風呂上りの濡れ髪に巻いていたタオルを外し、ベッドの上に放る。
そのベッドに腰を掛けた鵜之杜椎奈は、脇に置かれた鏡に、シャツ一枚という極めてラフな
格好の自分の姿を映し、その短い髪にドライヤーを当て始める。
ロングヘアとまではいかずとも、せめて友人である天羽くらいまでは
伸ばしてみたいと思った時もあるが、この手軽さは捨て難いものがあった。
今の自分を変えたい、という願望、それは髪型や服装といった外見に関わる事だけでなく、
内面的な、自分では日和見的だと思っている性格に対して強く持つようになっていた。
今までには無かった、あったかも知れないが無意識に押し殺してきたこういった強い欲求に、
鵜之杜は戸惑っている。
一見、温和で――天羽に彼の話を聞いたときは、恐らく自分と同じ性質を持った人間で
あろうと判断した――波風を立てるのを嫌いそうな男子生徒、上岡進。
実際、彼を天羽に紹介され、幾度か言葉を交わした後もその印象が変わる事は無かった。
自分と沢村、上岡と天羽。その関係を重ね、苦笑と共に親近感を持っていた、程度の事だった。
―――例の沢村と天羽との一件が起こるまでは。
彼は自らの意志であの位置にいるのであり、決して自分の様に周囲に流されて今の沢村と
自分との様な関係を築いた訳では無いのだ。
証拠に、自分はただ慌てふためくだけで一体どこに本質的な問題があるのかを考えようとも
しなかった。対して彼はハッキリと、結局は鵜野杜自身の問題である、と指摘し、天羽とも
話し合うべきだ、と単純明快に答えを言ってのけた。更にあの沢村を退けたのだ。
あの時、鵜野杜が抱いた感情は複雑なものだった。安堵、憧れ、そして自己嫌悪。
去り際の上岡の背に言った『私ね』の続きを言えなかったのは、鵜野杜の性格上の問題
に加え、そういった心情も作用していたのである。
鏡の中の少女は今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。
いい加減に梳かされた髪が、まるで寝癖の様で滑稽だ。
こんな娘を、上岡君は好きになってくれるだろうか?
そもそも、私はただ寄り掛る相手を変えようとしているだけではないのか?
上岡君なら、上岡君は、上岡君と。
このところ毎晩、こういった思いに胸がいっぱいにされてしまう。
決まってこういう時は―――
「ん…っ」
ずくん、と下腹部に重さにも似た熱さを感じる―――鵜野杜のショーツに薄く染みが浮く。
「はぁ……っ」
溜め息にも似たそれを吐き、シャツ越しに自らの胸をまさぐる。
天羽にお膳立てをしてもらった時の上岡の様子を思い出す。
『現像なんかの薬品で荒れているけど…ガサガサしてない?』
と彼は言っていた。鵜野杜はどこかズレたその気づかいに、あの時は思わず笑ってしまった。
自分のよりは大きいが、想像していたよりもずっとか細い指。
その感触を反芻し、シャツの中に差し込んだ左手で先端を摘む。
「んっ!」
驚くほど敏感になっている自分の身体に、精神が追いついていない。
自制心も何も無く、ドアの外へと洩れかねない大きな声を上げてしまう。
「ふ…っ、ふぅ…」
ニ、三回息を整え、その部分を指の腹で押し潰したり、先程より強く摘んだりし始める。
シャツの襟を強く噛んでその刺激に備え、息を殺す鵜野杜。
抑えられた声を補うかのように、びくびくとまるで自分の身体では無いように痙攣を繰り返す。
「っぷ……ぁ」
涎まみれになった襟を口から離し、期待、恐怖がない交ぜになったものを抱きつつ
ショーツの中に右手を滑り込ませると、風呂上りの火照りだけでは無い温度、
そして明らかに汗では無い湿り気が指先に感じられた。
手の甲には溢れた体液の染み付いたショーツが貼りついてくる。
筋に沿って、ゆっくりと中指の指先を上下させる。今度はシャツではなく、
下唇を噛んでその刺激に耐える。目を閉じ、そこから入ってくる情報をシャットアウトしている
ものの、鼻、そして特に耳から伝えられるものはどうしようもなかった。
抑える事も拒むことも出来ない水音に、軽く眉を寄せる鵜野杜。
自分の指――上岡の指に犯されているような錯覚。
そうして、上岡の事を意識するたび、粘液が奥から溢れ出てくるのが分かる。
ふう、と深呼吸をし、その発生源を指で探ろうとする。
「んぅ…ぅっ!」
抑えてきた声がつい洩れてしまう。
その部分は固く閉ざされ、ほんの指先以降の侵入すら固く拒んでいた。
上下左右に押し広げるように、円を描いてわずかに入った指を動かす。
「はぁ、あ……!うぅぅ……っ」
鈍痛と快楽、それらが鵜野杜の中を駆け巡り、声の大きさがどういう発想は
出来なくなってしまっていた。
「かみおかくん……っ」
鼻にかかった声で、縋るように想い人の名を囁く鵜野杜が絶頂の予感に身を強張らせると、
指先にかけられている圧力がその大きさを増し―――携帯電話が鳴る。
「…っ!?」
びく、とまるで外敵に出くわした小動物のように反応する鵜野杜。
枕元で暴れているそれに目を向け、軽く息を吐く。
興がそがれてしまい、のろのろとウェットティッシュで両手を拭いつつ、
しつこく鳴り続けているそれの液晶パネルを見る。
「っか、上岡君!?」
反射的に髪を整えようとしてしまい、無駄な事に気付き、着替えようとしてまた無駄な事に気付き、
………ごくり、と唾を飲み込んで、とにかく通話ボタンを押した。
「はい……」
『あ、鵜野杜さん?上岡ですけど』
紛れも無い上岡の声。下腹部に残る熾火の熱さが蘇ってくる。
「うん」
『そろそろ、読書週間だったよね?
それのPR用の文章を図書委員に書いてもらおうと思うんだけど、どうかな?』
「うん……わかった……っ」
ちょん、と先程まで弄っていた入り口に軽く触れてみる。離れた指に糸が引いた。
背を駆け上がってゆくものに、歯を食いしばって耐える。
『………鵜野杜さん、どうかしたの?具合でも悪い?』
途切れ途切れになっている口調の鵜野杜に、上岡が声をかける。
その心配そうな声色に、嬉しさよりも自分が先程していた事が先に立ち、赤面してしまう。
「ん…ちょっと、風邪気味で」
話を合わせる。確かに顔色だけ見ると風邪、とも言えるのかもしれないが。
『ごめんね、そんな時に。もしかして眠っていたの?
あ、用件はさっきのだけだから、お大事に―――』
「ま、待ってっ」
引き止めたはいいが、特に話題が思いつく訳ではなかった。
元より、今はお喋りが目的なのではない。
『鵜野杜さん?』
「………あの、横になってばかりいると気が滅入っちゃって。
上岡君さえよければ、もう少し……」
『う、うん。いいけど。じゃ、何の話をしようか?』
冗談めかした声。こちらもつられて笑顔になってしまう。
鵜野杜はベッドに身体をあずけ、
「なんでもいいよ。新聞部の事とか」
と言った。蛍光灯の明かりが眼を刺し、身体の向きをごろりと横に変える。
『うーん………いつも通り天羽さんは昆虫の事を病的に詳しく調査しているし………
まあ僕も彼女のコラムの出来に惹かれて新聞部の門を叩いたんだけどね。
あ、そうそう、読書週間の事なんだけど――』
気が滅入る、と言った鵜野杜を気づかってか、いつもよりずっと饒舌な上岡。
その声が鵜野杜の鼓膜を愛撫する。
「うん………」
上岡の話の内容は半分程しか聞き取れていない。
うやむやに相槌を打ちつつ、再びショーツ内に指を這わせる。
一人で――今もだが――していたときはその入り口に込められた力が抜けず、
異物の進入は拒まれていたのだが、今は柔らかくほぐれている。
中指を差し込んでみる。
「っくっ……」
『――で、井之上が…鵜野杜さん?』
「うん…大丈夫だから、続けて。お願い…」
『でも…なんだか辛そうだし』
「お願い」
『………分かった。でももう少しだけだよ』
鵜野杜の様子が普通ではない事を違う方に解釈したらしい上岡は、子供を諭すように言う。
罪悪感がちくりと胸を刺すものの、臍の下から感じられる甘い痺れによって麻酔される。
指先に感じられる自分自身の体内。それは指の進入を拒むどころか、奥へ奥へと導くように
蠢いている。意を決し、今だ触れたことが無い深さまで指を差し込んでみる。
「………ぁう」
第二関節まであっさりと飲み込まれる。腰付近にのみ感じられていた痺れが、
背骨を通って喉の奥に溜まる。声にして解放してしまいたい、という欲求を抑えていると、
逃げ場を失ったそれが目の奥でチカチカと瞬いた。
「ん…んふ……っ」
歯を食いしばっていても、どうしても幾分かは声が洩れてしまう。
幸いにして先程のやり取りから上岡はそれを聞き流してくれているが、
もし、気付かれたら……いや、気付いていて黙っているのかも知れない。
そんな思いとは裏腹に、鵜野杜の指はゆっくりと前後している。
きゅ、と断続的に指が締め上げられ、その度に派手な水音が発せられる。
もしも、聴かれたら…聴こえているかも…そういった危うささえも新たな薪としてくべられ、
身体を内側から灼く。その熱に耐えようと、鵜野杜はまるで胎児のように身体を丸めている。
『――だから、鵜野杜さんが……で。……………―――。
〜〜〜、―――だし、やっぱり鵜野杜さんの―――』
自分の名前が電話越しに聴こえる度に、喉の奥に溜まるものの量が増す。
目の奥がチカチカするどころか、鵜野杜の思考すらも妨げられ始めている。
いつか、雑誌で読んだ…確か、こう、腹側を……
「ん゛っっ!ん……ぁ………」
第二関節まで差し込んだ所で指をかぎ状に曲げ、腹側のざらりとした部分を擦る。
ただ前後させるだけでは得られなかった強い刺激が、快感かどうかもわからないそれが得られ、
掌に飛沫を放つ。軽く意識が遠のき、危うく携帯を取り落としそうになってしまう。
『ちょ、ちょっと鵜野杜さん!?』
ただ事ではない鵜野杜の様子に、上岡は驚いて声を掛ける。
「ぅん……ごめんね…上岡君……限界……」
『ごめんね、じゃなくって。やっぱり無理しすぎだよ。もう切るよ?
今日はもう、暖かくして眠らないと駄目だよ?』
そんな気づかいも、鵜野杜の脳には今一つ届いてはいない。
ただ耳に届くその心地よい響きに、絶頂の余韻に、ぶるりと背を震わせる。
「上岡君…やさしいよね……大好き………」
『え゛?い、今なんて―――』
ぶつり。
朦朧とする意識の中、上岡の言葉を最後まで聞かず(聞き取れていないが)、鵜野杜は携帯を切る。
「すごい事、しちゃった………」
携帯を胸に抱き、ひとり呟く鵜野杜。鏡の中で幸せそうに頬を緩めている少女と目を合わせ、
彼女は浅い眠りについた………
十数分後、最後の一言に動揺した上岡と我に返ってテンパった鵜野杜から立て続けに
相談の電話を受け、ムカついたり爆笑したりと忙しい天羽の姿があったのだが、それはまた別のお話。