頬に強烈な一撃を受けて、キリは目を覚ました。  
 深夜だったが、窓から漏れる月明かりのおかげで周囲の状況は見渡せる。  
「またか」  
 エルーとは繋がっていない左手で頬を押さえながらキリはぼやく。  
 キリの目線のすぐ先には、繋がっていないはずのエルーの右手があった。キリの頬にパンチを喰らわせたエルーの右手が。  
 悪意の込もった攻撃ではない。  
 エルーはとても寝相が悪く、そのせいでキリは毎晩のようにエルーの無意識アタックの餌食となっているのだ。  
 おかげでキリはずっと寝不足だった。  
 なにか対策をとらないと身がもたないのではないかと思い始める。  
「寝相はしゃーないとして、オレが被害を受けないようにするには……」  
 つぶやいてひとつ、寝ぼけ頭に閃いた。  
 ――エルーの動きを封じてしまえばいいのだ。  
 思いついたが吉日。  
 早速、キリは準備にとりかかった。  
 まずは二人の手をくくり付けていた紐をほどく。  
 次にエルーの両手を紐で縛る。さらに紐の余った部分を寝具のそばの固定物(うんこ大魔神の彫像)にくくりつけようとして――紐の長さが足りないことに気づいた。  
 なにか紐の代わりになるものはないかキリは探した。  
 しかしなにも見つからない。  
 仕方ないので、エルーの寝間着を利用することを思いつく。  
 寝間着の袖を両方とも引っ張り、手からはみ出て余った部分を使い、エルーの両手を縛る。  
 袖を使った分、紐の長さに余裕が出来て、彫像にくくり付けることに成功した。  
 エルーが暴れてもほどけないように、念入りに固く結ぶ。  
 ――よし、これで一安心。  
「…………ん、あれ?」  
 キリの寝ぼけ頭が覚醒し、ようやく正気に戻った。  
 トロイの進行を防ぐために、キリは常にエルーに触れていなければならない。  
 しかしこの状態では手を繋げられない。  
 いまはエルーの顔に手を触れているから大丈夫だが、眠っているあいだずっとこの状態を維持できるわけがない。  
 というかそもそも。  
 こんな緊縛プレイ、エルーになんて説明すればいいのやら。  
 冷静に考えてみると、ヤバイ――!  
 キリはあわてて、エルーの両手を解こうとした。  
 幸いにも、これだけのことをして、エルーはまったく目覚める様子がない。  
 すべて元に戻してしまえば、まだ間に合う。  
 しかし。  
 解こうとしたが――解けない。  
 固く結びすぎた。  
 周囲にはハサミもナイフも見当たらない。  
 どうしようもない。  
「うわ……」  
 頭を抱えて沈みこむキリ。  
 エルーへの弁解の言葉を考えながら、キリは夜が明けるのを待つことにした。  
 あたりを静寂がつつみ、エルーの寝息だけが規則正しく聞こえてくる。  
 ふと、エルーのおへそに目がいった。  
 寝間着が、縛るために使ったせいでまくし上げられ、おへそは丸出しになっていた。  
 まだ何も描いていないまっさらな画用紙のように、つやつやすべすべしていそうな腹部が、彼女の寝息とともにふくらんだり沈んだりしている。  
 ゴクリ――とキリは思わず生唾を呑んだ。  
 キリだって男の子。  
 エルーがいつもそばにいる手前、そういう面はなるべく見せないように振る舞っていたが、それももう限界に近い。  
 すでにエルーと一緒になって五日経つが、その間、キリはまともに性欲処理だってできていないのだ。  
 胸の動悸が速くなる。  
 頭のなかが、熱病にかかったように朦朧とする。  
 キリの手がいつのまにか、エルーの服のなかに潜り込んでいた。  
 そしてキリは――無造作にエルーの身体をまさぐり始めた。  
「ひゃあ!?」  
 服のなかをうごめく違和感に、エルーが驚いて目を覚ます。  
「キリさん!? いったいなにをやって……えっ、手が、手が!」  
 彫像にくくりつけられた両手に気づき、大声をあげた。  
 キリはかまわず、服のなかで手を動かし続ける。  
 まだ自由のきく足で、エルーはキリを蹴飛ばした。  
「――っ痛ぅ!」  
「見損ないましたよ! こんなことを、キリさん、そんな、ひどい、最低です!」  
「……うるさい」  
 すでに心の枷は外れてしまっていた。もう止まらない。  
「もう五日だぜ。いつまで? いつまでオレはこんな状態……我慢、しなきゃならないんだ?」  
 いままでおさえつづけていたもの。  
 悲鳴にも似た心情の吐露。  
 しかし、エルーも頭に血がのぼっていた。  
 出てきた言葉は、キリを慮るのとはほど遠い、罵倒だった。  
「我慢は私も同じです! 劣情をおさえられないのは、キリさんの人間が出来ていないだけでしょ。情けない! 本当に情けないですよ……」  
「はは、なんだよそりゃ」  
 キリは乾いた笑い声を立てる。  
「あんたはどうなんだよ? これから先もずっと、我慢できるのか?」  
「当然です。キリさんと出会う以前から、私はシスターやってますから。シスターとは神に身を捧げた者。私達はシスターとなったその日から、死ぬまで処女であることが義務付けられる。禁を破れば、シスターは破門です」  
 神に身を捧げたから――というのは方便である。  
 実際のところ、トロイ感染者であるシスターが異性と関係を持ってしまえば、トロイの被害が拡大する。  
 それを防ぐための戒律だ。  
 トロイに感染しない体質を持つキリが相手ならば、戒律は意味を持たない。だが、もともと根が真面目なエルーである。たとえ意味はなくとも、戒律は絶対だった。  
「だから私は今までも、そしてこれからも発情なんてしません」  
「じゃあ、試してみるか」  
「……え?」  
「発情しないなら、たとえばオレがあんたの身体を弄んだところで、何も感じないんだろ?」  
「なっ!?」  
「そうだな……ゲームをしよう。オレはこの両手だけを使ってあんたをもてあそぶ。それでイかなけりゃあんたの勝ち。以後あんたにはしない。イかせたらオレの勝ち。もしオレが勝ったら――」  
 キリは自身の勃起した一物を指さし、  
「――なかにいれる」  
「…………!!」  
 めちゃくちゃな提案に、当然エルーは抗議する。  
「そんなっ! 発情しないっていうのは言葉のあやで……ていうかキリさん、おかしいですよ! いったいなにが――」  
 
「毎晩、攻撃を受けるのはオレばっか。昼間は昼間でスイにいじられるし……たまにはオレから攻めさせろ」  
「……はい?」  
「ゲームスタート」  
 無視して、キリは再び手をエルーの服のなかへ。  
「ひあっ」  
 乳房をつままれ、黄色い声を上げる。  
 両手を束縛され、エルーはされるがままだった。  
 下半身が自由だといっても、警戒されては蹴りを喰らわすこともできない。  
 キリは優しく、ときに激しく、エルーの小さな胸を、繊細な絵を描くようになでる。  
「〜〜〜〜!」  
 声をおさえて、エルーは必死に耐えた。  
 キリには“フレア”という特殊な性質がある。  
 触れた人間の筋力や体力など肉体的な強さを、およそ二倍に向上させる性質だ。  
 もちろん、感度も二倍。  
 キリの愛撫が少々ぎこちないものだとしても、常人のそれと比較して刺激は段違いだった。  
「キャ! は、あぁ……」  
 たまらず、声が漏れる。  
 普通の性感帯とはやや異なる箇所に手を滑らせたときの反応だった。  
 キリはそれを見逃さない。  
「へえ、意外だな。こんなところが敏感なんだ」  
「ち、違っ! あ、あああっ! やあ、やあ、やあ、やあ……やめてぇ」  
「やめない。我慢は身体に毒だぜ? 吐き出して、楽になっちまいなよ」  
 言いながら、キリは発見した弱点を執拗に攻めた。  
「うぁ、く……あぁ、アアァ!」  
 押し寄せてくる快楽に抗うように、エルーは身をよじる。  
 その様子が可愛らしくて、キリのヘルーへの被虐心が更にそそられた。  
「ここが敏感なんだから、こっちはどうだ」  
「そ、そこは、ぁ……は、あ! ダメ、ダメです」  
 もだえるエルーの隙を突いて、キリはエルーの寝間着の下に手をかけた。  
 抵抗する間を与えずに一瞬で下ろして、エルーの下着があらわになる。  
 キリがじっくりそれを眺めてから、言った。  
「濡れてるな」  
「濡れてません!」  
「感じてるな」  
「感じてません!!」  
 顔を真っ赤にしながら、首をブンブン横に振って否定するエルー。  
 否定されたところで、それが真っ赤なウソであることは見ればわかる。  
 キリーは下着の湿った部分に指をつけ、小さな円を描くようになぞった。  
「あ! あ、あ、あ……」  
「布越しでもこの感度か、さて――」  
 キリが左手を下着から動かさず、右手を先刻見つけたエルーの弱点に寄せる。  
「同時に攻めたら、どうなる?」  
「――!! やめてください、キリさん、それは、それはぁ……あァ! ひゃああん! ダメダメダメダメやめてやめてやめて」  
 涙声の混じった制止にかまわず、キリは攻め続けた。  
「あ、――っちゃう、イヤぁ、はぁ……もうダメ、あうぅ、あ、あ、もうダメ、もうダメ、ダメ、ダ、はあっ! あぁ!? あああああっ!?」  
 びくっ! とエルーの身体が大きく跳ねる。  
 ぷるぷると総身を震わせた後、くてっと全身の力が抜けた。  
「ハア……ハア……」  
 痛恨の表情で、エルーは息を吐く。  
 誤魔化しようのないほどあからさまに――  
 イってしまった。  
 それは同時に、キリの一物の挿入を認めることとなる。  
「やめて……ください」  
 力ない声で、エルーは懇願する。  
「お願いだから……それは、それだけは……」  
「そんなにオレがイヤか」  
 
 剣呑な様子で、キリは訊ねる。  
 エルーは首を横に振って答えた。  
「キリさんだからじゃなくて……私は、シスターだから。そんなことされたら、私はもう破門で、それで……」  
 はあ――とキリは深く長いタメ息をついた。  
 頭に上っていた熱が、すっと抜ける。  
「ちくしょう、なにやってんだオレは……!」  
 頭をがしがし掻きながら、自身の行動を悔いた。  
「オレはあんたに触れても『絶対に不幸にならない』って誓ったのに。なのに、なんだこの無様な醜態は。ちくしょう、ちくしょう!」  
 キリは思いっきり、自分の頭を叩く。  
 出会った初日、夕食時にキリが言ったこと。  
 不幸にはならないというその誓いが、キリを縛りつけている。  
 キリは、不幸だと思われるような素振りさえ見せてはならないと気を張り続け、不安を隠しておちゃらけて見せた。無理に前向きなことばかり言っていた。  
 エルーは思い出す。  
 ――そういえば、出会った頃からいつだって、弱音を吐くのは私のほう。  
 しかし、キリも超人ではない。少し変わった性質を持っているだけの、一般人なのだ。  
 我慢し切れないこともあるだろう。  
 弱音を吐きたくなることもあるだろう。  
 なのに、エルーは忘れていた。  
 彼に限ってそんなことはないだろうと……いつの間にか。  
 エルーは申し訳なさそうに言った。  
「キリさん、その、見せてもらえますか?」  
 目的語はあえて省き、視線でそれをしめす。  
 一週間近く、ろくに世話もしてやらず、暴れだしたモンスターを。  
「え? あ、ああ」  
 戸惑いつつもキリはうなずいた。  
 あらわになった一物。悲痛そうに伸びているそれを見て、エルーは顔をしかめる。  
「どうしてほったらかしにしてたんですか?」  
 キリは目をそらして答えた。  
「言い出すの、恥ずかしいじゃないか」  
 
「はあ、意外と繊細なんですね……それ、よく見えないんでもう少し近づけてもらえますか?」  
「――?」  
 なんでよく見る必要があるのかわからなかったが、言われるままにキリはエルーの眼前にモンスターを近づける。  
「はむ」  
「――っ!?」  
 おもむろに、エルーはそれを咥えた。  
 舌で、モンスターの頭をなでてやると、数秒ともたずに液が漏れる。  
「うっ、く。ちょ――」  
「突然すみません、キリさん。でも、なかはダメですから、せめてここで」  
 言いつつ、また舌。  
 漏れる液の量が一気に増加する。  
「あまり一人でかかえこまないでください」  
「…………」  
「望む望まないにかかわらず、私達は少なくとも協会本部に行くまではずっと二人なんですから」  
「ああ、そうだな、そうだよな……悪かった」  
 観念したように、キリは全身の力を抜いた。  
 エルーに任せて、自身の欲情のかたまりを沈めてもらう。  
 事が済むと、安心したのか、途端にキリは猛烈な眠気に襲われた。  
「寝るなオレ、くそ、寝るな」  
 まぶたを押さえながら、キリは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。  
 二人を結ぶものがない現状、一度眠りについてしまえば、手を離してしまう危険がある。  
「寝てください、キリさん」  
「えっ……」  
「私が起きているから、大丈夫ですよ」  
「そう、か」  
 キリはエルーの好意に甘えて、まどろみのなかに落ちていく。  
「おやすみなさい、キリさん」  
「……おやすみ、エルー」  
 夢うつつをさまようなかで、キリは自然とそう言っていた。  
 五日ぶりの、熟睡だった。  
 
 翌朝、身動きのとれない二人に最初に気づいたのはスイだった。  
「…………」  
 窓から見えた二人の様子を、呆気にとられながらながめる。  
 エルーと視線が合うと、スイは意味深にニィッと笑いながら――  
 去っていった。  
「えええ!? ちょっ、助けてくれないんですか!」  
 エルーの叫びもむなしく、二人が救出されるのはもう少し後のこととなる。  
 

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