ふと、どろろは瞼を上げる。  
いったいどれくらいなのかは知らないが、少なからず眠りに落ちていたようにぼんやりと余韻がひいている。  
弾けるような音と、頬に熱を感じる。  
そして、人の動く気配。  
百鬼丸だ。起きていて、火の気を絶やさずにいてくれるのだろう。  
うまく作動しない頭で、ぼんやりとまた瞳を閉じる。  
と、  
百鬼丸が動いた。こちらに近づいてくるようである。  
僅かに反応しつつもなぜか狸寝入りを決め込む。  
頬の辺りに視線を感じて、微かに笑むような音が聞こえた。すると不意に百鬼丸の指が、頬をぐいと拭った。泥でもついているのだろう。  
いつもならば金的モノだが、今はそうしない。  
なぜなら自分は寝ているからだ。  
ごまかしつつどろろは狸寝入りを続けた。湧き上がる熱いようなぬるいような気持ちはきっと気のせいだと思いつつ。  
そして百鬼丸はどろろから離れて、元にいた場所だろう、座り込む。  
眠れなくなってしまった。  
なぜかは知らない。  
百鬼丸は暫く動く気配を見せなかったが、突然衣擦れの音がしだしてどろろは硬直する。  
脱衣しているのか。  
そう考えて想像してどろろはひとり赤くなる。心の中でかぶりを振って打ち払う。  
そして、  
 
「………、」  
「(!)」  
百鬼丸の吐息が漏れ聞こえた。どこか艶かしい響きに、どろろは想像をめぐらせるが、気のせいだと思い込ませた。  
だが。  
「…、……、…」  
百鬼丸のそれは止まらない。皮膚と皮膚が擦れ合うような音が聞こえだす。  
「(!!!)」  
なにしてやがんだてめぇ、そう言って起き上がろうと思ったが、できなかった。  
そこにいるのが、いつもの百鬼丸じゃなかったら。  
 
そう思うと、少し…、怖かった。  
 
擦れ音は激しさを増して、百鬼丸の喘ぎも強くなる。かみ殺した声は色気を帯びて吐き出され、やがて水音まで重なる。  
どろろはもうどうしようと頭がごちゃごちゃしていた。  
「(なにやってんだあいついやなにやってるかは大体想像つくけどいやそうじゃなくてだな)」  
気まずさと羞恥とで錯乱するどろろを尻目に百鬼丸の行為はエスカレートしていき、やがて、  
「…、…!あ………っ、」  
殺し損ねた喘ぎ声が漏れる。それがひどくどろろを反応させる。そんな自分がいやになる。  
それきり音はやんだが、吐息だけが残る。荒い呼吸。それにする耳を犯されている気がして、どろろは耳を塞ぎたくもなった。  
そして再び衣擦れの音がして、百鬼丸はふらりとどこかへ行ってしまった。  
どろろはその日、百鬼丸が戻ってきたあとも眠れなかった。  
 
 
次の日。  
百鬼丸はいつも通りだった。  
いつも通りの表情で、いつも通りに歩き、いつも通りに話していた。  
いつも通りでないのは、どろろの方だった。  
「どろろー。」  
呼ぶ声がする。百鬼丸だ。  
ふたりは今日も野営をしており、既に陽も沈みかけている。遠くで煙が昇っている。河原で魚を焼いているのだ。  
「どろろー、焼けたぞ!こっち来いよ」  
重ねて強く呼んでいる。なんとかああ、とかなんとかと言って応える。  
今日一日、どろろは百鬼丸と微妙に距離を置いていた。百鬼丸はそれを不審に思ってはいるようだが、深くつっこんだりはしなかった。  
焚き火をはさんでふたりは向かい合う。  
ただ静かに魚を食む音が僅かに聞こえるだけで、その間に会話はない。  
濁った雰囲気が流れていることを、互いに承知していた。  
いつもならば、どろろが色々と百鬼丸について穿り返してくるのだが、今日はそんな気にならず口は閉ざしたまま。  
百鬼丸のほうは会話のはじめかたすら分からないようで、落ち着かないながらどうしていいかもわからないようだった。  
本当は。  
本当は、いつもみたいに笑って、いつもみたいになんだこの乙女野郎、と背中を叩き飛ばして普通にしたいのに。  
できない。  
 
と、  
 
「…おめぇ、どうした?」  
とうとう百鬼丸が切り出した。どろろの胸中に、もやもやとした嫌な感情があふれ出る。  
「………なにも。なんにも、ねぇよ」  
「…。なんにもねぇんなら、」  
既に魚のなくなった棒を捨てて、百鬼丸が立ち上がる。大仰に反応するどろろを苦しそうに見つめながら、百鬼丸は続ける。  
「…なんにもねぇんなら、普通にしやがれ…。…」  
ちくりと刺されたように胸が痛む。違うのだ。そうじゃないのだ。しかし、何が違うのかもわからない!ああわからないったらわからない!  
ざ、と小石を踏んで百鬼丸が歩み寄ってくる。  
どろろのところまで辿りつくと、しゃがみこんで顔を覗き込んでくる。  
「…具合でも悪いのか」  
「……!」  
思わず、  
必死に背を向けてしまった。  
そしてしまった、と思った。  
きっと傷ついている。わけもわからず態度を変えられて。  
ちくりと刺された場所から痛みが溢れてきて、それがどろろの胸をいっぱいに濡らす。  
「…、どろろ…」  
声音は哀しそうだ。捨てられた犬かなにかの鳴き声に似ている気がして、  
「うるせぇや!あ、あにきが悪いんだろ!乙女だと思ったら男になって、そんでまた乙女になって、わけわかんねえんだよ!!」  
「わけわかんねぇのはおめぇの方だ!!」  
突然背中に大声が突き刺さる。  
振り返る。  
やっぱり。  
 
哀しそうな表情で、そこにいた。  
「…、なんだよ。俺がなんか、したか」  
「……ちが…違う。違うけど、違うけどよ…あーもう頭はじけちまいそうだ!!」  
どろろはぐしゃぐしゃと頭を掻き毟る。百鬼丸の眼は変わらなかった。  
「…。」  
乱れた髪に(もともと乱れているようなものだが)目をとめてか、百鬼丸の手がすう、と伸びてくる。  
すると不意に昨夜の『音』が蘇ってくる。  
 
この手は――――、  
 
ぱん、と小気味よく音は跳ねた。  
拒んでしまった。嫌じゃない。汚いと思ったからじゃない。嫌じゃなかった。でも怖かった。  
 
   
いつもと違っていた百鬼丸が怖かった。  
 
   
眼を見開いてこちらを見る百鬼丸の顔を視界に入れたくなかった。  
でも無理やり入れておく。その表情は暫くするときっと崩れ落ちてしまうだろう。そうなる前に言い訳しようと、どろろは咄嗟に口を開けた。  
「この、やややや!やるなら、俺のっ、いないとこでやれーーーーーーー!!!」  
沈黙が落ちた。  
 
水の流れだけがやけに心地良く残る。  
百鬼丸の瞠目は衝撃から疑問のものに変わり、今必死になって思考をめぐらせていることがどろろにもわかった。  
顔が、熱い。  
これは羞恥からなのだろうかそれとも。  
思考回路を働かせた結果辿りついたところに百鬼丸は、  
 
こてん、と転げた。  
 
「なっ…?!」  
慌てて覗き込む。  
魂の抜けたような顔で硬直している。  
かと思えば、急速にその頬は赤く身を帯びてきて、やがて耳どころでなく全身タコのように真っ赤になった。  
「……おめぇ、起きて…」  
その顔を両手で覆って隠すが、その赤みは隠せるわけがない。羞恥から震える声。  
「ば、ばかやろ!知られて恥ずかしいことなら最初からすんじゃねーハゲ!女みたいに喘ぎやがって!」  
実際にはそれほどでもなかったが、誇張された情報に百鬼丸はユデダコに変貌していく。  
暫くアホのように河原を転げまわっていたのだが、やがてそれも止み、ぽつりと百鬼丸はつぶやいた。  
 
「わりぃ」  
 
どろろは勢いよろしく空気を吸い込んだが、吐く言葉が見つからなかった。だから落ち着いて言葉をかけることにした。  
「……つーか、戻ってたんだな、全部」  
片金野郎と罵っていたが。  
「…だから、その、どんなもんかと…」  
しどろもどろと、百鬼丸。  
その姿にどろろは噴きだした。  
いつもと同じ百鬼丸がそこにいた。   
 
 
 
 
 
「ま、てきとーに処理しとけよな」  
 
「………」  
 
おしまい  
 

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