――十二月二十九日、午後九時。人の群れがざわめき合い、そこを埋め尽くしていた。  
「今入った情報によりますと、すでに怪盗ダークは美術品『聖天使の杯』を盗み出し…………  
あ! 上をご覧ください!」  
 白熱する州崎由希のレポートはカメラを通してお茶の間に届けられていた。カメラが素早く  
ティルトアップすると、空は無数のライトで照らされていた。  
 エスヴィール美術館最高部から伸びる旗棒の頂端にライトの焦点が合わされる。その場に  
一瞬だけ照らし出されたのは、人影だった。いや人と呼ぶには少し違う。黒髪黒服、全身黒ず  
くめ。右手には細長い棒状のもの、左腕には丸い板、手には黒い筒状――丁度『聖天使の杯』  
が入るほど――の物体。加えて、背から生える一対の黒翼。それが彼を人とは呼べない存在  
にしている。  
「き、消えました! 確かにあそこにいたはずですが、今忽然と姿を……」  
 姿が消えた。そのことで周囲の人だかりは一際ざわめきを大きくする。事が終わってからも  
しばらく、美術館周辺だけは異様なほど熱気と興奮が渦巻いていた。  
 
 
 
 
「丹羽大助っ!!」  
「ぅわ……」  
 お腹の上に重みを感じたと同時、頭に音ががつんと響いた。眠っていた脳が突然の  
衝撃で叩き起こされる。  
「朝ですわよ、早く起きてください」  
「うぅ……ん」  
 しょぼしょぼする瞼を開くと、トワちゃんの顔がすぐ目の前にあった。  
「……トワちゃん」  
「何です?」  
「口が臭いイタイイタイッ!」  
 身体を挟むトワちゃんの脚が万力みたいに締めつけてくる。  
「そんなこと言ってますと毎朝の処理をして差し上げませんわよ?」  
 苦痛にもがいているところに言葉を浴びせてくるトワちゃんの眉がぴくぴくと小さく震え  
ている。  
「ごめん、もう言わないから早く退いて……」  
「ではもう一回抜いて差し上げましょう」  
「ええっ! いいってばもう」  
「よくありません。わたくし少々お腹が空いておりますの」  
「はぅんっ」  
 トワちゃんが後ろに伸ばした右手が僕の局部に這わされた。指の温もりが直に伝わり  
ぴくっと反応してしまう。  
「って、ずっと僕の出しっぱなし!?」  
「細かいことは気にしないでくださいまし」  
「初めっからこうするつもりだったの!?」  
 トワちゃんはにこにこしてるだけで耳を貸そうとはしてない。下半身で巧みに動くトワちゃん  
の指先に僕の意識は……。  
 
「こらちょっと待て」  
「ぐぅっ!」  
 いきなり僕の胸に何かが降ってきた。  
「さ、さっちゃん……」  
 声とともに顔に降りかかる細い髪の毛を払いのけながら、今しがた出現した幼女の背に  
声をかけた。  
衣服は身に着けて現れることができるはずなのに、なぜかいつも裸だったりする。  
「あら? ここはお子様が出てくる場面じゃありませんわよ」  
「だまれ! このよわい百年のろうばめ」  
「むきっ! 生意気ですわ生意気ですわ! こうなったら実力で排除してあげます!」  
「おもしろい。かかってこい!」  
「…………あの、人の上で暴れないで」  
『うるさいっっ!!』  
 
 
 結局、僕が追い出されるかたちでベッドから降りた。  
「あ、ご主人さま」  
「レムちゃん? 机の下で何してるの?」  
 ごそごそ音を立ててそこからでてきたのはレムちゃん……彼女も裸である。  
「さあ? 気がついたらここで寝てたんですよ」  
「…………そうなんだ」  
「そおなんですよ。なんででしょうか?」  
「さあ? なんでだろうね……」  
 魔力が高まってきたせいか、ここ最近二人が幼女姿で現出できるようになって、これまで  
以上に疲れる日々が続いていた。  
「風邪引いちゃう前にベッドに入ってた方がいいよ」  
「いいんですかぁ? ありがとうございます」  
 礼儀正しくぺこりと一礼し、レムちゃんはそそくさとベッドへ上っていった。  
「うきゃぁぁぁっっ!!」  
 どうやら二人の争いに巻き込まれたらしい。部屋を出る時、ウィズはどこに行ったのかと  
頭をよぎりちらっと振り返ると、ベッド上で暴れ騒ぐ三人の下、布団から白いものがはみ出  
しているのが見えた気がした。  
「…………たくましく生きてね。ウィズ」  
 思いっきり晴れやかな顔で呟いて階段を下りた。  
 
 朝食を終えてごろごろした後、部屋に戻って着替えて――ベッドの上で二人はまだいがみ  
合っててレムちゃんが巻き込まれてて、ついでにウィズらしき白い毛玉も見えた――から  
リビングのソファに座って薬○くんが司会をしている花○マーケットを見ている母さんに声  
をかけた。  
「ねえ母さん」  
「どうしたの?」  
「今年はもう仕事はないんだよね?」  
「ええ。昨日のお仕事でおしまいよ」  
「じゃあ今日はちょっと遅く帰ってきてもいいんだよね?」  
「ええ。あまり遅すぎない時間なら……お出かけするの?」  
「あ、うん。ちょっとね」  
「ふぅん……」  
「え……なに?」  
 母さんに上から下まで嘗め回すような視線を向けられて少し息苦しさを感じた。  
「別にぃ。ただ昨日は帰ってきてからずぅっと原田さんのお宅に電話してたなって思った  
だけよ」  
「あ……そ、そう?」  
「どっちの子と会うのかなぁ……。梨紗ちゃんかしら。それとも梨紅ちゃん」  
「いい、行ってきますっっ!!」  
 獲物を嬲ることを楽しむハンターのようなじりじりした重圧に耐え切れずにリビングから  
逃げて家を出た。外に踏み出した瞬間、肌を刺す冷たさに身体の芯まで震え上がった。  
「早く行かなきゃ。遅れたりしたらしゃれになんないよ」  
 駆け足で待ち合わせ場所の噴水公園に向かった。  
 
 
 丹羽家のリビングに大助と入れ違いに小助が姿を見せた。  
「おや。大助は出かけたのかい?」  
「ええ。小助さんが入ってくる前に慌てて出て行っちゃったわ」  
 笑子の言葉尻が弾んでいることに小助はすぐに気がついた。  
「嬉しそうだね。なにかあったのかい」  
「あら分かる? ふふ。大ちゃんも成長したなって思ってたの」  
「気になるなあ。教えてくれないかい?」  
「ダーメ。秘密よ」  
 小助は小さく苦笑いを浮かべて笑子の横に腰掛けた。  
「さ。今日はちょこっと豪華なお夕飯にしちゃおうかしら」  
「残念じゃが」  
 冗談交じりの台詞を否定する声がリビングに木霊した。リビングの戸を開けて入ってき  
たのは丹羽大樹だった。  
「そうはいかんようになった。大助にはもう一仕事してもらわねばならん」  
 低く響く声に、笑子も小助も尋常でない空気を感じていた。  
 
 
 午前十時二十分。待ち合わせの時間より十分早く着いた。僕が先に着いただろうと思った。  
「丹羽くん、こっちこっち」  
 だからそこに彼女の姿があったのは以外だった。手袋に包まれた手を大きく振って僕の  
名前を呼び、周りの人の視線が集まって少しだけ恥ずかしかった。梨紅さんが可愛いから  
全然嫌だと思わないけど。  
「おはよう丹羽くん」  
「う、うん……おはようにはちょっと遅いんじゃないかな」  
「あはは。そだね」  
 頬を赤くして微笑む梨紅さんに頭が沸騰しそうなくらい照れてしまう。可愛すぎる。  
「顔が赤いよ? 具合でも悪いの?」  
「え? い、いや全然! 元気だよっ」  
 それに梨紅さんだって顔赤いよ。そう言い返すと顔をさらに赤くして俯く梨紅さん。……  
……ダメだ、考えただけで鼻血が出そうだ。  
「早く行こ。どこに行くかは丹羽くんにお任せだからね」  
「…………はっ、そうだねうんうん。じゃあ行こっか」  
 いけないいけない。危うく空想世界に行ってしまうところだった。梨紅さんと並んでまずは  
商店街方面に向かった。今日のためにいろいろ考えてきた。あのお店に行って、それから  
お昼を食べて、それでそれで…………。ああ、もう頭の中で思い浮かべるだけで幸せすぎる。  
 こうしてちょっと危ない妄想を浮かべつつ、僕と梨紅さんの初デートは始まったのだった。  
 
 
 海岸から吹きつける風をものともせず、冴原剛はカメラを構えてシャッターを切っていた。  
海に面した道路で彼が撮っているのは、道行く女性の姿である。もちろん気付かれないよう  
細心の注意を払い、景色など撮りつつ流れるようなカメラ捌きで女性を盗撮していた。  
「寒みいなあ……冬の風は心に染み入るぜ」  
 それは独り言ではない。横にいる友人に聞こえるように口にした。  
「まったくだ。それに心だけじゃない。俺達の場合は財布の中も寂しいからね」  
 日渡怜はズボンのポケットに手を突っ込んだが、そこには中身がすっからかんの財布が  
あるだけだった。  
「今年は金使いまくっちまったからな。いらねえ物まで買っちまったぜ」  
「それだけじゃない。今年の夏以降、あるサークルが恐ろしい速さで成長している。このまま  
では俺達がとって喰われるかもしれない」  
「ああ、そのサークルのことなら少し調べといたぞ。そこの新人がかなり評判いいみてえだ。  
確か名前は千……千堂……武士? いや和……なんとかってやつだ」  
 その後も二人は活動についての話し合いを仲睦まじく進めた。気のせいか、普段より活き  
活きしているように――特に日渡が――見える。  
 
「なあ、そう言えばよ」  
 話が一区切りついた時、冴原はカメラを海岸沿いに向けてファインダーを覗き込んだ。  
「今日はいやに水位が低くねえか?」  
「ああ……そうだな」  
 二人が目にする海は、確かに三メートル以上水位が下がっていた。見慣れぬ現象に冴原は  
訝しげな表情を浮かべるが、日渡は至って冷静だった。  
「気にすることはない。これは月の引力のせいだ」  
「月ぃ?」  
「そうさ。潮の満ち引きは月の引力が原因なんだ。これもそのせいだ、間違いない。それに昨日  
辺りから俺の下腹部も少し疼くように痛んでね……」  
「生理かよ!? ってかお前男じゃねえか!!」  
「ふ。身体はそうでも、俺のハートは純粋な乙めごこ」  
「それ以上言うな! きもい、果てしなくきもいぞ!」  
「失礼なやつだな。ふふふ」  
「その含み笑いもやめいっっ!!」  
「こうなると俺は見境がないからな。気をつけろ」  
「のわあぁぁぁぁっっっっ――――」  
 
 こうして少しずつではあるが、東野町に起こり始めた異変は次第に広まっていくことになった。  
誰もが気付いた時には、すでに事態は手遅れとなっている。  
 
 
 原田梨紗と福田律子と沢村みゆきの三人は年末のためにカップルだらけの、カップルしか  
いないオープンカフェテラスでケーキを頂いていた。もちろん三人はレズではないしカップル  
でもなければ三角関係のもつれでさえない。  
「はぁ……」  
「溜め息なんて吐かないでよ」  
「だってぇ」  
「だって何よ?」  
「女三人でいても面白くないんだもん」  
「……」  
「……」  
「……」  
『はぁ……』  
 不平をぐちぐち漏らしていた梨紗に交互に返していた律子とみゆきも揃って溜め息を吐い  
てしまった。それほど三人は憂鬱だった。  
「いいよねぇ。梨紅も真里も今頃デートの最中でしょ?」  
「うん」  
「はぁあ。二人は勝ち組で、私達は負け組なんだよねえ……」  
「ああっ! 私がもっと早く勝負に出ていれば今日この日、勝ち組は私だったのにぃ!」  
 頭を抱え嘆き叫ぶ梨紗の背中を律子が優しく撫で、共感するように涙を流して同意しまくった。  
「――今更後悔しても負け組は負け組だけどね」  
 
 
 
 投げつけられた言葉に二人は固まった。熱々に燃え上がっていたところに液体窒素を浴び  
せられたように心も身体も硬直した。毒を吐いた当人はそっぽを向き、目を座らせてケーキを  
ぱくぱくと口元へ運んでいた。  
 
「いつまでも女々しくしてないで、さっさと前向いて生きてった方がマシよ」  
 彼女らしいさばさばした意見であるがここで人生観を出されても困ってしまう。言葉に窮しかけ  
たが負けじと梨紗は訊き返した。  
「じゃ、じゃあそう言うみゆきはもう丹羽くんへの煮え滾った情熱を忘れちゃったの?」  
「………………………………………………………………………………………………………  
……………………………うん、もちろんよ」  
「何よその間は! 今絶対迷ったでしょ!?」  
 梨紗の的確な指摘にみゆきは立ち上がって強く言い返した。  
「失礼なこと言わないでよ!」  
「みゆき、怒るとしわが……」  
「律子は口出さない!」  
「な、なんでぇ?!」  
「あら、律子に当たるなんて……やっぱり図星でしょ?」  
「違うわよ! 大体ねえ、そんな気持ち抱えてちゃ梨紅にも丹羽くんにもいい迷惑――っ?」  
 その時、みゆきは興奮しすぎたせいで脚に力が入らずに崩れ落ちているんだと思った。しかし  
目に映る光景はそれを否定していた。同じテーブルについている二人の表情が、そして別のテ  
ーブルにいる人々の表情も驚愕に満ちていた。――地震だ、と悟った時には三人とも同時にテ  
ーブルの下に潜り込んでいた。  
「きゃああああ!?」  
「じじじじじ地震だだだだわわっっ!!」  
「えええええ!? 東のの町で地震んなんて……!!」  
『ありえなぁぁぁぁぁいっっっっ!!!』  
 
 こうして少しずつ、しかし確実に異変は街全体を震え上がらせた。すでに事態は取り返しの  
つかない段階になっていた。  

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