「んん……」
ごろ。
「んぅぅ……」
ごろごろ。
「んぐぅ……はわッ!?」
どてん。派手な音を立ててベットから落下した。
「いっつー……」
床にぶつけた後頭部をさすりながら原田梨紅は目を覚ました。まだしっかり開かない眼を擦りつつ階
下へ降りた。
「おはようございます」
ダイニングに行くと、使用人の坪内が大仰な仕草で梨紅にお辞儀をした。
「うん、おはよー」
手をひらひらさせ、欠伸をしながら挨拶を返してテーブルへついた。坪内はまだ寝ているのではない
かと思えるほどだらしない顔をしている梨紅の前に朝食を運んだ。
白米、味噌汁、煮魚と、和の雰囲気たっぷりの朝食を目を閉じたまま器用に口にする。
「坪内さん、梨紗はー?」
もぐもぐと咀嚼しながら訊ねた。
「梨紗様は顔を洗っておられます」
「今何時?」
「七時でございます」
「……おかしい」
などと疑問に思いつつ、今日も部活か、と回り始めた頭で考えた。と、そこに洗面所のほうからばた
ばた足音を立てて梨紗がダイニングにやってきた。
「おはよー梨紅。今日も早いね」
あんたの方が早いじゃん、といやみを言いかけ、そこで気付いた。
「あんた、ちょっと匂うよ」
「そ、そう?」
僅かに同様を浮かべた梨紗に詰め寄る、閉じた目で。梨紗は半歩ばかり身体を引いた。
端から見ればメンチを切っているように見えるだろう。
「うん、匂う。何だろ? 香水?」
くんくんと鼻を利かせてさらに匂いを嗅ごうとすると、
「私、もう出かけるから! それじゃ」
逃げるように梨紅のもとから去り、家を飛び出した。
「…………」
夏休みに入って以来梨紗の様子がおかしい。頻繁に出かけるし、気を遣っていたおしゃれにもさらに
力を注いでいる。何かあったに違いない。それは推測ではなく、確信に近かった。
「あ……」
小さく声が漏れた。僕が噴水広場に着くより早く、原田さんがそこにいたからだ。僕がいつも座って
いる噴水の縁に腰を下ろし、まるで僕が来るのを待ってたみたいな、そんな感じがする。
近づくと、彼女が僕に気付いて顔を上げた。挨拶を交わして、彼女の横に腰を下ろしてスケッチブッ
クを取り出した。一緒にウィズが跳び出し、原田さんの膝の上で丸くなった。
どうもそこが気に入ったらしく、僕のスケッチが終るまでずっとそこにいる。原田さんも嫌がった顔一
つせず、優しくウィズの身体を撫でる。
これがいつもどおりの光景だ。とても静かに二人と一匹が座っている。僕がスケッチに集中している
間は会話はあまりないけど、不思議と気まずい感じもしない。傍に彼女がいるだけで、それだけで胸の
奥が仄かに暖かくなる。
しばらく無言で描き続け、ようやく自分で納得いくような風景が描けた。書く向きをずらしたり、筆
のタッチを微妙に変え、細かい修正を終え、一枚の風景画がやっと完成した。
「できたの?」
ウィズを抱きかかえた原田さんがスケッチブックを覗き込んできた。よく見えるように傾けた。
「うん。やっと満足できるのができたよ」
「うわーっ! 凄い上手!」
目を輝かせて言われ、少し恥ずかしくて顔が赤くなるのが分かった。
「ありがと。でも僕なんてまだまだだし」
「そんなことないよ。この絵、凄い好きだよ」
「そんな……」
ぽりぽりと鼻の頭を掻いた。
「ねえ、この絵貰っちゃってもいいかな?」
「え?」
思いがけない一言に耳を疑いたくなった。
「でも、鉛筆で描いただけのスケッチだし」
「いいの。好きなんだもん」
自分の絵をこんなに好きだと言われたことがなく、僕は嬉しくなった。スケッチを終えたばかりのペ
ージを引き剥がし、筒状に丸めて原田さんに渡した。
「ありがとう!」
僕の絵を大事に胸に抱いてくれる(その時ウィズが彼女の胸から落ちたのは見なかったことにした)。
こんなに眩しい笑顔が見れて本当によかった。
「描き終わっちゃったけど明日もここに来るの?」
「ん、そうだねぇ……。明日からは別の場所に行こうかな」
「じゃあ私も付き合っていい?」
原田さんと一緒に……。凄く魅力的な提案だ。でも二人でなんて、緊張しまくっておかしくなりそう
で、最後にはあんなことをしてしまうかもしれない。ちょっと考えただけで素直に下半身が震えた。流
石に即答できず、少しだけ考え込んだ。
そして、一つ思いついた。
「じゃあ原田さんが、僕が次に描いている場所を捜し出すっていうのはどう?」
「んー? それって丹羽くん捜して街を回れってこと?」
「そ。それで捜し出せたら今までみたいにするんだ」
「なんだかゲームみたいだね」
「そうそう。夏休みが期間の長いゲーム」
「でも絵を描く場所って変わっちゃうし、描かない日だってあるでしょ?」
「それは、ほら。街を歩いて運動したことになって身体にいいよ」
「あーっ、私まだそんなに衰えてないよ」
酷い酷いと言われ、でもその顔は楽しそうに笑っていた。
楽しい一時は瞬く間に過ぎ、太陽はすでに真上にいた。
家に帰り着き、すぐに自分の部屋に駆け上がり、ベットにうつ伏せで倒れこんだ。胸がきりきりと悲
鳴をあげて苦しんでいる。丹羽大助と原田梨紗が、妹が楽しそうにしているところを偶然目撃し、原田
梨紅はその場からすぐに逃げた。
(なによ、なによなによッ!)
一心に何かを罵っていた。それは丹羽か、梨紗か、それとも自分か。とにかく罵りの言葉を頭で叫ん
でいないと胸が破裂しそうであった。
梨紗の様子がおかしい理由もようやく分かった。だが、分かってしまえばそれがさらに辛く梨紅の心
に圧し掛かった。楽しそうな二人の間に、自分が入る余地なんて残されていないのでは、それどころか
初めから無かったのではないかと思えた。
ただベットのシーツを濡らし、肩を震わせるしかなかった。
家に帰り着くと挨拶もそこそこに自分の部屋へ駆け上がった。机にバックを置き、ベットに身体を投
げ出した。
「いいことでもあったか?」
「ん? そうでもないよ」
「分かりやすい嘘ですね」
「そうかなぁ」
「顔がにやけとる」
二人が楽しそうに冷やかそうとしているのが分かるけど、今日はそれさえ快く感じられるほど気分が
いい。
このまま眠ってしまおうかと考えた時、下から母さんの声が聞こえた。
「大ちゃん、お電話よ」
「はーい」
返事をして下に行く途中、
「つまらん」
「つまらないです」
二人が腹の底から不機嫌さをひり出したような声で言ってきた。これ以上何か言われる前にささっと
部屋を脱出した。
「……レム、気付いてるか?」
「……はい」
「最近、出番が減ってきておる」
「嘆かわしいですぅ……」
母さんから受話器を受け取ると、そこからは夏休みに入ってから聞いていなかった美術部顧問の先生
の声がしてきた。先生の話によると、今日学校の美術室に参考資料として絵画が何点か届き、その整理
に僕を駆り出したいということだ。興味をそそられた僕は二つ返事でオーケーした。
「なんだったの? もしかして呼び出し?」
受話器を置くと、いきなり母さんがそう訊いてきたので肩がこけた。
「違うよ。学校に絵が幾つか届いたからその整理を手伝って欲しいんだって」
「あら、それじゃあ明日は学校に行くの?」
「うん」
「お弁当はいるかしら?」
「いいよ。お昼までには帰ってこれると思うから」
心配性な母さんと別れて部屋に戻った。
「主っ!」
「ご主人様!」
「おわぁっ!?」
入るなり、二人の大声が鼓膜を貫いた。
「早く寝ろ、寝るのだ!」
「寝てください、お願いしますぅ!」
「んな、なんで……」
『なんででもだ(です)!!』
僕は手を後ろで縛られ、地面に転がされている。身体を起こそうにもさっちゃんに肩を踏みつけられ
思うように動けない。
「だから、なんでこんな酷い格好させてるのっ!?」
今までこんなことをされたことがなかった僕はそれが気に食わなかった。
「分かるであろ?」
「うんうん」
「分かんないよ」
二人がくすくすと、凄惨な笑みを浮かべている。怖い。
「分からせてやろう。どちらの実力が上か」
実力ってなんのことさ。そう思っていると肩から足を離したさっちゃんが僕の身体を起こして背後に
回りこんだ。何をする気だろうと怪訝に思っていると、彼女の指が僕のものにすっと這わされた。
「んッ……」
微かな刺激に顔を歪めた。
「ふふ。可愛い顔ですぅ」
レムちゃんの顔が僕の股間へ近づく。さっちゃんの指が軽く陰茎をさすり、ペニスを膨らませてきた。
血液が通い始めた亀頭がレムちゃんの口の中へと姿を消した。
「どうだ? 気持ちよいか?」
さっちゃんが耳元に息を吹きかけてきた。
確かに、気持ちいい。女性二人に挟まれ、背中にはさっちゃんの豊満な胸が密着し、肉竿を優しくし
ごき、前では股間を顔に埋めたレムちゃんが懸命な舌遣いで僕のを舐める。
射精しそうになった時、レムちゃんが金玉と肛門の間を強く圧迫してきた。
「んぅッ!」
快感に負けたペニスがびくびくと小刻みに震えた。けど、そこから放たれるべき白色の粘着液が噴き
出さない。
「ここを押すとですねぇ、射精しないんですよぉ〜」
彼女が陽気に告げてくる。僕自身はそんなことはどうでもよかった。とにかく今は出したかった。
「レムちゃん……、指、離して」
「ダメだ」
「や、さっちゃんには訊いてな」
「ダメです」
「だ……ダメなの?」
『ダメ』
断固として拒否された。二人の手と口は止まることなく、尚もペニスを攻めてくる。再び震え上がる
が、やはり精子は出ない。確実にイッてるはずなのに、まったく萎える様子がない。それどころかさら
に大きく腫れ上がっている。
「うぐぅ……」
僕が呻くのを楽しそうに聞いているのが気配で分かる。完全に弄ばれている。
「さて。今晩は主をたっぷり可愛がってやらねばな」
「えへへ。弄りまくりますよぉ」
「は、はぅ、あぁッッ――」
僕が射精を許してもらったのは最後、さっちゃんの中へ放つ時だけだった。それまでにすっかり身体
はおかしくなり、従順に二人に従っていた。
「うむ。久々にやり応えがあったぞ」
「次からもこの調子で。あ、もちろん私に出してくださいね」
「…………はい」
うわー。なんだろうこの気持ち。惨めというか何というか。女性二人に穢されたというのは情けない
気分になるのか。
八時四十二分。この調子なら九時までには学校に着ける。余裕を持って出てきてよかった。
今日はどうも腰がおかしい。原因は分かりきっている。さっちゃんとレムちゃんに弄られすぎたせい
だ。昨日はいつにも増して激しく、時折り『出番、出番』と意味不明の単語を呟いていた。
(なんだったんだろう……)
出番。その単語を繰り返しているうちに校門へ辿り着いた。夏休み期間中のため、学校に来ている生
徒の数は皆無に近い。グラウンドの方から運動部の掛け声が聞こえる。人気はそれくらいだ。
顧問の先生に会うために職員室へ急いだ。
(あれって……)
グラウンドから見えた人影に梨紅の心臓が一度だけ大きく脈打った。赤髪の男子生徒といえば彼しか
知らない梨紅は人影を目で追おうとして、やめた。
脳裏に甦るのは昨日見た大助と梨紗の楽しそうな笑顔。世間一般から見れば、二人は恋人同士と言っ
ても差し支えないのではないかと梨紅は思った。
(けど……)
このまま自分の想いをくすぶらせたままでいいわけがない。思いは募る一方で、それは決して消える
ことはない。
「――梨紅、危ないっっ!!」
「へ?」
どごん。部員の一人が放ったボールが振り返った梨紅の脳天に見事に直撃した。ひしゃげるような鳴
き声をあげ、梨紅は地面に倒れこんだ。
「ちょ、大丈夫!?」
数名の部員が梨紅の傍に駆け寄り、心配そうに顔を覗き込んだ。
「あっ! 額が割れてる!?」
「ホントだ。血が出てるよ!」
「保健室に行った方がよくない?」
緩慢な動作で身体を起こし、痛む頭を抑えた。
「うん……。行ってくる」
のそっと立ち上がり、とろとろと校舎に向かい歩き出した。見送る部員たちは危なげな足取りに不安
を覚えていた。
「んんー……、ん?」
大助のことを含め、ここのところ不幸な出来事が立て続けに起きている気がしてならない梨紅が、そ
こである考えを思いついた。
(そ、そうだ!この隙に丹羽くんに会ってみよ!)
会って何をするか。そんなことを考えるのは二の次で、元気に校舎に駆けていった。額から血を流し
つつ。
「や、休みぃぃぃっっっ!!?」
我が耳を疑うとはこのことだな、と思った。野澤先生が丁寧に教えてくれた。今日から美術部顧問の
先生は旅行に出かけた、と。
(つまり、仕事を、押しつけられたと、いうことですか)
野澤先生が一枚のプリントを差し出してきた。そこにはこれから僕がどうすればいいか、事細かに記
されてあった。そこまで計算していたなんて、ある意味寒心させられる。
とにかく一人で全部やるには量が多すぎると感じた僕は知り合いを捜しに校内を歩き回った。闇雲に
歩いても見つかるわけはないのでまずは教室へ向かった。
U-Bには誰の姿もなかったが、鞄が幾つか見受けられた。
(あの席は関本か。それに向こうは……石井さんか)
二人を捜して回るか、それとも諦めて美術室へ行くか迷った時、鞄がもぞもぞと動き出した。まさか
と思い中を見ると、やはりいた。
「ウィズ。ついてきちゃったのか」
「キュウ」
おそらくいつもの調子で鞄に跳び込んだんだと思う。
これは使える。
「よし、ウィズ。勝手についてきた罰として僕の手伝いを頼む」
分かったのか分かってないのか、ウィズは嬉しそうな声をあげている。ウィズを掴んで美術室へ急いだ。
まずはウィズを僕に変身させた。これなら作業も大分楽になるはずだ。
「じゃあまずはあれとそれとこれをあっちに運んで――」
「うん」
「それでこの絵をあそこにかけて……あ、違う違う。それはこっち」
「うん」
「んでもって後はかくかくしかじか……っと」
「うん」
「よし。おしまい」
「うん」
ウィズが手伝ってくれたおかげで時間もかなり短縮できた。
「戻っていいよ」
「うん」
ウィズが白い毛玉へと姿を戻し、鞄の中へ入るよう促がした。
「さて」
ようやく僕がしたかったことができる。今日ここに来たばかりで、さきほどようやく整理を終えた絵
画の数々をゆっくりと見て回るのだ。
美術室の壁にかけられた一つ一つの作品を穴が開くほどじっくりと見回した。筆遣い、色遣い、作者
の感性。その絵が伝えようとしてくるものをできる限り享受しようと努めた。
その中で一枚の絵画が見て回る僕の足を止めさせた。
ユニコーンと幼い少女が描かれた絵。動き出しそうなほどの躍動感が感じられる。絵自体は動きがあ
るものではないけど、まるで生命を宿しているような、生きた躍動感がその絵にはある。それは作者が
魂を吹き込んだとかそういった感じじゃなくて、その絵が生きていると言った方が正しい、と思う。
「なんだ……、この感じ」
背筋に走る悪寒にもにた感覚。身体中の細胞がふつふつと沸き立つような緊張感。噴き出す汗。それ
はあの時と似ている。一度だけ対峙したことのある、殺意を抱く美術品。
「…………まさか!?――」
異変は外にいた者に降りかかった。校舎の一角から学校の敷地を覆い尽くすほどの圧倒的な光が溢れ
出す。外にいた生徒のほとんどがその現象に目を奪われた。
息つく間もなく、その一角から一つの光球が飛び出した。それが上部に二つの光の筋を伸ばし、まる
で翼のようにはためかせた。
それが消えたかと思うほどの高速で飛行し、人間の身体をかすめる。その瞬間、その人物は支えを失
ったように崩れ落ちた。
その状況を呑み込む者が現れる前に、誰もが倒れたまま動かなくなった。多いとは言えない人数だが、
グラウンドで、校内で、ところ構わず人が倒れている光景はそれだけで十分過ぎる狂気を孕み、死人が
転がる、戦争のように――。
「なに……今の?」
額に絆創膏を貼り、校舎の中を歩き回っていた梨紅は外を白く染め上げた光に顔をしかめた。怪訝に
思いながらも、大助を見つけるために止まっていた足を進めた。
(でもなぁ)
一体全体どこにいるのか予想もつかない。ただ闇雲に校舎を歩き回るしかなかった。しかし、時間を
かけすぎれば部員に怪しまれることは明らかだ。制限時間は十分といったところである。
(って、後五分くらいしか捜せないよ)
捜し始めてそれくらいの時間がすでに経過していた。もう教室は覗いた。鞄が幾つかあったが大助の
席には置いていなかった。
(もう帰っちゃったとか?)
時間が経てば経つほど焦りが募り、頭が混乱し、走り回って体力を削っていった。
「うへー……」
手を膝について肩を揺らせた。丹羽大助がどこにいるか。さっきの光は何だろうか。分からないこと
が重なり、多少苛立っていた。
「んんー……、もうっ!」
胸中に生まれかけていたもやもやを吹き飛ばすようにがばっと顔を上げて拳を握り締めた。
「ダッシュゥゥゥゥッッッ!!」
気合一発。全力で廊下を駆け抜けた。
「――くっ、そ」
右腕に走る激痛に顔を歪め、廊下を疾走していた。後ろを振り返るがあれは追ってこない。
どうやら逃げることができたらしいけど、気は抜けない。僕が通った道には点々と赤黒いものが続き、
それが逃げたルートをあれに教えてしまう危険性が十二分にある。
(考えるのは後だ。とにかく体勢を立て直さなきゃ)
すでに手は打った。あとは、それまで逃げ回って時間を稼ぐしかない。学校の廊下がやけに長く感じ
られる。曲がり角までが遠い。上り階段の段差が煩わしい。あれが今どこにいるか分からないことも焦
燥を駆り立てていた。
美術室から遠ざかることを第一に考え、どこをどう走ったかも分からない。だけど離れていっている
ことは確かだ。角を曲がり、廊下の直線を駆け抜けようとした瞬間、
「っきゃ!?」
「――!?」
全身に急制動をかけて衝突を避けた。
「び、びっくりしたぁ」
目を見開いて胸を撫で下ろしている彼女がそこにいた。
「り……くさん?」
なんでここにいるのか、しかもラクロスの練習着で。僕の頭が少し混乱した。けど、このまま立ち止
まっているわけにはいかない。
「丹羽く……はわっ!?」
「こっちだ!」
左手で彼女の腕を掴んで強引に引っ張り、彼女が通ってきたであろう道を戻った。
「に、丹羽く」
「黙ってて!」
逃走する焦りのためについきつい口調になってしまう。けど、説明する余裕がなかった。
廊下側の窓から見える光景を見て、ようやく事態の深刻さに気付いた。全員がばったりと倒れている。
(これが、あの美術品の魔力……)
おそらくは学校中、下手をすれば近隣の地域にまで影響が出ているかもしれない。一刻も早く対処す
る必要がある。
「黙ってって……血が出てるじゃない!?」
梨紅さんが僕の腕を指して言った。
「僕は平気だから、今は逃げなきゃ」
「逃げるって……」
その時、僕の手から梨紅さんの腕が抜けた。掌に付いていた血のせいですべったんだ。
急いで彼女の腕を掴みなおそうとすると、逆に僕の手が掴まれた。
「ほっとけない!」
真っ直ぐに射抜かれるような眼に、僕は反論できなかった。腕を引かれ、すぐそこにある保健室に連
れ込まれた。
「失礼しまーす」
梨紅さんの声に返ってくるものはない。夏休み中だから担当の先生がいないのだろうか。
「座って」
流されるままにすとんと椅子に腰を下ろした。
「傷、見せて」
シャツの袖を捲くり、二の腕に刻まれた裂傷を見せると、梨紅さんが小さく声をあげた。
「うわ……。どうしたの、これ?」
絵の中から出てきたユニコーンの角が掠ったんだ。などと本当のことを言って信じてもらえるわけが
ないので、笑ってごまかした。
「まあ、いいけどさ。それじゃちょっと待ってて」
棚を品定めするように見て回り、うんうんと二、三度首を振ると、棚を開けてさっ、さっと何かを取
り出した。
「沁みると思うけど、我慢してね」
ピンセットで綿をつまみ、取り出した消毒液に浸し、それを僕の傷口へちょんちょんと触れさせた。
「いッ――!!」
痛みがそこから身体中に拡がり、顔を微かに歪めた。
「我慢我慢」
さらに梨紅さんが容赦なく攻め立ててくる。
「はぁぅッ!」
「これくらいで痛がっちゃダメだよ」
「は、うぅ」
「もうすぐ終わるから」
「ああッ――!」
ほいおしまい、と言われてガーゼを当てられ、包帯で巻かれた。包帯を巻いていく彼女の指の動きに
見とれている自分に気付き、そっと視線を外した。
「あ、ありがと」
失礼ながら横を向いたままお礼を言った。
「どういたしまして。怪我はすぐ手当てしないといけないんだからね」
後半は怒られるように言われ、素直に反省した。
「ごめん。でも、手際いいね」
実際、彼女の手際は見事なものだった。包帯の巻き方も結び方も結構慣れている印象を受けた。
「うん。部活やってるとね、こういうの上手くなるんだ」
「そっか。部活か」
だから練習着姿なのか。その点は考えれば分かったことだけど頭が回ってなかった。
でも、どうして校内にいたかという疑問が残っている。そのおかげで外のみんなのように犠牲になら
ずにすんだのだから、よかったといえばそうだけど。
「怪我も多いから保健室もよくお世話になってるの」
梨紅さんと話していると心が安らぐ。この感じ、僕は知ってる。
原田さんと同じだ。
「保健室の世話に、か……」
原田さんと梨紅さんが僕の中で等価になっている。その事実で頭を悩ませることを避けるように言葉
を口にし、引っかかった。
「…………」
「どうしたの?」
梨紅さんの問いかけには答えず、顎に手を当てて思考を巡らせた。
「……梨紅さん」
「なに?」
「保健室ってさ、一階にあるんだよね」
「そうだよ。何言ってるの?」
「…………いや」
おかしい。僕は階段を上りはしたけど、下りてはいない。
「!! 行こう、梨紅さん」
音を立てて立ち上がったせいで梨紅さんの身体がびくんと強張った。
「はぇっ?」
分かっていない表情をしている彼女の腕を再び取り、保健室を駆け出た。
「ま、また走るの?」
「これで最後だから、頑張って!」
「どこに行くの?」
「美術室!」
(僕らは、もうあ美術品の手の中だ)
空間の整合が歪んでいる。すでに僕と梨紅さんは校舎という巨大な檻の中に捕らえられている。だか
らユニコーンが追ってくる必要はない。もう逃げ場がないのだから。
(おびき寄せてる……のか?)
一体あの美術品がどんな思惑を抱いているか見当もつかない。ただ、美術室に、すべての元凶である
あの絵のもとに行くことが、今できることだった。
床に付いた自分の血を辿り、美術室へ向かう。ユニコーンに追われると心配していた血痕が、こうい
うかたちで役立つなんて、ちょっと皮肉っぽい。
床に点々とする血痕が次第に大きくなっていく。血を流し始めたばかりのところが近い。
息を切らせ、目指していた場所へ着いた。空間が歪んでいる状況でその血痕がどれだけ信頼できるか不
安だったけど、無事に辿り着けた。ますます僕をおびき寄せているような気がして胸の奥がざわついた。
「行こう」
ここまで強引に引っ張られてきた梨紅さんは不安そうな表情を浮かべている。それはそうだ。魔力が
ほとんどない僕にも分かるほど美術室のドアの向こうからは形容しがたい重圧がずっしりと感じられる。
梨紅さんも分かっているに違いない。
「ちょっと、怖い……かな」
梨紅さんが弱気だ。こんなところは見たことがない。握った腕が少し震えているのが伝わってくる。
梨紅さんを一人にするのはダメだ。あいつが狙ってこないと決まったわけじゃない。
「大丈夫。僕が一緒だから」
彼女を励まそうとして肩に手をかけた。
(……頼りないだろうけど)
気の利いた台詞でも言えればよかったんだろうけど、僕にはそれが精一杯だった。
「ん……」
それでも、梨紅さんには想いが通じたみたいだ。完全に不安は拭えていないだろうけど、それでも力
強い眼差しで頷いてくれた。
「よし。じゃあ――」
そこで、感じた。背筋をぞくりと撫でていく悪寒。もはや馴染みになったと言ってもいい感覚。首を
左右に廻らせ、それを視認した。
廊下の端で、こちらをじっと見ている。
「急ぐよっ!」
声をあげると同時にユニコーンが急接近してきた。身体中が光で覆われ、まるで光の球が突っ込んで
くるように見えた。
美術室の扉を開き、中へ入った。一瞬で室内の暗く渦巻く空気に身体が押し潰されそうになる。
「ぐっ……」
「き、もち悪い……っ」
二人そろって不快感を口にした。しかし、ここで音をあげちゃいけない。両足を踏ん張って脚を進め
た。
「何か、あるはずなんだ……。あの絵に、何か」
右腕を伸ばして壁にかけられた絵に触れた。どす黒い空気しかなかった室内に、膨大な量の光が溢れ
た。発生源は、今触れている絵だ。
「くぅ!っうわ……!」
一気に肩まで絵の中に吸い込まれた。
「丹羽くんっっ!?」
梨紅さんが僕の身体に腕を回し、絵の中に連れて行かれないように懸命に守ろうとしてくれている。
でも、このままでは彼女も吸い込まれ、どうなってしまうか分からない。
「梨紅さんっ!!」
僕から離れるように言おうとした時、視界にあれが映りこんだ。開け放たれた扉の向こうからこちら
を狙っている。
「くっ、そぉぉっっ!!」
梨紅さんの腰に左腕を回し、僕の身体に引き寄せた。
「絶対に離れないで!!」
「丹羽くんっ?!」
この行動に驚きの声をあげる梨紅さんを片腕で抱きしめ、絶対に放さないと心に決め、腹をくくって
床を蹴り、光の奔流に身を投じた。
丹羽家上空。巨大なカラスのような翼をした物体が丹羽家の玄関前へ降下した。地面に触れると同時
にそれは人へと、丹羽大助へと姿を変えた。
ドタドタと家へ上がり込む。笑子が、大樹が、小助が挨拶をしようとしたが、全員を無視するように
二階へ駆け上がった。
「はぁ、は、あ、だ、ダメですッッ、そこは!」
「ふふ、そう言うな。二人で慰め合うのも久々ではないか」
「ひゃぅんッッ!い、いいですぅ!!」
「ほら。もっともっと虐めるぞ」
「あうあうあうんッ!!」
「さったん、レムたん!」
部屋からはなんとも妖しい会話が聞こえていたが、構わずにウィズは呂律が回らない子どものような
口調で呼びかけた。
「ん?ウィズか」
「た、助かったのですぅ……」
「大変、大変!」
「どうした。落ち着け」
「あのね、学校で、大事件。大助、ピンチなのです!」
「真似しないでください!!」
「うるさいっ!主のピンチだ。行くぞ!」
「はいっ!イくの……行くのです!!」
「ウィズ、飛んで行くぞ」
「うん」
紅円の剣と蒼月の盾を壁から外し、小助に手伝ってもらい二人に取り付けたチェーンを首にかけ、バ
ルコニーへの窓を開いて再び漆黒の翼へと姿を変えた。
「行け、ウィズ!!」
「久々の出番ですぅっっ!!」
「キュウゥッッ!!」
光の奔流の切れ目が見えた。何があるかわからない。梨紅さんに何かあっちゃいけないと思い、抱き
しめる腕にさらに力を加えた。
「んぐっ!?」
左の肩から全身に抜けるように鈍い衝撃が走った。そのままずざっと音を立てて左半身が擦れるよう
な感覚に襲われた。
「っつぅ……」
激しい光の中にあった視力が少しずつ回復し、周囲の様子が見えてきた。地面には芝が生えている。
本流から吐き出されてすぐ、この上を滑るようにここに着いたようだ。
「丹羽くん、大丈夫?」
腕の中の梨紅さんが眉根を寄せて訊いてくる。
「うん、平気だよ」
とりあえず安全だと判断し、回していた腕を放して身体を起こした。
「ここって……」
「見覚えは……、あ」
あった。声をあげたので梨紅さんが説明を求めた。
「見たことある。ここ、あの絵とそっくりだよ」
「絵って、丹羽くんが触ろうとしてたあれ?」
頷いた。僕が叩きつけられた地面を見ると、青々と緑の芝が息づいている。周囲を見回すと、幾つか
の木々、側を流れる運河、そして遠くに見える洋館――
(って言うより城か)
そのすべてが、僕が見たあの絵とそっくりだった。
(絵の中に入り込んだんだから当たり前か)
けど、人を取り込むなんて、かなりの力を秘めているに違いない。強力なユニコーンもこの絵から出
てきた。まだ油断できる状況じゃない。
「あの城に誰かいるかもしれない。行こう」
動かないわけにはいかない。梨紅さんを連れ、僕は城を目指した。
「! 丹羽くん、お城の前……」
梨紅さんが言うより早く気付いた僕は彼女が言葉を言い終わる前に城めがけて駆け出していた。遠目
に見えただけだが、心臓が不安のせいで大きく拍動している。
走り続けた脚が目の前の光景に進むことを拒んだ。城の前に広げられたテーブルの上には数々の豪華
な料理が、これからパーティーでも始まるかのように準備されている。けど、テーブルについている出
席者は一人もいない。出席者に予定されていただろう人達は、死んだように芝の上に転がっていた。
後ろから追いついてきた梨紅さんが小さく悲鳴をあげた。日常では眼にかかることのない状況に呼吸
を乱し、動揺しているのが分かる。
「ど、どうしたのこれっ!」
「分からない。けど、僕から離れないで」
梨紅さんをかばうように右手をあげ、腰を少し落として神経を集中させた。魔力が渦巻くこの世界で
はどこから、何が起きるか分かったものじゃない。突然背後から現れたり、梨紅さんに化けたり、精を
搾り取られたり、搾り返したり、
(バカか僕はーーッッ!!)
緊急事態にも関わらずこんな想像しか思い浮かばない自分が怨めしい。
「どしたの丹羽くん?」
「い、いや――」
不安そうな梨紅さんに声をかけようとした時、身体中に上から押し潰されそうなほどの威圧感を感じ
た。地面にめり込むんじゃないかと思えるほどの圧力。強大な力を誇示するように全身から放つ光を纏
ったユニコーンの感じ。
「っっ!!」
「きゃっ!?」
突如降り注いだ光のために左手で顔を覆った。目が眩むと同時に頭の中もどろどろに掻き回されたよ
うな気分だ。よろけそうになるのを両脚を踏ん張って堪えた。瞼を通して眼に突き刺さる光が次第に収
まり、開ける事が辛くなった眼を開き、総毛だった。
ユニコーンが堂々と、静かに、動かず、風景のようにそこにいた。
今の僕が闘って勝てる相手じゃない。攻撃を仕掛けられたらどうすればいいだろうか。
逃げる? どこに。梨紅さんは守れるか? 自信がない。ウィズはまだ戻らないのだろうか。
ここと外の時間の流れはどうなっているのだろうか。あと何分、何時間かかるのだろうか。
(ダメだ、考えがまとまらない!!)
冷静さを欠いている。どうする、どうでる、何をする。答えの出ない難問が頭の中を飛び交う。万事
休すだ。とにかく神経を極限まで研ぎ澄まし、あれの一挙手一投足に注意を払った。
「お兄ちゃん達、動けるの?」
不意に聞こえてきた少女の声に、今まで練り上げてきた集中力が霧散した。身体が冷たくなっている。
汗が噴出していることに初めて気付いた。
「どうして動けるの?」
ユニコーンの陰から何かが姿を見せた。
「女の……子?」
梨紅さんが虚を突かれたように口を開いた。僕も同じ気分だ。
「みんな、他の人はみんな動かないのに、どうして?」
髪は栗色で、肩までのショートヘアでウェーブのかかっている。フランス人形という形容がしっくり
くる。年齢は幼そうで、外見だけで判断すればレムちゃんより発育不全だ。
「どうしてなのかな?」
顎に人差し指を当てて首をかしげるその仕草が可愛らしい。
少女の疑問、どうして僕達だけが動けるかという疑問には僕なりに考えをまとめてある。
それは僕達とみんなが絵に入ってきた方法の違い。ユニコーンが絡んでいるかいないかという点だ。あ
れがみんなをこんな目に合わせている元凶だと確信に近い重いが僕にはあった。
ユニコーンを睨むように視線を移した。あれはどう思っているか、まったく見当のつかない目をして
いる。
「でも、別にいいの」
考え込んでいた少女が明るい声を出した。掌を胸の前で叩き合わせ、嬉々として言ってくる。
「これで、やっと楽しいパーティができそう」
「パーティ?」
「そう。パーティ」
「何でそんなことを」
「だって、私はそれがしたくてずっと待ってたんですもの」
そう言ってくる少女の顔は、長い年月を経た老婆のように疲れに満ちた、悲しい表情だった。それに、
ユニコーンから受けるのとは別種の寒気が背筋を駆け上がった。
「でもユニコーンさんが連れてくる人はみんな動かないの」
その言い方だとあれが外で何をしているのか知らないみたいだ。
「だからお兄ちゃん達が来てくれて本当に嬉しいの」
屈託なく笑う少女には、さっき僕がみた老婆の影はなく、歳相応に純真無垢な表情だ。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
声をあげた梨紅さんが僕の右腕を押しのけて一歩前に歩み出た。
「みんなは、ここにいるみんなはどうなっちゃうのよ!?」
「大丈夫。ユニコーンさんが何とかしてくれるから」
「何とかって……、元はといえばそいつのせいで――!」
「うわわっ!待ってよ梨紅さんっっ!!」
今にも少女とユニコーンに飛び掛っていきそうな梨紅さんを抑えた。
「何よ丹羽くん?」
「まずいよ。状況が悪い」
「あ、あんな馬の一頭や二頭、殴り倒して」
「無理無理無理無理っ」
「あうー……」
何とか冷静さを取り戻してくれたようだ。とにかく今、あれと対峙するようなことは避けるのが得策
だ。素直に従うのがいい。
「それで、パーティってどんなことするつもりなの?」
二人揃って妙にぎこちない微笑みを浮かべて話しかけた。少女は顔を伏せ、言いにくそうに身体をも
じもじさせていたが、すぐに口を開いた。
「あのね、実はお兄ちゃんにしか頼めないの」
「僕、にしか?」
少女がこくんと頷いた。
「私、ずっとここにいたの。一人ぼっちで」
また少女の顔が老け込んだ。が、それは一瞬のことだった。
「それでね、こうなっちゃう前に本で読んだことがあるの」
「何を?」
「えっちなこと」
すっぱりと言い放たれた。
「あんなことやそんなこと、お兄ちゃんとしてみたいの」
「ちょぉぉっっと待ちなさいっっっっ!!」
僕がどうするか悩むよりも早く、梨紅さんが顔を真っ赤にして再び少女に歩み寄った。
「あんた、まだ子どもじゃないの!それで、それでそんな――ッ」
すとん、と梨紅さんの身体が落ちた。最初はこけただけかと思ったけど、その表情がただ事じゃない
と物語っていた。
「梨紅さんっっ!」
彼女の傍に腰を下ろして上体を抱え上げた。その眼には恐怖と不安の色に染まり、僕に助けを求めて
いた。喉を押さえている。どうやら声が出せないらしい。手が動くということは全身の自由を奪われた
わけじゃないけど、立つことはできないようだ。
こんな芸当ができるのはあれしかいない。梨紅さんに向けて魔力を使っているせいか、先程よりさら
に威圧感が増している。
「お願い、邪魔しないで!」
少女の声が一際大きく響いた。それほどえっちにこだわっているのだろうか。
「お兄ちゃんがしてくれたら、お姉ちゃんを解放するから」
交換条件を突きつけられた。もちろん、僕に選択権はない。
「……お願い。目をつぶってて」
梨紅さんの驚きが表情だけで十分伝わってきた。抱えていた上体をそっと地面に横たえた。
彼女が腕を伸ばすが、それをすり抜け、少女に近寄った。あの腕に捕らわれたら、絶対に気持ちが揺ら
ぐ。
ユニコーンが近くにいるせいで、逆らうことも、怪しい素振りも命取りになる。何より、梨紅さんを
助ける手立てが他に見当たらない。
梨紅さんの視線が背中に当たっているのを感じる。お願いだからこれ以上僕の方を見て欲しくなかっ
た。
いざ少女の前に立つと、本当にしていいものかどうか迷った。その目は好奇心で爛々と輝いていて、
期待大という想いが痛いほど伝わってきた。
少しだけ後ろを振り返ると梨紅さんと視線が交わり、彼女の方が先に逸らした。一瞬だけ見えた眼は、
軽蔑されているような感じがした。当たり前、だと思う。
頭を振って視線を少女に戻した。変わらず、眩しいほどの目で僕を見ている。
「あの、初めてだから、優しくお願いします」
ぺこりと頭を下げられ、つられて頭を下げた。
「優しくって言われても、僕だって経験多くないし……」
いつもさっちゃん、レムちゃんとしているけど、慣れているとは思われたくなかったから小さな嘘を
ついた。そして次の瞬間後悔した。
「経験者ですか!それは好都合です」
周囲に聞こえる程度に彼女の声があがった。もちろん、それは後ろにいる梨紅さんにも届く大きさの
声であって、非常に悪い予感がしつつ、恐る恐る振り返った。
案の定聞こえていたらしい。梨紅さんが目を見開いて驚いている。
(最悪だ……)
自分の浅はかさを呪った。
「安心して任せられます」
「……そう」
最悪なことをされてしまったせいか少しばかり気分が楽になった。というよりこの場合はやけになっ
たという方が正しい。勢いに任せて彼女に訊いた。
「それで、どこでするのかな」
「ここでいいです」
「よくなぁぁぁぁぁぁぁぁいっっっっっ!!!!」
この世界に木霊するほど強く吼えた。
「大体梨紅さんがすぐ傍にいるのにできるわけないじゃないかっっ!」
「人に見られているほうが気持ちいいと本に書いてましたよ?」
「ましたよ? じゃなくてっ! 人に見られるようなことじゃないんだよ!」
「そうなんですか? でも外でするんですから、いいじゃないですか」
「外で!? なんで外でするのっっ?!」
「そう書いてありましたよ?」
「ましたよ?じゃなくてっ! 普通は清潔なところですることなんだよ!」
「へぇー。初めて知りました。さすが経験者ですね」
間違ってる。この少女の知識はどこか間違ってる。一体どこで、どんな本でこんな知識を学んだんだ
ろうか。
梨紅さんはというとここでする発言のせいか、顔を真っ赤にして俯いている。
「とにかく、私はここでするって決めてたんです。ここでしてください」
「えぇ――」
僕が嫌そうな顔をした瞬間、ユニコーンがきつく睨んできた。
「お兄ちゃんに拒否権はありません」
脅しじゃないか。ともあれ、彼女の要求に応えない限り梨紅さんの安全は保障されないから拒否権が
ないというのは事実だ。
この距離なら目を閉じてくれてても声は聞こえてしまうだろう。梨紅さんのことを忘れ、少女のこと
にだけ集中した。
(そうだ。忘れるんだ。この子に、いつもしてるようにするんだ)
「――よし」
腹を決めた。
手始めに、少女の目線の高さまで腰を落とし、手を彼女の肩にかけてから軽く口付けた。
「はむぅ」
不慣れなせいか、唇は堅く閉ざされ、舌は進入できそうもない。身体も微かに震えているのが手から
伝わってきた。
「キミ、名前は?」
彼女の緊張を解くつもりで訊ねた。
「美咲……西沢美咲」
「美咲ちゃんか。かわいいね」
「あ、ありがと」
幾分表情が和らいできた。今度は美咲ちゃんの首筋に甘く噛みついた。噛みついた瞬間に彼女の身体
が縮みあがったけど、一瞬だけだった。噛みついた箇所に熱い息を吹きかけながら舌を這わせた。
「ぁ……」
くすぐったがるだけかと思ったけどしっかり艶のある声を出してくれた。どうやら性感はある程度で
きているようだ。
(これなら、イけるかな……)
性感がばっちりな彼女の服を剥ぎ取ると、レムちゃん以上にぺったんこな胸の、その先端にある小さ
な突起を指でつまんだ。すでにこりこりしていて興奮状態だった。さらに大きく勃つように念入りに指
で擦っていると、目に見えて彼女の呼吸が荒く、大きくなってきた。
「痛かったら言ってね」
優しく声をかけた瞬間、
「ひッ――」
美咲ちゃんが小さく呻き、僕に抱きついて身体を強張らせた。この反応にまさかと思った僕はショー
ツ姿になった彼女の股間の割れ目に指を這わせた。熱く湿り、溢れた汁がショーツに収まりきれずに太
ももまで伝っていた。
本気でイッている。あまりにも早い絶頂に多少狼狽えてしまった。どうも感度がよすぎてこちらが困
ってしまう。
絶頂が尾を引いているせいで彼女の呼吸はまだ整っていない。
「まだイける?」
ここまでやらせておいて僕だけおあずけというのはごめんだ。弱々しいけど、確かに彼女は頷いた。
美咲ちゃんの腕を首に回させたまま地面に腰を下ろし、彼女だけお尻を突き出すような格好で立たせ
た。右手の中指を口に含んで唾液をまぶし、彼女のショーツの中へ進入していった。無毛で、しかもイ
ッたばかりで大量に溢れている汁のおかげで滑らかに秘裂を指でなぞることができる。時折、思い出し
たように声を漏らし、身体をくねらせる美咲ちゃんが可愛らしい。
まだ陰唇の膨らみさえ感じられない、唯の一本の筋を割るように指でまさぐった。
(…………見つからない)
女性にあるべき膣穴が分からない。指だけで探り当てるのは無理のようだ。立たせていた彼女の膝を
折らせ、流れるように正上位の型へ持っていき、縦筋の中をじっくり観察した。
「ちょ、ちょっと恥ずかしいです……」
「ここまできて恥ずかしいもないと思うけど……」
相変わらず少しずれている気がする。肉厚な縦筋を左手の親指と人差し指で押し拡げ、ようやく膣穴
らしきものが見えた。再度唾液で湿らせた指を三度股間へ向けて伸ばす。
「んッッ!」
指の先端から第一関節、第二関節を押し込んでいき、そこで締めつけが強くなった。指が壊死するん
じゃないかと思えるくらいの強すぎる締めつけ。
(こんなところに入るのか?)
当たり前だがペニスは指とは比較にならないほどの太さと長さと硬さがある。繋がろうとすれば僕の
か彼女が壊れてしまいそうだ。十分すぎるほど指で練っておく必要がある。
彼女の中に入れていた指を強引に動かし、膣道を掻き乱した。
――東野第二中学校上空。二つと一匹が舞っていた。
「す、すごい魔力ですねぇ」
「並の力ではないな。大気が歪んで見える」
美術室から放たれる魔力の渦はすでに校舎を覆い、学校の敷地を越えて市街へ溢れ出すのも時間の問
題かと思われた。
「さっさと済ますぞ。これは少し、まずい」
「ですねぇ。久々に暴れるのです」
「本気でいくか?」
「本気でいくのです。この機を逃すと、次の活躍はいつになるのやら」
最後の方はうるうると涙目で訴えていた。
「だな。今晩は主の精を最後の一滴まで搾り取らねば」
「干からびるまでやってみましょうか?」
「それは洒落にならん」
いつもの調子の掛け合いが終わり、真剣な口調へ戻った。
「行くぞ、ウィズ!」
「突撃ぃ、なのです!」
「クッキュゥゥゥゥッッ!」
――あたしは、ダメな奴だ。
丹羽くんがどうしてあんなことをしなきゃいけないのか、理由はちゃんと分かってる。
あたしが役立たずで、足手まといになって、丹羽くんにつけを払わせている。
行ってほしくなかった。止めたかった。あと少しこの手が伸びていたら、彼を止めることができたか
もしれない。
二人の息遣いが聞こえる。二人の交わる姿が見える。今すぐにでも目を逸らし、耳を塞いでしまいた
かった。
けど、できない。あたしは丹羽くんがえっちなことをしているのを食い入るように見つめて、耳を立
てて聞いていた。
丹羽くんとしているのがあの子じゃなかったら、あたしだったら、そっちのほうがよかった。あんな
ところを見るくらいなら、見せられるくらいなら、あたしが代わりに相手をしたかった。
嫉妬……しているんだろう、あの子に。
彼のあんな姿を見て濡らしているなんて、あたしは、ダメな奴だ。
「き、っつい……」
動けるものじゃない。動こうとしただけでねじ込んだ亀頭が食い潰されそうだ。少し腰を引くと勢い
よく胎内から吐き出される。奥までの挿入は無理だ。
仕方なくかなり浅い位置でやるしかない。再び先端を美咲ちゃんの中へ押し込んだ。今度は吐き出さ
れないように震えるくらいの微細な動きで腰を使った。
「んッ、くぅッ」
ねちっこく、がっしりと僕のものに喰らいついてくる。このきつさはたまらなく痛い。
それでも堪えて彼女の膣口を擦っていると、微かに締めつけが緩くなってきた気がする。
ぬるぬると湿る道を、閉じている肉壁を裂いて奥へ侵入させようとする。
「大丈夫?」
「は、はひッ」
大丈夫じゃないようだ。歯を食いしばってかくかく震えている。全体の半分も入ってないけど、これ
以上の進入は美咲ちゃんに悪いと思った。この位置で、さっきより大きく腰を動かした。
未成熟の膣内は肉が蠢く感触を伝えてはこないけど、それに代わる締めつけがペニスを刺激してくる。
痛いとしか思えなかったそれがだんだん快楽へ変換されていく。
「くッ、うう……」
「はふ、ふぅんッ!」
気がつくと美咲ちゃんの脚を抱え、いつもより早い動きで、小刻みに抽迭を繰り返していた。先の方
しか入れてないせいか、いつもよりそこの感覚が鋭くなっている気がして、すぐにでも爆発しそうだ。
「はぁッ、あぅんッッ――」
彼女の身体が震え上がると、連動して僕の先を締めつけるそこもぐぐっと縮んだ。
「んぐッ」
続いて僕にも限界が訪れそうになった。今までにないくらい腰を突き出し、彼女の幼い子宮口へ劣情
をぶつけようとした。
「――あ」
両手を地面につき、破裂しそうに腫れ上がったものから白濁液が飛び出そうとするのを必死に堪えた。
「んぐぐ……、がッ! はぁ、はぁッ」
鈴口のすぐ手前まで押し寄せていた射精の波がゆっくりと引いていく。未だにペニスは腫れているけ
どもう出ることはなくなった。結合をそっと解き、ズボンの中にそれを納めた。
「約束。梨紅さんを……」
言おうとしたけど、目を閉じて横たわる美咲ちゃんの顔を見ると、声をかけることがはばかられた。
疲れて、でも満足そうにしている。
腰を上げ、僕が射精を堪える要因になった梨紅さんに近づいた。あの瞬間、梨紅さんの姿が目の端に
映りこんだ。梨紅さんの顔が思い浮かび、出したくないと、強くそう思った。自分でも何でそう思った
か理由ははっきりしないけど、ただ、彼女が傍にいるのに別の女性として、それでイッてしまうことに
酷く不快な気持ちになった。
(とにかくまず梨紅さんを助けて、それからみんなを……)
「――ッ!」
考えるより先に身体が動き、右へ転がった。瞬間、僕がいたところを何かが高速で駆け抜けた。
いや、何か、ではなく、あれしかいない。
「くぅっ!」
転がる勢いのまま身体を起こた。視線の先には、すでにユニコーンが臨戦態勢に入っている。僕がみ
んなを、梨紅さんを助けるのを阻止するつもりだ。
一瞬思案した隙を突いて間合いを一気に詰められた。
(――速いっ!)
身体の軸を逸らし直撃を避けようとした。
「があッ!」
左半身――左肩に僅かに触れただけで身体が吹き飛ばされた。受け身も取らず、ただ身体を丸めて地
面を跳ねるように吹き飛んだ。鈍い衝撃が全身に走る。準備してあったテーブルに突っ込み、崩れたそ
れが身体に圧し掛かってきた。
瓦礫と化したその中から這い出して体勢を立て直そうとするけど、打つ手がないことは分かっていた。
対峙しているだけで、プレッシャーで負けそうだ。
ユニコーンが微かに身を動かした。僕も身体をかがめて身構えた、が、ユニコーンは僕ではなく、上
空を振り仰いだ。
「キュウゥッッッ!!」
怪訝に思う間もなく上空から待ちに待った鳴き声が聞こえてきた。
「ウィズっっ!」
真っ青な空にそこだけ色が抜け落ちたように黒く染める翼が僕のもと舞い降りてきた。
「ふむ。面倒なことになってるではないか」
「ほわぁ、ユニコーンさんですね」
「みんなを助けなきゃいけないんだ。力を貸して!」
必死な口調で頼んだ途端二人が含み笑いをを始め、思わず身を引いた。
「な、何……?」
「くく、ふふふっ。久々の出番だ!」
「全力で殲滅しますよぉっ!」
「そ、そう……」
並々ならぬ力強さが伝わってきた。
「! くるぞッ!」
さっちゃんの声に反応して振り返ると、ユニコーンが間合いを詰め始めていた。
右手で剣を、左手で盾を取り、ウィズを背にして跳躍した。瞬時に空高く舞い上がり、それを追って
向こうも軌道を修正してきた。
一瞬だけ梨紅さんが倒れているところに目がいった。
(すぐ、助けるから!)
「余所見はダメですっっ!」
レムちゃんの声で視線を戻した。
「うわぁッ!?」
目の前まで迫っていた角をすれすれでかわした。
「気を抜くな。命取りだ」
「う……うん」
今の一撃だけで冷や汗が噴き出してきた。思った以上に強敵だ。
「一撃で決めるぞ。集中しろ」
「分かった!」
二人の魔力が増長し、周囲の空気が音を立てて弾けていく。その強大さに僕自身も息苦しさを感じ始
めた。
「す……っごい……」
「ふふん。今夜は干からびるまで相手をしてもらうぞ」
「二人まとめてですよぉ」
「んげっ」
二人の力に意識が吹き飛びそうになる反面、身体は驚くほど活性化して感覚が冴え渡ってている。
「これなら、いける!!」
ユニコーンとの距離を刹那で詰める。相手が気付いているのかどうか分からない。構わず剣を薙ぎ、
その首を横一文字に斬り裂いた。
「――」
直後に身体を襲う衝撃。ばらばらになるかと錯覚するような感覚。鼓膜をつんざくような音が突き抜
け、咄嗟に手で耳を塞いだ。
「ごらああぁぁぁぁ――……」
右手から抜け落ちたさっちゃんが叫びながら地上へ落下していくのを薄く開けた目で確認した。その
まま視線を前に向けたが、そこにはユニコーンの姿はなかった。
「終わった……?」
「はい、終わり……うきゅぅ」
「レムちゃん! どうしたの?」
「っつ、疲れましたぁぁ」
魔力の使いすぎでもう力が出ないということだ。帰りだけならウィズだけで十分だと言われたので安
心した。
「梨紅さんは……っ」
梨紅さんのところへ行こうとした時、城の側から幾筋かの光が真っ直ぐ空に立ち昇っているのが目に
入った。
「あれは?」
「みなさんが、元の世界へ戻ってるんですよぉ」
「そうなんだ」
「でも、ご主人様と梨紅様は……肉体ごとここにきたので、早く脱出しないとこの世界と一緒に消えて
しまうのですぅ」
「まずいね。早く出よう。って、梨紅様ぁ?」
梨紅さんに様付けというの酷くしっくりこないけど、レムちゃんの調子ならそれも仕方ない。
もうすぐで梨紅さんの傍だというところで、上体を起こしかけている美咲ちゃんの姿が目に入った。
「……」
「あわわっ?ご主人様ぁ。梨紅様はそちらじゃないのですぅ」
慌てて僕に注意を促がすレムちゃんをよそに、美咲ちゃんのもとへ舞い下りた。焦点の定まっていな
い目で僕を捉え、首を廻らせた。
「……ユニコーンさんは?」
正直に倒したといえばいいんだろうか。けど、彼女のユニコーンにすがるような瞳を見ていると、答
えるべきか迷った。
「そっか。消えちゃったんだ」
何も答えようとしない僕の真意が読まれ、彼女が寂しい笑みを浮かべた。
「僕は――っ」
口を開いても続く言葉が出てこない。けど、美咲ちゃんに何か言いたい。ただのエゴだけど何も言わ
ないのは嫌だった。
「いいんです」
そんな僕を彼女が弱々しく頭を振って止めた。
「もう、いいんです」
「あ……」
彼女の身体が周囲に溶け込んでいく。目を擦ってもう一度見たけど、だんだん身体が透けていってい
る。
「ユニコーンさんが消えたから、あの子を留める力が消えたんですね」
レムちゃんの説明が耳に入るけど、半分は聞き止めていなかった。この世から消えていこうとする彼
女を前に、何もできることがないことが悔しく思えた。
「そんな顔しないでください。私は楽しかったですよ」
彼女に心配されるほど情けない顔をしていたのかと思い、自分の顔に手を当てた。
「えっちってあんなにいいものだったんですね」
「…………は?」
うーん? なんだか一転して明るい口調で言われてしまったぞ。
「最後にあんないいことできて、もう思い残すことなんてありません」
なんだろう。さっきまで辺りに立ち込めていた重苦しい空気が全部吹っ飛んでしまった。
「えっちができてよかったですねぇ」
レムちゃんの声が周囲の空気にぴったりと合っている。けど、僕にはまったく合っていない。一人だ
け取り残された気分だ。
「はぁ。もうすぐお別れです。もっとしたかったんですけど残念です」
いや、僕はもういいです。
「機会があったらあのお姉ちゃんも交えて三人で」
「もういいよっっっ!!」
「ど、怒鳴らないでください!お別れなんですからもっと和やかに……」
「そうですよぉ。こんな子を虐めたら許さないですよ」
深い溜め息が漏れた。女性二人を相手に口で争うことに抵抗があった僕は反論を諦めた。
「お兄ちゃん」
僕を見つめる美咲ちゃんの顔にはふざけた色はなく、可愛らしい笑みを浮かべていた。
「ありがとう」
その言葉を最後に、砂城が波に呑まれるように彼女の姿が中空へ溶け込もうとした。
「ありがとう」
自然に微笑み、彼女と同じ台詞を口にした。お互いの視線が交わり、そして最後は掻き消えていった。
しばらくの間、そこに立ち惚けていた。
「ご主人様、時間がありませんよぉ」
「そうだね。ウィズ、さっちゃんをお願い」
「ウッキュ」
レムちゃんの言葉に現状を思い出し、ウィズに指示を出してから梨紅さんの元へ走った
梨紅さんはさっきまでここにいたみんなと同じようにぐったりとしていた。身体を抱えて何度か呼び
かけると、微かに唇が動くのを確認した。
「生きてるみたいですねぇ」
「不吉なこと言わないでよ」
薄く目が開いた。
「梨紅さん? 大丈夫?」
刺激しないように優しく語りかけると、次第に彼女の焦点がはっきりとしてきた。
「に……わ」
聞き取りにくいけど確かに僕の名前を呼んでる。ユニコーンから受けた魔力の影響も抜けたみたいで
ようやく安心した。安堵が身体を巡ると、疲労が顔を覗かせてきた。ユニコーンとの戦いがよっぽど響
いたのか、四肢が悲鳴をあげてきた。
「早く帰ろっか。ウィズ」
呼んでもこない。さっちゃんが落ちた辺りを見ると、白い毛玉が不釣合いというか無茶をしていると
しか思えないほどのサイズの剣をずりずり引きずってこちらに向かっていた。
「何で飛んでこないんだよ」
「きっと魔力を温存してるんですよ。万が一ということもありますからねぇ」
ウィズがつくまでかなり時間がかかりそうだ。しょうがなく、梨紅さんを背負ってウィズの方に行こ
うとした時、腕の中でぐすぐすと鼻をすするのが聞こえてきた。
「梨紅さんっ!?」
目から溢れる涙を拭いながら、梨紅さんが子どもみたいに泣きじゃくっていた。
「ご、ご主人様! 泣かせてしまったのですか?」
「しし、知らないよっ」
慌てふためく僕の耳に、泣きじゃくる彼女の声に混じって小さく、ごめんなさい、という言葉が聞こ
えてきた。梨紅さんが何を謝っているのか分からないでいると、レムちゃんがとんでもないことを口に
した。
「あやや。梨紅様、お股が濡れてるのですよっ!」
「ええっ!?」
急いで手を伸ばして確認しようとした。
「変態か僕はぁっっ!!」
「はわわっ! ご主人様が壊れたぁ!?」
ともあれ、梨紅さんが濡らしているというのはどうにも解せない。
「もしかしてご主人様とあの子がしているのを見ていたのかもしれませんねぇ」
「ま、まさかぁ」
否定しようとしたけど、それ以外に梨紅さんが濡らしてしまう原因も思い浮かばない。
まさか、本当に見られていたのだろうか。
「だから謝っているんでしょうか?」
「うーん……」
「それにしても、その濡れ具合ならやってしまっていいんじゃないですか?」
「それはさすがに……」
「えー。でもご主人様だってまだ勃起してますよ」
本当だ。戦ったことですっかり忘れていた。美咲ちゃんとした時は出さなかったから未だに性欲だけ
は、ある。
「いやいやいや。でもよくないって」
「何でですか?」
「何でって、それは」
「梨紅様だって受け入れの準備は万端ですよ。ここでしないと漢じゃありません!」
「そこまで言う?」
「言います。さあさあ、お互い慰めあうのです」
「楽しんでない?」
「楽しんでます」
これ以上つき合うのは疲れるので反論しなかった。しかし、腕の中で泣きじゃくって身体を震わせる
梨紅さんは触ってしまえば壊れそうなほど脆く、愛らしい。
(いやいやいやっ!)
暖かな体温が腕を通して伝わってくる。柔らかな肌の感触が堪らなく興奮させる。
(いやいやいやいやっ!!)
初めてした時はできなかったけど、次はじっくりと彼女の身体を、
(――――ッ!!!)
梨紅さんをお姫様だっこで担ぎ上げ、ウィズに向かって駆け出した。
「ごご、ご主人様ぁっ?」
「時間がないんでしょ帰るよ」
早口で捲くし立て、ウィズを呼び寄せた――。
「目、覚めた?」
原田梨紅が身をよじって身体を起こすと、そこに声がかけられた。
「丹羽……くん」
起こした身体から毛布が落ちた。鼻につく消毒液の匂いと、白いレースのカーテンが覆っているとこ
ろから、そこが保健室だと思い至った。
「どうして、丹羽くんが……あれ?」
自分が何をしていたのか思い出そうとして、それができないことに狼狽した。額を怪我して保健室に
行ったことは覚えている。そこから先がまったく思い出せない。
「部活あるんでしょ? 早く行った方がいいよ」
「あ、うん」
「じゃあ先に行くから。また」
そう言って彼はさっさと保健室から出て行った。
「あ……」
彼が出て行く時、右腕の裾の下に包帯が巻いてあるのが彼女の目に入った。その跡に多少の既視感を
覚えたが、それだけだった。ドアが閉まる乾いた音が保健室に響いた。
独りになった梨紅はベッドに身を沈めた。失った記憶をたぐり寄せようとしてじっと目を閉じた。自
然体で落ち着いているとさっきは浮かんでこなかった夢とも思えるほど儚い記憶の断片が微かにだが甦
ってくる。
丹羽くんが女の子とえっちをする。
丹羽くんが以外にも経験者だ。
丹羽くんがしているところを見てあたしがどきどきしている。
「…………ろくなもんじゃねぇ」
ぼそりと呟いた。
結局、それは夢だったのかもしれない。むしろそちらの方がいい。夢に決まっている。
そう自分に言い聞かせ、惚けたように天井を見つめていた。
そういえば、自分が大助に絡む夢を見る時はいつもこんな風にはっきりしていない時が多いと、彼女
の中にそういう思いが浮かんできた。
丹羽くんとしちゃったような夢を見た。
丹羽くんに助けてもらうような夢を見た。
今日は、丹羽くんが女の子としているような夢を見た。
「…………欲求不満?」
自分にそんなえっちな感情が内在しているのかと思い、少し顔を赤らめた。
「あそこでしないなんて根性なしです」
「漢ではないな」
二人に好き勝手言われるのは慣れたものなので無視しておいた。荷物をすべて手にし、空を飛んで家
へ戻っている。
「梨紅様も望んでたのにぃ」
「女心が分かってないな」
あそこで耐えれたことに関しては素直に自分を褒め称えたいと思う。梨紅さんの記憶はユニコーンの
力のせいか、かなり混濁していて今回のことは正確に覚えてはいないだろうということらしい。僕から
すればそちらの方が好都合だ。今回のを覚えられていたら生きていけない。
「今、安心しましたね?」
「うぇっ! し、してないよ」
「すぐ顔に出る。分かりやすい、な」
「んな、何だよ二人してさぁ!」
二人の執拗な言葉攻めにとうとう反論してしまった。また面倒になるなと思っていると、二人はあっ
さりと話を逸らした。
「まあいい。今回は他人のことはどうでもな」
「何で?」
「忘れましたか? 今回はぁ、ちょっと疲れちゃったんですよぉ」
「ッうげ!」
思い出した。
『干からびるまでやるからな(やりますからね)!!』
次回 パラレルANGEL STAGE−10 それぞれの夏休み