丁度日付も代わった直後の深夜十二時。  
珍しく早寝をしていたフォレストは、腹の上を圧迫される不快感で浅い眠りから目を覚ました。  
それまで見ていた赤い頭巾を被った子供の夢は、小さな呟きと共に霧散して記憶からするりと消えた。  
「……なんだ?」  
カーテンを引き忘れた部屋の中は窓から差し込む満月の煌々とした灯りで十分に明るい。それに  
照らして貰わなくとも、自分の上に乗っかって顔を覗きこんでいる人影が大人に近い重量を持った  
人間であるというのは、寝起きの頭でも理解出来ていた。反応を見ていた人影は、フォレストの返す  
それの鈍さに首を傾げる。ふわふわとした金色の髪は月光に負けない位に奇麗だったけれど、  
今は見惚れている場合でもなければ、褒め言葉を口にする場合でもなかった。  
男やもめの一人所帯。普通なら侵入者に驚くなり、心霊現象化と恐怖に震えるものだろう。  
彼女もそう予想していたらしいが、生憎とフォレストは職業柄不測の事態には慣れていた。  
それに――――彼女に無断で部屋に乱入されるのも、長い付き合いの中一度や二度ではなかったのだから。  
フォレストは一つ溜息を落とすと、腹筋の力だけで反動を付けずに上半身を起こす。慌てたのは人影だ。  
「きゃぁっ!」  
ベッドから簡単に転がり落ち、床でしたたかに腰を打ち付けたらしい彼女は、涙の浮かんだ大きな青い  
瞳をきっと眇めると何時もの口調で叫ぶ。  
「ちょっとフォレスト君!」  
「はいはい、今度はどうしたんだよ、アレク」  
「突然落っことすなんてひどいじゃない」  
「目が覚めて女が腹の上に乗ってたら、普通は驚いて振り落とすだろ」  
「全然驚いてなかった癖に」  
太腿の上できゅっと拳を握って上目遣いに睨んでくるアレクサンドラの鋭い指摘に、フォレストは  
一瞬言葉を詰まらせた。  
視線を逸らすのと同時に立ち上がり、部屋の電気を点けるついでに話題も逸らそうとしたのだけれど。  
明るくなった部屋の中、床に座り込んだままのアレクサンドラの格好に今度はフォレストが叫んだ。  
 
「お前っ、なんて格好してるんだよっ!」  
「あぁ、これね」  
フォレストの驚愕を他所に涼しい顔で自分の胸元を見下ろしたアレクサンドラは、短い裾を気にして  
引っ張る素振りをしながらも、いとも簡単に告げてみせる。  
「ダナにアイドバイスを貰ったの。夜這いをかけるならこれよって」  
「お、お前らは……」  
がっくりとその場に膝をついたフォレストは頭痛に襲われる。  
今、この瞬間第三者に部屋に踏み込まれれば、フォレストは間違いなく逮捕されるだろう。何せ、  
真っ白のレースとフリルで飾られた淡いピンクのベビードール一枚しか身に纏っていない十七歳の少女が  
部屋にいるのだから。気力で頭痛を押さえ込みながらフォレストは言った。  
「そんなはしたない格好して男の部屋に乗り込むなんて、そんな娘に育てた覚えはないぞっ」  
「フォレスト君に育てられた覚えなんてないわよ。昔っから私が面倒みてたくらいじゃない。それにちゃんと  
この部屋に忍び込んでから着替えたんだもの」  
堂々とした口調で胸を張ったアレクサンドラが部屋の隅を指差す。そこにはきちんと畳まれたチェックの  
ワンピースとインナーの黒いハイネックのシャツが鎮座していた。  
「威張る所じゃないだろ」  
「大体フォレスト君がおかしいのよ。普通の妙齢の男なら、こんな格好をした女の子が部屋に来たら  
嬉しいものじゃないの? これで反応しないのはゲイかEDかどっちかよ」  
「お前のその偏った知識は何処から生まれてくるんだ?」  
六歳で大学に飛び級入学した天才少女がとんでもなく世間知らずなのは、長い付き合いでよく身に沁みていた。  
だからこそ、叱る時には叱らねばならないと、フォレストは挫けそうな心を奮い立たせる。  
「子供がする格好じゃないだろ?」  
「……子供じゃないわよ」  
拗ねて頬を膨らませていたアレクサンドラがすっと表情を消し僅かに俯いた。長い睫毛が影を落とすと、  
その見慣れた顔がが突然大人びて見えて瞼を擦りそうになった。  
 
「十七歳なんてまだまだガキだって……あ」  
「フォスレスト君はいつも私を子供だ子供だって言うじゃない。今日から十八歳だもの。だから……」  
だからこんな馬鹿げた行動に出たのだと、アレクサンドラは暗に告げていた。  
しょんぼりされるのには弱くて、フォレストはまず椅子にかけておいたシャツをアレクサンドラの  
肩にかけると、目線を合わせる様に前にしゃがみこんだ。  
呆れられているかと伺うアレクサンドラの頭をくしゃくしゃと撫でる。子ども扱いしないでと、  
最近よく耳にする文句は目の前の唇から投げられなかった。大人になったのをアピールしようとして、  
かえって浮き彫りになった己の幼さに罰が悪いのかアレクサンドラは床を見つめたままだ。幼い頃から  
変わらない、そんな素直さがただ愛おしい。  
「やっぱりお前は子供だよ、アレク。そんな背伸びなんてしなくていいだろ?」  
「だって、いくら歳を取ってもフォレスト君には永遠に追いつけないじゃない」  
「誰でもいつかは大人にならなきゃならないんだから、一足飛びになろうとしなくても、……待つよ」  
決定的と呼ぶには曖昧なフォレストの言葉を、アレクサンドラはきちんと理解した。  
おずおずと顔を上げるアレクサンドラの額にフォスレトは唇で触れる。  
生意気な、でも守ってやりたい大切な子供がフォレストの中で一人の少女になったのはほんの  
少し前の事だった。幼い頃から大人である事を強要されてきたアレクサンドラに無理をさせる気は、  
フォレストには毛頭もない。この言葉だって、アレクサンドラのこの突飛な行動がなければ、きっと  
告げはしなかっただろうけれど。  
「ちゃんと好きだよ、アクレ」  
「……うん」  
こつんと額を合わせると、アレクサンドラは花が綻ぶ様に柔らかく笑う。  
ふと思い出してフォレストはアレクサンドラに着せているシャツの胸元のポケットから、小さな包みを  
抜き出した。  
「ほら、誕生日プレゼント」  
「覚えててくれたの? 先刻忘れてたじゃない」  
 
「明日会ったら渡そうと思ってたんだよ」  
「開けてもいい?」  
「あぁ」  
不燃織の袋の口を閉じていたリボンを解いて、中身を手の平の上に出したアレクサンドラは小さく声を上げた。  
「ペンダントっ。石まで付いてる! どうしたの、フォレスト君。毎年、お菓子やぬいぐるみだったのに」  
「だから、十八歳だろ?」  
「うんっ」  
嬉しいと素直に笑うアレクサンドラからシルバーのペンダントを受け取ると、四苦八苦しながらも華奢な  
首に付けてやる。アレクサンドラの白い肌にその青みがかった乳白色の石はよく映えた。  
「この石、奇麗ね」  
「昔あげたものと同じだよ」  
きょとんとした表情になったアレクサンドラに笑いながら、フォレストは窓の外を見た。  
丁度窓枠に半分掛っている、黄金の月。  
「ムーンストーン。……これはレンタルじゃないからな」  
「明日返さなきゃいけないのかと思ったわ」  
可愛くない口を利く目の前の少女が世界で一番可愛い相手で、それは多分一生ずっと変わらないのだろうと  
フォレストは思う。  
無意識に伸ばした手が柔らかい頬に触れる。細い髪の感触と間近で見る至妙なアレクサンドラの顔。  
床に伸びていた二人の影が重なった。瞼を下ろす寸前に見えたのは、押さないアレクサンドラが何故だか  
赤い頭巾を被っている姿だった。  
 
 
この先もアレクサンドラに振り回される幸せな人生がフォレストには待っているのだろう。  
振り回すアレクサンドラにも同じだけの幸せな人生がある筈だ。  
これが童話ならば、〆の台詞は決まっている。  
『こうして狼と赤ずきんは一生仲良く暮らしましたとさ。めでたしめでたし。』  
 
 

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