空気は冷たくて、少しだけ黴くさい。  
天井は高いけれど、一部の空間以外には陽は入ってこないようになっている。  
光で本が傷むのを防ぐために。  
そう、ここは書庫だ。知識の宝庫で、研究職である自分たちにとっては神聖ささえ孕んでいるところ。  
なのにそんな場所で何をやっているんだと、遠い目をして皮肉ぶる余裕など、もちろんあるはずがなかった。  
「っは……ぁん……」  
声が漏れてしまったことに驚いて、メリーは息を止めた。だが、もちろん長くは続かない。意識して作った  
緊張は、すぐに甘い刺激にゆるゆると溶かされて流れて、どこかへ行ってしまう。  
書庫の奥、あまり人気のない蔵書ばかりが揃っている一角。そこで彼女は、一緒に資料を探しに来たはずの  
青年に抱きすくめられ、貪られていた。  
「ちょ、ラル、フ……もう、ダメ、ってばぁ……!」  
「……何が、ダメだってんだよ」  
問いかけのような台詞を発しながら、答えることは許さない。メリーが言葉を探す前に唇は無理やりふさがれ、  
生ぬるいものが深く入り込んでくる。ブラウスごしにやわやわとふくらみをさすっていた手が、急に素早い  
動きを見せてブローチとタイを取り払った。  
目を瞑っていても、ボタンが外されていくのがわかる。  
露出させられた胸元がひんやりした外気に触れるのがわかる。  
「んんっ! んむぅ……!」  
足はとっくに力が入らなくなっていた。書棚の一部に臀部がひっかかっているのと、ラルフの背中に  
しがみついているのでなんとか立っていられるものの、そうでなければその場に崩れ落ちてしまいそうだ。  
そう、手はしがみついているから抵抗ができない。だからいいようにされるのを阻止もできなくて、  
どんどん流されていくのだ……とは、言い訳なのか真実なのか、どうにも判断はできないけれど。  
つんと尖った先端を、綿のレースがひっかいていった。びくっと硬直して目を見開いたメリーの視界に、  
どこか嗜虐的な光を宿したラルフの瞳が映り込む。何がダメなんだ、と視線で尋ねてくるのを睨み返しても、  
たいして効果があるふうではなかった。敏感な場所をつまみあげられる。  
 
「ひ、あっ!」  
声が出た。  
いつの間にか唇は離れていた。それに気づいて自制する間もなく、湿ったものが顎から首筋へ、鎖骨の間を  
通って胸元へと落ちていく。  
「ふあぁっ、……あん、ぁ、やぁあ……」  
こりこりと硬くなったその場所は、青年の口の中で弄ばれている。舌で押し込んでみたり、歯を立ててみたり、  
音をたてて吸ってみたり、好き放題。口で刺激できないもう片方はといえば、これまた爪を立てられたり指で  
こすられたり、休める暇がない。  
メリーはラルフの頭を抱え込むようにして、彼の髪の中に口許をうずめた。喘ぎ声がくぐもって、少しだけ  
音量を抑えられる気がする。それに、慣れ親しんだ香りはやっぱり心地よい。  
身体は相変わらずどんどん熱くなるばかりだったが、精神的にはなんだか落ち着いた。このまま彼が  
遊び飽きるまでこうしていよう。じゃれあいと言うには度を越えたいやらしさがあるとはいえ、  
ラルフに触れられること自体は嫌いじゃない。まあ恥ずかしいけれど気持ちもいいのだし。  
深く考えるだけ無駄かもしれない、うんそうしよう、もう決めた。  
「……おいコラ、何思考停止してんだよ」  
「え? ……って、きゃああ!」  
いつもと違う、下から見上げてくる瞳が剣呑さを帯びていた。閉じていた膝はいつの間にか割られ、  
ラルフが身体ごと間に入り込んでくる。そうやって脚を閉じられないようにした状態で、普段から  
むきだしで無防備な腿の内側を、つつと指が這い登ってくる。  
「どどど、どこ触ってるのよ!?」  
「どこだろうな。……つーか、今更すぎねぇ?」  
「ど、ん、んんっ! んむーっ!」  
噛み付くような口付けは少々乱暴だ。抗議の意を込めてどんどん背中を叩いてやったが、  
覆いかぶさる体躯はびくともしない。  
 
不埒な指は少しも躊躇わなかった。即座に付け根まで達した指先が薄い布地の上から二、三度割れ目を往復し、  
するりと内側に入り込んでくる。胸への愛撫ですでに潤みを帯びていた入り口はすんなりと、  
いやむしろ大喜びで彼を迎え入れた。  
「んむ……ふっ、ん、んぅ……」  
ラルフの指は、もちろんメリーのそれよりも長い。奥の奥、埋み火のある場所まで簡単に到達してかき回す。  
表面の灰を剥がされて内側の燃えるものが露出させられれば、後はもう勢いを増すだけだ。  
とろとろと身体の奥から甘いものがあふれ、彼の手のひらまで汚し始めるに至っては、もうメリーは  
すっかり力を抜いて恋人の為すがままになっていた。  
「はぁ、は……ぁん、ラルフ、ラル、フ……」  
「メリー……メリー」  
嚥下しきれなかった唾液が顎を伝って胸元に落ちた。それを舐めあげられ、耳に、口に、舌と吐息が  
入り込んでくる。身体の中心では本数の増えた指が複雑な動きを見せて、まだ隠れているはずの快楽を  
引きずり出そうとうごめいている。そうでなくとも愛しげに名前を呼ばれるたび、  
背中をぞくぞくと震えが通り抜けた。  
ぐっと書棚に押し付けられる。  
メリーは小さな金属音にはっとして目を開けた。ぼうっと霞がかかったような視界の端で、ラルフがベルトに  
片手をかけているのが見える。慌てて目を逸らし――彼女は唐突に、ここがどこであるのかを思い出した。  
「ちょっ……と、待って、ラルフ!」  
「あ? なんだよ」  
「こ、ここでするの? 最後まで?」  
忘れていたが、ここはアカデミーの書庫だ。部外者は立ち入らないとはいえ、一応施錠してあるとはいえ、  
合鍵はひとつではないしここに用がある人間も皆無ではない。こんな場面を見られたらどうやったって  
言い訳は立たない。二人の関係は世に憚るようなものではないが、場所がまずい。  
メリーはともかくラルフの立場はなくなるだろう。  
慌てるメリーとは対照的に、ラルフは落ち着いた様子で目を細めた。  
 
「大丈夫だって。このコーナーには滅多に人来ねぇし……来ても、取り繕うくらいはしてやるよ。心配すんな」  
「するわよ! だ、だいたい、最初は真面目に本を探してたはずなのよ。一体いつの間にこんなことになったの!」  
「……お前が誘ったんだろーが」  
「誘っ……えぇ? そうだった!?」  
本気で思い当たらなくて狼狽する。彼は呆れたようにため息をついた。  
「キスしただろ……あーそうだよ、お前はそういう奴だよ。密室で男女二人きりでキスしてきといて  
そんなつもりありませんでしたとかいう奴だよ!」  
「そこまで鈍くはないわよ!」  
赤くなって怒鳴り返してみたが、なるほど冷静になってみれば説得力はない。なんだかんだでお互い友人も  
たくさんなので、街中やアカデミーを歩いていても本当に二人きりになれる機会というのはそう多くないのだ。  
……まあ、皆はちゃんと気を利かせてくれてはいるのだが。出歯亀したがる人員が相当数いるのも事実は事実で、  
人目のある場所だと落ち着いていちゃつけない。  
正真正銘邪魔者なしの空間に、嬉しくなって悪戯をしかけてみたメリーに罪はないだろう。と思う。たぶん。  
ただ、ラルフがその気になってしまうという可能性を失念していた。  
「ならやめとくか? ま、指だけでも満足させてやる自信はあるけどな」  
未だその場所に収まったままの指が、くっと奥に食い込んだ。  
「ひゃっ……!」  
くちゅくちゅと水音が響く。書庫の静けさの中、それは殊更大きく聞こえて、メリーは今更ながら  
顔を真っ赤にした。錬金術と料理と。繊細な作業を難なくこなす指は、音も快楽も思いのままに引き出す。  
さてどうするとでも言いたげに意地悪く口角を上げているのが憎たらしい。  
「ん、は、ああ……」  
「ほら、メリー。どっちがいいんだ?」  
聞かれても、彼の肩に顎を乗せて喘ぐのが精一杯だ。硬くて質量のあるものが時折内腿に当たるのはわざとか。  
腰を押し付けようとすると逃げる。追いかけきれなくて膝が崩れそうになると、抱え直される。  
ふくらみはラルフの着ているシャツの胸元に押しつぶされ、やわらかく形を変えた。  
 
「……ラルフ……!」  
絞り出した声は、まるで泣いているかのようだった。  
「お、おねがい……いじわる、しないで……?」  
「意地悪? やめてってことかよ」  
「ちが……そうじゃ、な……!」  
快楽と同じくらいに大きい渇望で、目が回りそうだ。足りない。やっぱり、足りるはずなんてなかった。  
息も絶え絶えになりながら、懸命にラルフの耳に口を近づける。  
ちいさく、ちいさく。でも聞こえたのだろう。彼は満足そうに笑ったから。  
「……だから、最初から素直になっとけってんだよ」  
直後、圧倒的な質量がメリーの中心を貫いた。  
「――――!!」  
「……っ! ちょ、おま、喜びすぎだろ……!」  
青年は、先ほどとは打って変わって余裕をなくした表情でうめいた。  
「だ、だって、立っ……おく、やあぁっ!」  
身体を重ねるのは初めてではない。けれど、こんな風に直立した状態で交わったのは初めてだ。  
書棚は最早補助の役目を果たしているかどうかも怪しかった。全体重をラルフに支えられているためか、  
今まで最後の最後にしか叩かれなかった奥の壁に、容赦なく楔の先端が突き刺さる。  
「……っく、あんま、絞めんなって……!」  
「やあ、そんなの、しらなっ、しらない、ふあ、あ、ラルフ……!」  
「メリー……!」  
好きだ、と聞こえた。わたしもと返して、夢中で唇を重ねる。舌を絡める。まぶたの裏が、ちかちかする。  
苦しげなラルフの表情が愛しい。たぶん自分も同じ顔をしている。眉をひそめて、頬を染めて、  
瞳には愛情と、それから欲とを混ぜ合わせて沸騰させて発酵させて、もうどうしようもないくらいに  
どろどろになった何か得体の知れないものがたゆたっている。  
繋がれるかぎりの場所で繋がって、奥の奥まで求め合って、突き上げられるたび揺すり上げられるたび、  
高みへと一歩一歩近づいてゆく。  
最後の悲鳴は声にはならなかった。互いの息を飲み込んだ瞬間、最奥で熱いものが爆ぜるのを確かに感じた。  
 
「……は、激しかったな」  
「……そうね」  
「……久しぶりだったしな」  
「……そうね」  
簡単に身支度を整えた後。二人は当初の目的だった本を見つけて、閲覧机の上に積んでいた。  
もっとも、メリーはまだ足に力が入らないので動くのはもっぱらラルフだ。  
椅子に座ってぐったりしている彼女を気遣ってか盛んに声をかけてくるが、気の利いた返答が思いつかない。  
「なあ、メリー」  
低く呼びかけられて目を上げた。彼はなんともいえない顔をして、迷子になった子どものようだ。  
どうしてそんな顔しているんだろう、と内心首をひねったメリーは、続く言葉を聞いてさらに首をかしげた。  
「怒ってるのか?」  
「えっ、どうして?」  
何故そんな解釈になるのか。びっくりして瞬きする。  
「べつに怒ってなんかないわよ。どうしてそう思ったの」  
「……いや、口数少ねぇしよ……俺調子に乗って好き放題やったし……」  
「い、いいわよそれはもう。わたしだって」  
そこで急に尻すぼみになる。直視できなくて、彼女は本のタイトルを見つめた。  
「わたしだって……その、気持ちよかったし。嬉しかったし」  
「ホントか?」  
「あ、当たり前でしょ!? ほんとに嫌だったら引っ叩いてでも逃げ出すわよ!」  
「あ……そっか。お前、そういう女だったなそういや」  
苦笑の気配とともに頭を撫でられた。頬が熱い。ふくれっつらをつつかれて、ぷっと唇から空気が漏れた。笑われた。  
「もー……何よぉ……」  
憎まれ口を叩くかと思えば、やけに甘やかしてくれたり。ラルフはよくわからない。  
でもラルフと一緒にいるのは好きだ。ああでもないこうでもないと論争するのは楽しいし、  
ただ黙って隣にいても心地よい。  
しばらくおとなしく撫でられていたら、肩をぐっと引き寄せられた。耳に吐息が当たって首をすくめる。  
「……なあ、今夜、工房に行くから」  
「…………うん」  
チビはうまく言いくるめて早めに寝かせとけよなんて言っている。何それと口では呆れて突っ込んで、  
だけど幸せで、メリーは花のように微笑んだ。  
 

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