太陽は顔の半分を地平に沈めている。遠くの空は黒く染まり、今僕が……僕達がいる東野  
第二中学校も闇に包まれようとしている。  
「暗くなっちゃったね」  
 街の明かりはほとんどない窓の外を見ながらぽつりと呟くが、誰も答えてはくれなかった。  
二人の様子からしてそれは期待できなかったけど、やっぱり少しだけ心苦しくなった。  
 ウィズと二人が姿を見せたとき、僕に話があると言われ話せる場所を探して中学校の保健室  
に辿り着いた。さすがに冷え込んでいたので暖房をつけ、電灯も点した。おそらく今、この街で  
人を照らす光は保健室の電灯だけだろう。  
 時計の針は進み短針は真下を差そうかという時刻、ここについて数十分、二人は何も言わな  
いし、僕も急かさない。黙って二人の話を待った。  
 沈黙はいつまで続くのだろう。いつまでも続いたらダメだ。時間は待ってくれないから。  
それでも急かさない。ギリギリまで待って、二人の口から話をして欲しい。  
 時間は六時を回っている。窓がカタカタ音を立て、吹く風に震えていた。  
「ご主人様…………」  
 幼さの残る小さな声が静寂を破り裂いた。ようやく話をしてくれたことに心が少しだけ軽くなる  
のを感じた。  
「独りだけで行く気なのですか?」  
「そうだよ。行かなくちゃいけないから」  
 沈痛な声に対してできるだけ明るく答えてみせた。レムちゃんの潤んだ瞳が照明を反射して  
きらりと光っている。  
「でも、でもぉ……!」  
「大丈夫だよきっと。それより二人とも早く行かないと、もうすぐ危険になるから」  
「嫌ですっっ!」  
 窓から眺めるのをやめて振り返った胸にレムちゃんの小さな身体がぽすんと飛び込んできた。  
思わずよろけ、窓枠が小さく軋む。  
「いやですいやです! 一人で行っちゃいやです!」  
「レムちゃん……」  
 顔を埋めて訴えるレムちゃんの声が直に胸を打つ。熱く湿っていくのを肌で感じる。  
 
「ありがと、心配してくれてるんだ。本当にありがとう。でも」  
 胸の中で震える少女の肩に手をかける。今は一緒にいちゃいけないし、僕は行かなくちゃ  
いけない。  
「行かなきゃダメなんだ。独りでも……行かなくちゃ」  
「そうやって!」  
 突然部屋中に響いた声にはっと顔を上げた。相変わらず胸で震えるレムちゃん以外にこの  
場にいるもう一人が、僕をきっと見据えていた。  
「そうやって独りで行って、自分だけ傷ついて、それで我らが納得するわけはないだろ!」  
「でもさっちゃん……」  
「主が行くなら我らも行く! これは二人で決めたことだ!」  
 耳を疑った。驚いた、し…………一瞬だけ嬉しくなった。その思いはすぐにかき消した。  
「いや、来ちゃダメだよ。だって二人はクラッドと……」  
 二人はクラッドと戦えない。クラッドの力の前に萎縮し、畏怖し、戦う意思をごっそりと刈り取ら  
れていた。先日の短時間の戦闘が今ではありありと思い出せる。  
「戦えます……戦えますからぁ」  
 ぐずぐず鼻を鳴らすレムちゃんはがっしりとしがみついている。離れたくない、という思いが伝  
わってくるようだ。  
「もう、傷ついて欲しくないのだ」  
「……傷つくのが僕だけなら、いいよ」  
「傷ついてしまったのは我らの責任だ!」  
 言葉に詰まった。あのさっちゃんが涙声でこんな風に叫ぶなんて思ってなかった。  
「今度はしっかり守るだから!」  
 レムちゃんの上からさっちゃんが身体を抱きしめてくる。すぐ横の彼女の口が耳元でそっと囁く。  
「だから……一緒に」  
 二人が傍にいることが、とても嬉しい。二人が僕を求めてくれているのが、すごく安らぐ。  
「痛い……痛いよ、二人とも」  
 ――いや、違う。求めていたのは僕の方だ。二人に傍にいて欲しいと願っていたのは僕の方だ。  
だから今、二人をとても愛しく思う。  
 梨紅さんに感じるのとは違う愛情が、僕らを強く結んでいた。  
 
 二人に誘われてベッドに座る。言葉にしなくても二人がしようとすることが手に取るよ  
うに分かる。レムちゃんが下を、さっちゃんが上を脱がせていく。  
「傷は?」  
「うん、平気」  
 僕を裸にすると、今度は二人が服を脱ぎ始めた。目の前で行われる二人の脱衣に見とれ  
ながらも、下半身はぴくっと反応を示す程度だ。今日のことを思うと素直になれないらしい。  
けど今は、二人と一緒の時間を大事にしていたい。  
 ウィズは暖房の上で寝入っていた。これからの行為が三人だけが共有するものだと確認  
するとほっと安堵した。  
(ごめんねウィズ。三人だけで楽しんじゃうけど)  
「どうかしましたか?」  
「何でもないよ」  
 レムちゃんの言葉に視線を戻すと、女性と少女の一糸纏わぬ姿が並んでいた。仲良く一緒  
に跪くと、二人の顔が未だ元気を示さない下半身に近づいてくる。  
 レムちゃんの指が先に絡みつき、先端を覆っていた皮をそっと剥いた。萎縮したままの小さ  
な頭が外気に晒され、背筋がかすかにざわつく。  
 二つの呼吸が左右から迫り、撫でていく。鼻先が触れ、唇が触れ、優しく食む。二つの濡れ  
た唇が先から根元、その下までをなぞるように蠢き回る。  
 丹念な口付けにようやく緊張がほぐれ、代わりに硬度が滾りつつあった。合わせて二人も舌  
を動かし始めた。不揃いな二つの舌の動きがぞくぞくと駆け上がってくる。秘孔、出っ張り、裏  
側、嚢までたっぷりと舐め回され、たちまち硬直した。  
 ベッドに座す僕の上に先に乗ってきたのはレムちゃんだった。下腹に小さなお尻が密着し、  
その割れ目を硬くなったところで感じる。レムちゃんの向こうにあるそれが生暖かなものに覆わ  
れ、ひどくいやらしい水音を立ててしごかれだした。さっちゃんの口に攻められ、早くも気持ち  
よくなってきた。さっちゃんが咥えている姿が見れないのが少し残念だ。  
 
 上も休んでいられない。レムちゃんは積極的に唇を重ねて口内に入ってくる。淡い刺激臭  
にかすかな苦味とレムちゃんの甘さが鼻腔にまで拡がった。  
「臭かったり……しませんか?」  
「全然、いい匂い」  
 レムちゃんのつまらない心配を払拭するよう今度は僕から口腔へ押し入った。舌を絡め、  
口から溢れる二人の唾液がつうっと垂れ流れる。  
 いつの間にか僕の下腹には水溜りができていた。レムちゃんの陰目からはキスだけで多  
量に濡れていた。  
「さっちゃん、もういいよ」  
「はむっ……ん」  
 するりと口をすぼめて引き抜いたさっちゃんの表情はとても満足気だった。レムちゃんの  
腰を抱えていきり立つものの先に、じゅくじゅく熱く蕩けるレムちゃんを押し当てた。  
 レムちゃんの顔は喜びの期待に赤く染まっていた。今まで、こんなに胸が高鳴る挿入の  
瞬間はあっただろうか。  
 ずくっと先が埋まる。後は潤滑液が助けとなり、あっという間に奥まで突き抜いた。レムちゃ  
んがいっぱい締めつけてくる……しばらく腕を回しあい、その余韻に浸っていた。  
 横からさっちゃんが割って入ってくる。唇を奪われると、レムちゃんの時とは比べ物になら  
ない濃密な臭気が頭を焦がし、たちまち意識を朦朧とさせる。ベッドに押し倒されてからもず  
っと、さっちゃんの舌がずっと僕の中を這い回っている。  
 
 ベッドが軋みだすと同時にぞくぞくする快感が下半身を襲う。音も聞こえるけど、視界は  
紅潮するさっちゃんに塞がれ、レムちゃんが動くのを目で愉しむことはできない。代わりに  
触覚が冴え、いつもより数段気持ちよくなっていく。  
 レムちゃんの呻きが強くなると、胸に掌をついて下の動きが速くなる。射精感が高まり、  
まだ動きを止めないレムちゃんの胎内で今日最初の絶頂を迎えた。  
 始めたばかりなのにもうからからになる口をさっちゃんが満たしてくれる。一度の射精で  
萎えてしまうのを、レムちゃんは咥えて放そうとしない。硬さを失いつつあるものを中に入れ  
乱暴といえるくらい強く腰を振り、そして小刻みに痙攣を始めた。さっちゃんが顔を離し立ち  
上がると代わってレムちゃんが降ってきた。いや、倒れ込んできた。疲弊し力ない肢体は  
咥えていたものを吐き出し、レムちゃんの膣内と別れた。  
 休む間もなく刺激は訪れた。さっちゃんが再び下半身に絡みついてきた。揉まれる感触に  
瞳を閉じ、されるがままに四肢の力を抜いた。不思議な落ち着きと快感が渦巻き、冷静なま  
ま下半身は熱く興奮した。  
 また呑み込まれていく……。とても暖かく、窮屈で、締めつけてくる。さっちゃんが腰を振る  
たびに劣情が増してくる。さっちゃんに翻弄され、レムちゃんを抱き締め、この行為が続くこ  
とを強く願った。  
 二人の熱を感じていたいと思いながら、二度目の絶頂に向かって駆け上がってきた。レム  
ちゃんの時には感じられなかった揺り動く肉の重みが、下半身をこれでもかと刺激してくる。  
このままじゃまた先にイかされてしまうと思い、レムちゃんを胸に乗せたまま上半身を起こした。  
訝しむさっちゃんのお尻を手で包み込むと、僕の意のままにお尻を上下させた。これならさっ  
ちゃんの反応を見てイくかイかないかが分かるし、僕の二度目の限界も操れる。上位にいる  
のは彼女だけど、下から突き上げ、僕が揺さぶり、ベッド上の主導権を握る。  
 
 頬に締りがなくなり上気していくのを確認すると、繋がり合ったまま二人の身体を丁寧  
にベッドに横たえた。上位になり脚を大きく開かせると、今まで制限されていた動きを開放  
されて腰が一気にさっちゃんを突きだした。  
 惚けたままのレムちゃんと声を噛み殺して小さく喘ぐさっちゃんを眺め下ろしていると、  
責めているこちらの方が先にイっちゃいそうだ。  
 小さく速く突き責めると、さっちゃんの反応が変わり始めた。息を荒げ、身体がぴくぴくと  
緊張しだし、動き続けてしばらく、抽迭を繰り返していたそこが痙攣を感じた。静かに達した  
のを見届け、僕は奥深くまで腰を沈めて胎内で自身を擦りあげた。さっちゃんの焦がし絡  
みつく中で、二度目の絶頂を迎えた。  
 最後まで出し、それでも中から引き抜こうとはしなかった。まだ足りない……、まだ満足し  
てない。自分の精子がつながったところから溢れ出すのを留めるように、さっちゃんの中に  
入ったまま腰を擦り合せた。けど、さすがに二度放った後じゃすぐに力は戻らない。  
「お尻見せて……」  
 引き抜いて言うと、二人は従順に、犬のように素直にお尻を向けてきた。達したせいか、  
小刻みに震えているのに昂ぶり、また可愛らしく感じる。  
 二人自身と僕の混液が局部から流れている。喉を鳴らし、少しの間寂しい思いをさせて  
いたレムちゃんに吸いついた。  
 自分のが充満し、隠されてしまいそうなレムちゃんのかすかな臭気を求めて一心に舐め  
続けた。柔らかな秘肉を貪りながら、右手でもう一人の秘所をしっかり弄る。ぬるりとした  
粘液が指を滑らせる。  
 秘孔を探り当て指を二本、三本と滑り込ませ、舌を使うことも忘れない。脱力していた  
二人が次第に反応を示すようになると、応じて僕も興奮を覚えた。  
 
 下半身はまだ十分に力が篭ってないけど、これくらいなら入れても平気な硬さだ。すぐ  
にでも二人としたいという気が僕を突き動かした。  
「レムちゃん、入れるよ」  
 腰をあてがうと言葉が終わらないうちに膣内へ浸入していく。再び暖かな中に包まれ、  
心も身体も満たされる気がする。  
 何度か往復し、レムちゃんが感じ始めたところで行為を中断する。いきなり寂しくなった  
せいか、物欲しげな視線を送ってくる。けれどそれには応じず、今度は隣で一人だった  
さっちゃんに突き立てた。レムちゃんと同じく最初は反応が薄いけど、身体と声が次第に  
反応しだした。そこでまた止める。レムちゃんに戻ってゆっくり、大きく責め、再びさっちゃん  
に入れて早く小刻みに腰を動かし、そしてまた……。  
 二人を何度も代わる代わる苛めた。具合の違う二つの蜜壺を異なった腰使いで責め、  
十二分に愉しんでいると、とうとう三度目の限界が近づいてきた。  
「ね……二人で触って」  
 二人の間に苦しそうにひくつくものを突き出すと、二人が向きを変えて僕に手を伸ばして  
きた。女性の手が二つ絡んでくる。ぱんぱんに腫れ上がったそこにはきつい刺激だ。  
 何も言わず二人は手を動かし始めた。早く僕のを解放しようと懸命に手を動かし、擦り続  
け、口を開けて精液を迎える準備をする。  
 艶っぽい二人の顔を見た瞬間、弾けた。三度目でも多量と呼べるほどの精液が宙を舞い、  
勢いよく二人の顔に降り注いだ。  
 口の周りを舐め、互いの顔にかかった白い粘液を舐め合う二人の肩に手をかけ、そのまま  
倒れるようにベッドに横になった。しばらく三人で身体を重ね、長い行為の余韻に浸っていた。  
 
 
 ――――今、何時だろう……。  
 
 すっと目が開いた。長い間外気に晒されていたせいか身体が緊張している。  
「起きたか?」  
 頷いた。二人の姿はない。すでにそれぞれの宿主に戻っている。  
「時間は?」  
「そろそろ日付が変わりそうなくらいです」  
 抱えていた膝を放すと立ち上がり、ここから一望できる景色を眺め回した。東野第二中  
学校時計塔からは、街を流れる川の中州にある中央美術館まで望める。  
「……風、強いね」  
 吹き荒ぶ風がコートをばさばさと打ち据え、スーツを抜けて身体を冷やす。背後に吊り  
下げられる巨大な鐘はその機能を失い、風邪に揺られることもなく黙って僕らを見下ろし  
ていた。  
「戻ったらまた身を重ねるか?」  
「いいかもね……。ウィズ」  
 紅円の剣と蒼月の盾、ウィズと、後は家から持ってきた盗みの時に使うツール。これが  
今の僕の装備。  
「絶対に戻りましょう。そしたらまた……」  
 また頷く。背中に翼が生まれるのを感じながら大きく跳躍した。  
 もう引き返すことはできない。前に進み、この災厄を薙ぎ払わなくてはならない。ウィ  
ズとさっちゃんとレムちゃん、僕達にしかできないことなんだ。  
 
 
 深淵の中、クラッドは瞳を開いた。純粋に穢れ、澄み渡るように暗い光を灯す瞳を。  
「来ましたか……」  
 黒翼が封ぜられる美術館の最下層から、彼は静かに舞い上がった。  
 言葉で語りつくせぬ闇を孕む、悪意が翼をはためかせる。  
 
 
 
 
 
 
「着きましたね」  
 中央美術館上空、レムちゃんの言葉がいよいよ……ということを思い起こさせる。美術館  
の周囲は妖しい黒い靄に覆われている。異変はクラッド、黒翼によるものに違いない。  
「二人とも、平気?」  
「うむ。心配は無用」  
「精一杯頑張ります」  
 二人の声が力強い。余計な杞憂だったかもしれない。  
「行こうか」  
「ああ。あそこの最深だ……、突き抜けるぞ!」  
「先手必勝ですっ!」  
 急降下を始める。あそこにはクラッドも待ち構えているはずだ。昨日のような敗北は、今日  
は許されない。  
「うん! こっちから仕掛ける!」  
 聳え立つ三つの塔の中央、時計塔へ下降する。盾を構え、防御を施して塔の頂点を打ち  
破り内部を駆け下りる。  
「――――!」  
 いた。塔の真ん中に白い二条の翼を持つ者が、僕達を見据えている。  
 
「クラッドッッ!」  
 レムちゃんに言われたとおり先手はこちらが取った。剣の柄を両手で握り締め、クラッド  
めがけ一直線に突き進む。  
「待っていましたよ」  
 切っ先がクラッドの胸を貫く寸前、刀身が止められた。右手の人差し指と中指で刃が押  
さえられた。  
「くっ……」  
 やっぱり一筋縄じゃいかない。真っ直ぐにぶち当たるだけじゃ力の差で完全にこちらの  
負けだ。止められることを想定していたため身体は次の行動にすんなり移ろうとするが、  
途中で尋常じゃない寒気に背筋が総毛立った。  
「やはり歯向かいますか?」  
 目が合い、寒気の正体に気付いた。クラッドの眼…………澄んでいる。とても綺麗に、  
純なほど、悪意に。  
「主ぃっっ!」  
「っがは――?!」  
 さっちゃんの叫びに正気を取り戻した直後に鳩尾を貫かれた。鋭い左拳が正確に急所を  
捉え、衝撃に身体が吹き飛んだ。内壁に背中が直撃し、前後からの鋭痛と鈍痛に感覚が  
麻痺しそうになる。  
「ご主人様っ!」  
 霞む眼が翼を広げるクラッドを捉える。  
「大人しくしていればそれほど痛くはしませんよ」  
 翼がはためくと、無数の光矢がこちらに降り注いできた。かわすだけの機能が回復して  
いない。左腕をかざすと、突入した時と同じく身体を防御陣で覆った。  
「その程度で」  
「ぐッ……」  
 連続して訪れる振動に身体が揺さぶられる。小さな一撃一撃からは想像できない威力が  
積み重なってくる。  
「あぅぅ、逃げてっ」  
 破られる――防御の限界が訪れ、決壊が微塵に砕け散る。光が襲い掛かってくる寸前、  
壁から身体を引き剥がし逃れた。すぐ後方で着弾した内壁が爆砕する。  
 
「まだだ、こちらから攻めろっ!」  
「分かってる!」  
 他面の壁に着地し、クラッドめがけ飛び出す。剣を身体が捩れるまで振り絞り、横一線  
に薙ぎ払う。  
「ふ――ッ」  
 だがまたしてもクラッドの左手に止められる。突きも払いも、全部見切られている。考え  
るより先に右脚が飛び出した。こめかみに放たれた脚は、やはり当たる直前にクラッドの  
右手に掴まれ、完全に止められた。  
「まだまだですね」  
 足元が急激に引かれ、全身が不快な加速を感じた。クラッドの右手から放られ、またも  
背中を壁に痛打する。内臓が軋み、呻き声さえ出てこない。  
「分かりましたか? 歯向かうことが無意味だと」  
 壁にはり付く僕の首を絞めながら高圧的な物言いをしてくる。昨日とまったく同じ状態、  
だけど、二人の声が支えてくれる。  
「しっかりしろ! まだ終わってないぞ!」  
「まだ、まだやれますっ!」  
 力の差は目に見えて明らかだ。奇襲からの攻撃も効きはしなかった。  
「時が来るまで大人しくしていなさい。それともこのまま締め落として差し上げましょうか?」  
 よほどのことじゃない限り、クラッドに傷を負わせることさえできない。  
「その方が良いでしょう。あなたの意識が戻る前に事は終わらせますよ」  
「あァっ……、アぐっッ!」  
 締めつける右腕を引き剥がそうと手をかけて抗うけど、力は込め続けられる。  
 
「その後すぐに使い魔もあなたの元に送ります。寂しい思いはしなくてすむでしょう?」  
 クラッドの言うことに耳は貸さず、僕は準備を進めた。クラッドに油断があるかは分から  
ないけど、これなら有効打にかもしれない。  
 腕を掴んで抵抗している間に剣を左手に持ち替え、クラッドの顔前――眼前にゆっくり  
した動きで右腕を突き出す。  
 クラッドの眉が寄るが、遅い。これは完全に隙を突いた一手だ。コートの袖の中にはワ  
イヤーアンカー付きのアームパットが仕込んである。何度かダークとして使い、そして今  
はクラッドの知らない唯一の武器として、僕が使う。  
「ぐおぉあぁッッッ!!」  
 アンカーをクラッドの左眼に至近距離で射った。柔らかなものが砕ける音、眼球を潰す  
感触がワイヤーから伝わったのを感じながら、クラッドの手から逃れる。  
「よしっ、畳み掛けろ!」  
 残酷な行為。人には絶対にできない非道。けど、あれは人じゃない。躊躇うな、さっちゃん  
が言うとおり、これは自分の手で摘みだした絶好の好機だ。  
 ワイヤーが鮮血を撒き散らしながら腕へ戻ってくる前にこちらから剣を構え間を詰める。  
「やっちゃえええっっっ!」  
「うわぁぁぁぁッッ!!」  
 剣先ががら空きになったクラッドの腹部を貫いた。眼球の時と同じ嫌な感触が柄から伝わ  
るが、  
「迷うな! ここで決めろ!」  
 さっちゃんの渇が身体を突き動かした。もっと強く、もっと速くとウィズに念じながら加速し  
ていく。クラッドを貫いた剣先が壁面に突き刺さった。  
「ぐぁぁ……っぬぁ……ッ」  
 四肢が震えている。どうなったんだ?これは効いたの、  
 
「――っ貴様ぁぁ!!」  
「ッああ!?」  
 顔が鷲掴みにされたかと思った瞬間、すでに身体は下へ投げ飛ばされていた。  
「く……ウィズッ!」  
 名前を叫ぶと少しだけ加速が緩む…………けど、十分じゃない。受身を……無理?とに  
かく衝撃を――。  
 咄嗟に手足を曲げて身体を丸める。どうすればいいか分からないまま、本能的な動作だった。  
「わたしがっ!」  
「! レムちゃ」  
 口を開ききる前に身体は中央美術館ロビーに叩きつけられた。  
 周囲が砂塵を巻き上げる中、僕の身の回りだけが円形に陥没していた。寸前にレムちゃん  
が落下の衝撃から守ってくれたのか。そうじゃなかったら、ただじゃ済んでいなかった。  
「くるぞ、かわせ!」  
 さっちゃんの声に反応してとにかくその場から後方に飛んだ。次の瞬間、床が消えた。  
「うわ――」  
 クラッドがロビーに突き刺した拳が床を粉々に砕き、僕の身体はまた落下を始めた。しかし  
僕自身が打ち下ろされているわけではないので今度は余裕がある。  
 
「下に行くぞ。まずは黒翼を押さえる」  
「分かった」  
 クラッドに追いつかれぬようかなりのスピードで滑空し、どんどんと重くなる空気の渦に  
沈んでいった。  
 しばらく後、かなり広い空間に出た。おそらく、ここが中央美術館の最下層。黒翼が封じ  
られ、そして目覚めようとしているその場所。  
「ありました! 正面」  
 正面に確かにあった。じいちゃんに聞いたとおりの巨大なモノリス。あれは、本当に美術  
品と呼べる代物なのだろうか。ただ、ただでかい。  
「主、急いで破壊を」  
「そうはさせませんよ!」  
 黒翼へ向かおうとする僕達を制する声が頭上よりこの空間へ響き渡った。  
「来た……!」  
 左手で顔を押さえたクラッドが姿を現し、右目だけを殺気に滾らせて見下ろしてくる。  
「凄まじいな、くそ」  
 重い空気に胸が押し潰されそうで、息苦しい。…………ちょっと、逃げ出したいかも。  
「穏便に済まそうと思っていましたがもう頭にきましたよ……! 腕の一、二本は覚悟して  
もらいましょう」  
「主、臆すな。我等がついている」  
「そうですよ。四人いればどうにかなります」  
「ウッキュ」  
「さっちゃん……レムちゃん、ウィズ」  
 弱気になっていたところに、この三人はとても心強い存在だった。  
「そうだ……そうだね。帰ってまた、するんだったね」  
 二人は頷く。一匹は首を傾げた。いつまでもこんな関係でいられればいい、そうするため  
に、まずはすべきことがある。  
「きなさい。あなた方がいかに無力か教えてあげましょう」  
「望むところだ!」  
「泣いて謝ってもらいます!」  
「行くよ!」  
 
 ――翼は軽やかに舞う。攻撃は盾で完全に防ぐ。剣も思い通りに太刀筋を描く。驚くほど  
好調だ。  
(なのに……)  
 攻撃がかすりもしない。刃はクラッドの身体に触れる寸前にかわされる。  
(なんだ、なんなんだ?)  
「後ろですよ」  
「! くそぉっっ!」  
 声に反応して剣を振るってもすでにクラッドの姿はおろか影もない。  
(遊ばれてるのか!?)  
 それほどまでに力量差があるのか?文字どおり手も足も出せないほどに。  
 白い影が正面に現れる。間を詰め、剣を振り下ろすが刃は空を斬る。右に逃げたか左に  
逃げたか、上か下かも眼で捉えられない。  
「こちらです」  
 頭上――。  
 見上げる間もなく床に撃ちつけられる。ここで戦いを始めた途端、身体に疲労が堪ってき  
ている。  
「ぐぅぅ、うッ!」  
 横腹に突き刺すような痛み、肋骨が折れたみたいだ。  
「主……くそ!」  
「はぁ、っご、ごめんなさいわたしがしっかり……!」  
 この局面に来て、二人の力の制御も危うくなっている。これがクラッドの影響なら、深刻だ。  
「クラッドの魔力相手に、生身の主では荷が重過ぎるのか……?」  
「だいじょぶ、大丈夫……まだ、動けるから」  
「わたし達でも辛いのに、そんな強がらないでください!」  
「ッはは……、ホント、まだ大丈夫だって」  
 声は力なく笑って、身体も剣を支えにしないと立ってられない状態で言っても説得力は皆無  
だ。それでも引くことはできないし、意味がない。  
「まだやりますか?」  
 声はすぐ傍からかけられた。今にも霞みそうな目の前には白い影が三つ四つと存在している。  
(ああ――もう霞んでるのか)  
 直後に突き出された二本の腕に吹き飛ばされた。今日幾度目かの背中への鈍痛。意識を  
保っていることも、容易じゃなくなってきた……。  
 
 
 クラッドの手から放たれた魔力による一弾は生身の大助を人形のように簡単に吹き飛ばした。  
最下層の空間を囲う壁に背中から直撃した大助は埃まみれの床に前のめりに倒れた。  
「主……! おい、目を覚ませ!」  
「ご主人様ぁっ!」  
 二人の使い魔が翼主に呼びかけるが反応を示さない。頭をぶつけたのか、気を失っていた。  
もう一匹の使い魔も仲良く意識を閉ざしている。  
「おやおや。もう終わりですか? 手応えのない」  
 舞い下りたクラッドは愉快そうに揶揄しながら歩み寄った。  
「とりあえずはこの左眼のお礼をさせてもらいますよ」  
 つかつかと上品な足音を響かせるクラッドを前に、さっちゃんは幾許の恐怖を抱き、それが僅か  
な躊躇いを生んだ。  
「…………ご主人様」  
 もし躊躇いがなければ止めれただろう。  
「え?」  
 レムちゃんの手が大助の顔をそっと撫で、離れた。  
「ちょっと行ってきますね」  
「なッ! レム待て――」  
 さっちゃんの制止の言葉は届かぬ距離にレムちゃんは飛び進んでいた。  
「ん?」  
 自分へと向かってくる低俗な精霊を愚者でも目にしたように見つめていたクラッドの表情がレム  
ちゃんと触れる……いやぶつかる寸前に凍りついた。  
 高純度の魔力の塊――大助とともに過ごした月日が彼女の力と成り、今、其れが解き放たれた。  
「ちぃっ――」  
 クラッドの翼が自身の身体を覆い、直後に膨れ上がる光熱球と爆風。そして、最悪な瞬間に大助  
は意識を取り戻していた。  
 
 頬に温かな何かが触れ、大助は寸断されていた意識を取り戻した。瞳に映るのは、飛び去る  
レムちゃんの後姿。溢れる光の粒。それから、閃光。  
 爆発するように膨れ上がる光は風を巻き起こし、倒れた大助の視力を奪い、身体に砂塵を打  
ちつけた。  
「っ……何が……?」  
 焼きついた視界が徐々に世界の輪郭を捉えだす。大助の目に映るのは、白い翼。クラッドが  
身を守るためにたたんでいた翼を拡げるが、それは二条ではなかった。右翼は中ほどから消失  
し、翼の代わりに白煙が立ち昇っていた。  
「驚きましたねえ。まさか自爆するつもりで突進してくるとは」  
 
 
 
 ――――え……?  
 
 
 
「やれやれ……黒翼が完全に目覚めるまで余計な魔力は使いたくないのですが」  
 翼は瞬時に再生を果たした。何度かはためかせ、違和感がないことを確かめる。  
「ふむ、こんなものですね」  
 クラッドは何事もなかったかのように再び大助へと歩み寄った。レムちゃんの突貫は、クラッド  
にしてみればその程度だった。文字どおり、身を挺して大助を守ろうとしたレムちゃんの。  
 
「っの馬鹿……! お前が逝って何になる……!?」  
「さっちゃん……? ねえ、何……どうして」  
 大助はまだ分からずにいた。ただ、左腕がだんだんと温もりを失っていくことだけは  
はっきりと感じられた。  
「心配しなくても日が変われば、年が明ければあなたもすぐに後を追わせてあげますよ」  
 大助は床を蹴り、駆けだしていた。どうしようもなく噴き上がる激情が、死に体だった  
大助を突き動かした。  
「クラッドォォ!!」  
 間合いがなくなる。踏み込みの速さにクラッドはかすかに動揺を浮かべた。剣がクラッド  
の肩口へ振り下ろされ、クラッドの左腕が受け止める。連続する戦闘の中、初めて大助が  
正面からクラッドを捉えた。  
「いい攻撃ですね。怒りと悲しみがよく伝わってきますよ……」  
 嘲笑するように賛美の言葉を送ると、右掌を大助の左脇に添え、凝縮した魔力による一  
撃が身体をくの字に折り曲げさせて突き飛ばした。身体を立て直すこともできず、勢いに  
圧されるまままたしても背中を壁に撃ちつけた。今度は意識を保っていた、しかしうつ伏せ  
に倒れることに抗うことはできなかった。ダメージの蓄積により、ついには身体を自由にす  
ることさえできなくなった。無造作に正面を床に打ちつけ、拍子に今まで決して放すことの  
なかった剣が手から抜けた。  
「そろそろこの眼の代価を払っていただきますよ」  
 大助は動けない。ぼろぼろの身体は倒れたまま、頬を熱いものが伝っていた。まだ確か  
めたわけではない、だが、冷えきった左腕が、決定的なほど何かがかけてしまったことを  
暗に語っていた。  
 
「起きろォっ! そのまま……そのまま這いつくばって、どうする……ッ!」  
 大助を奮い立たそうとするさっちゃんの声も震えていた。恐怖ではない、悲しく、そして  
悔しかったから。  
 しかし、大助の身体は立たなかった。立てなかった。肉体が、限界だった。泣きながら、  
胸から液体が流れ出すのを感じていた。黒いしみが徐々に広がり、全身が冷えていく錯  
覚に陥った。  
 もう立ち上がることはできない…………さっちゃんもそれを重々悟った。もう、主は戦え  
ない。  
「すまないな、主……」  
 だから、今度は大助が止められなかった。  
「一緒には帰れそうもない」  
 声が聞こえ、頬を撫でられ、去る。それが分かるのに、止められなかった。  
「我も行ってくる。生きて……」  
 
 
 
 ダメだ…………いかないで――  
 
 
 
 見れなかった。だから光が溢れ、変化が起きてようやく顔を上げた時には、もうさっちゃん  
の姿はなかった。  
 いるのは、右肩から先を失い、左眼から血の涙を流すクラッドだけだった。  
「まさか……続けて突撃してくるとは……。少し油断してましたかね?」  
 薄い笑みを貼り付けて忌々しげに呟くクラッドの姿を、大助は捉えられない。視界が揺ら  
ぎ、とめどなく熱いものが湧き出し、声もなくその場で泣き伏した。  
「――そろそろ刻限です。しばらくそこで己の無力さを噛み締めていてください」  
 満足気に言い放つとクラッドは踵を返し、腕の再生は後回しにして黒翼の側へ飛び立った。  
 残された大助はクラッドに言われたとおり己が無力さを痛感していた。こうなってしまったの  
も、すべて自分が弱いから……。  
 傍らに転がる剣を手にしたい、手にして、さっちゃんの温もりを感じたい。  
 紅い輝きを失った剣が、すでにそれができないことを示しているが、大助は信じたくなかった。  
 
 
 
 ――僕が弱いから…………二人は  
 
 自身の無力を強く呪った。そして同時に、強く望んだ。  
 
 ――あったら……力があったら  
 
 ひたすらに、純粋に、心の底から、思いが膨れる。  
 
 ――クラッドを倒せるだけ……みんなを、二人を守れるくらいでいいのに…………っ!  
 
 
 
 
 
「求めるか? その力ってのを」  
 沈み行く意識の中、その声だけがはっきりと耳に届いた。声に出し答えるだけの力もな  
い大助は、心で頷いた。  
「なら俺の手を取れ。時間はねえが、あいつ一人ブン殴るくらいはできるぜ――!」  
 
 
 
 
 骸骨を模すレリーフが埋め込まれた巨大なモノリスを前に、クラッドは残された片腕で  
それに触れた。そこから放射状の光がモノリスに行き渡り、それを合図として黒翼は眠り  
から覚めようとした。手を離した後も触れたところを中心とし、光の輪が鼓動を刻むように  
一定のリズムで黒翼を駆け巡る。  
「ふ、これで準備は完了です。後はあなたを捧げれば…………?」  
 顔を後ろに向け、視線の先に転がっている人影に呼びかけたつもりだった。だから、そ  
こにいた人間のが床に転がっておらず、剣を杖代わりに立っていたことに表情をしかめた。  
「あなたもしつこい人ですね。満身創痍の身体でまだ戦う気とは、愚かにもほどがある」  
 鼻で笑いながら見下ろすが、目が合った瞬間ひどく不快にさせられた。全身傷だらけの  
人間が、その目にまだ強い光を宿している。あれだけ痛めつけられ、仲間を消されたただ  
の人間が。  
「いいでしょう。望みどおり相手をして――」  
 言葉の途中でクラッドの腹を剣が貫いた。あまりに突然で対応のできなかったクラッドは、  
未だその現実を認識していなかった。剣の柄を握っているのは、紛れもなくクラッドが痛め  
つけていた少年。背中に生える黒翼の主の名は、丹羽大助である。  
「ぐわあぁっっ!? き、さまぁぁ…………ッ!」  
 痛みに喘いだ時には、剣はクラッドの身体を串刺したまま黒翼に突き立っていた。  
「何をした!? ただの人間が一体何をぉっ!」  
「っへ! 油断してっからんなつまんねえ不意打ち喰らっちまうんだぜ?」  
「!? 貴様、まさか」  
 少年の口調が変わっていることに気付いた……いや、クラッドの場合は思い出した、という  
べきか。過去に幾度か合間見えたことのある青年の口調を。  
 剣を握る者と目が合う。それは今しがたまで横たわっていた赤髪赤目の少年ではなく、  
黒髪黒目の青年だった。  
「ダークゥッ! ダーク・マウジー!!」  
 
「ご名答。答えが分かったところで、さっさと消えてもらうぜ! 俺としてもこの機会を逃す  
つもりはないんでな!」  
「馬鹿なっ! 今あなたがいる身体は微細な魔力しか持たないのですよ!? それがなぜ  
……ぐぁ、が、なぜあなたの強大な魔力を発現させることができるのです!?」  
 理解できぬ謎に困惑し、噛み付くように問いかけるクラッドにダークは涼しい顔で答えた。  
「ああ……これのおかげさ」  
 ダークが左手の親指で指し示したのは自分の胸。濡れた床に倒れていたためにしとどに  
湿っているが、外傷はなかった。大助が倒れていたのは血溜りではなく、コートから染み  
出す液体が作り出した水溜りだった。  
「それは、っがはぁ!」  
「それともう一つ」  
 正確な答えを知らされることのないまま、ダークはクラッドに話し続けた。その眼はクラッド  
以上に鋭く、熱い怒りに染まっている。  
「こいつが俺を望んだ」  
 自分を指し示したままこいつと言うのはひどい違和感を感じさせるが、この特異な状況では  
正しいことだった。  
「こいつの悔しさと、怒りが俺を呼び起こした。身体奥深くにいたこの俺を」  
 ダークの右腕に力が込められ、クラッドの身体を貫く剣に滾る魔力を注いでいく。紅円の剣  
は今までにないほど激しく紅い光を灯され、呼応して蒼月の盾も蒼い光でこの場を照らしあげ  
る。激しく大気が揺れ、大地が吼える。美術館最深部で渦巻き、膨らみ続ける魔力に建物とし  
ての限界が近づいている。  
 
「傷ついたこいつの想い……その代償はきっちり払ってもらうぜ、クラッド!」  
 剣に与えた魔力を解き放つ。黒翼が望んでいたものとは違う破壊の力がクラッドを、黒翼  
を白刃の炎で焼き尽くしていく。  
「うおおぉ……ッあ、あああッッ、ここで、こんなところで終わってっっ!!」  
「終わるんだよ、黒翼諸共てめえの存在はここで!」  
「く、ならば……最後にあなたも道連れに」  
 燃え盛るクラッドの片腕が剣の刃を握り締め、執念でここに止めようとする。  
「遠慮するぜ。これはてめえらに送られた今年最初で最後の盛大なプレゼントだ。でしゃばる  
気はねえ!!」  
「ダァクゥ!!」  
 剣を引き抜いた裂口から白い炎が噴き上がる。上空に開くただ一つの出口へ向かう途中、  
ダークは再び剣に魔力を込め、それを天井部に向かって放った。ただでさえ崩れかけていた  
空間はその一撃を受け急激に崩壊の速度を増した。  
「ここを出たら少しだけ外の空気でも吸うか。ウィズ、一気に駆け上がるぞ」  
「キュウ!」  
 ダークは残された僅かな時間をどう使うか考えながら美術館地上部へ飛び出した。最深部に  
残された美術品と守護者の最後を見届けてやるつもりなどなかった。  
「ダアアァァァァァァァクッッッッッ!!!!!!!――――――」  
 
 
 
 
 
 年明けを告げる鐘の音とともに突如出現した光の柱は隣町にいる者達にもはっきりと見えた。  
春日井中学校庭にいる原田梨紅もその限りだった。  
「うわあ! 何々、あの光?」  
「わ、分かんない。でも……」  
 天を突く巨大な光柱の出現に、誰もがその目を奪われ、ある種の幻想的な美しさを称える白光  
を網膜に焼きつけていた。  
 あの方角は東野町、中央美術館がある方かな?  
 全員が全員心奪われているわけではなかった。まだあの街にいるかもしれない人のことを思う  
と胸のざわめきを覚える者もいた。原田梨紅もそんな、大助を心配する一人だった。  
 
 
 ――早く行け  
 
 
「え? あ? ん?」  
「どしたの、梨紅?」  
「梨紗、さっきあたしのこと呼んだ?」  
「別に呼んでないわよ」  
「あ、そう……」  
 変な子、そう言うと梨紗は再び他の者と同じように光の柱を眺めだした。  
「あん、もうすぐ消えちゃいそう」  
 光の強さが徐々に弱まっていくのは目に見えてはっきりしていた。梨紅もそんな光を  
見つめていると、  
 
 
 ――行ってあげてください  
 
 
「ひゃあ! ええ?! うんん!」  
「ちょっとお、どうしたのよ一体? なんかあったわけ?」  
「べ、別に、なんでも」  
 また聞こえた。確かに声が。幻聴……なのかな、それにしても、なんだろうこの感じ。  
 何かが梨紅の心を急きたてる。早く、早くと。一体何で、ただの幻聴じゃないの?  
 
 
 ――丹羽大助のもとへ  
 ――大助さんのところに  
 
 
「――! 梨紗ごめん、あたしちょっと行ってくる!」  
「あ、ちょっと待ってよ、行くってどこに?!」  
   
 梨紗に答えることなく、自慢の脚力であっという間に校庭を飛び出し、梨紅はどこかへ  
と向かった。  
 
 一体どこへ向かえというのか、実のところ本人にも分かっていなかった。じっとしてられ  
ない、してちゃいけないという一念で走っているが、目的となる場所がどこかはっきりして  
いない。もし誰かにどこかへ向かえと言われれば、今のこの街の者なら光の柱のもとへ  
と答えるだろう。とにかくそのくらい漠然とした答えしか出せない状況で原田梨紅は走って  
いた。  
 何十分か何時間、それくらい走った気になった頃、ようやく足を止めた。膝に手をつき呼  
吸を整え、顎に伝う汗を拭い一息吐く。  
「…………なんか、ばっかみたい」  
 本音がぽろりとこぼれた。あてもなく飛び出した自分に対するばかさ加減をとぼしめる  
ように呟いてから、自分が今どこにいるのか辺りを見回した。  
 薄暗い街中、何か変なものでも出てきそうな雰囲気がある。この場所で、梨紅は殺人鬼  
に襲われたことがある。何ヶ月も前のこと、しかもそれは夢として片付けられているが、意  
識の深層、根底に植えつけられた恐怖心は今でも微かに残っていた。  
 梨紅は小さく身震いし、急いでこの場を離れようとした。が、ここから東野町へ進むか春日  
井町へ戻るが逡巡した。  
 その時、建物と建物の間、細く薄暗い路地から物音が聞こえ、梨紅は大きく身を竦ませた。  
「だ、っ誰かいるの?!」  
 思わずそちらに声をかける。やってしまって後悔した。もしかしたら人がいなくなったのを  
いいことに空き巣とかがいるんじゃないかと嫌な仮定が浮かんだからだ。  
 闇の向こうから聞こえるのは不定期で、力ない足音とからから何かを引きずる音。一歩引き、  
何が出てくるか目を凝らし見つめていた。闇が微かに揺らいだ。  
「梨紅、さん……?」  
「あ…………丹羽、くん? 丹羽くん!?」  
 現れたのは、会いたいと願っていた彼。星の明かりに照らされた彼は、あちこち擦りむき、  
服もずたずたに傷のついた不似合いなコートを羽織っていた。  
「どしたの? 何かあった? 大丈夫?」  
 駆け寄った梨紅は今にも倒れそうな大助の肩を支え、顔を曇らせて一気に訊ねた。先日  
から募っていた彼への思いが、会えたことで爆発した。  
 
「あはは…………ちょっといろいろあって。――梨紅さん」  
 笑って答える彼に思わずむっとした表情をするが、一転して真面目な声を聞かされ、梨紅は  
虚を疲れた顔をした。  
「ただいま」  
 微笑む彼に、すぐピンときた。あのときの電話のやり取りが、今も続いているんだと。  
梨紅も笑おうとするが、大助の姿を見ると上手く表情が作れない。それでもなんとか目を細め、  
少しだけ頬を緊張させ、ようやく笑みを浮かべた。  
「お帰り」  
 その言葉を待っていたように、大助は梨紅に抱きついた。戸惑いの色を浮かべるが、倒れそう  
な彼を支えるべく彼女もしっかりと抱き返した。  
 腕を回してしばらく、大助は肩を震わせ、嗚咽を漏らしだした。  
「丹羽くん……? 泣いて――」  
「大丈夫……大丈夫だから。すぐ、いつもみたいに……笑うから……!」  
 触れ合う胸からはしゃくり上げるたびに彼の胸の震えが伝わってくる。大変なことが彼の身に  
起こったんだと直感し、何があったのかひどく気にかかることだった。  
「うん、分かった」  
 それでも彼女は訊ねることはしない。  
「あたし、ずっとこうしてる」  
 彼が泣き止むのが朝だろうと夜だろうと、一日後でも一週間後でも。  
 
 
 彼が話してくれるまで黙って傍にいてあげることが、あたしがしなきゃいけないことだと思うから。  
 
 
 
 
 
 
「声?」  
 活気の戻った東野町を、彼と並んで歩いている。人に教えるのもなんだけど、デート中  
なのだ。  
「うん、声。それも二つ」  
 一週間ほど前のあの日以来、彼は少しだけおかしくなっていた。本人は悟られないよう  
振舞っているつもりなんだろうけど、あたしは感じていた。いや、分かっている。  
「それってどんな声?」  
 彼があたしに向ける笑顔は心の底からのものじゃないということを。  
「うんとね、一つはとっても大人っぽい女性の声で、もう一つは可愛い女の子の」  
 彼は何があったか教えてくれない。だからあたしも聞かない。だから、少しでも彼に早  
く笑ってもらおうとあれこれ話したりしていた。  
「それって、いつ聞こえたの!?」  
 血相を変えて詰め寄られ、思わずたじろんでしまった。  
「へ? あ、うん…………あの時、バーって光が空に伸びてたじゃない? その時に聞こ  
えたんだけど、それがどうかしたの?」  
「ああ、うん……」  
 気を取り直して答えたあたしが尋ねても、彼はしきりにそっか、と頷くばかりだった。  
 なんか、とっても変。  
 身体を曲げて彼の顔を下から覗き見ようとすると、  
「お腹空いたね。どっか行こう。僕が奢るよ!」  
 顔をぱっと明るくしたかと思うとあたしの手を取りぐいぐいと引いて駆けだした。  
「あ! ちょっと待って、そんなに走ると余計お腹空いちゃうよ!」  
 前を向いてあたしの手を引っ張る彼の顔は見ることができない。でも、見えなくてもあ  
たしには分かった。今、彼が心の底から笑っているんだな、と。  
「んもお! じゃあマックの超特大トリプルチーズバーガーね」  
「うわ、梨紅さん食いしん坊……」  
「ふっふっふ、それも3つ頼んじゃうんだから!」  
 うん、今日は……今日からまた楽しく彼と過ごせそう!  
 

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