お金がないことは人をすさませる。  
「きれーな顔してるねえ。どうだい、一晩?」  
 なんて言われて一瞬迷ってしまうくらいだ。  
「なあに、男同士だって慣れればいいもんだぜ」  
 という言葉でおもわずなぐってしまったが、それは性別を間違えた相手が悪いのだ。  
 気が付いたら鼻から血を流した酔っぱらいが倒れていて、助け起こそうとしたら何かわめきながら逃げていった。  
 治療費を請求されなかっただけマシか、と思っているとパンパン…と乾いた拍手が聞こえた。  
「お見事、軍曹。軍を離れても相変わらず腕っ節はすばらしいな」  
 会いたくないけど捜していた相手がそこにいた。  
 
 
「どうしてあんな所に?」  
 オフィスと言うには雑然としすぎているが、一応ソファや簡単な給湯設備があるボロビルに案内され、コーヒーを入れてもらいながら聞くと  
「秘密任務中。っと、愛の伝道活動中、てことにしておいてくれると助かるけど」  
 相変わらず人を食ったような回答が返ってきた。親の七光りをめいっぱい浴びてのこととはいえ、一応中佐という立場だ。民間人には言えないこともあるのだろうが、この人の場合どこまで本気なのかわからない。  
「それより君こそどうしたの?お姉さんは元気?」  
そこでこの人を捜していたことを思い出した。以前にも訪ねたビルに行ってみたが、素っ気なく不在を告げられて、どうしようかと思案していたところだった。  
「姉は入院していますが、容態は落ち着いています。中佐、実はそのことでお願いが」  
「軍曹のお願いならかなえてあげたい気持はいっぱいだけど。どんなお願い?」  
 ふざけた調子で聞いてくるのをうけながす。  
「仕事を紹介してほしいんです。このままでは入院費も払えなくなりそうで」  
 姉のホリーは幼い頃から入退院を繰り返している。病気のことも気がかりだが、お金がないと病気を治すどころか生活をすることも出来ない。  
 軍にいた頃さんざんひどいめにあわされて出世のジャマをしてくれた相手だが、背に腹は替えられない。職を得るためにはどんなつてでも頼らなくてはならないのだ。  
 
仕事かあ、と考える様子になお言葉を足した。  
「どんなものでもいいんです。給料が高ければそれにこしたことはありませんが、すぐに働けるのなら贅沢は言いません」  
 体力には自信もある。要人のボディガードだってこなせるし、なんなら道路工事だってしてみせる。もっとも、そんな仕事は安くて壊れにくいロボットがするから、なかなか求人はないのだが。  
「お手当がいい方がいいのなら、うちの父親が愛人と別れたばかりだけどなー。といってもあの人は巨乳好きだから気に入られるかどうかはーっっと!」  
 テーブルを殴るだけでおさえたのはここでこの人に怪我をさせてコネを失ってはいけない、という理性がどうにか働いたからだ。  
「申し訳ありませんが、その手の冗談は嫌いなんです。皿洗いでも運転手でも良いので、どうかお願いします」  
そういって頭を下げた。  
「オヤジじゃ駄目なら若い方がいいかな?じゃ、僕の愛人してみるとかど」  
「時間を取らせてすみませんでした。コーヒーごちそうさまです」  
 全て言い終わらないうちに席を立った。もう一度斡旋所に行ってみよう。何か新しい仕事口があるかもしれない。  
「自殺願望のある少年がいてね」  
 出口に向かった背中に向かって声がかかり、振り向いた。  
「マーロン君ていうんだけど。まあ、一人で死ぬだけならまだいいんだけどね、寂しいから友達を連れて行きたいって言ってて、爆弾持って街をさまよってるものだから捜してたんだ」  
 さっき見つかったって連絡があったから、会ったことのないお友達が吹き飛ばされたりしなくて良かったけど。  
 何でもないことのように続けた後、こういった。  
「スイッチが入ったら、自分では止められない。彼にはスイッチを止めてくれる人がいなかったんだ」  
 「彼」の素性は聞かない。ただ、まっすぐに目を見返してこう答えた。  
「中佐は大丈夫です」  
 以前も言った言葉を繰り返しただけだが、相手には通じたらしい。一瞬ほほえんで、そのほほえみがにこやかな笑みに変わった。  
「うん。でもね、俺自身をよく見ておいてほしいから、愛人契約はいい話なんじゃないかなーと思うんだけど。ダメ?」  
「ほかをあたってください」  
 即答した。やっぱりこの人の思考回路はよくわからない。  
 やっぱりだめかあ、とつぶやく声を後ろにして部屋を出ようとした。その時。  
 
かちゃん!と左手首の辺りで音がした。え?とふりむこうとすると、いつの間にか右腕まで掴まれていたらしい。2度目の音は右手首の辺りでした。  
「……何のまねです?」  
「んー?軍の開発品だよ。これだと腕に跡が付かないらしい」  
「そういうことを聞いてるんじゃないんですが。何のためにこんなことをするんです?」  
 両腕を後ろに回されて、それでも一応平静を保とうとしているのだが、この人相手では無駄かもしれない。  
「だって、愛人契約は断られたし、軍曹相手ではなかなか合意も取れそうにないし。和姦が無理なら強姦しかないかなと」  
「……何の話です?」  
 訳がわからない。  
「うん、だからね、乱暴な手段はあまり使いたくなかったんだけどね、他に思いつかなかったし」  
 話がかみ合わない。  
 とにかくこの手錠をはずせ。そういおうとした。  
 なのに、急に世界が回った。急激におそってくる浮遊感に立っていられなくなり、しゃがみ込んだ。  
「あれ?効いてきたのかな?それも軍の開発品なんだよ。体の自由は奪われるんだけど五感は損なわれない上、後遺症もないらしい」  
 さっきのコーヒーか?手をついて体を支えようにも手錠のせいでそれも出来ず、床に転がるような形になりながらにらみつけてやる。  
「うん。ごめんね、軍曹」  
 そういいながら抱き上げられても、抵抗することは出来なかった。  
 
 ソファの上に投げ出されるような格好になった。シャツは脱がされて、体の後ろの手首の辺りで止まっている。  
「一応、聞きますが、何を、しようと、してるんです?」  
「え?わからない?この状況で?」  
 ろれつが回らないのに何とか聞いてみたが、まともな答えが返ってこない。その上、ブラジャーまで上に押し上げられて、のどの奥から変な声が出た。  
「かわいい胸だなあ」  
感心したようにつぶやく男にカッとなって蹴り上げようとしたが、足が上がらない。力が入らないのだ。  
「すごいな、ほんとに効果絶大だ。感覚はあるみたいなのにね」  
 言いながらささやかな胸を触られて、びくりと体が跳ねてしまうのを確かめての言葉だった。  
「なんで、こんな…っ、バカみたいなものの研究ばっかりっ」  
一服盛られて気づかなかった自分にも腹が立つが、ろくでもない物にばかり労力を割いている軍に対しても怒りの矛先は向かう。どうせ拷問にでも使うためのものだろう。  
「はは。戦争のためにだけお金をかけてる所じゃないからね。まともじゃない組織であることは確かだ。早めに縁が切れて良かったんじゃないかな?軍曹は」  
口調は軽かったが、目は笑っていなかった。  
「……だから?」  
「え?」  
「だから、私を、追い出したんですか?」  
 自分を上からのぞき込むようになった相手と目が合う。  
「何の話かな?」  
 以前、自分のことを知能も才能も普通だといっていたが、勘はいいし、性格は最低だが、要領もいい。そんな男がなぜかいちいち自分がいるときにだけミスをする。偶然にしてはできすぎだ。  
 何のためにそんなことをするのかまでは考えなかったが、自分が部下であることが気に入らないだけであれば除隊になった時点で縁は切れたはずだ。なのにわざわざ仕事を依頼しに来たり、よくわからない人だとは思っていた。  
 手錠をかけて薬を盛ったりするのはさすがに予想外だったが。  
 そして相手は自分の問いかけには答えようとせず、今度は額にくちづけてきた。そのまま頬に、耳に、唇は降ってくる。口に来たら噛みついてやろう、と思うのにその気配を察しているのか決して口元には触れてこない。そんなところがよけいに腹が立った。  
「っ!」  
 
 耳元に吐息を吹きかけられた上、胸を触られた。奇妙な感覚。ざわざわと背中が落ち着かなくなる。  
 体に力が入らない上、腕が体の下にあるから何かにすがって耐えることも出来ない。  
 両方の乳首をこね回された上、口に含まれたときはさすがに泣きたくなった。どうせならなぐられたほうがまだましだ。  
「きれいだね、マットは」  
 胸をいじりながらそういわれてもバカにされているとしか思えなかった。  
 自分で言うのも何だが、筋肉質で女性らしい丸みはない体。その上、軍の時代から怪我をすることが多かったから消えきらない傷がいくつも残っている。  
「きれいだよ、マットは。本当に」  
 自分が言いたいことがわかったのか、相手はもう一度繰り返した。そして、傷跡にくちづける。優しく触れる唇に、さらに背中はざわめく。  
 必死でそんな感覚と闘っている間に、相手の男は私の靴と闘っていた。ズボンを脱がそうとして、靴が脱がせず、足首のところで止まってしまったらしい。  
「ま、いいか」  
 下着とズボンと一緒に、靴が片方だけ脱げたところであきらめたようだ。右側の足にだけ服の固まりが引っかかっている自分の姿を考えると、さらに泣きたくなった。  
「この、へんたい…っ」  
 股間をなめられて、いてもたってもいられなくなる。せめて自由な口だけでもと、相手をののしった。  
「ごうかんっま、ひきょう、ものっ」  
「それに、悪魔でサタンで疫病神だし。ほんとに、こんな奴に関わって災難だよね、軍曹」  
 そういって顔を上げた相手の口もとが濡れているのはなぜなのか、考えたくない。  
「なんでかな。あの酔っぱらい相手にマットがすぐに反応しなかったから、もしかしたら俺以外の人間がマットの裸を見る機会があるのかもしれない、ベッドをともにする機会があるかもしれないって思ったら、ぷっつんしちゃったみたいだ。  
 たまたま薬を持ってたときに会えたのは、もう思いのままに行動しても良いんだってことかなと」  
 そんな理屈があるか、といおうとしたが言葉にならなかった。  
「まあ、何を言っても今の自分の行動が最低なのはわかってる。  
 わかってるけど、ごめん、止められない」  
 
 なぜか相手の方が泣きそうな顔に見えた。  
 子供のようだ、と思う。  
 また男の顔が見えなくなって、今度は指を入れられた。1本、2本。指が増えていくたびに、考える力がなくなっていく。  
 どうしても体が跳ねてしまうところを見つけた指が、執拗にそこを攻める。くちゅ、くちゅ、と水音が耳に届き、いたたまれないのに顔を隠すことも出来ない。必死で目を閉じてみても、自分の呼吸の荒さにかえってあおられる結果になった。  
 ようやく指を抜かれて、ほ、と力が抜けたのを見計らったように、それまでとは質量の全く違う熱の固まりが入ってきた。  
「…っ、きつっ…、もう少し、力抜いて。でないとかえって辛いよ」  
 そんな声も耳に入らない。ナイフで斬りつけられたり銃で撃たれたりした経験はあるが、そんなものとは全く種類の違う痛み。まるで内臓を直接なぶられているような感覚で、じりじりと腰が進むと言いようのない違和感が残る。  
「〜〜〜っ!」  
やっと進入がやんだ、と思ったら今度は激しく突き上げられ、目の前がちかちかする。かみしめた唇から血がにじんだようで、鉄の味が広がった。  
「ごめん」  
 指で口元をぬぐわれた。どういう仕掛けになっているのか、特に鍵を持っている様子もないのに背中に回った腕の手錠も外してみせる。  
 自由にはなったが相変わらず力は入らない。でも力の入らない指先に大事そうに口づけされると、そこだけが熱くなる気がした。  
 もう一度胸をいじられ、耳元に口づけられた。そして今度はゆっくりとした動きでゆさぶられる。いつの間にか相手を受け入れてしまっている自分の体に気づかないふりをしたいのに、相手の動きがスムーズになり、どんどん熱くなる内奥がそれを許さない。  
「マット。…マット…」  
 名前を呼ばれている、それだけなのに、吐息からも熱が広がっていくようだ。相手にすがりつけない、そのことをもどかしく感じている自分がいるがそんな思いもおそってくる波が押し流していく。  
 きっと全てが薬のせいだ。体に力が入らないのも、口腔に入ってきた舌の動きに答えてしまったのも、すべて。  
 
「バスルームはどこです?」  
 体を拭こうとしていた相手の動きを制していった。  
「あの扉。体、辛くない?抱き上げて連れて行ってあげた方がっっ」  
 今度は遠慮せずに殴ってやった。完全に力は戻っていないが自分の意志で動かせることに満足する。一度では終わらなかった蹂躙の跡がいくつも残っている体を見ながらも足をおろして、歩けることを確認した。  
「軍曹。謝ってすむことじゃないし、許されることじゃないのはわかってる。言い訳をすることも出来ない。本当に、申し訳なかったと」  
「謝ってすむことじゃないのがわかっているのなら、思いつきで行動するその性格、なんとかしてください。……その方が、しなくて良い心配をしながら生活するよりずっと建設的です」  
 そういってバスルームに向かった。途中、忘れないように付け足す。  
「ちゃんと私の仕事先、見つけといてください。給料と条件が良くて、セクハラ親爺のいないところ!」  
 歩き去る途中、「俺のお嫁さんって言う永久就職じゃダメだよなあ」というつぶやきはあえて聞こえない振りをした。立ち直りの早い人のことは放っておこう。  
 のっぴきならない関係はもう少し続くだろう。しばらくはそれでも良いのかもしれない。いつか変わってしまう、その時までは。  
 
 

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