ここは……どこ――。  
 
 頬に柔らかなものが触れている。それが次第に痛みを伴い、薄れていた意識が、靄が晴れるようにはっきりとしてきた。  
「ン……」  
 痛みが冷たさに変わる。微かに目を開くと、眩しい白さが後頭部まで突き抜けた。  
「――雪?」  
 僕の身体は半分ほど積雪の中に埋没している。それが分かった途端、体温がひどく下がっているのに気付いた。四つん這いになってどうにか雪から身体を引き剥がすと、雪面に僕とは別の影が形を作っていた。  
 顔を上げると、太陽の光とそれに反射する雪光で視界が一瞬だけ大きく奪われた。戻った視界に映ったのは青白い人影、一瞬だけ顔が合った。甲冑みたいな装備に身を包み、腕を振り下ろしている。その手に握られているのは、刀剣。  
「うッわ!」  
 咄嗟に横に跳び刃の切っ先から逃れた。僕がいた場所に躊躇いなく剣が突き立てられる。予期していなかった出来事に狼狽えているところに振り下ろした剣が薙いできた。  
 跳んでかわし、襲いかかってきた人の肩を踏み台にして背後に回り込み、走って逃げた。  
「何なんだよ一体っ!」  
 叫んでも、返ってくる言葉はなかった。両手と背には、いつも一緒にいる仲間がいなかった。意識が途切れる寸前のことが少しだけ思い出される。  
 今僕は独りで、このわけの分からない現状に投げ出されていた。  
「わわわっ!?」  
 何かを踏んづけたのか、足元が不安定になりバランスを崩して転倒しそうになる。体勢を立て直して振り返ると、雪面からもこもこと雪が盛り上がり、さっき襲ってきたのと同じ人型が造られた。  
 
「雪像?」  
 しかもそれが意思を持ったように僕を狙ってくる。何故?という疑問を抱くより早く、前方のあちこちで雪が盛り上がり始めていた。毒づく暇もなく、足を止めずに一気にそこを突っ切った。  
「あれは……」  
 とにかく接触しないよう周囲に気をつけながら走り抜けてから顔を前に向けると、まだかなり遠方に巨大な塔のようなものが見えた。脳裏には、あそこに逃げ込めばここにいる雪像とはやり合わないですむかもしれないという考えが浮かんだけど、もしあそこにも敵意を持った何かがいれば状況は悪転するかもしれない。考えている間にも周りのありとあらゆるところで雪は形を成そうとしている。足を止めた時点で終わりは目に見えていた。状況の好転を祈り、塔に急いだ。  
 行く手を阻むように数体の雪像が立ちふさがる。  
(三――五体)  
 剣、槍、斧、各々が手にしている得物の刃が煌めき、タイミングを計ったよう一斉に振りかかってくる。  
 斧が顔の横すれすれを掠める。剣が頬を掠る。  
(後、三つ!――)  
 
 かわせ――ないっ? 無理だ!  
 
   
 そこからはどれがどこを過ぎたか、太刀筋さえ覚えていなかった。五体の雪像の間をすり抜けて全力で走って置き去りにしてから、左肩と右腿が寒さが身を刺す世界の中で灼けるように熱くなっていた。  
 そしてまた行く手を阻むために多くの雪像が塔を目指す僕の前に立ち塞がろうとしていた。  
 
 塔の扉にかけられていた鍵を外して中に入り、扉を内側から閉ざすものがないかと辺りに首を巡らせると、扉にフック状の金具が二つ取り付けられていた。この形ならあれがあるはずだとさらに辺りを捜すと、それはすぐに見つかった。  
 分厚い木の板――閂を金具にかけた。これでしばらくもってくれるはずだと思うと、少し安心して気が抜けたのか、身体が大きく傾いだ。  
「うぁ」  
 足を踏ん張って堪えようにもまったく力が入らず、扉に背を預けてへたり込んでしまった。身体には刃創が幾つも刻まれ、特に最初に受けた左肩と右腿からの出血がひどい。血と一緒に力が抜けていくような感覚に見舞われる。よくここまで走れたものだと、自分で自分を褒めたくなる。  
 蝕まれるように視界が霞んでいくのを頭を振って必死に拒んだけど、失われた光は戻ることなく、暗くなるばかりだった。  
 まずい。諦めに似た想いが胸をよぎった時、死にかけた聴覚が微かな変化を捉えた。  
 
 ――ごめんなさい  
 
 その音は混濁した意識からすれば澄み渡るほど綺麗なものだった。  
 
 ――傷つけてしまって  
 
 どこから聞こえるのかもはっきりしないその音は、しっかりと頭に届いていた。  
 
 ――私は……  
 
 意識が堕ちる直前、僅かに生きていた視界の隅には、白く揺らめくものが映った。それはとても儚く、弱々しく存在していた。何故か、それは理解、できた。  
 
 
 
 二階から何かが落ちるような無造作な音が響いた時、一番に駆けつけたのは小助だった。  
「大助っ、――!」  
 不安が引っかかっていたところにいつもと様子が違うことが起き、慌てて大助の部屋に踏み込んだ小助が見たのは、主を失った剣と盾を抱えて床に堕ちている黒翼の姿だった。  
「どうなされました!?」  
 続いてトワちゃんが部屋を訪れ、普段とは様子が異なっていることに表情を曇らせた。  
「ウィズ! さっちゃん、レムちゃん、一体何が……、大助はどこだい!?」  
 黒翼から姿を変えているウィズの側に腰を落とし、事態が尋常でないことを察してか、切羽詰まった声で問いただした。  
「ご主人様、が……」  
「ぬかった。我らの失態だ……!」  
 二人の声は苦汁に満ちていた。一呼吸分の間を作り、忌々しげにさっちゃんが告げた。  
「主が連れて行かた。『時の秒針』に」  
 その言葉に小助とトワちゃんは驚愕し目を見開いた。美術品に連れて行かれた――それは美術品の手に堕ちたということを意味していた。二人は、魔力を有す美術品に連れて行かれることがどれほど危険なことか重々知っていたため、事態は予断を許さぬ状況にあることを瞬時に理解した。  
 
「ちょっとどうしたの?」  
 どたどた音を立てて階段を駆け上がってきた笑子と大樹は、部屋の空気が異様に張り詰めていることに顔をしかめた。  
「トワちゃん? 小助さん? なにがあったの?」  
 状況を理解していない笑子の声には心配の色こそあれ、動揺は現れていなかった。何が起きたのか小助が説明すると、動揺する前に笑子の身体がスローモーションのように傾いて倒れ、それを大樹が受け止めた。  
「トワちゃん、少し手伝ってくれんか」  
「は、はい分かりましたわ! 奥様しっかりなさって」  
 普通なら、普通なら美術品の魔力に魅入られ、取り込まれた人間を助け出すことは不可能に近い。それがしっかりと分かっているからこそ、笑子の反応は当然のことだった。絶望的なのだ。  
 けど僕たちには手があるんだ。トワちゃんと大樹に支えられて部屋を後にする笑子を見送りながら、小助は心の中で呟いた。  
「さっちゃん、レムちゃん、下に行こう。大助を助ける方法をみんなで考えよう」  
 この二人なら、二人の力があれば助け出すことも可能なはずだ。剣と盾を持とうと手を伸ばした時、  
「親父殿、頼みがある」  
 悔しさが滲み出すような声でさっちゃんに話しかけられ、小助の手がぴくりと止まった。  
 
 
「――うぅ……ん」  
 小さく身じろぎし、笑子の意識が戻ってきた。  
「奥様、大丈夫ですか?」  
 心配しているトワちゃんの顔がはっきりと見えるようになり数秒後、  
「! だ、大ちゃんは!?」  
 がばっと上体を起こし、トワちゃんと顔がぶつかりそうになる。すれすれのところでトワちゃんがひゅっと身を引いて衝突を避けた。  
 辺りを見回し、安心したように笑みを浮かべる小助の顔、平静を装うようにお茶をすする大樹の姿を目にした。二人ともソファに腰掛けている。そこでようやく、自分がリビングのソファに寝せられていたことに気付いた。  
 そして二人とは別に床に座っている見知らぬ二人の女性がいる。しばし、無言で二人の顔を交互に見やり、何事か理解できずに頭が真っ白に、対応できずにいた。  
「あ、ああ! 笑子さんは初対面だったね」  
 口を挟む機を探っていた小助があたふたと取り繕うように話し始めた。  
「こちらの髪の長い子がさっちゃんで、そちらの短い髪の子がレムちゃん。大助を助けるためには二人の力が必要なんだ」  
 紹介され、三人が同じタイミングで頭をぺこりと下げた。人見知りしているのか、何故か使い魔二人は妙に大人しく、少し俯き加減である。  
 どこから仕入れたのか、二人とも普通の服に身を包んでいる。さっちゃんはジーンズにタートルネックのグレーのシャツ、いつも付いている角と羽は見当たらない。「角と羽なぞ飾りだ。エロい人にはそれが分からんのだ」らしい。レムちゃんはぴっちぴちのスパッツを穿いてぶかぶかのトレーナーに顔を半分ほど隠している。  
 
 先程さっちゃんがした頼みとは、小助がいつも……ではなくたまに使っている秘薬で実体化させて欲しいということだった。大助を助けるためにやれることをやりたいということだ。いつもより人が多いせいか、リビングは狭く感じられるが、空気はいつにも増して重く淀んでいた。  
「そ、そう。このお二人が……!? そうよ小助さん、大ちゃんはどうしちゃったの!」  
 小助がまた同じことを説明し、その間また気を失わないようにトワちゃんがしっかりと笑子の肩を掴み、気をしっかりと持たせていた。それでも息子の身に降りかかった出来事を聞かされていると、徐々に顔色が悪くなり、最後には憔悴に満ちた表情になっていた。  
「大ちゃん……」  
 泣き出しそうになるのを唇を噛み締めて堪え、それでも漏れる不安が笑子の身体をわななかせた。  
「笑子さん、安心なさって。きっとお二人が何とかしてくださいます」  
 トワちゃんがなだめるようにそっと囁き、さっちゃんとレムちゃんに目配せする。  
「う、うむ。きっとなんとかする。な、な?」  
「は、はいっ。息子さんは助け出しますのでご安心をっ」  
 意図を察した二人がそれに応えると、笑子は俯いて小さく、何度か頭を下げた。その様子に二人はいたたまれない想いになった。元はといえば己自身の失態であるのを告げずに主人の母を安心させている。欺いているということが胸に針を刺されたようにちくりとした痛みを与えてきた。  
「さ。それじゃ助け出すための手段を考えよう」  
 二人の辛さを勘付いたのか偶然か、小助が話を進めたおかげで、二人はそれから解放された。  
「まずはどういう状況で何があったか、その辺を聞かせてくれないかな?」  
 二人は頷き、クライン教会で起きたことを語り始めた――。  
 
「――気付いた時には、すでにある……大ちゃんは『時の秒針』に氷付けだった」  
 そこで言葉を切る。淡々とした調子で語っていたが、内心は煮えくり返る思いだった。静寂が居つく前にさっちゃんは続けた。  
「しかし分からん。我らが襲われるまではあそこには魔力など微塵も感じられなかった」  
 テーブルに両肘を立て、絡ませた指の上に頭を預け、考え込むと同時に小さく溜め息を吐いた。  
「何かがあったはずなのだ。『時の秒針』が目覚めたきっかけが、何か」  
 それからさっちゃんの言葉は続かず、次こそ丹羽家のリビングを静寂が支配した。話を聞かされた者の顔はどれをとっても一様に暗雲が立ち込めていた。  
「…………憶測でしかないが」  
 静寂を打ち砕いたのは黙って二人の話を聞いていた小助だった。  
「『時の秒針』に共鳴する何かが、そこにあったのかもしれない」  
 共鳴という単語をさっちゃんがぼそりと繰り返し、横にいたレムちゃんも何かを思い出そうと頭を捻った。  
「お願い、何かあるはずよ! 思い出して!」  
「そう言われても……」  
 
 笑子の言葉にさっちゃんは唸るしかなかった。難しい顔をし、腕を組んで必死にあの時のことを思い返していた。時間だけが過ぎるかと思われたが、  
「あ」  
 という発声をした人物にリビング全員の注目が集まった。  
「え? え? え?」  
 本人に自覚はなかったのか、突然視線が集中したことに驚く反応を示した。  
「何か分かったのか、レム」  
「レムちゃん、何か分かったの?」  
 レムちゃんレムちゃん。執拗に圧力がかけられ、レムちゃんはひどく慌て、両手と首をぶんぶん振った。  
「いッ、いえ本当につまらないことですけど……」  
「早く言え」  
 自信がないらしく、渋ろうとするレムちゃんにさっちゃんがずいっと詰め寄った。  
「あ、の、ですね。確かごしゅ……大ちゃんと雪のお話してたなあ、って……」  
「雪? ああ、そういえばそうだったな……」  
 レムちゃんの一言にその場にいた何人かは、はっとした。雪――それは『時の秒針』と密接な関係があるものだったからだ。  
「いや、しかしあの場に雪など」  
 さっちゃんが否定しかけた時、リビングに雪のように白い塊がぱたぱたと駆け込んできた。  
「おおウィズ。どうしたんじゃ?」  
 大樹がウィズを抱え上げると、ウィズは何か言いたげに身をばたつかせた。  
 
 
 翌朝、大助は学校へ登校していた。トロッコを降り、校門をくぐり、昇降口へさしかかろうかという時、後方から名前を呼ばれた。  
「丹羽くぅんっっ」  
 原田梨紗が長い髪をなびかせながら駆け寄ってきた。少し息を乱している彼女に大助は、  
「りさ……!」  
 眩く光る朗笑を梨紗に向けた。その笑顔に梨紗の胸は射抜かれた。ずきゅんと。  
(にっ、丹羽くんが……!! えええ、笑顔で私の名前……っ!!)  
 火が出そうなほど熱く染まる頬に手を当て、恥じらいと喜びに身悶えた。  
(もう今すぐ死んでもいいわぁぁぁぁぁっ!!)  
 校舎前で妖しく身体をよじる梨紗を、周囲を過ぎ行く生徒は奇異の目で見るか、見ないように努めた。ただ一人へらへらとしまりのない顔を梨紗に向けているのは大助――ではなく、ウィズだった。  
 ウィズが変身してまで学校に来た理由はただ一つ、美術室にあるという大助の描いた雪原の絵を持ち帰るためだ。昨夜、ウィズがリビングの全員に伝えたかったのはそのことだった。今のところ雪が関連しているものはそれしかなかった。可能性もゼロというわけではなかったので、今回ウィズが学校に来たというわけだ。  
(ウィズ! 違いますわ! 「梨紗」じゃなくて「原田さん」ですわよ!)  
 大助の背中、カバンの中からピーピーという鳴き声がした。ウィズのお目付け役として学校に同行することとなったトワちゃん・鳥形態である。  
 失敗を咎められたウィズは頭をぽりぽり掻いて顔を曇らせた。ウィズはあまり演技が得意ではなかった。  
 そんなウィズに対してトワちゃんは一抹の不安を感じているが、家を出る直前に小助が言ってきた、放課後に学校へ送り込んでくれるという助っ人を待ち望んでいた。  
 
 さっちゃんはあるところに来ていた。いつも流れるようにたなびいている長髪を黒い帽子に押し込め、厚手のジャンパーにジーパンという服装、肩には鞘に収めた紅円の剣を担いでいる。  
 ここはクライン教会。さっちゃんはすたすたと歩き、目的の場所に辿り着いた。翼主を絡め捕らえる『時の秒針』の前へと。  
 肩に担いでいた鞘を手にし剣を抜き放つと、鞘を投げ捨てて眼前の氷柱へと斬りかかった。速く、体重を乗せた刃が氷柱へ触れ、甲高い金属音が鳴り響いた。  
「っぐぅ……」  
 柄を握る手に力を込めるが、剣は氷柱の表面に触れたまま、まったく進もうとはしなかった。力任せに何度も斬りつけるが、斬撃のすべてが氷の表面を滑り、傷のたった一つさえつけることも叶わなかった。とうに手は痺れ、力を失った手が剣を取り落としそうになった。  
「くそォ――」  
 息を切らし、顔を辛く歪めるさっちゃんの拳が氷柱を殴りつけた。じんと染み入る痛みが拡がるが、それでもさっちゃんの湧き上がる怒りは抑えられなかった。  
 
 ――無力。あまりにも無力だ。  
 
 それが悔しくて堪らなかった。氷の中で眠るように穏やかな表情をしている翼主を見上げ、この胸の奥を掻き毟る痛みをその身に強く刻んだ。  
「……必ず、助ける。しばらく待っておれ」  
 そう呻き、さっちゃんはその場を後にした。  
 
 
 その助っ人は迷子になりつつも、何とか放課後には間に合った。  
「むふうっ! 着きましたよ」  
 鼻息荒く意気込んでいるのは、東野第二中学校では見たこともない少女だった。明るく輝く緑の髪、これでもかというくらいのつるぺたな身体。  
「まずはウィズとトワちゃんに合流するのです!」  
 制服のスカートを翻して元気良く学校に突入して行くのはレムちゃんだった。制服はもちろん小助がどこからか仕入れたものである。  
 初めての学校は好奇心旺盛なレムちゃんにとって刺激に満ち溢れた空間である。が、如何せん今はそれに気を向けるだけの余裕はなかった。なるべく早く大助の絵を運び出したかったからだ。  
 学園祭の準備で賑わう校内に、レムちゃんは気を引き締めて飛び込んだ。  
 
 
「丹羽くん、衣装合わせするからこっち来て」  
 福田律子や石井真理に呼ばれたウィズがにこにこしたまま駆け寄った。  
「ウィズ。ぼろを出してはいけませんわよ」  
 赤い髪の中に埋もれるように身を潜めているトワちゃんがウィズにだけ聞こえるようにこそこそ話すと、ウィズはうんうんと呑気に頷いた。  
 こんな調子でよく放課後までクラスメイトに正体がばれなかったなとトワちゃんは心の底からそう思っていた。  
 数分後、劇の衣装に身を包んだウィズがそこにいた。ダンボールで作った胸当てや銀紙製の剣など、騎士をイメージした衣装はウィズにぴったりのサイズだった。  
「うんうん。丹羽くんの方はばっちりね」  
 監督の沢村みゆきが満足気に頷くと、もう一人の主役の衣装係に訊ねた。  
「梨紗の方は?」  
「こっちもいいよ」  
 原田梨紅が答えると、教室の入り口から紅色のドレスをまとった、金色の長髪をした女の子が姿を現した。  
 それを見てクラス中のあちこちから、主に男子の歓声が起きた。  
 
「んん……」  
 しかし梨紗の表情は浮かず、難しい顔で長いかつらの毛先を弄っていた。  
「どしたの?」  
「うん……。私ならかつらいらないかなって思って」  
「そだね。でもみんなで作ったんだし、せっかくだからつけてなよ」  
 釈然としていない梨紗に後でみんなと話してみると梨紅が告げると、首を縦に振った。そして今度は一気に顔を光らせ、くるくる回転しながら大助……ではなくウィズの側に寄っていった。  
「どうどう? 可愛い?」  
 びしっと回転を止めてポーズを決め、大助の感想を聞きたがった。が、こいつはウィズである。  
「うん。大好き」  
 率直過ぎるほどにど真ん中を突いた台詞に梨紗は今朝と同じくらい顔を火照らせ、周囲は少しざわめいた。  
「丹羽……、お前は女が好きだったのか」  
 床に手をつく日渡には全員から当たり前だという視線が向けられた。  
「ちょちょちょ、梨紅今の聞いた!?」  
 梨紗は驚喜して梨紅に抱きついた。  
「丹羽くんが私のこと大好きだって!」  
 黄色い声をあげながら梨紅に頬擦りし、喜びを身体一杯に現した。対する梨紅は、不機嫌そうだった。  
「ウィズ、あまり軽率な発言はいけませんわ」  
 トワちゃんはそう咎めたが、ウィズはうんうんと呑気に頷く、ただそれだけだった。  
 助っ人に早く来てもらいたいと切実に願うトワちゃんだった。  
 
「――ここはどこですかぁ……」  
 迷子になっていた。学校という空間でどうして迷子になるのかと訊かれると説明できないが、レムちゃんは迷子になっていた。2-Bを目指していたが、いつの間にか人の気配がからっきしないところに来ていた。  
 目立ってはいけないよと小助に念を押されていたのでぼろぼろ泣いてはいないが、顔はくしゃくしゃで今にも決壊してしまいそうだった。しかし、泣いていてはいけないのだ。  
 制服の袖で顔をぐしぐしと拭き、きりっと顔を引き締めた。  
「――あ……」  
 ぴり、と感じるものがあった。気を入れ換えたおかげでその微細な反応を知覚できた。ちくちくと頭を刺すような痛み、それほど強い刺激ではないそれがあるところから発せられている。  
 そちらに歩を進めると、小さな刺激が身体中をぴしぴしと弾けていく。不快な思いにさせられるが、何かあると感じたレムちゃんはその部屋――美術室の扉を開けた。  
「うわぁっ……」  
 開けた瞬間、嫌な風がレムちゃんの身体を舐めるように吹いた。胸がもやもやしながらもレムちゃんは美術室に足を踏み入れ、この気持ち悪い現象の元であるその絵の前に立った。  
「うぅ、酷いです」  
 微量な魔力が絵を取り巻くように渦となっている。それから発せられる魔力の質は、昨日感じた『時の秒針』のものとよく似ていた。高い確率で当たりかもしれないと高鳴る胸を落ち着けながら、そっと絵に手を伸ばした。  
 指先が絵に触れる直前、灼けるような衝撃が一瞬だけ指先に走った。  
「い、ったぁぁ……」  
 予想していたことだが、やはり絵には強力な結界が張られていた。それはさながら、美術品を盗もうとする者を倒す電流のトラップのように機能している。  
 
「レムちゃん!」  
 声に振り向くと、美術室の入り口に人影があった。  
「ウィズ!」  
 ようやく知り合いに会え、レムちゃんは顔を綻ばせた。ウィズが駆け寄ると、髪の中からトワちゃんがぴょっこりと顔を出した。  
「どうしてここに来たのですか?」  
「なかなかレムちゃんが姿を見せないものですから捜していましたの。そうしたらここから変な気配を感じたので来てみたらビンゴ、ですわ」  
 トワちゃんが説明を終えると、三人の目が壁にかかる雪原を描いた絵に注がれた。  
「……酷いですわね」  
「結界もあるのですよ」  
「どうします? 結界が張ってあっては我々では……」  
 トワちゃんが心配そうに訊くと、レムちゃんは自信満々に答えた。  
「大丈夫です! そのための助っ人なのです!」  
 レムちゃんが両手を頭上にかざし、  
「フィールド全開!!」  
 高らかに叫ぶと、蒼白い光の膜が衣のように両手を覆い尽くした。両手を絵に伸ばすと、まるで使○の○Tフィールドを中和するかのように結界は無力化していき、レムちゃんが絵を手にした。  
「急いで帰るのです! あまり長い時間はもたないのです」  
「分かりましたわ。ウィズ!」  
 言われるより早くウィズは姿を変えようとしていた。身体が発光し、瞬時に黒い翼と化していた。絵を脇に挟んだレムちゃんが美術室の窓を開け、ウィズに出るよう促した。ウィズが横を過ぎる瞬間、レムちゃんは黒翼の背に飛び乗り、トワちゃんはレムちゃんの頭に移動した。  
「急ぐのです! 全力ですよぉっ!」  
「キュウッッ!」  
「お、落ちてしまいますわぁぁっ!」  
 
「――お邪魔しまぁす」  
 しばらくし、誰もいなくなった美術室に原田梨紅がやってきた。遠慮がちに小さく挨拶し、美術室に入ってきた。  
「…………やっぱいないよね」  
 昨日と同じく日が傾く時間に早々と姿を消した大助が、もしかしたらここにいるかもしれないと淡い期待を抱いて来てみたが、すでに絵を描き終えた彼が来るはずもない、とも思っていた。  
「…………ばっかみたい」  
 それでも彼女は美術室に来てしまった。もしかしたら……、その可能性を捨てたくなかったからだ。  
 梨紗に大好きと言ったその真意をそれとなく訊いてみるつもりだったが、もはやそんな気は起きてこなかった。  
「帰ろっと。――あれ?」  
 昨日の帰り際、大助は雪原の絵を壁にかけていたはずだが、今はそれがないことに気付いた。どうして持って帰ったのかと訝しみ、明日にでも訊いてみるつもりで美術室を出た。  
 
 
 ――夜、再びクライン教会。  
「来たな」  
 巨大な氷の柱を前に、三人の影があった。剣と盾を身に着けている赤髪の少年。露出の高い際どい服を着た長髪の女性。雪原を描いた絵を脇に抱えるメイド服の少女。  
「急ぐぞ。そろそろ我らの実体化の時間も限界だ」  
 例の秘薬を使い実体として存在できる時間は大体一日程度である。だがこの調子ならば実体化が終わる前に大助を救出できそうである。  
「レム」  
「はいはい」  
 元気よく返事をし、レムちゃんが『時の秒針』のかかる氷柱へと歩み寄る。  
「――あ」  
 レムちゃんの脇から絵が抜け落ち、とすんと床に落ちてしまった。  
「あはは、落としちゃいました」  
「……ちょっと待て」  
 明るく笑って言うが、顔に幾筋も汗が流れていることにさっちゃんは気付いた。レムちゃんに近づくと腕をとり、強引に袖を捲り上げた。  
「あ、あ」  
「! ……レム」  
 その腕を見てさっちゃんは絶句した。大助の絵から発せられる強力な魔力に毒され、黒く変色していた。  
 
「この馬鹿――」  
 その激しい口調に、俯いていたレムちゃんは体を強張らせてさっちゃんの叱咤に怯えそうになる、が、  
「……馬鹿者」  
 レムちゃんは頭にぽすんと手を置かれ、ぴくっと身体を縮まらせてからさっちゃんの顔を見上げた。  
「主を心配しとるのはお前だけではないのだぞ」  
 空いている手を伸ばすと、結界が拒むのを意に介さず絵を手にした。強烈な刺激がさっちゃんの腕を駆け巡り思わず顔を歪めるが、決して絵を手放そうとしなかった。  
「我も手伝う」  
 レムちゃんに優しく微笑んで言うと、絵を持つ手に別の誰かの手が添えられた。  
「僕も」  
 ウィズの手がしっかりとさっちゃんの手を支える。身体を突き抜ける痛みが走るが、やはり放そうとしない。  
「…………うん」  
 レムちゃんもウィズと同じように手を添え、三人が大助の絵を『時の秒針』に向けて掲げた。  
絵が黄金染みた光をほんの少し発し、……………………。  
「――――ん?」  
「…………何も起きません、ねぇ」  
「……えぇっとぉ、……失敗?」  
 三人は目を点にして顔を見合わせた。  
 
 
 その日街には、特にこれといった事件は起きなかった。  
 
 
 ――――遠く…………とても遠く、分からないほど遠いところから頭を揺り動かされたような感覚――――。  
 
   
「…………ぅ」  
 それまで何も感じなかったのに、不意に霞が晴れていくように触覚が戻ってきた。頬に触れるひんやりとして硬い感触。レンガか石か、とにかく硬質なものの上に僕はうつ伏せているみたいだ。  
 ここはどこだろうかと思案することを遮るように、水滴が水面を打つ小さな音が一定のリズムではっきりと耳の奥に届いてくる。考える気が削がれていく……再び意識が闇に沈もうかという時、それとは違う別の音が耳に入ってきた。靴音だ。  
「……ようこそ」  
 その声は今まで聞こえてきたどの音よりも鮮明で、僕の意識を目覚めさせるには充分すぎた。  
「本当の私の世界へ」  
 落ち着き払った声に導かれるように顔を上げると、鮮烈な光――ひどく久しぶりに思える太陽の光が目を刺してきた。しかめた顔の先には陽光を人型に切り取る影が、風で無造作になびく髪の中で優しさに満ちた双眸を僕に向けていた。  
 
 
 ――鳥の群れが空を舞っている。どこからか鳴り響く鐘の音につられ――。  
 
 
 さっちゃんは荒れていた。  
「うがぁぁっっ! 何故だ何故だ何故なのだぁっ!」  
 丹羽家リビングで吼えるさっちゃんの横には目を腫らしたレムちゃんが、白い毛玉のウィズを膝に乗せてソファに座っている。頭を撫でられ、ウィズはすでに夢見心地である。  
「ちょっと落ち着きなさいな。はしたないですわよ」  
 トワちゃんが今にも火を噴きそうな勢いのさっちゃんを咎めるが、あまり効果はなかった。他の家の者は調べものをしに行っているためここにはいない。それを口実にこの場を逃げ出したのかもしれないが。  
「落ち着いていられるものか!」  
 主を助けられなかったのに、とは付けなかった。誰しもが気にしていることを口に出すほど無神経ではなかった。特に、それを口にすればやっと落ち着いてきたレムちゃんがまた泣き出してしまうかもしれない。  
「とにかく、奥様やおじいちゃま、小助さんを待ちましょう」  
 二人は言葉を選んで口論し、そういう結果に行き着いた。難しい顔をしたさっちゃんが唸ると、ちょうどリビングのドアを開く音がした。姿を見せたのは小助と、後に続くようにして恵美子と大樹である。  
「何かお分かりになりまして?」  
 三人と一匹の視線が先頭の小助に集まると、彼は手にしていた一冊の分厚い本をかざして見せた。  
「みんなで書斎を引っくり返してね、どうにか見つけてきたよ」  
 本をあるページで開きテーブルに置き、六人と一匹が囲むようにしてリビング中央へと集まった。  
「何を見つけてきましたの?」  
「アイス・アンド・スノウの真実を、ね」  
 訊ねるトワちゃんに答えると、小助はその真実という名の物語を語り始めた――。  
 
 
「…………そう。あなた大助っていうのね」  
 春のように麗らかな気候の中、僕と彼女は橋の上で語り合っていた。片やボディスーツに身を包んだ怪盗、片や中世を思わせる装束をまとう女の子と、なんとも不釣合いだと自分でも思う。  
「ここに人間が来たのは初めてよ」  
 その声には明らかに疑問の色が含まれていた。  
「僕もどうしてか分からないんだけど…………どうしてかな」  
 確か僕は雪原にいて、そこから塔の形をした建物に逃げ込んだはずだ。こんな暖かなところとはまったく別の場所にいたことは覚えている。  
「……きっと、あの子が……」  
「え?」  
 聞き取り辛かったけど彼女が何かを口にした。フリーデルトさんは欄干に肘を立て、頬杖をついて遠くを見つめていた。僕と歳はそんなに離れていないはずなのに、その横顔は何かを悟っているみたいに大人びていて、そしてとても淋しそうに見えた。けれど背筋を伸ばして僕の顔に向けてきたその顔にはそんな雰囲気を微塵も感じさせなかったもしかしたら。初めて声を聞いた時に感じた、落ち着いた印象がそう思わせているだけなのかもしれない。  
「少し長いお話になるけど、いい?」  
 明るい口調で言われ、勢いに任せてつい頷いてしまった。だから、彼女が抱えている暗く辛い思いなんて、その時の僕には見えていなかった――。  
 
 
 ――真実、と言っていた物語を話し終えると、  
「……小助さん、エリオットの持っていた剣の行方は?」  
 黙って聞いていた笑子が一番に口を開き小助に訊ねた。  
「カイルがずっと管理していたようだが……彼の死後、文化改革に紛れて壊されたか……  
それとも闇のルートでまだ存在するのか」  
 大事な話をしている横では鳥姿のトワちゃんとウィズが場違いにもころころとじゃれ合っ  
ている。  
「この物語自体も正しく伝承されていないんだ。行方を掴むのは難しいかもしれない」  
 それはつまり、笑子が唯一の手がかりと感じたエリオットの剣の所在は分からないという  
返答だった。  
「――だが」  
 後を続けられない笑子を継いだのはさっちゃんだった。  
「何もせんわけにはいかん」  
 力強い声は全員の耳にしっかりと届いていた。  
 
 
 
 フリーデルトさんと出会ってから、すでに数日が過ぎていた。僕はあの日、彼女に頼まれた  
とおり絵を描き続けていた。  
 
 
 ――あなたの「力」で、この世界の「寿命」を延ばして欲しいの  
 
 
 彼女は僕にきっぱりと言った。  
 
 
 ――絵を、描いて  
 
 
 
 ついさっきまで哀しげな表情で語っていた彼女に陰惨な影を全く見せずに頼まれ、それを  
断れるはずもなかった。僕の絵にはフリーデルトさんや時の秒針さんに期待されるような  
特別な力なんて全然ないから、と何度も何度も念を押しておいてスケッチにとりかかった。  
 目に映る緑や小川、遠方にそびえる連山などなど、いろんな風景画を何枚か描き上げ、  
果たしてこれで本当にこの世界の寿命が延びているのか、僕にははっきりと分かっていない  
けど、とにかくできることをするんだと決めて今日も頑張って筆を進めていた。  
「大助――――!!」  
 呼ばれて顔を上げると、ニコニコ笑顔のフリーデルトさんがティーポットとティーカップが乗る  
カートを押してこちらに来るところだった。  
「お茶にしましょうっ。根の詰め過ぎはよくないわ」  
「うん。ちょうど終わったところだし」  
 スケッチブックを足元に置いて再び顔を上げ、じいっと僕の顔を見つめるフリーデルトさんと  
目が合った。なんだろうと思い疑問符を浮かべる僕に対し、彼女は真剣な眼差しだ。  
「?」  
「顔色が悪いわ……」  
「えっ? そっ、そっかな?」  
 そんな自覚が全くなかったので、フリーデルトさんに言われて少し狼狽えてしまった。  
「お願い、あまり無理はしないで」  
 今まで見たことのない心配そうな顔をされて、落ち着かない気分になる。  
「私お水も取ってくるわ。少し待っていて」  
「えっ!?」  
 言うより早く、彼女は来た道を駆け足で戻って行った。  
「僕は大丈夫だっ――……」  
 思わず立ち上がって呼び止めようとした拍子に、足元に置いていたスケッチブックを派手に  
蹴飛ばしてしまった。  
「うわわっっ」  
 間に挟んでおいた完成した絵が何枚も散らばってしまい、それを拾おうと腰を下ろし、フリー  
デルトさんを止めないとと思い視線を上げ、しかしすでに彼女の背中は遠くにあったので、結局  
絵を集めることにした。  
 
「あぁ……、ブチ撒けちゃったよ……」  
 がさがさと手を伸ばして拾っていると、ある一枚の絵を手にして動きを止めた。そこに描かれて  
いたのは猫みたいに目つきの悪い長髪の女性と、仔犬みたいにころころしている短髪の女の子  
だった。フリーデルトさんからスケッチブックを渡された後、何となく描いてしまったさっちゃんと  
レムちゃんの落書きだった。  
 随分と長い間二人に会っていない気がして、数日前の日々をとても懐かしい気持ちで思い出した。  
「――――ん?」  
 ちょっと前のことを思っていると、ふと頭の隅っこに引っかかるものを感じた。前にもこんなこと  
があったような気がするが、いまいちよく思い出せない。奥歯に挟まったものを舌で取ろうとして  
取れないもどかしさ。  
「んん…………」  
 数日……ほど前だった、かな?思えど思えどはっきりせず、手だけは動き続けた。と、その動き  
をはたと止めて手にした一枚の用紙に目が吸い寄せられた。  
 それに描いていたのは、フリーデルトさんにスケッチブックを渡されてから初めに何を描こうか  
考えた時、ふと描いてみたさっちゃんとレムちゃんの落書きだった。  
 なんだかもう随分と会っていない気がし、今彼女達がどうしているのかと夢想にふけり、  
「なんか……無性に会いたいなぁ……」  
 募った思いは口から溢れていた。  
「――あ、っと」  
 意識を空に投げていたため、手から絵を取り落としてしまったことに気づくのが遅れた。  
再び地面に舞い戻ったそれを取ろうと手を伸ばした時、僕の身体は重力に導かれて倒れようとした。  
「あ……れ……」  
 両手で身体を支えようとしたけど、伸ばした手がいうことを聞かず、無様にどさっと突っ伏して  
しまった。何が起こったんだ?考えるだけの余裕もなく、何度か呻いた後に意識はぷっつりと  
途切れた。  
 
 水差しを手にして来た道を戻るフリーデルトの顔は冴えていない。  
(……やっぱり、人間をこの世界にとどめる事は無理だわ……)  
 彼女の脳裏には、少し蒼い大助の顔がちらついていた。  
(このままだと……彼の生命まで――……!)  
 最悪の結果がよぎり表情には苦渋が満ちるが、大助の前でこんな顔はできない。思いを  
すっぱりと拭い去れぬまま、それでもできる限りの笑顔を浮かべて大助のいるところへ戻っ  
てきた。  
「大助、お水……!」  
 言葉が終わらぬうちに彼女は水差しを投げ出し、地面に倒れ伏す大助に駆け寄ってその  
身体を抱え起こした。  
「大助! 大助どうしたのっ!?」  
 顔色は先程よりも目に見えて悪く蒼白になりかけている。呼吸も弱く、汗も滲んでおり、その  
様が、これ以上彼をこの世界にとどめる事が限界にきていると彼女に語っていた。  
 大助の生命が尽きる――。彼を巻き込んだのは時の秒針、もう一人の彼女のせいだという  
事実を重々承知していた彼女は後悔と自責の念に苛まれたが、今は一刻も早く大助を救うの  
が先だった。  
「……ごめんなさい」  
 もし大助が謝罪の言葉を口にする彼女の声を聞いていたならば、本当の世界に連れてこら  
れる前に聞いた声とその声が似ている事に気付いただろう。  
 フリーデルトの唇が大助の顔に近づき、躊躇うことなく口と口を重ね合わせた。  
 
 
 ――ほぼ同時刻、ところ変わりラッセル博物館。  
 そこに一振りの剣が寄贈されている。銀の剣、その名を「時の楔」という。  
 幾重にも鎖で固定されている様は、展示してあるというより封印しているという印象を  
与えている。  
 厳重に保管されているはずのそれが、確かにその瞬間、蟻が身震いするほど小さく  
振動した。それは彼が目覚めようとする、微かな前兆だった。  
 
 
 どたどたと無遠慮な足音を響かせ、トワちゃんは現在家にいる者のところへ急いだ。  
向かった先は丹羽大助の部屋である。  
「お二人ともっ! 見つかりましたわってきゃぁぁぁぁぁっっっっっ!!?」  
 見つかったのはもちろん件の剣である。そしてトワちゃんが叫んだ理由は、  
「ん? おおそうか! でかしたトワ!」  
「それでそれで、どこなんですかぁ?」  
 部屋にいたのが大人と子どもの女性ではなく、幼女が二人だったからである。片や  
悪ガキっぽく釣り上がった……寧ろ鋭い目の幼女。片や仔犬のように丸い……というか  
真ん丸した目を輝かせて訊ねてくる幼女。二人に挟まれ白い毛玉がもぞもぞと蠢いている。  
「トワ、詳しく話せ。…………どうした?」  
 さっちゃんは急かしたが、トワちゃんは固まり、じっと二人の幼女の顔を舐めるように見回し、  
「……………………か」  
「か?」  
「か?」  
「――可愛いですわぁぁぁぁぁっっっっ!!」  
 突然二人に飛び掛った。その際ウィズが潰された事に気付いた者はいない。  
「おぉぉっっ!? こぉらっ! うご、く、苦し……」  
「はわわわぁ! 潰れちゃいますっ、んきゅぅぅ……」  
「はっ!? わ、わたくしとした事がっ」  
 二人の可愛らしさに思わず本能の赴くままに動いてしまったトワちゃんが正気を取り戻し、  
二人から泣く泣く身体を離した。  
「げほ、げほ……。で、見つかったとはどこでだ?」  
「ああはいはい、そうでしたわ。つい先程、急に剣の存在を感知しましたわ」  
「いきなりか……。何かあったのか、な」  
「それでそれで、一体どこですか?」  
「――ラッセル博物館ですわ」  
 
 
 小さく身じろぎすると、彼の目は間もなく開いた。  
「ん……?」  
 目に飛び込んできた光に再び瞼を閉じ、その光がこの世界の陽光だと理解するのに少し  
ばかり時間を要した。  
「大丈夫?」  
 声とともに視界に影が現れて光を遮った。一転して闇に支配されるが、視力はすぐに回復  
した。  
「……フリーデルト、さん……」  
 瞳に映ったのは上下逆転したフリーデルトの笑顔だった。後頭部は柔らかなものに触れ、  
そこでようやくどのような体勢を取っているのか気付いた。  
「あ、ごめん」  
 とりあえず謝ってから頭を彼女の膝から退けようと身体を動かすが、  
「ダメ。まだ安静にしてて」  
 身体にそっと手を添えられ、それを払うこともできずに固まっていたが、やがてゆっくりと  
した動きで元の位置に、膝枕をしてもらう体勢に戻った。  
 女性の膝枕という滅多に体験できない出来事を嬉しく思いつつも照れ臭く、すぐ上にある  
彼女の顔を正視できずにそわそわ視線を泳がせていたが、やがて、  
「……そうだ。僕、倒れちゃったんだっけ」  
 どうしてこんなおいしい状況になったのかが分からない大助が思い出したように呟いた。  
フリーデルトの眉根が寄ったのを見逃すはずがなかった。  
 
「フリーデルトさん?」  
「ねえ大助」  
 大助が口を開いたのに被せるようにフリーデルトが遮った。  
「大助、…………りくさんって大切な人?」  
「――え? え、え、ええっ!?」  
「眠ってる時にその子の名前呼んでたから。違うの?」  
 もちろん驚いたのは大助本人だ。  
「僕が……梨紅さんを……?」  
 うん、とフリーデルトは頷くがまだ自分自身は信じていないといった風だ。そんな彼をよそに、  
彼女は興味津々、ニコーッと問い続ける。  
「それで、大切な人なの?」  
「え!? あっ」  
 大切じゃないかと言えばそうではなく、かといって大切と言ってしまってもそれは僕が勝手に  
思ってるだけだし、それに原田さんだっているし……。  
 答えを出せないループ地獄に陥ってしまい困り果てる大助を、フリーデルトは魅力たっぷり  
の笑顔で見つめていた。  
「……いい人ね。大好きよ、ヘンなイミじゃなくて」  
 フリーデルトの直球な物言いに、大助の顔はあっという間に沸騰した。  
 
「カーワイーっ」  
 ますます赤くさせられる大助だった。  
「――でも」  
 不意に彼女の声のトーンが落ちた。今までの陽気な調子と大きく変わったわけではない。  
が、どこか翳りを帯びたのだ。大助は怪訝に思いながら彼女の言葉に耳を傾けた。  
「だから、大助はここで死んでしまったらダメ」  
 ――死。思いがけない単語に身体が微かに竦んだが、それ以上に驚くべき事態が大助の  
身に起こった。フリーデルトの手が彼の顔を挟むと、今度は彼に意識があるにも関わらず  
その唇を重ねたのだ。  
「――ッ、ふ、フリー……」  
 フリーデルトからの口付けから逃れ、弾けるように身体を起こして間合いを取ろうとするが、  
数歩もせぬうちにへたへたと尻をついてしまった。  
「無理はダメ。まだ本調子じゃないのよ」  
 へたり込む大助に覆い被さって身体を預けると、力の入らない彼は容易く押し倒されてしまう。  
再び口と口をつなぎ合わせる。  
「…………っな、なんで」  
 離れた口から疑問が紡がれるが、それを防ぐように執拗に唇を結び続ける。  
「ん……ッん、今は、私に任せて」  
 それだけ囁き、また唇を嬲り始める。濃厚な交接に時折漏れる官能的な吐息。侵されていく  
頭には彼女の言葉が呪詛のように反芻し、言われたままに身を任せるようになっていた。  
 
 
「――レム、終わったぞ」  
 女性の声がラッセル博物館展示室の一室に木霊した。  
「いい仕事してますねぇ」  
 展示室の外で待機していたウィズを頭に乗せ、右腕に盾をはめたレムちゃんが、肩に  
担いだ剣をずるずる引きずりながら扉の通路側から姿を現した。  
 レムちゃんは足元に気をつけながら、よたよたとさっちゃんの傍へ急いだ。  
「皆さん眠ったように死んでますねぇ」  
 床に転がっているのは、「時の楔」を警護するために遣わされた警官隊だが、全員が  
一様に昏倒していた。  
「馬鹿。眠っているに決まっとるだろ」  
 彼らに手を下したのはもちろんさっちゃんである。  
「さて。我の仕事はここまでだ。次はお前の番だぞ」  
「はいはいっ」  
 レムちゃんがさっちゃんに荷物を押し渡すと、倣うようにウィズもさっちゃんの頭に移動  
した。人がごみのように倒れる上を先陣斬って標的の「時の楔」まで駆け行くレムちゃん  
の後を追ってさっちゃんがゆっくりと歩を進める。ゆっくりしている割に遠慮なく警官を踏み  
つけて行くが、その程度で目が覚めてしまう柔な術はかけていなかった。顔をむぎゅりと  
踏まれようが、股間をぐわしと踏み抜かれようが、彼らは幸せな笑みを浮かべ、夢の世界  
の住人と成り果てていた。  
 
「これですねっ!」  
 一つの美術品の前でレムちゃんがぴたりと足を止め、幾重にも鎖を巻きつけられたそれ  
に手を伸ばしてみる。  
「――んッ」  
 伸ばした指先に電流が走った。強力なものではないが、確かに魔術による封印が施され  
ている。「時の楔」に絡みつく鎖の全てが力を有している。それはやはり、「時の楔」を封じて  
いるのだろう。  
「早くその厄介なものを取り払え。どうするかしっかり覚えとるな?」  
「はいです。鎖から開放しちゃったら、わたしが代わって『時の楔』の力を押さえ込むんですね!」  
 封印している鎖が厄介なら、封印されている剣も厄介なものだ。一体どんな力を備えて  
いるか分からないうちは、力を出させない方がいい。大助を助け出す前に不測の事態が  
起こってしまうのは、まずい。  
 さっちゃんが頷くのを確認し、レムちゃんは仕事に取り掛かった。  
「ハン○ーコネクトォッッ!!」  
「……………………は?」  
 突然レムちゃんが叫び、手を一気に伸ばしてエリオットの剣の柄を掴んだ。周囲には大気  
を焦がす多量の閃光が走るが、勇者はそんなの気にしないのである。  
「ゴォォ○ディオンッッ」  
「れ、レム……ッ?」  
 鎖が――飴細工のようにいとも簡単に千切れてゆく。  
「○ンッッッマァァァァァ!!」  
 天高く剣をかざす彼女の姿は、勇者王の名に相応しそうでそうでなかった。  
 ――数秒後。  
「さ、急いでご主人様の元へ!」  
「ちょぉぉぉっと待てぇい!」  
 先程の絶叫に全く触れる気配を見せないレムちゃんに、珍しくさっちゃんが突っ込んでいた。  
 
 ――さらに数分後。  
「……まあ、これ以上議論してもどうにもならんが」  
「そうなのですよ。初めから素直にそう言ってたら」  
「どぉの口で言うか」  
「ひは、ひはひはひぃぃぃっっっ」  
 剣を手にしているレムちゃんの口に親指を挿し込んで引っ張り上げていたが、また  
くだらんことに時間を費やしそうだと悟ったさっちゃんはあっさりと手を離した。  
「とにかく。さっさとクライン教会に行くぞ」  
「はふぅ……ふぁいです」  
「では我は先に元に戻る。お前がしっかり運ぶのだぞ」  
「ふぁいです…………ってわたしがですか!?」  
 いつの間にそんなことが決まったのか、訴えようとした時にはさっちゃんの姿は消えて  
いた。  
「お前しかその厄介な代物を運べんのだ。頼んだぞ」  
「うぅ……そうですね、仕方ないですね」  
 さっちゃんの声はいつものように紅円の剣から聞こえてきた。  
「それじゃウィズ、わたしを運んでください」  
「ウッキュキュ」  
 黒い翼に姿を変えたウィズが、左肩に紅円の剣を、右手にゴルディオ……ではなく、  
エリオットの剣を持ったレムちゃんの背にとりつき、細い少女の身体を大空へ誘った。  
 
 
 さっきからずっと、何もできない僕の股間から張り裂けそうに膨張しているものを強く  
握り締め、フリーデルトさんの五本の指が上下に運動している。痛いほど擦られ、すぐ  
にでも噴射しそうだけど、  
「んん…………ん……?」  
 彼女は僕のを弄りだした時から難しい顔をしていた。快感で身体は蕩けてしまいそうだ  
けど、頭は自分でも驚くほど冷静に働いている。  
「……あの」  
「えぁ……ッ! な、何か?」  
 声をかけただけで狼狽し、苦笑いともつかない微妙な引きつりを口元に浮かべている。  
こんなに彼女の顔の造形が崩れたのを見るのは初めてだ。  
「フリーデルトさん……って、もしかして」  
「ダメよダメダメ! それ以上言わないで!!」  
 えっちの経験がないんじゃと続けるはずが、彼女が機先を制したせいでできなかった。  
思えば彼女の手つきはたどたどしく、とても慣れたものとは思えない。任せてと言うから  
にはてっきり経験豊富で、僕の知らない珍妙な舌技でも飛び出すのではとそこはかとなく  
期待していたけど、指の力の入れ具合も動かし方も、明らかに素人さん程度のものだった。  
「そんな無理にしなくても……」  
「気持ちよくないって言うの!?」  
 図星。彼女がするより、僕がする方がお互いいい気持ちになれるに違いない。  
「んもう! こんな時は嘘でも気持ちいいって言ってたらいいの!」  
「あぅ、イタイイタイ」  
 触れてはいけない琴線に触れたせいか、僕を握る手に力がぎゅうぎゅうと込められ、強引  
にぎっちぎっちと擦られた。  
 
「っだ、大体どうしてこんなことしようとしてるの!?」  
「そこから説明しなきゃダメ?」  
「ダメ」  
 ちょっと強めに言い切ると、フリーデルトさんは息を吐き、重大なことを教えられた。  
このままでは、この世界で僕の生命が尽きてしまうことを。  
「大助を巻き込んでしまったの私達の責任だから、だから少しでもあなたの助けになりたいの」  
 彼女の純真な想いに心を打たれた気がしたけど、  
「……で、これがその……助け、なの?」  
 ファスナーからぺろんとさらけ出されている萎えきったものを指して訊ねた。  
「そうよ。性力を注ぎ込んで少しでも大助の助けになりたいの。……それに、大助が助からな  
かったら、この世界は終わってしまうし」  
 そういうわけだから。手を叩いて明るく続けてきた。  
「さ、まずはさっきの続きよ。大助、そこに寝なさい」  
 早く早くと急かされ、押し返すこともできずに流されるまま横になった。いまいち押しの弱い  
性格を恨む瞬間である。  
 草の上に転がると、足元で――つまりフリーデルトさんがいる方から微かな衣擦れの音が  
してきた。  
(服を……脱いでる?)  
 足元を窺おうとすると、突然視界が闇に覆われた。  
「うわっ! な、な……」  
 何が起きたか分からずに両手を振り回していたら、手にむにむにしたものが当たった。  
「きゃ、ちょっと大助! どこ触ってるの!」  
「え、え? ど、どこ?」  
「ゃんッ――。もう、そっちがその気ならこっちだって……」  
「はぅんっ!」  
 大事なところがむんずと挟まれた。…………この感触は、フリーデルトさんの指だ。  
 
「それじゃ続きを始めましょ。今度は私の方もよろしくね」  
 宣言とともに、僕の鼻はむしむしと熱く湿ったものを感じた。非常に柔らかな、心地よい  
鼻触りだ。それに鼻をちくっと刺す刺激臭。情報をまとめると、僕とフリーデルトさんは互い  
のあそこを見せ合う格好をしているんだと思う。暗いのは、彼女のスカートが被さっている  
せいか。  
「ん、……」  
 先に仕掛けられたのは僕の方だった。全身をきつく握り締められ、先っぽだけが濡れた  
ものに責められた。決して滑らかではないそれは、彼女の舌だろう。  
 僕も顔を動かし、彼女の恥部があると思われるところに舌先を刺し出した。  
「ん……くすぐったいわ」  
 温かなところに触れたけど、ここは違う。濡れてないし、女性器特有の凹凸を感じられない  
から、肌のどこかだと思う。  
「! ッ……あぁ」  
 そこを起点に円を描くように舌を這わすと、目指したところはすぐ見つかった。一段と熱と  
湿り気を帯び、熱い匂いが鼻を焦がしてくる。大事なところを隠すものは感じられず、直に  
彼女に触れている。僕は彼女にされたことをしてあげようと、舌で湿地帯を舐め回した。  
「!――」  
 すぐ上の彼女の身体が縮み上がり、その震えが握り締める僕自身にも伝わってきた。いい  
感じの反応じゃないか。  
「僕のもしっかり舐めてね」  
 彼女の口がお留守にならないように念を押すと、  
「わ、分かってるわ! 見てなさい」  
 見えないんだけどね、と余裕を持って突っ込んだ直後、  
「あふぅッ!」  
 僕の分身は全身を熱気の中に放り込まれた。いきなり根元までやられてしまい呻き声を  
上げてしまった。しっかりと締めているのか、なかなかきつい感触がずっずっと上下に動い  
ていく。見えない分、いつも以上に興奮してしまってる。  
 
 攻められて感情が昂ぶり、僕はすぐそこにあるはずのフリーデルトさんの秘貝に貪り  
ついた。喘ぐ事さえ忘れ、ただただ懸命にお互いを責め合い続けた。  
 舐めれば舐めるほど、突けば突くほど、フリーデルトさんの中から濃厚に熟れた露が  
湧き出してくる。  
 奉仕されているところを目にすることはできないため、想像でその姿を思い描く。フリー  
デルトさんの桜色の唇が、ぎこちなく動く舌が絡み、拙いながらも頑張る彼女を妄想して  
興奮した。  
「うッ」  
 フリーデルトさんのはしたない姿を思い浮かべ、不覚にも口内に含まれるものが反応  
して少しだけ噴出してしまった。  
「んぷッ…………ぷふぅ。……ふふ、どう?」  
 フリーデルトさんがやけに自慢げな声をかけてくる。僕がほんの少しだけ達してしまっ  
たのを、自分の奉仕のおかげだと思ってるに違いない。  
「つっ、次はいよいよ本番よ!」  
 顔を覆っていたものが退き、目に映った天空が痛くて反射的に眉根が寄る。口の周りを  
手の甲で拭うと、思った以上にたっぷりと濡れていた。  
「大助は寝たままよ」  
 起き上がろうとしたわけでもないのにフリーデルトさんに両手を押さえつけられ、脇腹を  
脚で挟まれ、気がつけば組み伏せられていた。  
「私が上で頑張るわ。力を抜いてて」  
 彼女がスカートの裾を捲り上げると、そこにはついさっきまで僕が一心に味わっていた  
淫猥な口が、だらだら涎を流しているのが晒された。  
「ここ……こうね。はむっ」  
 慣れていないらしく、空に向かって起立する棒を片手で、まどろっこしい仕草で下の入り  
口に触れさせた。手にしていた裾を口に咥え、目で、いくよと伝えてきた。  
 フリーデルトさんに握られたものが非常にゆっくりと、その身を彼女の胎内に納めていく。  
「うぅ……っく」  
 焦らしているような遅さに、堪らず呻きを上げていた。身体が仰け反りそうになる、けど、  
僕と彼女が繋がっていく様をしっかりと見届けたく、視線を動かさずに結合部を熱い眼差し  
で見つめていた。  
 
 音もなく、ただ強烈な摩擦を与えて僕を呑み込んでいく。包み込まれるような錯覚は、  
彼女に初めてキスをされた時と同じように、僕の頭を焦がしていく。  
「ふぅっ、んふッ」  
 間断なく与えられていた彼女の腰の動きが、ぱったり止まった。見ると、大きく怒張した  
ものがあったところは彼女と隙間なく密着し、根元までしっかりと咥え込まれていた。  
彼女と繋がった悦楽が胸をつめてくる。  
 彼女の腰が浮き上がり、堕ちてくる。ぎこちない動きで振る腰はどんどん速く、激しく  
勢いを増していく。二人を繋ぐ箇所から溢れる潤滑剤は白く泡立ち、淫らな音色が絡み  
つきだした。  
「ッんあぁ、はぅっ、ダメェ――!」  
 感情が昂ぶったようで、フリーデルトさんが大きな嬌声を奏でた。すると、彼女が咥え  
ていたスカートが重力に従ってふわりと舞い降り、二人が晒していた秘部が覆い隠された。  
「大助ッ、大助ぇぇっ!」  
「ふぅわっ!――」  
 突然フリーデルトさんが身体を曲げて僕にぎゅっと抱きついてきた。声をあげたのはそれ  
に驚いたのもあるけど、それよりなにより彼女が身体を曲げたせいで中に入っている僕の  
が急激な挿入感の変化でひどい刺激を受けたからだ。  
「あっ、あっ、あん、あッ」  
 顔のすぐ横で漏れる吐息に合わせるように、彼女の腰が痙攣するような小気味良いリズム  
で振るわれる。  
 胎内の熱を感じながら、ようやく彼女に身を委ねることができた。されるがまま、精と意識  
を吸い取られる錯覚を味わいながら、快楽の階段を確実に登りつめていた――。  
 
 ――ばっさばっさと黒い翼をはためかせ、幼女怪盗れむちゃんは颯爽とクライン教会に  
現れた。人のいない教会は闇と静寂に包まれ不気味な様相を呈している。  
「着きました着きましたぁっ」  
「さっさと主が囚われているところへ行くぞ」  
「あっちの方ですね」  
『時の秒針』が発する魔力を頼りにして教会の外をぐるりと回ってみると、大きな窓が連な  
っている場所、その一角が淡く蒼く、うっすらとした光に染められているのがすぐに見つか  
った。  
「あそこですね。間違いない、ですね」  
「のようだな。よしウィズ、突っ込め」  
「ウッキュ!」  
「――――へ?」  
 さっちゃんとウィズが何気なく交わした言葉を聞き流してしまうところだったが、レムちゃん  
は気付いた。  
「ちょちょちょちょッッ、待っ――」  
 止めようと呼びかけるが、黒翼は急に止まれなかった。今の翼主の気持ちなど歯牙にも  
かけずにさっちゃんの命令どおり、突っ込んだ。窓にむかって。  
「絵だけはしっかり守れ」  
 ぐんぐんと迫りくるガラスの板に衝突の危機を感じて顔が引きつるが、さっちゃんの言葉  
が耳に届き、絵だけはしっかりと胸に抱いた。ここでご主人様を助ける術を失うわけには  
いかない。  
 
 決意新たにレムちゃんは顔を上げた。  
「死守ぅぅぅぅっきゃあぁぁぁぁぁッッッ!!」  
 けたたましい音を立てて砕け散るガラス。レムちゃんの決意は、見事にガラスを打ち破った  
……わけではなく、ただ単に上げた顔から窓に突っ込むという悲惨すぎる結果を招くだけだった。  
「ふぎゅるッ」  
 身体についた勢いは止まらず、そのまま数メートル、十メートル、それ以上の距離をレム  
ちゃんの顔面が滑っていき、強烈な摩擦の力でようやくレムちゃんは止まった。  
「……………………」  
 物言わぬ屍と化したレムちゃんは本当に一言も発することなく、すっと自分の住処――  
盾の中へ溶け込んでいった。  
「ウィズ、後はお前に任せる。早く主を助け出すのだ」  
 労いの言葉や安否を尋ねることなくさっちゃんとウィズは淡々と大助を助ける手筈を進めた。  
ウィズが大助へと姿を変え、レムちゃんが残していった大助の絵と『時の楔』を手にすると  
『時の秒針』がかかっている、大助を取り込んでいる氷柱へ歩み寄った。  
「……!」  
 変化はすぐに顕現した。ウィズが手にしていた二つのものが『時の秒針』が放つ微弱な魔力  
に呼応するように蒼く光を帯び――。  
 
 
 
「――…………うぅ……ん?」  
 頭が、ぼけっと鈍っている。それが分かった時にはもう目が覚めていた。寝覚めはいい  
みたいで、意識が飛んでしまう直前のことをはっきりと思い出せる。  
「……あ、フリーデルトさんは……」  
 僕の上で悶えに悶えていた彼女の姿がないことに気付いて身体を起こした。曝け出して  
いたはずのあそこは中に収められている。彼女がしてくれたんだろうかと考えると、ちょっと  
顔が熱くなった。  
 芽生えた気恥ずかしさを振り払うように頭を辺りに巡らすと、フリーデルトさんはすぐに  
見つかった。僕の横、手で届くほど近くで横になっていた。顔は僕の逆を向いていて寝て  
いるのか起きてるのか判断できず、手を肩にかけて少し揺すって、  
「――ッ!」  
 揺すってみようとして伸ばした手を一瞬で引き戻した。冷たい……なんてものじゃない、  
痛い。雪原の世界で体験して以来の凍気に僕の身体は芯まで冷えそうになったけど、今  
は自分の心配どころじゃない。  
「フリーデルトさん!!」  
 彼女の身体を抱え、腕がぎんぎん冷気に侵されるのにも構わずにフリーデルトさんに呼び  
かけ続けた。そして気が付いた。凍りつくほど冷たい身体は、その足元から喩えではなく本当  
に凍りついていることに。  
 その時、視界に影が差した。起きていることにどう対処していいか分からず、ただ彼女の身体  
を抱いているだけの僕の前に忽然と人が姿を見せた。  
「…………」  
 驚くことを忘れ、何も言わずに瞳に愁いを浮かべてこちらを見つめる少女を見返した。  
限りなく白に近い肌に髪。すでに春の陽気が舞うこの世界に、彼女だけが冬から取り残された  
ようだった。  
 ……どこで会ったのか知らない、それとも覚えてないのか、見ず知らずの少女のはずなのに、  
僕はその子を知っている――?  
 
「……時の、秒針……?」  
 呟いた名前に、彼女は首を横に振った。違っていたのか、けどそんなことよりも早く  
フリーデルトさんを助けなるのが先だ。その子に助けを求めようと口を開きかけた時、  
どうして首を横に振ったのか、その意味を知ることになった。  
「フリーデルトは、もう――」  
 
 
 助からないわ……。  
 
 
「…………そ」  
 消え入りそうに小さな声で、震えるだけの小さな唇の動きで、はっきりと告げられた。  
「そんなっ――」  
 冷たい口調の少女に勢い任せで噛みつくところだったけど、その哀しげな表情が僕を  
思いとどまらせた。  
「大助……」  
 不意に下から声がした。フリーデルトさんがうっすらと開けた瞳で僕を捉え、弱々しく  
震える細い腕を空に浮かべた。  
「しっかりして!」  
 その手をしっかりと握り締めると、身体よりもはっきりと彼女の凍て付く痛みを感じた。  
 
「…………ありがとう」  
「! ダメだよ諦めちゃ! フリーデルトさんっ!」  
 見る間に虚ろになっていく彼女の瞳に、突然沸き起こった不安が胸を掻きむしっていく。  
「……いい人ね」  
「待って! 僕、まだ何もしてない、絵を描いてないよ!!」  
 助けるはずじゃないのか?彼女を、彼女たちを、この世界の寿命を助けるはずじゃ?  
「あなたは……大切な人、を……手放さないで」  
 フリーデルトさんとエリオットが再会する助けになるはずじゃなかったのか?  
「ダメだっ! ダメだダメだ! こんなのッッ」  
「泣かないで。ね?」  
 泣いている?どうして?――彼女が逝ってしまうから?…………僕は、諦めてるのか?  
「違う……。ダメだ、やっぱりダメだよこんな別れ方ッ!!」  
 何が違っているのかはっきり分からない。だけど……今は否定したい!フリーデルトさん  
とこんな別れ方、絶対間違ってる!  
「本当は大助と、もう少しいっしょに……」  
「一緒だよ、一緒にいるから! だから、だから」  
 彼女が最後に見せた笑顔は、僕の眼にしっかりと焼き付いた。それは穏やかで、優しくて、  
温かくて……、僕の心を鷲掴みにするには、十分すぎた。  
「フリーデルトさ――」  
 
 
 ――三人は眼前で起こっている超常的な現象に目を奪われていた。もっとも、彼女らの存在  
自体が十分に人知を超えているのだが……。強烈な閃光が雷のようにこの一角を照らしていく。  
「うわっ!」  
 現場の一番近くにいたウィズが一際強い光量に驚き、転がるようにして剣と盾の側まで後退した。  
「どうなってるのですかさっちゃん!?」  
「とても不思議なことが起こっているのだ」  
 見たまんまの感想を述べられ、それでも感嘆の声で唸るレムちゃんだった。  
 今、氷柱――いや『時の秒針』の前に一枚の絵と一振りの剣が妖しげな光を放ちながら浮いて  
いる。昨日よりも格段に強い反応を示しており、三人の大助救出への期待は否応なしに高まって  
いた。  
「強烈だな。この魔力の大きさは……」  
「ぐるぐる一帯に渦巻いてるですよ」  
「うぅ……、ちょっと怖いかも」  
『時の楔』を中心に螺旋を描く魔力の流れに気勢を殺がれたウィズは元の姿に戻りレムちゃんの  
後ろへと逃げ込んだ。  
 
「むぅ、そろそろか」  
 三人の中で最も経験豊富で魔力の強いさっちゃんがいち早く何かを察した。直後に、今までの  
比ではない猛烈な力の波が一角を、どころではなくクライン教会全体を震撼させた。  
「くうっ!」  
「はわぁぁぁっっ!」  
「キュウゥっ……グキョ」  
 剣と盾と生き物は魔力の流れによって生じた衝撃波に吹き飛ばされ――盾にしがみついてい  
たウィズは見事に壁にぶつかり悲惨にも盾に押し潰された――近くの窓ガラスは全て粉微塵の  
粒子と化した。  
「――っ痛ぅぅ。むぅぁったく、もっと丁寧に……?」  
 壁にめり込むほどの勢いで衝突した剣はぼやき、そして目にした光景に続く言葉を呑み込んだ。  
『時の秒針』『時の楔』そして大助の雪原の絵を包む空間はさっきの爆発じみた衝撃波のせいか、  
塵一つない清楚な空気が漂っている。『時の秒針』と『時の楔』は緑のような青のような、淡く美しい  
光を放っており、二つの光源の間に大助の絵がたゆたい、それぞれの美術品が伸ばす一筋の光  
を繋いでいた。  
「主の絵が……繋いでいるのか?」  
 二つの魔力が大助の絵を介して融合していくのをさっちゃんは感じた。やがて二つが一つになり  
終えようかという時、『時の楔』の切っ先が大助の絵に向いた。さっちゃんが見ている前で剣は絵を  
貫き、後ろに控えている『時の秒針』にも刃を突き立て、そして――。  
 
 
 最後に覚えているのは、世界が闇へ還る光景。世界が割れる甲高い音。何もかもが捨て  
去られていくこの世界の終焉の中で、フリーデルトさんの身体から伝わった冷気だけが腕  
の中に残った。それは僕が……いや彼女がそこに存在したという、たった一つの証だった。  
 
 
 ……それから数日の時が流れ、僕はようやく目を覚ましたらしい。初めに視界に入ったの  
は母さんの顔だった。目も赤く疲れの色が見て取れたけど、それでも喜んで笑って、泣いて  
いた。その後、父さんもじいちゃんもトワちゃんも次々と部屋を訪れてきた。久しぶりに会え  
たことに、現実の世界に帰ってきたという安堵が生まれた。  
 母さんから聞いた話では、クライン教会の一部は損壊し、現在は復旧の工事が行われて  
いるそうだ。工事が始まった時には、すでに『時の秒針』や『時の楔』は欠片も残っていなかっ  
たという話だ。  
「…………」  
 家に運ばれた時には全身が氷のように冷たくて危ない状態だったらしいけど、どうにかこう  
にか生きている。  
「…………」  
 それでも、僕は素直に喜べなかった。ベッドから起き上がれるまでに回復し、今こうやって  
屋根の上に独りでうずくまっている。身を刺す風は、僕の心まで届いていない。  
 結局、僕は何もできなかった。フリーデルトさん、彼女がどれくらい僕に期待していたかは  
分からないけど、それに少しでも答えることもできず、それどころか彼女にあの世界で生命  
の危機を救ってもらっている。  
(それなのに、僕は……!)  
 悔しさが胸を締めつけ、破裂しそうな息苦しさに苛まれてしまう。フリーデルトさん、それに  
『時の秒針』さんもだ。助けを求めてくれた人を助けられないなんて、役立たずもいいところだ。  
――情けない。  
 
「ここにいたか」  
 声とともに物音がして顔を上げると幼女が一人、後ろからさらにもう一人現れた。  
「かぜ引いちゃいますよぉ?」  
 二人を見やって、また膝に顔を埋めた。溜め息が二つ聞こえ、それからしばらくは全くの  
静寂が訪れた。  
「…………まだ気にやんどるのか?」  
 しばしの沈黙を破って聞こえた声はすぐ近くからしていた。  
「かいつまんだ説明しかされとらんが、」  
 フリーデルトさんの世界で何があったか、全てじゃないけどみんなには話した。特にいつも  
傍にいるさっちゃんレムちゃんには幾らか詳しく話したけど、話すたびに刻まれた傷が痛み、  
やはり全て話していなかった。  
「ふりーでるととえりおっとは、あの二人は少なくとも救われたはずだ」  
 慰めているのか、さっちゃんはそんなことを口にした。もっとも僕には信じられず、顔を上げ  
もせずに自分を責めていた。  
「…………主は取り込まれておったから知らんかもしれんが」  
 取り合おうとしない僕にめげずにさっちゃんは言葉を続けた。  
「『時のびょうしん』と『時のくさび』は主の絵をかいしてしっかりと溶け合ったぞ」  
 さっちゃんが言わんとしていることが漠然と分かった。けど、僕の心は未だ堕ちたまま晴れる  
ことはない。  
「さいごのさいごに二人は一つになった。それだけでも救ったことになるのではないか?」  
「……僕には…………分からないよ」  
 それはフリーデルトさんが望んだことではないんじゃないか。望まれたことじゃないんじゃ  
ないか。  
 
 
 ――あなたは……大切な人を手放さないで  
 
 
 それは違うよ。あの時の僕にとって、君も大切な人だったんだ。だから君がいなくなったら、  
その言葉に意味はないんだ。  
 
「あ! 見てください見てくださいっっ!」  
 少し離れたところからレムちゃんがはしゃぎ声をあげ、横ではさっちゃんが感嘆の溜め息  
を漏らすのが聞こえた。  
「主、少し顔をあげてみらんか」  
 僕にかける声は強制も何もない、ただ単に誘っているだけ。さっちゃんの柔らかな言い方  
に何とはなしに誘われるまま顔を空に向けた。  
「……雪」  
 ふわふわと回るように空から降りてくるのは、穢れない純白の結晶だった。……思えば  
この出来事、初めからずっと雪が関わっていたことに縁を感じる。  
「きっとごしゅじんさまの回復をよろこんでるんですよっ」  
「なるほど。ふりーでるとのさいごのまほう、か」  
 フリーデルトさん、どうして彼女は最後に微笑んでいたんだろう。僕を一生懸命に助けて  
くれたんだろう。  
 
 
 ――大助はここで死んでしまったらダメ  
 
 
 僕に生きて欲しいと、そう思ったから、彼女にそう思われたから、僕はこうしていられる。  
「…………生きて」  
「ん?」  
「僕、生きて、……いいのかな?」  
「主……泣いて……?」  
 押し込めていたものが噴き出し、嗚咽でうまく喋れない。涙を拭っても次々に流れて追い  
つかない。  
「あわわ! ごしゅじんさま、はんかちありますですよっ!」  
 行き場を失って溢れた感情を彼女たちにだけ見せ、僕は泣き続けた。雪がしんしんと降り  
始めた、十二月も半ばの頃だった。  
 
 
 
次回 パラレルANGEL STAGE-15 学園祭の日に・・・  
 

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