――目に飛び込んできたものは噴水、海、岬に風車。  
「……噴水公園?」  
 見覚えのある光景。夏休み中に絵を描いた場所――それも一番最初に描いた場所だ、間違えるはずがない。  
「じゃあ、ここは……」  
 東野町に戻ってきたのか、と錯覚してしまう。噴水の縁に手をかけてみると、質感はなんら不自然なことなく、僕が腰掛けていたまさにその感触だ。水にも触れてみた。ひんやりとした感覚は、とても夢の世界とは思えない。  
 そう考えてから、すぐにそれを否定した。夢の世界なんて現実味のないのが普通だけど、僕は何度も肉の質感溢れる夢を見てきたじゃないか。これくらいで驚くことなんてない。  
「! トワちゃん? トワちゃん!?」  
 思案を打ち切ると、トワちゃんの姿がいつの間にか見当たらなくなっていた。辺りを見回してもその姿はおろか、人の姿もない。困惑しているところに、トワちゃんの声が届いてきた。  
「ここにいますわ、丹羽大助っ!」  
「ここってどこ?」  
 姿はないのに声は聞こえる。このことに驚きながらも、何とか見つけようと足を動かそうとした。  
 
「きゃぁぁっ! 踏まないでぇぇぁッッ!」  
「うええッッ!?」  
 反射的に足を上げ、バランスを崩してそのまま尻から転倒してしまった。呻いてお尻をさすりながら地面を見る、と、  
「トワ……ちゃん?」  
 そこにはピンク色をしたちょっと太めの小鳥が、羽根をばたばたさせて僕の顔を見ていた。  
手を差し伸べると身軽に、とは言いがたい動きでひょこっと手の上に乗ってきた。  
「なんでそんな姿に?」  
「魔力を使いすぎまして、今はこれがいっぱいいっぱいですの」  
 トワちゃんが片道だけしか標になれないと言っていたのは本当みたいだ。やっぱりかえる手段は自力で捜すしか……と考えた時、一つ妙案が浮かんだ。  
「そうだ。ここで僕が魔力を注ぐことはできないの?」  
 そうすれば帰りも標になってくれるんじゃないかと期待した。  
「それは無理ですわ。わたくし夢の中でいたすより、ちゃんと肌と肌を触れ合わせていたしたいのです」  
「それは無理なんじゃなくて、ただトワちゃんがしたくないだけじゃ……」  
「無駄話をしている時間はありませんわよっ!」  
 無駄なんだろうかと疑問にするより早くトワちゃんが僕の頭の上にぽすんと移動した。  
「一刻も早く『夢見の紅玉』を見つけだして、それを粉々に砕いてください。そうすれば力の支配下にある皆さんの意識は元に戻りますわ」  
「……なんかトワちゃんに使われてるみたいだけど、分かった。行こう」  
 頭に乗せたトワちゃんの指示を受け、僕は駆け出した。  
 
「うきゃぁぁぁッッッ!! ふ、踏まないでくださぁぁぁぁいッッッ!!」  
「うわぁぁぁぁッッッ!?」  
 足の裏に非常に生柔らかな感触を感じたと思ったら突然の大絶叫。すかさず脚を上げ、また転倒してしまった。  
「な、なにッ?」  
「わたしですぅぅ」  
 また地面を見ると、そこにはさっきと同じく小さなものがあった。じゃなくていた。  
「レムちゃん!?」  
 僕が踏みつけてしまった今のトワちゃんと同じくらいの大きさのそれがむくっと立ち上がると、こちらを向いてひょこひょこと効果音を伴なって近寄ってきた。  
「はいっ、わたしです!」  
 見上げてくるものは確かにレムちゃんの顔をしている。服装も確かにレムちゃんのメイド服の雰囲気を残している。ただ、どうしても言いたいことがあった。  
「何でそんなに小さくなってるの!? どうしてちびキャラ!? ちょっと可愛すぎるよ!!」  
「そそ、そんなに言われても分からないのですぅ」  
 レムちゃんが頭を抱えて悩む仕草をする。うあ……可愛い。  
「丹羽大助。別に不都合があるわけではないのですから構わないじゃないですか?」  
「そうですそうです、構わないですっっ!」  
「そんなもんかなぁ……」  
『そんなもんです』  
 口を揃えて言わなくてもいいじゃないか。なんとなく、二人は相性がいいのかもしれないと思った。  
「ではわたしもそちらにゆきますっ」  
 レムちゃんがふわっと浮かぶと、すすすっとトワちゃんと同じところに乗った。  
「今飛んだっっ!!?」  
「気になさらないでください」  
「そうです。時間はありませんわよ」  
「うわぁ。凄い胸の中がもよもよしてる」  
 すっきりしない思いを抱きながら、僕は紅玉を捜し求めて今度こそ夢の世界を駆け出した。  
 
 街の中を走り抜けていると、すぐにあるものを目にした。  
「あれ、灯台じゃないか!」  
 かなり遠方、山がある方角についさっきまで僕らが現実世界で目にしていた灯台がそびえたっていた。さらに同じ方角には滞在しているホテルと、島で見たような気がする木々が森を作っていた。  
「ここは夢の世界。それもあの女の子の夢が基盤となっていますわ。現実での影響がある程度現れても不思議ではありません」  
 頭の上からトワちゃんが教えてくれる。その横でレムちゃんが感心したように声を漏らしてトワちゃんに絡みつき、それを迷惑そうに振りほどこうとして僕の頭でころころ暴れまわっている。ちょっと、僕が迷惑かも。  
「……つまりなんでもありってこと?」  
「いえ、もちろん制約はあります。この世界に存在しているものはすべて彼女の記憶の中のもの。彼女の知らないものが存在することはありません」  
 結局レムちゃんに抱きつかれたままのトワちゃんの解説を聞いたおかげで、この東野町に人の気配があまりしないことにも合点がいった。街の人でも、接点がない人が出てくることはないのか。だったら人の数もかなり限定されることになる。紅玉を捜すには有利か、不利か、どっちに転ぶだろう。  
「付け加えますと力の巻き添えを受けたもう一人の女の子やホテルの人々は、この夢の街を舞台にしてそれぞれの理想を夢見ているはずですわ」  
「じゃあ、修学旅行に来てるほとんどの人がこの街にいるってことだね」  
「ええ。もしかしたら紅玉を捜すための手がかりをつかめるかもしれません。その方たちにお会いしに行きましょう」  
 とは言われても、修学旅行に来ている人数にホテルの従業員の数を足せば、おそらく百人近い人数になっているはずだ。その全員を捜し回ることに時間を割くことは避けたい。  
 だったら人数が多くいるところで聞くのがいいけど、どこに人がいるのか皆目見当がつかない。  
「一体どこに行けば……」  
「落ち着いてください。いきなり巻き込まれた人がそれほど無茶な願いを抱いていたとは考えにくいですわ。おそらくは普段の生活の中でのささやかな願望を満たすようなことを……」  
 
 普段の生活――普通の生活。普通、僕らは何をしている?  
「――学校!?」  
 思いついた時にはすでにそこに向かっていた。もしかしたらホテルかもしれないとも考えた。従業員の人はいるだろうけど、みんながいるかは分からない。いや、いるかもしれないけど、ここは直感に従うべきだ。きっと、みんなだって直感的に思いついたほうにいるはずだ。  
 走りながら太陽の位置を確認した。すでに傾きかけている。この世界の季節も夏だとすれば、今はちょうど放課後になるかどうかという時間だ。みんなが下校してしまえば大きな時間のロスになってしまう。全力で学校へ走った。  
「こんな時、翼があったら、楽なんだけど――」  
「ほらほら。喋ってないで、あと少しですわ」  
「ご主人様ぁ、がんばれぇぇぇっっ」  
 二人の声援を頭の上から受けながらとにかく走った。トロッコ乗り場に近づいたけど、タイミング悪くトロッコはすでに上に行ってしまっている。  
 待つ時間も惜しい僕は、  
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ――」  
 急な斜面を自分の脚で、  
「――ぁぁぁぁぁぁぁぁ――」  
 一気に、  
「ぁぁぁぁぁッ、ぁぁぁ――」  
 ……一気に、  
「――ぁぁ……ぁ、へえぇぇ……」  
 …………失速して駆け上がった。  
 
「つ、ついたぁぁ……」  
 中学校の校門前に着く頃には体力もなくなり、膝に疲労がきてがくがく笑っていた。  
「ナイスファイトですわ丹羽大助!」  
「さすがご主人様! 男らしいです」  
「あ……あ、あり、がど」  
 何とか言葉を口にしたけど、とてもしんどい。胸が苦しく、脚が、身体が重い。  
「へ、変だな……こんな、きついなんて」  
 体力にはかなり自身があったはずなのに、坂を駆け上がって疾走してきただけでこの有様だ。それにここは夢の世界なのに、どうして疲労が現れてくるんだろう。  
「仕方がありませんわ。この世界にとって大助は、強引に侵入してきた異端の存在。何かしらの力が働いていると考えてよいはずですわ」  
「はは、そっか」  
 軽口を叩くつもりで笑って答えようとしたけど息が詰まりそうになる。膝に手をつき、ゆっくりと呼吸を整えてから校内に踏み込んだ。  
 下校時間のためか、多くの生徒が僕と反対の方向に流れていく。さっきまでいた街の閑散とした様子とは大分違う。  
「何かみんな、生き生きしてるね」  
「これが原田梨紗ちゃんの世界ですわ。――理想の」  
 原田さんの理想の夢。みんなが楽しそうに生きる世界。それはとてもいいことだ、そのはずだ。  
(けど…………)  
 みんな確かに笑っている。けどその顔を注意深く見ようとすると、まるで靄がかかったようにぼんやりと、まったく焦点が合わなくなる。  
「どうしてみんなの顔が見えないの?」  
 トワちゃんに訊くと咳払いを一つし、高説するように語りだした。  
「それはここにいる人すべてが梨紗ちゃんの夢の世界の登場人物にしか過ぎないからですわ。  
紅玉に取り込まれた他の人の意識とはまた別物です」  
「造り物の人々、夢の産物か……」  
「ご主人様、ちょっと詩的ですぅ」  
 ぽつりと呟いたことに感心されて少し気恥ずかしくなった。  
 
「さあさ、急ぎませんと」  
「うん」  
 足早に下校生の間を縫って昇降口側にやってきた時、  
「うわわっ!?」  
 慌てて横に飛んで茂みの中に姿を隠した。  
「どうしましたか?」  
「あっち、あっち」  
 身を隠したまま目線で昇降口付近を見るように促がした。  
「んんーー……? あ、原田梨紅さんがいるのですね!」  
 レムちゃんの言ったことに頷いた。その姿ははっきりと見ることができ、夢の産物じゃないとすぐに分かった。けど、僕が驚いたことはもう一つあった。  
「あわわわわッ!? 梨紅さんの横にご主人様がっっ!?」  
 再びレムちゃんに頷いた。梨紅さんの横には僕が――梨紅さん以外のみんなと同じようにどこか霞んで見える僕がいた。  
茂みから顔を出して二人の様子を窺ってみると、楽しそうに談笑している姿が目に入った。  
(なんか、妙な感じ)  
 自分の胸がむず痒くなる錯覚に襲われた。くすぐられているというほうが正しいかもしれない。とにかくちょっと落ち着かない。  
「大助、他人の夢を覗くのはあまりよろしくないのでは?」  
「わ、分かってるよそれくらい!」  
 トワちゃんの言葉が突き刺さった。ごまかすように強めの口調で言い放ち、梨紅さんの後ろ姿を見送ってから校舎へ侵入した。  
 
 下駄箱を抜けて廊下に足を踏み入れた瞬間、  
「な、なんだここぉッ!?」  
 声が裏返るほど素っ頓狂な声をあげてしまった。  
 廊下はいつものとおり何の変哲もない。教室もおかしいところはなく、廊下に面した窓が左右にそれぞれ続いている。――彼方まで。  
 廊下の向こうは闇に飲み込まれている。それほど、長い。  
「どうなってるの……」  
 きょろきょろと辺りを見回し、教室の表札に人名が刻まれていることに気付いた。それが東野第二中学校二年生の名前だと分かるのに時間は必要なかった。  
「みんなの名前が、どうしてここに?」  
「そういうことですか……」  
 突然頭上でトワちゃんが口を開いた。  
「どういうことです?」  
 レムちゃんの問いかけにまた一つ咳払いをし、すらすらと説明し出した。  
「ここにある無数の部屋には、一人ずつの夢が閉じ込められていますわ」  
「みんなの夢が?」  
「ええ。そして閉じ込めた夢をそのまま喰らってしまうところでもあります」  
「なッ……! 急いで助けないと!」  
 一番近くにある教室の扉に手をかけようとした時、トワちゃんに制止された。  
「待ってください! 部屋を一つ一つ開放してもその人が夢から醒めることはありません。ここは急いで紅玉を見つけだして砕いた方がよろしいですわ」  
 この世界についてはトワちゃんの方が格段に詳しい。言ってることも間違いなく本当のことに違いない。  
「分かった」  
 紅玉を捜そうと駆け出そうとした。  
 
「あぁッ! でも待って! 僕ってここに情報収集に来たんだよ? でも誰もいないんじゃ……」  
「心配いりません。紅玉は、ここにあるはずです」  
 その言葉に違和感を覚えた。最初は捜せと言ったはずなのに、今はここにあると断言している。  
「でも、どうして……」  
「すみません。標としての役割を終えてしまったわたくしには、これ以上教えてさし上げることができません。でも信じてください。紅玉の気配は、この奥からしています」  
 トワちゃんの声はどこか苦しそうに感じた。これ以上説明することができないことが歯痒いという思いが伝わってきた気がした。  
「ううん。気にしないで。さ、行くよ」  
 どうして気配を見つけることができたのか、訊くのは悪いことだと感じた。  
「はぁい」  
「急ぎましょう。すでにこの機関が形成されているということは、残された時間は思っていた以上にありませんわ」  
 トワちゃんの言葉を胸に刻み、真っ直ぐと続く廊下を走って闇の奥へ向かった。その間も左右の壁には教室の窓と表札が続いていた。夢に取り込まれた人数はこの島全員の百名余り。そう考えると教室五十室分は駆けなきゃいけないことになる。今の僕には辛いけど、泣き言は言ってられない。  
 
(――あれ?)  
 足を止めることなく、ふと浮かんだ疑問を口にした。  
「トワちゃん。みんなの夢が教室に閉じ込められているなら――」  
「――ご主人様、あれ!」  
 レムちゃんの言葉に言いかけていたことを飲み込んで正面を見据えた。薄暗い廊下の端にぼんやりとだけど、何かが見えた。  
「扉?」  
 近づくにつれてそれがはっきりと見えるようになった。やはり扉だ。壁のように廊下を塞いでいる観音開きの大きな扉。長く続くかと思われた廊下は思ったより早くその終わりを見せた。  
「ここですわ」  
 それだけでこの奥に求める物があることが分かった。息を一つ呑み込み、それに触れた。  
「ダメッ!!」  
「――――!」  
 突然背後から聞こえた甲高い声に振り向くと、視線の先――というより下に声の主と思われる少女がいた。  
 見覚えのある少女。幼いころに見た。クマのぬいぐるみを抱えた、短髪の――。  
「その先に行っちゃダメなのッッ!!」  
 頭の中に直接響く声に脳を掻き乱される錯覚に襲われ、体を九の字に曲げて膝をついた。  
「? どうしましたか」  
「ご主人様?」  
「ど、どうって……この子が」  
 苦しみながらも視線を上げると、そこには誰の姿もいなかった。  
「あ、れ?」  
「この子ってどの子ですかぁ?」  
「誰もいませんわよ?」  
「そんなッ!」  
 確かにいたはずだ、本当に突然現れた女の子が。  
(そして、突然消えた――?)  
「大丈夫ですか? 夢に感化でもされましたか?」  
「あ、いや……大丈夫、大丈夫」  
 頭痛も嘘のように引いている。何事もなかったように。僕がおかしくなったのか?そう思いかけたけど、確かに、いた。  
 
(ううん、今は考えてるときじゃない)  
 かぶりを振って腰を上げ、再び扉に触れた。少し押してもビクともしない。  
「かなり厳重に封じられているようですわ。並みの衝撃ではどうしようもないでしょう」  
「そんな! ここまで来て」  
 もうすぐでみんなを解放できるのに、こんな扉一枚に阻まれてしまうなんて、そんなのはごめんだ。何かないかと辺りを、身体を探った。ポケットには高出力レーザーナイフが入ったままだけど、これで扉を破壊できるとは思えない。他に身に着けているものといえば、  
「これだッッ!!」  
「ほえ? わ、わたしですか?」  
 左腕にはめた蒼月の盾しかない。  
 
「レムちゃん!!」  
「ははッ、はいぃッッ!!!」  
 号令をかけるように声を張り上げると、それに答えて頭に乗るレムちゃんがぴしっと背筋を伸ばすのが分かった。  
「全力出して!」  
「ら、らじゃぁでありますっっ」  
 蒼月の盾を巡る蒼い光が活性化する。それに応じるように僕の心臓も大きく鼓動する。  
「まだまだっ! これじゃ壊せない!」  
「はいっっ!」  
 盾を巡る光が強く、強く輝き、扉の前だけが、満月が輝くよりも蒼く染め上がった。魔力の開放が限界に達した盾から光の帯が幾筋も、衣のようになびいて僕の身体を覆い尽くそうとする。  
「レムちゃぁんッッッ!!」  
「はぁぁぁいッッッ!!」  
「ごめん」  
「え? え、あの、あのご主――」  
 魔力で堅く包み込まれた左腕を思いっきり扉に叩きつけた。  
「ふぎゅッ」  
 幼児が履く音が出るサンダルのような声が頭上で漏れた次の瞬間、目の前を隠していた扉は跡形もなく消し飛び、その向こうには暗黒の空間が続いていた。  
「よし、行こう」  
「ささ、行きましょう」  
「ひっ、ひどいですぅぅッッ! お鼻が潰れちゃいますぅぅ!」  
 家に戻ったらしっかり慰めてあげようと心に誓いながら。  
 
 とにかくそこから先は暗かった。目を開いているはずなのに、何も見えない。蒼月の盾が放つ淡い光でさえもまったく先を照らすことはできない。  
「足元平気かなぁ」  
 全力で疾走しながらそんな心配をしていた。  
「二人ともちゃんといるよね?」  
「いますわよー」  
「はぁい」  
 頭から何かが落ちた気配はなかったけど、二人の存在をちゃんと確かめておかないと不安でしょうがなかった。  
「安心した」  
 それからしばらく沈黙が続いたけど、一向に闇が晴れる気配はない。いい加減うんざりし始めた時、さっき訊こうとしたことを思い出した。  
「ねえトワちゃん。みんなの夢が閉じ込められてるなら、どうして――」  
 前触れもなくいきなり目が真っ白な世界に犯され、手で視界を覆って立ち止まった。  
「これって」  
「闇が消えたようですわ」  
「目がぁ、目がぁぁ〜。ひぃぅぅ」  
 暗闇に慣れた瞳に、この光はあまりに強すぎた。視力の回復も遅かったけど、ようやく数センチ先、数メートル先と徐々に見えてきた。  
「うぅ……白い」  
 捉えることができる範囲は言葉どおり真っ白な空間だった。清潔すぎるほど、潔癖すぎるほどに。そしてここにあれがあるはずだと、なんとなく確信した。  
「ごご、ご主人様ぁ! 前、前ぇ!」  
 先に視力が回復したのか、レムちゃんが頭のてっぺんで騒ぎ立てている。  
「一体何……が――」  
 僕は、レムちゃんのように騒ぐことができなかった。ただ、目に飛び込んできたものに、ただ、ただ釘付けになった。  
 巨大な、さっき砕いた扉より二回り、三回りはゆうに大きな、透明の卵形のカプセルのようなものの中に透明の液体と共に、何も身にまとっていない彼女が膝を抱え、美しい肢体を折り曲げて浮いていた。  
 
 
 
 ――ここにある無数の部屋には、一人ずつの夢が閉じ込められていますわ  
 
 
 トワちゃんの言葉が鮮明に甦る。  
 じゃあ、さっき、外にいた彼女は?  
「この子は、やはり……」  
 予想が当たったような口ぶりをするトワちゃんの声が耳に届く。胸の動悸が激しくなる。  
それじゃあ、僕がさっき見たのは――。  
「来ちゃったんだ」  
 再び後ろから声をかけられて振り返った。視線の先には、赤い短髪の彼女がいた。胸元にはオレンジに輝く紅玉が宙に浮いていた。  
(――トワちゃんは、分かってたんだ)  
 一目見たときに、彼女のことを。そしてそこから感じる紅玉の気配を。そして、僕がここに来ることを見越して、彼女がここで待っていたことを。  
「……どうして、こんなことをしたの?」  
 僕の後ろで、まるで封印されているように拘束されている梨紅さんへの仕打ちが信じられず、声が震えていた。  
 彼女は答えずに、梨紅さんと同じ瞳で僕を射抜いている。懇願するような声で、表情で、僕は後ろで眠る女の子と同じ姿をしている彼女に呼びかけた。  
「答えてよっっ! 原田さんッッッ!!!」  
 
 
 彼女は、やはり答えずに僕を見据えている。瞳には光が宿ってなくて、生気を微塵も感じさせない。  
「どうして原田さんが紅玉を使ってみんなを……。それに、梨紅さんにこんなことを」  
 梨紅さんの名前が出た瞬間、わずかに原田さんの表情が揺らいだ気がした。けどすぐにその顔は能面のような無表情に戻った。  
 みんなが紅玉に取り込まれたのは、紅玉自身の力が強大すぎたせいだとトワちゃんに説明してもらっていた。みんなは巻き込まれてしまっただけだで、それが原田さんのせいじゃないことは分かっていたけど、どうして梨紅さんだけ特別な扱いを受け、原田さんが梨紅さんの姿をしているか分からない。  
 知ることができないから納得できないところが多々あるけど、それを問いただす時間もあまりない。  
「言いたくないなら構わないよ。けど、紅玉だけは」  
「知りたい?」  
 不意に原田さんの口から紡がれた言葉に、僕の言葉が遮られた。返事を聞くことなく、彼女は淡々と続けた。  
「私は、その子が嫌い」  
 敵意を剥き出しにした視線は僕の背後――梨紅さんへ向けられている。彼女の目がここで初めて光を宿した。とても暗い光を。  
「梨紅は……梨紅は何をしてもうまくやっちゃう子なんだ」  
 その声は沈んでいて、哀しみに満ちている。  
「丹羽君も分かるでしょ? あの子と同じクラスの人なら」  
 運動ができて成績もよく、料理も上手。性格もはきはきしていてみんなから慕われている。確かによくできた人だと思う。  
 
「けど、それがどうして……」  
「分からないのッッ!?」  
 非難するように荒げられた声。同時に強烈な痛みが頭を砕こうとした。  
「ぐぁ――ッ」  
 つい先程、扉の前で出逢った少女の時と同じ質の痛み。  
(さっきの比じゃないっ)  
「ご主人様!」  
 レムちゃんの心配する声が耳に届くけど、ひどく遠くに聞こえる。それほどまで頭の中には原田さんの叫びが響いていた。  
「あの子が何かするたび、私は惨めな思いをしてきたのよ!」  
「うわあぁっ、ぁああッッッ!!」  
 彼女が声を荒げるのに比例して、頭を犯す痛みはより鋭敏なものになっていく。立っていることもままならず、膝を折り突っ伏しそうになる身体を左手で支えた。もう片方の手で頭を押さえるけど、気休めにもならない。  
「あの子は何をやっても褒められるの! それがどれだけ私にとって重荷だったか丹羽くんに分かる!? 嫌いなのよッッ!!」  
(これが、原田さんの負の感情……ッ)  
 痛みが支配する頭で、それだけは理解できた。お姉さんに対する劣等感が、この惨事の引き金になっていたんだ。  
「うああああッッ!!」  
 原田さんが何かを捲くし立てている。レムちゃんが必死に叫んでいる。けど、その声が耳に入っても頭に届くことはなかった。言葉の意味さえ判断できないほど頭は激痛に苛まれていた。  
 
「私は、あの子に勝ってるところなんてないのよ! 比べられて、蔑まれて、もうそんな思いはたくさんなのっっ!!」  
 響き渡る痛みが、ひどくなる痛みが、彼女の感情を代弁している。  
 ――知らなかった。分からなかった。原田さんがこんな思いを抱いていたなんて。憎しみ、怒り、恐れに妬み。暗い感情が僕の頭の中に直接渦巻いてきた。それだけ、梨紅さんのことが嫌いだったのだろうか?  
(…………違う)  
「ご主人様、死んじゃいやですっっ!」  
「それに梨紅ってば、私から……私の好きな」  
「違うよ」  
 二人の言葉がようやく意味を成して頭に入ってきた。僕は、原田さんが言いかけたことを遮って口を開いた。  
「違う……違うよ」  
「何が? 何が違うって言うの?」  
 痛い。頭じゃなく、胸が痛い。原田さんの声が悲しみと苦しみに満ちて聞こえる。彼女の表情は辛さが伝わってくるほど哀愁に染まっている。  
「違わないわっ! だって、私は梨紅のことを」  
「じゃあ、どうして泣いてるの?」  
 それを口にした時、彼女は初めて気付いたように息を呑み、頬に指を這わせた。  
「あ――――」  
 不思議そうにその指先を見つめる様は、さっきまで激昂していた気配を微塵も感じさせなかった。  
「本当は梨紅さんのこと、嫌いなんかじゃないんだよ?」  
 原田さんの気が削がれたためか、頭の痛みも治まりをみせてきた。重くなった身体をどうにか立たせ、彼女に一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄った。  
 
「ち、ちが……」  
「違わないよ。原田さんは梨紅さんのこと、」  
「違う、違うわ!」  
 三度頭を破壊する痛みが走った。けど慣れたせいか、痛み自体が弱まったせいか、耐え切れないほどじゃない。足は緩んだけど、止めはしなかった。  
「梨紅さんのこと、嫌いなんかじゃない。本当は」  
「い、やぁ。お願いだから、もう近寄らないで……」  
 拒もうとする声は弱々しく、頭痛もほとんどしなくなっている。  
「本当は梨紅さんが――お姉さんが大好きなんだよ」  
 息遣いが聞こえるほどの近距離で、僕は彼女の両手を取って力強く握り締めた。  
「誰も原田さんのことを蔑んでたりしないよ。だって」  
 光り揺れるその瞳を見据え、優しく語りかけた。  
「みんな原田さんのことが大好きだから。僕も、もちろん」  
 言ってから少し恥ずかしくなった。照れ笑いを浮かべていると、それに対して彼女は表情を歪めて俯いてしまった。  
「? 原だ――」  
 理由を聞く暇もなく、原田さんの頭が僕の胸にもたれかかってきた。  
 小さな肩を震わせ、ゆっくりと嗚咽を漏らし始めた。憑り付かれたように泣き続け、時折りごめんなさいという呟きが聞こえた。何に謝っているのか分からない。ただ、今の僕には胸を貸すことしかできなかった。  
 胸の中、いつの間にか彼女の容姿は原田さんに戻っていた。  
 
「丹羽大助」  
 今の今まで沈黙していたトワちゃんが僕を呼んだ。その声は少し元気がなく、どことなく疲れた印象がある。  
「原田梨紗ちゃんの心が澄んでいってますわ」  
「本当? よかったぁ」  
「まだ安心するには早いですわ。さ、紅玉を砕いてください」  
 危うく忘れそうだったことを思い出した。紅玉を砕かない限り、みんなはまだ夢の世界に取り込まれたままだった。  
「原田さん。お願い、紅玉を渡して。そうしないとみんなが……」  
「うん。分かってる」  
 少し疲れが混じっていたけどしっかりした口調で答えた。目尻を指で拭って上げた顔は、いつもの原田さんだった。  
 彼女の両手がするりと僕の手から抜けると、胸の前で手を組み、そして差し出してきた掌の上に『夢見の紅玉』があった。その色は初めて目にしたときと同じ綺麗な色をしている。  
「私が頼めることじゃないけど……みんなを助けてあげて」  
 頭の中に響いてくることはないけど、彼女の気持ちがはっきりと分かる。自分一人のせいでみんなを巻き込んでしまった罪悪感。その感情を刺激しないよう優しく、大きく頷いた。  
「ありがとう」  
 再び涙を流しそうな彼女から紅玉を受け取り、床に転がして思いっきり踏みつけた。  
 
「――あれ?」  
 足の裏に伝わる感触に違和感を覚え、紅玉から足を退けた。見ると、紅玉は何事もなかったように傷一つさえついていない。さらに見ると、踏みつけた靴底の方に小さな切れ目がついている。  
「ルビーは硬いですからねえ。…………へ? あ、あのご主人様どうしてわたしを掲げて」  
「ごめんね」  
 えいっ、と気合を込めて蒼月の盾をルビーめがけて振り下ろした。  
「ひぎゃッ」  
 レムちゃんがかわいい悲鳴をあげるのに重ね、盾からルビーが砕ける感触が伝わってきた。  
「よし」  
「よくないですぅぅ……」  
 声の主が僕の目の前に降りてきた。鼻の頭は赤く腫らし、涙目で訴えてきた。  
「ほ、ホントにごめん」  
 今にも泣き出しそうに瞳を揺らすレムちゃんに、幼女を相手にしているような感じを覚えた。機嫌を直してもらおうと心からごめんを繰り返していた時、異変は起きた。  
 
 身体を小さく揺らす微細な振動が起きたかと思うと、回りの景色がガラス細工を叩いたようにひびが入り、弾ける音を立てて消し飛んでいく。  
「何が起きてるの?!」  
「紅玉を砕いたためにこの世界が存在できなくなったのですわ」  
 答えてきたのはトワちゃんだ。その声はさっきにも増して疲労の色が現れている。  
「急いで脱出しませんと、丹羽大助――あなたの命に関わりますわ」  
「そんなッ! まだ退路は確保できてないんだよ?」  
 口にして、自分だけが未だに絶望的な状況にいることを思い出した。他の人と違ってこの世界で僕は異端の存在だ。ろくな末路にならないに決まってる。  
「そうだ、梨紅さんはっ」  
 他の人のことも思い出し、急いで彼女のいる方を振り仰いだ。卵の中に浮かんでいる彼女を金色の光が包み込み、その身体が小さな粒子状になって溶けるようにここから消えていった。  
「取り込まれた人の意識の開放が行われていますわ。大助、皆様の心配はせず今は脱出する方法を」  
「うん。あぁでも待ってよ! 脱出って言われても――」  
 みんなは無事だと分かって安心したのは一瞬だった。今度は自分のことで頭がいっぱいになり、どうすればいいかあれこれ二人に言ってみたり思案したりした。  
「ご主人様落ち着いてくださいぃ」  
「あぁでもでも落ち着いてなんていられないよぉ」  
「丹羽くん」  
 てんやわんやで騒いでいたところに突然声をかけられて動きを止めた。  
「あっち」  
 声がした方を振り向くと、身体を金色の光に覆われた原田さんが僕の右手の方向を指し示していた。見ると、そこには白い光が輝いている。  
「あそこ、出口ね」  
「え?」  
「私ができるのはここまでだから」  
 きょとんとしてる僕に彼女は顔を緩ませて告げてきた。  
「急いで。時間……ない」  
 言いかけたところで彼女の身体が霧のように飛び散り、中空に消えていった。  
 
「原田さん……」  
「急ぎましょうご主人様」  
「早々に出た方が、よろしいですわ」  
 二人の言葉が、原田さんに感謝して動きを止めていた僕の背を押した。駆け出す前に左手のほうを一瞥すると、そっちはどんどんと崩れ去り、黒い闇に呑み込まれるようにして消失していた。  
 あれに巻き込まれたらひとたまりもないなと考え、けどこのペースなら原田さんが導いてくれた出口には十分に間に合うはずだ。  
「あ、ご主人様見てください! 出口がちょっとずつ小さくなってます!」  
 レムちゃんが言うとおり、確かに少しずつだけど光の大きさが小さくなっている。それでも僕が通るには余裕がある大きさだ。  
「大丈夫。きっと間にあ」  
「あぁぁぁっっっ!!」  
 またレムちゃんが何かに気付いたらしい。  
「今度は何?」  
「ご主人様、後ろ後ろ!」  
 言われるままに走りながら後ろを振り返ると、  
「トワちゃん!?」  
 そこには走ってきたごく最初の辺りで地面に転がる鳥の姿があった。  
「落ちてたのっっ!?」  
 レムちゃんが息を呑むのが聞こえた。自分のことを責められたと感じたに違いない。  
「レムちゃんのせいじゃない!」  
 どうして気付かなかったんだ!自分に対する注意力の低さに腹が立ち、考える前に足を止めていた。  
 
「! ご主人様」  
「みんな助からなきゃダメだよ!」  
 異端の存在――それは僕だけじゃないはずだ。レムちゃんだって、トワちゃんだって同じだ。僕が命に関わるなら、彼女だって無事で済むはずがない。  
 トワちゃんに走り寄る間にも前方から暗黒がこの世界を壊し近づいてくる。足が竦みそうになる、けど気持ちを奮い立たせ、全力でトワちゃんの元へ急いだ。  
「ああ、出口が小さくなっていってます」  
 その言葉が嘘であって欲しいと願いつつ背後を見やると、やはり真実だった。すでに光は僕の身体が通れないほどの大きさになっていた。  
(でも!)  
 二人は助けることができるはずだと信じ、腕から盾を外し、レムちゃんに今日何度目かの、  
「ごめんッ!」  
「え? え? ええぇぇぇッッッ――」  
 言うと同時に跳躍し、空中で身体を強引に捻りフリスビーの要領で右手に持った盾を光に向けて放り投げた。  
「ぷぎゅッ」  
 盾と一緒にちびレムちゃんも光にぶつかり、出口の収縮を食い止める枷となってくれた。  
「よし」  
 それを確認してさらに身体を捻り、飛ぶ前と同じ方に向き直ってトワちゃんの傍へ走った。  
「トワちゃん!」  
 すぐ横に腰を下ろし、大事に抱えあげるともと来た道を急いで戻った。  
「くぅぅッッ」  
 崩壊は背後数メートルに迫り、徐々に僕との間を詰めている。  
「ど、うして……戻ってこられたのですか?」  
 わたくしのことは放っておけばよいのに。弱々しくそう付け足すトワちゃんに対し、怒りに似た感情がふっと湧くのを感じた。  
 
「そんなこと言わないで。トワちゃんが助からなかったら、僕もレムちゃんも悲しい」  
 思いと裏腹に僕の言葉は柔らかかった。それを聞いたトワちゃんは小さく息を漏らし、  
「ええ……」  
 とだけ、穏やかに呟いた。  
「ん。じゃあちょっとだけ我慢してね」  
「? 何をです?」  
「これを――!!」  
 左足を天高く振り上げ、右手でトワちゃんを握り締め、全身のバネを極限まで酷使して渾身の一球をストライクゾーンめがけて投げた。  
「きゃぁぁぁぁぁッッッ!!」  
「レムちゃんキャッチぃぃ!」  
「はは、はいですッ、テュワっち!!」  
 一直線に目標に向かったトワちゃんを、レムちゃんが絶妙なフォローで受け止めた。  
「よし」  
 これで二人は確実に助かる。後は僕が、  
「――うぁぁッ!」  
 駆け出そうと右足を踏み出した瞬間、左足がまるで杭を打ち込まれたような衝撃に襲われ、その場に倒れ込んだ。  
「うあ、あぁぁぁッッッッッ」  
 押し潰す感触が足元からせりあがってくる。確認しなくても、これが崩壊に巻き込まれたということだと直感した。  
「ぐぁぁぁぁぁぁっ、はぁぁッッッ」  
 肺の中のものを圧しだされ、それでも僕は絶叫し続けた。  
 
「ご主人様ぁぁ」  
 断たれそうになる意識は、蒼月の盾――レムちゃんとトワちゃんが光に呑み込まれて消えていくところを見せた。  
 二人は助かったんだと、そう理解した時、僕は諦めた。  
「――――ッ!!」  
 誰もいない世界で独りもがき苦しみ、だけど心は諦めが満ち、穏やかだった。  
 脚全部が押し潰されたのを感じ、抗うように手で床を掻き、無駄だと知りつつも必死で逆らおうとしている。  
(どうして?)  
 助かる術はないのに、こんなに苦しいのに、僕はまだ、生きようと……。  
(…………嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! まだだ、まだ終わりたくない!!)  
 やってないことだってたくさんある。しなきゃいけないことだってたくさんある。こんなところで終わりたくない!  
 死にかけていた意識をかき集めたとき、自分がどうしようもないほど絶望的な状況にあることを悟った。腰までが、世界の崩壊に巻き込まれていた。  
「なんっで、ゆっくりしてるのさぁっ!」  
  僕が捕まる前は走るくらいのスピードだったのに急にゆっくりなっている。苦しめずに一思いにやってもらいたかった。  
 けど、だから生きたいと思えた。  
「くぅっ、そぉぉっっ! 死ぬ、もんかぁぁ……!」  
 這い出そうと手で床を掻き、それだけじゃどうしようもない力に押さえ込まれている身体は案の定抜け出すことはできない。  
「諦めるかぁぁぁ! んぐぐぅぅぅぁぁぁッッッッ!!」  
 そんな僕の意思を折るように、急激に圧迫する力が強まった。一瞬意識が途切れ、それが徐々に深淵に堕ちていこうとする。  
 
 
 
 こんなところで、終わる――?  
 
 
 
 伸ばす掌には何も触れず、ただ虚空を掴むだけ……。  
 
 
 
「ダメッ!!」  
 その声が、堕ちかけた大助の意識をかろうじて繋ぎとめた。認識するだけの力もない彼の目には、その少女の姿形を捉えるだけがやっとだった。  
「そのお兄ちゃんをいじめたらダメだよッッ!!」  
 独り崩壊の侵攻に向かい合い、その少女は声を張り上げた。彼を助けるかのように。  
 
 ――ウサギを抱えた、長髪の……。  
 
 そこまで捉え、彼の意識はぷっつりと途切れた。彼は、この世界から消え去った。  
 
 
 
 
 
 まず感じたのは下半身の強烈な痺れ。完全に感覚が狂っている。目さえ開いているかどうかはっきりしない。手は……どうにか動く。脚に触れてみるけど、それを感じることはできない。  
(――けど、生きてる)  
 それだけは確かだ。生を実感し、応じるように視界が白く開け、周囲の光景を目にすることができた。  
 まず視界に飛び込んできたのは暗闇。数回心臓が高鳴ったけどすぐに落ち着いた。暗闇の中に無数に煌めく光点の存在を認めたからだ。  
「夜空……」  
 呟いて上体を起こした。  
「ん?」  
 左手の指先にひんやりとしたものが触れた。『永遠の標』だ。左手には向こうの世界で投げたはずの蒼月の盾もあった。  
 そして標のさらに向こう、横たわる二人の女の子。まだ眠っているようだけど、直に目覚めるはずだ。  
「ありがとう」  
 最後に僕を助けてくれた少女の姿を思い浮かべながらその人――原田さんに礼を述べた。  
「トワちゃんッ……!」  
 ぐったりした鳥形態のトワちゃん頭をよぎり、最悪の事態を想定してその姿を捜し求めた。彼女は原田さんと梨紅さんとは逆、右手の方にいた。こちらに背を向けてぐったりとしている姿は、最悪の事態かもしれない。  
「トワちゃん、大丈夫!?」  
 まるで感覚のない脚に力を込めて立ち、ふわふわした足取りで近づいて上半身を抱え上げた。首は力なくうな垂れるけど、呼吸はしている。顔が火照っているけど、生きてる。  
 
「よ、よかったぁ」  
「……大助?」  
 確認するように名前を呼ばれ、僕は頷いた。トワちゃんがほっと安堵の溜め息を吐いたのも束の間、その身体が小さく震え、縮こまらせた。  
「どうしたの? 苦しい?」  
 突然の変調に慌てて訊いたけど、彼女はただ切なく喘いでいる。  
「…………ん?」  
 喘いでいる。甘く、切なく、物欲しそうに。思うところがあり彼女の下半身、太股の間に左手を這わせた。  
「ぁンッ」  
 熱く湿っているのがパンツ越しにはっきりと伝わってくる。  
「だ、いすけぇ」  
 人差し指をしゃぶりながらそう言うトワちゃんは、明らかに誘っている。間違いなく、魔力不足からくる性欲の開放だ。さっちゃんもレムちゃんも何度かこの状態に陥り、その度に僕は無茶な程搾り取られた。  
「お願い……約束、果たしてください」  
 約束という言葉が、紅玉に入る前に交わした三つの条件を思い出させた。確かにそんな約束をしたけど、今は下半身が麻痺状態でまともにやれるかどうかも分からない。  
「ぁぁ、早く。わたくし、このままでは死んでしまいそう……」  
 死、と言われ、さっきまで僕が抱いていた生への執着が胸に湧いた。すると、なんだか今トワちゃんにしてあげなきゃいけないような気になった。  
 
「分かった。優しくするね」  
「ンッ」  
 下半身に滑り込ませた指を彼女の股間にあてがう。パンツの下に茂みの感触はなく、無毛なのが分かる。  
 トワちゃんは艶を孕んだ息を漏らし、身体を軽く仰け反らせた。  
「久しぶりですわ、こんな気持ちになりますのは……」  
 何年、それとも何十年だろうか。灯台に独りぼっちだったトワちゃんの言葉は淋しさに満ち、僕と肌を重ねる期待も含まれていた。  
 もう独りじゃないよ。心の中で囁いて耳に甘く噛み付いた。  
「はぁッ、んんんぅ」  
 この状態になると全身の感度が飛躍的に向上する。こうやって虐めるだけで相当の快楽が駆け巡っているはずだ。  
 下半身を弄る手は止めずに耳を噛んでいた口を離し、頬から唇、そして首筋を舌先でなぞった。高まった体温と酸味のある汗が舌を痺れさせる。  
 右腕で抱えていた彼女を下に寝せ、肩に回していた手を抜き取って乳房の一つを包み込んだ。  
「んく、ッ……」  
 掌に胸の先端が突起を作っていくのが感じられる。潰さないよう慎重にそれを指と指の間で挟み、乳丘を滑るように撫で回した。リズムに乗るようにトワちゃんの声が断続的に響く。  
 
 僕の下半身を見ると、そこには詰め物がしてあるように大きく張っている。感覚が麻痺して分からないけど、興奮して勃起しているのは間違いない。いよいよテンションが上がってきた僕が彼女の服を脱がそうとし、手が止まった。  
 脱がそうにもトワちゃんが下に着けている薄い服――下着だろうか――はタイツみたいにぴっちりと身体にフィットしていて、どこからどう脱がせばいいかさっぱり分からなかった。よく見るとそれは下半身とも繋がっていて、僕がパンツだと思っていたのもそれの一部だった。  
 僕が迷っているとトワちゃんはすぐに察してくれた。  
「破いて……めちゃくちゃにしてくださって構いませんわ」  
 ……それは察したというより、服を脱ぐのも面倒で、そんなことより早くして欲しいと言っているように聞こえた。  
 ともあれそんなことを考えて時間を浪費するより先に行動に移した。トワちゃんの胸元に手をかけ、一気に下着を引き裂いた。それは小気味よいくらい綺麗に裂け、トワちゃんの下半身にまで到達した。そこにはやはり茂みはなく、雫の潤いが月光の下で映えていた。上に着けたものはそのままに素肌を晒す姿は、非常に艶っぽい。  
 体重をかけないよう気を遣いながら覆い被さり、できたてのゆで卵のように熱くすべすべした胸を揉みしだいた。  
「ふぁッ! ぁぁぁッ……」  
 それほど強く刺激していないけど、敏感なトワちゃんは嬉しそうに嬌声をあげ、面白いくらい喘いでくれる。  
 愉快になった僕は片方の胸を手で弄びながら、余った胸の先端を口に含んで舌で転がすように舐め回した。  
 
「ッい、は、はぁッ、い、いいですわッ!」  
 彼女の声が聞こえるたびに僕の頭もおかしくなっていく。興奮し、ただ思うままにその胸にしゃぶりついていた。唾液で口の周りが粘つくのも構わず、すするように下品な音を立てながら頂上にある薄紅色のしこりを吸い上げた。  
「ひぐ、ぁぁあああッッ!」  
 胸を仰け反らせ、軽く痙攣してからぐったりと全身を弛緩させた。  
「胸だけで……イッちゃった」  
 驚いたように口にする僕の声はすでに届いていないのか、トワちゃんは呼吸を乱し、顔には快楽と疲れの色が混じっている。  
 込み上げてくる激情を抑えきれず、彼女に早く欲望をぶつけたいと思った。  
「トワちゃん、もう……」  
 言いながらファスナーを下ろし、硬くいきり立つ剛直を取り出した。相変わらず触っているという感触はないけど、やりたいという思いが先走り、いつも以上に感情だけが昂ぶっている。  
「はぁぁ……はぁ……?」  
 息を落ち着かせかけていたトワちゃんが不思議そうな目で下半身のそれを見ているのを確かめ、汁でしとどに潤う孔内へ押し込んでいく。  
「あッ、ぁぁ、ふぅぅッッ!」  
 じゅぐ、という淫らな音を立てながら、すぐに腰と腰が触れ合い、没入は終わった。女性の中の熱を味わえない……夢の世界でがんばり過ぎなきゃよかったと少し後悔したけど、トワちゃんの感じ悶える表情と動きを見るだけで、足りない肉体的な快楽を補うには十分だった。  
「動くからね」  
「ん……ふぅッ、あ、あッ、ああッ!」  
 そんなに強く動かしているつもりはないのに、トワちゃんはとても大きく反応を示してくれる。彼女がさらに乱れる姿を拝みたく、腰の動きを加速させた。  
 
「はんッ、っひ、あ、おくッ、届いてぇ――ッ!」  
 分からないが、とにかく奥深くまで抉っているようだ。二人が結び合うところからは淫猥な音と雫が溢れている。  
「トワちゃッ、イきそ……」  
 口走った時には、もうイッてしまったことを脳が知覚した。結合部では、僕が断続的に何度も欲望を吐き出している。トワちゃんも満たされたような表情でそこを見ている。 だけど僕は違った。射精を終えた後、それが萎えてトワちゃんから出てくるより前にぐいっと腰を密着させた。  
「! だ、いすけ?」  
 信じられないといった表情でトワちゃんは潤んだ瞳で僕を見つめた。普通なら僕もここで終わっているはずだ。でも、頭の中ではまだ貪り足りておらず、満足していなかった。身体の方が快楽に鈍感になっているため、僕は心が納得するまで続けるつもりだった。幸いにも、と言っていいか分からないけど、下半身は麻痺していて限界を感じていない。心が折れなければ何度でもやれそうだ。  
「ん……ッ、ああ……」  
「あッ、あまりされ過ぎるとわたくし……ひぅッ!!」  
 もっと密着できるようにトワちゃんの右足を両足で挟み、左足を抱え込んで腰を深く突き出した。  
「いろいろ言ってたわりに、トワちゃんも、嬉しそうだね?」  
「いやぅッ! お股、擦り切れちゃぁッ!」  
 何度か腰を前後させていると、僕のに硬度が甦ってくるのを触って確かめた。まだまだ十二分にイける。  
「今日は夜通し、やるからッ!」  
「ひぅぅッッッ!!」  
 しばらくの間は他の事はすべて忘れ、ただただトワちゃんとの行為に酔いしれた――。  
 
 ――海風が心地よく頬を叩いていく。修学旅行の名残を惜しみつつ、五泊六日間お世話になったホテルが構える島を見送っていた。  
 僕は今、帰りのフェリーの甲板にいる。少し不自然にお尻を突き出してフェリーの柵に身体を預けていた。  
「ひぃッ!?」  
 いきなりお尻を撫でられ、思いっきり柵にしがみついて振り返った。  
「俺を誘っているのか? ふふん」  
「ひ、日渡くん!」  
 僕の背後には強風を全身に受け、それでも平然と立つ日渡くんがいた。 
 心臓がどっくんどっくん激しく打ち、そして下半身の前はずっきんずっきん痛んだ。  
「どうした? さあさあ逃げるな俺にもっと尻をぉぉぉぉぉ――!!」  
「お前はこっちに行こう。な」  
 久しぶりに颯爽と現れた関本が日渡くんの首根っこを捕まえてフェリーの中へ姿を消した。修学旅行中は見れなかった光景に懐かしさを覚えつつ、関本に感謝しつつ、僕は再び柵に体重を乗せた。  
 来たときと同じ大海原を眺めながら、あの日のあの後のことを思い返した。  
 
 結局トワちゃんと午前三時ほどまで肌を重ね、計ん十回と絶頂を向かえてからようやく原田さんと梨紅さんを、ウィズと協力してホテルまで運んだ。途中何度か目を覚まされそうになったけど、その都度トワちゃんが二人の頭を叩いて夢の世界へいざなっていた。  
「叩くのはよくないって……」  
 体力を使い果たしていた僕は弱々しくトワちゃんに意見し、  
「こうでもしませんと安心できませんでしょ?」  
 あれほど死にかけていたトワちゃんはすっかり魔力を取り戻して元気になっていた。  
 二人を運び終えてから、『永遠の標』とトワちゃんをウィズに預け、一足先に家に送り届けてもらった。あんな物を持って残りの数日を過ごせるわけはないしね。  
「ご主人様ぁ」  
「どうかした?」  
 仕事を終えた達成感に浸っていると、しばらくの間沈黙していたレムちゃんが口を開いた。  
「トワちゃんだけえっちなことしてずるいです。わたしにもしてくださいよぉ」  
「そんなこと? うんいいよ。今日は無理だけど、後でなら」  
「ホントですか! やったのですッッ!」  
 満足していたから、ついノリでそう言ってしまった。そして、その約束が果たされることはなかった。翌日から下半身の痺れは引き、代わりに痛烈な刺激があそこを支配したからだ。原因は言わずもがな、である。  
 痛みは引くことなくとうとう最終日を迎え、今現在、レムちゃんはふて腐れてバッグの中でご機嫌斜め状態だ。無言の非難を感じ、バッグをフェリーの自席に残して一時退避しているところだ。  
 
 とにかく家に帰ったらレムちゃんに謝ってあれやこれやとしてあげよう。  
(あ、でもさっちゃんもいるし……)  
 思い悩んで頭を掻きむしっていると、後ろから聞き覚えのある声がした。  
「ほぉらぁっ! こっちに来なさいって」  
「ちょっとちょっと! あんたはしゃぎすぎだってばぁ」  
 首を捻ってそちらを見ると、短髪の女の子が長髪の女の子に腕を引かれ、僕と同じように柵から少し身を乗り出して海を眺めるのが見えた。  
「あぁあ、あそことももうお別れか。ちょっと残念」  
「うん。もう少しいたかったよね、あの島に」  
 強風に吹き消されそうな微かな声を捉え、その会話のないように小さく笑みが漏れた。  
「よかった……本当に」  
 仲良く談笑する双子とは逆側の海を眺めながら、今までどおりの間に戻ったことに満足して独りごちた。  
 見る先、遥か彼方に続く水平線。相容れない空と海は鏡に映したように同じ色をし、ただどこまでも続いていた。  
 
 
 
次回 パラレルANGEL STAGE-14 アイス・アンド・スノウ

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