「え」  
「え」  
そこを見て、2人は同時に叫んだ。  
「えええええええええ」  
 
「ようこそ、ネスノの宿に」  
ほがらかなおばさんが異様な4人組を屈託なく迎え入れてくれる。  
普通の少年、大男、髪の長い少女、そしてトロイ感染者であるシスター。  
特にシスターの存在は嫌がられることも多く、宿のなかをあまり歩くななどと言い含められたりすることもある。  
こうやって迎え入れてくれるのはエルーにとっては心が楽だ。  
「1泊でいいのかい?」  
「ああ。出来れば4人一緒の部屋がいい」  
ファランが短く答える。護衛なのだから離れては意味が無いが、普通は男女か何かで二部屋に分かれるものだろう。  
「シスター連れってとこでもうワケありみたいだし、いいけどさ」  
「すまんな」  
おばさんはいぶかしむが、手を繋いでいるキリとエルー、残りのファランとスイをそれぞれ見る。  
「……そうかい。この先の道のりは結構きついから、ウチ自慢のでたっぷり休んで鋭気を養っていくといいよ」  
おばさんは意味ありげににぃっと歯を見せて笑う。エルーはいち早く何か勘違いされたっと思いツッコもうとするが、スイがその言葉さえ押しのけるように興味を示す。  
「ウチの自慢は風呂さ」  
「ふろぉ?」  
「そうさ。ま、ゆっくりしてきな」  
鍵と部屋の位置をキリに伝え、耳元で「頑張んな」と告げる。エルーががうと噛みつくように否定するが、放っておくように無視しておくのが一番いいとキリが手を引っ張っていく。下手に言い訳をすると、余計に想像力をかきたてるだろう。  
スイがキリから鍵をひったくり、だだだだっと駆けて部屋に飛び込んでいく。  
部屋は大きなもので、ベッドも4つ置いてある家族向けのものだった。  
「2人のベッドはくっつけておくか」  
「はい」  
ファランが少しだけ持ち上げ、ベッドを横にずらす。それを見ながら、エルーは心のなかで「宿を出る時は絶対に元に戻すのを忘れないようにしよう」と固く誓った。  
「ん?」  
「どうしました?」  
部屋の内装を見ていたキリが何か気づいたのと同時だった。  
「ふーろッ、ふーろ!」  
スイが部屋を走り回り、お目当てのドアを見つけて開ける。  
「うおー!」  
歓声が上がり、キリとエルーがその後に続いてそこを見てみる。  
言葉を失う、絶句した。  
「おっもしれー! ふろんなかにトイレがあるー!」  
スイがはしゃぎ、見ろよ見ろよと指差す。  
そして、2人は絶叫した。  
珍しいユニットバスというやつだが、これにはエルーの心が激しく動揺した。キリも同時に思う。  
――やべぇ。  
ドーンと事態の重さが黒い塊となって2人の頭の上にのしかかる。  
今まで、手を繋いで離せない2人のトイレは『2人も同時に入れない個室』という狭い空間だったから、成立していた。どちらか片方がトイレの外に出て耳を塞いで、終わるまでじっと待つ。  
しかし、ここのトイレは風呂と合体している。1人が外に出ているということが出来ない。  
更にそれに合わせてか、今までの宿や家に比べて風呂場が広いのだ。4倍か5倍あるそこは湯船も大きく、確かに「自慢の風呂」と言ってもいい。  
「なぁ、どうすんだこれ」  
「……どうしましょう」  
エルーが絶望的という声を細々と出す。この風呂は今まで出会い、ぶつかってきたどんな敵よりも凶悪に見えた。  
「どうした」  
ぬっと背後からファランがのぞきこみ、そして眼下のなんとも情けない顔をした2人を見た。いや、確かに同情するほかない。ファランは顔を覆い、はぁとため息をついた。  
 
「いや、ここらで宿はウチだけだよ」  
あの広いユニットバスについて、おばさんに尋ねた。  
「あ、あのっトイレも別でもっと狭い風呂のある部屋はありませんか?」  
必死になって聞くエルーに、おばさんはぷっと笑う。  
「おかしな娘だね。広い風呂がいい、っていう人はいるけど狭い風呂がいいだなんて」  
笑うおばさんだが、これはエルーとキリにとっては死活問題といっていい。だが、希望の光は見えてこなかった。  
「残念だけど、どこもあんな風呂だよ。トイレ付きってのは実は設計ミスなんだけど」  
ああ、この宿を設計した人が憎い。エルーは打ちひしがれうなだれ、orzとなっている。おばさんはおやおやと目を見張る。  
「まぁ、1泊だけなんだし我慢しとくれ」  
それだけ言って、おばさんは忙しそうに仕事に戻っていった。  
 
「どうする」  
どっかりとベッドに座ったファランが、彼に対し向かい合って同じように腰かけているエルーとキリに向かって問うた。  
「どうするも何も」  
「……今日1日は我慢するしか」  
ああ、もう泣きたいという感じだ。ファランは、まぁそうするしかないなと頷いてみせる。  
「風呂は仕方ないにして、トイレはどうする」  
「んー……耳栓と目隠しで大丈夫かな?」  
エルーの落ち込みようは凄まじい。キリもつられるように暗い。  
「出来れば鼻もつまんでください……」  
「わかった」  
今回ばかりは災難、としか言いようがない。ファランはむすっと黙っている。  
そんな全体的には暗いなか、局所的にはめちゃくちゃ明るい笑い声がしている。あひゃひゃと腹を抱え、面白そうにスイが笑っているのだ。  
スイの笑い声がいっそう悲劇をかきたてる。  
「あのー、すいません。ほんっと真面目な話なんで」  
エルーが弱々しくスイに言うと、抱腹絶倒だったスイが起き上がって2人を見た。  
「もういっそ2人して一緒に風呂も入っちまえよぉ」  
なっ、とエルーもキリも顔を赤らめる。  
「入りません!」  
「そういう冗談はよしてくれ」  
エルーが思い切り突っ込むと、何か考えていたようなファランが口を開いた。  
「……無理なのか?」  
「え」  
「2人が、一緒に風呂に入るというのは」  
エルーとキリの口がぽっかりと開き、それから絶叫がまた宿中に響きわたった。  
 
「むりむりむりむりむりむりです!!」  
顔を真っ赤にしてエルーがファランに何を言っているんですか、と立ち上がって強く言ってのける。しかし、ファランは涼しげな顔で問い返す。  
「何がまずいんだ?」  
「全部です! 第一、おお男の人と一緒にお風呂なんてそんな!」  
「少し落ち着こう」  
困った顔を見せるキリがたしなめると、エルーもしゅんとなってベッドに座りなおし、気まずそうにキリとファランの顔を見る。  
「まずいというのは、お互いの裸を見られるのが嫌だというんだろう。なら、トイレと同様に目隠しをすればいい」  
「いや、そんな」  
そんな問題ではない。エルーはもっと強く言うべきかどうか、と口ごもる。  
「キリの何が信じられないんだ?」  
「え」  
「今まで、お前という存在を受け入れて、旅にまで付き合ってくれている男の何が信じられないんだ」  
「それは……」  
エルーは、同じように動いたキリと顔を見合わせた。  
キリのことを信用していないわけではない。それでも、これとそれは別問題だ。  
「理性がどうの、男の本能が信じられないなら、お互いに服を着て風呂に入ればいい」  
「服!?」  
「別に着衣のまま湯船に入れ、というわけじゃない」  
例えばエルーが服を脱いで風呂を楽しむ間、キリは服と目隠しを付けたまま一緒にいる。  
↓  
エルーが洗い終わったら、彼女がバスタオルを巻くなど濡れても構わない・裸ではない格好になってと目隠しをつけてキリの風呂に付き合う。  
↓  
勿論、極力彼女を見ないようにして洗い終えたキリが服まで着終えたら目隠しをする。  
↓  
エルーが服を着る。  
何も風呂は裸でしか入ってはいけないわけではない。  
「問題はないと思うが」  
「うーん」  
確かに、お互いの裸を見合わないという点では問題はなさそうだ。あとは互いの自制心次第だろう。  
「要は2人のどちらかがどこでも肌にさえ触れていれば問題はないわけだから、目隠しをしている方に肩など触れてもいいところに手を置いてもらっていればいい」  
「それはそうなんだけど」  
ちらっとキリがエルーの方を見る。説明はきちんと聞いて理解したものの、受け入れはまだ出来ないようだ。  
「それに、今までそんな体勢を続けていてまともに風呂に入れるとは思えんのだが」  
ファランの言う通り、それはそうだった。狭い風呂で、1人ずつお互いを見ないように手を繋ぎあって入るのはかなり大変だ。片手で髪や身体を洗ったり、まともに湯船につかれることはなく扉に近いところにあるシャワーですませるしかない。  
この方法が可能になるなら、極端に狭い風呂でなければこれから続けていくことも出来るだろう。  
「俺は良くわからんが、年頃の女性と言うのはきちんと身体を洗えないというのは気になるんじゃないのか」  
「……それはそうですけど」  
エルーは空いている手でぎゅっと膝の辺りをつかんだ。ファランの言う通りだ、気にならないわけがない。  
「別に変な匂いはしないけどな」  
キリがエルーのうなじ、首もとの辺りの匂いをかぐようにしていたので彼女はぎゃっと悲鳴を上げて思い切り押し飛ばした。天然なのか、たまにこういうことをしてくるから心臓に悪い。  
「結局、あんた次第だと思うんだけど……」  
押されて倒れてあてててとベッドから起き上がるキリがエルーの顔を見る。彼女が顔を伏せ、黙って考える。  
「絶対のぞかないし、変なとこも触らない。俺を信じてくれないか」  
「……」  
キリの言葉、その顔にやましいことなんて一切見えなかった。そういうことをする人でもない、と今までの旅で知ってきた。エルーはわかっている。  
それに両手を使って思う存分身体を洗い、たっぷりの湯の張った湯船に足を伸ばして入る。想像するだけでなんて気持ちいいことだろう、と思う。その隣に服を着ているとはいえ男の人がいるという羞恥心で、エルーの心は揺れている。  
「まぁ、風呂場の外、この部屋には俺もいる。変な悲鳴が聞こえたら、飛び込んで叩き飛ばしてやる」  
ガゼルの暗殺者を瞬殺した男の言葉だと、それは相当恐ろしく頼もしい限りだ。変なことをしないと心に決めているキリでも冷や汗がだらだらと流れる。  
・・・・・・  
「わかりました」  
長い沈黙。たっぷりと時間を使って、エルーはそう答えた。安堵の息、やれやれと方の力を抜いた。  
「絶対絶対見ないでくださいよ?」  
「おう。わかってる。そっちもあんまり長風呂しないでくれよ?」  
ぎゅっとつかんだ手を強めに握り、エルーの言葉にキリが応えた。まだ不安で、恥ずかしさの残るエルーもそれでようやくくすっと笑みがこぼれた。  
いつの間にか部屋の外に出ていたスイがにやっと笑っているのには、2人は気づきもしなかった……。  
 

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