「しかし今回も突然だったわねー」  
   
コック長が夕食の仕込みを始めようとした時だった。  
キッチンのすぐ隣にある使用人控室からなにやら話し声が聞こえてきた。  
声のほうに目を向けると、暇を持て余しているのか  
三人のメイドがまったりお茶を飲みながらくつろいでいるのが見える。  
今この広い屋敷にいるのは俺達使用人だけでそりゃ奥様もいないし退屈だよなと  
コック長はぼんやり考えながらも手を動かしつつ、聞くともなしにその会話を聞いていた。  
 
 
「奥様とグラハムさんの旅行でしょ?今朝になっていきなり  
『しばらく留守にしますから後はよろしく』だもん。驚いちゃったわよ」  
「まあ、そろそろグラハムさんの誕生日だからまた奥様が何か企んでるんじゃないかとは思ってたけどね」  
「あっ誕生日!」  
「なるほどねー、だから二人して温泉旅行ってわけ。奥様からの誕生日プレゼントなら納得だわ」  
「案外そういうとこマメよね、奥様って。でも最初はグラハムさんひとりで行く予定だったみたいよ」  
「あらそうなの?なんでまた奥様も一緒に行くことになったのかしら」  
「暇だからくっついていくことにしたとか」  
「そうじゃなくて、グラハムさんにどうしても一緒に来てくれってお願いされたんだって。  
去年の事件のこと言われちゃ断れないわよって奥様苦笑いしてたわ」  
「…そっか、あれからもう一年たつんだ。  
グラハムさんあの時トラウマになりそうだって嘆いてたし、連れていくの無理ないかも」  
 
 
へえ、急な外出はいつものことだからと大して気にしてなかったがそんな理由だとは知らなかった。  
去年の事件というとあれか、グラハムさんの親友が奥様を誘拐したってやつだな。  
コック長の脳裏に一年前の出来事がまざまざとよみがえる。  
いやあ、あんときは大変だった。  
二人の乗った車が海中から発見されたってんでメイド達はうろたえるし  
グラハムさんはこの一大事だってのに部屋にこもってずっと本読んでるっていうし。  
これは俺がしっかりしなくちゃいかんと思ってどーんと構えてみたものの内心は気が気じゃなかった。  
なんてったって皆知らないからあれだが、俺は知ってる。  
グラハムさんと奥様が、まあ、その、そういう仲だってことをだ。  
誰よりも奥様の身が心配で心配でたまらないのはグラハムさんだろう。  
なのに最愛の人と親友を一度に失ってしまうかもしれないこの状況で読書ってのは  
さっぱり意味がわからんが、グラハムさんのことだから何か考えがあるのかもしれない。  
あの人はどんな辛い状況でも決して自暴自棄になったりなんてしない。  
俺達が今までずっと見てきたグラハムさんはそういう人だ、と俺は信じたい。  
そうこうするうちにグラハムさんは詳しい行き先も告げずに慌ただしく出ていってしまった。  
こうなるともはや、俺達にできることといったら信じて待つことだけだ。  
そう考えたコック長はそわそわと落ち着かないメイド達をなだめ  
祈りをこめて静かに主の帰りを待つように説いた。  
結局二人とも無事で屋敷の者も皆一様に胸をなでおろしたが一番ほっとしていたのは他ならぬコック長だった。  
 
「でもさ、前に比べると大分落ち着いてきたと思わない?あの二人。  
旦那様と結婚したばかりの頃とは大違いよ。あの頃はしょっちゅうケンカしてたもの」  
「うん、ずいぶん仲良くなったわよね。性格はまるっきり正反対なのになんだか不思議な感じ」  
「正反対だから逆に気が合うんじゃない?奥様毎日楽しそうだし。  
グラハムさんは相変わらず振り回されてばかりで大変そうだけど」  
「あは、それは仕方ないわよ。奥様って退屈とは無縁の人だもん。  
人生いかにおもしろおかしく生きるかに命かけてるようなとこあるし」  
「あるある!いつどこで何しでかすかわからないからグラハムさんいつもほっとけないのよねー」  
「それにしたってプライベートな旅行まで一緒なんてほんと仲がよくてうらやましいわ」  
「まあ親子だしね。家族旅行みたいなものなんじゃないの。  
今の季節の温泉なんて気持ちいいだろうなー。奥様はしゃぎすぎて風邪ひかなきゃいいけど」  
「グラハムさんがついてるから大丈夫でしょ」  
「それもそうね。今頃かいがいしく世話やいてるだろうから心配いらないか」  
「……」  
「どうしたの?さっきからやけに静かじゃない」  
「…ん、いやね」  
「なに?食べ過ぎてお腹でもいたいの?薬持ってこようか」  
「もう奥様じゃないんだから。…ちょっと、変なこと考えてただけ」  
「変なことって何よ。気になるわ」  
「別に大したことじゃないから気にしないで」  
「そんなこと言われたら余計気になるってば。何?奥様のこと?」  
「まあそうなんだけど…。言っても笑わない?」  
「内容による」  
「ならやめとく」  
「焦らすわねー。はっきり言っちゃいなさいよ」  
「そうよ、言いかけてやめるなんてのどに詰まった魚の骨みたいで気持ち悪いじゃない。  
奥様だったら何が何でも吐かせようとするわよ」  
「じゃ言うけど…笑わないでよ。私だってばかなこと考えちゃったって思ってるんだから」  
「わかったわかった。で?」  
「ん…あのふたり、最近すごく仲いいじゃない」  
「まあね」  
「……だから…ひょっとして…旅行中は同じ部屋に泊まってたり、するのかなー…なんて」  
「え、それって……」  
「……」  
「……」  
「……」  
 
 
ためらいがちに、ひどく遠回しな言い方ではあったが言いたいことはすぐにわかった。  
まったく考えたこともない、といえば嘘になる。  
ただその内容が内容だけにおおっぴらに口にするのは憚られるせいもあって  
使用人達の間でも今まで一度として話題にのぼったことはなかった。  
むしろ触れないように意識的に避けてきたといったほうが正しい。  
だから突然降ってきた仲間の発言にあとの二人も戸惑いを隠せなかった。  
──その話って…しちゃっていいの?まずいんじゃない?  
一瞬の迷いがメイド達の判断を鈍らせた。  
そんなことあるわけないでしょ!って笑い飛ばしてしまえばよかった、と思っても時すでに遅し。  
控室は気まずい沈黙に包まれる。  
誰も口を開こうとしないままむなしく時間だけが過ぎていく。  
とうとう長い沈黙に耐えきれなくなったのか、ひとりが意を決したように口火を切った。  
顔を寄せ合い、声を一段とひそめてまた話しだす。  
 
「ね、ここだけの話!……どう思う?」  
「…親子っていっても元は他人なのよね、あのふたり」  
「グラハムさんだって別に結婚してるわけじゃないし…」  
「こういうこと言っちゃいけないのかもしれないけど、お似合いだと思わない?」  
「そりゃたまに夫婦に間違われたりすることもあるくらいだもん」  
「ねえ、私思ったんだけど…去年パブであったクリスマスパーティーのとき  
奥様途中で帰っちゃったじゃない。あれってさ、今考えるとちょっとヘンじゃない?  
いくら車で帰るの止められたからってひとりで歩いて帰るなんておかしいわよ、一時間以上かかるのに」  
「それわたしも思った!あの夜って結局朝までふたりっきりだったんでしょ」  
「…………もしかして」  
「やっぱり…!?」  
「いやいやいや、まだわかんないわよ。奥様のことだもの歩いて帰るくらい平気かもよ。  
わざわざ帰ってきてあげたんだから!ってグラハムさんに恩を着せようとする魂胆だったりして」  
「あー確かに。奥様だったらやりかねないわ」  
「いえてるー」  
 
 
メイド達の笑い声が響く。  
そうなんだよなあ。  
旦那様が亡くなって、表向きは奥様が主人グラハムさんが執事という形をとるようになり早三年が過ぎた。  
最初の頃なんてそれはもう本当にこの二人が家族としてうまくやっていけるのかと  
見ているこっちがハラハラするほどだったのに、いつの間にやら随分と仲良くなっていて  
今じゃメイド達が二人の仲を疑ってしまうほどのいいコンビっぷりだ。  
まあ、いつも大騒ぎしている奥様も大人しくしてりゃ可愛らしいお嬢さんなんだし  
グラハムさんだってちょっとばかしお堅いところはあるがいい男だもんな。  
主に対して少々失礼な印象を抱きつつ、コック長の妄想は続く。  
若い男女が常に一緒に生活してるんだから相手を意識してしまうことだってあるだろう。  
ましてあの二人にはもう身内と呼べる人は少ないようだし  
きっと二人だけにしかわからない強い絆で結ばれてるんだろうなと俺は思ってる。  
お互いを特別な人として向き合い、日々を過ごしていくうちに  
二人の関係に変化が訪れたとしても…それは俺達が口を挟む問題じゃない。  
彼らが一番よく分かっているはずで、外野がとやかく言うのは野暮ってもんだ。  
ただ静かに見守ってやりたい。  
以前グレースが朝早くグラハムの部屋から出てくるのを目撃して以来  
ずっと二人の仲を誤解している彼は今となってはそんな気遣いを見せるまでになっていた。  
 
 
「ねえねえ!コック長はどう思う!?」  
 
ぐえっ  
いきなり話しかけられて妄想中のコック長は飛び上るほど驚いた。  
手が滑ってあやうく持っているナイフを落としてしまうところだった。  
慌てて何事もなかったかのような顔を作ろうとするも、まだ心臓はばくばくいっている。  
「どうって……奥様とグラハムさんのことかい。まあ、仲はいいんじゃねえかな」  
なんとか当たり障りのない返事でごまかしたが心中は穏やかではない。  
…あっぶねえー。おいおい、なんで俺にその話を振るんだよ。  
いくら二人の仲を知ってるのが俺だけだとしても  
皆にぺらぺら喋ってしまうほど俺もいい加減な男じゃない。  
誰にも言わないと約束した以上、約束は守る。  
あの堅物のグラハムさんがそういう行動を起こしたってことは本気なんだろう。  
でなけりゃ奥様に手を出すなんて、それこそ天地がひっくりかえってもありえない話だ。  
グラハムがまだ執事として勤める前の学生の頃から彼を知っているコック長は彼の性格をよく理解していた。  
だからこそ例の場面を目撃した時は、グラハムさんもやっぱり男だったんだなと感慨深く思うと同時に  
相手が奥様だなんて大したもんだ、澄ました顔して意外にやるなあと素直に驚いたものだった。  
いつも冷静で礼儀正しく穏やかな彼が奥様に対してだけは妙につっかかるように見えたのも  
それが原因だったのかと後になって思い返して微笑ましくもあった。  
今はジョンストン家の主人になったとはいえ、執事の頃とまるで変わらない日々を過ごすグラハムを  
コック長だけでなく屋敷の者皆が好ましく思っていたのである。  
 
「仲がいいのはわかってるけど、それ以上だったりするのかなってこと!」  
「怪しいと思わない?」  
「コック長も気になるでしょ!?」  
じれったそうにメイド達は立ち上がり、一斉にコック長の周りを取り囲んだ。  
じりじりと詰め寄られてたじろぐ。  
まいったぜ、ここで下手なことは言えないしどうすりゃいいんだ。  
舌打ちしたい気持ちを抑えて必死で言葉をさがす。  
「そ、それは俺に聞かれてもわからんよ。ただあの二人、書類上は親子なんだろ?  
親子でどうこうってことはねえんじゃねえかなあ」  
「それはそうだけど」  
「でも仲良すぎじゃない。誕生日にふたりで旅行って……ねえ?」  
「クリスマスイブのことだってあるし…」  
 
メイド達が顔を見合せて囁きあう会話を聞いてふと思い出す。  
そういや、あの夜はどうだったんだろう。  
翌日屋敷に戻ってからグラハムさんにそれとなく聞いてみたが、あっさりかわされちまったんだよな。  
あの晩奥様がパーティーの途中でいきなり帰るなんて言い出したもんだから皆面食らってしまった。  
メイド達はなんとか思いとどまらせようと奥様を説得してたが俺は止めなかった。  
そりゃせっかくクリスマスイブなんだから一緒に過ごしたいんだろうなと思ったからだ。  
大体考えてもみろ。  
イブの夜、酔った恋人がパーティーを抜け出して帰ってくる。  
自分のために、寒い夜道をひとり歩いて。  
男の俺でさえ相当歩く距離だってのに…いじらしいじゃねえか。  
屋敷には誰もいないし否が応でも気分は盛り上がる。となれば…  
俺には想像もできないが、あの奥様でもロマンチックな雰囲気になるようなことがあるんだろうか。  
愛する人の腕の中で俺達に見せないような恥じらいの表情を浮かべ、愛をささやく──  
……………。  
ダメだ、無理。これっっっぽっちも想像できねえっ。  
あの二人のラブシーンなんて酔っ払って誰彼構わずナンパしたあげく  
鼻の下伸ばしながら女はべらすグラハムさんの姿を想像しろってのと同じくらい難しい。  
まったく難易度が高いにもほどがあるってんだ。  
己の想像力の限界を恨めしく思いながらぜえぜえと息をつく。  
実のところ、二人の仲の進展にはコック長の心遣いが少なからず関係していたのだが  
ずっと前からあらぬ誤解をしている彼はもちろんそんなこと知るよしもない。  
 
コック長は頭を振り妄想を追いやると、気を取り直してメイド達に話しかけた。  
「そうは言ってもあのグラハムさんとあの奥様だぜ?俺には何かあるようにはとても思えん」  
彼の妄想の果ての発言はやけに説得力を持っていてメイド達の心を強く揺さぶった。  
「……まあ、それを言われると何とも言えなくなっちゃうんだけど」  
「いくらお似合いだっていっても…奥様とグラハムさんだし」  
「ありえないと言われればこれ以上ないくらいありえない組み合わせだもんねえ」  
 
やっぱりな。その気持ちはよーくわかる。  
俺だって実際この目で見てなきゃそう思ったに違いない。  
よし、このまま押し切ってしまおう。  
メイド達の心の変化を敏感に感じ取り、気をよくしたコック長はさらに畳み掛ける。  
「だろ!?俺が言うんだ、間違いねえよ。あの二人の間には何もないね」  
腕を組みきっぱりと自信満々に言い切る様子を見て、メイド達も次第にそうかもしれないと思いはじめてきた。  
屋敷の主と執事がただならぬ関係ではないかと疑った彼女達だったが  
普段のやりとりから具体的な想像を浮かべるのはやはりコック長と同じく、至難の技に近かった。  
 
「…やっぱりわたし達の勘違いかしら」  
「かもね。二人は家族なんだもの」  
「うんうん、あのお堅いグラハムさんに限ってそんなことあるわけないって」  
 
それぞれ大きく頷きあう様子を見て心の中でほっと一息。  
ふう、俺の話術も捨てたもんじゃねえな。グラハムさんも感謝してほしいもんだ。  
安堵の表情を浮かべかけた彼はメイド達の次のセリフで再び焦る羽目になる。  
 
 

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