は、月明かりの下でもはっきりと青ざめていた。  
「くははははははっ!」  
黒い爪が近づいてくる。悲鳴をあげながら、幻の月の女が運ばれてくる。  
ディランドゥは残りの爪もクリーマの中に回収し、飛行体勢へアルセイデスの形態を変えた。  
「待て、ディランドゥ! ひとみを返せっ!」  
バァンの声が、ひどく愉快にさせる。  
「こんなところにのこのこ来るから悪いんだよ!」  
ディランドゥはステルスマントでアルセイデスを覆い、バァンの前から姿を消す。  
「くくく…! 全くまやかし人ってやつは、便利じゃないか、フォルケン!」  
黒い爪が色を失いつつある。ひとみは必死にそれにしがみつきながら、黒い爪を見て顔色を失った。  
「この人…この人、まだここにいる! 消えちゃうっ!」  
「これでアデルファス将軍も、僕に生意気な書面を送りつけてくることもないだろうさ…  
 はしゃぎすぎるなだって…? はははははっ! 僕を誰だと思ってるんだ! あはははははっ!」  
ディランドゥは笑いながら、ヴィワンに向かって夜空を飛んだ。  
 
「ディランドゥ…ゾンギはどうした?」  
ヴィワンに戻ると、フォルケンが待っていた。ディランドゥはひとみを開放し、その腕をつかみながらその前まで歩く。  
「この女を手土産に、死んじゃったよ」  
「放してっ! 痛い!」  
ディランドゥはそう言いながら、乱暴にひとみをフォルケンに見せる。  
「! その娘は…!」  
「そうさ、すごいだろ? ゾンギに感謝するといいさ。視えないガイメルフを見抜く力を持った、幻の月の女だ!」  
ディランドゥは歯を剥いて笑い、ぎりりとひとみの腕をつかむ手に力を入れる。  
ひとみが痛がって目に涙を滲ませているのを見て、フォルケンは止めた。  
「よさないか、ディランドゥ。その娘は運命を変える力を持っている」  
「運命? …そうか、運命…」  
ディランドゥは目を細めると、突き飛ばすようにひとみを放す。ひとみは声をあげて床に倒れた。  
「未来あるザイバッハのために、せいぜい働いてもらおうじゃないか? それに、この娘がここにいた方が、戦もこちらに有利になるしね…」  
「…フレイドへ攻め入るのは三日後だ。それまで休んでおけ…」  
「わかったよフォルケン。…ああそれと、もう僕の前にまやかし人は金輪際見せないで欲しいね。嫌いなんだよ、ああいう気味悪い人種はさ」  
ディランドゥはそう言って、ツカツカと歩き去った。ひとみが立ち上がると、フォルケンは眉をひそめながら謝罪する。  
「すまないな、ああいう男なのだ、ディランドゥは」  
「あの…」  
ひとみは一度だけ見たバァンの兄であるというフォルケンと、こんな形で再会することになって、戸惑っていた。  
バァンが憎んでいるという兄。  
国を滅ぼしたという兄。  
バァンを見つめる、寂しげな瞳。  
「バァンの、お兄さん…?」  
改めて、聞いてみる。フォルケンは悲しそうに微笑んだ。  
「そうだ。私はファーネリアを捨てた身だが、バァンの兄であると言う事実は捨てていない」  
「…」  
バァンは捨てている。フォルケンの弟であるという事実を、捨てている。  
ひとみも一緒に悲しくなったが、最期までフォルケンに忠義を誓っていたまやかし人のことを報告した。  
「あの人…ディランドゥが…」  
「ゾンギか」  
フォルケンの瞳が細められる。ひとみは、ゾンギと出会ってみてしまった、彼の凄惨な過去を思い出し、うつむいた。  
「あの人、フォルケンさんに助けられて、すごく救われていました。最期まで、フォルケンさんのことを、思っていました」  
「…そうか、君はその力で、彼と私のことを、知っているんだね」  
「はい…」  
フォルケンは、義手を差し出した。骨のような形をした、不気味な手だった。  
「バァンの元へ、帰りたいだろうが…それは叶えてやれそうにない。私はドルンカーク様に仕える身。  
今までも、逃げ出したくなるような命令を受け、全て従ってきた…君だけ例外というわけには、いかないのだ」  
「フォルケンさん」  
ひとみは、その義手を両手で握り締めた。血の通っていない冷たい手だったが、フォルケンの瞳から暖かい気持ちが流れ込んでくる。同時に、深い悲しみも。  
「いつかバァンたちが、あたしを助けてくれるはずです。その時、フォルケンさんも、バァンの所へ、帰りませんか」  
「それは…」  
フォルケンは息を呑んだような顔でひとみを見下ろす。ひとみの真剣な眼差しをしばらく見つめ、ふっと笑った。  
「それは、できないな…私は、バァンをこちら側に引き込みたいのだ。あれもわかってくれる。ガイア界には、ドルンカーク様のお力が必要なのだと」  
「そのために、たくさんの人たちが犠牲になっても? バァンは、国が滅んだことを、すごく悲しんでる」  
「人間とはね」  
フォルケンは、義手の関節を曲げ、ひとみの両手を包み込む。おとぎ話を聞かせるように、ゆっくりと言った。  
「人間とは、失わねば、幸福に気づけない、愚かな生き物なのだ」  
「それって…」  
「君にも、残してきた家族がいるだろう。ここへ来て、その大切さに気づきはしないか?」  
「!」  
ひとみは、暖かなフォルケンの瞳に吸い込まれたようになって、両親や弟のことを思い出した。  
口うるさい母に、ちょっぴり頑固な父、生意気な弟。…天野先輩。ゆかり。  
弟と喧嘩しても、怒られるのはいつもひとみで、それが納得いかないと、弟を嫌いになったこともある。  
憧れの天野先輩を見ているだけで、幸せだった。ゆかりとおしゃべりするのが楽しかった。  
あの毎日が、突然失われた。  
みんな、今頃どうしてるだろう?  
 
「人は犠牲の上に成り立っている。何故なら犠牲がなければ気づけないからだ。これは必要な犠牲なのだ」  
目に涙を浮かべ始めたひとみを見つめながら、フォルケンは己に言い聞かせるように説く。  
「でも、やっぱり間違ってると思います」  
ひとみは涙を指で拭いながら、懸命にフォルケンを見上げた。  
「だって、フォルケンさんは、自分の国を滅ぼして、幸せになれるんですか?」  
「…」  
「幸せって、人それぞれだけど、誰かと分かち合うことだってあるでしょう?  
 バァンと幸せになりたいはずなのに、国を滅ぼしたらできないじゃないですか!」  
「私は、幸せになれずともよいのだ」  
「え…」  
フォルケンは微笑みながら言う。それが当たり前のように。  
「元より…国を捨てた時より、私は幸福とは無縁となった。だがバァンには生きていて欲しい。幸福となって欲しい。  
バァンと幸せを分かち合うのは、私ではない。他の誰かだ」  
「フォルケンさん…」  
「さて、私はドルンカーク様に君のことを報告せねばならない。君の部屋を用意するから、しばらく待っていなさい」  
フォルケンはそう言うと、ひとみに背を向ける。ひとみはフォルケンの名を呼ぶが、フォルケンは振り返らなかった。  
途方に暮れていると、ディランドゥの部下だというひとりがやってきて、ひとみを案内する。  
薄暗い部屋に閉じ込められるのかと思っていると、そこにはディランドゥが待っていた。  
「一杯やるかい? 幻の月の女」  
「…ひとみよ、神崎ひとみ!」  
明かりもない部屋の中、ここはディランドゥの部屋だろうか?ぽつんとテーブルと椅子がある。  
ディランドゥは真っ赤なワインを、瓶ごと振って見せた。  
「ひとみ? …変わった名だ。幻の月のことを聞かせておくれよ。  
呪われた星の民は、みんなおまえのように、不思議な力を持っているのかい?」  
くつくつと笑いながら、グラスに瓶を傾ける。とくとくと真っ赤なワインが注がれていくのを、ディランドゥは面白そうに見つめていた。  
「これはっ! …なんていうか、あたしは元々、占いが得意ってだけで、特に不思議な力なんか持ってなかったの。  
でも、ここに来てから、視えないものが、視えるようになったっていうか」  
上目遣いになりながら、もじもじと言っていると、ディランドゥは一気にグラスをあおり、ふうんとつぶやいた。  
「ステルスマントで姿を消した我々竜撃隊は、とんだ赤っ恥だったよ。おまえの力のせいで…僕の傷も、ご覧の通りさ」  
ディランドゥはそう言って、頬につけられた刀傷を指でなぞる。  
「あんたがっ! バァンを殺そうとするからでしょ!」  
「とんでもない話だね。やつはフォルケンが可愛がってる弟君だ。腕の一本でも、斬り落としてやろうと思っただけさ…」  
「あんたねえ!」  
バンとテーブルを両手で叩く。瓶が一瞬宙に浮いた。  
「これだから、女は嫌いさ」  
ディランドゥはグラスを床にするりと落とす。あっけなく粉々になるそれには見向きもせず、近づいたひとみの顎を、ぐいっとつかんだ。  
「いた…っ」  
「口の利き方には気をつけろよ? 何しろ僕は手が早いって言われてるんだ。捕虜もすぐ殺しちゃうからってさ…」  
至近距離で、ディランドゥの狂気の瞳が爛々と輝いていた。その赤銅色の瞳には、近々起こるフレイドの戦のことしか映っていない。  
ひとみはディランドゥの腕をつかみ、はっとした。心の中で、ペンダントが大きく揺れる。  
 
――ひとりにしないで…!  
 
(何…?)  
流れてくるビジョン。夕暮れ。たくさんの大人。髪。女の子。泣き声…  
ひとみは驚いたように、痛みも忘れてディランドゥを見つめた。  
てっきり怯えて泣き出すものと思ってそれを見ていたディランドゥも、さすがに真顔になり、ひとみから手を放す。  
「…不気味な女だ。近づいただけで、何もかも見透かされているみたいだ!」  
そう吐き捨てる。  
ひとみは顎に手を当てて痛みを抑えながら、ディランドゥから目が離せない。  
今のビジョンは? あの女の子は?  
 
「ディランドゥ様、捕虜を部屋に連れて行くよう、フォルケン殿から指示が」  
そう言って、先ほどの部下が入ってくる。ディランドゥは嫌そうな顔で、ひとみを睨んだ。  
「さっさと連れて行け。こんな女と一緒にいるのは不愉快だ!」  
「はっ」  
部下は一礼すると、ひとみの腕を引く。それにつられながら、ひとみは尚もディランドゥを見つめていた。  
 
「ディランドゥ様に何をした?」  
部下と廊下を歩きながら、そう聞かれる。ひとみはおずおずとその男を見上げ、首を振った。  
「何も。…ねえ、あの人、お姉さんか、妹さんでもいるの?」  
「なんだと?」  
途端に男の顔が険しくなった。立ち止まり、ひとみに剣を突きつける。  
「きゃっ!? ちょっと、何よ?」  
驚いて後退するひとみの鼻先に、男は切っ先をぐいと向けた。  
「ディランドゥ様に、姉妹などいらっしゃらない! 何故、そんなことを訊く!」  
「あ、じゃあいいの。…あの人に触れたとき、女の子が…視えたから」  
こくんと息を呑み、ひとみはあわてて言った。男はしばらく剣を収めずひとみを睨みつけていたが、やがてそれを下に向ける。  
「殺されたくなければ、妙な詮索はしないことだな」  
「はあ…」  
「我々には、親も兄弟もいない。最初から、存在などしないのだ…!」  
そう言い捨てると、剣を鞘に収める。  
「存在しない? そんなわけないでしょう?」  
好奇心が抑えられずに、思わずひとみは聞いてしまう。男はじろりとひとみを睨んだが、口を開いた。  
「我ら竜撃隊は、そういった孤児の集まりだ。記憶は消されている。ディランドゥ様も、恐らく」  
そこまで言って、男は口を押さえた。ひとみの腕をつかみ、早足で廊下を進む。  
「痛いっ! 逃げ出さないから、放してよっ!」  
「しゃべりすぎた…! なんという失態! 貴様のせいだ!」  
やがてひとつの部屋の前まで着くと、男は乱暴にひとみを中へ突き飛ばした。  
ばたんと倒れるひとみを確認すると、扉を閉めようとする。  
ひとみはその瞬間、心の中のペンダントが揺れるのを感じた。  
「ねえ!」  
「…なんだ!」  
顔をゆがめながら男は忌々しいものを見るようにひとみを見下ろす。  
ひとみは一瞬迷ったが、言った。  
 
「水に気をつけて」  
「…なに?」  
「床に水が溜まってる」  
「本当に不気味な女だ!」  
「あっ!」  
 
男は扉を閉め、しっかりと鍵をかける。ひとみが何か言いたそうに自分を見ていたが、無視した。  
元来た道を戻り、仲間のいる部屋へ向かうと、途中、清掃員が床を磨いているのを見かけた。  
「ガァティ様、申し訳ございませんが、今床を清掃中でございますゆえ、お足元には――」  
男を見た清掃員が、遠慮がちに声をかける。  
「ああ、そうか―――うわぁっ!?」  
「ああっ!」  
すまして答えたガァティの足が、もろに滑った。わずかに床に溜まっていた水にかかとをつけ、足がありえないほど前に伸びる。  
けたたましい音と共に、ガァティは尻餅をつき、清掃員が青ざめて駆け寄った。  
「ガァティ様!」  
「うう…、今日は厄日か……ハッ」  
 
――水に気をつけて。床に水が溜まってる。  
 
先ほど言われた言葉を思い出し、ガァティはぞっとした。  
「あの女…!」  
「が、ガァティ様?」  
ガァティは清掃員の言葉に耳を向けず、ざっと立ち上がると、尻の痛みを感じながら、慎重に歩き出した。  
視えないものを見る女。  
とんでもないやつを捕虜にした!  
「さすがはディランドゥ様! ザイバッハに栄光あれだ!」  
 
翌日、竜撃隊のひとり、シェスタがひとみのいる部屋の前を通りかかると、  
扉の前で、竜撃隊の面々が押し合いへしあいしながら、中の様子を見ているのを目撃した。  
「…何やってるんだ、おまえら」  
顔をしかめて声をかければ、ガァティが満面の笑みを浮かべて振り返る。  
「占いだよ、占い!」  
「はぁ?」  
「昨日ディランドゥ様が連れて来た捕虜の占いが、すっげぇ当たるんだ!」  
「おまえら…」  
シェスタはこめかみに指をあて、大きく息を吸い込む。  
「フレイドへ攻め込む前に、そんなことで――」  
「すげええええっ!」  
中から歓声がした。ガァティを含めた他の隊員も一斉に注目する。  
「なあ、なんでだ? なんでわかるんだよ!?」  
「たまに視えちゃうだけ。あたしにもわかんないよ」  
中で困ったようなひとみの声がする。  
隊員を押しのけシェスタが中に踏み込めば、そこには興奮しきっているギメルと、肩をすぼめているひとみがいた。  
「ギメル、おまえは…」  
シェスタが苦虫を噛み潰したような顔でギメルに歩み寄る。ギメルはシェスタを見ながらひとみを指差した。  
「すげぇんだって、この女! おまえも占ってもらえよ!」  
「あ、あの…タロットカードがないと、正確には占えないし…」  
「ギメル…捕虜だぞ、この女は! 遊んでいる暇が我々にあると思っているのか!?」  
シェスタが怒鳴りつけても、ギメルはひるまない。  
「ステルスマントでやつらを襲撃したときも、この女の力で見抜かれてたんだよ! はっきり視えたってさ! なぁ!?」  
「は、はぁ…」  
ギメルに見つめられ、ひとみは居心地が悪そうに肩を揺する。  
シェスタは無言でギメルの頭をぽかんと殴ると、たたき出すようにして部屋から追い出した。  
「ガァティ…おまえか? 皆に女の話をしたのは!」  
「だってよぉ…」  
ガァティはバツの悪そうな顔でそっぽを向く。  
「全く…!」  
シェスタはため息をつくと、所在なげにそわそわしているひとみの前に立った。  
ひとみのいる部屋は格子もはめられていない客室で、捕虜にしては異例の扱いとも言えた。  
フォルケンいわく「大事な客人」ということらしい。  
質素なテーブルと椅子が二脚。ギメルを追い出し、  
シェスタは咳払いをしながらひとみの前に座り、両指を組んでテーブルの上に乗せた。  
「視えないものを見る。おまえはギメルに、今なんと言ったんだ?」  
「結局おまえも知りたいんじゃないか!」  
「うるさい! おまえらのような好奇心で聞いてるんじゃない!」  
野次を飛ばすギメルに吼え、シェスタは改めてひとみを見る。  
ひとみはこわごわと口を開いた。  
「えと…言っていいのかな。正式な占いじゃないし、守秘義務というものがあって」  
「いいから答えろ」  
きっぱりと言われ、ひとみはちらりとギメルを見た後、苦笑して言った。  
「あの、ギメルさんがこっそり隠していた夕食の残りは、別の人が見つけて食べちゃったって」  
「すごいだろ!? な!?」  
ギメルは状況を理解しないままそう叫んでいる。シェスタは脂汗を滲ませて、そうかとうなずいた。  
「で、でな!? 今そいつが誰なのか聞いてるところだったんだよ!」  
「あー、ごほん。それは、別にいいだろう。もう食べられたんだし」  
「何言ってんだよ! 俺の大好きなチコリの実が入ったパンだぜ!? 絶対見つけ出して一発ぶん殴らねえと俺の気が」  
「そんな些細なことはどうでもいいだろう!」  
「些細じゃない! 断じて些細じゃないぞ! 俺が苦労して隠しておいたのに――」  
ギメルが半べそになって反論してくるので、シェスタはうっかりこう言った。  
「何が苦労しただ! おまえのブーツから匂いが漂ってたぞ!  
あんな臭い所に食べ物をよくも隠せたもんだ………―――あっ」  
「ほーう」  
ギメルが半眼になって、ひとみを見る。人差し指でシェスタを指し、こいつ? と目が言っていた。  
ひとみが無言で首を縦に何度も振ると、途端にギメルとシェスタの立場が逆転する。  
「待て、今はそんな話をしているのでは――」  
「あーん? 俺は今までその話をしていたんだがなあ…」  
がたっと椅子から立ち上がり、シェスタは両手を前に突き出し、ギメルをなだめようとした。  
 
「だ、大体な! おまえもグースカ寝てたし、脱ぎ捨てたブーツからうまそうな匂いがしてりゃ、  
夜勤明けで空腹の俺には充分な誘惑わけで――」  
「そこになおれ、盗人が!」  
すらりと腰から剣を抜き、ギメルは据わった目でシェスタに剣を向けた。  
「わわっ!? ちょっと、ふたりともこんな所で――」  
「随分仲良くやってるようじゃないか?」  
ひとみが慌てて立ち上がるのと、竜撃隊隊長が入ってくるのが同時だった。  
「ディ、ディランドゥ様!」  
さすがのギメルとシェスタも青ざめ、剣を収めると、びしりと直立不動になる。  
ディランドゥはつまらなそうな顔をしてふたりの前に立つと、  
「捕虜の前ではしたない…僕はそんな風におまえたちを躾けたつもりはないよ…?」  
「申し訳ございませんっ!」  
ふたりは顔面蒼白のままで答える。ディランドゥはにっこりと微笑むと、ふたりの頬を拳で打った。  
ふたりは半歩ほど足をずらすが、すぐに踵をくっつける。  
「僕の部下たちを手なずけたようだね、女」  
ディランドゥは腫れた頬もそのままに、まっすぐに立つふたりに背を向け、  
入り口の廊下にずらりと並ぶ竜撃隊の面々をちらりと見てから、顔をゆがめてひとみを見た。  
ひとみは一瞬言葉に詰まるが、  
「手なずけてなんかいないわよっ! 何の用?」  
と虚勢を張る。隊員たちが「バカ、そんな口を利くな!」と無言でオーラを発しているが、ひとみには届かなかった。  
「フォルケンに引き渡す前に、僕も視てもらおうと思ってね…おまえも昨日までいた、フレイドとの戦のことさ…  
アトランティスのパワースポットがあるというあの国を、ザイバッハはなんとしてでも手に入れなくてはならない…負けられないんだよ」  
「…そんなこと! 大体、視たいと思って視えるものじゃないし! 視えたって、あんたなんかには教えない!」  
「ははっ、僕はフレイドがザイバッハにどんな戦いを挑んでくるのかなんてものには興味はない…  
ただ知りたいのは、僕たちは勝つのか? ってことさ。分かりきってることだけどね。おまえの口からそれが出れば、僕の隊も士気が上がる…」  
「だから…!」  
ひとみが声を荒げようとしたとき、ペンダントが揺れた。  
 
――何…!?  
 
ひとみは戦場に立っていた。赤い空がいっぱいにひろがって、色はそれだけ。他はモノクロの世界。  
人が死んでる。たくさん死んでる。フレイドの戦士も、ザイバッハの戦士も…あれは?  
 
――フレイド公王!?  
 
こちらを見つめながら、矢を身体に受け、ゆっくりと沈んでいく王の姿。  
雨が降る。両手に受ける。それは――  
 
「血の雨…」  
 
いやだ。いやだいやだ。視たくない。そんなもの、見たくなんかない!!  
 
「どうした?」  
「あっ!」  
 
ディランドゥの声に、ひとみは我に返った。目を見開き、汗が流れる。  
「何を視た?」  
「いや…」  
ひとみは首を振る。ディランドゥはいらついて、だんとテーブルを叩いた。  
「質問に答えろ!」  
「お願い、戦争なんかしないで! 王様が死んじゃうっ!」  
金切り声で叫ばれたその言葉を聞いて、ひとみに同情するものはこの場に誰ひとりとしていなかった。  
「いい答えだね。――聞いたかいおまえたち? 幻の月の女のお墨付きだ…フレイドはザイバッハの手中に堕ちる!」  
「はっ!」  
ディランドゥは立ち上がり、竜撃隊にそう宣言する。隊員たちは敬礼で喜びを表した。  
 
「さて、これからもそうやって、僕たちの役に立ってもらうからね。助けなんか、期待するんじゃないよ」  
ディランドゥは高らかに笑い、茫然としているひとみの腕をつかんだ。抵抗できないひとみを、物のように引きずってフォルケンの元へ歩き出す。  
フォルケンは運命についてひとみに語った。ひとみが我慢できずに戦争のことを言っても無駄だった。  
やがてフレイドとザイバッハの戦が始まり、ひとみが視たように、ザイバッハは勝利した。  
フレイド公王は矢に射抜かれて死に、幼き王シドが王位を継承した。  
フォルケンがザイバッハとの友好の証として提示したものをシドは受け入れ、シドはその際ひとみを返すこともほのめかしたが、  
フォルケンはシラを切り、それがますますバァンとの溝を深める結果となった。  
 
そして――  
 
「だめだってば! ディランドゥ! 皆もっ!」  
ディランドゥの運命を決めるあの日。ひとみの運命が変わった日。  
鬼神となったバァンに殺されるとも知らないで、竜撃隊は今、エスカフローネを狩りに行く。  
「今のバァンは、おかしくなってる! 戦いを楽しんでる! あんなのバァンじゃない! 皆、殺されちゃうよ!」  
ひとみは、ガイメレフに乗り込む彼らの後ろで、懸命に叫んでいた。  
「うるさいよ、女」  
真っ赤に染まったアルセイデスの前に立ち、追ってきたひとみに向かって、ディランドゥは嫌そうに言った。  
「ねえ、今まで、あたしの占いが外れたことはないって皆言ってたじゃない! あたし視えたの!  
皆が、バァンに殺されちゃう所を! お願いだから聞いてよ!」  
「僕はね、自分に都合のいい占いは信じるけど、そうじゃないものに関しては、信じないことにしてるんだよ」  
「そんな!」  
ディランドゥは必死なひとみを、一瞬不思議そうに見下ろした。  
「大体捕虜の分際で、僕たちの心配をするなんておかしいじゃないか?  
おまえが何か企んでいると考えたほうが、僕には納得がいくんだけどね」  
「それは…っ」  
ひとみは唇を噛み締める。  
ゾンギの時もそうだった。  
ひとみは幻の月――地球からこの世界に来ている身だから、ガイア界のことはよくわからない。  
ただザイバッハが悪い国だという認識だけはあった。だが。  
シェスタと、ガァティと、ギメルと話した。ディランドゥの過去のようなものも視た。  
ゾンギの過去は、悲しかった。  
人に疎まれていながら、その力だけは買われて、戦争の道具にされ、兄の見分けもつけられず、その手で殺したゾンギ。  
彼を救ったのはフォルケンだった。  
人にはそれぞれ過去がある。  
生きてきた人生がある。それを、戦争なんかで失って欲しくない。  
国は悪いかもしれない。けれど、ザイバッハの人たちにだって、家族はある。  
ガァティはないと言ったけど、少なくとも仲間の絆はある。  
ディランドゥにだって、あるはずだ。だから!  
ディランドゥには、そんなひとみの心を読み取ることは出来ない。戦いに魅入られた男と仲間内からも言われている男だ。  
目の前に戦がぶら下がっているのに、飛びつかないわけがない。  
「用心すればいいんだろ? やつは僕たちが視えない。おまえはこちらの手中にあるんだからさ」  
ディランドゥは笑うと、アルセイデスに乗り込んで、竜撃隊とヴィワンから飛び立った。  
「――なあ!」  
「えっ?」  
最後に降り立つガイメレフの中には、ギメルが乗っていた。ギメルはこっそりとひとみに言った。  
 
 
「帰って来たら、また視てくれよな!」  
 
命からがら戻ってきたディランドゥを、ひとみは泣きながら待っていた。  
まぶたを閉じ、耳を塞ぎ、うずくまっても、ひとみには全てが視えていた。  
エスカフローネが、アルセイデス以外のガイメレフを叩き潰していく様を、ひとつ残らず視ていた。  
ふらりとアルセイデスから降り立ったディランドゥは、ひとみが見えていないのか、すっと横を通り過ぎ、また戻ってきた。  
その手に一輪のバラを持って。  
 
「バカだよ…」  
 
気を失えればまだましだったかもしれない。  
だがディランドゥをそうさせない存在が、目の前の少女だった。  
「あたし、ここにいるよ」  
「…嘘だ…」  
「ほんとだよ、あたし、ここにいる」  
「…う…っ」  
息が詰まり、ディランドゥは藁にすがるようにひとみを抱きしめた。  
加減を知らないその抱擁を、ひとみは何も言わずに受け入れた。  
「僕をひとりにするな…」  
「うん」  
「僕を…っ!」  
「…うん」  
ペンダントが揺れなくても、ひとみにはディランドゥの心がわかる。  
…でも。  
 
――フレイド王の仇…!  
 
――バルガスの仇…!  
 
――ファーネリアの仇いいいいっ!  
 
バァンの声が蘇る。  
戦いの輪廻はこうやって作られていく。誰かが止めないと、戦争はなくならない。  
運命を機械で変えなくては、人は救われないのだろうか?  
 
(意味ないよ。そんなの、間違ってるよ)  
 
ディランドゥを支えながら、ひとみは思う。  
…できるだろうか。この人に。  
戦いを楽しむことしかできないこの人に、ひとみの言葉は届くだろうか。  
 
(バァンには、皆がついてる。アレンさんも、ミラーナさんも、メルルもついてる)  
 
だけど、この人には?  
ひとみがいなくなったら、この人には誰が残る?  
 
――帰って来たら、また――  
 
ギメル。  
ひとみはぎゅっと目をつぶった。  
 
(さよなら、皆)  
 
あたしは自分の運命を、ここで決める。  
 
「竜撃隊は、ディランドゥを残して壊滅か…」  
呆けているディランドゥと、それに肩を貸しながら歩いてきたひとみを見て、フォルケンは痛ましそうに言った。  
「フォルケンさん。運命がどうのって言ってるドルンカークさんには、会えないんですか」  
ひとみはまっすぐにフォルケンを見据えて言った。フォルケンは黙って首を振る。  
「ムダだ。ドルンカーク様に、君の言葉は届かない」  
「だけど! もうこんな悲しいこと、止める様に頼めば!」  
「この悲しみを乗り越えた先にこそ、真の平和が来る。…我らはそう信じている」  
「フォルケンさん」  
ひとみは、声を震わせた。  
「悲しみを乗り越えられなかったら、人はどうなるんですか」  
「それは」  
「ディランドゥはどうなるんですか! 家族を全て失った人が、幸せになれるんですか!?」  
「ひとみ」  
フォルケンは、刃のように飛んでくるひとみの言葉に、顔を背けた。  
「彼には、君がいる」  
「そういうことじゃありません! フォルケンさん、バァンは、戦のせいでおかしくなっちゃった。  
仇だって言って、皆を殺しちゃったんです!  
バァンは、それでいいと思ってる。本当は戦いなんかしたくないのに、エスカフローネのせいで狂わされてる!  
そんなバァンが、幸せになれるんですか!?」  
「バァンは、王だ。強くなくては…」  
「フォルケンさん!」  
「……」  
ひとみは耐え切れなくて叫ぶ。フォルケンは黙り、ディランドゥを見た。  
「例え、私の選んだ道が間違っていようとも」  
骨の形をした義手を取り出し、握り締める。  
「私はもう、戻れないのだ」  
そう言って、フォルケンは歩き去る。ひとみはその後姿を見つめ、肩を貸しているディランドゥを見上げた。  
「ディランドゥ。あなたは、このままでいいの? バァンのこと、憎い?」  
「……」  
「そうだよね、憎いよね…  
 あのね、バァンも、ファーネリアを滅ぼされて、たくさん親しかった人を失って…ザイバッハを憎んだんだよ。お兄さんのことまで…  
 ディランドゥ、戦争って、こういうことなんだよ。誰かを失えば、誰かが悲しむんだよ。  
 あたしはもう、皆が悲しんでる所を見たくないの。ディランドゥがそうやって消えそうになっちゃうのを見るのが辛いの。  
 ディランドゥ、あたし、ずっとそばに居る。ふたりで一緒に生きていこう?  
 そのために、ドルンカークさんを説得して、戦争をやめさせようよ」  
たどたどしい言葉で、うまく言えなかったかもしれない。  
喉にこみあげてくるものを何度も飲み込んで、ひとみは懸命にそう言った。  
ディランドゥは虚ろな目をひとみに向けた。その赤銅色の瞳が、ゆらゆらと煌いた。  
「戦争が…また起こったら…おまえも、僕の前からいなくなるのか…?」  
「わからない…でも、そうならない保証はないよ」  
ディランドゥはしばらくひとみを見つめた。本当にこの場所にひとみがいるのを確認するように。  
やがてまぶたを閉じ、口を緩ませる。  
「おまえとふたりで生きていくとして…僕はアルセイデスに乗って敵を殺すことしかできないけど?」  
 
ひとみは、ぱっと顔を輝かせた。  
「殺すんじゃなくて、剣術を教えたら? ディランドゥ、隊長やるくらい強いんだし!」  
「僕が?」  
「そうだよ! 皆から親しまれるの、嫌いじゃないでしょう!?」  
「…そうだね」  
ディランドゥは、静かに笑った。  
「僕ほど人を使うことがうまい人間はいないさ」  
「…うん!」  
涙を滲ませて微笑むひとみをまぶしそうに見つめると、ディランドゥはその閉じたまぶたに唇を落とした。  
「えっ?」  
驚いて身を堅くするひとみを見下ろし、ディランドゥは笑う。  
「何を緊張するんだい? …これからもずっと一緒にいるんだ。深い関係になるのは当たり前じゃないか」  
「え、えと、ちょっと待ってよ!?」  
「あははははっ」  
ディランドゥはおかしそうに笑うと、ひとみから肩を貸してもらうのをやめ、自分の足で立った。  
「さて、それじゃあ行こうか? 考えてみれば、僕もドルンカーク様には、色々言いたいことがあるんだよね」  
「ディランドゥ…!」  
「まあ、その前に」  
ディランドゥはちらりとひとみを見た。  
「色々、やることはあるけどさ」  
「?」  
ひとみはきょとんと、首を傾げた。  
 
 
その夜、ひとみが客室に戻ろうとすると、ディランドゥが引き止めた。  
「ひとりにしないと言ったのに、早速これかい?」  
「う…」  
正直に言えば、そういう予感はあった。  
(い、いいのかな…)  
戸惑いがないわけではない。  
そもそも、お互いがお互いに抱いている感情が恋という甘い響きに彩られたものだという明確なものがないのだ。  
ひとみはディランドゥの孤独を癒したいと思い、ここへ踏みとどまる決意をした。  
だがディランドゥは?  
彼がそれを知り、孤独から解放されたいがためにひとみを求めているのだとして、それは恋と呼べるものなのだろうか。  
ふたりがそれを育んでいくには、時間が足りなさすぎた。  
ひとみはディランドゥをどう見ているのか、ディランドゥがひとみをどう見ているのか、ふたりにだってわからないに違いない。  
頬を染め、ディランドゥを見上げるだけのひとみを見て、ディランドゥは肩をそびやかした。  
どこか悪戯っ子がするような目をして、ディランドゥはひとみの耳元に唇を寄せる。  
「今夜は、どこへも行くんじゃないよ」  
「う、うん…」  
いいのだろうか。  
本当に、自分の気持ちもわからないまま、彼とひとつになってもいいのだろうか。  
地球にいる天野先輩、フレイドにいるアレンさん、それに…あいつ。  
一方通行でしかなかったし、叶う望みのない恋だったけれど、ひとみは彼らの顔を不意に思い出し、きゅっと拳を握った。  
「ディランドゥ」  
「…なんだい」  
探るようにひとみの身体に触れるディランドゥは、素っ気無く答える。  
「あたしのことが好きだから、こうするの?」  
「…」  
スカートの中に手を差し入れようとしていたディランドゥの動きが、ぴくりと止まった。  
「それとも、あたしを繋ぎとめておきたいだけ?」  
「それで、おまえは何て答えて欲しいんだ?」  
「あたしは…」  
「僕は嫌いな相手には近づかない。したいことをする。おまえはどうだ? 僕が好きだから、ここにいるんだろう?」  
ディランドゥは両膝をつき、ひとみのスカートを器用に下に落とした。  
「あっ!」  
慌てて後ろに下がろうとするも、ディランドゥはしっかりとひとみの引き締まった両足を固定している。  
「つまらないことを言うもんじゃないよ」  
ぼそりと言い、太ももから付け根へねっとりと舌を這わせる。熱い呼吸と濡れた舌が、ひとみの身体の奥を疼かせる。  
「ん、や、ちょっと…!」  
時折強く吸い付きながら、ディランドゥの舌は意思を持ったほかの生き物のように、ひとみの皮膚をぬらしていく。  
立つ快感に、下腹部が熱く、中から湧き上がるものを感じた。  
 
執拗にひとみの足に吸い付いているディランドゥの手が、ひとみの質素な下着にかかる。  
布の上からでもわかる茂みの感触と、その奥でかすかに湿る場所。皮膚と布の境界線をなぞりながら、  
ひとみが限界を訴えるのを待っているように、優しく行き来する。  
「あ、いや…、やだ…っ」  
布越しから割れ目を人指し指と中指で挟み、親指をその奥へとしのばせる。  
親指が濡れたように熱い。ディランドゥは更に親指に力をこめた。  
「あう…っ」  
つきん、と痛みが走った。でもすぐにそれを忘れさせてくれる感情の波が襲う。  
「…へぇ。まだ直接入れてるわけでもないのに、すごい締め付けだね」  
親指を割れ目から外すと、すぐに愛液が滲み出した。しっとりと重みを増し、  
顔を近づけるディランドゥの鼻先に、雌の色香が鼻腔をくすぐる。  
「はぁ、ん……っ」  
ひとみは頬を上気させ、立っているのがやっとだ。自分の身体じゃないみたいに、やけに熱い。  
こんな風に感じてしまうのは、この人だからなのだろうか。  
ディランドゥは邪魔な下着を両手でゆっくりと下におろす。とろりと愛液が糸を引き、ひとみは恥ずかしさのあまり膝を閉じた。  
「おまえは男にこうされれば、誰にでもそうなるのか?」  
ディランドゥは立ち上がり、ひとみの身体を片手で支えると、もう片方の手でひとみの片足を持ち上げた。  
まるでバレエのレッスンのような格好をさせられて、ひとみはディランドゥの首にすがりつく。  
片足から下着を抜き取ると、ディランドゥは服を着たままで、腰をぐいと摺り寄せた。  
「ああんっ!」  
とんでもない声を出して、ひとみはそのことに自分で驚く。なんて声。こんな声を出すなんて!  
「僕は感じない。おまえにだけ、感じる」  
ズボン越しからそそり立つものを、ディランドゥは狂ったようにひとみの秘所へ何度も押し出す。  
そのたびにひとみは嬌声をあげ、とうとう言った。  
「もうだめ…お願い、ディランドゥ。あたし…!」  
「ふん…」  
ディランドゥは満足げに笑うと、唐突にひとみを放した。ひとみは床にへたりこみ、ディランドゥが椅子に腰掛けるのをぼんやりと見る。  
「つまらないことを言った罰だよ。自分でやるんだね」  
「そんな…!」  
「おまえは僕だけに感じていればいい。自分で覚えろ」  
赤銅色の瞳が冷酷に光る。ひとみは犬のように四つんばいになって、ディランドゥの両膝をつかんだ。  
「僕に触れて、口で奉仕しろ」  
「え…!?」  
容赦のない命令に、ひとみがぎくりとディランドゥを見上げる。ディランドゥはにやにやと笑って、それ以上は言わない。  
疼きが止まらないひとみは、ディランドゥの足の間に割って入り、震えた手でファスナーをおろした。  
途端に飛び出してくるディランドゥの昂ぶりを見て、涙の滲んだ目でディランドゥを見上げた。  
ディランドゥが顎をしゃくれば、ひとみは諦めたように、それを両手で包み込む。  
「いいね…すごくいい…」  
地球でマセた友達に借りた、女の子向けのえっちな雑誌のことを思い出して、ひとみは恐る恐る、両手を上下させる。  
漫画ではゆで卵みたいにつるつるしているから、てっきり本物もそうなのだと思っていた。  
とんでもない。血管は浮き出てるわ、裏側はざらざらしているわ…  
(こ、これ、入るのかな…)  
ひとみはまじまじとそれを見つめながら、亀頭の部分を親指でこねるように触ってみた。  
「んあ…っ、バカ、力をいれすぎだ…っ、あ…っ」  
ディランドゥがそう言いながら、ひとみの頭を鷲づかむ。くしゃくしゃになった頭で、ひとみは我に返った。  
(そうだ、これディランドゥの…)  
集中しすぎて、これがディランドゥとは別の生き物のように思う所だった。  
(男の子って、面白いな…)  
そんな呑気なことを思っていると、ディランドゥは突如前かがみになり、ひとみの鼻をつまみあげた。  
「んああっ!?」  
自然と口を開けたひとみの中に、今までぎこちなく愛撫していたものをぐいと突っ込む。  
「む…!? んんんんーっ!」  
「もういいっ、口でしろ!」  
目を白黒させているひとみに、ディランドゥは慌てたように言った。  
青臭い味がいっぱいに広がって、むせそうになるひとみの頭を乱暴に動かし、ディランドゥは眉根を寄せ、息を吐く。  
「熱い…!」  
「んむぅーっ! んっ、ん、んん、ん――!」  
乱暴に頭を前後され、ひとみは何も考えられない。口でする愛撫とは、こうも苦しいものだったのか。  
いきなりこんなものを突っ込まれて、喜ぶ女はいるのだろうか?  
 
「ん…、ふむ…、ん…!」  
ひとみはうっすらと目を開ける。ぼろっと涙が零れたおかげで、  
ディランドゥが喉をそらしながら喘いでいる様を見ることが出来た。  
(そうか…)  
ひとみは涎を後から後から垂らしながら、うっすらと思った。  
じゅぶじゅぶと口の中で動いているものを、愛しいと思う。  
(好きな人相手だから、女の人は、何をされてもいいと思うんだ…)  
やがてディランドゥが小さく呻きながら、ひとみの頭をしっかりと固定する。  
熱いものが噴射され、ずるりと唾液と白濁液が混ざったものが糸を引きながら、それがひとみの口内から出て行く。  
口の中の違和感と、出されたものの苦さに咳き込んでいると、息を乱したディランドゥは、乱暴に衣服を脱ぎ捨てた。  
「はぁ…っ、さあ、来い…!」  
そう言って、闇の中へと消えていく。衣擦れの音がする。向こうにディランドゥが使っているベッドがあるのだ。  
ひとみは制服を脱ぎ、椅子にかけると、ディランドゥの闇を追いかけた。  
「貧相な身体だな」  
ひとみを一瞥し、ベッドの上でディランドゥはずばりと言った。ひとみが両腕で身体を抱きしめうつむいてしまうと、乱暴に腕を引き、ベッドの上へ押し倒す。  
ぎしっと大きくスプリングが揺れ、ふたりはぐらついた。  
「別にいい。肉の塊は気持ち悪くて嫌いだからね。おまえくらいが丁度いい…」  
「あ…」  
ひとみの左胸の上に頬を置き、右胸を手で包み込む。  
「…脈が速いね。緊張してる?」  
心臓の部分に耳を当て、ディランドゥは愉快そうに笑った。  
「してるわよ、そりゃぁ…」  
ひとみが泣きそうな声で答えると、ディランドゥはまつげを伏せた。  
「僕は、アルセイデスに乗ってるとき、いつもどきどきしてるよ。おまえを感じるときも、どきどきする…」  
ディランドゥは起き上がり、ひとみを見下ろした。真っ赤になったひとみを見て、首を傾げる。  
ランプの明かりは、ディランドゥの銀髪を美しく浮かび上がらせている。  
「もっと感じさせておくれよ、おまえの奥底まで…」  
愛撫の名残で充分に湿ったそこを、ディランドゥの指が無遠慮に入る。  
ぐちゅっと卑猥な音がやけに大きく響いて、ひとみは両腕で顔を覆った。  
「あぁ…!」  
「おまえの声が好きだ。おまえの身体の感触が好きだ…」  
ディランドゥは夢うつつで中をかき回す。第一関節を曲げ、肉の壁を引っかいてやると、ひとみはひときわ高く鳴いた。  
「い、いた、あ、ああああっ!」  
「もっと鳴いてごらん、僕のためにさ…!」  
とめどなく愛液は流れ続ける。ディランドゥの手をぬらし続ける。  
 
「いやっ、だめぇっ…」  
「ホラホラ、もっと鳴かないと、ご褒美はあげないよ?」  
「んあああああっ!」  
「いい子だね…」  
ディランドゥは最後に、真っ赤に熟した花芽を秘所の中から探し出すと、そこを思い切りつねりあげ、ひとみを絶叫させた。  
ひとみの意識が朦朧となった頃、ようやく自身をあてがう。  
「あく…っ」  
その圧迫感に、ひとみは意識を取り戻した。ディランドゥの指で散々弄られても、まだ足りなかった。  
「う…っ、きついな、おまえの中は…!」  
乱暴にされるかと思っていたが、ディランドゥは慎重に腰を進めている。息を潜め、  
額に汗の浮かび始めたディランドゥの顔を見上げ、ひとみは胸がいっぱいになった。  
両手を伸ばし、ディランドゥの顔を挟むようにして触れる。肉体の痛みはあるが、それに勝ったのは「想い」だった。  
痛みをこらえて足を精一杯広げた。蝶の標本のように。自分を見て欲しい。自分をずっと見ていて欲しい。その「想い」が自然にそうさせる。  
「来て…もっと…!」  
ディランドゥの頬に刻まれた刀傷を指でなぞる。ディランドゥはその手の平に唇をつけ、腰の動きを速めた。  
「んっ、んっ、あぅっ、あんっ、あ…っ!」  
腰の動きに合わせて声が漏れる。身体が軋んで悲鳴をあげる。痛みしか訴えない行為だが、ひとみはやめろとは言わなかった。  
根元まで受け入れたときのディランドゥの安堵の表情が、ひとみを楽にしたのだ。  
「ぁあ…っ!」  
腰を震わせ、長い息をつきながら、ディランドゥはひとみの中で、全てを放出する。  
やっと終わったのだとひとみがぼんやりと天井を眺めていると、不意に視界がゆらめいて、ひとみは夕暮れの草原の中、制服を着て立っていた。  
「…あれ…?」  
きょろきょろしていると、いつの間にか目の前に、どこかで見たことがあるような少女が手を後ろに組んで、面白そうにひとみを見上げている。  
「あなたは…?」  
両膝に手をついて屈んで見ると、少女はにっこりと微笑んだ。  
「あのね、お姉ちゃんのおかげでね、あたしもう、ここから出て行くことになったの」  
「…え…?」  
金色の巻き毛に、薔薇色の頬。まるで天使のようだった。愛らしい唇を動かして、天使は朗らかに言った。  
「だからね、お別れを言いにきたの」  
「あの…」  
「もうひとりのあたしを、お願いね」  
少女はわずかに下を向き、靴の踵を地面で掘るような仕草をすると、寂しそうに微笑んだ。  
「あとね、兄様に会ったら…セレナはお父様とお母様の所へ行ったと伝えて」  
「セレナ…」  
「ありがとう、お姉ちゃん」  
セレナが駆け出していく。  
「セレナ!」  
慌ててその背に声をかける。蜃気楼のように、セレナは消えては現れ、遠ざかっていく。  
「セレ…!」  
「ひとみ!」  
天井に向かって伸ばす手を、力強い手がつかんだ。  
 
「…あ…っ」  
「どうした!?」  
不安げに覗き込むその顔。ひとみの両目から涙が流れる。  
「女の子が…」  
「なに?」  
「…あなたの中の女の子が…消えちゃったの…」  
ひとみはディランドゥにそう言うと、両手で顔を覆って泣いた。  
「おまえは…目の前にいるのに、時折どこかへいなくなる…」  
ディランドゥは息をついて、寝転がった。  
「そうだね…確かに、僕の中から何かが出て行った気はするよ」  
「その子…お父さんとお母さんの所へ行くって言ってた」  
セレナがアレンの妹だという事実を、ひとみは知らない。だが、ディランドゥがかつてセレナと呼ばれていた女の子だということは理解した。  
それを伝えると、ディランドゥは微笑んだ。  
「それなら良かった。その子はきっと、幸せになれるんだろうさ」  
「ディランドゥ…」  
ひとみは黙ってディランドゥの顔を見つめる。セレナがいなくなり、いつも何かに怯えていたような余裕のない表情が和らいでいる。それに――  
しばらくすると、ひとみの顔がみるみる真っ赤になった。ディランドゥは面白そうにその変化を眺め、頬をつついてやる。  
「まだ足りないのかな、思い出したかい? 僕がおまえの中に」  
「違う! さ、さっき、あたしの名前、よよ、呼んだ? よね?」  
両手で口元を押さえ、上目遣いに尋ねれば、ディランドゥはにっこりと微笑んだ。  
「おかしいかい?」  
「う、ううん…! すごく、嬉しい…!」  
「ひとみは泣き虫だね。でもひとみだから、許すよ」  
ディランドゥはひとみの肩を抱き寄せ、額と額をくっつけた。  
その晩、ひとみが眠るまで、ディランドゥはひとみの名を囁き続けた。  
 
明け方、ふたりはアルセイデスの前に立っていた。  
「さて…これからドルンカーク様の元へ行くよ。運命がどうのと下らないことを言い続けて二百年も生きてる化け物だ。わくわくするだろ?」  
「ディランドゥ! いいの!? そんなこと言って!?」  
周りには誰もいなかったが、ひとみは思わず周囲を確認する。  
「別にいいさ。竜撃隊のいないヴィワンに、僕の居場所はない」  
「…」  
ディランドゥはアルセイデスに乗り込み、クリーマの爪を一本だけ放出し、ひとみを柔らかく拘束する。  
「どうせ僕たちのことも、あの禍々しい機械で見ているんだ。悪趣味だよ。堂々と乗り込んでやろう。さ、行くよ!」  
「うわ…っ!」  
爪にしっかりとしがみつき、ひとみはアルセイデスと共に、陽の出かけた薄暗い空を飛んだ。  
バタバタと髪と制服が風に煽られ、ひとみは目をつぶる。  
「ひとみ、目を開けてご覧よ! 綺麗な朝日だ!」  
「う、うん…! わぁ…っ!」  
ディランドゥの声に、ひとみはこわごわと目を開けて、息を呑んだ。  
眼下に広がるのは、自然とは無縁の機械都市だった。  
排気ガスと無機質な建物が所狭しと並ぶそこは、暖かさをこれっぽっちも感じない寂しい国のように写る。だが前方から射す太陽の輝きはどうだろう。  
真っ白な輝きが、全てを覆い尽くしていく。アルセイデスの赤い身体を美しく反射させ、暖かく出迎えている。  
「綺麗…」  
思わずつぶやくと、ディランドゥは笑った。  
「勝利の光だよ、目に焼き付けておくんだね」  
そう言って、ひときわ高い建物の中へ入っていく。  
 
「ドルンカーク様! ディランドゥが!」  
一方、生命維持装置につながれ、運命改変装置を見ているドルンカークの下へ、部下たちが血相を変えて参上した。  
「慌てるでない。少々手違いはあったが、運命は予測通りに動いておる」  
老人は淡々と言う。  
地球からガイア界へ来た、ひとみと同じ境遇の男は、運命に異様に固執した。  
機械によって人の運命を変え、その手をガイア界そのものにまで伸ばそうとしている。  
その段階で運命を狂わされたひとり、ディランドゥが、もうすぐこちらへやってこようとしていた。  
「客人をこちらへ。運命は我が手に――」  
 
流体金属で周囲をなぎ払いながら、アルセイデスは我が物顔で城の中を進んでいく。  
それを遠巻きに眺めているのは、ザイバッハ帝国四将軍の面々であった。  
「アデルファス。…よいのか」  
白鉄の軍を率いるゲティン将軍が言った。部下のこの不始末を黙ってみているだけでよいのかと。  
「致し方あるまいよ。ドルンカーク様のご命令なのだから」  
青銅の軍を率いるへリオ将軍が、重々しく言った。  
「ああも滅茶苦茶に壊されると腹も立つが、何しろ手は出すなとおっしゃるのだからな――  
わしらにはどうしようもない。青二才め、調子に乗りよって!」  
黒鉄の軍を率いるゾディア将軍が、アルセイデスを睨みつけながら吐き捨てた。  
「貴殿らも気づいているのだろう」  
ずっと黙っていた、赤銅の軍を率いるアデルフォス将軍は、三人を見回した。  
「ドルンカーク様にとって、民は使い捨てにすぎんのだ。  
あのお方は、ガイア界の行く末を見守りながら、人が戦によってのみでしか救われないと結論付けた。  
だからディランドゥがああやって民を傷つけ、蹂躙していっても、何もおっしゃらない。恐らくご自身が殺されるようなことになってもいいと思っているに違いない…」  
「なんと」  
ゲティンは目を開くが、すぐに息をつく。  
「あのお方の目は、遠すぎる未来を常に見据えている。だからわしらに気づかれないのだ。  
…ザイバッハは――」  
ゾディアの言葉を、ヘリオが引き継いだ。  
「もう、終わりなのかもしれんな」  
「全ては運命の御心のままに…」  
アデルファスの言葉が、虚しく空に広がった。  
 
「ははははははははっ!」  
ディランドゥの哄笑と共に、因果率検出装置と呼ばれるガラス管が、次々と破壊され、中からグリーンの液体がごぼごぼと流れ出した。  
ひとみは必死に流体金属につかまりながら、その液体の雨にさらされる。  
「ディランドゥ! もっと静かに移動してよ!」  
「馬鹿だね! ザイバッハの未来のためさ! こんなもののために運命を狂わされたやつらの仇だよ!」  
「でも、城が壊れちゃうよっ!」  
「セレナがいなくなってから、色々と思い出したよ。子供を誘拐して、散々実験体として命を、運命を弄び、性別すら変えた…!」  
ディランドゥは笑いながら泣いているような声を出しながら、全てを破壊しながら進んでいく。  
「さぞ神の気分だったろうさ! 老いぼれジジィめ、姿を現せ!」  
 
「――ようやく来たか、運命の子らよ」  
 
厳かな声が響いた。アルセイデスの面の部分を開け、ディランドゥが顔を出して、声の主を見上げる。自然に爪の力が抜け、ひとみもすとんと床に降り立った。  
ふたりの前には、巨大な装置に囲まれた、ひとりの老人の姿があった。  
「――ドルンカーク…!」  
「この人が?」  
ディランドゥの声を聞き、ひとみも改めて老人を見上げる。  
「複雑な運命の糸に手繰り寄せられこの地へ来たそなたらを、わたしは歓迎する…」  
「あいにくと、歓迎されに来たんじゃないよ! もうそんな機械で僕たちを縛り付けるのをやめてくれといいに来たのさ!」  
ディランドゥはそう言うと、アルセイデスを飛行体勢に変え、ドルンカークの元へ飛び上がる!  
「わたしを殺すか。――ならばもうひとりの運命の子に、おまえの相手をしてもらおうか」  
「なに…っ」  
ドルンカークとディランドゥの間に、光の柱が立つ。  
「――エスカフローネ!?」  
ひとみが悲鳴を上げた。  
 
「ディランドゥ――!」  
戦闘体型に姿を変えた白き竜、エスカフローネが、バァンを乗せ、ディランドゥに刃を向けた。  
「バァン…! 何故、おまえがっ!」  
突如現れたエスカフローネに、ディランドゥは驚きを隠せない。だが身体は無意識に動く。  
エスカフローネの剣をよけ、クリーマの爪から流体金属を噴射した。  
「俺の国を滅ぼし、バルガスを殺し、フレイド王を殺し、ひとみを奪い――…!  
 これ以上おまえは、俺から何を奪う気だ!」  
「バァン! やめて、バァン!」  
バァンの怒りに震える声は、ディランドゥに注がれている。生身のひとみが小さな身体を懸命に動かして叫んでも、バァンには届かない。  
「娘よ、わたしと共にガイアの未来を視るがよい…」  
エスカフローネとアルセイデスが火花を散らして戦うその後ろで、ドルンカークの濁った目が、ひとみを見つめている。  
「あなたがこうさせているんでしょう!? やめさせて!」  
「これはわたしの意思ではない。彼らが望んでいることなのだ」  
「でも、こうなる原因を作ったのは、あなたとその変な機械のせいなんでしょう!?」  
「わたしはきっかけを与えただけ。従ったのは彼らだ」  
「そんな…!」  
ひとみが尚も言おうとすると、  
「バァン!!」  
ヴィワンで急遽駆けつけた、フォルケンが現れた。  
「フォルケンさん!」  
「やめろ、バァン! おまえには何故わからんのだ!」  
フォルケンはマントを脱ぎ捨て、その背に黒き翼を出現させる。黒い羽毛がバサバサと舞い散った。  
その翼を羽ばたかせ、フォルケンはエスカフローネの元へ飛ぶ。  
「あに……フォルケン……!」  
バァンは血走った目を兄に向けた。  
「おまえは誇り高きファーネリアの王だ。憎しみに囚われ、無意味な戦をするな!」  
「俺を憎しみの虜にさせたのは、誰だ!!」  
バァンは吼える。  
「父上も死に、兄も母上もいなくなり――それでも幸せになろうとしていた俺から未来を奪ったのは誰だ!!」  
「バァン…!」  
「貴様だ、フォルケン! ディランドゥ! ――そして…!」  
バァンはようやく、真の敵に気がついた。  
「ザイバッハ皇帝、ドルンカーク!」  
「獣の目をしておる」  
ドルンカークはエスカフローネを透かして中にいる鬼を視た。  
「それがおまえの本質なのだ、運命の子よ」  
「黙れ…!!」  
エスカフローネが、剣を握りなおした。  
 
 
生命維持装置の管が外れ、中の液体が次々に流れ出していく。  
かつて軍事力と科学力でガイア界を震撼させた脅威の皇帝ドルンカークの末路は、あまりにもあっけないものだった。  
「人はわたしを後世まで語り継ぐだろう、運命に囚われた悪魔の皇帝と――」  
無力な老人はどこか恍惚とした表情で言葉を紡いでゆく。  
「だがザイバッハは、わたしが一からこの手で作り上げた国…わたしがいてこその国…」  
液体が流れ落ちる。老人の身体が沈んでいく。  
「フォルケンよ…」  
「…はっ」  
義手の軍師は、跪いた。  
「後のことは、そなたに任せる…」  
「――承りました、ドルンカーク様…!」  
「あに…うえ…!」  
バァンが信じられないと、跪く兄を見下ろした。  
「ふんっ、蓋を開ければこれかい。散々人の運命を弄んでおいて、さっさと責任から逃げるなんてね――」  
黙って事の成り行きを見ていたディランドゥは、鼻で笑った。  
「バァン…おまえの倒すべき敵は最早いない。私と共に――」  
「ふざけるな!」  
エスカフローネは大きく横に剣をなぎ払った。  
 
「ふざけるな!」  
エスカフローネは大きく横に剣をなぎ払った。  
その先には、遙か昔、アトランティスと呼ばれていた高度な科学技術を持った国が遺した  
アトランティスマシーンを元にドルンカークが作った、運命改変装置があった。  
フレイドを滅ぼしてまでドルンカークが欲しがっていたものは、パワースポットと呼ばれるエネルギー源で、  
運命改変装置を動かすために必要とされていたものだったのだ。  
今それが、粉々に砕け散る。  
きらきらと光の粒子がこの場にいた者の上に降り注ぐ――  
ひとみが呆然とそれを見上げていると、  
 
――これでよい…  
 
「えっ?」  
ドルンカークの声が聞こえた気がして、ひとみはばっと振り向いた。  
そこには、杖をついた老人が、砕け散った運命改変装置をひとみと共に見上げている。  
 
――想いの力でガイア界は生まれた…わたしの作った運命改変装置は、人の想いや願いで、運命を変える機械…  
砕けた粒子のかけらがガイア中に広がれば…人は自身で運命を変えることができるのだ…  
 
ひとみは首を振る。  
「ドルンカークさん、そんな機械がなくたって、皆今までそうしてきたんだよ」  
 
――それはどうかな、娘よ…  
 
「人は、想いがあるから、自分の力で動くことが出来るんだよ。  
 あなたもそうだったでしょう? 運命を知りたいという想いで、ここまできた。  
 あなたの行動は、あなた自身が起こしたことだよ。それを機械のせいにして、いいの?  
 あなたの今までの努力は、あんな機械に命令されてやってきたことなの?」  
 
―― …  
 
老人はひとみを見て、口ひげを撫でた。  
 
「皆自分を信じて、仲間を信じてここまで来た。あんな機械なんかなくても、ディランドゥも、バァンも、フォルケンさんも、  
あなたの所へ来て、同じ事をしたはずだよ」  
 
――いいや、娘よ。おまえにもわかる時がくる…  
 
老人はわずかに目を細め、光の粒子と溶け込んでいく。  
 
――運命は、自在に操ることが出来るのだ、運命改変装置によってな…  
 
「じゃあ、見守っててよ。あたしたちが、自分の力で運命を切り開いていく所を」  
 
老人は最後までひとみに言わなかった。  
竜の子と運命を共にするはずだったひとみの運命が変わったのは、想定外のことであったと。  
 
皇帝ドルンカークが死に、後を継いだフォルケンは、ドルンカークの遺志を忠実に引き継ぐものだと思われていた。  
だがフォルケンを知る大半の者が想像した通り、フォルケンは各国と同盟を結び、無用な争いを避ける働きをし始めたのである。  
神かくしと呼ばれ、子供がいなくなることもない、運命に頼ることもない、新しいザイバッハの道を、フォルケンは示そうとしていた。  
「ガイア界はこれから、つまんない世界になりそうだよ」  
ディランドゥはまんざらでもない顔でそう言って、ひとみを笑わせた。  
ひとみはあれから、心配していた皆の元へ行き、今までの事情を話した。  
ミラーナもメルルもひとみの無事を喜び、アレンも笑顔でうなずいてくれた。ひとみはアレンの顔を見て、  
何か言わなくてはならないことがあった気がしたのだが、それを思い出すことはできなかった。  
「あんたのことだから、向こうでも無事でいるって思ってたわよ」  
そんな憎まれ口を叩きながら、メルルはひとみを抱きしめる。ひとみも懐かしい巻き毛をゆっくりと撫でた。  
メルルはそのままで、ひとみがいない間のバァンのことを話した。  
フレイドからの誤解は解けたものの、ひとみを連れ去られてしまったことを、バァンは深く後悔し、  
夜な夜なエスカフローネで辺りを飛び回っていたそうだ。  
人が変わったようになり、戦にも進んで出向くようになった。その頃から、バァンはエスカフローネの痛みを感じ出し、  
エスカフローネが傷ついた箇所に傷を負うようになった。メルルがいくら止めても、バァンはエスカフローネを手放さなかったのだという。  
竜撃隊を壊滅させた後は酷く荒れて、殺した男たちの亡霊が見えるとよくうなされるようになった。  
「でもあの日、いつものようにエスカフローネで飛んでいたバァン様を、光の柱が…」  
メルルはそう言って、泣きじゃくる。  
ひとみも責任を感じて、唇を噛んだ。  
 
バァンは、行方をくらましていた。  
 
ドルンカークを手にかけ、フォルケンがザイバッハの皇帝になったことを目の当たりにし、バァンは耐えられないと、その場を去ったのだ。  
ひとみはタロットカードでバァンの行方を探してみたが、今は探さないほうがいいという結果しか出ず、メルルは毎日バァンの帰りを待っている。  
「バァンのこと、信じてあげて」  
ひとみは自分に言い聞かせるように、メルルの背中を撫でる。  
「信じる想いは力となる。ずっと想っていれば…星が力を貸してくれるの」  
「うん…うん…!」  
ひとみは空を見上げた。雲ひとつない空の上、幻の月が浮かんでいる。  
――帰還の時が、迫っていた。  
 
(一緒にいるって、約束したのにな)  
ひとみはそう思いながら、ザイバッハのディランドゥの部屋を訪ねていた。  
ひとみはディランドゥとの関係をミラーナたちに話し、滞在先を変えていたのだ。  
アレンは酷くショックを受けていたようだったが、こうなってしまったものは仕方がない。  
扉をノックし中に入ると、ディランドゥはくつろいだ格好で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。  
「ディランドゥ」  
「…なんだい」  
今のディランドゥは、半ば抜け殻のようであった。  
ドルンカークも殺せなかった彼の中では、決着がついていないのだろう。意欲をそがれてしまったようで、覇気がない。  
そんなディランドゥに別れを告げるのは辛かった。だが、時が満ちようとしている。  
「もうすぐあたしね、帰ることになる」  
「……」  
ディランドゥは無言で窓から目を離し、ひとみを見た。  
虚ろな赤銅色の瞳が、悲しく揺らぐ。  
「おまえも、僕をひとりにするのか…?」  
「…ごめん」  
ひとみは目を伏せた。その言葉は言われる前から想像が付いたが、実際に言われると身を切られるように痛い。  
「……」  
ディランドゥはしばらく黙ると、また窓に目を向けた。  
「…いいよ、帰っても」  
「え…」  
突き放された言葉に、ひとみは顔をあげる。ディランドゥはもう振り向かなかった。  
「元気でね」  
感情のない言葉だった。涙が出た。ひとみは泣くものかとぎゅっと目を閉じ、口を開く。  
「あなたのこと、大好きだったよ」  
「早くお帰り。…見送りはしないよ」  
「うん…」  
ひとみは、ディランドゥが見ていないのに、笑顔を作る。  
「ありがとう、ディランドゥ」  
そう言って、部屋を出て行く。  
ディランドゥは振り向かなかった。  
ひとみが泣くのを我慢しているのに、自分がこれでは、情けない。  
 
ひとみは、なんとなくファーネリアの跡地に赴いていた。  
見送りはいらなかった。  
色々な人に迷惑をかけて、たくさんの人を傷つけた自分に、見送りなどとんでもないと思った。  
だからせめて、一番迷惑をかけてしまった人が過ごした国の土を踏んで、帰りたかった。  
 
「バァン、あたし、帰るね」  
朽ちた玉座を見つけた。背もたれは半壊だったし、少しでも触れたら崩れてしまいそうなそれに向かって、ひとみはひとりごちる。  
「みんな待ってるよ。だから、早く帰ってあげてね…」  
ひとみはそれから、本人にどうしても伝えたかった言葉を告げた。  
「あたし、バァンの傍にいるべきだったのかもしれないね…」  
風が吹き、玉座の上に散らばっていた小石が音を立てて落ちた。  
「ごめんね、バァンが辛いとき、一緒にいてあげられなくて…」  
でも、と唇が形作る。  
「でもあたしは、あの人を選んだの。運命が変わってしまったのかもしれないけど、それでもいい。  
あたしは、あの人を選んだ…最後は、あっさりしてたけど」  
自業自得だよねと笑って、ひとみは朽ちた玉座に笑いかける。  
「バァン、ファーネリアを復興させて、いつかフォルケンさんと、仲直りできるといいね。バァンなら、やれるはずだよ。  
 …もう行くね。それじゃあ」  
ひとみはくるりと玉座に背を向け、軽快なステップを踏んで、瓦礫の上を進み、森へと入っていく。  
朽ちた玉座の裏に、バァン本人がいたとも知らず、ひとみは幻の月へと帰る。  
「お別れだ、ひとみ」  
森の中から光の柱が現れるのを見上げ、バァンは傷心の瞳でそうつぶやく。  
「俺にはまだ時間がかかりそうだ。だが最後のおまえの頼み、成し遂げてみせる」  
 
――光の柱がガイアのあちこちで見られ、ひとみを知る者はそれに手を振り、別れの言葉を告げ、手を合わせた。  
 
だがひとみと一番心を通わせている男の姿だけは、見当たらなかった。  
 
 
 
地球へと帰り、ひとみにいつもの日常が戻ってきた。  
不思議なことに、時間はあの時、バァンとガイア界へ行ったその日まで巻き戻され、ひとみが地球にいなかった時間はなかったようになっている。  
ひとみは、天野先輩に告白しなかった。ふとしたことで、ゆかりも先輩を思っていることに気づいたからだ。何故気づけたか。  
「不毛な片思いってやつをしてるから」  
ひとみはひとりでつぶやいて、わざと悲劇のヒロインを演じてみせる。観客もいないのに。  
ゆかりはひとみに後押しされて、留学直前の天野先輩に告白し、ふたりはつきあうようになった。陸上部の後輩たちも、ふたりはお似合いだとはやしてている。  
今日の放課後も、ひとみはひとりだ。恋人同士の邪魔はしたくない。野暮というものである。  
駅のホームで電車を待っていると、後輩たちがひとみを見つけ、声をかけた。  
 
「先輩! 占いやってくださいよ!」  
 
ひとみは後輩たちを振り返り、にっこりと微笑んでみせる。  
 
「ごめんね、占い、やめちゃったんだ」  
 
タロットカードの占いが当たると、ひとみは学校でちょっとした有名人だった。  
人に頼りにされ、占いが当たれば驚かれ、喜ばれた。そんなこそばゆい優越感を抱いていた自分に起こった出来事は、ひとみを占いから遠ざけた。  
「ええー!? どうしてですか?」  
不満そうな後輩たちに、ひとみはなんと答えたらよいものかと、苦笑する。  
「だって、運命って――」  
「自分で切り開いていくものだからねえ」  
その声にかぶさるものがあった。  
えっと後輩たちは振り返り、そこにいる人を見て、その美しい顔に目を奪われ言葉もない。  
それはひとみも同じだった。  
その人が、ここにいるはずのない人間だったからだ。  
そんなことが、あるはずがない。  
「ディ…」  
「おいおい、僕がそんな変な名前を、ここで名乗っていると思うのかい?」  
その人は後輩たちの脇を通り過ぎ、ゆっくりとひとみの前に立った。  
「…どうして…?」  
「運命だからだよ」  
もう銀の髪じゃない。  
「運命…?」  
頬に傷はない。  
「願いが人の運命を変えるんだろう?」  
髪も瞳も、真っ黒だ。  
「でも――」  
その人は、見たこともないような優しい笑顔で微笑んだ。  
 
「僕の想いは星を越え…君と巡り会わせた」  
 
ただ、学校は違っちゃったみたいだけど…これくらいのミスは仕方ないよね。  
そう言って笑う、その人は、抱きついてくるひとみを腕の中に閉じ込めた。  
 
「もう二度と、離れるんじゃないよ」  
 
どこに行っても見つけるからねと冗談めかして言った言葉は冗談でもなんでもなく――  
ひとみは後輩たちに冷やかされるのを覚悟の上で、踵を上げたのだった。  
 
 
 
 
終わり  
 

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