「こんばんは、フォレスト君。入っていいかしら?」  
俺の家のドアの前に立っている女は、俺を押し退けて無理矢理中に入ろうとしてきた。  
「今何時だと思ってるんだ」  
女は大袈裟に腕時計を見た。  
「ミッドナイト・プラス・1」  
「俺は実際の時間を聞いている訳でも、小説のタイトルを聞いている訳でもねぇ。  
何でこんな時間に押しかけてくるのか聞いてるんだよ!」  
「あの小説の映画化権はずっとスティーブ・マックイーンが持っていたんだけど、今は我が社が保有しているのよ。  
あなたが演りたければ主演させて上げてもいいわよ」  
「演りたかねぇよ。大体、アーヴィング社は映画会社でもないくせに、何でそんなもん持ってるんだ」  
「愛しのマックイーンが演りたがっていた役を、探偵上がりか何かのバカ男優に演じさせない為よ」  
「どうしたいんだよ」  
世界有数の頭脳と資産を持つ小生意気な女は、ズカズカとリビングに上がり込んだ。  
勝手にソファにふんぞり返ると、アカデミー賞授賞式でスピーチをするように宣言した。  
「本日只今をもって、私は18歳になったのよ。  
一人のアメリカ国民の誕生を、誰よりも早くお祝いさせて上げようと思って」  
「そういうのは、お友達の役目だろ。ダナ・オニールに祝ってもらえ」  
「パリやミラノのランウェイを歩く一流モデルにとっては、  
誕生日は男性からのお誘いが引きも切らず一年で一番忙しい日だから、女友達は遠慮するのが常識だそうよ」  
そりゃお盛んなことで。  
 
それにしても、胡散臭い新聞広告に釣られてアーヴィング社を訪れて、  
アレンクサンドラお嬢様と知り合ってから8年か。  
俺の腰ほどの背丈しかなかったガキも、見た目と年齢だけは立派な大人だ。  
スカートから伸びた長い足をあまり眺めてはいけないような気がして、カーテンを開けたままの窓に目をやった。  
まんまるい月が空に浮かんでいた。  
月を見ている俺につられて、アレクも窓の外に目をやった。目を瞠ったところをみると、月に気付いたようだ。  
「やるよ。バースデイプレゼントだ」  
「それは7年前に貰ったわ」  
「地球環境に配慮して、リユースだ」  
「あなた、そんなんだから女にもゲイにも相手にされないのよ」  
いい年して結婚もしていないし、決まったパートナーもいないが、相手にされてなかった訳じゃないんだがな。  
と自分では思うが、やっぱり相手にされてなかったのかな。  
「だから、こうして一アメリカ国民の誕生を祝えるんじゃないか」  
俺はアレクの頭に手をやった。つもりだったが、アレクが頭を引いたので、俺の手は虚しく空中を彷徨った。  
「一人前のレディに対して、子供みたいな扱いはやめてよね!」  
だって子供じゃねぇか、と言いかけて、俺を睨むアレクの顔を見て何も言えなくなった。  
ずっと前に、どこにも行かないでって言われたことがあったが、あの時ぐらいの必死な目。  
今回は別にどこかに行く訳じゃないし、ただ頭を撫でようとしただけだ。何でこんな切ない顔をする?  
切ない顔?アレクが?  
…俺、勘違いしていいか?  
いや、いいかって何だよ!勘違いして何する気だよ!  
 
俺は宙ぶらりんの手をアレクの肩に置いた。  
髪の毛が指先に触れて、絹糸のような感触にドキドキした。  
今まで何度も何度も触った筈なのに、何で今更ドキドキする?  
アレク、とつぶやいた俺の鳩尾に、突然激痛が走った。  
アレクが渾身のボディーブローを決めていた。  
「やめてよ、何すんのよ!」  
「何もしねぇよ!」  
「女の子と二人っきりで自分の部屋にいて、何もしないなんてどういう了見よ?」  
「どっちなんだよ!」  
 
このまま二人で部屋にいるのは危険だ。色んな意味で。  
「車は帰らせたんだろ?プレゼントを用意するから、俺の車に乗れ」  
「ふうーん?」  
怒っているような、疑っているような、責めるような、嬉しいような声を出した。  
ソファに座ったまま身体を反対に向け、その上、物凄く不自然に顔を背けているので表情は判らない。  
「追い出さなくてもいいじゃない」  
俺の中の黒キースと白キースが猛烈に戦い出した。  
とにかく部屋を出よう。何かする時は、車の中でも出来る。いや、何もしないけど。多分。  
 
アレクは車の中でもずっと顔を背けたままだった。  
あまり背けすぎて、一回りして顔がこっちを向きそうだ。  
俺の方は助手席ばかり何度も見てしまうので、歩道に乗り上げて危うく消火栓に激突するところだった。  
どうせここで停めるつもりだったから、それでいいんだ。  
「何よ、ここ」  
「ここで待ってろ、鍵はかけとけ」  
 
シャッターの横のインターホンを鳴らすと、眠そうな男の声がした。  
「情報屋のジローだな」  
「さあな」  
「今日が誕生日の18歳の女には、どんなプレゼントがいいかな」  
インターホンの向こうで、猛烈に喚く声が聞こえた。  
日本語だか中国語だか知らないが、ウラジョーホーとかチャントゥキケとか言っている。  
俺、英語しか判らないんだ。悪いな。  
「あぁ、もう!横手のダストボックスの上に花束が乗ってる。107ドルでいいぜ」  
「7ドルは何だよ」  
「そいつが知りたきゃ、もう50ドル。モルガン・スタンレーの最上層部が情報筋のお買い得話だぜ」  
別に興味ないので、107ドル郵便受けに突っ込んで、花束を貰うことにした。  
シャッターの向こうで銃を乱射するような音が聞こえた。  
そういや、全米ライフル協会の新会長って誰になったんだっけな。  
ダストボックスの上にあったのは、白い花ばかりを束にして、ピンクの包装紙で包んだ花束。  
俺にはバラとユリとカスミ草しか判らんが、確かに18歳の女が喜びそうだ。  
 
「改めて、バースデイプレゼントだ」  
今までむっつりしていたのは何だったんだというぐらい、はしゃぎ出した。  
子供そのものだ。うん、やっぱり子供だもんな。俺はエンジンをかけた。  
「どこ行くの?」  
「お前の家」  
一瞬動きが止まったが、すぐに笑顔が戻った。  
「そうね、早く花瓶に入れないといけないものね。フォレスト君にしては上出来なプレゼントだわ」  
ふーん、もう帰っていいのか。  
 
車をいつものように車寄せに停めた。  
「今日はありがとう、フォレスト君」  
ドアを開ける前に、俺は声をかけてみた。  
「グッナイ・ハニー」  
アレクが俺の顔を見つめたまま、動かなくなってしまった。  
あまり目を見開くと、眼球が落っこちるぞ。  
「グッナイ・シュガー」  
フォレスト君がいきなりシュガーになったぞ。随分な出世だ。  
「勘違いしてもらっちゃ困るんだけど、シュガーってのは“お熱いのがお好き”のマリリン・モンローの役名。  
寝台列車でマリリンが女装したバカ二人にお寝みの挨拶をするシーンよ」  
そんなシーン、あったっけか。かなり昔にテレビで観たきりなので覚えていないぞ。  
それ以前に、俺は映画のシーンを再現したい訳じゃない。  
「と言っても、女装したトニー・カーチスは嫌いじゃないの。むしろその役者根性がステキだ…もがっ」  
うるさいので、口を塞いでやった。アレクの舌は、甘い味がした。  
 
唇を離しても目を閉じたままなので、ついでに抱きしめてみた。小さく息を吸うのが聞こえた。  
「スティーブ・マックイーンにトニー・カーチスって、どんな好みだよ」  
「苦しい…」  
慌てて腕の力を緩める。俺、余裕ないな。  
「ついでにヘボ探偵なんかはどうだ」  
俺の胸の中のアレクの顔に唇を寄せようとしたら、顔を埋めたまま背けられた。  
今日は顔を背けられっ放しだ。  
「口の中がポテトチップス味のヘボ探偵は好みじゃないわ」  
アレクが来る前、小腹が空いたので食べてたんだが、気付かれたか。  
「完璧な人間はいないさ」  
“お熱いのがお好き”のラストシーンのセリフだ。いや、“七年目の浮気”だったかな。  
肩を震わせて笑っているところを見ると、“お熱いのがお好き”で合ってたようだ。  
 
「お寝み、フォレスト君。明日は午後2時に私のオフィスよ。忘れてないでしょうね」  
「勿論だ、ボス。お寝み」  
 

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