−Garbha Grha−  
 
痛く、なかった?まさか……びっくりしたよ、バージンだなんて。  
いや、すまない、そういう意味じゃないんだ。  
……ありがとう。  
だって、正直言って、君がこんなに綺麗だから。  
 
あれは、もう五ヶ月前のこと。シェリルは思いだし笑いで眉を緩めながら、ファッション用の水色のシャワーチェアに腰掛け、  
少し冷たいくらいの温度で、肩にヘッドを当てた。頭を冷やしなさい、と自分に言い聞かす。  
こんなことで調子に乗ってたら、女はやっていけないんだから。  
正面の大理石のタイルはよく磨かれていて、砂時計のようにくびれを有した胸から尻にかけてのラインが縦に圧縮されて映っている。  
ちらと眺めてみて、もう少し痩せなきゃだめね、と気を引き締めた。まだ十分じゃない。もっと美しくなれる。  
シカゴへ来て働くようになってから、そして――決定的な「あのこと」があってから、シェリルは変わったのだ。  
在学中に取った経理の資格など何の役にも立たなかったが、  
害虫駆除の会社を営んでいる叔父のツテをもらい、そこの事務職にありついた。  
初めは右も左も分からない上に、醜女のハンデキャップをハイスクールにいる時よりも嫌と言うほど思い知らされたのだ。  
容姿が不自由な女は生きている価値などない、そう言わんばかりの男達は、変わろうとした自分を変わるなと押さえつけ、  
それでも変わってしまったのを認めれば、一斉に手のひらを返した。  
シェリルは彼らの顔を思い出し、馬鹿らしくなって鼻で笑った。  
だいたいろくな仕事なんか与えられちゃいないんだから。それに、私はできる方、悪くないし、今は――  
心の中で囁きながら、ボディ・ソープをたっぷり含んだタオルで、二月前からおびただしい絶頂を味わっているヴァギナを掃除する。  
生理が終わったばかりだから、念入りに洗っておかないといけない。  
おりものの臭いはきつい方で、多い時は服の上からでも臭ってこないか心配になる。  
デブで臭かったなんて、以前の自分は養豚場で飼われていたようなものだったから無理もないけれど、情けなくなる。  
今丁寧に拭いて綺麗にしているけれど――シェリルはまた鼻で笑った。  
職場のごろつき共には頼まれたって見せてやることはない、もちろん、それ相応の相手のためにここまでしたのだ。  
中まで洗いたくなるのをこらえて、シェリルは広げた手にタオルを乗せて、ゆっくり、慰めるように、ヴァギナをなぞっていく。  
実際、少し感じていた。初めて寝た時、念入りに形を調べた。そろそろ、もう一度確かめておきたい気持ちもある。  
人差し指と中指で肉の境界線に沿って下から上へ辿ってみる。  
びらびらは上半分からフードをかぶりそこねたようにやや非対称にはみ出している。まあ、仕方ない。  
タオルごと、指を入れてみる。自分の部屋でも十分確認したので、分かっていたことだが、やはり広がっている。  
相手のサイズに合いつつあるのだろうか。少し悔しい。だが、動かされても、無理をしている感覚がなくなったのは幸いだ。  
一番大事なところ、変わっていてほしいところへ手をやる。  
変わっていない。  
 
包皮は初めっから剥けているどころか、小指の先ほどのクリトリスがすっかり顔を出している。  
まさにピンクの豆、顔に見立てれば額のてっぺんに大きなほくろがあるようなものだ。  
身体は自慢できるくらいスリムになった。痩せたおかげで顔も見違えるほどよくなった。  
眼が大きく、鼻は高い。それはいいとしても、口まで大きくて悩みの種。腹が立つことだが弟に似て彫が深い。狼がかった男顔だ。  
実年齢より上に見られるのもきっとこのせい、メイクはまだ練習中、眉と睫毛は無難にまとめて、薄化粧に止まっている。  
しかし、前向きに考えれば、化粧映えしない顔でよかったのかもしれない。落とした瞬間に幻滅されるよりマシだ。  
やはり、クリトリスだ。可愛らしくなって欲しかったのに、痩せてからさらに大きくなったように感じる。  
相手がびっくりしないだろうかと、処女を散らせた時は不安だった。結局、問題はなかったのだけど。  
シェリルはタオルを洗ってきつく絞ったあと、ホースをくるんと回して肩の後ろからかけた。  
やや横に広がってはいるが豊満な胸に水圧を感じる。胸。まだジャクリーンには到底及びそうもない。  
シェリルはここ最近思い浮かべているジャクリーンの顔を、今度もまたはっきり頭に描いて、たっぷり水を飲んだらくだのように笑った。  
いつもなら身体を洗えばすぐに出るところだが、ケニーをじらしてみるのも悪くない。回想に浸りたい。  
そう、ジェリーは仲間内では文句なしに最も美しかったのだが。  
体育の授業が終わったあと、今みたいにシャワーを浴びて、更衣室で着替えていたのだ。  
あがったばかりなのに腋の下から汗をだらだらかいていた自分。  
それに比べてあの芸術的な胸!女蛇のようなエロスを備え、それでいて知的で上品な顔!見とれたことは一度や二度ではない。  
幼い頃はそれほど差がついているとは思わなかったのに、  
ハイスクールに入学した時、彼女は何万光年の彼方に到達し、見えなくなっていた。  
腹が二つに分かれているのに何を言えというのだろう。肉がしたたり落ちそうな二の腕を晒して、対等になんかつきあえない。  
「そんな顔してじぃ――と見ないで、恥ずかしいじゃない」  
ジェリーはそんな自分を、何でも知っている風な目をして、少し距離を離して、どういうべきか困ったような口調で……  
笑ったのだ。  
 
もっとも、ジェリーはくたばった。  
あんなに美しかった容姿をあろうことか自らだいなしにして、生命を絶ったと、ベティから連絡があった。  
ジャクリーン、うつ病から拒食症を併発、その他もろもろを経て、最後には骨に皮が張りついたごぼう。  
そう、ベティの話によれば、だが――夢の中でジェリーは健康な身体に戻り、身ごもっている。  
ジェリーは一人ぼっちで分娩室にいる。室と言ってもどれだけの広さなのか分からない。  
濃い闇に四方を囲まれている。たった一つ、自らが乗っかっている分娩台の周りだけが、蛍のように光っている。  
医師どころか看護婦すらいない。声をかけてくれる夫もいない。夫?産まれて来る子の父親が誰かも分からない。  
それでもジェリーはグリップを握り締め、あぶみに足をかけ、孤独な闘いを続ける。  
あそこが裂けそうな痛みを我慢して、うんうんいきんで、やっと産まれた待望の赤ちゃんは、  
流れて知らず胎内に留められていた、赤と白と黄色でできた内臓腐肉の塊だ。  
頭から出てくるらしい。  
つくりかけの臓腑を、おそらく絶望感でいっぱいになりながらひりだして、目が覚めれば脱糞している。  
食が細くなりすぎて内臓がやられ、慢性的な下痢を伴っていたから、  
シーツやパジャマには、黄色や茶色のみならず、ところどころ食べたものの色がついてしまう。  
結局、ジェリーはおむつをつけて過ごすことになった。彼女自身が赤ん坊にそうしたくてたまらなかったろうに。  
血塗れの死肉と糞便、異なる腐臭をかわりばんこに嗅がされるのはどんな気分なのか、想像もつかない。  
ベティは言っていた。偶然よ、見に行ったんじゃなくて、偶然……。ジェリー……叫んでたの。  
 
くさい!どうして!?私の赤ちゃんなのに、ぐちゃぐちゃで、くさい!  
 
ジェリーが糞に向かって言ったのか、夢の中の残骸に向かって言ったのかは定かでない。  
 
起きている時、ジェリーはずっと自分の身体を罵り続け、鎮静剤を打たれても、  
幽霊のような顔で、夢の中で産まれてくる子につけるはずだった名前を、つぶやいていた、のだとか。  
クリス、つづりは分からない、どうやら男の子らしい、とベティは言っていた。  
ジェリーが死ぬ少し前に見ていた夢は聞くもおぞましいものだった。  
ベティが、ジェリーの母親の愛人からその夢の話を聞いたのだが――愛人と見舞いに来ていた彼女を、  
ベティは電話口であばずれの無神経女だと罵っていたが、そうは思えない。  
一度戸籍に傷がついた者の身になれば、頭がおかしくなった娘がいるなどと、知られたくないのが普通じゃないかしら?  
もっとも遊びの相手なら話は別だけど――始まりはいつもと同じく分娩室に寝かされている。  
だが、今度は産ませてすらもらえない。できようはずもないのが夢の中でも理解できているのに、  
鉤爪をはめたブロンドのおかっぱの女医に、麻酔なしで腹から性器まで真っ二つにされ、  
これが子宮、これが卵巣、これが卵管と散々女の証明を弄繰り回されて、  
五体全てをざっくり爪で刻まれながら症状を説明される。良いのか悪いのか痛みはないのだそうだ。  
不幸なことに夢を鮮明に記憶していたジェリーは、治療と称して医師にその内容の告白を要求された。  
鉤爪の女に言われたことは実にひどい。  
低い背、手の平の一本線、やや未熟な骨格、早期閉経……、ターナー症候群についての説明を終えたあと、  
その夢の中の女は、不妊治療の心構えについて、説き続ける。  
不妊治療はただひたすら長い距離を歩き続けるようなもので、  
強い忍耐と自分のみならず相手を信じる心を必要とするが、それは可能性がある者にとってのことだ、と。  
お前は何をやっても無駄なのだ。排卵誘発剤を使おうが、人工授精をしようが、卵子が全くないのだから。  
お前は図書館でこっそり医学書を読み漁り、溺れるものは何とやらで東洋医学に頼った。  
美しい体型はその副産物でもある。漢方、針治療、ヨーガ?  
無駄。何をやったってこれからもずっとできないのだから。  
ターナーの割りに、胸が発育したこと、顔まで醜くならなかったことをよろこぶべきだ、と。  
最後に、嬉しそうな声で、ジェリーは、そっと、繰り返し、耳元で、こう言われたらしい。  
 
お前はできそこない。お前はできそこない。お前はできそこない。お前はできそこない。お前は……  
 
腹が開いて、小腸がうようよしているのに、胸の内だけが破砕して、大声を挙げながら泣いている内に目が覚めるのだ。  
ぞっとする。  
ジェリーが不妊で悩んでいるのを知っていたのは、仲間内では一人もいなかったろう――  
 
シャワーのヘッドがずり落ちて、水流がへそにあたった。  
シェリルはしばし記憶巡りをストップして、眼を閉じ自分の赤ん坊の顔を想像してみた。上手くいかない。まだのっぺら坊だ。  
いずれ欲しいのか、それとも一生欲しくないのか、自分自身に問うてみたが、それすらも判断がつかなかった。  
今度は家庭という言葉を咀嚼してみる。ハロウインのお化けのように、現実的でない。なぜ?  
こんなことじゃいけない。シェリルは気を引き締め、いわゆる「素晴らしい家庭と思われる場面」を頭の中でいくつかイメージしてみたが、  
それだってどれもこれもしっくりこない。夫が今つきあっているケニーであるということだけだ。  
何パターンか無理やりやってみたが、全てがホームドラマのようにありきたりで、嘘くさかった。  
シェリルはめんどうくさくなり、再びジャクリーンへと想いをはせた。  
どうやって死んだのか、それが重要だ。  
そう、ジェリーは――美の神アフロディーテのような乳房はどこへやら、最後は州立病院内科へ転院の運びとなったが  
(精神病院にまず入れるべきだったのだが、体力の消耗が著しかったらしい)、二週間と経たない内に点滴の針を抜き取って、  
シーツをベッドの手すりの端に結んで、脚を投げ出すような格好で首をくくって死んだ。  
シェリルはこれから何をするのかも忘れて想像した。赤ん坊や家庭よりずっと楽しい題材だ。  
まず、顔――骸骨じみた眼窩から利巧ぶったグリーンの瞳がこぼれ落ちんばかりの勢いで飛び出している。  
舌は暑さでへばったセントバーナードのようにだらんと垂れ下がっていたに違いない。  
枯れ木のような身体、背丈が低いから、見つけたのが看護婦でなければ、見舞い客が持ってきた人形と思ったろうか。  
まさか、そこまでは。  
しかし、万が一見間違えたとしてもすぐに気づいたろう、アンモニアの匂いで、何が起こったかを。  
白の下着が薄い黄色に染まり、骨だけの腿と腿の間に小さな溜まりができている。  
男に媚びたピンクの唇(お化粧なんかしてなかったでしょうけど、屍が映えるからいいわ)の端から泡つきの涎が糸を引いている。  
鬱血した肌は首から上だけさつまいも色?芋。かつては頬張っていたもの。  
笑いがこみ上げてくる。我慢しろ、声は出しちゃだめ、と思うのに、  
意外に大きな声が出て、なんとか口を塞いだが、にやけた顔が戻らない。  
まだ気は抜けない。扉の向こうでは十歳上のケニーが待っているのに、はめを外したげらげら声が出てしまいそうだ。  
シェリルは想像上の醜い屍体に、心の中で問いかける。  
どうして死のうと思ったのかしら。子供ができないから?ご愁傷様だけど、それだって強く生きてる人はいる。  
それとも鏡で見たの?自分の顔を。病院の薬臭いバスでお婆ちゃんみたいな身体を洗って、どんな風に絶望したの?  
屍体は当然答えない。  
 
いったい、ジャクリーンみたいになりたいと思ったことが何度あったろうか。  
常に憧れであり、幼い頃から見知った仲であり、密かに軽蔑すべき対象であった彼女は、もうこの世にはいない。嬉しいことに。  
つきあっていた男と別れたことは知っている。  
旅立つ前、見送りに来なかった彼女は家に閉じこもりきりになっているのだと知り、その時はただ寂しかった。  
嫌な予感は当然あった。ついにジャクリーンが死を選んだと聞いた瞬間、熱いものが胸にこみあげて、報われない彼女に涙を流した。  
そしてろくでなしの弟が代わりに死ねばよかったのに、と思ったのだ。いったんああなれば、もう可愛くともなんともない。  
あの大昔、犬を撫でている弟を見た時、どうせ野蛮な弟の方がひっかけてことに至ったのだから、  
そう判断して、ついに正真正銘クズ中のクズに成り下がったと侮蔑を込めて、罵倒したのだった。  
でも――同時にとても羨ましく感じたのだ。  
正直に言えば。  
そう、子供の頃から知っているジェリーを奪われた気持ち!  
言ってやればよかったのだ、とシェリルは思う。今、口に出してみようかしら?  
あんたは彼女の何を知っているの?私からジェリーを奪わないで!そして今は  
「ありがとう」  
言ったあとで、シェリルは溜息をついた。後悔の念が渦を巻いている。  
どうして死に目を見なかったのだろう。ともかく、訃報を聞いたあとすぐに故郷に舞い戻るべきだった。それは疑いない。  
当然、あのしみったれた家に寄るつもりはない。震度八の地震でも起きてぺしゃんこになればいい、父と弟つきで。  
そんなことよりも、棺にすがりついて、涙を流しながらこっそり言うべきだったろう。お礼の言葉、死んでくれて、ありがとう。  
しかし、今思い返しても、受話器を置いて五分後には、やけに落ち着いていたのだ。  
自分はこんなに冷たい人間だったろうか、と薄ら寒くなったのがはっきり思い出せる。  
そして次の日、目が覚めてみれば真っ青な空を見るように晴れやかで、職場の男共にいびられた悩みが嘘のように消えうせており、  
社長室の棚にしまってある上物をこっそり持ち出して、乾杯!一人で祝杯をあげたい気持ちにすらなっていたのだ。  
当然葬式にも出なかった。もっともここからエルムは遠い。そう簡単に休みは取れないし、事情が事情なので、  
葬儀は親族とごく仲の良い関係の者だけでしめやかに行われたらしいが、  
それでも後になって、今になっても、死に顔を見ておけばよかったとは思っている。  
葬儀が終わったあと、これまたベティから聞いたのだが、別れた男は顔も出さなかったらしい。そんなものだろう。  
その時だ。ベティが電話口で「ジェリーのお母さんはやっぱりあばずれ。娘の葬式の時、男の手握って頬染めてたのよ」  
と言い終わった時、頭の中では別のこと、そう、ジャクリーンの死に化粧が塗られている痩せさらばえた顔を想像していて、  
その時になって初めて気づいたのだ。  
 
自分は全ての男と美しい女を憎んでいる。  
認めたくない。だけど――。  
 
知らずの内にシャワーのヘッドがヴァギナへ向かっていた。  
回した肩口からするする降りて、陰毛を通り過ぎ、ちょうど股の間に滑り込んだ。  
シェリルは驚いて、反射的に股をきゅっと締めた。ヘッドの先がシャワーチェアに押しつけられ、しっかり固定された。  
放射された水の束が泡を一気に洗い流し、めくれかけた小陰部の上方を押し広げ、その勢いで、中の秘肉を微かに露にした。  
もぞもぞした快感がびらびらを襲ってきた。さらに強く股を締めてしまった。  
図らずも、最も敏感な部分に二本の強い線が当たった。深く鋭い。そして熱い。  
「ぁん」  
艶かしい声を出してしまった。すぐに前かがみになり、ホースを手で払ってヘッドを床まで落としたあと、  
口に両手をしっかり当てて、その中で笑った。  
くっ、くっ、声が漏れた。くはっ、くふっ、だめだと分かっているがどうしようもない。おかしくってたまらない。  
……うんこも漏らしたんだわ、きっと。  
もう一度、ホースを握り、ヘッドを引き寄せ、残った泡を洗い流してから、元栓をひねった。  
シェリルはバスルームの扉を開き、外の網かごからタオルを引っ張り込んだ。  
もう幾度繰り返したろう。その度に思うのだ。  
そう、だけど、受け入れたのだ、と。受け入れて変わったのだ。  
ジャクリーンの自縊、自分に突き刺さっていた理不尽な視線、それらは逆説的に真理を示しているではないか。  
あれだけ完璧だったジャクリーンは、不妊という神がもたらしたつまづきによって美貌を失って落伍し、  
自分も経路は違うがそうなるところだった。  
女として正しい道を歩むために(母は阿呆だ)、掃き溜めの家政婦から年収8万ドルの恋人へ、自分は変わったのだ。  
シェリルはタオルで身体の隅々まで念入りに拭いたあと、バスルームを出た。  
使ったタオルを網かごに戻し、もう一つ余らせておいたタオルに身をくるんで、ケニーが待つ広いベッドへ向かった。  
彼はと言えば、もう準備はできているようで、乾いてしまったブラウンの髪に短いタオルをかけて、毛布から上半身だけ出している。  
「もう待てないってバスに押し入るところだった」と笑いながら、タオルを放り投げて言った。  
「ごめんなさい。ちょっとね、昔のこと、思いだしてたのよ」  
ケニーが毛布の端を手で掴んで広げ、そのまま床に落とした。いつも、何もかけないでしたがる。  
顔は笑っているのに、股のものはひどく猛っていた。こんもり茂って茶色がかった秋の茂みから、  
茸と表現してもいいくらいの大きな笠を持ったペニスが腹へと沿って伸びている。  
「聞かせて欲しいな、その話」  
「やあよ」  
 
シェリルは娼婦のように微笑み、ベッドへ近づいた。身体をくるんだタオルを、歩くに任せて下へとずり落とした。  
乳房は横に広がっているが、肌の張りは保たれている。乳輪が大きくクレーターのように陥没しているのに、  
中心のやや黒ずんだ乳首が、男なんかいらないわ、と言わんばかりに、そっぽを向いている。  
「ねえ、見て」  
戯れだ。  
シェリルは拭いたばかりの髪を両手でかき乱し、脚を悩ましげにクロスさせ、胸をしゃぶれと命令するように突き出した。  
襟足や横を巻き髪に、前髪は短くしている。彫の深い男顔を柔和に見せる黒のショート・レイヤーだ。  
入浴により、形は多少崩れているが、それが返って、理性に縛られがちな男の欲情をそそるのだ。  
「どう?」  
目の前のケニーが唾を飲みこむ。シェリルは長い唇を中心にすぼめて、キスを飛ばした。  
そこまでしたのは、ケニーの喉が持ちあがり沈んだ瞬間に、音が聞こえた気がしたからだ。  
「凄いね」  
「あなたも……ほら」  
「待ってる間、考えてたからさ。昔のことじゃなくて、これからどうするか」  
シェリルは肩をすくめて、ベッドに脚を崩して座り込み、ケニーと向き合った。  
ふわふわの乳首が広い胸に触れ、硬いペニスが締まった腿に当たった。  
抱き寄せるように腕が肩に回され、より、身体が近づいた。ぴったりくっつけて、はにかんだ笑みをこぼす。  
凛とした狼女が見せる照れ笑いは、鬱蒼たる森に浮かぶ月のような妖しさを醸している。  
「やっぱり、綺麗だ」  
その言葉で、シェリルはがっつくように、男の唇に吸いついた。  
「は、う、む……」  
煙草くさい。いつかやめさせなきゃ、と思いつつ、開いた口に舌を差込み、相手の舌を持ち上げた。  
初めての時、歯の裏まで執念深く舐められて、キスだけで信じられないほど濡らしてしまったのだ。  
痴れ女だと一方的に決めつけられ、乱暴にかき回されたりしないだろうかと不安になったのだが、杞憂に終わった。  
至近距離まで顔を近づけるのも恥ずかしかったが、今ではもっと見て欲しくなってさえいる。  
「む……」  
ケニーも積極的な彼女に応じた。シェリルは負けないように押し返し、舌を舌で操ろうと、目を挑戦的に輝かせた。  
ダンスを楽しもう。  
初めての時は何をすればいいのか分からず、相手に任せていたのだ。  
慣れてからは先走っていた。女にならなければ、ジャクリーンのような女に――。それで、上手く達せなかった。  
ただ熱くなった身体に任せればよいのかもしれない。今までそれで上手く行っているのだから。  
「うむ……むぅ……ふぅ」  
歯と歯が当たった。シェリルは目を閉じ、しなやかなペニスを想像した。  
ズル剥けのクリをいじられて、つるんと入れられたらどんなにいいだろう。  
火照ってきた。鼻息が頬に吹きつけられた。  
「うぅ」  
前のめりになる。舌を吸われたのだ。唾液が相手の口に流れていく。シェリルは心の中で訊ねている。  
それ、私のつばよ。何にも変わらない。べとべとして、太ってた時と同じよ。美味しい?いくらだって飲ませてあげる。飲みたい?  
決して言えない秘密を告白して、ほくそ笑む。  
「ふぅん!」  
吸われた舌を強引にねじって、歯肉まで嘗め回す。男の口内を味わいつくす。乳首が勃ってきた。  
唾液で発情する女だなんて――ちがう。シェリルは否定する。しかし、股を閉じていても、汁がだらだら垂れている。  
ふいに手が滑り込んで来た。「ん!」  
預けた唇の中で呻き、一度撤退を試みた。だが、ケニーがそれを許さない。  
舌を吸われながら、目をぎゅっと閉じて、呻く他ない。骨ばった指がヴァギナの下部からゆっくり、軽くえぐるように通過していく。  
入り口に触れる。ぷちゅ、と卑猥な音と共に第二間接まで差し込まれ、やんわり中を押し広げるように持ち上げられた。  
「ん!んぅぅ!」  
唇が離れた。ケニーが身体を移動させ、シェリルを後ろから抱きかかえた。  
広い男の胸で背中全部を包まれる安心感。しかし、怒張したペニスは腰にぴったり押しつけられ、切迫した興奮を訴えている。  
抜かれた指はわざとクリトリスを避けて、シェリルの鼻の上で止まった。濃厚な、潮干狩りでみつける蟹の臭い。  
 
「見て。いつもより……」  
シェリルも分かっていた。いったんスイッチが入るととめどなく湧いてくるが、今日はその中でも特にひどい。  
スープを飲み損ねた赤ん坊の口のように垂らしている。唇を合わせた瞬間に中がじゅんとして、クリがひくついたのだ。  
ジェリーのせいだわ、とシェリルは思った。  
自らの愛液がまとわりついた指に、シェリルは口を伸ばした。人差し指全部をぱっくり含んでべろべろ舐めた。  
爪はしっかり切られているが、それでも指から引き剥がさんとする勢いで舌を押しつけ吸った。塩っからくて生臭い。  
下品な味が性欲の深さを自覚させる。膣穴がさらに愛液を滴らせる。  
ケニーは右手をシェリルの口に預け、今度は左手でヴァギナをさすった。  
全体を包むように撫でまわすと、粘膜に付着した愛液が手の平の間で糸を引き、くちゅくちゅ音を立てた。  
「凄く濡れてる」  
耳元でそっと囁かれて、シェリルは頬を染めた。恥ずかしい。言われるがままに、あふれている。  
ケニーが後ろから両脚を回し、膝にかけ、そのまま開き、うかんむりを書くような格好をとらせた。  
秘肉への刺激がより強くなった。ペニスもより強く背中に押しつけられた。シェリルは羞恥心を押し隠すように指をしゃぶった。  
そして、夏の暑い日、クーラーをかけず、シャワーも浴びず、この部屋で抱き合ったことを思い出した。  
彼が望んだのだ。バスルームへ行こうとしたところを押し倒され、待ってというのに、だめだと拒否され、  
肌に密着したシャツとパンティの上から指や舌で念入りに嬲られ、つんとすえた臭いを嗅がれ、だらだら汗をかきながらまぐわったのだ。  
日曜の昼間、部屋に強い光が差込み、汗っかきの体質や深い絶頂を味わったこともあって、  
身体中の水分を吐き出す勢いで、穴という穴から体液を流した。  
ケニーはいつにもまして興奮し、女の汗は香ばしいとでも言わんばかりに、首筋から尻の谷間まで、舌で汗を舐めずり取っていった。  
終わったあと、喉の渇きを唾液交換で補ったのだった。  
「キス……もっと」  
ケニーがもう一度、ヴァギナへの愛撫は続けながら、唇を塞いだ。また舌と舌が踊った。  
シェリルは自分の胸へ手を伸ばした。寄せて揉みしだく。乳首を指でつねり、こねくり回す。  
疲れて動きが落ちてきたところで、ケニーが唇を離した。  
「顔、見せて」  
顎に手をやられ、シェリルは目で犯された。力が入っていない、相手の目を意識しては、つくれない顔。  
そんなにじっと見ないで、と言う元気もなかった。既にとろけていた。  
強い女に見せるために、見下されないように、ずっと意識してきた。媚びる女を内心馬鹿にした。  
そうやって形成された強張った顔が、目を潤ませて、唇を突き出した、いじめられた泣き虫顔になっている。  
「可愛いな、シェリーは」  
「……いや」  
「本当に、いや?」  
ケニーの左手が形を変えた。狙う場所は、指のすぼめ方で分かる。彼はいつもそのようにしてクリトリスをいじくる。  
「うそ、いい、いいわ!」  
またあの感覚が味わえる。ヴァギナが一度大きく震えた。その動きで汁がどろっとあふれた。  
豆のどこを狙われると弱いのかが、既に分かられているのだ。必ずそうされるだろう。  
「罰だ」  
いつものように両側から挟まれる。これをされると極端に弱い。クリトリスと包皮がつながっている境目。  
ケニーの人差し指と中指が、挟んでいる。一分ほどすりあわされただけで、ヴァギナが燃えるように熱くなった。  
深い刺激が股の中心から染み入るように広がり身体を包む。ただでさえ大きいクリトリスがぷっくり膨らみ、三つ目の乳首に変わった。  
「膨らんでる。シェリーの好きなとこ」  
「こ、こえっ、出ちゃう、へんな……こへっ」  
「出して」  
ケニーの指がシェリルのためだけのリズムで、クリトリスを回した。  
シェリルは恥ずかしがらずに声を出そうと思った。高く、激しい、女の子らしい声――それでイキたい。  
「あッ、ひあ、あっ――」  
なんてはしたない、媚びた声、だが、それがより快感を高めてくれる。身をよじらずにはいられない。腕の中で、背中を反らせる。  
「いい?」  
もはや愛液は濁流となっていた。穴が喋りだす。口を開き閉じる度に涎を流す。  
「あっ、あっ、いいっ、いいっ!」  
きゅっと挟んで引っ張られた。  
「だめ、それ、だめえっ」  
「どっち?」  
「い、いやっ、あっ、あたまっ、おかひく、なるっ、あっ、あッ――」  
「なって」  
 
ケニーが背中に回していた腕を下ろして、余った方の人差し指で、回したままのクリトリスの先をノックした。  
最近、覚えさせられた新しい刺激だ。眼を閉じて、シェリルは快楽だけ受け入れる。より深く、激しく迎えられるように集中する。  
速さは変わらない。最初から最後まで好きなリズムだ。しかし、かかる力が微々たる幅で大きくなる。  
もう少し――、もう少しで――。  
「……えっ?」  
達する寸前で刺激が止まった。波が急速に引いていく。なんで!シェリルは叫びそうになった。  
恨みがましく目を開けると、いつのまにかベッドに仰向けになって寝かされていたのだった。  
シェリルは唾をごくりと飲んだ。目の前に迫っている――ケニーの怒張したもの。  
確認するや、大きな口をいっぱいに開いて、肉の茸を含んだ。分かっている。絶頂は、ペニスで。  
独特の臭いが口の中に広がった。薄い皮を張ったゴム棒のような感触だ。  
ぎこちない。自分でも分かっている。口を使って、放出させたことはあるが、同時に手を使い、激しく顔をグラインドさせたのだ。  
まだ、どこをどう責めればいいのか分からない。ただペニスが欲しい。今までしゃぶっていたどんな食べ物よりも、愛らしい。  
「がっつくね」  
はうむ、うあむ、シェリルは骨を与えられた犬のように乱暴にペニスを嬲った。ただ、ほおばりたいのだ。  
「美味しい?」  
「はふっ、おひふい、おひい」  
「シェリーのも――」  
「お、おふっ」  
余裕がなくなると出てしまう、男のように低く太い声。びらびらに舌が伸びていた。  
ケニーの舌は丁寧に愛液を掬って、それからクリトリスへ向かう。シェリルは声を漏らしながらも、味わい続けた。  
指が一本、差し込まれた。膣穴に近いところを、ほぐすようにやんわり上へ押したり、下へ押したりしている。  
そのあと、奥まで差し込まれ、上のぶつぶつを同じようにほぐされた。にゅうと押されて回される。下半身に力が入らなくなる。  
シェリルのぼんやりした視界に、男の尻穴が映った。中心に向かって線を引かれた赤黒い粘膜が、ひくひく動いている。  
それで、もっとペニスをほうばり、さらには感じさせたくなった。尻穴を緩ませてやろう。  
だって、もう自分の中はかなり柔らかく、受け入れられるようになっているのに、ずるい。  
それを見越したようにケニーがもう一本挿入した。「二本」  
「はめえっ、いほん、いほんはめっ―!」  
無言でケニーが腰を落とした。舌が押されて、笠が喉に近いところまで迫る。シェリルは身体を強張らせた。  
口を犯されている。脳髄がとろけるような高揚感が襲い掛かってくる。  
あの、男と話すことも億劫だった自分、男なんかみんなクズだと思ってた自分が犯されてる――。  
シェリルは心を強く保とうと鼻から息を大きく吸った。いいようにさせまいと舌を深いカリへ強くねじ込んだ。  
果てるとしても、ケニーも果てさせてやる。右周り、左周りと交互に動かす。ケニーが男にしては高い声でうぅと呻いた。  
シェリルは目に涙を溜めて、一心不乱に舐めた。その内に精液が飲みたくなってきた。  
自分ばっかり愛液垂れ流して――いやだ。精液を飲みたい。  
人間がしとどにぶちまける苦い子種で喉を潤したい。白い粘つきの中に棲息する六千万の精子を飲み下したい。  
亀頭を横から巻き込むように責めた。舌がペニスと抱き合い、もみくちゃになって動いている。そう長い時間は残されていない。  
自分だけイカされるなんて、と速度を上げ、なんとか相手を追いつかせようと必死になった。  
限界が近づいた時、ペニスの震えが伝わった。出るわ、そう思ってシェリルは眉根を寄せた。――もうすぐ飲める。  
 
「まだだよ」  
じゅるっと音を立て、透明な糸を引いて、ペニスが引き抜かれた。  
「いやっ、いやあっ」  
物欲しそうな目で、シェリルは離れていくペニスを目で追い、「あっ……」と声を挙げた。  
ケニーがすばやく身体を反転させたのだ。面長な顔が迫ってくる。美しいカーブの軌道を描き、唇が唇にはりついた。  
ケニーは腰を弓のように後ろへ引いた。キスの勢いでそのままシェリルの頭をベッドに押しつける。唇を離して、言った。  
「こっちだ」  
シェリルの両の膝の裏へ手が入った。開いた脚を乱暴に持ち上げられ、膝が耳の近くで沈んだ。  
あまりに性急で、粘膜にまとわりついた愛液がぴゅっと跳ねて、胸や顔に飛び散った。  
シェリルは見た。情けなく震えるびらびら。欲しい欲しいと泣き叫ぶ穴。  
矯めた牛の角のようになったクリトリス――なんて卑猥なの!と思った瞬間、一気に奥まで貫かれた。  
「お、おぉぉぉぉぉぉぉ」  
達しそうになった。巨大な快感の塊が迫ってくる。すうっと意識が遠のきそうになって、  
アクメまでもう少しというところで、迫ってくるスピードがだんだん緩まり、刺激が止まり、波がやや後退した。  
呻くことしかできなかった。奥まで届いている充実感が身体を支配した。脈打っているペニス。人間の肉の感触。  
シェリルは朦朧とした意識で、想像し、震えた。  
あの大きな笠でずぼり入り口までえぐられると、きっと、頭が飛んでいってしまう。何も考えられない馬鹿女になってしまう。  
まだ、ペニスは一番奥にとどめられている。  
お願い、このまま、ゆっくり――。  
シェリルの呻きが止まったのを見計らい、ケニーが腰を勢いよくバックさせた。  
「おぅおおおお!」  
シェリルの白い腿が痙攣し、ヴァギナがきつく締まった。  
イった。一回こすられただけで、イってしまった。  
まだ蠕動を続けるヴァギナに二撃目が届けられた。アクメの波がより高く、長く彼女を捕まえに来た。  
シェリルは力が入らない腕をなんとか持ち上げ、クロスさせて顔を隠した。  
見られたくない。はしたない顔。しかし、あっさり引き剥がされた。  
「ダメだよ、見せて」  
シェリルは息を吐きながら馬鹿になった顔をさらした。鼻筋が伸びている。穴から生あたたかい二酸化炭素が噴出している。  
眉が困ったような八の字を描く。赤く腫れた目周り、目尻は垂れ下がり、涙をせき止められない。  
横に長い唇がふるふる震え、端から涎が顎まで垂れている。  
「動かすよ」  
また入り口までえぐられた。入り口、奥、入り口、奥。おなかの中のものを引きずりだされそうだ。  
「おふっ、おっ、おっ、おぉぉ」  
十往復目で、ぶつぶつを通過した時、一回目の波も引かぬのにまた達した。  
頭をそらせて、シーツを握っていると、何の予告もなく、ペニスが震え、精が吐き出された。  
 
走り去る車の音が聞こえるくらい静かだった。  
窓から見える規則正しく並べられた街路樹の間、細長い電灯がひっそり立ち、先がぼんやり光っている。  
お互いの愛液をティッシュで拭き取り、毛布をかぶってケニーの腕に抱かれ、  
肌の暖かみがすっかり身体を満たした時、今日で振り切ろう、とシェリルは思った。  
ジャクリーンに対する嫉妬や執着。いつまでも死者を弄んで浮かれるわけにもいかない。  
悪趣味を通り越して、下卑た存在に堕ちてしまったことも自覚できている。しかし、それよりも、もっと――別の問題。  
シェリルは顔を引き締め、もう一度自分自身に問うた。  
何故、今まで一度も帰郷しなかったのだろう。帰れるチャンスはいくつもあったのに。  
ジャクリーンのことにしたって、墓を掘り返すまでいかれてはないが、夢想の愉悦をより強いものにするならば、  
帰省して家にお悔やみでも言ったついでに、がらんとした部屋で遺品探しでもしながら死の匂いをたくさん嗅いで、  
ついでに彼女がどのように狂っていったのかを古い友人特有の厳粛な顔で聞き出し、家を出たあとでこっそりほくそ笑む手もあったのだ。  
しかし、できなかった。何のかんのと言っても、幼き頃からのつきあいだ。罪悪感がそうさせたのだろうか?  
シェリルは強く瞬きした。嘘をつくのはやめましょう、との気持ちを込めて。  
エルムに帰らなかったのは、やはり、怖かったのだ。妄念がまとわりついて消えない。  
はっきり頭に浮かぶのだ。あそこにはデブの家政婦がいる。彼女がまだ生きている気がする。  
味なんてどうでもいいわとバッド・テイストのエイリアンよろしく並べられたものをほおばって、  
全部たいらげれば聞かれもしないのに健康ですよとゲップをかかさなかった彼女が。  
「バカらしい」  
つぶやいて、シェリルは眼を閉じた。あいつはいない。だって、あいつは――あいつ?  
新しい生活を手に入れて考えたことは、以前の自分はどうやって創造されたのか、ということだ。  
女になることを望んでいなかったからだと簡単に片づけることもできる。だが、それだけではない。  
何があのおぞましき彼女を創りあげた?暴君と化した父、奴隷の母、クズに成り果てた弟、つまり家、もちろんそうだ。  
しかし、今になり、思えるのは、もっと広い範囲、そう街がもう一人の自分を作り出し、家はその下僕にしか過ぎず、  
命令を遂行するように、お前は女の歓びを知らず一生ここで朽ち果てるのだ、と縛りつけたのではないか。  
シェリルはあの感覚を思い出して、ベッドの中で身体を丸めた。例の――あの感覚。  
エルム街、寂れても栄えてもいないただの街。観光客が来るようなところではないが、  
外の人間から見れば、ひっそり落ち着いた雰囲気を漂わせる中規模の田舎町と言ったところか。  
二、三日、ゆっくりして帰るならそれでもいいだろう。だが、住んでいる者にとっては、どうだろう?  
裏で何かとんでもなく恐ろしいことが起こっているように思えるのは気のせいだろうか?  
途方もなくどす黒い大きな渦が街全体を覆っていて、誰であろうと意志に関係なく取り込まれる。  
流れはゆっくりして気づかない。しかし確実に間違った方向に進んでいるような錯覚――気のせいだろうか?  
常に感じるわけではない。ふっと、日常の何かがずれた時、例えば皿洗いをしていてフォークの数が合わなかったり、  
夜中に烏の鳴き声がどこからともなく聞こえてきたり……そういう時になって、  
なにか……おかしい  
と思うのだ。  
この世界。この街。  
シカゴで借りたアパート、都会に触れて生活していると、離れたゆえに、あの時のゆったりした狂気の正しさが信じられる。  
しかし、もっと恐ろしいのは、皆がそう感じているくせに、他の人もそうなのかしら、いや、きっと自分だけね、  
思い過ごしでした、そういうことにしましょう、不安を抱えながら、外に出れば薄気味悪い愛想笑いをしているのではないか、  
途方もない妄想すら真実らしく思えてくることだ。  
 
シェリルはもう一度瞬きして、ふいに鏡が見たいと思った。今の自分の裸が映っていて欲しい。  
以前の自分なら鏡なんか見たいとは思わなかったろうから、それだけでも、しかし、映っている姿は、どっち?もし――  
シェリルはふいに泣いた。涙が溢れて止まらなくなった。ケニーは隣でもう寝入っている。  
想像してしまい、あまりに恐ろしくなって泣いたのだ。  
自分にまともな家族はいない。自分も含めて全員歪んでいる。それは乗り越えた。  
だが、万が一、家に寄ったとき、例えば父が脳溢血でも起こして倒れたならば、一度は戻らなければしょうがない。  
玄関の扉を開ける。彼女は絶対にいるだろう。中からエプロン姿の巨体を晒した怪物がやってくる。  
ほら、少しは手伝ったらどうなのよ!私一人じゃ、やってけないの!睨みつけてくる。きっと、頭がおかしくなってしまう。  
バカな妄想なのは分かっている。しかし何故かその不安が頭から離れない。自分が二人いる。  
そして、さらには、出会えばどうなるか?重大な命題が残されている。いったい、どうなってしまうの?  
以前流行っていたバック・トゥ・ザ・なんとやらで、時空が歪んで世界が消滅してしまえばいっそ感動的なのだが、  
あいにくデロリアンは御伽噺の中のことだ。過去に立ち戻ったわけでもない。  
一般的迷信を辿れば、その現象はドッペルゲンガーと呼ばれる。  
実体を死に至らしめる、精神の一部が肉体から遊離してできたもう一人の自分。  
死ぬ。それはあるかもしれない、と考える。しかし、なぜ、の部分は分からず、論理としてはまだしっくりこない。  
それよりも――。  
シェリルは胸を隠しながら、身体を起こして、湿った瞳でベッドのシーツの皺を眺めた。  
皺は二つあり、交わってはいない。中心が切断されたVの字の風に伸びている。  
指ではじくと、二つの皺は歪んでつながり、干からびた蛇のような形に変わった。  
もし出会えば――そう、これが正しい、二人は重なり合い、融合するだろう。自分が自分でなくなってしまう。  
新たにまったく別な女として――どんな自分になるのだろう?だが、結末だけは分かる。  
きっとジャクリーンと同じ道を辿り、死した後、両方の意味で顔が広いベティにお茶会のネタにされることだろう。  
「調子乗ってたのよ。前は写真なんてアインシュタイン並みに撮られるの嫌がってたくせに、  
 痩せた途端に男つきで『私はこんなに幸せですよ。あなたはどう?』ってすました顔で写ってるでっかいの、  
 ご丁寧に送ってきたんだから。ほんと、葬式に来てた彼氏に卒業アルバム見せてやればよかった。  
 あんたがね、俺の女だぜ!って顔して肩抱いてる女は……ああっと、ここ、すみっ子でふてくされたフケ顔さらしてる、これ!  
 これよ、びっくりでしょ、デブで生理の匂いプンプンさせてた、ブラキオザウルス!  
 やってみたかったわあ。あれ見たら彼氏も死なれてよかったと絶対思うわね。どうせ結婚したら元に戻ってたんでしょうし」  
ゲロを吐くほど嬉しくない結末だった。  
 
シェリルは震える身体を毛布の中に収めた。眠りたくなかった。全ては夢から始まっている。  
ケニーとつきあってから、もう一人の自分に遭遇しそうになる夢を頻繁に見るのだ。  
今夜もまた、掃き溜めへ逆戻りするのかもしれない。考えるのを止めた。考えない者は怖れない。  
乱れた脳をなんとか鎮めて、目を閉じた。疲労はお構いなしに肉体を蝕んでいる。  
したあとはいつもへとへとになる。激しく突かれたせいか、まだ股の間になにか入っているような気がする。  
シェリルは昔していたような溜息をつき、肉体の欲求に任せた。  
そして、夢の世界へと招待された。  
初めに目に入ってくるのはぼろぼろの白い木柱、3490の黒い文字。  
立っているのは19番、ランベルト通り。そこに面する白アリだらけの中古品、小さな一戸建ての生家。  
玄関には段差がある。顔を左向けると見える犬小屋に、家主はいない。  
登って、建てつけの悪い扉に手をかけ、窓から中を覗き込んだ。橙色の光の中、リビングに置かれたブラウンのソファに、  
弟が脇に犬を従えて、ジャクリーンともたれかかり、恋人同士のようにお喋りしている。  
二人は時折、耳打ちしあって、くすくす笑う。シェリルは顔を逸らす。自分が笑われているような気がしたからだ。  
しばらくすると、急にむかむかして、蹴っ飛ばしてやりたくなった。  
と、突然、轟音が鳴り響いた。肌がびりびり震える。思わず耳を塞ぐ。地雷が爆発するような音が、短い間隔で何度も聞こえて来る。  
家全体が微かに縦に揺れている。道路に停めてある車のボンネットが弾んでいる。  
シェリルは気づいた。いつもここで理解し、一秒経って、なんで家に近づいたのかと後悔するのだ。  
これは夢。音の発信源は……いや、やめて、いや!  
顔をくしゃくしゃにして、前のめりになりながら、扉に背を向け走った。  
「できた、メシ!」  
窓という窓が一斉にぶち割れた。刺すような音が背中に浴びせられた。  
走っている道路へ破片が落ちて、さらに砕けて、道を塞ぐ。よろめいて、走り続ける。  
「メぇぇぇぇシ!」  
ガラスで遮られない分、ダイレクトに伝わった。  
声に背中を押されて、道路を飛んで横切り、真向かいの植え込みに胸から着地して、夜中の三時に目が覚めた。  
涙が頬を伝っていた。のみならず鼻水まで垂れ流していた。悪寒の中で、シェリルは心底実感した。  
ああ、自分は今まで誰も信じてこなかったのだ。子供の頃から、ずっと、一人ぼっちなのだ、と。  
シェリルは傍のティッシュを掴み取り、顔をこすりつけるように拭いて、隣で寝ているケニーに抱きついた。  
寝惚けまなこでよかったから、抱きしめ返してくれなくてもよかったから、  
せめて震えている自分に気づいて欲しかったが、ケニーは軽いいびきを立てているだけだった。  
 
そのあと、シェリルは色々と考えながら夜を明かした。内容は今の生活に対する疑問に終始した。  
やがて空が白やむのに気づいて、ベッドから這い出した。バスルームへ移動し、下着を拾い集めて、あるべき場所へ収めた。  
着終わると、寝室へ戻り、相変わらずいびきを立てているケニーを眺めた。毛布を剥いで萎んだペニスを引っこ抜いてやりたくなった。  
シェリルは帰りじたくを始めた。休日でお互い仕事は入っていなかったから、  
彼の目覚めに合わせてエッグトーストとコーヒーをこしらえてあげてもよかったのだが、  
のうのうと惰眠を貪っているであろう幸せそうな寝顔を見ている内に阿呆らしくなって、  
荷物をまとめて書置きも残さずに、さっさと家を出て、二十分ほど歩いて始発の電車に乗った。  
二駅、離れている。都市圏の中では治安はよい方だが、ケニーが住む一戸建てとは比べ物にならぬ賃貸アパートだ。  
しかし、そんなものだろう、とシェリルは思った。駅からだって近いのだし。だいいち向こうが異常なのだ。  
まだ三十台、男の一人暮らしなのに、いくら収入が良く、転勤の可能性がないとは言え、別居中の妻でもいるのではないかと疑いたくなる。  
ぼうっとした頭で駅から出て、アパートまで歩いた。  
幅の狭い階段をヒールの音を鳴らして登り、三階の廊下を進んで、玄関のドアを開いたと同時に、けたたましい音が聞こえた。  
シェリルは一瞬、入るのをためらった。その音に、怪物から追いかけられているような恐怖を感じたからだ。  
部屋の奥にあるダイヤル式の赤い電話機が、カーテンの隙間から差した朝日を浴びて光っている。  
おかしいな、とシェリルは思った。ネイビー・ブルーのレザー・ハンドバッグに手をやる。  
チャックを開き、中に入っている腕時計を見ると、まだ六時にもなっていない。  
はっとして、ケニーからかしら?と考えたが、すぐに、随分都合のいい頭してるわね、と自嘲した。  
今までデート後にコールして、愛を囁いてきたことは一度もなかったのだ。  
デートする日……寒々しい見方をすれば、寝る日が近づいてくると、必ず電話をくれるのだが。  
まずはそっと中に入って、扉を閉めた。ヒールを脱ぎ、鞄を奥のベッドへ放り投げた。  
もう十回ほどコールを繰り返しているのに、相手は諦めない。  
無視するべきだわ、とシェリルは思った。だいいち、休日のこんな朝早くから失礼にもほどがある。  
他に誰からかかってくるったって、父はめったにかけてこないし(たいてい酔っている)、ベティ以外は、どうせ、ろくな――。  
シェリルはいらついた手つきで、受話器を持ち上げた。  
「……あっ、ああ、朝早くにすいません。エルム市警のジョーイ・マクコランと申します」  
「はい」  
と条件反射で声が出たものの、電話口の軽薄そうな男の声は、シェリルが認識するより早く、風のように通り抜けていった。  
ただ一語、エルムしけい、そこだけやけにひっかかって、頭の中心にその言葉が居座っている。  
エルム?エルムですって?オーケー、あのくそったれエルムね。でもしけい?なに、しけい、って。市警?  
しばし沈黙が流れた。しゅっと紙をめくるような音が聞こえてきた。シェリルは「……あの」と怯えた調子でもう一度訊ねた。  
ちょうど相手も何か言おうとしていたのか、声を出すのと同時に、しつれ、と聞こえてきた。  
お互いにもごもごしてから、受話器の中で音が止まった。  
「あの、よく聞き取れなくて、もう一度お願いします。どちらさま?」  
「ジョーイ・マクコランです。エルム市警、警察署の者です。失礼ですが、こちらの番号は昨日お父様から伺いました。  
 シェリル・レーンさんですね?弟さん、いらっしゃいますね。彼、ロッド・レーンのことで……」  
シェリルはすかさず受話器をねじ伏せるように台に押し込んだ。受話器はバランスを失って喋り口の方に傾き、外れそうになった。  
慌てて脇から両手でぎゅっと握って、平行に保ち、下に押し続ける。  
シェリルは狂気じみた眼で、自分の手を見つめていた。もう一度持ち上げれば、永遠にかかってくる。  
この赤い電話機には悪魔が封じ込められている。そう言わんばかりに、押さえつけたままで、  
絶叫した。  
隣の部屋からなにかどさりと落ちる音が鳴った。シェリルは自らの低い悲鳴でそれをかき消した。  
やがて声がかすれて出なくなった。そっと手を離し、縦に歪んだ顔を押さえると、またベルが鳴った。  
 

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