旅の途中の宿の電話で、シスターに電話をかけた。
今、滞在中の町にガゼルが何人か居るらしいとの情報を伝えるためだ。
「ちょっと!元気!?今ね!!協会の研究チームからの報告があって…」
いつものように、高いテンションの声。
「…なんですか、報告って?」
半ばため息交じりの声で返事をする。
「あなた達、今も繋いでるんでしょ?」
「…はい。」
手を繋いでいたら、電話はかけられないはずなのに、当たり前のことを聞くシスター。
なんとなく、理由はわかる。
「でね、研究チームの報告って言うのはね、一定時間だけ離せるらしいのよ!」
「「はい?」」
驚いたのは、シスターの言葉ともうひとつ…。
キリさんが、やっと口を開いたのだ。
すぐにそっぽを向いてしまったが…。
シスターがさっき、私たちが手を繋いでいるか聞いたのも、キリさんがなにも喋らなかったからだろう。
。
「一定時間っていっても、たぶんもって3時間。しかも、一ヶ月に一度か二度使えるだけなんだけど…」
「え!本当ですか!?ほ、方法はなんですか?」
薬を使うのか、それとももっと違うものを使うのか…
色々と考える頭に、シスターの言葉が刺さった。
「“体液交換”よ!つまり“キス”ってことね」
「「って、えええぇ!!!」」
混乱する私達をよそに、何故かシスターの声はさっきより興奮している。
「それも、深ーいのね!長いことしてね!んじゃ、伝えるのはそれだけだから、また体調のいいときにでもやってごらんなさい!」
そう言い残して、電話は切れてしまった。
「嘘…。」
思わずもれた、言葉。
それに返事をするかのように、キリさんが言った。
「部屋、行ってから話がある。」
そう言った後、乱暴に私の手を引いて部屋へ向った。
私は追いかけるだけ。
いつも見る、キリさんの背中はこんな風じゃない。
昨日、この村に入ってすぐにガゼルの襲撃にあった。
いつもなら二人で戦闘をして倒すのに、昨日は違った。
ガゼルの動きが早すぎて、私が怪我を負ってしまった。
その後から、キリさんは何故か機嫌が悪い。
そんなキリさんの態度に、だんだん私もイラついてきて、喧嘩をしてしまった。
もともと、男女の手が繋がった生活。
今までキリさんは、たぶん大きなストレスを抱えていたと思う。
それが、爆発してしまったのか…
キリさんは一向に口を開かない。
私も、謝らない。
キリさんが部屋の扉を開けて、私も部屋に入った。
二人でベッドに腰掛けて、いつもなら二人で楽しく談笑したりしてるのに…
「本当はさ、この町にはガゼルが居るから早めに退散したいんだけど…」
キリさんが話し出した。
その声も、いつもと違う。冷たい声。
「やってみない?さっきの」
「…え?」
驚いて、キリさんの目を見上げる。
“さっきの”って、“キス”をして、離れるってこと?
シスターから聞いたときは、絶対にあり得ないと思っていた。
私たちは、今まで手を繋いでいるだけで、そんな感情をもっていなかった。
確かに、カーテンに仕切られた空間でお風呂に入ったり、横で寝たりはするけど…
「俺達、今こんなんだから、頭冷やしたほうがいいと思うんだよ」
耳に響く冷たい声、そういえばさっきから目を合わせていない。
「…わかりました」
もし、3時間距離を置いて昨日のような関係に戻れるのなら、と思って。
「…いいんだな?」
いいも何も、自分から言い出したのに…
そう思った瞬間、強引に唇が重なった。
「ッ…ふぁ…ぁ」
キリさんの舌が、私の舌と絡まる。
どうしたらいいのかわからない。
息が、できない。
ただ、ただこの行為の意味を考えると悲しくなった。
二人の唾液が混じる卑劣な音に、頭がしびれる感覚がした。
目を開けると、見えたのはキリさんの冷たい目。
初めてだった。
今してるのは、愛のないキス。
二人が離れるために行う“体液交換”
「…んッ…」
思わずこぼれた涙が、頬を伝った。
そっと、唇が離れて、銀色の糸がつたった。
「じゃあ、俺は行くから」
そう言って、唇をぬぐって去っていくキリさんを見て、また悲しくなった。
開放された手を見つめ、涙を流す。
そうだ、好きだったんだ。
気づくのが遅かった。
いや“気づかないように”していた。
「そういえば、ひとりぼっちになるのも久しぶり…」
私とキリさんは、離れることができない運命。
でも、それは私だけ…
私はキリさんがいないと生きていけない。
でも、キリさんにとって私はただの重荷だ。
私が、想いを伝えて拒否されたら―――?
もし、キリさんが私以外の人を好きになったら―――?
キリさんは、世界中の命を助けることができるかもしれない。
じゃあ、私は―――?
「死んだほうがいいのかな…?」
想いを伝えてはいけない。
彼に気持ちを知られてはいけない。
好きになってはいけない。
キリさん、好きです。
でも、本当はダメなんです。
2時間半がたった。
シスターの言うことが正しいのなら、あと30分。
鏡を見て、顔を確認する。
「…うん、泣いたのバレないよね。」
さっきまで赤かった目も、冷やしたら大分普通になった。
あと、30分。
何をしてキリさんを待とうか考えながら部屋を歩き回る。
しかし、なんだか体が重い。
キリさんと居るときは、あんなに調子がいいのに…
と、そのとき、呼吸に異常を感じた。
うそ、あと30分もあるのに…
“発作”が、起きた。
「…き、キリさ、…ッ!」
なんとか意識を保とうとした。
でも、苦しい。
あぁ、死ぬんだ。
さっきまで死のうか考えてたのに…
やっぱり死に対する恐怖を捨てることができない。
体の透過が始まった時、ドアの開く音がした。
「…エルー?…ッておい!」
キリさんが帰った。
離れていたのは3時間だけなのに、ずいぶん久しぶりに顔を見た気がする。
「大丈夫か!?」
急いで私の手を握るキリさん。
この温もりが欲しかったんだ…。
「…キリさん……」
「危機一髪だな、悪い…」
申し訳なさそうに謝るキリさんを見ると、胸が締め付けられる。
違う、違う、違うよ。
キリさんは悪くないよ。
私が悪いの。
「…あのさ、俺…」
「…ッ消えたいの!」
「ちょ、どうした!?」
やめて、そんな顔しないで。
心配そうな目で見つめないで。
やめて、やめて、やめてください。
「…私、キリさんが好きです。」
また、涙が頬を伝った。
「…本当は、ダメなんです。
想うことも、伝えることも、いけないんです。
………でも、無理でした。」
無理して封じ込めた気持ちが溢れる。
あぁ、これで終わり。
言わなきゃ。
「…キリさん、手を、離してください。」
そう言って、手を振りほどこうとした。
勢いよく手を引っ張って、立ち上がる。
手が、離れた。
もう一度、手を繋ごうとしたキリさんの手が宙で行き場を失った。
「来ないでください!」
そう言ったのに、消えようとしたのに、
やっと決心がついたのに…。
キリさんは私を抱きしめた。
とても強い力で、抜け出せない。
「…ゃっ、は、離してください!」
「勝手なこと言うな!!!」
キリさんが強い口調で言った。
「お前、本当に勝手だし、何してんの?」
そう、呆れたように言うキリさん。
「だって、好きになってしまったから…」
「俺も、好きだからいいの!!!」
「え?」
返事をしようとした口に、キリさんが口付けをした。
初めのキスとは違う感じがした。
何故か、口中が甘く、体全体がとろけそうなキス。
唇の角度を変える瞬間に息を吸う。
でも、やっぱり苦しくて。
「…ぁ」
唇が離れ、肩で息をしながらキリさんに問う。
「…なんで、こんなこと…、わ、わかりません」
「お前のがわかんねぇよ」
口調は厳しいけど、表情は優しく見える気がする。
「なんだよ、来たら消えそうになってるし、
その上、消えるとか言うし、
…好きとか言うし…」
キリさんはそう言いながら、私の手を引いてベットに座った。
私にも座るように促すと、また話し始める。
「俺が、エルーを好きなのは本当」
「私も、嘘じゃないです。この気持ちは」
「あれが嘘だったら、ぶん殴るぞ」
そう言って、キリさんは笑った。
ずいぶん久しぶりにその顔を見た気がした。
「えっと、じゃあ…これからもよろしくお願いします」
「ん、もう消えるとか言うなよ。
一緒に協会にいくんだろ?」
私は、笑顔で頷いた。
「はぁ…、今日はなんか疲れましたね」
いつもの会話、それだけなのに幸せな気持ちになる。
私達の想いが通じた、報われた。
「何?もう寝るの?」
「はい?眠くないんですか?」
そう聞くと、キリさんは恥ずかしそうな顔でいった。
「ごめん、我慢できねぇかも…」
最初は何のことかわからずに困惑したが、すぐに理解してしまった。
「なっ!?ななんてこと言うんですか!!??」
「あんな顔で好きとか言われた後に横で寝れるわけねぇだろうが!!」
「えっ!?で、でも…」
今まで生きてきた中で、そんなことを言われたのも初めてだ。
しかも私には“経験”がない。
「…俺じゃ、嫌…か?」
キリさんが急に真剣な顔で言うので、私の口も勝手に動いた。
「私…私は、き、キリさんがいいです」
そう言って、二人手を繋いだままベットに倒れた。