蛇口をひねり、お湯を風呂桶にため終えたころだった。
「ひゃっ」
思わず声が出てしまった。キリの手が、ほんの少しだけ動いたようだ。
たったそれだけなのに、今までとは全然違う反応を見せてしまってエルーはバツの悪い感じが胸のなかにあった。
とりあえず目の前のお湯を肩から、少しずつ全身を濡らすようにかける。後ろにキリがいることも忘れず、首筋にはなるべくかからないように注意を払ったつもりだった。
「っと」
「あ、すみません、お湯かかりましたかっ?」
「いや、気にしなくていいよ」
「服にかかったら大変ですもんね」
「いや、洗濯前の服だからこれ。っていうか今さら今さら」
キリの言葉にそうでした、とあはははと笑ってしまった。そして、同時に本当に彼が後ろに立っているのだということを改めて認識した。
「じゃ、じゃあシャワー流しっぱなしにしてもいいですか?」
「へ? いいけど」
万一でも、何か恥ずかしい音が聞こえたら嫌だなと思ってシャワーの温度を調節して出しっ放しにする。暴れないように、自分の足でえいやっと踏みつけておく。
「背中……」
「え?」
キリがなんでもないと誤魔化した。エルーもそれ以上は追及しなかったけれど、気になる。
――背中、背中、何か変だったかな?
エルーはわずかに首をひねりながら、身体を洗い始める。今まで両手を使って洗えることはなかったので、これは本当に気持ちが良かった。
こうして力強く、マッサージをするように念入りにごしごしと肌をこすって洗う感じがたまらなかった。
そのおかげか血の巡りが良くなり、段々身体のなかから温まってきた。自分の肌に触れているキリの指先がいつもより温かくいや熱く感じてきた。熱いけれど、離したいと思うような不快でもない。
彼の手が置かれている首筋が、くすぐったいというか心地よいというか不思議な感じがした。
――あっ、湯桶じゃなくてシャワー使ってれば……。
湯桶でかぶるのではなく、弱めのシャワーを使えばお湯はそうはねない。最初からそうしていればキリにかかったりすることもなかった、とエルーは今さらながら気づいた。
ちょっとしたことだが、それなりに肩を落とした。これからそうすればいいか、とすぐに気を取り直す。
足で押さえつけていたシャワーを手に取り、少し勢いを弱めて身体にかけていく。ついでに髪を濡らそうと、いやその前にキリに一言断りを入れておくことにする。
「これから髪洗うんで、シャンプーとか指にかかるかもしれません」
「あ、ああ」
キリが言いよどむ。エルーもいちいち一言ずつ声をかけていくのが、気恥ずかしいというかこそばゆい。ひとつひとつ答えが返ってくるのが、嬉しい。
どうしたんだろう、フフッとエルーは微笑んで首をちょっとだけすくめる。
「あ、あのさ」
「は、はい」
「髪洗うの手伝おうか?」
「へっ」
キリの突然の提案だった。早くものぼせてきたのだろうか、自分の顔が熱い。
エルーの頭のなかがぐぅるぐぅる渦巻いているようで、同じように舌もよく回っていない気がする。言葉がのどまで出かかっていそうで、ごくんとつばを飲み込んで落ち着かせる。
「お、お願いします……?」
ようやく出た言葉がそれで、エルーは固まった。それから、ゆっくりと後ろを振り返るのとほぼ同時にキリがぺたんと床に座った。思わずきゅ、ばっとエルーは真正面を向き、姿勢を正してしまう。相手は目隠しをしているのに、まともに顔を合わせられない。
「あ、あのさ」
「は、はひ」
「前見えないから、シャンプー、髪につけるのはやってくれない?」
「あ、はいはい!」
エルーがぎゅっぎゅとシャンプーのノズルを押し、手のひらにそれをためる。すっと自分の髪にのせ、のばして、指を立てて泡立てる。
そこでこつんとキリの指がぶつかったのがわかって、反射的に彼女は右手を引っ込めてしまった。宙を浮いたその手は行き場を探し、落ち着いた先は自分の太ももと膝の裏だった。
エルーの首筋にまだキリの指の感触があるので、空いている右手だけで彼女の頭髪を優しく撫でる。エルーは彼の手にぶつからないよう、自分の左手で残ったスペースを洗いたてた。
傍から見ればおかしな光景だ。銭湯で似たようなサービスがあったかな、と思うけれどエルーはされたことがない。
キリの指先は優しかった。繊細で器用な手先を活かして、エルーの右頭部を丁寧に洗髪してくれる。触っている彼の指が思いのほか硬く、女の子の自分とは随分違った。
――この手、この指で色んなものを作ったり……私や色んな人を救ってくれたりするんだ。
それを1人占めしているようで、ちょっぴり贅沢な気分だ。それに手を繋いでいる時とはまた感じ方に差があり、今一緒に自分の頭に触れているのでよくわかる。
そう優しいけれど、何か切なくなるこの感じをエルーはつかみそこねていた。
それからキリの左手も参戦したのを、また指同士がぶつかったので気づけた。エルーは両手を下ろし、黙って洗われることにした。こてんと後ろに首を傾け、キリに預けてしまう。しゃかしゃかと動く指が、今までにない安息を感じさせてくれる。
「ん、シャワー」
キリにそう言われ、エルーは名残惜しそうにシャンプーの泡を洗い流した。左手は離れていくけれど、右手はつむじから首筋の背骨をそってまた肩の辺りに置かれる。エルーはその手を取って、キリに立ち上がることを促した。
「湯船につかりますんで」
「うん」
重なり合った2人の手は指先だけ絡めて、転ばない程度でほんの少しだけ足早に歩いた。
ちゃぷ、ちゃぷんと足の先を沈めて湯加減を見る。丁度いい感じだ。
エルーは思い切り、ざぷんと湯船に身体を沈めて足を伸ばした。
「う〜〜〜、はぁ」
このお湯に全身が包まれる感覚。久し振りだな、とエルーはまどろむ。
「あんたオヤジくさいぞ」
「失礼なこと言わないでください」
ぷん、とエルーはすねるように頬を膨らませる。キリの吹き出す声も聞こえた。
「……」
シスターはトロイ感染者だ。他の人からの極力接触を避け、何をしなくても避けられる。
肌がむき出しになるお風呂の時なんて、誰かと一緒に入るなんて考えられないことだ。1人旅の時は宿に泊まることを選ばず、野宿した時もある。人にしかかからない病だから、お風呂に入れない時は川の傍でこっそり水浴びをするのがその代わりだった。温かなものなんてなく、トロイにかかった人の肌やシスターを見る殆どの目と同じように冷たかった。冷たいばかりだった。
トロイになる前は、お風呂を家族と一緒に入って団欒していたことを思い出す。温かな湯気に包まれた、優しい笑顔に満ちた記憶。幼い頃、両親に髪を洗ってもらうのが凄く好きだった。
泣きたくなる。
「キリさん」
「なに」
「ありがとうございます」
だけど、今一緒にいられる人がいる。
さっき彼が髪を洗ってくれた時、両親のことを思い出したけれど、その指や洗い方はぜんぜん違った。気持ち良いのに、なんだかこそばゆかった。
「……いきなり何だよ。ていうか、あんたオレに謝るかお礼ばっかり言ってない?」
「私の気持ちですから」
「ふーん」
照れ臭くなって、エルーはこぽぽと口をお湯につけてしまう。
「キリさんの手って凄いな、って改めて思って」
髪を洗ってもらったことがそんなに嬉しかったのか何なのか、その時に思ったことを言葉にしたくてたまらなかった。それに彼の手は本当に沢山の人を癒し、力を、勇気を、希望を与えてくれる。
「髪洗ってもらった時、なんか贅沢な気分でしたよ」
「んなことねーって。オレの手より、あんたの背中の方が凄いと思うね」
「せ、背中ですか」
見えてないよね、なんだろうとエルーが自らの背中を見ようと湯船のなかでばしゃばしゃ動く。
「オレが街のなかで絵とか彫刻とかしてる間、あんたはずっとトロイの治療をしてたんだろ」
「治療だなんて」
トロイは完全に治る病ではない。シスターが出来るのは、ほんの少し時間を与える為に患者の毒を肩代わりする程度だ。
「シスターってことで色んな風に言われたり、見られたりしたんだろ。なのに、ずっとシスター続けて、凄いよ。オレなんかには絶対出来ない」
「そんな。私がシスターをしていたのは、それしか出来なかったからです。間に合わなかった時だって……!」
「それでも、あんたは自分を捨てないで続けてこれたんだ。ずっとずっと、ほんとに色んなもの背負ってさ」
背中合わせにキリが素直に称賛してくれるのは嬉しかったが、エルーは心地悪かった。申し訳ない気持ち、無力な自分がどうしてもぬぐえない。
「オレはあんたを不幸にさせない」
エルーはハッと顔をあげ、少しだけキリの方へ首をひねる。顔は見れない。
「これからもやっぱ旅先々でシスターのことやトロイで言われていくんだろうけど、せっかく一緒にいて、手を繋いでいるんだ。もうあんただけの重荷にしないで、オレにも背負わせてくれよ」
きゅっと肩越しの手が動く。
「これ以上、キリさんに迷惑かけるわけには」
「迷惑じゃないって。ていうか、何を今さら。こんなこと言わせんなっつーの」
「あ……すみません」
「また謝る」
エルーはぶくぶくと湯のなかに沈む。こういう話になると、どうしても後ろ向きになってしまう自分が嫌だ。
「とにかく、もうあんたは1人じゃないんだから。そこんとこよろしく」
「……はい」
マーサに拾われて、シスターとして生きることを決めて、沢山の人に出会ってきた。救おうとしてきた多くの人に避けられ、距離を置いて、自ら遠ざける。どんな間柄の人間であってもそうしなければならない、触れれば感染る不治の病。
いつかシスターとしての限界を超えて発症することも、当たり前のことであったのに、頭の上では覚悟していたのに、いざその瞬間になれば恐ろしかった。この世界から文字通り消える。骨も何も残らない。自分を知るものがどれだけいたか、その人達は自分の死をどれだけ悲しんでくれるだろうか。もしかしたら消えたことすら気づいてもらえないかもしれない。
「はい」
エルーはキリの言葉をかみしめ、ゆっくりと反芻する。
シスター同士でも触れ合うことに躊躇われるというのに、彼は迷わず苦しんでいたエルーを拾い上げた。とっさの行動でシスターとは気づかなかっただけかもしれない、いや彼はそうであっても躊躇わなかっただろう。
そういうことなどから彼を馬鹿だ、青臭い、理想論ばかりと片付けることは簡単だ。こうして彼の温かな手に触れている間にも、世界で多くの人がトロイで亡くなっていく。元よりシスターの数が足りない、完全な治療にはならないことから救世主は待ち望んだ存在だった。
それなのに、たった1人のシスターであるエルーを救い出し、それだけに一生懸命になってくれている。どうかしている、事態は一刻も争うだろうに悠長過ぎる。理解が足りていないのかもしれない。ただファルゼンが全滅してしまったから、護衛をつけて、自分達も強くなろうという考えは間違ってはいない。
けれども彼女も、世界もまだ救われていない。それだけが事実だ。
だけど、一般市民Aだった彼にいきなり世界を救うかもという重荷は厳しすぎる。彼にはまだ世界が見えていない、目の前のシスターを救い出すだけで手一杯でいる。それだけでも取りこぼしそうなくらい、彼はつたない。
今はまだ彼の行く末を見守っていよう。おかしい? 甘すぎる? 彼が今取っている行動はいずれ様々なカタチでの責任となってのしかかるだろう。悪く言えば今までのツケがのしかかるということであって、本当にこれから先、彼の未来には何が待っているかわからない。最悪すら、今では考えられないほどに想像を絶するものかもしれない。
一緒にいよう。それが許されている限りでいいから、この手が分かつまで。
「はい。ありがとうございます」
エルーはキリに応えた。彼はお礼と謝ってばかりと言っていたけれど、それは彼ばかりでなくこの世界や今まで出会ったきた人達、そして自分自身にも向けて言っていたのかもしれない。
「……そろそろあがりますね」
「もう、か?」
「これ以上入ってたらのぼせちゃいます」
エルーはあははと笑い、そう言って湯船のなかで立ち上がる。彼もそれに合わせて立ち上がったことを、首に置かれた手の感触でわかる。
この頭の熱さはのぼせそうなだけじゃないから、笑って誤魔化した。笑うより嘲うの方が近いかもしれない。
いつからだろう。世界や他の人達にかけていた心が、すぐ後ろにいる少年と自分の方ばかりへと移りいったのは。
「これから髪洗うんで、シャンプーとか指にかかるかもしれません」
「あ、ああ」
キリが言いよどんだ。
いちいち断りを入れてくれる彼女の気配りに、意識して動揺しているみたいで恥ずかしい気がしてきた。
「あのさ」
肩に置いた手にかかる濡れた髪の感触、その下に続く彼女の背中に何か思うがあった。そう、ひとつでも彼女の労をねぎえたらと思った。
「は、はい」
「髪洗うの手伝おうか?」
いやらしい気持ちなんてない。
「へっ」
突然の提案だったし、断られるかなとキリはすぐに諦めかけた。相手は年頃の女の子だ。流石にそんなことさせてくれるわけがない、むしろ変に警戒させてしまったかなと心のなかでため息ひとつ吐いた。
「お、お願いします……?」
エルーの戸惑いを見せるような、了承の言葉を聞いてキリは何かを思う前にどすっとびしょ濡れの風呂場の床に直に座り込んだ。
彼女の肩に置いた手の、指の力が思わず入ってしまいそうなのをこらえた。ツッコミを入れた方がいいのだろうか、なんて自分から言い出しておいてそれはないだろと言うのもおかしい。
「あ、あのさ」
「は、はひ」
「前見えないから、シャンプー、髪につけるのはやってくれない?」
「あ、はいはい!」
彼女がぎゅっぎゅとシャンプーのノズルを押し、手のひらにそれをためるような音が聞こえた。それを髪にのせ、のばして、指を立てて泡立てるのも音でわかった。
キリは意を決し、空いた手の方で彼女の頭に触れる。
手で頭の形をさぐり、離さないようにしっかりとつかもうとする。その時、こつんと彼女の指がぶつかったのがわかった。それがすぐに引っ込んでしまったのを、キリは少し残念に思い、なんで!?とその思ったことに対してまたツッコむ。
とにかく、とキリは彼女の髪をわしゃわしゃと洗い始めた。こうやって他人の髪を洗うなんて初めてのような気がする。幼い頃、両親に洗われたことはあった気がするけれど自分が両親にしてやった記憶はなかった。
傍から見ればおかしい光景に違いない。それでもキリは出来るだけ優しく、丁寧に、髪を洗う。おかゆいところはありませんか、なんて冗談も言い出せないくらい必死だった。
――この髪、毎朝いっつもハネてるよなぁ。
他人のことは言えやしないが、とキリはクスッと笑った。シャンプーしている間でさえ、髪がハネようとうずいているのがわかる。
片手だけでは難しくなってきた。なんとなくバランスが悪い。彼女の髪には触れているから、首のところに置いた手は離しても大丈夫だろう。
キリは両手を使ってエルーの髪を洗い始める。彼女の指にまたぶつかったのを追うけれど、どこかにいってしまったようだ。残念に思う自分に首をかしげる。
それからエルーがこてんと後ろに首を傾け、キリに預けてきたことに驚いた。硬直しないで耐えるまま、無心にしゃかしゃかと指を動かした。もうどこかヤケが入っているのは否めない。
「ん、シャワー」
いっぱいいっぱいのキリはそれだけ言うのが精一杯だった。彼女がシャンプーの泡を洗い流してくれると、ほっとしたのも事実だった。
キリはまず左手をそっと離し、右手は離さないようにつむじから首筋の背骨をそってまた肩の辺りに置く。決していやらしい意味でも目的でもないけれど、危うく鎖骨の方まで滑っていきそうになったのは目隠しのせいだ。そういうことなのだ。
頭を少し持ち上げた彼女はその手を取って、キリに立ち上がることを促してきた。
「湯船につかりますんで」
「うん」
会話はそれだけで、彼女が今何を考えているのか全くわからない。重なり合った2人の手は指先だけ絡めて、転ばない程度でほんの少しだけ足早に歩いた。
ちゃぷ、ちゃぷん、ざぷんと湯船につかったような音がした。お湯があふれてくることはなさそうなので、キリは手の位置を組み替えつつ湯船に背中を預けるように座り込んだ。
「う〜〜〜、はぁ」
「あんたオヤジくさいぞ」
「失礼なこと言わないでください」
彼女がそう言うの聞いて、キリは吹き出した。いつものやり取りだ。
「……」
また無言になった。別に会話し続けなくてもいいのだけれど、今の状況だと少し気まずい。
エルーはシスターだ。それがこの世界でどんな意味を持つのか、大人達はみんな知っている。
肌がむき出しになるお風呂を誰かと一緒に入るなんて考えられないことだろう。それに1人旅が基本のようだから、その間の苦労は想像に難くない。もっと人が優しければいいのに、と思うが周りが彼女を避けることは至極当然のことだ。
キリの家族との交流で泣かれてしまった時、もっとよく考えてみるべきだった。手を繋いで旅をしてきて、彼女の境遇を同じ視線で見て、痛感した。
泣きたくなる。
「キリさん」
「なに」
だけど、今はキリが彼女の傍に……一緒にいられる。
ある意味世界からはずれたものが出会い、互いに必要なと感じあえたこと、無意味なわけがない。
「ありがとうございます」
「……いきなり何だよ。ていうか、あんたオレに謝るかお礼ばっかり言ってない?」
「私の気持ちですから」
「ふーん」
それを言うならオレからもエルーに言いたいな、と口を開こうとした時、また彼女が喋り始めた。
「キリさんの手って凄いな、って改めて思って」
髪を洗ってもらったことがそんなに嬉しかったのか何なのか、彼女の声ははずみはしゃいでいるように聞こえた。こちらもそれだけ喜んでもらえて、何よりだと思う。
「髪洗ってもらった時、なんか贅沢な気分でしたよ」
「んなことねーって。オレの手より、あんたの背中の方が凄いと思うね」
「せ、背中ですか」
湯船のなかでばしゃばしゃと動く音がして、あふれ出た湯が彼の背中をつたうが気にしない。
「オレが街のなかで絵とか彫刻とかしてる間、あんたはずっとトロイの治療をしてたんだろ」
「治療だなんて」
トロイは完全に治る病ではない。シスターが出来るのは、ほんの少し時間を与える為に患者の毒を肩代わりする程度だ。
「シスターってことで色んな風に言われたり、見られたりしたんだろ。なのに、ずっとシスター続けて、凄いよ。オレなんかには絶対出来ない」
「そんな。私がシスターをしていたのは、それしか出来なかったからです。間に合わなかった時だって……!」
「それでも、あんたは自分を捨てないで続けてこれたんだ。ずっとずっと、ほんとに色んなもの背負ってさ」
耐性があるということは、他のトロイ患者より長く生きられるということだ。自分の思うままに、夢を追いかけることも出来たはずだ。それなのに、シスターは自分の時間を他人に分け与えることを選んだ。
湯船越しに感じる、彼女の背中。本当の目で見るより、ずっと大きく感じられた。
「オレはあんたを不幸にさせない」
自己犠牲は好きになれない。たった1人で背負い込むようなことを、見てはいられない。自分も他人もどちらも大切なものだと、救いたいと思うからだ。
「これからもやっぱ旅先々でシスターのことやトロイで言われていくんだろうけど、せっかく一緒にいて、手を繋いでいるんだ。もうあんただけの重荷にしないで、オレにも背負わせてくれよ」
きゅっと肩越しの手が動く。
見ていてオレがツラいから、彼女のわがままを聞いてやらない。それくらいしないと、優しい彼女はすべてを勝手に1人で背負い込もうとするだろう。
「これ以上、キリさんに迷惑かけるわけには」
「迷惑じゃないって。ていうか、何を今さら。こんなこと言わせんなっつーの」
「あ……すみません」
「また謝る」
謝りたいのはこちらの方だと、彼はひとつ息をつく。
「とにかく、もうあんたは1人じゃないんだから。そこんとこよろしく」
「……はい」
キリは小さな母親と大きな父親の間に生まれ、平穏に育ってきた。あの街が、目の前にいた人達が彼の世界だった。生まれ持ったその力と才能で沢山の人や心と触れ合い、感謝されてきた。自分の力や特技が他人の役に立てるのが嬉しかった。
感謝祭には小さな頃から手伝い、貢献してきたつもりだった。けれど今年はいつもと違って最高責任者を頼まれた。流石にそれは出来ない、と断った。スイは面白そうだからいいじゃねーかと言うし、両親はやってみたらと軽く言う。この手に出来ることはフレアと作品を作ること、まだ子供である自分ではとても責任が持てない。そう言うと大人達は笑った。俺達が一丸となってお前を支える、フレアだって1人じゃ何も出来ないだろ、お前も16歳になるしな、少しきついかもしれないがやるんだ、この街みんながお前の味方だ、この街のみんなから信頼されてるお前ならやれる。無責任な言葉もあったけれど、皆の言葉に悩んで推されて考えて決心した。
「はい」
それが彼の答えだった。
彼女は反芻するように、キリに語りかけるようにその言葉を繰り返した。
エルーと出会って、キリの生活は変わった。発作で苦しむ彼女を、シスターと気づく前に拾い上げたことが始まりだった。今までと同じように、大抵の病気ならフレアがあれば何とかなると思っていたのかもしれない。いくらフレアでもトロイには効かないからやめるんだ、と周りからそれを試すことは止められていた。
浅はかだった。それからまだ見ぬ世界の広さ、自分の小ささを自覚することばかりが起きた。いきなり救世主の卵と言われたり、ガゼルの暗殺者達から命を狙われることにもなった。ノリや勢いだけでは何も解決しないし、無力を痛感する。
無策で窮地に飛び込んだこともあった。繋いだ手を離さないと言っておきながら、何度も彼女の手を離してしまった。それからすぐに彼女に起きる発作を見れば、今のままのフレアではトロイを完全には治療出来ないことは明白だ。今までとは何もかも違う、広がった世界で彼は何とか出来なかった。
それなのに、周りはどうしようもない彼をどうしようもなく庇ってくれる。ただ守られるだけではツラい。ファルゼンが全滅し、個人の護衛に頼らざるを得ない今、自らが強くなる為の修行などそんな余裕はないはずだ。だけど、彼は広がった世界と彼女を守れるだけの力が欲しかった。
正直、世界と言われてもピンとこないし。けれど目の前に見える人くらいは守りぬきたい。
トロイで消えた街は数知れず、今もその脅威に怯える人は絶えない。そんな世界に待ち望んだ救世主の卵と言われた一般市民A、それは感謝祭の最高責任者の肩書きよりも重い。まだ救うべき世界が見えていないし、目の前のシスターでさえ満足に助けられない情けない男だ。
大人は責任を取るものであり、それを取ろうとしない大人は無駄に歳を食ったガキだ。今はまだ庇われてばかりのキリだが、大人になろうとあがいている。自分の今している行為もその代償も、背負っていこうとしている。自らの行く末に何があるのか、想像もついていない。目指すトロイ研究所で自分に何をされるのかさえ、わからない。
一緒にいよう。それが許されている限りでいいから、この手が分かつまで。
「はい。ありがとうございます」
エルーは何度も彼に応えるよう、返事をした。思うところが、自分と同じようにあったのだろうか。その間の取り方と風呂場に小さく響く声が、耳に心地よかった。
「……そろそろあがりますね」
「もう、か?」
「これ以上入ってたらのぼせちゃいます」
彼女はあははと笑い、そう言って湯船のなかで立ち上がる音を立てた。キリもそれに合わせて立ち上がる。
その表情が見えないまま聞こえた笑い声は、何だか切なかった。
彼女を守れるだろうか、いや守ってみせる。そして彼女の思いに応えること、それが自ら手を差し出したキリが取るべき責任だ。
「っしょ、と」
ぎゅっとエルーはバスローブの帯を縛る。身体や髪は一通り拭いたけれど、これからキリのお風呂に付き合うのだ。きちんとした就寝着はまだ無理だが、バスローブにくわえて濡れてもいい薄手の上着をはおっている。もちろん下着は新しいのを着用しているが、上は濡れてもいい余分な洗い換えが間に合わなかったのでショーツだけだ。だから上着をはおっているのだ、これでそれがわからないはずだ、とエルーは自分に言い聞かせ顔に出ないように努める。
「着た?」
「はい」
「目隠し取って」
「いいですよ」
キリが結び目をほどこうとするのを、エルーが手伝う。ぱらりとほどけた目隠しはエルーの手におさまり、彼は目をこすった。少しきつく縛りすぎたかな、大丈夫ですかと彼女が覗き込む。
「あ、大丈夫だから」
キリがきょろきょろと風呂場を見て、それからエルーを見た。風呂上りで、髪もまだ乾いていない彼女が小首をかしげてこちらを見ている。風呂場の明かりは大したことないはずなのに、まぶしくて正視しにくい。
「……」
「今つけますんで、服を脱ぐのはもうちょっと待ってくださいね」
若干の照れを見せながら念を押すエルーがじっと目隠しそのものを見ているところに、キリが声をかけた。
「目隠しするの不安?」
「やっ、そういうわけじゃ」
そこまで信用されるのも、キリ自身がなんだか怖かった。
「……別にオレはいーよ、しなくても。男なんて見るべきとこ少ないしさ。タオル着けるし、基本ずっと後ろ向いてるわけだし」
転ぶことさえ気をつければ、そう難しいことではない。しかし、エルーは真っ赤になって否定した。
「ななな何を言うんですか、もう! すぐつけます! さぁつけましたっ」
手早く、ぎゅっとエルーが目隠しを装着する。キリはぽかんとそれを見て、吹き出した。それから彼女の手が離れないよう、いつもと同じように服を脱ぎ始めた。
「ちゃんとついてきてる?」
「大丈夫です」
早々に脱いだキリは風呂場を歩き、ぺたんと座り込んだ。彼女の指先は彼の右肩にちょこんとした感触とともに置かれている。今までもこういうところに触れられたことはあるのに、やはり何か違うように思える。
「遠慮せずにもっとべたーって触ればいいのに」
「いいんですっ」
「ほら」
ぐいっとエルーの手首を取り、キリは掌全体を押し付けさせた。1mmでも離れたら発作が起きてしまうのだ。ちょこっと触っているだけだと、安心出来ない。
「ちょ、キリさんっ」
「今さら照れない」
「っ、今は違うんです!」
目隠しはしているが、異性が目の前で裸になっている。いつもなら腕で距離を置き手を繋ぐのだが、今はその肩へ直に触れているのだ。意識して当然だが、そういう問題ではない。
「お湯かかんないようにシャワー使った方がいいよな?」
「はい。そうですね」
エルーの失敗をキリが活かし、その温度を調整してシャワーを弱めに出し始める。後ろにいる彼女を見ながら、かからないように慎重に全身にお湯を浴びる。
それからごしごしと全身をくまなく洗う。エルーと同様、思い切り両手を使って身体を洗うのは久し振りだ。気持ちがいい。
エルーは動悸を抑えようと頑張っていた。
服の上からではない、直に彼の首筋へ手を置いていることに動揺を隠せなかった。目隠しをしている分、その固い肌触りを更に意識してしまう。
これで手の平をずらして、また指先だけにしようとしたら彼にまた手首を取られる。そんなことされたら、余計に鼓動が早まってしまう。
自分でも変に自意識過剰だよね、と思う。彼を信じていないわけではないのに、どうしてもそういう方面を意識してしまう自分が嫌だ。今までの旅でもそんな失礼なことを考えてしまったこともあり、その夜は申し訳なさでなかなか寝つけなかった。
まさか期待しているわけでもないのに、とエルーは自らの首をぶんぶんと横に振る。本当に頭がのぼせているのかもしれない。早く出て、頭を冷やしたい。
……沈黙が始まった。談笑なんてなくてもいいのに、やはり気まずい空気のような感じがした。
エルーは直に触れている彼の首筋から、その服を着ていてはわからないたくましさを感じていた。やはり女の子の自分とは違う、男の子のものだ。
また何か思い浮かべてしまったので、エルーはまた頭を思い切り振ってそれを振り払う。彼がそれに気づいて後ろを見たので、余計に恥ずかしい。その上見て見ぬふりをしてくれるのか、沈黙は続く。
ファランは暇だった。
悪いことではない。何事も起こらないのなら、それに越したことはない。無駄なことはしたくない。
「……」
現在もスイの帰らない部屋に聞こえるのは風呂場からの小さなシャワー音だけ、暇な彼がうとうととついまどろんでしまう。落ちかけたところ、カッと目を見開くことの繰り返しだ。
この半端な状態のままではいざという時、対応が出来ない。ここで彼は数分間眠りにつくことに決めた。ほんのわずかでも集中して眠れれば、本来の就寝時間まで耐えられるはずだ。少なくとも、今の状態を続けるよりいい。
決断したファランの行動は早く、固く目を閉じた。体勢はあくまで崩さない。
数秒後、彼は安らかな眠りについていた。
沈黙は続き、キリは身体を洗い終えた。ばしゃーっとお湯で泡を流し、ふぃーっと一息つく。
次は頭を洗うのだが、なんとなくここで動きを止めた。もしかしたらエルーが、なんてものが脳裏をよぎったからだ。しかし、その気配は無さそうなのでキリは黙々とシャンプーのノズルを押して、出てきたものを髪に伸ばす。
わしゃわしゃと先程彼女にやってあげたように、自分の髪を洗う。洗っている間にそのことを鮮明に思い出して物凄く恥ずかしくて、消えてしまいたくなってきた。自分に当たるように、洗髪している手の動きが早まる。
それと気のせいか、エルーの手の感触が少しずつ上にずれていっているように思える。うなじ、そしてえりあしに指先が触れている気がするのだ。
勢いづいていたキリの手がそのまま止まり、エルーの指先を全神経集中させて追いかけ待ってみる。緊張と同時に顔が熱くなってきた。彼女は無言で、彼がごくりとつばを飲み込んだ。
その時だった。
風呂場の窓から何者かが、足音も立てず侵入してきた。
全神経を集中させていたおかげでその異変に気づけたキリだが、目にシャンプーが入ってよく見えない。エルーは目隠しをしていて、よくわからない。
なんかいいところだったのに、2人がほぼそんなことを思っていた。
キリが足音もなく現れた侵入者に気づけたのは、それにおぼえがあるからだ。
「なぁーにやってんのかなぁ、おふたりさん」
にまにまと不気味な笑顔で2人を見ている侵入者、キリが確信を持って声に出した。
「おまっ、スイ!」
「え? スイさん!?」
エルーは目隠しをはずそうかどうか迷いながらも結び目に手をかけるが、勢い任せ出つけてしまったそれは意外にも固かった。キリはシャンプーの泡というかつてない妨害に苦戦していた。
「いーねぇ、らぶらぶで」
はぁんとうっとりするような声と仕草をスイが見せ、2人をからかう。
「って、お前早く出てけ! このパターン2度目かっ?」
「やだ」
きっぱりと言い捨ててきた。スイは獲物を見る目で、じりじりと2人に迫っていく。
エルーとキリの2人が一緒に風呂へ入ることになったと決まった時、スイは乱入して遊んでやろうと決めた。それから部屋の外のファランの隙を待ち、思い切り暴れられそうな時をじっと待っていたのだ。
それでもあのファランに気づぬよう気配を絶って、足音も無く忍び寄り、足場の悪い窓から侵入してみせるとはクリアナギンの血と才能の無駄遣いだった。
ここでエルーが叫べばファランは飛び起きるがスイは逃げ、残ったキリは言い訳の間もなく叩き飛ばされる。かといって、エルーが撃退しようとすればトロイがスイに感染ってしまう。
ここはキリが動いて、大きな音を出さずにスイを追い出すしかない。
無理だ。
それを悟った瞬間に、スイにキリの前隠しのタオルを取られた。慌てて片手で隠し、スイをうまく開かない目で追う。どこにいる、広いとはいえ風呂場という空間は限られている。
「っ、いた!」
「どこですか!?」
エルーの真後ろだ。にぃーっと笑うスイが、何もわからないエルーの上着のボタンをはずし、バスローブの帯と目隠しをほどいた。なんと言う早業、しかも彼女自身には指一本触れていない。またしても血と才能の無駄遣いっぷりを披露してくれる。
キリが捕まえようと振り向くと、エルーが置いていた手がずれる。しかも床は濡れている上、泡が残っていてよく滑る。体勢を崩し、それでいて手か身体のどこか一部でも離れないようにするだけでいっぱいいっぱいだ。
ばっしゃーと水音と共に転んだ音が風呂場に響き、スイがぴょんぴょん跳ねて倒れたキリを小ばかにする。
スイが思わず声に出して笑い始めると、風呂場のドアの外から物音がした気がする。引き際を知るスイはキリのタオルを手に持ったまま、また窓から外へと逃げ出した。こっそり窓の外で張り付いていることもなく、本当に宿の正面から入ってファランのいる部屋に何食わぬ顔で戻っていったらしかった。いや、後者は推測だが前者は確かなようだ。
「てててて」
「だ、大丈夫ですかキリさん」
彼女の手の感触が背中に感じる。どうやら離れなかったようだ。
キリはエルーの左手を取り、ぶつぶつとスイへの文句を言いながら起き上がった。彼女の右手はキリの肩にあるようで、かなり2人の距離が近くなっている。
それからぴたっと固まった。
そうだ。スイが暴れてくれたおかげで、エルーとキリは今真正面から向かい合っている。
それだけならいいが何より、エルーの格好だ。上着のボタンがはずれ、バスローブの帯がほどかれ、前がはだけている。まずキリに見えたのがへそ、そしてちょっと上に目が動くとブラなどつけていないことと出来ていない胸の谷間が確認出来て、下に動かすと太ももとショーツ……ここで彼は思い切り固くぎゅっと目をつむって手で覆う。
そして、エルーもまた目隠しがはずれているのをようやく自覚し、キリが固く目をつむった理由が何なのかすぐにわかった。悲鳴をあげたらキリの身が危ういので、堪えて慌ててはだけたすそを片手でかき集めて隠す。
「み、見てないから! 湯気で見えてないから! ごめん、見てない!」
「わわわわわわかってますってば!」
ぐぅとうなだれたエルーの視線の先、それがとどめだった。
これは決して故意ではない、自然現象だ。
片手では隠しきれない男性の、一点に血液が集まって起きるそれ……勃起をエルーは目の当たりにした。
「……っっっ!!!」
もはや声にする寸前、口もリアクションも今までで一番大きい。交互に失態を気づきあう2人、キリは思わずエルーの口を塞ごうと身体を起こす。
濡れた上に泡の残る床、バランスを崩しかけている体勢、その場の勢い。
この3つが揃った今、これもまた故意ではない事故は必然だった。
キリの身体が前のめりに崩れ、避けるより受け止めようとしたエルーが道連れで風呂場の床に倒れこんだ。
「っ!」
キリはエルーの柔らかな身体に顔がうずまり、エルーはその足に割って入ってきてしまう彼の身体を感じた。逃げ出そうにも、動くに動けない。
「ゃっ」
「ご、ごめ」
その身体の柔らかさに嬌声のようなものを聞いてしまい、ますますキリのものが硬くなる。このままだと変態一直線だと、彼は早くに起き上がろうと腕を突っ張って膝を立てようとする。
そんな彼の腕をつかんだのはエルーだった。動きが止まり、キリは顔を横に背けて聞いた。
「な、なに」
「あ、あの……」
心臓にも目にも悪い状況だ。キリは再び風景画を頭のなかで描こうとするが、どうしてもモチーフが裸婦像になってしまう。何度も丸めて捨てるが、どうしても駄目だった。
「キリさん」
「見てないよ、見てないから」
キリは女性に興味が無いわけではない。ただスイから3度の告白を受け即ふられ、ちょっと心に傷を負ってしまっただけ。だから、この体勢は非常にまずいのだ。
それなのに、エルーはキリの身体を引き寄せて抱きとめる。
「qあwせdrftgyう!!?」
「あったかいですね、キリさん」
エルーがはにかむように言ってきて、キリの頭はのぼせあがりそうだった。彼女の身体は柔らかくて本当に温かくて、いいにおいがして、くらくらする。
「ちょっと、本当にまずいから!」
「……」
そう言っても彼女は離そうとしない。むしろ、更に強く抱きしめてくる。
「っ、なぁあんた! 何考えてんだって!」
キリが声を荒げる。それでも風呂場の外には聞こえないよう、絶妙な大きさだ。
「キリさん」
「……なに」
「この先も、私達ずっと一緒ですよね」
「ああ」
エルーに突然不安のようなものが胸中で渦巻きだした。今触れている温もりが、そうさせているのかもしれない。
「絶対に?」
「絶対」
この先へ、向かうトロイ研究所で2人がどうなるかわからない。キリとエルーは離れ離れになるかもしれない。
手を離すだけで発作が起きる彼女より、生かすべきシスターは他にいると判断されるかもしれない。2人が望む通りにはならないかもしれない。
「私はこの世界からトロイがなくなるのが望みです。私自身はどうなっても」
「オレ、嫌だからな。あんたが消えるなんて、オレ認めないからな」
ぎゅっとキリがエルーを強く、強く抱きしめる。エルーの身体は少し震えていて、それも弱気も何もかも押し潰してしまおうとした。
この命を離したくない。
「ありがとうございます、キリさん」
「礼なんかいらない。オレは……」
2人が出会った時からその運命は変わった。いや、邂逅によって運命は始まったのだ。
この世界に、この力を持って生まれたのは彼女の為だと信じたい。
少しだけキリは上半身を起こし、エルーの顔を見た。真っ直ぐに視線がぶつかり合う。
「キリさん」
「エルー」
離れられないのはトロイがあるから、それだけじゃない。
ひとつ互いのことを知っていくたびに、少しずつ惹かれていった。
消えてほしくない。
目の前からいなくならないでほしい。
このわがままを通していたい。
この手が分かつまでとは言わないで、この先ずっと……。
「好きだから」
「はい」
「好きだ」
「はい。ありがとうございます」
2人はくすりと微笑みあって、もう一度ぎゅっと抱きしめあった。
温かな肌を感じあって、互いの肌の感触を知り合った。
キリは首だけ起こし、エルーの頬に触れる。くすぐったそうに彼女が笑うと、キリがごつんと優しくおでこをぶつける。
ごく自然のような、流れるように、2人はついばむようなキスをした。
スイ乱入時、ファランは何かを感じ取ってか目を覚ました。眠気もない、万全の体勢だ。
「……?」
聞き覚えのある笑い声も聞こえた気がする。いや気のせいではなさそうだが、少なくともガゼルの暗殺者ではなさそうだ。
警戒も気を張ることも緩めず、風呂場の方をじっとにらんでいる。
それから数分後、この部屋のドアががちゃりと開いてスイが帰ってきた。構えを解いて、スイの方を見る。
「どこに行っていた」
「うっせ! てめぇにゃ関係ねーだろ」
「そのタオルは?」
「あたしんだが文句あるか?」
がるるると今にも噛み付いてきそうだ。ファランは肩で息を吐き、また黙った。
「あの2人はまだ風呂か?」
「ああ」
「ふーん」
「……なんだその笑みは」
にやーっと笑うスイに対し、ファランはいぶかしむ。
「いやぁ、長湯だなぁって思ってさ」
「2人分だからな」
「あっは!」
ファランはどうして外出していたスイが2人が入っていた時間を知っているのか、怪しむ。素知らぬ顔でスイはチェリー缶をぱきんと指で開け、大口あけてぱくりと食べる。口の端からさくらんぼの枝をはみ出させながら、ファランに背を向けた。
「なぁーにヤッてんのかねぇ、キリのやつ」
こらえつつ肩を震わせ、タオルをぶんぶんと振り回し、スイは実に愉しそうに呟いたのだった。
湯気立ち込める風呂場に2人、横たわる。
キリはそっとエルーの首筋にキスし、痕が残らない程度に吸いつく。
「んっ」
びくんと彼女が可愛い反応を見せると、彼はそのまま首筋を伝って鎖骨までなぞる。
エルーはもぞもぞと動いて袖から腕を抜けば、そのバスローブのおかげで硬く濡れた床に当たっても痛くない。
首を少し傾げるキリがいきりたったものを、エルーの下の口にぶつけるのをショーツ越しに感じ取る。
「っ! ちょ、キリさん」
「や、よくわかんないんだけど」
「まだ早いです、早いですってっ」
ばたばたと足をばたつかせ、エルーがうーうーとうなる。
更に首を傾げるキリが、彼女に聞く。
「なぁ、オレどうすりゃいいの?
ぽりぽりと右手であごをかくキリに、エルーが真っ赤になる。
「そそそんなこと女の子に言わせないでくださいよっ」
「いや、ほんとにわかんないだってば」
うーとエルーがあごを少し引いて、目をそらす。
「も、もうちょっと……その、濡らさないと」
「うん?」
「感じさせて……」と、エルーが消え入りそうな声でつぶやく。
キリがその恥じらいを見せる彼女が物凄く可愛くて、ぎゅっと抱きしめた。
ひゃ、ひぅと思わず出てしまった声に自分でも恥ずかしくてきゅっと目をつぶる。
「感じさせればいいんだな?」
キリがエルーの耳元でささやく。
「悪い。ほんっとやばい、オレの理性マジやばい」
「キ、リさ……」
「あんた可愛すぎんだよ」
男の子の憧れ、女の子の乳房にキリが直に手を触れる。
大きくはないけれど、充分な手ごたえを感じる。
初めて触れる柔らかさに、キリは感動すらおぼえた。
「ぁ、ッ……」
「ん?」
何か言いたげなエルーだが、感じすぎて声が出てこないようだ
フレアはこんな感度まで2倍にするようだ。
キリは惜しそうに乳房から手を離し、「なに?」と聞いてみる。
「っ、はぁ……あんたじゃなくて名前、呼んでほしっ、くて」
「……あんたさぁ、オレの理性どこまで壊す気?」
「ま、たっ」
「またはエルーだっ」
キリはそう断言してから、乳房に唇をつける。
「ひゃ、あッ」
喘ぎ声が漏れ出てきたのを、キリは慌てて空いた左手の指2本を彼女の口に入れる。
下手にそういう声を出すと、ファランが風呂場に突入してくるかもしれない。
エルーもそれはわかっているのに、どうしても声が漏れてしまう。
状況はわかっているけれど、キリの手で感じて出るものを我慢したくないのだ。
――キリさんばっかりずるい。
右の手の平を、左手の人差し指でなぞってみよう。もしくは反対だ。
女性の感度は手の平、男性の感度は人差し指の方だと言われている。
それだけ大きく感度に差があるのだ。
ちゅく、と指が彼女の口から抜け出る。
「エルー、頼むから我慢して」
「ぅ、ぅ」
弱々しく頷くのを見てから、キリは乳首を甘噛みする。
「ひゃあッッ」
わわわわと大慌てでキリが手の平で彼女の口をふさぐ。
「我慢してってば」
「不意打ちすぎますっ!」
エルーが真っ赤になって首を振り、キリの下でぱたぱたとまた足をばたつかせる。
彼が困り、目を少しうるませる彼女を見て更に困った。
じっと可愛すぎる彼女を見つめていると、急にぴたっとぱたぱたさせていた足をとめた。
「エルー」
「……キリさん」
名前を、小さく何度も繰り返してつぶやきあう。
それから、じぃっとお互いの顔を見つめる。
「なんか胸がこう、こそばゆいな」
「はい」
2人は目を細めて微笑む。
キリは彼女のおでこにキスをし、それから頬や耳にも唇を落とす。
優しくて、幸せな感触にひとつひとつ口付けるたびにエルーはとろんと惚けてしまう。
またそんな可愛い表情を見せて、たまらなくなったキリは半開きになっている唇をふさぐ。
甘い唾液が彼の舌と入り込んできて、彼女の頭が痺れる。
彼のすべてが媚薬のように、エルーを快楽へとおぼれさせようとした。
唇をふさいだまま、キリの右手がまた彼女の乳房の方に伸びる。
やわやわとなでて、それから揉みしだく。
こうやって口で口をふさいでいれば、いくら感じても彼女の声は漏れないはずだ。
本当に柔らかく膨らんでいるそこは、平らな男の胸板とはぜんぜん違った。
乳房に触れていた彼の手の平に何かとがっているようなものがある。
それが乳首だとわかって、キリは手の平をすぼめてそこをつまんだ。
「ん、んっ!」
エルーが身をよじろうとするのを、その顔ごと動かして唇を離さない。
くりくりとこねくるように、乳首を中心に繊細なタッチを繰り返す。
そして今唇を離すと絶対にまずい、声に出るほど感じているのがよくわかる。
……彼女の言う通り、感じさせている。
おそるおそる、キリは左手をエルーの太ももの内側に伸ばしてみた。
ショーツをずらされ、彼女の下の口に直に空気と彼の指先が当たる。
「っッ!」
彼の指先が下の唇に触れただけで、彼女の上半身は跳ね上がりそうになるのを押さえつける。
「すごいな、これ」
キリは唇を離し、触れた左手の指をエルーの目の前で見る。
お風呂のお湯ではない、ぬめっとした愛液がついているのを見てエルーが口をパクパクさせる。
「み、見せないでくださいっ」
「ごめん」
キリがぺろっとその指先を舐めるのを見て、エルーが絶句した。
変態、と叫びたかったが彼にその自覚はないだろう。
多分なんとなくの行為だ、たまに天然でそういうことをするから心臓に悪い。
「……」
「なんでそこで黙っちゃうんですか」
「なぁ」
「なんです」
「見てもいい?」
「何を」
「エルーの大事なとこ」
一瞬で頭が沸騰した。
「ななななななな」
「いいだろ?」
「……ぅー」
顔から火が出そうなくらい恥ずかしい。本当に彼は変態なのかもしれない。
確かに男の子なら興味があることだろうけれど、女の子としては物凄く恥ずかしい。
「嫌ならやめるけど……駄目か?」
そう真剣な表情で聞かれてしまい、エルーはその視線から目をそらした。
「……キリさんはずるいです」
「え? なんだって?」
あくまで真面目なキリにエルーはどんどん追い詰められる。
ずるい、という言葉も小さすぎて届かなかったようだ
「ど」
「ど?」
「ど……ぅぞ」
もう消えてしまいたいくらい、身体を縮こまらせる。
キリは少し考えてから、上半身を起こして彼女の下の方にずれていく。
彼女は身体を硬くし、じりじりと迫ってくる彼の動きを肌で感じる。
じれったいもどかしい、いや恥ずかしいのだがそんな感情がエルーのなかからふつふつとわきあがってくる。
エルーは微妙かつ複雑な気持ちで足を閉じていたが、考えている間にキリがあっさり開けてしまう。そしてずるっとショーツを脱がされてしまい、ぱちゃっと濡れた床に落ちる。
「っ、ぁ、ちょちょっと!」
何の感慨もなく、こうも簡単に剥かれてしまったことに今さらエルーが慌てる。
と同時に見られている、という視線を感じてきゅっと下の口が動く。
「へー」
キリが初めて見る女性の性器、それを興味深そうに見ている。どうしてこんなに濡れているのかも、その仕組みだってよくわからない。
それから、もうすぐここに自分のものが挿入っていくのだという生々しいことを思い浮かべる。未だにそれがどんなものなのか、わからないことだらけだ。
「キリ、さんっ」
「うぉッ、なに?」
「はっ、恥ずかしいんであんまり見ない……でぇ」
エルーが顔を覆い隠して、力強かった制止の声も段々小さくなっていく。
キリも彼女の性器より、その隠れた表情の方が気になって仕方ないという顔でまたのしかかる。顔を近づけてその両手首をつかんで、ぐいぐいっと引っ張る。
頑なに、今さらそれを拒むエルーにキリのなかで嗜虐心がうずうずと自覚させるように芽生えだした。
「エルー」
耳元で名前をささやくと、彼女は肩をせばめて彼の下でばたばた動く。嬉しいのか恥ずかしいのか、顔を隠したままでいる。
「え、る、ぅ」
1文字1文字かみ締めるように、彼女にささやきかける。彼女がこうしてやることがいちいちキリのツボに入って、どうしようもなく愛おしい。
キリは自らの肘を床につけ、ぐーっと力を込めてエルーの天岩戸をこじ開ける。
今にも泣き出しそうな、照れと怒りが混じったような複雑な感情が見えた。
「可愛いな」
「っ」
彼女の不意をついて、キリは口付ける。これでチャラな、と語りかけるような優しい口付け。
ゆっくり口を離すと、彼女が表情で語りかけてくる。許しません、と訴えかけている。
言葉を交わさず、目と目で会話をしあう。
どうしたら許してくれる?
知りません。
じゃあ、やめようか?
……それもいやです。
どうしようかな。
キリさんのいじわる。
「なぁ」
彼女の頭をかかえこんで、キリは抱きしめ頭を撫でる。ハネッ毛を指に絡ませ、少しだけ遊ぶ。
そうしてキリの言葉を待っているエルーに、彼が精一杯の言葉を渡す。
「オレ、一生大事にするから」
「……はい。キリさん、私を貰ってください」
きゅうっと2人はお互いを抱きしめ、そのままの体勢で止まった。
ずっと下でエルーは苦しくないのか、と彼は思いもしたが杞憂だった。
彼ののしかかってくる重み、直に触れて伝わる温もり、におい、すべてが彼女を心の底から満たしていく。
もっと彼のことを感じていたい。
これから先すぐのことが怖くない、といえば嘘だ。
それでも、彼ならいい。
彼でなければ嫌だ。
エルーは自分からキリの首筋に唇をつけ、ちゅっと吸った。痕を残して独占したい、と思うのは一緒に旅しているスイを意識してのことだろうか。
スイの元彼女、という言葉を思い出してずくんと胸を痛める。エルーより幼馴染としてずっといたスイは、彼女の知らない沢山のキリを知っている。
羨ましい、そしてずるい、そして嫌だ。
……もしかして、彼を想うばかりヤな女の子になったのかもしれない。
不安そうにキリのことを見ると、彼はいつものように笑って彼女を見た。
何も心配することはない、2人ならどんなことだって乗り越えられる。
そうだ、これから2人で沢山色んなものを見よう。乗り越えていくたびに、そこで見えた新しい何かをしっかり心と脳に刻んでいこう。
これからずっと隣を見れば繋がった手、そしてお互いがいることを誓おう。
約束だ。
そう、また無言で会話をした。
「エルー」
「キリ」
2人はまた口付けを交わし、ゆっくりとキリは身体を起こす。
「オレのこと、初めて呼び捨てにしたな?」
「……なんか変な感じです」
「大丈夫。これから先、それが当たり前になっていくんだから」
「はい」
エルーは肩の力を抜き、四肢を弛緩させる。
キリは彼女の足をゆっくりと開き、身体を割って入れていく。
薄っすらと生えた彼女の陰毛をなぞり、その先の筋へと指を動かす。
「っ、ぁあ」
もう充分なほど濡れている。
ごくりとつばを飲み込み、キリはそこに自身をあてがう。
「いくぞ」
「どうぞ」
ぐっと彼は腰を入れ、彼女を一気に貫いた。
はずだったが、勢い余って彼の自身は彼女の表面をなぞり上げるように滑る。
失敗。
しかし、その性器同士でなぞっただけなのにエルーの身体がびくんと痙攣のような反応を見せた。
「ふあッ」
キリがまた口をふさぎ、事なきを得た。
風呂場のドアを見るが、ドアノブもぴくりと動かない。
ほーっと息をつき、それから深呼吸を繰り返して落ち着かせる。
「や、やっぱり口ふさいでた方が」
「だな」
それだと彼女を貫くところが見えないけれど、今回は仕方ない。
キリは苦しくないように彼女にのしかかり、口付けする。
お互いすっかりキスにはまってしまったようで、彼女はむさぼるように自分から舌を絡ませてくる。
その積極ぶりに負けないよう、彼も腰を定め、手で彼女の下の口を押さえながら狙いをつける。
自分の指に誘導されるように、少しずつ彼女の下の口は彼自身にこじ開けられていく。
「っ、ッ、ぅ」
ず、ずっとゆっくり入ってくる熱い肉棒の感触にエルーの頭はどうかしそうだった。
キリもまた入りきっていないのに、しっかり腰を入れていないと押し戻されそうなくらい締めつけてくる感触は自慰では考えられないほどの気持ちよさだった。
ある程度押し入ったところで、壁にぶつかったように進まなくなる。
そこでもうはずれることはない、と確信したキリは一気に腰を沈めた。
「〜〜〜〜〜ッぁ!」
無事、エルーのなかはキリのもので貫通した。
ぎゅうぎゅうと亀頭を締め上げられるようなキツさ、エルーの表情から痛々しさが伝わり彼は動けなかった。
こんなに凄いものとは思ってもいなかった。
彼自身のものが彼女の熱いなかに溶けていきそうで、出てくる息を彼女と交換し合う。
色々な意味で苦しくなった2人は口を離し、それからごつっとおでこをぶつけた。
「痛かったのか?」
「そりゃもう。でも、なんか不思議と気持ちいいんですよ」
「マゾ?」
「失礼なこと言わないでください」
……っぷ、とお互いが同時に吹き出した。
今の体勢で今までと同じやり取りに、言いようのないおかしさを感じていた。
「動いていい?」
「もう少しだけ、このままの体勢でいさせてください」
「ん、わかった」
一番深いところまでキリのもので貫かれ、エルーのなかできゅっきゅと締め付ける。
今までで一番密着したカタチに、その触れ合う肌の不思議な感触と温もりに切ないほど胸が締め付けられる。
もう、ずっとこのままでもいいくらいだった。
「〜〜〜っ」
びくびくっとキリの身体が震える。
こちらはどうやら胸以外に締め付けられているところが、想像以上に気持ち良かったらしい。
フレアで上がった感度に対し男性のキリは女性のエルーほどの余裕が保てず、必死に堪えている。
痛みも徐々に収まってきた。
彼女は彼の背中に回していた手でぽんぽんと叩き、耳元でささやいた。
「も、動いていいですよ?」
「わる、い……」
カッコわるい、とキリがバツの悪そうな顔をする。
いつもリードされて、どこか大人びてるなぁと思っていた彼が急に子供っぽく見えた。
エルーはふふっと微笑んだのもつかの間、キリは腰を動かし始めた。
すぐにお互いの口で口をふさいで、止まっている間にたまっていた衝動をすべてエルーにぶつけてくる。
ず、ずずっとバスローブごと身体が動いてしまうほど激しい。足の踏ん張りだって効かない。
その上、フレアの力で感度も2倍。お互いが初めての性交だ。
「ん、んっ、んんぅんんぁ」
鼻で息をすることも忘れ、駆け足で絶頂まで上がっていく。
淫らな水音に恥ずかしがることもままならず、どちらもいっぱいいっぱいだった。
びくびくっとキリのものが力強く脈打ち、最後の時が近づく。
限界だ、と悟ったキリは腰を思いっきり引いてエルーのなかから引き抜いた。
「〜〜〜〜〜〜ッぅッッ!!!!」
いきなり抜かれて、エルーはびくんとこれまでで一番大きな反応を見せてイッた。
その感触、開放感に一気にキリのものはすべてを彼女の腹の上に飛び散らせる。
びゅる、どくどくっとあふれ出た白濁液がせっかく綺麗に洗った彼女を汚していく。
「ッあ、はぁはぁはっ」
キリのものの痙攣もおさまり、本当にすべてを出し切ったのかキリがばたんとエルーの上に倒れてしまった。
エルーも初めて襲われた感覚に、頭が真っ白になっている。
べちゃーと潰れてしまいそうなくらい2人は脱力して、そのまま倒れこんでいた。
「……もう1回、お風呂入りなおしましょうか」
「そうだなぁ」
「今日はいいですけど、やっぱり恥ずかしいのでこれからも目隠しはしてくださいね?」
「えー」
ぶぅとつぶやくキリに、エルーが笑う。
なんとか喋れるまで回復して、エルーはべとつく白濁液を指でつまんだ。
こんな濃いもの、なかで出されたら確実に妊娠していたに違いない。
キリの理性には感謝したい。
トロイにかからない人とシスター患者の間に生まれる子供はトロイに感染しているのかどうか、わからない。不幸な子供を増やしてしまうかもしれない。健全な身体を持って生まれることがどれだけ幸福なことか、エルーはよく知っている。
「にしても、すごかった」
よいしょっと起き上がるキリは、実感を込めてそう言った。むくりと起き上がるエルーは髪をかき分けながら、なんとなく彼と目が合わせられなかった。
「もう1回は流石に無理だな」
「ヤる気だったんですか」
想像以上に消耗したキリは、ぐったりとうなだれるように頷いた。
「早くトロイ研究所に行こう。エルー」
「はい?」
「どんなことされるかわかんないけど、そこ行かないと子供作っていいかもわかんないもんな」
ぼひゅっと音をたて、エルーの顔が真っ赤になった。そんな、さも当然だろという風な顔かつ直球で言われると困る。
「オレとエルーの子なら、絶対可愛いのが生まれるよ。きっと」
「とにかく、早く風呂入りましょう! キリさん」
力強く言って、キリの話をさっさと切りにかかる。これ以上、恥ずかしさと嬉しさに頭が耐え切れそうにないからだ。
さっきまでひとつになっていたというのに、彼がまじまじと見てくると思わずパンチが出てしまう。
まだ当分、キリの呼び捨て含めて慣れそうにない。
身体を洗いっこして、2人は手を繋いで広い湯船に同時に身体を沈めた。2人分の体積でお湯があふれ出る。
そうのんびりとつかってはいられない。後がつかえている。
「……なぁ、知ってた? エルーって寝相と寝言がひどいんだぜ」
「えっ、何ですかそれ。初めて聞きましたよ!」
「自覚無いんだよな、やっぱ。やー、昨日のはいっそう酷かったなー」
「え、え、おお教えてください! 私毎晩何言ってるんですか!?」
「さー、なんだろーなー」
「キリさぁん!」
なかなか寝付けない、なんて嘘にもほどがある。エルーはばしゃばしゃと暴れ、キリが笑う。
彼女の寝言や寝相がそこまで酷くなったのはいつからなんだろう。今まで気遣われて、誰も彼女に言わなかったのだろうか。それとも、誰も言ってくれるような人がいなかったのか。
「なんかキリさんに弱みとかそういうのないんですかっ?」
「や、ないな。オレ、完璧超人だから」
すました顔で言ってのけたキリに、エルーはむくれてぷくぷくと言いつつ口が湯船に沈む。とりあえず完璧超人と変態は紙一重ではあるかもしれない。
「……今から見つけていけばいいじゃん」
「!」
「オレ達、まだこれからがあるんだから」
ふーっと首までつかりながら、キリはエルーを見る。な?と同意を求めると、なんとか納得してくれたようだ。
本当に可愛いな、と頭を撫でたらまた怒られた。
女の子はやっぱりわからない、とキリは思うのだった。
「随分と長風呂だったな。手間取ったか?」
2人が風呂からあがった時、完全にのぼせていた。
顔もゆでだこのように真っ赤で、大丈夫かと声をかけるファランやスイのからかうのもまともに聞かず、ふらふらと冷たいベッドに同時に倒れこんだ。
そして、ぐーっ寝息を立ててすぐに眠り込んでしまった。
「?」
ファランは首をかしげ、それから風呂場のなかをのぞく。広いが、特にはしゃいで遊べるような玩具の類はない。
おかしい、確かに何かはしゃぐような声が聞こえた気がするのだ。悲鳴ではなさそうだから放っておいたし、仲が良いならこしたことはない。
不気味にスイがにやにやと笑い、キリの頭をちょいちょいとつつくのを制止する。
「さて、俺も入るか」
その言葉には一切興味無さげにまたキリをつっついてはにやつくスイを見て、ファランがサラッと言う。
「羨ましいなら一緒に入るか?」
「なっ」
スイが素早くキリから離れ、思い切り嫌そうにのけぞって固まる。少なくともファランにはそう見えた。
「そうか」
本意はよくわからないまま、ファランは自前のお風呂セット(アヒル隊長付き)を持って風呂場に入っていくのだった。スイはまだ固まっている。
ばたんとそのドアが閉じると、あとに聞こえるのは手をしっかりと繋いだまま幸せそうに眠る2人の息だけだった。寝顔も穏やかなもので、その寝息までしっかりシンクロしている。
紐で縛らなくても、きっと今夜はその手ははずれないことだろう。彼女の寝言も寝相も疲れ果てて出ないに違いない。
ある夜の話。