列車の車窓を流れていく景色が段々と見覚えのあるものに変わってきた。
麗らかな気候は、例え目を閉じていなくても安らぎを齎してくれる。
車輪の音、燃料が炊かれる音。
それを耳にしながらでも、まるで自然のさえずりが聞こえてきそうだ。
クード達と別れ、まだ数十分。
それでも旅…はじめての各地を回り、移動するということ。
そのせいか、向かいに座っているリィリアは眠ってしまっていた。
愛らしい寝顔は幾度となく見てきたものだが、束縛から解き放たれ、
自らの足で自由へと踏み込める今となれば、今まで見た事も無いほど
心地よさそうに夢を見ているように見える。
「………リィリア」
ぼくは、静かに、起こさないように、リィリアの名を呟いた。
手を伸ばして、柔らかな頬に触れて、髪を優しく退けた。壊れ物を扱うよりも丁重に。
長い睫のおりた瞼の力は緩く、この心の角ばりを、優しくそぎ落として云ってくれる。
愛しい。
…誰よりも。
目を閉じれば、その寝顔が消え、闇に吸い込まれる。
手を下ろせばその温もりも途切れた。
でも、ひとりではない。 そう、確信がある。 今、感じている。
――――。
くだらない事だ。
あの男は結局、自分を利用していただけだった。無意味な金を稼がされ、
身体が、「女」としての成長を向かえ、まともに戦えるようになるまでは、
週に1度呼び出され、身体を蹂躙された。
その期間は2年にも満たなかったと思う。 耐え難い屈辱だった、筈だが。
ぼくは不思議とその感覚を覚えてはいない。
それはとてもくだらなかったからだ。
自分で腰を動かすことすら満足に出来ない、醜悪に肥えた体。
訓練によって純潔だのと称される狭い肉が裂けていたことに舌打ちをしていた頭の悪さ。
でっぷりと膨らんだ汚らわしい肉棒が身体を抉っても、さして快感なんてなかった。
幾年も後。 遊びでコフィを組み敷いた時のほうがよっぽどよかったし、愉しかった。
重い痛みしか齎さない行為。
それをさも、自分が優位だ、屈服させているのだと、満足ヅラで続けていたあの男。
くだらない。
ひとつ目を開ければ、思い出していたビジョンが、まるで再生を取りやめられた映画のように
ぷつん、と途切れた。
そういえば、あの男とのしがらみの決着をつけたときも、爽快感はなかった。
ただ、足が軽くなって。
何も考えずにリィリアを抱きしめてあげられるようになった。
何にも変え難いものが、戻ってきただけだった。
――――。
「…わあ」
その家を見たとき、リィリアは感嘆の息をついた。ぼく自身、声を出さずとも。
胸にあふれて来る、とても熱くて心地よい想いは、リィリアといっしょのものを共有していた筈。
「変わらないね」
「そうだな」
ひとつ、足を進めていき、リィリアは扉の脇の花壇の前に腰を下ろした。
長いこと、恵みを受けぬまま放置されていたそこは、当然のように荒れている。
「すっかり…枯れちゃってるわね」
かろうじて原型を留めていた、土色になった葉を、リィリアの細い指が拾い上げた。
ほんの僅かな力だけで、ぱさりと砕け散る。
それでも。
「…また植えればいい」
見上げた家はまだ残っている。
壁が風に煽られた砂で汚れていたとしても。
「ぼくたちは、帰ってきたんだから」
殆ど無意識に口をついて出た言葉だからこそ、嘘も迷いもない。
見上げたリィリアが笑ってくれたのなら、きっと。
「そうね」
暖かい。
お父さんや、お母さんがもう居ない。それでも、また此処に温もりを取り戻すことが出来る。
きちんと、そのふたりが眠る場所に顔を出すことも出来る。
「…リィリア」
「うん」
だから、言える。
「―――――…ただいま。」