「桜さん、今、お時間よろしいでしょうか?」  
 自室の机の前で暗い影を背負い、椅子に座っている僕、草壁桜に妹天使のザクロちゃんの凛とした声がしました。  
 ドクロちゃんは、何も反応しない僕を、つまんなーいの一言で片付け、居間でテレビを見ています。  
 南さんの持つ盗聴テープを盾に取られた僕は結局、彼女に従い、幼馴染の静希ちゃんをレイプしたのです。  
 その後には、南さんとのエッチをして、挙句の果てには静希ちゃんを見捨てたも同然に置いてけぼりにしたのです。  
 僕の心情は重い物が圧し掛かり、とてもじゃないけれど、いつも通りの顔などしていられない。  
 家に帰ってからも僕は夕食も食べずに部屋にこもって、何度も溜息を吐くだけでした。  
「ごめん、ザクロちゃん……今、ちょっと……」  
「とても大事な、お話なのです。機能停止していたルルティエが、ようやく復帰しました」  
「え……?」  
 ルルティエというのはドクロちゃんやザクロちゃん、サバトちゃんが所属する組織の通称です。  
 元はと言えば、そのルルティエに僕は『人間にして神に近づく者』として排除対象とされていました。  
 しかし、今までは、そのルルティエが機能を停止し、僕への処遇は保留、監視するということで収まっていました。  
「バベル議長の働きでルルティエは機能復帰し、過去と同じように活動を再開しました」  
「…………」  
「引いては、草壁桜さん……あなたの処遇を改めて検討する方向で事態を進めています」  
「ルルティエか……やっぱり、僕は殺されるの?」  
 最初、ドクロちゃんが来て、サバトちゃんに事の真相を打ち明けられた時は大層驚いたのですが、今では自然と落ち着いていられます。  
 静希ちゃんや南さんのこともあり、今の僕では何が起きても放心としていることしかできないと思います。  
「いえ……」  
 ザクロちゃんが口元に手をあて、言葉を濁す。  
「実は、放免という形で桜さんには何の処置なしとの話も出てきています」  
「え? どうしてなの?」  
「桜さんの未来に……何かしらの変化がありました。詳しい事は調査中とのことです」  
 一度だけドクンと高鳴る僕の胸。  
 未来に変化があって、その僕は『神に近づく者』ではなくなったということなのでしょうか。  
 ザクロちゃんは普段の柔らかい表情とは違い、辛そうでいて唇を噛み締めていました。  
「実際の所、私はまだ報告を受けただけなので、これから未来に帰り、私も直接調査に参加致します」  
「え……じゃあ、ドクロちゃんもなの?」  
「いえ、お姉さまには桜さんを引き続き監視という名目で、残ってもらうつもりです」  
「そっか……」  
 何が名残惜しいのか、僕は暗い面持ちのまま、頭を垂れていました。  
 目の前に立つ妹天使は、普段滅多に見せない厳しい表情、それは組織だった人の顔。  
 そして、ザクロちゃんは、お姉さまをよろしくお願いします、と言い残してフッとその場から消えたのです。  
 ルルティエの機能復帰、ということは即ち、ドクロちゃんを始めとする天使たちは活動を再開するのでしょう。  
 もし、僕に無罪放免という決定が下された時、ドクロちゃんたちはどうなるのだろうか。  
 そんな重大なような事を考えようとしても、僕は大きな溜息一つでそれはかき消されました。  
 今となっては、静希ちゃんと南さんのことで頭が一杯でした。  
 僕は静希ちゃんのことが好き。だけど、南さんには逆らえない。  
 初めはこう思っていたのです。  
 そして、今ではそのバランスが崩れ始めているのかもしれませんでした。  
 それは、この後一本の電話で、僕が外に呼び出されたときでした。  
 僕を呼び出したのは意外にも静希ちゃんでした。  
 外は既に真っ暗で夜九時を回っていました。  
 逃げ出した衝動を抑えつつも、僕はマチュ・ピチュ自然公園へと向かい、噴水脇に佇んでいる制服姿である彼女の後姿を見つけました。  
 僕の気配に気付き、振り向いた静希ちゃんの表情は雲のように掴め取れない。  
 思わず、唾を飲み込み、僕は数歩離れた所で足を止め、先手に出ました。  
「静希ちゃん……その、僕は……」  
 言い訳がましい言葉に情けなく沈む自分を感じました。  
 僕の途切れた言葉の代わりに、静希ちゃんは柔らかい笑みを浮かべ、フッと動き出しました。  
 しかし、その笑みはまるで抜け殻のような、見掛け倒しの笑顔に思えました。  
 
「こっち、来て」  
 僕に近づくや否や、静希ちゃんは前触れもなく僕の腕を取って、ぐいっと引っ張ったのです。  
 彼女にしては強引な行動に、焦りが生じる。  
「え、え、静希ちゃん?」  
「早く」  
 戸惑う僕を半強制的に歩かせ、静希ちゃんは公園の端の木々の間に進んで行きます。  
 ただでさえ、周りは暗いのに、こんな木々の中はもっとおっかないものです。  
 自分の腕を強く引っ張る静希ちゃん。何故か、本当に力がこもっている。  
 静希ちゃんは、暗い場所が苦手なんじゃないのか、という思考が過ぎりましたが、そんな事は蹴って捨てる程度の疑問でした。  
 奥の奥まで来た時に感じたのは、まるで蟻地獄に引き込まれたような引き返せない感覚。  
 また一つ、ドクンと僕の胸が大きく鼓動しました。  
「…………」  
 どこまで端に来たのか、僕と静希ちゃんの前には塀が道を遮っていました。  
 そこで、ようやく静希ちゃんの腕は、僕の腕から離れ、僕にチラリと流し目をする彼女。  
 やっとの事で静希ちゃんの目の色がおかしいと、今更ながらに気づき、僕は小さい震えを感じた。  
 気づけば、一筋の汗が僕の額から流れ落ちていました。  
「あ、あの……静希ちゃん……?」  
「うん……なあに?」  
 普通の反応、のはず。  
 だけど、静希ちゃんの顔を見れば見るほどに、僕は何故か怯える。  
 今の静希ちゃんに仕立てのが自分という事を誤魔化して。  
「ぼ、僕は……帰らないと……」  
 僕の格好は学園の制服です。  
 その制服には、いまだに南さんの盗聴器が埋め込まれており、それを外すことは許されませんでした。  
 そして、ここで静希ちゃんと密会をしていたとなれば、南さんは何を言い出すか分かりません。  
「だーめ」  
「え……」  
 子供をあやすかのように砕けた口調で静希ちゃんは、そっと僕の首に腕を回し密着しました。  
 突然に迫る彼女の顔は妖艶な光で包まれ、怪しげな雰囲気を漂わせていました。  
「桜くん、大好き」  
「んっ!」  
 甘い言葉に乗せられた唇は、僕のそれに重なり、一瞬時が止まりました。  
 細く柔らかな体を押し付け、静希ちゃんの舌が僕の口の中に割って入り、暴れまわりました。  
 今までに見ない積極的な行為に、僕は何がどうなっているのか戸惑い慌てるばかり。  
 同時に感覚を鈍らせる強い香りが、僕の体を支配していく。  
「んんー……ちゅぅぅく……んっ」  
「んぐ、し……しず……んっちゅ……」  
 静希ちゃんの勢いに一歩後退れば、僕の背中に当たるのは冷たい塀の壁でした。  
 僕の両肩を掴み、少しの動きすらも許されない静希ちゃんとの熱いキスは蜜のように互いをねっとりと絡み付けます。  
 あまりの雰囲気に呑まれたせいか、絡める静希ちゃんの舌から送り込まれてくる唾液が甘く感じます。  
 以前にはない、まるで南さんの一部が乗り移ったかのように艶がかった空気が静希ちゃんを覆っているかのようです。  
「ん、んっ……ちゅ……はぁ……」  
 僕も静希ちゃんも滅茶苦茶な呼吸のまま、口を離したお互いを妙に見詰め合う。  
 熟れた果実のようにうっとりとしている静希ちゃんの顔や唇に熱く興奮してしまいます。  
 呼吸を整えることもせずに、不適な笑みの静希ちゃんは自らの制服に手をかけ、上着を脱ぎ払い。  
「桜くん……頂戴……」  
 シャツを肌蹴た彼女の下に映るものは、よく膨らんだ白い胸。  
 彼女が自身のスカートをめくれば、その下には僅かに輝く秘所が蠢いていました。  
「下着……つけていなくて興奮しちゃった……」  
 
 小悪魔のような笑みで、得意気に囁く静希ちゃん。  
 あの静希ちゃんが、所謂ノーブラ・ノーパンで、こんな淫らな格好をするなんて。  
 しかし、僕は失望よりも興奮の方が比べるまでもなく勝っており、今にも飛びつかないばかりです。  
 欲望とは尽きることもなく恐ろしいものです。  
 葛藤で微動に震える僕に、静希ちゃんはスカートを地面に落とすと、大きく足を開いたのです。  
「また、桜くんにね……犯されたくなったの……。桜くんも……したいんでしょ?」  
「……ぼ、僕は……」  
 静希ちゃんの丸見えになったアソコから一滴の雫が垂れ、僕はゴクリと唾を飲み込みました。  
 言葉が続かない。何故か、息苦しい感覚に襲われます。  
「そっか……私がそれ出してあげるね……」  
「……!」  
 不意に密着した静希ちゃんは、即座に僕の股間を撫でてはズボンのベルトをぐいぐいと外しにくる。  
 強引に外されたベルトの次には、力任せに下ろされるズボン。  
「あは、桜くんの見るのって久しぶりだね……。舐めても……いいよね?」  
 下着の中から顔を覗かせた僕のアレは嫌なほどに膨張し、跪く静希ちゃんの目の前にピクピクと震えていました。  
 半開きの瞳でアレを見据えては、熱い吐息を吹きかけたまま、静希ちゃんは一気に根元までアレを飲み込みました。  
 一瞬、僕の中の葛藤が消えて、僕のアレは静希ちゃんの口内で舌に巻きつかれ、快感という名の痺れを放ちます。  
「んぐっ、んっ、んっ、ちゅぶっ……!」  
「く、う……し、静希ちゃ……」  
 僕の股間からアレを?ぎ取るかのように、静希ちゃんの頭は激しい前後運動を繰り返し、いやらしい音をはっきり奏でていました。  
 彼女の口の生暖かさと激しい勢いで波に呑まれ、少しだけ体のバランスを崩してしまいました。  
「んっ、ちゅぽ、ぐちゅ、んっ、ぐ!」  
 一瞬、静希ちゃんが目線を上げ、僕と目が合いました。  
 すぐにまた、彼女は視線を目の前に戻しますが、垣間見た静希ちゃんの顔は不気味な笑みで染まっていたのです。  
 そして、何を思ったのか、更に愛撫の勢いを増す彼女。  
「んぢゅ、ぢゅくっ、んんっ、んぐぅっ!」  
「あ、くぅ……もたな、い……!」  
「ちゅうぅぅぅぅぅっ」  
 僕の言葉を合図に、静希ちゃんがアレをバキュームの如く吸い上げ、僕の中でドクンという音が聞こえたような気がしました。  
 同時に体の感覚が麻痺し、アレから何か熱い物が放出されました。  
 静希ちゃんはアレを咥えたまま瞼を潜め、ゴクゴクと喉を鳴らしていたのです。  
「はぁ、はぁ、はぁ……んっ! ぐっ!?」  
「ぢゅぅぅぅぅぅっ」  
 僕の放出が終わったかと思えば、静希ちゃんは更にアレを吸引し、出ないと思っていた液を更に引き出したのです。  
 僕は変な快感にビクリと震えて、文字通り、第二派を静希ちゃんに飲み込まれたのです。  
 そして、再びゴクゴクと喉を鳴らす静希ちゃん。  
「あ、あ……くぅ……」  
 ようやくの事で、静希ちゃんはアレから口を離したものの、肝心の僕は腰が抜けて、その場に崩れ落ちてしまう始末。  
 静希ちゃんは口元にかかった精液すら舐め取り、怪しげに微笑み。  
「ふふ……桜くんのジュース……美味しいな……」  
 そういえば、初めて静希ちゃんが僕のアレを愛撫した頃、彼女はこんな風だっただろうか。  
 あんな物、美味しいはずがない。なのに、今の静希ちゃんは……。  
 呑み込めない状況に加え、僕は眩暈さえ覚え、静希ちゃんの顔が霞んで見えました。  
「桜くん、そんな所に座ってると食べちゃうよ?」  
「え……食べるって……?」  
「あははは」  
 意味を読め取れない僕を馬鹿にしているのか、何かを面白がっているのか、静希ちゃんは意気揚々でした。  
 少し硬さを失った僕のアレを静希ちゃんが握り、手で上下に擦る。  
 そして、彼女は怪しげな瞳で僕に催眠術をかけるようにじっと見つめてくる。  
「えへへ……桜くん、可愛い……食べちゃおうっと」  
「う、あ……ま、待って……静希ちゃん」  
「やだ……もう持たないよ」  
 
 静希ちゃんの扱きによってすっかり直立したアレを自分の秘所に宛がい、彼女はまた微笑んだ。  
 果てしなく淫らで、僕を誘惑する静希ちゃんは、もはや別人としか思えません。  
「んっあ……はぁぁぁ……」  
 座り込んだ僕に、圧し掛かるようにして静希ちゃんはアレを自分の膣の中に包み込み、大きく息を吐き出しました。  
 ズブズブと奥まで飲み込み、根元にまで達した時、また彼女に唇を奪われました。  
「ん、んぐっ、むぅ……ちゅぅ、ぱ……」  
 積極的に舌を絡めては、僕の口内に自分の唾液を送り込む静希ちゃん。  
 僕の頭が塀にぶつかっても構わず、唇を押し当てキスを堪能しているようでした。  
 ふと、繋がった股間に動きを感じるかと思えば、静希ちゃん自身が腰を動かしていました。  
 キスをしたまま、僕たちは淫らにセックスに興じている。  
「むぐ、んちゅ……んっちゅ……」  
 静希ちゃんの振動はキスで繋がっている僕にも伝わり、いつの間にか僕も合わせるように腰を上下させていました。  
 ズチュズチュと怪しげな音がハッキリと聞こえ、それがまた興奮を高めて更なる快楽を誘う。  
 唇を離した僕も静希ちゃんも惚けた表情でお互いを抱きしめ、ひたすらに腰とお尻を揺らしていた。  
「あ、んくっ……桜く、ん……もっとして、いっぱい……!」  
「し、し……静希ちゃん……」  
「あんっ……あああっ、もっと欲しいっ!」  
「ちょ……し、しず……激し、いぃぃっ」  
 僕の勢いを遥かに凌ぐ、静希ちゃんのアソコは僕のアレを締め付けては、これでもかと頂に誘います。  
 そして、静希ちゃんは抱きついたまま、自分の豊満なバストを僕の顔に押し当て、その動きはまさに暴れ馬。  
 二つの柔らかな膨らみに挟まれ、体は余計に自由を奪われ、自分のアレにしか感覚を感じない。  
「あは、あははは……桜くんは、私の事好きだよねっ。私もね、桜くんのこと大好きだよっ」  
「んぐ、んっ」  
「こうしていれば、桜くんは私の……! ねえ、桜くん、出してよっ! たくさん流し込んでよ!」  
 羞恥心の欠片も感じられない言葉を羅列する静希ちゃん。  
 静希ちゃんの言動に僕は、ただ誘われるがままにボンヤリと限界に達しそうでした。  
「静希、ちゃん……もう……」  
「いいよ、来てっ。桜くんの早く、欲しいっ」  
 瞬間、静希ちゃんのアソコがギュッと締まり、僕のアレは搾り出されるようにしてまた放出をしたのです。  
 僕が小さく震えると、次には静希ちゃんが震え、僕たちの動きはピタリと止まりました。  
 繋がっている二人のアソコが熱い。精液を流し込んだせいで、余計に熱く感じてしまう。  
「あははは……うふふ……あーあ、出しちゃった……」  
 面白がるように、不気味な微笑みと共に満足そうな静希ちゃんは、まだ繋がっているアソコを撫でます。  
 惚けた状態の僕には、そんな事さえも流し聞きしかできません。  
「私と桜くんの赤ちゃん……出来ちゃうかもね……あはは」  
「……あ、う……」  
 滅茶苦茶だった。どうして、こんなセックスをしているのだろうか。  
 しかし、そんな疑問に答えてくれる人は誰もいなく、僕はまた静希ちゃんと肌を重ねたのです。  
 それも、何度も彼女の膣の中に自分の分身を放出して。  
 日付が変わった頃、どの足取りで家に帰ったのかも覚えていません。  
 
 
「おはよう、桜くん」  
 朝、いつものように学園へ登校する途中、いつでも元気爆発のはずだったドクロちゃんが何故か重く憂鬱な挨拶を返されました。  
 その珍しく暗い彼女から、今日は学園に行きたくないと撲殺もされずにただ無視されたように拒絶されたのです。  
 変に虚しい空気が僕の中をぐるぐる彷徨い、まだ、僕自身も暗い影を抱えたまま、家を出ました。  
 そして、玄関を開けたら僕の家の塀に寄りかかっていた静希ちゃんがいたのです。  
「し、静希ちゃん……どうしたの?」  
「ね、桜くん」  
 ふわりと軽やかな動きで僕の腕に自分の腕を絡める静希ちゃん。  
 ただでさえ、昨夜から静希ちゃんに対して何かしら落ち着かない雰囲気を感じているのに、これではまるで火に油を注ぐようなもの。  
 文字通り、腕組みをしている静希ちゃんの瞳は昨夜と変わらず色を読み取ることができません。  
「一緒に学校行こう、ね?」  
「う、うん……」  
 僕の暗い返事も、あたかも聞いていないように静希ちゃんは嬉しそうに頷き、僕の腕を引っ張りつつ歩き出しました。  
 確かに今の静希ちゃんは一見すれば嬉しそうでした。  
 途中擦れ違うクラスメイトは僕たちの光景に驚きますが、静希ちゃんの態度は到って平然でした。  
 寧ろ、自分たちが恋人と見られているのが嬉しいくらいに生き生きしていました。  
「あのさ、静希ちゃん。校舎の中だし、腕を解かないと……」  
「まだダメ。教室に入るまではこのまま……」  
 僕が離れようとした意図を素早く察知され、静希ちゃんは両腕でひしと僕の腕にしがみつきます。  
 結局、僕と静希ちゃんは校舎の中に入っても腕を組んだまま、教室へと向かいます。  
 通学路と同じように今度は擦れ違う先生たちが様々な困惑に襲われたように顔を歪めていました。  
 教室に入った時にも、既にいたクラスメイトは僕たちの姿に一瞬、唖然としていました。  
 嬉々として、うっとりしている静希ちゃんを他所に、僕はいまだに後ろめたさだけを引きずり、落ち着かないばかりです。  
 しばらくして、南さんが田辺さんと一緒に教室にやって来るのが垣間見えました。  
 席についてからもホームルームまでの自由時間のお陰で、静希ちゃんは僕にベッタリです。  
 南さんの出現に内心、冷静さを更に狂わされ、彼女との視線を極力避けます。  
「…………」  
 静希ちゃんの抱擁と、どこからか感じる南さんの冷たい視線に板挟みにされる僕。   
 ホームルームが始まるとやっとの事で静希ちゃんは離れますが、授業の合間の休み時間になるとまたベッタリでした。  
 午前最後の授業である体育が始まり、女子が更衣室に向かう寸前、ふと、僕の席の後ろから気配を感じました。  
 その気配は風に乗るかのように僕の席を通り過ぎて、フッと教室から出ていきました。  
 南さんが僕の席を通り過ぎ、その時、机の上にヒラリと一枚の紙を乗せられていました。  
 
 
「どうして、呼び出されたのか分かる?」  
「…………」  
 午前最後の授業が終わった時、僕は体育倉庫の中で体操着姿の南さんと向き合っていました。  
 南さんは跳び箱の上に座り、腕と脚を組んで僕に冷ややかな眼差しを突き刺してきます。  
 僕の方は言い逃れできる言い訳もなく、まさに途方に暮れて木偶の棒の如く、突っ立っているだけでした。  
 僕が黙っていると、南さんは髪をかきあげ、呆れたように溜息一つ。  
「よくもまあ、見せ付けてくれて……私への宛て付け? それともそんなに、あのテープ流されたいの?」  
「ち、違う……!」  
「何が?」  
「あれは、いきなりだったから……つい雰囲気に呑まれちゃって……しちゃっただけで……」  
「あら、私は教室での事を言ったつもりなんだけど、何のことかしら?」  
 わざとらしい南さんの微笑み。分かっているくせに、と心の中で毒づいている自分がいた。  
 正直、こうして南さんと対面していても何を言えばいいのか分かりません。  
 ただ、南さんを刺激してはいけないという、当然のようなルールだけが僕の頭を彷徨っていました。  
「まあ、いいわ……私もまだ言ってなかったし……」  
「……え? 何が……?」  
 ちらりと横目で逸らすように、明後日の方を向く南さん。  
 
 彼女の背中はポーカーフェイスの裏を見ているようで僕は余計に気が焦り、彼女の答えを待つほど、手に汗が滲んできます。  
 再び、南さんが僕に向き直った時、彼女のポーカーフェイスを見て、僕はまた沈みました。  
「これからは水上さんの誘いは全部断って」  
「そんな……! 今まで通り接していいって……!」  
「気が変わったの。それとも逆らうの?」  
「…………」  
 返答の変わりに黙った僕は、自分が了承したのだと悟ってしまった。  
 言葉では確かに僕は南さんに反発しています。  
 けど、一枚皮をめくった向こうの自分は、彼女の意のままに頷いてしまう。  
 南さんの脅迫も今では何かの口実なのかもしれない、と囁いてくる自分も否定できない。  
「それに……そんなにしたいなら私が相手、してあげる……」  
 腰掛けた跳び箱から降り、寄って迫って来ては僕に密着する南さん。  
 一瞬、何故か額から零れる一筋の汗が僕に警告を促す。  
 しかし、そんな警告さえも僕は一歩後退ることで終わらせてしまいました。  
 南さんの白くて小さな手が僕の胸板にそっと寄せられ、ほんの少し爪先立ちになる彼女に魅せられて、僅かに映る僕と南さんの影が繋がった。  
「んむ……ちゅ……んんっ……むぅ……」  
 僕たちの口から絡み合う二つの舌が見え隠れし、淫靡な音を奏でると共に気分さえも高揚する。  
 そして、僕の胸に置かれていた南さんの手はいつの間にか僕の股間へと移り、アレを体操着の短パンの上から擦り扱いていました。  
 その時ばかりは僕も対抗心を持ったのか、自らの手を彼女の体操着のブルマーへの中へと無理矢理突っ込み、直にアソコを愛撫します。  
「んっぐ……あ、むちゅ……あふぅ……」  
 直接触れられたのが効いたのか、南さんは体をわずかに捩らせると共に脚が微かに震えていました。  
 お返しとばかりに南さんも僕の短パンの中に手を入れ、直に僕のアレを扱いてはぎゅっと握り締めます。  
 キスをしながらのお互いの愛撫が更に行為に対して火を点け、油を注いでいました。  
 互いの股間を弄り、まさに等価交換のように僕たちはひたすらに気持ちよさだけを求めていました。  
「ちゅ……ぐちゅ……ん、ふぁ……」  
 ねっとりとした液を残したまま二人の口と手は離れ、絡みつくのは二人の吐息だけ。  
 南さんは飛びつくようにして、僕の股間に顔を埋めると、おもむろに僕の短パンを下着ごとずり下ろした。  
 見れば南さんの顔は深く紅潮し、僕同様に平静ではありませんでした。  
「ん、んぐっ、ぢゅぅ……」  
 先端が濡れかかったアレを露にした彼女は何の迷いもなく、その一物を小さな口を開いて飲み込みます。  
 瞬間、突然の快感で足元を崩したのか、僕は床に敷いてあった白いマットに座り込んでしまいました。  
 それでも南さんは僕のアレから口を離さずに、一緒に体勢を低くしてそのまま、更にアレを飲み込み、激しく舐め回します。  
 僕は足を開き、その間から小柄な女の子が自分のアレを咥え込んでいた。  
「んっ、んん……むぅちゅ……」  
 南さんは口を離したかと思えば、舌先で丹念にアレの周りを舐め挙げては、いやらしくアレの先端を突付いてくる。  
 そして、南さんは自分の手を後ろに回すと何やらとモゾモゾと動き、体を大きく動かした。  
 僕に仰向けになるよう促すと、南さんは僕の上に寝そべるようにして、露になったお尻を僕の顔に突きつけてきた。  
 チラッと横を見ると、転がっているのは僕の短パンと南さんのブルマーとショーツだった。  
 そうして、南さんは僕のアレを再び舐め回し、僕は南さんの割れ目を目前にして頭が焼けてしまいそうです。  
「んむっ……ちゅく……ちゅちゅぶ……」  
「あ、んう……」  
 しかし、すぐに南さんの愛撫に感化され、僕の舌はすぐ前の南さんの秘所を這いつくばっていました。  
 彼女の小さなお尻を両手で掴んだ時、南さんが小さく震えたのが可愛く思え、変な刺激を受けます。  
「あっん……あふ……んんあ……」  
 僕が南さんのアソコを強く舐めると、彼女はアレから口を離して、強めに喘ぎを漏らします。  
 お尻からの快感に南さんはえび反りに背を曲げると、ちらりと僕の顔を見つめました。  
 その一瞬の彼女の顔がとても色っぽいと感じてしまいます。  
「う、んあ……ああうっ……んっ、桜くん……あぅ……」  
 僕は必死に南さんのアソコを舐めては舌先で小突き、あるいは中に侵入させて暴れ回します。  
 割れ目付近にあった小さな粒を見つけると、それを直接吸い上げ、舐め回します。  
 
「あああっ……いいっ……うっくぅ……ああんっ」  
 南さんは一層強く喘ぎ、小さく震えると僕の手を振りきり、すくりと立ち上がりました。  
 釣られるようにして、僕も身を起こし、まだかまだかと彼女の体を舐めるように眺めました。  
「桜くん……もういいよね……」  
 そう言って、体操着のシャツもブラも脱ぎ捨て、南さんは僕に再び覆い被さりました。  
 身を起こした僕のシャツを脱がし、僕と南さんは一糸纏わぬ姿でお互いを重ね合わせました。  
「あんっ、あぐっ、はぁ……んあっ」  
「み、南さん……!」  
 僕たちは正面で向き合い、僕は南さんの体を脚から持ち上げ、南さんは僕の首にしがみ付き、二つの体をしならせます。  
 相変わらず、僕らの結合部分から淫乱な音と液が漏れ、そこから二人の体をどうしようもなく熱くさせていきます。  
「あ、あんっ……ふあっ……桜くん、激しい……!」  
「……じゃあ、ゆっくりする……?」  
 そう言って、ペースを下げると頬の赤い南さんは拗ねたように。  
「意地悪……」  
 一瞬だけ目が合い、南さんは熱く深いキスで僕の唇を奪い、懸命に舌を暴れ回します。  
 そのキスで再びスイッチが入り、僕の動きはまた先程の勢いを取り戻します。  
 南さんの愛液が漏れすぎて、それが潤滑油となってグチュグチュと淫らな音がハッキリ響きました。  
「あっはぁっ、やっぱり……これ、いい……」  
 僕の動きに揺らされて、南さんは怪しい微笑みと共にアレを飲み込んでいる膣を締め上げた。  
 その僅かな締め上げで僕は限界に導かれ、体の震えを感じました。  
 僕に抱かれる南さんは僕の表情を容易く読み取り、更に笑みを強めました。  
 そして、強引に自分の体から僕自身を抜き去ると、南さんは床に脚を着き、お預けでもするかのように背を向けた。  
 彼女の背中を見ていると、僕は置き去りにされたような幼い子供の如く、南さんを追いかけてしまう。  
「待って」  
 僕の気配を察したのか、南さんの小さな声に僕の動きはピタリと止まる。  
 チラリと後ろ目で確認した彼女は満足そうに微笑み、四段に積み上がった跳び箱の上に乗りかかった。  
 跳び箱の端に座った彼女は僕に体を向け、淫らに脚を徐々に開いていく。  
「ね……どうせ、なら奥まで入れて出した方が……気持ちいいでしょ?」  
 何も纏わない南さんの肌は薄暗い倉庫の中でも白く輝いているようでした。  
 細く延びた足は開かれる門の如く、ゆっくりと左右に開き、再び僕の前にその蜜の巣が映し出されました。  
 もう頭が痺れる感覚も越えて、性欲を満たすことしかできないお粗末な思考しか僕にはありませんでした。  
「桜くんは……私の事、孕ませたいでしょ……?」  
「……あ……う……」  
 何がどうなっているのか。南さんの言葉で僕は軽い痙攣さえしていた。  
 明らかに誘っている。今更、それを振り解くだけの気力はどこにもありません。  
 自分の秘所を丸出しにしている南さんは怪しく舌なめずりをすると、また微笑みました。  
「私はいいのよ……妊娠させて……?」  
 無意識に動き出す僕の足。  
 跳び箱に乗りかかっている南さんの脚を手で押し広げると、僕は焦った顔つきでアレを南さんの濡れたアソコに押し当てる。  
 ぬるっとした感触を味わい、少し押し込んだだけでも中に入ってしまいそうでした。  
 瞬間、南さんの不気味な微笑みと共に誘う声。  
「そう……奥まで入れるの」  
 突然にして沸き起こる焦燥感。  
 しかし、そんな感情とは裏腹に僕のアレは南さんの中に何の抵抗もなくズブズブと入っていく。  
 入れた瞬間にヒヤリと背筋が寒くなりますが、挿入されてゆくアレはいやに熱く感じてしまいます。  
 そして、僕と南さんの肌が重なり、奥まで飲み込まれた時、僕は自分が肩を震わせているのに気づきました。  
 
「どうしたの、桜くん……」  
 正面から向き合い、お互い息のかかる距離だった。  
 奥まで入れたのに動き出さない僕に、どこか心配そうな声色を見せる南さん。  
 興奮しているのか焦っているのか、僕は肩で息をしては小さく震えるばかり。  
 ふと、僕の頬に南さんの手がフッと乗せられました。  
「大丈夫よ、桜くん。動いて……」  
「…………」  
「水上さんより……気持ちよくしてあげる……」  
 南さんの僕の頬に振れる手は、僕の顔を両手で包み込み、彼女は真っ直ぐに唇を重ねた。  
 お互いに目を閉じる事もせずに、ただただ舌を絡ませては必死に求め合う。  
「んっちゅ……むぅ、あっ! 桜くんっ、あんっ」  
 呆然とした中、僕の体は勝手に動いていました。  
 もはや、何の制御も持たない僕は機械人形のように南さんを必死に突き立てます。  
 快楽に埋もれてしまえば、後は南さんの体を付くしか本能が動かない。  
 南さんは僕に体を揺すられながらも、自分の腰を振るに振って、僕のアレを刺激しようとします。  
 僕は夢中になって、南さんの中を掻き回しては早く吐き出したい気持ちで一杯です。  
「はぁぅっ、桜くんっ、すご……激しい……」  
「あ、あ、南さんっ! もうっ!」  
「んあっ! あああっ、いいよ、もうちょっとで……私も!」  
 そして、数秒もしない間に僕たちはお互いに限界に達していたのです。  
 何かで墜ちながら快楽を噛み締めつつ、僕と南さんはグッタリとマットに倒れ込みました。  
 
 
「桜くん」  
「何、どうしたの?」  
 脱ぎ散らかされた体操着を慌てて着なおす僕は、背後からのクールボイスに声が裏返ります。  
 何かと思って振り向くと、体操着を着直した南さんはまだ僕に背を向けたままでじっとしていました。  
 不思議な沈黙が通り過ぎて、しばらくすると南さんの口が動いたようです。  
「来週の日曜……自然公園の噴水で待ってて……正午ね……」  
「え、今度は何なの?」  
「別に……その時に話すわ……」  
 彼女にしては曖昧な口調。  
 くるりと僕に向き直った南さんの頬は気のせいか、ほんのわずか赤に染まっていました。  
 ひょっとしたら行為の余韻なのかもしれません。  
 僕は得も知れない彼女の雰囲気を完全に怖がらずにいられました。  
 何か柔らかい。  
 南さんに襲われて間のない頃は、時折見せた彼女の雰囲気によく似ていました。  
 けど、それは南さんが僕の驚異でなくなったと錯覚させるだけの彼女の演技だった。  
 また、僕は何かを目的とされて騙されているのでしょうか。  
「桜くん」  
「あ、うん。何?」  
 一瞬、物思いに耽っていた僕は南さんが密着しているのにも気づかなかった。  
 南さんの細い両腕が僕の腕を包み、その目で真っ直ぐと僕を見つめていました。  
 これといった邪険な蠢きもない彼女の瞳に僕は、自然と落ち着けることができました。  
「昼休み、もうすぐ終わるよ」  
「あ……もう、そんな時間なんだ」  
「お昼、食べる時間もないかも」  
 僕の腕にくっついたまま、南さんはふっと視線を逸らすとパッと離れたのです。  
 彼女の行動が理解できず、僕はついついボーっと体操着姿の南さんに見とれるばかり。  
「出ないの?」  
 体育準備室の扉に手をかけている南さん。  
 僕は慌てて頷くと、重そうな扉を開けるために僕も取ってに手をかけます。  
 一緒の取ってに手をかけてしまった僕の手は南さんのそれに触れていました。  
「桜くん、手伝ってくれるのはいいけど、反対の扉を開けてくれない?」  
「ご、ごめん」  
 何故かあたふたしたまま、僕は反対側の扉に手をかけ、二人で開放しました。  
 薄暗い中に居続けたせいで、外の光が一瞬眩しすぎて目を覆う僕。  
 光に慣れた時、手持ち無沙汰だった僕の右手に温もりが生まれていました。  
「どうせ、触るなら……こうしない?」  
「あ……」  
 
 南さんは僕の手を握り、とても小さい微笑みを浮かべていました。  
 日の光を浴びている南さんは白くて綺麗だった。  
 南さんと手を繋いでいるという認識の下、僕は急にドキドキしてしまいました。  
 思ってみれば、南さんと手を繋いだ事なんて一度もありませんでした。  
「桜くんの手、私とあんまり変わらないんじゃない?」  
「え、僕の手ってそんなに小さい?」  
「だって、元が元だし。小さいと思う」  
 さり気なく傷つく事を言われても、今の僕は何故か頬が緩まずにはいられませんでした。  
 体育準備室を出て、僕と南さんは短い道なのに手を繋ぎ、歩いていた。  
 こうしている南さんは正直に、可愛いと思いました。  
 エッチをしている彼女は過激だけど、今こうしている姿は好きだった。  
 僕の中で天秤が少しずつ傾いて行っては戻りそうになる。  
 話の途中、南さんは小さく何度か笑った。不思議と僕も楽しかった。  
 けど、どこかで何かの影が動いたことには、僕と南さんも気づきはしませんでした。  
 
 
 数日を経て週末に。そして、日曜日。  
 この数日の間にも静希ちゃんは過激なスキンシップで僕に迫り、性交を要求しました。  
 何度か断ろうとした時、静希ちゃんは僕を無理矢理に押し倒し、襲いかかってきます。  
 それも一日に一回、二回でもなく、最悪に行けば七、八回は続けざまに行為を強制してくる静希ちゃん。  
 静希ちゃんは行為を重ねる度に満足気に喜んでは、僕を蹂躙します。  
 しかし、肝心の僕はというとはっきり言って快楽地獄とでも言えばいいのでしょうか。  
 静希ちゃんのセックスの仕方は、南さん以上に強烈で快楽を越えて苦痛さえ感じられます。  
 僕と彼女のセックスは常に、静希ちゃんが主導権を握り、僕は限界に導かれて、彼女の膣の中に精子を放出する程度。  
 大切な幼なじみはいまや、羞恥心を捨てて、僕を貪るように絡みついてきます。  
 そんな静希ちゃんは、日曜にも襲ってくるかと思えば。  
「大事な用事があってね」  
 と言い、僕にディープキスを浴びせて週末学校で別れたのです。  
 僕としては、どんな言い訳で切り抜けようかと必死でしたが、返って好都合でした。  
 日曜の正午の手前、ザクロちゃんの姿もなく、ドクロちゃんはまだ寝ていました。  
 僕は素早く必要最低限の準備を済まして、家を出ました。  
 まだ時間に余裕を持たせたまま、自然公園に入り、噴水手前の所で僕はふと首を傾げました。  
 噴水脇のベンチに人影が見えたのです。言うまでもなく、それは南さんでした。  
 ちょこんとベンチに腰掛け、ちらりと腕時計に目を通した彼女。  
 白を基調とした薄いピンクの模様が入ったワンピースに、黒地で刺繍の入ったカーディガンを羽織り、肩にはミニバッグの紐。  
(あ、可愛い……)  
 一瞬、ぼうっとしてしまったせいか足が動いたのにも気づきませんでした。  
 近場で響いた僕の足音に、南さんの顔がこちらに向きました。  
 南さんに見つかった事がよほど怖かったのか、僕は無意味にビクリと震えていました。  
「桜くん」  
「は、はいっ」  
「……声が裏返っているけど?」  
 ボケッと突っ立ているだけの僕に、南さんは駆け足で寄ってきては呆れている様子でした。  
 普段滅多に見ないポーカーフェイスの上に乗せられた微笑みが今の彼女にはありました。  
 あれ、遅れたから怒られると思ったのに……?  
「み、南さん、随分早いんだね。まだ、約束の時間には余裕あるけど」  
「そうね。でも、早く来たかったら来ただけよ」  
 特に僕を咎めるつもりもなく、南さんは風に揺らされている髪を撫でていた。  
 そんな何気ない仕草に僕はまた不意に胸が高鳴った。  
 噴水はパシャパシャと吹き上げられた水を水面に散らして爽やかな音を奏でていました。  
 あれ、何だかこのシチュエーションってデートみたい?  
 いやいや、相手はあの南さんだぞ。  
 
「南さん、これからどうするの? 何かするの?」  
「ん、そうね……別に決めてないの」  
 彼女にしては珍しく曖昧な言葉。  
 いつもなら、こうするああすると僕に逐一命令を下してくるというのに。  
 小首を傾げて考える南さんは何か閃いたように手をぽんと打った。  
「そういえば、桜くん。もう、お昼取った?」  
「あ、ううん、まだだよ。言われると何だか、お腹空いてきたかな」  
「私もまだだから、一緒にお昼食べに行こう」  
「うん、そうだね」  
 何かが引っかかるようで引っかからない会話の後で僕は南さんに続く形で公園を後にした。  
 そして、二つの影にもう一つの影。  
 
 
 少し意外だったけど、南さんはファーストフードで昼食を取りたいと言い出してきました。  
 普段、こういう所には行かないので行く度に美味しいと感じるみたいです。  
 シンプルな食事のお陰で僕は変に緊張もせずに、リラックスできました。  
 向き合った席の中、僕はハンバーガーに小さな口でかぶりつく南さんをチラチラと見ていました。  
「桜くん、ポテトこぼしてるよ」  
「え、あ、あ……」  
 リラックスし過ぎたのかつい宮本と食べに来ている感覚で食べ進めている自分が恥ずかしいものです。  
 僕は慌てて紙ナプキンで零したフライドポテトをトレイの上に戻しました。  
 そんな僕の様子を一見呆れているかのように思えた南さんは、カップの紅茶を啜りながら笑っていました。  
 さっきまで緊張しているのがとても馬鹿みたいに思える。  
 よく分からない空気に、今目の前にいる南さんの柔らかな姿勢は僕を戸惑わせては安心させるばかり。  
「そういえば、この後どうするの?」  
 待ち合わせの噴水でも同じような事を聞けば、また南さんは小首を傾げて悩んでいました。  
 本当に何もする予定はないのでしょうか。  
「桜くんは何かしたいことある?」  
「え、僕?」  
 残りのハンバーガーを食べてしまおうかという所で手を止め僕も同じように悩む。  
 何かのネタがないかと思ってチラリと窓の外へ目をやると一つの看板が目に付きました。  
「見遅れた感想はどう?」  
「そんな感想の求め方ってないと思うよ」  
 僕と南さんは上映し終わった映画館の中から出てきて日の光を浴びていました。  
 ファーストフードショップで僕が見たいと言い出した映画は既に南さんは鑑賞済みでした。  
 思えば、その映画が結構前から放映されていたのですが、南さんの事もあって忘れていました。  
 それでも、僕につき合ってくれて南さんは満足そうでした。  
「今回のも面白かったなー。続編まだかなー」  
「全然まだ先」  
 素っ気ない南さんの返答が今は何故か心温まります。  
 僕の隣を歩く彼女、南さん。  
 嗚呼、僕はこの子とデートしてるんだ。  
 そんな緊張混じりな事を考えていると僕の手の平に小さな感触と同時に温もりが伝わってきます。  
 案の定というか、南さんの小さな手が僕のそれを捉えていました。  
「え、あ、南さんっ?」  
 一瞬、体が震えたのではないかと思う錯覚。  
 今更ですけど、やはり彼女の突然の行動には対応しきれません。  
 僕の驚いた表情を見て、南さんは何故か小首を傾げて手を離しました。  
「こっちの方が良かった?」  
 と言って、当然のように自分の腕を僕の腕に絡める彼女。  
 間近に迫る南さんの整った小さな顔。  
 セックスの時などは意識してなかったけど、日常でこんなに彼女の顔を間近で見たことはないかもしれません。  
 何度も何度も思うけど、やはり南さんは可愛らしい女の子でした。  
 
「桜くん、歩かないの?」  
「え? ご、ごめん。止まってた、僕?」  
「動いてないじゃない、さっきから」  
 腕を組んだ事に緊張しすぎてしまったのか、僕は人混みの中、木偶の坊のように止まっていたのに気づきました。  
 周りの人たちがチラチラと僕らを見ては鬱陶しがる人たちもちらほらと。  
 状況を把握すると、勝手に足が動き出し、南さんも黙ってそれについてきました。  
「ひょっとして桜くん、緊張でもしてるの?」  
「だ、だって、女の子とデートだなんて、そんなにしたことないんだよ、僕は」  
「ふうん……デート……」  
 僕の顔から目線を逸らしつつ、頬を染めた南さん。  
 もしかして、デートって言ったのまずかったのかな?  
 僕だけがデートと思いこんでいるのでしょうか?  
「桜くんもそういう気分なんだ?」  
「え? うーん、そうなんじゃないかな……」  
 何だか、よく分からない状況。  
 目線を逸らして何故か俯いている南さんを隣にして僕は言葉に詰まり、黙って歩く。  
 どうしたらいいんだろう、と迷っていると不意に腕をグイッと引っ張られる感覚で意識が現実に戻りました。  
 南さんが僕の正面に立って、軽く手を引いていたのです。  
「そういえば、桜くんってプリンが好きだったんじゃない?」  
「うん、好きだよ。でも、プリンがどうかしたの?」  
「私、プリンが美味しい店知ってるの。だから……行ってみない?」  
「あ、行く行く。最近、食べてなかったからちょっと恋しかったかも」  
 好物の話を持ちかけられたせいか、僕の頬がゆるやかに緩んでいきます。  
 不謹慎だったか、と思っても、それを見る南さんは柔らかい笑顔で応えてくれました。  
「良かった。じゃあ、こっち。あんまり遠くないから」  
「う、うん」  
 そよ風に押されるような軽やかな手引きをされ、南さんはまた微笑んだ。  
 失礼ではありますが、今の南さんは普段とのギャップを感じずにはいられません。  
 一番困っている事は、南さんが今何を考えているのかということでした。  
 普段から思考の読めない彼女でしたが、今こうして僕とデートしている南さんはもっと理解できません。  
 彼女の心理を探ろうとすれば、彼女の笑顔でそんな疑惑心は消えていき、僕自身の思考が追いつかなくなります。  
 でも、一つ言える事は、南さんとのデートは素直に楽しい。  
 例え、僕を何かに利用するための偽装行為であったとしても。  
 心の奥底で、もっと服装に気を遣っておけば良かったと浮かれている自分が馬鹿にも思えませんでした。  
 これが、彼女自身の魅力というものなのかもしれません。  
 
 
「もう五時回ってる……早いなー」  
「疲れた?」  
「いや、そういう訳じゃないんだけどね」  
 夕日が室内を照らし、南さんの部屋で僕は床に腰を下ろしました。  
 色々街を歩き回り、南さんに自分の家に招待されてきたのです。  
 しかも、案の定というか彼女の家には誰もいませんでした。  
 僕としても断っても聞いてくれないであろうと、素直に受け入れたものの、別段何もないのです。  
 南さんの家にやってきて一時間くらい経つのですが、僕と南さんは会話しているだけ。  
 彼女はベッドに腰掛け、足を組み直しては髪を弄り、僕の方をチラチラと見てくる。  
 僕はおかしな緊張感で床に座っているだけ。  
「桜くん」  
「ん?」  
「……しない?」  
 来た。意味が分からない訳じゃない。  
 しかし、気のせいか南さんの様子はいつもと違う。  
 そうだ、今日の南さんは全部が違う。  
 照れたり、優しく笑ったり、今みたいに僕を誘った彼女の頬はわかりやすい程に赤い。  
 普段は見え隠れするような表情の変化しか見られない南さんが今日はまるで百面相です。  
 
「……いいよ」  
 どうせ、断っても聞いてもらえない、と言う先入観で僕は無意識にそう答えていました。  
 僕は立ち上がり、ちんまりとベッドに座っている南さんを見下ろします。  
 今一度、窓から差し込む夕焼けの光に照らされた彼女の頬は赤い。  
 ふと、南さんが座ったままで動かない。  
「ねえ……来て」  
「…………」  
 言葉と共にゆっくりと腕を広げる南さん。  
 僕の錯覚か、南さんの髪が大きく靡いたような光景が目に映りました。  
 ハッとした瞬間、再びオレンジ色の光で包まれた南さんが目の前に迫り、僕は。  
「あ、ん……」  
 南さんの細く脆い声が響き、僕は南さんの胸に顔を埋めていました。  
 ゆっくりと細い両腕が僕の頭を包み、その柔らかな胸にきゅっと押し込もうとしていました。  
 膝立ちのまま、暖かな感触に気が緩み、僕はそのまま寝てしまいそうになりました。  
「桜くん、気持ちいいの……?」  
「……うん、暖かくて……心地いい」  
 こんな事したことあったっけ。  
 女の子の胸って柔らかいし、それにとても包容力がある。  
 ふと、僕の中で南さんに対する幻想が弾け、その奥から幼なじみの顔が浮かんできました。  
 静希ちゃん……。  
 そうだ、僕が女の子の体が愛おしいと思ったのはこの子じゃない。  
 静希ちゃんに告白されたその日に、僕は彼女を抱いた。  
 静希ちゃんの体は細くて白くて、とても繊細で崩れてしまいそうだった。  
 守ってあげなくてはいけない、ともう一人の僕が本能的にそう告げていたのです。  
 ふと先日までの静希ちゃんが思い浮かぶ。  
 淫らに僕に迫り性交を強要してくる静希ちゃん。  
 それまでの静希ちゃんとは性格がまるで変わってしまっていた。  
 あんなにも大人しくて汐らしい女の子だったのに。  
 けど、そんな状態にまで追いつめたのは僕の責任でもあるのです。  
 僕にはまだ静希ちゃんを守っていかなくてはいけないのです。  
 例え、静希ちゃんがどのように豹変しても、僕が彼女を見捨ててはいけないのです。  
「桜くん……今日は桜くんの好きなようにしていいから……」  
「…………」  
 そうだとすると、今僕に出来る事はなんなのだろうか。  
 精一杯、今の南さんに反抗すればいいのだろうか。  
「桜くん……?」  
 いや、違う。反抗だとかそんな程度の問題じゃない。  
 僕の気持ちをハッキリ言わないといけないんだ。  
 南さんに傾くような気持ちじゃない。  
 ただ、静希ちゃんのために用意した気持ちだけでいいんだ。  
「どうしたの、桜くん……?」  
「……僕の……好きなようにしていいんだよね?」  
「え、うん……」  
 僕の声色を不思議に思ったのか、目の前の南さんの顔が険しくなる。  
 自然と南さんの腕から力が抜け、僕は彼女の体を離れると静かに立ち上がる。  
 南さんがじっと僕の顔を見つめる。  
 その時の僕は自分の事で頭が一杯だったが、南さんの顔に不安の色がにじみ出ていることは分からなかった。  
 僕は足の爪先から痺れが駆け上って来るかのように緊張し、開こうとした唇が震えた。  
「じゃあ……」  
 突然、発した僕の声に南さんがピクリと小さな反応を見せた。  
 僕は焦点が定まらないままの目で彼女を見据え弱々しい声で答えた。  
「出来ない……」  
「…………」  
 
 たった一言。その一言で僕はどれだけの気力を使ったのだろうか。  
 そして、たった一言の言葉はこの部屋全体の空気を暗く染めた。  
「どうして?」  
 軽いため息の後、南さんは思ったよりも小さな声で尋ねる。  
 そして、南さんはスッと顔を伏せた。  
「僕は……静希ちゃんが」  
「そう……」  
 僕から静希ちゃんの名を聞いた時、南さんはストップをかけるように手で合図をかけた。  
 南さんにも僕の事情は容易く察知することができたのでしょう。  
 僕は緊張したまま、その場を動けず、南さんは顔を伏せたまま、ため息をついていた。  
「はぁ……」  
 短いため息。  
「はぁ……」  
 もう一回。  
「はぁ……」  
 そして、時間をおいてもう一回のため息。  
 気のせいか回を増すごとに漏れ方が違う気がしてきました。  
「はぁ……っく……う」  
 何回目のため息だったのか、南さんの声に嗚咽が混じっていたのです。  
 僕はビクッと震え、何事かと思って彼女の顔を覗き見ようとしました。  
 しかし、その時の僕は何と愚かな事だったのでしょう。  
 
 パンッ  
 
「!?」  
「見ないで……」  
 下から伏せた南さんの顔を見ようとした僕の頬に南さんは素早く平手打ちを。  
 そして、震えた声で紡がれた言葉で僕はどうしたらいいのかパニックに陥っていました。  
 ですが、僕は見てしまいました。  
 垣間見た彼女の顔には涙の筋がいくつもあったのを。  
「私が泣くのって……変なの?」  
「え?」  
 南さんの中の抑制力がなくなったのか両手で顔を覆って、独り言のように喋り始めました。  
 僕は意表を突かれて思わず、その場で呆然。  
「だって、ずっと桜くんとエッチしてても、桜くんはいつだって水上さんのことばっかり……」  
「…………」  
「いつかは私の物になるって思ってたのに……結局、桜くんは私が脅しているからしているだけだったんでしょ」  
「…………」  
 僕は何も答えない。いえ、何も答えられませんでした。  
 南さんの嗚咽混じりの声はあまりにも悲痛過ぎて圧倒されていたのです。  
「今だって……折角デートしても、桜くんはやっぱり水上さんの事考えていたんじゃない……」  
「…………」  
「どれだけ私が迫っても、桜くんが見てくれないんだもん……泣きたくなるじゃない……」  
 確かに僕は南さんに尋常ではないやり方で迫られていた。  
 本気で寿命が縮まるのではないかという経験だってしました。  
 しかし、それを盾にして目の前の彼女を責める事は僕にはできませんでした。  
 確かに酷い事でした。しかし、それが彼女なりのアプローチだったのかもしれません。  
 でも、僕は結局、快楽に惑われても心から南さんを選ぶことはできませんでした。  
 今の僕に南さんにかける言葉は見つかりませんでした。  
 
「うっ……ぐす……」  
 南さんはまだ泣いている。  
 そうか。僕は南さんを今初めて振った事になるのか。  
 こんな形で女の子を泣かしてしまったのは二回目でしょうか。  
 意中の相手に想いが届かなかったという心境。  
 想像を絶する辛さなのでしょう。  
「っく……あぅ……。はぁ……」  
 苦し紛れのようにため息を吐き出し、南さんはベッドから立ち上がりフラフラと歩き出しました。  
 その足で部屋を出ていき、僕はついていく事もせずに一人部屋にポツンと佇んだままでした。  
 そして、しばらくするとドアは再び開き、南さんが戻ってきました。  
 思わず振り返ると、南さんはいつもようにポーカーフェイスでそこにいました。  
 しかし、赤い目がそうそう治まる事もなく、泣いた後だというのは明白でした。  
「桜くん、これ……」  
「え?」  
 ツカツカと歩み寄り、南さんは自身の手を僕に差し出しました。  
 彼女の手に握られていたのは白い封筒と小さなテープ。  
「これ、は?」  
「写真と盗聴のテープ……」  
「え……!?」  
 キーワードですぐにそれが何なのか分かりましたが、それ以前にも衝撃的でした。  
 今まで散々南さんが僕を脅す種として使っていたものを僕に渡すというのでしょうか。  
「もういいわ……必要ないし……」  
「本当に……これを……僕に?」  
 脅しの種を僕に渡す。それは解放を意味していることに間違いありません。  
 これを手にしてしまえば、もう僕は縛られる事もなく静希ちゃんも自由なのです。  
 下ろしたままなのに手が勝手に震え出す。  
「うん、これで全部。隠したりしてないから……」  
「わ、分かった……」  
 まだまだ震える手で、彼女が差し出す封筒とテープを手にした僕。  
 夢を見ているようだ。まさか、こんなに早く解放の時が来るなんて。  
 本当にこれで僕は静希ちゃんと……。  
「はぁ……」  
 再びため息を付く彼女。  
 そう、全ては南さんの思わぬ心変わりのお陰なのかもしれない。  
 僕は小さなテープと封筒とそっと懐にしまい込んだ。  
 これは帰る途中で厳重に処分しておこう。  
「南さん、ありがとう……」  
「……私ももう疲れたわ……」  
 ふと思った。ひょっとしたら、南さんは日頃から心にダメージを蓄積していたのかもしれない。  
 僕が静希ちゃんとずっと一緒にいたから、なのか?  
 そして、日没が近づき、僕は彼女の家を後にしたのです。  
 
「…………」  
 南さんの家を出て、自分の家に帰る途中。  
 何故か、僕の隣を歩いていました。送っていくと言い出した南さん。  
 僕は断ろうとしましたが、これで最後にするから、と強く念を込めた言葉に根負けしました。  
 しかし、どこまで僕を送っていくというのか南さんはずっと僕の隣を歩いていました。  
 そうだ、あのテープと写真を処分しておかないと。  
「ねえ、南さん。あの、自然公園に寄っていっていいかな?」  
「うん、分かった」  
 コクリと頷き、南さんと僕はその足で自然公園に寄った。  
 自然公園の入り口をくぐり、噴水のある広めの広場の所で僕は例の物の処分を考えていました。  
 あそこはよく使いかけのライターが落ちている。それで焼却処分してしまおう。  
 周りはもう既に真っ暗。公園内の街灯がチラチラと輝き、やけに不気味な雰囲気がありました。  
 不気味でした。何かが街灯が照らしていた辺りから躍り出たのですから。  
「桜くん……」  
「え?」  
 僕を呼ぶ声。それは隣の南さんからではありません。  
 誰? でも、聞き覚えのある声。  
「桜くん、探しちゃった」  
 街灯の光を浴び、闇の衣を剥がされたかのようにゆらりと現れたのは何と静希ちゃんでした。  
 数メートル手前にいる静希ちゃん。思わず、僕は足を止めてしまいました。  
 隣にいる南さんがほんのわずかに僕にくっついたような気もしました。  
「桜くん、南さんとデートしていたの?」  
 くっきりと見える静希ちゃんは誰が見ても微笑んでいるであろう笑顔を僕に向けていました。  
 顔をだけを見ていれば良かったのかもしれません。しかし、静希ちゃんの全身を見てしまった。  
 私服を纏い、静希ちゃんは普段の休日のような格好。  
 しかし、その右手にはギラリと光を反射する刃物、包丁らしき物が握られていました。  
 僕は思わず声を出しそうになってしまいました。  
「静希ちゃん……手に持ってるのって……」  
「ああ、これ……」  
 微笑んでいた彼女の笑顔は不思議なくらい自然に消えていき、クスクスと不気味な嘲笑が漏れていました。  
 静希ちゃんは、僕や南さんにハッキリ見えるように手にした包丁を目の前に持ち出した。  
「何だかね、私と桜くんの邪魔するの、南さん。桜くんに近寄らないでって言ったんだけど聞いてもらえないから」  
「え。ちょ、ちょっと待って、静希ちゃん!」  
「だって仕方ないじゃない。桜くんは私の物なのに、南さんが横取りしようとするんだもの」  
「何を言っているんだい、静希ちゃん! そんな物、危ないよ!」  
「大丈夫。そこの忌々しい子を刺したら捨てるから……桜くんは心配しなくてもいいよ?」  
 瞬間、側にいる南さんがブルッと震え、僕の服の袖をぎゅっと掴んでいた。  
 静希ちゃんは、やはり目の色がおかしい。  
 静希ちゃんの性格が豹変したとは思っていたけど、まさかここまでのレベルになるなんて。  
 今の静希ちゃんならば、本当に南さんを包丁で刺してしまうことでしょう。  
 あわよくば、南さんを殺害するつもり。  
「静希ちゃん、落ち着いて! そんな事する必要ないんだよ!」  
「…………」  
 僕が必死になって叫ぶと、静希ちゃんはポカンとしたように呆気にとられた表情をした。  
 しかし、それも束の間、彼女の瞳の奥から闇の炎が吹き出したのを僕は見落とさなかった。  
「桜くんは私の味方よね? 私のこと、好きなのよね?」  
「え? そ、そうだよ! 僕は静希ちゃんの事が好きなんだよ!」  
「うふふふふふふ……そうよね」  
 
 我武者羅の勢いに任せて、好きという言葉を言ったものの、静希ちゃんはただ笑っているだけ。  
 静希ちゃんはゆっくりと左手を僕たちに見えるように街灯の光にかざしていた。  
 その細い指の内、薬指の一部が光を受けてキラキラと輝いていた。  
「桜くん、この指輪……覚えてる?」  
「そ、れは……」  
 静希ちゃんの左手の薬指にはめられた指輪。  
 それは僕が静希ちゃんを映画に誘った時、告白と共にプレゼントしようと思ったあの指輪。  
 ドクロちゃんやサバトちゃんとのゴタゴタに巻き込まれてなくしたと思っていたものです。  
 折角の指輪をなくしたと後悔していましたが、まさか静希ちゃんの手に渡っていたとは。  
「直接渡して貰えなかったの残念だけど……でも、これが桜くんの気持ちよね……」  
「…………」  
 確かにそうです。でも、今ここでそれを言われても何か不気味で仕方ありません。  
 とにかく、今の静希ちゃんからあの包丁を手放すように促さないと最悪の事態が待っています。  
「静希ちゃん。さあ、僕と一緒に帰ろう? もう、こんなに暗いんだから」  
「ダメ。その前にやっておくことがあるのよ?」  
 再び、ビクリと南さんが震える。  
 チラリと見てみれば、彼女のポーカーフェイスが恐怖で少し崩れていた。  
「その子がいると邪魔なの。だって、桜くん、南さんの言うこと何でも聞くだもん」  
「ち、違うよ! もう、それは終わったんだよ!?」  
「嘘……また、そうして口裏合わしているのね」  
 静希ちゃんが暗く呟き、包丁を持っている右手をブンと振ってみせる。  
 それだけで僕も怖くて怖くて堪らないのです。  
「さ、桜くん……」  
 隣の南さんはガクガクと震え、袖所か僕の腕にぎゅっとしがみついて来ているのです。  
 その動作を見ていた静希ちゃんがふっと顔を伏せました。  
 しかし、その小さな口だけは嫌なくらいハッキリ動いていました。  
「そうやって……」  
 呟くと同時にゆらりと静希ちゃんの体が蠢きました。  
 思わず、唾を飲み込み僕はまさかと思いましたが。  
「桜くんに触らないでぇぇぇぇっ!」  
 聞いた事もない怒声と共に包丁を構えた静希ちゃんが一気に駆け寄って来ます。  
 十メートルもない距離。静希ちゃんが迫るのに一秒もかからない。  
 このままだと静希ちゃんが人殺しになっちゃう!  
「……!」  
 そして、一秒後。  
 僕の視界は暗転し、意識を失っていました。  
 襲われそうになった南さんの盾となり、静希ちゃんの包丁が僕の体を突き刺したのでした。  
 
「……ん」  
 衣擦れする音と共に僕は、どこからか起き上がり、オレンジ色の光が僕の目に飛び込んで来た。  
 やけに上半身が重く感じれば、うっすら開かれた瞼を開き切るのも何故か億劫に感じます。  
 意識がはっきりしてないせいなのか、周りを見渡しても、ここがどこなのか理解できません。  
 ふと、背中にズキンと痛みのない衝撃が走り、僕は覚醒したかのように思考が正常に戻りました。  
 ベッドの中で横たわっていた僕。すぐ横の窓から差し込む夕焼けの光が、僕の目を刺激する。  
 それと同時に、どうしようもない体の気だるさを感じる。  
 見渡す必要もない程度の狭い個室で僕は静寂の中で目を覚ましていたのです。  
「なんだ、ここ……」  
 個室を見渡すと、そこは病室のような内装に気が付きました。  
 ベッドの後ろを見ると、ナースコールらしきボタンもありました。  
(どうして、僕は病院にいるんだ……そういえば、何が……)  
 その時、カーテンに遮られた向こうからドアの開く音がしました。  
 カーテンに人型のフォルムが映し出され、考える暇もなく、その人はカーテンを開けてきたのです。  
「桜くん……目が……覚めたのね」  
 驚いたような声を上げ、そして、次には落ち着いた声で僕を迎えてくれたのは南さんでした。  
 ゲルニカ学園の赤い制服でポーカーフェイスの彼女。  
「南さん……僕は……」  
「良かった……」  
「あ……」  
 フワッと髪をなびかせ、南さんは軽やかな動作で僕の首に両手を回すとそっと抱きついたのです。  
 南さんが現れた事によって、僕の曖昧な記憶ははっきりと蘇りました。  
 そうだ、僕は静希ちゃんに襲われそうになった南さんの盾になって背中に包丁を刺されて。  
「一週間、眠っていたの。心配したわ……」  
「一週間……」  
 一週間も寝ていれば、記憶もおかしくなるのかな。  
 そんなどうでもいいことを考え、僕は密着してくる南さんに離れるように促しました。  
 彼女は素直に頷き、僕から離れるとベッドの脇に置かれている椅子に腰掛けました。  
「南さんは無事だったの?」  
「私は平気。桜くんが守ってくれたから」  
 どことなく嬉しそうに答える南さん。  
 しかし、そんな彼女には悪いのですが、僕にはそれよりもっと気になる事があるのです。  
「じゃあ、静希ちゃんは? 静希ちゃんはどうしてるの?」  
「…………」  
 南さんはばつの悪そうな顔をして黙りこくる。  
 包丁を持ち出してクラスメイトを襲ったのだ、静希ちゃんは。  
 それは分かっている。恐らく、警察沙汰にもなったと思います。  
 しかし、どんな事態であろうとも一刻も早く静希ちゃんの現状を知りたかった。  
「水上さんは……」  
「うん……」  
 例え、どんなに悪い結果であっても僕はそれを受け入れなければいけない。  
 静希ちゃんを守っていこうと決意したのです。  
「亡くなったわ……」  
「……は?」  
 ポツリと出された南さんの言葉が理解できない。  
 亡くなったというのは死んだということなのかな。  
 幼児退行でも起こしたのか、僕の思考能力が一瞬だけ底辺に下りました。  
「そんなバカな! どうして、静希ちゃんが……!」  
「自殺なの……」  
「……バカな」  
 信じられない話だった。  
 いや、また何かの間違いに違いない。  
 きっと、南さんが滅多にないことを口にするものだから、僕はどうしようもなく思考は追いついていたのです。  
「一週間前の、あの夜……」  
 ベッドの中で呆然としている僕に、南さんが淡々と語りだした。  
 彼女の顔も決して明るい物でもなく、そして、沈んでいた。  
 
「あ、あ、あ……あああっ!」  
 一週間前の夜、私は水上さんに命を狙われた。間違いなく。  
 自然公園で待ち伏せしたいたのかもしれない水上さんは包丁を手にし、私に襲いかかってきました。  
 けど、咄嗟に桜くんが私と水上さんの間に割り込んで身代わりに。  
 私を庇った桜くんは背中に水上さんの包丁が刺さり、一瞬にして倒れてしまった。  
 背中から出血している桜くんを前に私は完全に腰が抜けてしまって、その場に崩れ落ちてしまいました。  
 桜くんが……死んじゃう?  
 一方、水上さんは奇声にも近い悲鳴を上げて、桜の背中に包丁が突き刺さったまま、頭を抱え込んでいました。  
「桜くんが……私の桜くんがぁぁっ!」  
 さっきまでの水上さんに対する恐怖心はどこかに行き、今度は目の前の桜くんの体が血で染まるのに恐怖していました。  
 水上さんも私を殺すことなど忘れてしまったかのように発狂のような行動をしていました。  
「あ、そうか……そうだよね……」  
 散々発狂していた水上さんが突然として、落ち着きを取り戻したかのようにツカツカと桜くんに近寄り、彼の背中に刺さっている包丁を抜いたのです。  
 蓋を剥がされた桜くんの傷口から出血の量が酷くなり、周りに血の海を作っていました。  
「私も死ねばいいんだ……そうすれば、向こうで桜くんと一緒よね……」  
 何を言っているの、この人は。  
 そう思う間もなく、水上さんは迷う事なく包丁を自分の左胸に突き立てていたのです。  
「桜く……は……わた、さな……」  
 水上さんは低い呻き声を上げて、バッタリと倒れてしまいました。  
 私だけが取り残されて、どうすればいいのか分かりませんでした。  
「桜……くん……」  
 私は恐怖で動かない足を引きずりながら、倒れている桜くんの元へ。  
 血の海にチャプと入ると、私は倒れる彼の上半身を少しだけお越し上げ胸元に抱き寄せました。  
「桜くん……桜くん……」  
 私は彼の名を呼び続け、気が付いたら救急車や警察の人たちが周りを囲っていました。  
 どうやら、一部始終を見ていた人がいて、その人が救急車や警察を呼んでくれていたのです。  
 そして、私も桜くんも水上さんも全員病院に運ばれて、二人は手術。  
 桜くんは幸い、傷口も浅く輸血も事足りたので大事には至りませんでした。  
 しかし、水上さんの方は急所である左胸を深く差し込んでいたため、病院に着く前に息を引き取っていたのです。  
 一方、私は幸か不幸か、目撃者がいたため濡れ衣を着せられる事もありませんでした。  
「そして、桜くんは一週間眠っていたの……」  
 一通りの説明を終えると、現実の桜くんはベッドの中で頭を抱えていました。  
 無理もないと思います。相当、混乱している。  
「嘘でしょ、南さん? 静希ちゃんに会わせてよ!」  
「……桜くん」  
「こんなはずじゃ……僕は守るって……!」  
 きっと今の桜くんはやり場のない虚しさと怒りを抱えているのかもしれません。  
 彼の水上さんに対する気持ちはよく分かっているつもりです。  
 彼の声は段々と震えて、しまいにはよく聞き取りづらくなってくる始末です。  
 
「静希ちゃん……どうして……」  
「…………」  
 その時、私は無意識に立ち上がり、彼の頭を胸元に抱き寄せたのです。  
 見ていられない。だって、あの時泣いた私にそっくりだったから。  
「可哀想な……桜くん……」  
「あ、ああ……」  
 私の胸で震える桜くんの目から涙が流れていました。  
 水上さんのための涙。けど、もうそんな事はどうでも良かったのです。  
 私はできる限り、ギュッと桜くんを抱きしめました。  
 早く泣きやんで欲しいと。戻ってこない人のために泣くのは止めて欲しいと。  
「桜くんには私がいるから……」  
「そっか……僕が……折れたら良かったんだ……」  
「え?」  
 突然、譫言のように聞こえた桜くんの声が私を驚かせました。  
「僕が南さんを受け入れれば……こんな事に……」  
 桜くんはくすぐったい位に私の胸に顔を埋めると、涙で濡れた瞳のまま私を見つめました。  
 そして、その口から意外な一言が。  
「南さん……愛している……」  
「桜くん……」  
 愛してる。  
 今まで聞いた事もない。水上さんにも言っていない言葉が私に贈られた。  
 嬉しかった。だから、私も彼の言葉に応えたのです。  
「嬉しい……私も愛してる……」  
「南さん……大好きだよ、愛してる……愛してる……」  
 こんな状態でも私は、彼の言葉に酔いしれていたのです。  
 水上さんが死んでしまったのは自分のせいだという桜くんの自虐的な心が今の私にとって嬉しい限りだった。  
 桜くんが自分から好きだと言ってくれたのです。愛しているとも。  
 外道とも言える手段を使って私は桜くんを自分の物にしようとしました。  
 でも、汚れた自分では無理なのだと悟って真っ当な道に戻そうとも思いました。  
 しかし、水上さんは私がした仕打ちによって豹変し、自殺してしまったのです。  
 言うなれば、それは私が人を殺したの同じようなもの。  
 所詮、一度汚れて墜ちてしまってはもう戻れないのでしょう。  
 それでも結果的に私は墜ちることによって、目の前の彼を手に入れることができた。  
 だったら墜ちたままでもいい。真っ当な道に戻る必要もない。  
 彼と一緒に墜ちて行けばいい。  
 人を殺してしまったという罪悪感を背負って、私と桜くんは一緒にずっと墜ちていく。  
「南さん、愛してる……」  
「私も……心の底から愛してるわ……」  
 向き合った私たちは自然と距離が近づき、深い深い口づけを交わしていました。  
 まるで、これが何かの誓いの印であるかのように。  
 そして、私は桜くんにベッドの中に引き寄せられ、一心不乱に肌を重ね合わせました  
 
 何度セックスをしたのか分からず深夜、私は一人でポツポツと病院から帰っていました。  
 これで私は本当に桜くんと結ばれたんだ。  
 そんな浮かれた出来事の前に、私は随分と冷静でいられました。  
 ふと、スカートのポケットに手を入れると中に入っている物を摘み出す。  
 それは指輪。  
 水上さんが左手の薬指につけていたあの指輪。  
 どさくさに紛れて私が外して、隠し持っていた血塗れの指輪。  
 左手の薬指につけられた指輪がどういう意味を持つのか、私が知らないはずがない。  
 だから、私は水上さんが桜くんから貰ったという指輪をそこにつけておくが許せなかった。  
 桜くんと結ばれるのは私。  
 そう、水上さん、あなたは私に負けたの。  
 もう、桜くんは絶対に渡さない。  
 歩いていると橋の上で私は止まった。当然、下は流れる川。  
 真っ暗で水の流れが見えないものの、そんなのは関係ない。  
 私は指輪を持った手を振り、それを思いっきり投げた。  
 指輪は川に落ち、ポチャンという音と共に消え失せた。  
 私は一息つくと、静かに言葉を残してその場を去った。  
「桜くんから指輪を貰うのは私一人でいいわ……」  
 
 
 お終い  
 

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