昔々あるところに、少し先の出来事を夢見ることができるお姫様と、その幼馴染の魔法使いがおりました。  
子どもの頃から憎からず思い合っていた二人でしたが、成長して後は姫の美しさに魔法使いがゾッコン。多少のすれ違いはあったものの、二人は思いを確かめ合い、魔法使いの熱烈なプロポーズによって先頃めでたく結ばれたのでした(以上、シェンナ姫談)、が・・・・・・  
 
「ちょっと、こうもり」  
シェンナ姫とマースの結婚式から一週間後、未だ祝賀ムードに包まれる城の一角で、姫が辺りを伺いながらこうもりを手招きしました。  
「なんですかー、姫、こそこそと」  
「しっ、静かに。お前に折り入って聞きたいことがあるのです」  
「マース様の好きな下着の色ならこの間お教えしたとおりですよ」  
「違います」  
少し頬を赤らめて、姫は咳払いをしました。  
「もっと重大なことよ。ねえ、こうもり」  
姫はガシっと、こうもりの肩(?)を?みました。  
「マースの過去の女性関係ってどうなってますの?」  
 
「ど、どうしたんですか、いきなり。結婚式に昔の彼女が乱入でもしたんですか」  
「いいえ、そういうことはなかったのだけれど。――やっぱり、ほかの女性とも付き合ってましたのね」  
「いや、今のは一般的なたとえ話として・・・・・・」  
「いいのよ、こうもり。正直に話して。私、夫の過去まで遡って責めるような心の狭い女ではありませんわ。」  
「じゃあ、なんでそんなこと」  
「いいから!!」  
姫の迫力に気圧され、こうもりはおずおずと口を開きました。  
「ぼくがお仕えする前のことはよくは知りませんけど、魔法学校の学生時代に付き合ってた女の人がいたと聞いたことがあるよーな、ないよーな・・・・・・・」  
「なんですって、その女性とは、どの程度のお付き合いでしたの!!」  
「だから、よくは知りませんってばー」  
姫の怒鳴り声と、こんなこと話したのが知れたらマースにどんなに叱られるかとの恐怖で、こうもりはもう涙目になっています。  
姫はブツブツ呟きながら何やら考え込んでいましたが、やおらこうもりに向き直ると  
「ではもう一つ聞きたいのですけど、マースには特に親しい男友達はいるかしら」  
と尋ねてきました。  
「男、ですか? いや、たまに同業者が尋ねてきますけど特に親しい人ってのはいないと思いますよ」  
「そう、ありがとうこうもり」  
ふいに神妙な顔つきになり、シェンナ姫はゆっくりと頷きました。  
「私わかりましたわ」  
「わかったって、何がです?」  
「マースは・・・・・・」  
たっぷりと間を取って、姫はこうもりに言い放ちました。  
「マースは不能なのです!」  
 
「えええええー!!!!!」  
「静かにと言ったでしょう。声が大きい」  
姫に口をふさがれて目を白黒させながら、こうもりは、さっきの姫の”不能”発言だってけっこう声大きかったじゃないかと思いましたが、口を塞がれているので口には出せません。  
「ここだけの話なのですけど、結婚式から一週間、マースは私に指一本触れようとしないのです」  
こうもりを開放し、姫は芝居がかった口調で語り始めました。  
「最初のうちは、私のこのまるで朝摘みの白薔薇のような清らか過ぎる美貌に傷をつけるのが怖いのだろうと解釈していたのですけれど・・・・・・」  
(表情が本気だ)  
「とは言っても、若い情熱は抑えが利かないもの。愛する女性と褥を共にして一週間も手を触れないなんて、おかしいですわ。下着も好みの白だったのに」  
「はあ、まあ確かに」  
「となれば、可能性は二つ。女性に興味が無いか、不能か。先ほどの話を聞くかぎり前者ではなさそうです。となれば!」  
姫はこうもりに指を突きつけます。  
「残る可能性は一つです」  
(でもなあ、ほんとにそうだったら、あのマース様が結婚までそれを黙ってるなんてことがあるだろうか。真面目な人だし)  
こうもりの思いをよそに、姫は語り続けます。  
「だけど大丈夫。そんなあなたのために、こちら!」  
いつのまにかテレビショッピングのセットとなった背景を舞台に、姫が怪しげな小瓶を手ににっこりと微笑みました。  
「情熱の夜をもう一度。男性のせいよ・・・・・・ゴホンゴホン・・・・・を復活させる滋養強壮剤、”Mr.マキシマム”。今なら三本セットで19,800円。ただいまダイナミックキャンペーン中につき、お買い求めのお客様には寝室のムードを高めるアロマセットもお付けいたします!」  
「うわー、うさんくさー。姫、だめですよ、通販の中でもその手のものはインチキだと相場が決まってるんです」  
「あら、これはいつも利用してるカタログに載っていたものだから大丈夫ですわ。ほら、全国からも続々とお喜びの声が――」  
「けどぉ、まだマース様がそうと決まったわけじゃ・・・・・・」  
「あら、もう間違いありませんわ。さあ、そうと決まったらさっそく注文しなくては」  
スキップで去っていく姫の後姿を、こうもりはため息とともに見送りました。  
(これは、マース様に報告したほうがいいだろうなあ)  
 
そして小一時間後、  
「だ、れ、が、ふ、の、う、だー!!」  
城内に設けられたマースの魔法研究室に、怒りに震えた声が響き渡りました。  
「あ、やっぱりちがうんですね」  
「ちがうもなにも、あいつは、あのグータラ姫はなあ」  
怒りのあまり荒くなる息を整えながら、マースはこうもりを睨みつけました。  
「寝室に入ってベッドに横になるなり、バタン、グーで3秒とたたず熟睡なんだぞ。その後は昼過ぎまで起きてきやしない。そんな状態で、何をどうできるっていうんだ」  
そんなことじゃないかと思ってはいたものの、実際に聞くとなんとも脱力する真相です。哀れな御主人を慰めるため、  
「じゃあ、マース様。眠くならない薬を姫にこっそり飲ませてみては?」  
と言ってみたものの、  
「そんなことはとっくにやってみた!」  
と怒鳴られてしまいました。  
しばらくは収まりそうにないマースの剣幕に恐れをなして、こうもりは  
「あっ、用事を忘れてた」  
などと白々しい言い訳をしながら出て行ってしまいます。  
一人になった部屋で、マースは大きなため息をついて頭を抱えました。  
この一週間、思い悩んでいたのはマースも同じだったのです。  
とはいってもマースの場合、あまりに人間離れした姫の寝つきが、実は演技ではないかと疑っていたのでした。  
いくらグータラで乱暴なシェンナ姫といっても、そこは深層のお姫様。もしや体を重ねることが怖くて寝たふりをしているのではないか、もしそうなら、自分はどうすればよいのかと、マースなりに姫の心身を案じていたのでした。  
(それが、あのグータラ姫め)  
こうもりが持ってきた”Mr.マキシマム”のチラシを、マースは握りつぶしました。  
(そっちがその気なら、俺にだって考えがあるぞ)  
 
そして夜。  
マースが寝室に入ると、珍しく先に来ていたシェンナ姫が、ソファから立ち上がってにっこりと微笑みかけました。  
「今宵はとても珍しいお酒が手に入ったのです。寝る前にいかが?」  
見ればテーブルの上には、何やら不吉な沼色の液体をたたえたグラスが用意されています。  
(あいつ、ほんとにあんな怪しいものを飲ませる気だったのか)  
げんなりする気持ちを隠して、マースは微笑んでみせました。  
「それじゃ、グラスをこっちに持ってきてくれないか」  
言いながらベッドへ行くと見せかけて、その手前で急に立ち止まったマースは、後ろに来ていた姫の手からグラスを取り上げ、その場できつく姫を抱きしめました。  
「あ、あの、マース?」  
わけがわからず身じろぎする姫に、マースは囁きます。  
「残念ながら、俺にはこれは必要ないんだ」  
「え、どうし・・・・・・」  
言いかけた姫の言葉は、マースの口付けによって遮られました。  
 
「マース、私・・・・・・」  
うっとりと自分を見上げる姫を片手で抱いたまま、マースはグラスを近くのサイドテーブルに置き、そのまま空いた手をポケットに忍び込ませました。  
(では、これを)  
取り出した小さな木の実を口に含み、少し噛み砕いた後、また姫に口付けます。今度はさっきよりももっと、深く。  
「んっ」  
口内に侵入してきたマースの舌とそこで感じたわずかな苦味に、一度は驚いて体を引き離そうとした姫も  
自分を押さえつけるマースの手の熱さに、決意したように身を寄せていきます。  
口の中では、相変わらずマースの舌が自分を隅々まで探っており  
その感触に慣れるにつれ、頭がボウっと、そして体の中心から力が抜けていくような感じに襲われるのでした。  
(だるい、横になりたい)  
姫の思考は、不意に訪れた刺激によって中断させられます。  
口付けをしながらゆっくりと首や肩をなぞっていたマースの手が、夜着の合わせ目から胸元に滑り込んできたのでした。  
「きゃあっ」  
驚いて身を引くと、唇が離れ、マースと目が合います。  
マースは、初めて見る表情をしていました。  
「シェンナ姫。いいか?」  
戸惑いながらも、姫はしっかりと頷きます。  
(ああ、今こそ愛する人と一つになるのですわ。少し怖いけど、頑張るのよ私)  
「それじゃ、ベッドへ――」  
「だめだ」  
ベッドへと歩きかけた姫の手を乱暴に引いて、マースはその奥へと彼女を引っ張っていきます。  
「え、あの・・・・・・」  
?んだ手をそのままに、マースは姫を壁へと押し付け、激しく口付けました。  
「今日はこのまま、ここで」  
「な、なんでですの」  
抗議の声は、だんだん荒くなる自らの呼吸で途切れてしまい、姫は観念したように目を閉じました。  
横になったらすぐ眠ってしまうのならば、絶対に姫をベッドに寝させない。  
そう、それこそがマースが考えた作戦だったのです。  
 
(熱い)  
ゆっくりと動きまわるマースの手が触れた箇所が、熱を持ちます。  
とりわけ、その手が胸の頂に触れたときには、体が燃えるように熱くなり、そして疼くような奇妙な波が体を駆け抜けていきました。  
「ああっ」  
自分の声に驚いて目を開けると、マースと目が合います。  
心なしか満足げに微笑むと、マースの顔がすっと下に沈みました。  
「え、ちょっと、・・・・・・んんっ」  
先ほどから攻められ、敏感になっているその箇所を、マースの舌が捉えたのでした。  
「や、だめで・・・」  
夜着の裾から進入し、滑らかな足の感触を確かめるように動いていたマースの手が、その中心まで辿りつきました。  
鈍い水音を立てながら、マースの指がそのかたちをなぞるように動き、一点で止まります。  
その途端、全身の血が集まっては拡散していくような感覚に攫われ、シェンナ姫は膝から崩れ落ちました。胸元にあったマースの頭にしがみつき、息も絶え絶えに訴えます。  
「マース、おねが、ああっ、も、だめ、立ってられな・・・・・・」  
「それでは」  
ぐったりと座り込んだ姫を抱えあげ、マースはベッドへと向かいました。  
 
そっとやさしくベッドへ横たえられるかと思いきや、マースは姫を抱いたままべッドの縁に腰掛け、姫を膝の上に降ろしました。  
「ごめんな、しんどかったか」  
そう言いながらも、マースの手は自分と姫の夜着を剥ぎとっていきます。その手を押さえて、シェンナ姫はマースに向き直りました。  
「なんだ、どうし・・・・・・」  
「先ほど、私に何を飲ませましたの?」  
マースの手が止まりました。  
「さっき口移しで飲ませたあれか。気付いてたのか」  
「マースが必要だと思うのでしたら、私、何も拒みませんけれど、けれど、そんなものがなくったって、この身も心ももうマースのものですのに」  
「は? 何を言ってるんだ」  
「だから、媚薬なんて使わなくとも、私はマースを」  
「お前なあ・・・・・・」  
マースはがっくりと肩を落としました。  
「あれは媚薬なんかじゃない。女は初めてのときはひどく痛むというから、それを緩和する薬で――、  
まあ、多少そういう成分がないでもないが、少なくともお前が俺に飲ませようとしたものよりは全然ましだ」  
「あ、あら、そうでしたの。私てっきり・・・・・・。だって、体がおかしくなってるから」  
その言葉を聞いて、マースが微笑みました。  
「おかしくなってるんじゃない。それでいいんだ」  
真っ赤になって俯いたシェンナ姫の見事な金髪を撫で、マースはその耳元に囁きました。「それじゃ、最後まで進めて大丈夫か」  
「じゃあ、布団の中に・・・・・・」  
「入らない」  
「え、でも?」  
「いいんだ、こういうやりかたもある」  
(初めての相手にすることじゃないけどな)  
心の中で一人ごち、マースは姫の体を持ち上げ、自分の膝をまたぐように一度座らせて、向かい合った姫に優しく口付けました。  
(変則的ですまない。・・・・・・ま、悪いのはそっちだけどな)  
「それじゃ、いくぞ」  
「はいっ!!」  
 
翌朝、というか昼。  
シェンナ姫が目覚めると、マースはすでに服を着替え、ベッドに腰掛けて自分の顔を見下ろしていました。  
「おはよう、マース」  
いつもどおり屈託なく笑いかける姫に、マースは少し決まり悪そうに眼をそらします。  
「その、体は大丈夫か?」  
「え? ああ、そうでしたわね、昨日はそうでしたわ・・・・・・。大丈夫です」  
最後のほうの声は、消えそうなほどか細く小さくなっていました。姫とて恥ずかしいのは同じ。ただ、寝起きは寝とぼけているので昨日のことをすっかり忘れていたのです。  
「ねえ、マース」  
赤くなって俯いたまま、シェンナ姫が言いました。  
「私、夢を見ましたわ」  
「また例の正夢か。今度は何だ」  
「マースが」  
顔を上げて、姫はマースを見つめました。  
「マースが眠っている私に微笑みかけて、それから優しくキスをしてくれるんです」  
マースは一瞬目を見開き、それからふいと横を向いて、二、三度咳払いをしました。  
「あー、それなら、えー、・・・・・・夢じゃない。現実にあったことだ」  
「え?」  
少し頬を赤らめて、姫とは目を合せずに、マースはそそくさと部屋を出て行きます。  
「それじゃ、お前も昼食までには着替えて起きて来いよ」  
その後姿を見つめながら、姫はにっこりと微笑んで呟きました。  
「ええ、知ってましてよ。けれど、正夢にもなるのですわ。これから毎朝、ずっと――」  
 
 

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