しゃしゃしゃとキリが窓の外から見える景色をスケッチしている
ドアががちゃりと開き、ファランが顔を見せる
「……」
ファランは部屋のなかの空気が少しおかしいことに気づき、1人で買い物に行ったのはまずかったかと思う。
「スイはまだ帰ってきてないよ」
「そうか」
スイがすぐ戻るものと思って部屋を出たのだが、予想がはずれてずっとキリとエルーは2人でいたわけだ。
どうしたものか、ファランは言い出しかねていた。
明らかにエルーがそわそわもじもじして、キリの方を見ていないでいた
「俺も帰ってきたことだし、そろそろ風呂入ってこい」
ビクゥと反射的にエルーの背が伸び、キリが気のない返事をする。
「や、やっぱり今日は入るのやめません……?」
エルーがおそるおそる言うのに、ファランはふぅとため息をついた。
気持ちはわかるが、一度決めたことをうだうだと言っているのは感心しない。
ファランはどっかりとベッドに座り、2人を、エルーを見る。
「安心していってこい」
「は、はい」
有無を言わさぬ迫力にエルーが気圧されるのを、キリが空いた手でポンとエルーの肩をたたいた。
うぅ、とうなっていたが、エルーはふっと天井を見上げ、それからこくりと頷いた。
羞恥心は未だにある。避けて通りたい。
それでも、繋いだ彼の手が勇気をくれる。信じられる。
エルーはバスローブや目隠しを手に取り、風呂場へ一歩また一歩と確実に向かう。
彼女の決意を一部始終見ていたファランは、何を大げさなと心の隅に思いつつ風呂場のドアが閉まるのを見届けた。
「目隠し、きつくないですか?」
「うん」
キリの肩や首筋に触れながら、エルーは自分の手できゅっと目隠しをつけている。
その方が安心出来るだろ、とキリの方から言い出したことなので彼女は反対しなかった。
「じゃ、あとはいつものように……服を脱ぎますんで」
「おう」
耳栓はすると何かと危ないだろうということなので、付けていない。
キリは後ろを向いて、エルーが片手片手入れ替えて服を手渡すのを受け取る。
この時、しゅるしゅるという衣擦れの音がやけに耳に聞こえると思った。
いつもとは違う目隠しがそうさせるんだろうか、とキリは頭のなかで風景画を描き続ける。
「お、終わりましたんで歩きます」
「あ、うん」
下着は今までもエルーがキリの見えないところ、袋などにしまっていた。手渡し出来るわけもない。
エルーがキリの手を取り、自らはその背を向けてゆっくりと歩く。もう片手を使ってあまりない胸をタオルで隠す。
服を着た少年と何も身に付けていないエルー、普通では考えられないシチュエーションだけに彼女の心臓は動悸がおさまらない。キリの方はどうなんだろう、とちらりと後ろ目で見るが特に顔を赤らめることもない。いつもの表情に思える。
「どうした?」
エルーはハッと我に返る。風呂場がいつもより広いとはいえ、そう歩くわけでもない。彼女はふるふると頭を振り、気を取り直す。
「じゃ、ここで座ります」
彼女はゆっくりとした動作で、キリの手が離れないように椅子に座る。
エルーはキリの手を引いて、自分の首筋辺りに置かせた。
それから、なんとなく無言になってしまって、これ以上何かを言うのがまた恥ずかしくなって、エルーは目の前の蛇口をひねった。
キリは頭のなかで風景画を描き続けていた。
そうでないと理性が保たないわけではなく、単純にそれしかすることがなかったのだ。
エルーが風呂場で裸でいるのは、目隠しをしていても今までと同じだ。
一緒に入っている、といっても同時に湯船につかるということでもない。
異性に興味がないわけでもないが諸事情もあって、周りからすればキリはどこか冷めているように見える。
実際、諸事情もあってキリは「なんか、もうどうでもいいや」とか思っていたりする。それより絵を描いたり、何かを彫っていたりする方が楽しかった。
「じゃ、ここで座ります」
エルーにそう言われ、キリは彼女の手に導かれるまま、おそらくうなじの辺りに手を置くことになった。手を繋ぐよりも、ずっと離れやすそうだった。
じゃーと彼女が手桶か何かにお湯をためる音がし、肌に風呂場の湯気がまとわりついてきた。
――ん。
細い首筋だな、とキリは思った。なんだか華奢で、触れていられるところが少なくて。
「ひゃっ」
エルーが驚くような声を出し、キリも少し慌てる。
それでもまた無言になってしまい、彼は頭のなかに描いていた風景画を丸めて捨てた。
ばしゃーっとお湯が流れる音と、それがキリの足元にかかったのを感じる。
「っと」
「あ、すみません、お湯かかりましたかっ?」
「いや、気にしなくていいよ」
「服にかかったら大変ですもんね」
「いや、洗濯前の服だからこれ。っていうか今さら今さら」
彼女には見えないだろうけれど、キリが自分の服のすそを引っ張った。そうでした、とあはははとエルーの軽い笑い声が風呂場に響く。
キリの耳から入って、頭のなかで心地よく響いて余韻が残る。
「じゃ、じゃあシャワー流しっぱなしにしてもいいですか?」
「へ? いいけど」
それからすぐに聞き慣れた水音が風呂場に聞こえ、ことんと床にそれが置かれたようだ。
――身体洗うのかな。
もしかしたら、身体をタオルでこする音とか何とか聞かれたくないのかなとキリは考える。乙女心というのはよくわからない。
彼の手を置いた首筋の下にある背中、男である彼より小さいのに色んなものを背負ってきた背中だ。
「背中……」
「え?」
思わず口に出てしまったのをエルーが聞いてしまったようで、キリは誤魔化した。彼女もそれ以上は追及してこない。
――男同士なら背中流してやろうか、なんて言っちゃうんだけど。
そう思った瞬間に、自分がファランと裸の付き合い・背中の流しっこをしているイメージが出てきて、恐ろしくなって頭のなかからそれを振り払う。
全身が服の上からでも湯気に包まれたことがわかり、彼女の肌に触れている指先がいつもより温かくいや熱く感じてきた。熱いけれど、嫌と思うような不快でもない。
ふと彼女の首筋の、背骨をつぅっとなぞるように指を動かしたくなった。邪にも思えるそれはすぐ彼の頭のなかから振り払う。
ぴしょーんと天井から落ちる水音と、シャワーの流れる音が風呂場のなかにあり続けた。