外は激しい雨が降っている。この地方では、傍若無人に暴れまわる自然災害は起きないらしい。  
 それでも雨に濡れることを嫌がる町の人達は、窓を閉め、鍵をかける。雨粒が家を叩く音に慣れつつ、仕事あるいは余技に没頭する時間を送る。  
 宿屋の主人は、壊れた部屋の修繕に午前中を費やし、泥のように眠っていた。医者も早々に店の看板を閉め、close(休み)と書かれた板を店先に垂らした。  
 
 エルーは、何もしなかった。することが何もないし、例えあったとしても上の空で集中できなかった。  
 ただ、死を宣告され、三日間変化の無いキリと、同じ高さに顔を合わせるだけだった。  
 同じ高さは顔だけではない。腰も、足も、繋がれた手も、体重を支えるベッドも、横たわるシーツも、全てを同じ高さにしていた。  
 彼と繋いでいる手は、いつまで経っても冷たい。本当に氷でできているように。  
「キリさんの手は冷たいですね。三日間経ったのに、ずっと冷たい」  
 一蓮托生、寝るときも、着替えるときも、常に離れることなく繋がっていた手を、二人の顔の間においた。  
 指の間に感じるマメの感触にも慣れた。垂れて固まった血は見る影も無く拭き取られている。  
 自分の生命線である彼の手が、大切なものであると同時に、婚約者のように愛しくなった。  
「ずっと冷たくて、キリさんの目が覚めたら温かくなってくるかなーって思っているんですよ。  
お医者の方から、1%の可能性も無いといわれているのに、まだ思っているんです。おめでたいですよね」  
 声は、後に進むほど雑が入り、真っ直ぐ言えなくなっていた。発音が濁点のついたものに近くなって、それでも懸命に喋り続けた。  
「あとですね、キリさんに謝らせてください。  
あのとき、お風呂でキリさんの体から毒を吸い出していれば、こんなに苦しむことなくて、今頃また旅に出られたらしいですよ。  
私がもう少し医学に精通していたら……キリさんの顔色の悪さが、毒によるものだって気付いていれば、キリさんは」  
「あんたって何でも背負うのな」  
 エルーはその瞬間、罪悪感から解き放たれた。涙を拭うことも忘れた。空耳だろうかと疑うこともできないほど、突然だった。  
 強い期待を持ってキリの方を見た。彼が目覚めていたとするなら、何という僥倖だろう。  
「キリさん……?」  
 だが、期待は見事に裏切られた。彼は目を開けることもなく、何かに反応する様子も無い。彫刻のようにただ佇むだけだ。  
 あれは自分の空耳だった、そう納得せざるを得ない。医者に宣告された1%未満の確立と、今までの経緯からすれば、やはり奇跡は起きない。  
 エルーの期待など知らないように、キリの口は疾走した後のように荒い呼吸を周期的に繰り返す。  
「意地悪っ、こんなになっても意地悪……っ」  
 言葉通りの気持ちは、一切込められていない。むしろ感謝をしていた。ほんの一時だけでもキリの肉声が聞けたことに。  
 少し身体を起こして、彼の体の上に寄りかかった。彼の荒い呼吸が一瞬止まり、口が閉じられた。  
 時間が止まったように動かないキリの唇に、自分の唇を重ねた。  
 乾いた唇に触れても、ほんの少し動いただけ。彼の命の灯火の揺らぎのように、ほんの一瞬であった。  
 その一瞬だけでもよかった。キリにはしっかりと感覚が残っていることが分かった。  
 手を強く握ってみた。本当に微か、でも、確実に、キリは手を握り返してきた。  
 針先よりも僅かな刺激かもしれないが、彼が感じてくれるなら、とエルーの心にある決意が生まれた。  
「……すれば、キリさんも少しは気が楽になりますよね?」  
 決意が生まれると、何も聞こえなくなった。  
 外を打ち鳴らす豪雨の雨音も、キリの激しい呼吸も、怒鳴るような自分の心音も、それまで冷静に時を刻んでいた時計の短針の音さえも。  
 
 
「キリさんはひどい人です。  
男の人との性交が、私にとってどれだけ怖いことなのか全然知らないんですから。眠るだけで。  
でも、いいんです。ずっと眠っていてもいいから、どうか元気になって」  
 今までずっと守ってきた操は、そう簡単に捨てるわけにはいかない。でも、キリの命が助からなかったら、身通のまま自分は消えてしまう。  
 毒のことは自分が悪いという負い目、そして、本人にも言わなかったし、隠し続けてきたが、  
 いつの頃からか彼に持っていた好意が、精子と卵子のように混ざり、彼女の気持ちに踏ん切りをつけた。  
 
 エルーの身体が火を灯したように熱くなった。野原の火災のように身体の隅へ届く。  
 居たたまれなくなり、手を衣服の継ぎ目へと伸ばし、纏っている衣を脱いでいった。  
 意外なほど恥ずかしくなかった。キリが眠っていて、見られていないから? それとも、ずっと一緒に居て今更恥も外見も無くなった?  
 あるいは、体が熱くなりすぎて、羞恥の心も感じられないほど、今の状況に酔っているのかもしれない。  
 真相を求める気もなく、マグマのように沸々と高まってきた性的関心が身体を動かした。キリのためという、本来の目的を忘れてしまいそうなほど。  
 
 何かに導かれるように、エルーの手はキリの衣服を脱がしていく。  
 裁縫屋の息子でありながら変に着飾ることがなく、ユニセックスな服装を着ていて、外し方の詳しい知識など要らなかった。  
 少し彼の背中を浮かせ、下から捲り上げて頭の方へと持っていくと、ガーゼを通して血の滲む包帯が現れた。毒の影響だろうか、血の色が普通と違う。  
 自分が吸い出していれば、と何度後悔しただろう。今からでも遅くないのでは? と疑ったりもする。  
 でも、生兵法は怪我の元というから、後悔の念を噛み締めて耐えた。  
 上の衣服と同じように、下のズボンも脱がし、下着一枚が彼の身を隠すものとなっている。この奥にあるものを知らないほど幼くはない。  
 自分の知識では、生理的な機関として使われる男の性器。知ってはいるけれども、幼い子供のものでさえ見たことがない。  
「ちょっと……怖いけど」  
 雷の道程のように曲がりくねった陰毛が露出する、心の中にそれを見ることに対する恐怖がざわざわと登りつめてくるが、  
 手は一瞬膠着しただけですぐに動きを再開し、キリの下着を下ろした。  
「〜〜〜〜〜」  
 瞼が凍りついたように離れない。おそるおそる直視すると、エルーの頭中には鈍器で叩かれたような衝撃が響いた。  
 想像はしていた。せいぜい自分の親指ぐらいの大きさをしているだろうと……甘かった。そこにあるのは、性欲の権化だった。  
 全体は、古薔薇のような少し汚れかかった色の皮に包まれていた。皮の表皮を、血管が青い線となって目立たない程度に散布している。  
 だが、何よりもエルーが驚天したのは、先端の部分に他ならない。クルミの実のように、小さな皺がびっしりと放射能上に広がっている。  
 その中心となるところは小高く盛り上がって、ぱっくりと割れていた。  
 どれもこれも、エルーに涙と嗚咽をもたらす不気味なものだが、極めつけとして、これが自分の指を二本重ねたものよりも大きい。  
(本当にこんなものがあそこに入るの? 壊れてしまうんじゃ……)  
 っと、彼女が疑心していると、キリが苦悩の表情のまま首を横に動かした。  
 こういうのは道徳的・倫理的に反する行為なのではないか、一瞬頭を過ぎった疑問だが、そんなことに考えは囚われない。  
 口付けをしたときに燃え広がった体の熱さに、エルーは従順に従う。  
 
 子孫を残すという、生物の本来の役割を果たさんと、性欲が沸き起こって逆らえない。  
 それに、少しでもキリの痛みや苦しみを和らげることができるのなら、自分の純潔を犠牲にする覚悟もできていた。  
 想像とは違い、おぞましささえ巻き起こるキリの男根を目の前にしても、その決意は蚊ほども揺らぐことは無い。  
 突如、股間が情熱を帯びたように熱くなった。叫ぶ子供のような自己主張に、ついつい手をかしてあげたくなった。  
「え、ええっ」  
 そっと撫でて、膣の疼きを収めようと思っていたのに、状況は思っていたよりもずっと悪い。  
(濡れてる!?)  
 それは、休む間もなく高揚な気分のまま性的接触を繰り返していたからだった。  
 慣れていない刺激が、まだ成熟しきっていない彼女の身体には少しばかり刺激が強すぎたようだ。  
 指が感じ取った湿り気は、体の作りとして常に濡れている程を超えていた。  
 指を一本入れて、少し動かせば淫猥な音が鳴る、自慰行為という、聖職であるシスターにとって有るまじき予想ができる。  
 一粒の愛液が、膣口から太股を伝って身体を下っていった。それに続くように、愛液が一滴、また一滴と編隊を組むように零れてくる。  
 やがて、一つの大きな雫となってエルーの下にいるキリへと零れ落ちた。  
 自分がこんなに淫乱な人間なのかと自己嫌悪に浸る寸前、エルーは首を真下へもたげた。  
 当然、下にはキリがいる。自分の愛液がキリの下腹部に零れている。その絵を見ると、また愛液が垂れてくるので本末転倒。  
「……情けなくなってきた」  
 今にも頭が取れそうなほど、頭を垂れて落ち込んでいた。下にいる彼を見るとどうしても気分が収まらない。  
 目のやり場に困るし、かといって目を閉じても彼の裸体が焼きついたように鮮明に浮かび上がってくる。当然、そこには男性器が鬼の首のように目立っている。  
 エルーは、目を開けても怖い、目をつぶっていても怖いという窮地に追い込まれていた。  
「うわ……お、大きくなって、上を向いてる」  
 いつの間にか、キリの男根は先ほどよりも固くなり、天を指すように向いていた。  
 繋がっていない方の手を、ゆっくりと、アメンボの波紋のように小さな感覚でそれへと手を伸ばす。  
 これに触れないと何も進まない。進むことができない。  
 イヴが禁断の果実に手を伸ばしたように、自分にだって簡単にやれる――その意気込みは、手に伝わらず、直前で手の動きが止まり、急に震え出した。  
 エルーは、何度も挑戦したが、手を伸ばしきることができなかった。  
 凶器が目の前で振り回されているのとは、全く別の恐怖心が彼女の身体を支配し、拒否を繰り返した。  
 場を切り開く、輝かしい光明が目を開けた先にあるのに、そこは天国よりも遠いものに思えた。  
「……怖い……っ!  
……いざっていうときなのに」  
 自分に対する卑下の念が胸中を暗雲のように漂う。  
「どうして私ってこんなの弱いのっ?……キリさんの苦しみが和らぐかもしれないのに。  
キリさんを苦しいまま死なせるなんて、嫌だって思っているのにッ!」  
 目尻に溜まる涙が、彼女の視界を曇らす。  
 本来は明確に見えている筈のキリの姿が、水に混ぜた絵の具のようにぼやけ、広がった肌色にしか見えない。  
 本来の視力なら克明に分かるのに、彼が今どんな表情をしているのかも分からない。  
 毒に苦しんでいるのだろうか? 睡眠に疲れて無表情のままなのだろうか?  
 何も分からない。大粒の涙がエルーの目尻を離れ、キリの顔へと落下していき、頬で弾けて飛散した。  
 
 ふいに、エルーと結ばれていないキリの手が、彼女の涙をティッシュで拭き取った。  
 あまりに自然な行動で、彼女は違和感に気付くこともなく、涙が枯れる勢いで泣き続けた。  
「泣くなよ。冷たいんだからさ」  
「……っ!!」  
 下から出た声が、エルーの思考を止めた。  
 喉が潰れたように声が出なかった。驚きと喜びが入り混じって、よく分からない気持ちが彼女を席巻した。  
「キリ……さん?」  
「何? 汗はちゃんと洗った? 風邪を引いたら厄介だからさ」  
 ようやく出た声には、きちんと彼の返事が返ってきた。感情の起伏がある返事に、涙は止まるどころかますます零れてきた。  
 信じられない、けれども嬉しい。三日間ずっと眠っていた彼が、感覚を持って、いつも通り優しい声を聞かせてくれた。  
 1%の可能性も無いと言われ覚悟はしていた。でも、キリは生きている。  
 今見ているのは、夢魔の見せている幻覚ではないかと、エルーは自分の頬を抓った。  
「夢じゃないっ!」  
 柔らかい頬は強く抓るとすぐに痛くなった。キリは突然自傷行為にはしった彼女に驚いて、「わっわっ」と声をあげていた。  
 エルーは彼の手を強く握った。握っている手は相変わらず冷たいままだが、そこ以外の彼の肌には、命の温かさがある。  
 身体を焼きたての生地で包み込むような、不思議な温かさ。触れているだけで心の底から安心できる。  
「本当に……本当に生きているんですね。よかった……キリさんが無事で」  
「大丈夫だって。俺に触れてないと、あんたは消えるからな。俺がそのうち無事なようにしてやるって」  
 キリの思いやりの心に、エルーは首を横に振った。  
「違います! 確かにキリさんに触れていないと、私はトロイで消えてしまいます。  
でも、そうじゃない……それだけじゃなくて……その…………」  
 雨音を吹き飛ばすような大声を出したかと思ったら、今度は静寂の一部のような小声になった。  
 キリは頭に疑問符を乗せて彼女の言葉が紡がれるのを待った。その間に、エルーと自分が裸であることに気付き、竜巻のように性欲が巻き起こってきた。  
 悶々とした性欲をキリが堪えていると、エルーがおでこをコツンと額を当ててきた。  
 その表情は、今にも泣き出しそうな頼りない表情であった。でも、強い決意に満ちた瞳で見つめていた。  
「キ、キリさんの命が助かって、私が嬉しいのは、トロイだけではなくて……  
トロイだけではなく……キリさんのことが好きだからです!」  
 目の前が、太陽で照らされたように明るくなった。  
 無論、それは気分的なことであって、外は暗雲に包まれて、親の仇みたいな集中豪雨が視界を遮り、ついには雷が槍のように鋭く尖って降り注いでいた。  
 今に限らず、この町についてから三日になるが、一度たりとも太陽を見ていない。  
 しかし、少なくても彼らの間に流れる空気だけは、春の日差しのように優しく、森の風のような爽やかさを持っていた。  
 
 眠気を呼ぶような空気にやられたのか、キリはぼふっと後頭部を枕にうずめた。  
 顔はにかっと笑っていて、エルーの言葉を何回も頭の中で反芻するようだ。  
「へえ〜、あんた俺のことが好きなのか!」  
 エルーは自分にまたがって見下ろしている。告白に使った勇気が抜けていったのか、顔からは緊張感が抜けていた。  
 繋がった手を引っ張ると、抵抗なくエルーは崩れこんできた。  
 
(ついに言っちゃった……どうなるんだろ、気まずい状況のまま本部に行かなければならないのかな)  
 今更ながら、常に離れられない人に告白をしてしまったことの重大さを気付いた。  
 これでOKだったら万々歳。年中想いあって、ミツバチが寄るような甘い時間を過ごせる。  
 しかし、キリが自分のことを好きではない、あるいは誰か別に好きな人が居るなら、ふられた相手と常に一緒に居なければならない。  
 それは蛇を夏の路面でじっくり焼くような、拷問めいたことだ。返事一つで、自分の人生の全てが決定付けられるような気さえする。  
 ただ、包み込むように背中に回されたキリの手からは、嫌な感じはしない。  
 緊張の余り、真横にあるキリの顔が陽炎のように歪んだ。いびつな輪郭のキリの顔が自分に近づいてきた。止まらない、ぶつかる。  
「むぐっ」  
 ぶつかった。それも、唇が。  
 ただのキスじゃない。舌が強引に割り込んできて、自分の口の中をかき回すような動きをした。  
 舌と舌が、鮫の交尾のように絡みあい、唾液を巻き込んだ卑猥な音を鳴らす。  
 曇った声が漏れる。慣れていない刺激に、股間がまた熱くなってきた。  
 キリの舌の動きは天性の動きではなく、何回も研鑽を積み重ねた動きだった。絶対に初めてではない、三桁ぐらいやっている。  
「ふむ……んむんーっ!」  
 顔を離そうとしても、背中にあったはずの手がいつの間にか頭を押さえて、外すことができない。  
 キリの舌が家捜しするように自分の口内を動き回る感触に、次第に体が酔っていった。  
 抵抗していた手も、力なくシーツに伏した。  
 ようやく離れた頃には、もう口の端についている唾液はどちらの物かも分からない状態だった。  
 子供の頃に夢見ていた可愛らしいキスとは違う、相手の存在全てを貪るようなキス。  
 気持ちよくて、股間がじわりと感じたことは確かだが、エルーはかんかんに怒っていた。  
「な、どどど、どうしてこんなことするんですか!? こういうのはもうちょっと段階を踏んでからするものです!」  
 唇に手を当て、少し仰け反る初々しい乙女の反応を見せる。キスそのものは、少し前に自分から勝手にしたことは棚に上げているのだが。  
「んっと、俺のことが嫌いだったらやめようかなって思っていたけど、俺のことが好きだったみたいだから」  
 普通なら理由にならないキリの言い分。しかし、二人とも全裸という状況、更にエルーの方から服を脱がせていたとあっては、疑うことはないだろう。  
 まさか、「助かってほしい」という理由で全裸にするとは考えられない。安産を祈願して氷布団で寝せるようなものだ。  
 食卓に赤飯が置いてあり、その側に母子手帳を持った女性がいるのなら、誰だってその女性の妊娠を想像するように、キリはエルーがこういうことを望んでいると推理した。  
「うぅ……急に恥ずかしくなってきた……」  
 実際に望んでいたとはいえ、キリの苦しみを和らげる目的で行う予定だった。彼の目が覚めているのなら、もう峠を越したのだと思った。  
 ならば、自分の貞操はいつか巡ってくるその時まで、守りたいと思うのが心情――というのを、毛先ほども気にしていないのが、キリだった。  
 
「なーんか盛り上げるものねぇーかな」  
 枕元を丹念に調べて、やがて誕生日ケーキに差す様な小さなロウソクに火をつけて、二人が誤って消さないような高い場所におさめた。  
「誕生日に食うような大きなケーキがあったけど、まあそれは後回し。  
こういう時はムードがあった方がいいよな? 電気消すぞ」  
「ちょ、ちょっと!」  
 抗議の意も聞かずに、電灯を消された。視力が役に立たないほどの暗闇が周囲を包み込む。  
 月は雲に覆われ、悲しいほど光を照らさない。時々光る雷が、最大の光源。だが、そのときに届く音には、身の毛もよだつ思いを受ける。  
 月光、雷光、どちらも役に立たない。ロウソクの頼りない明かりに、心細いながらも信頼を置くことになってしまった。  
 しかし、ふらふらと揺らめく小さな明かりを眺めていると、体の疲れも心の疲れも安らぐ。  
「ムード……出ますね……夕焼けの中にいるみたい」  
 赤く照らされるキリの横顔に、エルーの心臓が高鳴る。  
 ただ、キリの行動には驚いて声をあげた。  
「ちょっ」  
 言葉で遮る前に、キリはエルーの脱いだ服を一つ残らず、丸めてドアの方へと投げていた。  
 後を追おうとしたエルーの手を、キリはずっと離さない。運命を繋ぐ赤い糸どころか、犯罪者を逃がさない手錠だ。  
「これで引き下がれないよな。  
よしっ! それじゃあ」  
「ひぃ!」  
 エルーは、獣に狙われる視線を感じた。見えないはずなのに、人間が持っている第六感が敏感にも感じ取った。  
 が、察したとしてももう遅く、キリはシャワーのところでしたように、彼女を強引に組み敷いた。  
 
 男の力にはかなわない。いつも繋がっている手はそのままで、反対側の手はしっかりと自分の手首を掴み、シーツに押し付けている。  
 身体全体を重ねているわけではないにしろ、両腕が使えないのでは力も上手く入らない。  
 組み敷かれたときに足を大きく広げてしまい、その間に彼の体が入っていた。男の性器が、へその下の柔らかいところに当たっていて、その感触が十二分に伝わってくる。  
 エルーの顔のすぐ側にキリの顔があり、彼が言う言葉は直接耳に入るような状態にあった。  
「初めて見るんだけど、スタイルいいな(胸小さいけど、言うと怒るだろうな)。  
太っているわけじゃあないし、痩せすぎてもいないし」  
 嬉しいはずなのに聞きたくない。込み上げる恥ずかしさが顔を赤に染めて自己主張をする。  
 聞こえる声のボリュームが大きいから、恥ずかしさも比例して増大するようだ。  
「だ、駄目! やっぱりこういうのはっあむっ!!」  
 エルーの抗議を遮るように、キリは強引な口付けをした。  
「んー!! んむ〜!!」  
 絡められたキリ舌が、エルーの舌のまともな動きを邪魔しているため、抗議しているのか、それとも普通の声を出しているのかの違いもつかない。  
 必死なのに、それを嘲笑うように性感が湧き上がってきて、頭の中は霧がかかっているように白くなっていく。  
 二人がキスをしているとき、雷が轟音を引き連れてすぐ近くに落ちたが、気がつくこともできない。冷静な判断は、曇った声と一緒に外に出したように消えていた。  
 長く、蜂蜜のように甘く濃厚な口付けを終えると、エルーはくたっとベッドにもたれた。  
 細く開かれた目に、キリの顔が映っている。ロウソクの炎に照らされる彼の顔は、照れとは違う煌めきに満ちていた。  
 彼の表情には、汗を垂らす焦りが見えた。何に焦っているのだろうか。なかなかできないことに焦っている? 早くしたいという気持ちに焦っている?  
 口内の痺れるような感覚が邪魔で、頭が働かない。快感が高まった末に、緊張というものをパンクさせてしまったようだ。  
 ぬるま湯に浸っているような幸せな気分。手首を押さえつけていたキリの手の感覚が消えた。  
「ひゃぅっ!」  
 大声をあげて、閉じかけだった目を大きく開いた。  
 胸が、紅葉の形に熱くなった。重い首を動かして目線を下ろすと、キリの手が胸に触れていた。  
「筋肉があまりないから、本当に触り心地がいいな(やっぱり小さい)」  
 褒め言葉と共に、パン生地をこねるような強引、けれど優しくて乱暴ではない手付き。  
 やっぱり、ここでもキリの手付きは慣れているようだ。エルーは初めて異性に触られたのに、恥ずかしさよりも気持ちよさの方がすぐに上回っていく。  
「ちょっとピリっとするのをいくからな」  
 ふくらみの頂点にある突起に、キリの指が伸びていた。顔を背けて愛撫に備えるエルーに、間もなく弱電のようなむずがゆい感覚が走った。  
「ん……く…………くぅ……んぅ……」  
 エルーは自由になった手で口を覆うと、鎖骨に頬を添え、気を抜けば漏れてしまう声を必死に押さえつけた。  
 それでも、キリの指が織り成す性電流に感電したように小刻みに震えが起きて、耐える表情には涙が添えられてきた。  
「耐えたら余計に辛くなるんだから、声を出した方が楽になれるって」  
 突起への愛撫を続けながらのアドバイス。ここでも、女のことを知っているような口調だった。  
 言葉に同意したエルーは、口を覆っていた手を離した。堪えきれないなら、もう堪えるのはやめた。  
 顔も枕に全体を任せるかたちにして、瞼をそっとつぶった。  
「ふぁ……はぁ、んはぁっ!」  
 艶やかというフィルターを通した声が、何度も外で出されていく。  
 素直になって、喘ぎ声を出すようになった彼女の気分は、男であるキリには分からない。  
 自分が愛撫をしているうちは、悦の混じる可憐な声を泉のように出して、快感に酔いしれるだろう。  
 しかし、自分の行う行動が、快感だけではなく、痛みを伴う領域にまで進んだら? ――おおよその予想はできる。  
 汗を垂らして、肩を震わせている姿からは、性に慣れている余裕は微塵も感じられない。処女なのだろう。  
 男の性器が入ることに対する精神的な恐怖に加え、熱された鉄の棒が膣を引き裂いて入ってくる肉体的な痛みへの恐怖が、彼女の想像を渦巻いているはずだ。  
 正解なのかは聞けないが、本当にそう思っている気持ちでやらなければと、キリにも力が入る。  
 
 手で突起を挟むのをやめ、その代わりに今度は口で啄ばむように挟み込む。  
 唇で優しく噛み、磨るように横に動かして、舌先でつんつんと触れると、エルーは今までに無い大きな喘ぎ声を出した。  
 その表情は、今までに無い色香に満ちていた。声を我慢しなくなったことで開放感になっていたためだろう。  
「気持ちいいか?」  
「はいっ……思ってたよりも……嫌な感じしなくて。  
まだちょっと怖いですけど」  
 エルーの艶めいた声と表情に、キリはふふんと笑って返し、顔を胸に埋めた。  
 突起を口に含むと、赤ん坊のように吸い始めた。吸われている方も痛くないように、優しく。  
 どんだけ吸い続けても母乳は出ないのに、キリの表情が甘いものへと変わっていく。そして、エルーの表情も。  
「きゃ……ひゃぁ! く、くすぐったいですっ! 吸わないで、吸わないでくださいっ!」  
「『一足先に母親の気分を感じる体験』ってことで」  
 悪びれる様子も無くキリは口を離さずに続けた。先ほどまでの触る刺激とは違い、気持ちいいというよりもくすぐったさが強い。  
 エルーは自由な方の手を伸ばしてキリの顔を離そうとするが、上手く力が入らない。じんじんと頭に登ってくる感覚が、考えを消してくる。  
「ぷはっ」  
 口を離すと唾液の糸と突起が繋がっていた。桃色だったのにほんのりと赤く染まり、ぴんと上を向いている。  
 自分の作業に満足したように、顔を胸の谷間に下ろした。溶体菓子のような柔らかな丘が、頭の両隣でぷるぷると波打った。  
「あんたって、なんか安心できるんだ。  
小さい頃、母ちゃんに抱っこしてもらったときに似てる。10年ぐらい、ずっと忘れていたけど  
きっと、あんたはいい母ちゃんになるんだろな」  
「いい母親……?」  
 キリの言葉をきっかけに、エルーは彼の出身地タームの町にいるキリの母親を思い出していた。  
 彼の母は、キリの妹だと勘違いしたほど小さな体なのに、度量というか人間性は人一倍大きくて、初対面でトロイの巣窟のような自分を、豪勢な食事と共に温かく迎えてくれた。  
 外部の人でも偏見持たずに接してくれる。息子であるキリもよくできた人だが、彼女が育てたのだ。ああいう人は、いい母親なのだろう。  
 トロイで消えることなく成長できたら自分もああいう風に――その思いを後押しするように、キリが話を出した。  
「じゃ、子作りの下準備っと。ちょっと入れてみる」  
「はい?」  
 比喩の無い、あまりにストレートな表現に頭がついていかず、気の抜けた返事が出た。  
 
 頭よりも体の方が先に言葉の意味と、今の状況を理解した。  
「き、キャァアアッ!!!」  
 猫のような悲鳴が意識せずに出た。太くて長い何かが、エルーの膣に了解も無しに入り込んできた。  
 アルコール度の高い酒を飲んだように、一呼吸の間を置いて下半身が熱くなる。膣から愛液が伝って、股の部分が熱くなっている。  
 押し込んだがエルーの処女膜を捉え、キリの表情を重くした。  
(やっぱり処女か。そりゃシスターだしな。いくら美人でも触ったらトロイにかかるなら、そっぽ向くのか)  
 深く押し込むと、膣内で溢れた愛液が零れ出て、シーツに染み込んでいった。  
 思っていたよりも痛くないとはいえ、何とも言えない苦しさが込み上げてくる。  
「あはっああっ!」  
 ゼンマイを巻くように指が中で動く。膣肉もねじれて、重なる快感が走った。  
 波のようなものが股間から周囲に流れていき、エルーは身をねじり、甘い声を出して涙ながらに訴えた。  
「そんな……ぁ、いきなり本番なんて。心の準備もまだだったんですよ」  
「いや、今のは指だけど。人差し指」  
「ゆ、指ですか!? 今のが」  
 驚愕しているエルー、信じられないという表情を止めない彼女は、身体を起こして、下腹部に目を向けた。  
 本当に指だった。キリの指は、自分の指よりは少し大きいとはいえ、勃起した彼の性器に比べれば棒前の針だ。  
 自分の中で、愛液の海を泳ぐように動き回る何かは、固いし、太いし、長かった。男性器が入ってきたと何の疑りも無く思っていた。  
「人間、でっかいアリとか得体の知れないものに触れると、それを過大に評価するっていうけど……」  
 キリの言うとおり。自分でもあまり挿入に慣れていないために、エルーは入ってきた指の大きさを錯覚した。  
 そして、すぐにキリの男性器へと視線を向けた。  
(大っきい)  
 勃起した男性器の大きさには、格好つけた例えなど出てこない。  
 膣からはぬるぬるした愛液が出ていて潤滑油の役割をはたすようだが、本当にあんなものが入るのかと、またしても疑心暗鬼になった。  
「そろそろいくけど」  
「ちょ、ちょっと待ってください!」  
 膣口の厚い入り口が、愛液に塗れている。痛くならないように自分を整えて、男性器を歓迎してくれている。  
 が、本人だけが歓迎してくれない。ご馳走をお預けにされた気分になった。  
「なんだよ?」  
「私…………はじめて……ですから、やさしくしていただけると助かるんですけど」  
「(処女膜あるんだからわかってるって)俺がリードするから、安心していいってば。  
でも、そうやって優しくやるには条件つける!」  
「いじわる……そういうこと言われると断れないって知ってるんですか?」  
 ぷくっと顔を膨らました。  
 キリはえへへと子供っぽい笑いを浮かべた。そのまますぐに、真剣な表情に移行する。  
 結婚を申し込むときのような、あるいは人生の最後を見極めたような、決意極まった表情だ。  
「え……」  
 エルーは、彼の表情を見ていて、突然涙が頬を伝った、何故か分からない。  
 彼の真剣な表情を見て、普通なら見惚れるか安心するのに、何故か涙が頬を伝った。  
 
「お、おいあんた! 大丈夫か」  
「大丈夫です。何でかわからないけど……気にしないでください。  
心配してくれるのは嬉しいけど、それよりも」  
 「続きを……」と言いたげな彼女の瞳に、キリは心臓が高鳴った。  
「あ、ああ……いらない心配だと思うけど、もし子供ができたら、変にぐれたりしないようにちゃんと育ててほしい。  
頭がいい子に育てるとかじゃなくてさ、普通に育てるだけでいいんだ。  
つまり、その、いい母ちゃんになれよっ! てこと!  
約束できる? OK? 指きりできるか?」  
「指きり?」  
 エルーは何のことだか分からなくてきょとんとしていた、  
 小さい頃に住んでいた町の全員がトロイによって消えてしまったため、同年代の子供と遊んだことはほとんど無い。  
 小指と小指を繋げることが、約束を絶対に破らないようにするものだということも知らないようだ。  
 キリの頭の中に黒光りする悪巧みが光った。実行に移す前に「ごめん」と心の中でまず謝った。  
 キリは、それまで楔のように繋げていた手を離した。  
 当然エルーは驚愕と共に血相を変えた。触れていなければ自分は消えてしまうのだから。キリもそんなことは重々承知なのに、あえて離した。  
 っと――キリが腰を少し上げて小指をピンと立てて、エルーの胸元に突き出した。  
「あ、ぇ??」  
 何が何だか分からないまま、エルーは胸の苦しみを抑えながら、やたらと目立つ彼の小指を軽く包み込んだ。  
 生命線の手を無事掴んだことに、ほっとした気持ちが高まってくる。  
 無駄なことにハラハラさせられて、心臓が激しく波打つ。  
「それで、小指と小指を繋ぐんだ」  
 心臓の動悸がおさまらない。けれども何もすることもなく、キリに言われるままに、小指を繋げた。  
「よし、じゃあ俺のいう事を、そのまま真似して続けて」  
「あ、はい!」  
「ゆ〜びき〜りげんま〜ん」  
「ゆ、ゆーびきーりげんまん?」  
 言葉と共に、手と指が振り子のように一定距離を上下する。  
 指切? 拳万? 知らない言葉を喋る舌が上手くまわらない。  
「嘘ついたら」  
「ウーソついたら」  
「マチ針千本の〜ますっ(実家アレンジ)!」  
「待ちハリセンボン飲―ます(オリジナル+α)」  
 最後にキリが「指切った」というと、エルーの握力を振り切って小指を引き抜いた。  
 彼女の病魔が慌てるよりも先に再び手を繋げ、彼女を一安心させた。  
「あの、今のは一体」  
 またしても変な汗をかき、きょとんとした表情だった。ちょっと怒りが篭っているようにも見える。  
「子供の頃によくやった約束の決め方。破ったらハリセンボン飲ませるって取り決めだよ。  
……まあ、針千本飲むなんてことは普通しないから、気分的なものだけど(スイは本気でやらせたけど)」  
 キリは自分のトゲトゲ頭を軽くかくと、先ほど見せたような真剣な表情でエルーの方を見た。  
 エルーは一瞬俯いた後、覚悟を決めた表情で頷いた。二人の手は、手の平と手の平をぴたりと合わせ、固く繋がれていた。  
 
 キリは慣れているのか、それとも冷静さに関して天性の才能でもあるのか、心臓の鼓動がいつもより少し激しいぐらいだが、  
 抱かれるのは初めてのエルーはそうではない。抱き締めてくるキリの身体はとても大きくて、シャワーを浴びるのとは別の気持ちよさが流れていた。  
「キリさんの腕の中、大きくてほっとします。今なら……大丈夫だと思います」  
「そうか……いいんだな」  
「ホントのところ、やっぱり怖いんですけどね」  
「優しくするよ」  
 唇を重ねて、キリはエルーの唇が小さく震えていることに気付いた。  
 できれば、もっと安心させていたかったが、  
(ごめん……もう我慢できない)  
 瑞々しい裸体を前に、彼の理性は限界だった。  
 
「痛いか?」  
「ぅ……」  
 エルーの心臓の動悸が、一本の綱のように絶え間なく続く。  
 キリは自分の性器とエルーの性器の先端を触れ合わせ、ゆっくりと押し込んでいく。  
 亀頭を咥え込んで、少しずつそれを飲み込んでいき、小さな穴が広がっていく。  
 男性器が処女膜を引き裂くように押し進み、傷口を蹂躙して、想像していた以上の痛みが流れ込む。  
 中指と薬指を逆方向に引っ張るに近い痛みが、柔らかい股間で起きているのだから、その痛みは到底無視できるものではない。  
「いっ! っで、でも、これくらい……へ、平気ですから」  
 嘘だと、一目でわかった。歯を食いしばって、それでも耐え切れない。  
 シーツを握り締めても、口で苦痛を訴えるのを紛らわせることできる程度の痛み。  
 膣から溢れる堪えきれない痛みが、表情を煩悶としたものにしている。  
「あんたやっぱり痛いだろ?」  
 無理に押し込んでしまえば早いのに、酷いことはできないのがキリの性分。  
 レイプされているわけでもないのに苦しい思いをさせたくないというのが彼の自論。  
 まだ半分も入っていない、既にエルーは涙を流して、大声で泣き叫びたいのを必死で我慢している。半分も入っていないのに、だ。  
 キリとしては、己の性器を強く圧迫するし、避妊具をつけていない生の感触は、もっと深く味わいたい極上の刺激となっていた。  
 
 だからといって本能のままに押し込むことはしなかった。  
「おーい」  
 突然キリの動きが止まった。きょとんとして彼を見上げると、深く呼吸をしていた。  
「もう少し気持ちを楽にしろよ。握った手をいったん離して、深呼吸。  
きんきんって張り詰めていたら痛くないものも痛くなるし、痛いものはもっと痛い。  
それに、エルーが痛そうな顔をしていたら、俺まで嫌な気分になるし」  
 一見なんでもない親切なアドバイスのようだった。しかし、いつもとは少し違っている。  
 それはあまりに自然で、普通だったら見落としてしまうような些細な変化だった。  
「あ、あのキリさん! 今私のことを」  
「ん? なに?」  
 今、エルーと名前で呼ばれた。こんなの記憶にない、初めてだった。  
 この緊張した場面で出された言葉に、小さな感動を持った。身体から力みが抜けて、深呼吸するまでもなくリラックスしていった。  
 無論、緊張はしているのだが、随分楽なものになった。  
「こんなぎりぎりに言うのもなんだけど、俺はエルーのことが好きなんだ」  
 キリはエルーの寝癖のついた髪の毛を撫でた。子犬の産毛を撫でるような手付きには、イヤらしいものが感じられなかった。  
「薄い髪の色も、ちょっとした撥ね髪も、ぱっちり開いた目も、つんと尖った鼻も、人を元気付ける口も、トロイを消そうっていう夢も。  
エルーのことなら全部好きになれそうだ」  
 告白の言葉は、聞いているこっちが恥ずかしくなる言葉、けれどもキリの言い方はさっぱりとしていた。  
 エルーは手をキリの心臓にそっと伸ばした。休むことなく、きちんと脈を打っているのが分かる。  
「キリさんの手が冷たすぎるから。死んだみたいに冷たくて。ずっと、冷たくて。  
本当に……本当にキリさんは生きているんですね。脈もあるし、今、こうやって喋っているし」  
「エルーを一人にしたまま死ねるかって。このままだと消えるんだろ? 俺の目が黒いうちはさせないから」  
 言葉の嬉しさと、とあることの発見が同時に彼女の身体を緊張から解き放った。  
「やっぱり、エルーって呼んでくれていますね」  
「そういう雰囲気だなーって思ったから。なんとなく」  
 「なんとなく」この世に並ぶことのない納得のいく理由に、エルーはただ頷いた。  
 こんな時に愛しい思いが泉のように湧いてくる。甘えるように、彼の首へ手をまわして、自分の方に引き寄せた。  
「お願いします……」  
 「何を?」と聞くことも無く、キリは頷いて、エルーに軽くキスをした。  
「ああ!」  
 任せろと言わんばかりの返事に、エルーは深く頷いた。  
 今のエルーの心には恐怖による曇りは一片もない、鮮やかな晴天のように澄み渡っていた。  
 
 気持ちが楽になっても、痛みから逃れることはできなかった。  
 それでも、エルーの気持ちが随分落ち着いていた。気持ちが楽になると、膣に余計な圧がかからなくなる。  
 先ほどまでは針の穴に試験管を捻じ込むようなきつい挿入だったのに、今はエンゲージリングに薬指を通すように、随分とスムーズなものになっていた。  
 開通の瞬間を迎えると、キリはふぅとため息にも似た安堵の声を出した。  
「全部入ったぞ」  
「……ハァ……ぇ?」  
「いや、俺が全部入ったって」  
 開通を迎えたことに気付いていなかったエルーは、それまで痛みに耐えるようにキリの手を握っていた。  
 だが、その一言でもう終わったのだと知り、手の力が抜けた。  
 力みを失った手が、キリの手から滑るように落ちていく。手を離しても、性器が繋がっているのだから彼女の身体は消えることはなかった。  
 なのに、キリはわざわざシーツの上に伸びている彼女の手を、指の股を合わせてぎゅっと握った。  
 しばらくの間ずっとこのままだったから、手が繋がっていないということに慣れていた。  
 反対に、繋げていなければ、いちごが乗っていないケーキのように物足りなさを覚える。  
「こうじゃないとしっくり来ないな」  
 ジグソーパズルが揃ったような満足感で、キリの顔には眩しいほどの笑顔が浮いていた。  
 その笑顔に照らされてか、今も身体に残留する痛みが少しずつ抜けていった。  
「大丈夫か?」  
「ちょっと痛いけど……ずっとよくなりました。  
私はもう、こどもじゃないんですね」  
 彼女のまだ痛みで曇っているが、嬉しいという感情も見て取れる。  
 パンドラの箱には災いが封じ込められていたが、エルーの中には、正の感情がぎゅうぎゅうと詰められている。  
「痛いか。もうちょっと待っていれば大丈夫になるかな」  
 う〜んと首を傾げた後、思い起こしたように頬に唇を重ねた。唇同士を触れるのとは違い、大したことがないように思えた。しかし、  
「ほっぺですか? あ……いたた!!」  
 それまでと違い、吸引力が強い。痛みが発して、彼女は顔を顰めた。その痛みの程は、唇が離れた後じわじわと赤くなって痕が滲んできたことから何となく分かる。  
 キリの舌が、撫でるように痕を舐めとった。  
「おー綺麗にできたなー」  
 まじまじと頬を眺めた。窓ガラスに、彼女の頬にできたキスマークが色濃く映っていた。  
「って、こういうのを残したらまずいんだっけか。  
(そろそろいいかな?)痛みは治まった?」  
「はい……で、でもあまり激しく動かれると」  
「わかってる」  
 今度は唇にキスをした。触れるように軽い、優しいキスを。  
 
「動くぞ」  
 それまで我慢していた性欲を晴らすように、キリは腰を強く押し込んだ。  
 膣壁の隘路を分け進み、滴る愛液で身を濡らしながら、子宮のすぐ側まで先端を押し込む。  
 腰を左右に動かして、膣の温かい感触を十二分に味わった。  
 長らく忘れかけていた性電流が、キリの脳裏に蘇る。顔が悦の入ったものとなるが、気持ちいいのはキリだけではない。  
「ふぁっ……く!」  
 膣に熱い男性器が押し入り、動く未体験の感覚に、エルーの身体が震え始めた。  
 生ぬるい愛液が、男性器の前後の動きに伴い溢れ出てくる。  
「エルーの中、温かいんだな。  
夏の日向よりも、ずっと気持ちいい!」  
 腰を上下に揺らして奥まで押し込むと、信管を抜くように慎重に引いて、また一気に押し込む。愛液とともに、性感が体中に弾けるように広がった。  
 繰り返しが何度も続き、零れる愛液はその度に量を増して、ぬるぬるとした触感へと代わっていく。  
「はぁあ……くふぅ……ん!  
私も……キリさんのが入っていて、動いていて……うん……ぅ、あ、暑くて、熱くて」  
 快感の波が、彼女の精神を飲み込み、彼女を快楽の海へと誘っていく。  
 波の特質は押しよりも引きの方が強い。だから、一度飲まれて、そのまま放っておくと奥へ奥へと引きずりこまれ、戻れなくなってしまう。  
 今、彼女が感じているのは波に飲まれた直後――引き摺りこまれた先がある。  
 すなわち、今彼女が踏み込んだのは、絶頂へ通じる道の入り口に過ぎない。  
 そうとも知らず、彼女は頭の中が白くなるほどに感じていて、口からは意識していない声が次から次と出てくる。  
「うう……ん!! んはぁっ!! はぁう!」  
 単語にもならない、言葉の枠組みから外れた喘ぎ声は餡蜜のように甘くとろけそうな声。  
「お、おっ! わゃ!」  
 無意識にエルーが股を閉じ、万力のようにきつく圧迫してきた。柔らかな刺激で、体中にお湯が纏いつくように気持ちよくなり、キリも性感めいた声を出す。  
「くぅ〜〜〜! 気っ持ちいい!!」  
 炉に石炭を放り込んだように、キリの動きが大きく、早くなっていく。勝手気ままの無作法ではなく、リズミカルで呼吸に合わせた動き。  
「はっ、はあうっ! きゃううっ! ひ、キリ……さぁん……ふあぁあ!!」  
 打ち込む度に、エルーが身体を仰け反らせて悶える。繋がったキリの手に、エルーの手がめり込む。  
 性器が擦れ合い、液体が潰れるようなぐちゅぐちゅという淫らな音が響く。溢れた愛液が二人の陰毛をつやと濡らし、重なる。  
 雨の轟音など耳に入らず、密林の中で奏でられるような濃密な水音が二人の意識を高めていく。  
「エルー、どれぐらい気持ちいい!?」  
 快感のあまり、目の焦点が定まらない。虚ろな瞳でキリを見つめた。  
「き……はぁ、きもちっ、あうぅ…! くぅぅ!!」  
 キリの問いに答えたくても、喘ぎ声しか出ない。伝えられていないことに、惚けたような状態の彼女の心が悔しがった。  
「キリさぁ……ん」  
 手を伸ばし、彼の顔を自分の方へと引き寄せると、情熱のキスをした。自分から舌を挿入させ、快感を貪るようにキリと唇を繋ぐ。  
 口を離した後も彼の体を離さずに、胸をくっつけて、足で彼の体を抱えこんだ。  
 清楚なシスター像からかけ離れているが、女性の行き着く一つの姿がそこにあった。愛する男性によって、女性の設計の美しさを最高に高めるという姿だ。  
 そして、機を待っていた絶頂が、彼女を快感の底へと引き摺り始めた。  
 彼女の頭の中が真っ白になった。  
「……ぁ……はぅ……うぁ、うぁあ!!」  
 底と言うのに、全面がウエディングドレスのように白くて、無垢さまでも感じてしまう。  
 男女が身体を重ねあう性感、その行き着く先とは思えない清潔なイメージだったが。そぐにそれは姿を変えた。  
 視覚も、聴覚もその中では役に立たず、ただ触覚だけが異常な発達を遂げた。  
「ひ、ひうっ! ひぐ、あ、ふぁっ!! んあ、あっ」  
 小さな悲鳴を絶え間なくあげた。彼女を突き上げるキリの動きも今まで以上に早く、激しくなった。  
 射精に至る寸前にまで、キリの性感は高まっていた。そして、今にもそれは起きようとしていた。  
「エルー!」  
 キリが彼女の名前を腹の底から呼び、最後の一押しをした。  
 子宮口近くまで挿入した男性器は、一瞬膨張したのちに何度か震えて、粘り気のある白潤液を放った。  
 エルーの膣は、子種を搾り取るようにキリの性器を抱き締めていた。  
 最後の一滴まで押し込むと、ゆっくりと腰を引いて、彼女から男性器を抜き取った。  
 夢の中を自由に動き回るような気持ちよさだった。  
 眠りながら多くの知識が頭の中を駆け巡るような、爽やかな気分だった。  
 
 言葉にならない声をあげ、エルーは魂が抜けたようにベッドに倒れこんだ。表情に、幸福を残して。  
 間もなく、寝息を立て始めた。いつもとは違い、今夜はカーテンの仕切りがないのに熟睡。  
 仕切る必要も無い。仕切るそもそもの理由は恥ずかしいからだ。  
 告白して、裸になって、愛撫を受け、処女を捧げ、これ以上何を恥ずかしがる。  
 今更寝顔を見られることに羞恥の心は無い。むしろ、見守られているという安心感が眠気を促したのかもしれない。  
「エルーの手、本当にあったかいな。最近、俺の手は冷えてんのに、ずっとあっためてくれて」  
 手だけを繋げた状態で、キリはエルーに布団をかけた。情愛の熱が冷めていく中、布の温かい感触を味わうと、エルーの顔は意識せずに微笑んだ。  
 
 キリが手を伸ばして、彼女の寝癖がかかった髪の毛をさらっと梳いた。前髪を開いて、額を露出させた。  
 こうやって見ても、美女としか形容できない。  
 端整な顔立ち。顔の窪みが高すぎず低すぎず、バランスが整っている。  
 輪郭も計算されつくしたような精微な形を成し、髪の色は月光のように目に映える。  
 瞼の下には、宝石のように透明感溢れる瞳がある。眠っている今は見られないが、代わりに玲瓏なる寝顔を見られるのだから、我慢の一つもする。  
 寝癖の可愛らしさと顔立ちは、ダイヤの原石と職人のカッティングの腕が生み出す輝きのような、芸術的な組み合わせだった。  
 キリは、自分ひとりがこの寝顔を独占できることに内心嬉しくてしょうがない。  
 それなのに、彼の表情はどこか物悲しげで、嬉しい気持ちは隠れていた。暗雲に覆われた太陽のように、輝きが見えない。  
 幸せを全面に出しているエルーがいるから、彼の表情は殊更に目立った。  
「……もっと見ていたかったな」  
 キリは、胸にある大きな傷を手の平で覆った。  
 1%の確立がどれぐらい低いのかなんて、よく分かっている。カードが配られ、最初からツーペアができているよりも低い。  
 分かっているからこそ事実から逃げなかった。  
 彼にはフレアという特質がある。彼に触れている間だけ、触れた人数による腕力や敏捷性、免疫力が増す力だ。  
 エルーが触れていて、毒に対する抵抗力が増していた。それに、集中力も増した。  
 だからこそ、身体を巡る激痛に負けることなく、眠気を振り払って僅かな時間だけ目を覚ませることができた。  
 その時間をどう使うのか、悩んだ末の答えはもう終えた。本当はただ彼女と会話するつもりだったのだが。据え膳を食わずして何が男か。  
 
 キリは、荷物の中から筆を取ると、メモ用紙にすらすらっと手紙を書き、荷物の中に押し込んだ。  
 ついで、エルーからほんの数秒だけ手を離して、とある作業をした。  
「これでよしっと」  
 安心した刹那、視界が蜃気楼のように揺らぐ。  
 二人の情事を照らしていたロウソクの赤い光が消えかけている。「お疲れ様」とねぎらいの言葉をかけるように、柔らかい光だ。  
「っ!」  
 生ぬるい液体が込み上げてきた。咳と共に、真っ赤な血が。  
 手で口を覆って、吐き出さないように注意を払った。すやすやと眠っている彼女に、余計な気を煩わすことのないように。  
 どろどろした生温い血が口内に溢れ、吐くことよりも遥かに気分が悪くなったが、一時的に吐き気がおさまり、彼女を血で汚すこともなかった。  
 少し離れた場所に置いてあったバケツを見つけると、口内に溜まっている血を吐き出した。黒っぽい赤色がバケツに溜まり、波打った。  
「う……っぇ」  
 吐き捨てる場所を見つけると、喉の奥から次から次と血が続いてきた。吐いているだけなのに、体中が痛い。  
 バケツに吐き出し続けていると、黒ずんでいたはずがだんだん赤の色が濃くなっていく。  
 喉が収まった頃には、跳ね返った血が顔に何滴か付いていた。自分の身体が追い詰められていく象徴のように、ロウソクの赤い光に映えていた。  
 繋いだ手のおかげで、フレアの特質が発揮され、痛みが軽減されているのが、せめてもの救いか。  
 そんなことは知らず、珍しく寝相よく眠る彼女は、可愛い寝息を立てていた。  
「初めてのセックスで疲れただろ? ここ数日、ずっと俺の心配をしていてくれたんだから、今日ぐらいゆっくり寝なよ」  
 部屋が完全な闇に包まれるまで……包まれても、守るように見るつもりだった。  
 やがて、ロウソクのロウが無くなると、炎は最後の気力を振り絞って、小指よりも小さな炎で僅かに燃えるのみとなった。  
 それは彼の命をも表すように、少しずつ小さな炎になっていく。  
「エルーの手って、あったかいな…………母ちゃんみたいで……安心できる……。  
こんな事になっちゃったのに全然怖くないんだ、エルーと一緒だからかな…………ありがとう。  
ごめんな、もう眠くなってきた」  
 最後に小さく謝った。  
 何も知らずに眠るエルーの寝顔を、そのときが来る最後まで、逸らすことなく見続けた。  
 眠気が襲ってきた。抵抗することのできない……いや、それまで抵抗していた底なしの眠りが、彼を掴んだ。  
「おやすみ、エルー」  
 ゆっくりと目を瞑った。心の中は、安寧とした安らぎで満ちていた。  
 その眠り顔は、エルーのそれと同じように幸せそうだった。涙の後が一筋残っていた以外は。  
 キリが、眠りにつくと同時に、ロウソクは火を灯すのをやめ、僅かな煙を残して消滅した。  
 
 ほんの数秒後、時計は12回の鐘を義務的に鳴らした。  
 

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