「――でもまさかお前らまでホテルに入ってくるなんてな」  
「それは……」  
 確かに冷静に考えると、友達の後を尾けて、挙句に部屋まで入って何もしないで出てきました。 
なんていうのはおかしいことだ。  
「初め見たときはやりすぎて二人が腰抜かしてるのかと思ったぞ」  
「そんなことないってば!」  
 にやにやいやらしい笑みを浮かべて顔を覗き込んでくる関本に怒鳴ると、  
「分かってるよ。冗談だよ冗談」  
 にやついた顔はそのままだ。  
 でも、部屋から女子二人に肩を貸して出てくるところを見たら、僕だって何かあったと思う  
に違いない。関本と石井さんの反応も当然のことだった。もちろん必死に弁解して何もなか  
ったと伝えたけど。  
「じゃあこの辺で帰っけど」  
「うん。今日は、その……ごめん」  
「いいっていいって。謝んなよ」  
 音が立つほど強く肩を叩かれ、そのまま首に腕を回された。  
「お前もさっさと原田妹とくっついちまえよ」  
「な……っ!」  
 耳元で言われ、咄嗟に声をあげようとしたけど、関本は逃げるように離れていった。  
「へへっ。じゃあな」  
 手を振って去っていく関本の後ろ姿を見届け、僕も家に向かった。  
 
 帰り道に考えていたのは関本に言われたことだった。僕が玉砕した後も何かと原田さん  
とよく一緒にいるところをあいつは知ってるし、気を遣ってもらったこともある。だから  
心配してそう言ってくれたんだと思う。  
 けど、僕には素直にそのことが喜べない。梨紅さんの存在が、彼女に対する思いが、原  
田さんとの間で僕をふわふわさせている。  
「…………ダメだよ、まだ」  
 決められない。いつかはこの思いを決めなくちゃいけないけど、今はまだ無理だ。  
 悶々とした思いを抱いているとあっという間に家に辿り着いた。  
「ただいま」  
 玄関をくぐった途端、家の奥からどたどた慌しい音が聞こえ、その音がこちらにやってきた。  
「大ちゃんっっ!」  
 姿を現したのは母さんだ。どうしたのか聞くより早く、母さんが駆け寄ってきた。  
「今日お仕事にいってちょうだい!!」  
「今日……って、でも八月は」  
 しなくていいという約束だったはずだけど、口ごたえは許してくれなかった。  
「これを見て」  
 目の前に突き出された広告には、小指の先程の大きさがあるダイヤが無数に散りばめら  
れたネックレスが載っていた。  
「これね、今日美術館に展示してあったの」  
 言いたいことが分かってきた。  
「……へぇ」  
「お母さんね、こういうネックレス欲しかったの」  
「……だから?」  
「盗ってきて」  
 肩に手がかけられ、ぎりぎりと万力のように握り潰されそうだった。  
「……行ってくるよ」  
 渋々引き受けると、母さんの顔がぱっと明るくなった。  
「ありがと。だから大ちゃんのこと好きよ」  
 喜んでいる母さんから頬擦りされた。八月はしなくて言いといわれたけど、結局母さんの  
気分次第で仕事が入るんだなと思うとかなり気が滅入った――。  
 
 ――そして時刻は九時を過ぎ、さっと盗みを終えてネックレスを手中に収めていた。  
左腕に盾を、背に剣を鞘に収めるいつものスタイルで月が照らす闇の中を走っていた。  
「…………はぁ」  
「? どうした」  
「ん、うん。ちょっとね、今日はいろいろあってさ」  
「疲れたのですか?」  
「そう……だね」  
 民家の屋根の上を駆けながら、僕は二人に心配されていた。そう、確かに今日は疲れた。  
したこともない尾行なんかして、それで流されるままホテルに入って、目まぐるしく周囲に  
流されあっという間に時間が過ぎた。  
「……でも、楽しかったよ」  
「ほぉ」  
「あら」  
 本気でそう思った。久々に充実した一日を過ごせて満足している。心に引っかかること  
も言われたけど、今はまだ、答えは出せない。  
「ふむ。そろそろいいのではないか?」  
 美術館からかなりの距離を走り、上空にヘリの影もなく、警官隊の包囲網から抜け出せ  
たようだ。さっちゃんに変身を解いてもらい、懐に潜り込んでいるウィズに呼びかけると元気  
に返事をしてくれた。  
 
「それでは帰りましょうか」  
 黒翼を身に纏おうとウィズに声をかけようとした瞬間、  
「――怪盗ダークっっ!」  
 よく通る綺麗な女声にあり得ない方向から名を呼ばれた。――頭上。  
「んな……ッ」  
 驚いた僕はその場に立ち止まり空を見上げた。瞬く星の薄弱な光が染める夜の闇の中  
から、浮き出るようにそれは姿を現した。  
 数十メートル前方に真っ黒なマントに身を包んだ人影が飛来し、  
「ヒャぅッッ!?」  
 悲鳴とともに股が裂け、鈍角に拡がる屋根の先端に無防備な股間をぶつけ、鈍い衝撃が  
こちらの足元にまで伝わってきた。  
「アウッ! はッ、ほあァぁぁぅ……」  
 声から察するに女の子だろうか――目の前で悶絶している。  
「……なんだあれは?」  
「さ、さあ」  
「何かよろしくない感じがしますねぇ」  
「とりあえず、帰るか」  
「そう、だね」  
「あッ! ま、待つノダァッッ!」  
 僕の方へ必死に震える腕を伸ばし、悲痛な叫び声で呼び止めてくる。  
「うぅぅん……」  
 どうするか逡巡したけど、結局うずくまる女の子に歩み寄った。  
 
「あ、こら」  
「助けるのですか?」  
「やっぱりほっとけないよ。大丈夫?」  
 突き出されている手を掴もうと右腕を伸ばし、逆に僕の手ががっしりと捕らえられた。  
「え?」  
「……言わんことではない」  
「あらら。やっぱりこうなりますかぁ」  
 二人が心底呆れたという調子で口を開くと同時、腕を握る少女が不敵に笑い出した。  
「ふっふっふ。掴まえタなりよ怪盗ダークッッッ!!」  
 同時に鍵をかけるような金属音。  
「げっ」  
 見ると、僕の腕と彼女の腕が手錠で繋がれていた。  
「さあ、大人しくワタシのために死んでくれるノダッ」  
(さらっと物騒なことを言われとるぞ)  
(逃げちゃいましょう)  
(うん。そうだね)  
 助けるつもりだったけど、僕を掴まえようとする元気があれば平気だと思う。  
「逃がさないヨッ!」  
「うわわわっっっ!?」  
 僕が行動するより早く、彼女が身体にしがみついてきた。足場が安定しない場所で不意  
に受けた衝撃で、僕は宙に放り出された。  
 
「くッッ!」  
 咄嗟に腕を伸ばし、指先に触れた物を言葉どおり藁にもすがるように掴み、  
「アッ!?――」  
 もちろん僕が掴んだのは繋がれた手錠のもう片方にあった、彼女の腕だった。二人揃っ  
て真っ逆さま、頭から地面に向けてダイブ状態となった。  
「――ッ!!」  
 彼女を腕の中に抱え込み、大声でウィズを呼んだ。声が出たかどうかもはっきりしなかっ  
たけど、ウィズは応えてくれた。地面に激突することなく、静かに翼を羽ばたかせて降り立  
った。  
「ふぅ」  
「……」  
 安堵の溜め息が漏れた時、腕の中の女の子が僕の顔を凝視しているのに気付いた。そこ  
で初めて彼女の顔をはっきりと見た。黒い瞳に金色の髪。薄い月明かりが染める暗闇の中  
でもはっきり分かるくらい白い肌をしている。――何より一番目についたのは、頭に乗った王冠  
だった。  
 穴があくほどずっと見つめられ、さすがに居心地の悪い思いが湧いてきた。  
「…………あの」  
「! はッ!?」  
 いきなり彼女が僕から身体を引き剥がし、踵を返して走り去っていく。  
「いや、ちょっと待ってよ!」  
 僕は彼女の後をぴったりくっつき、ほぼ同じ速さで駆けていた。  
「な、なんでついてくるノダッ!?」  
「何でって、これこれ!」  
 
 空いている左手で必死に右手を繋いでいるものを指差した。彼女がそちらをちらっと  
一瞥し、  
「自力で何とかするのでゴザル!」  
「えぇっっ!?」  
 無茶苦茶なことを言われてしまった。元はといえば彼女が手錠をかけたんじゃないか!  
と胸中で叫んだ。  
(大変ですねぇ)  
(落ち着いてないでよ!)  
(とりあえず斬ったらどうだ?)  
 さっちゃんに言われ、急いで左手で背負っている剣を抜き、彼女と繋げているものを斬り  
裂いた。小さな金属音が聞こえ、目の前にいた女の子はもの凄いスピードで去っていった。  
「取り敢えず何とかなったね」  
「うむ」  
「それにしても何だったのでしょうか?」  
 その問いかけには、誰も答えを出せそうになく、ただ時間を浪費するわけにもいかないので  
急いで家に帰った。  
 
 日が昇り、夜の闇を追い払う。空高くで照り続け、傾き、そして名残を惜しむような夕  
焼けが世界を暁に染め上げ、闇が還ってくる。  
「――だからお願い。今日はこの指輪を盗ってきてちょうだい」  
 僕の眼前には、昨日と同じように広告が突き出されていた。そこには親指の先ほどは  
ある宝石をあしらった指輪がでかでかと載っていた。  
「……今日も?」  
「お願い」  
「……でも休み」  
「お願い」  
「……一日くら」  
「お願い」  
「……行ってきます」  
「遅くならないうちに帰ってきてね」  
 
 
 
「――で、やはり母君に丸め込まれた、か」  
「逆らう気もなくなったよ……」  
「逞しい奥様ですねぇ」  
「否定しないよ」  
 美術館に忍び込んだ後だというのにまるで緊張感のない会話をしていた。今日も警官隊  
の警備網をかいくぐり、ライティング・リングが飾られているはずの展示室の近くまで来てい  
た。昨日盗んだばかりだというのに警備の手はいつもと変わった気配もなく、本当に美術品  
を守る気があるのだろうかと心配してしまう。  
「着くぞ」  
「突っ切るよ!」  
 角を曲がり、展示室への道を閉ざす扉が見え――見えない。警官隊の姿もなく、思わず  
足が止まってしまった。  
「扉が……開いてる?」  
「どうしたのでしょうか?」  
 いくらなんでもここまで警備が杜撰なわけがない。それが分かっていたから、いつも以上に  
緊張感が身体を駆け巡った。  
「さて、な。何にしろ行くしかあるまい?」  
 さっちゃんの言うとおりだ。ここで時間を浪費するわけにもいかない。それに、盗って帰らな  
ければ後で母さんにあんなことやそんなことをされるに決まってる。  
 意を決し、開け放たれたままの扉をくぐった。  
 
 目に映った光景に息を呑み、中空に漂っている甘ったるい、それでいて突き抜けるよう  
な刺激臭を感じ取り、口元を押さえて顔をしかめた。  
「なんだ? この匂い」  
 床には制服を着た大勢の警官が気持ちよさそうに眠っている。おそらくこの匂いにやら  
れたんだと思う。  
「OH! 案外早かったネ」  
 広い展示室のかなり向こうの方から独特なイントネーションをした声が聞こえてきた。  
忘れもしない。昨日聞いたばかりの女の子の声だ。  
「昨日の子か! 一体どうしてゲホッ、ゲホッ」  
 思いっきり不純な空気を吸い込んでしまった。少しだけ頭の中が温かくなってきた。  
「ダークダークッ」  
 走り寄ってくる彼女の声がかなり遠くに聞こえる。身体は触れそうなほど近くにあるのに、  
感覚はそう捉えていない。  
「お前サンが欲しいのはこのラブ・リングかえ?」  
「ら、ラブ……?」  
 そんな代物じゃなかった気がするが、目の前で彼女が手にしている指輪は紛れもなく僕  
が今日盗む予定のものだ。  
「一体全体誰にヤルのだ? もしかしてアターシのため?」  
 全然違うし。と言おうとしたけど、口が回らなくなってきた。まずい、一気に身体が重くなっ  
てきた。彼女が傍に寄ってきたせいなのか?  
 抱きかけた疑念は、そこでぷつりと途切れた――  
 
 ――身体が撫でられている。  
 最初に感じたのはそれだった。それも一ヶ所だけ重点的に、股間を。  
「……股間っ!?」  
 一気に視野が覚醒し、周囲の様子が目に飛び込んできた。街の光景が一望できる、ど  
こかの建物の屋上だとすぐに分かった。目を下に向けると、女の子が僕の股間を優しくま  
さぐっていた。  
「って、ちょっと待って待って!」  
「? どないしたカ」  
「どないもなにも、いきなり何やってるの君はッ!?」  
 立ちあがろうとしたけど、足が縛られ、手も後ろで固定されている。身動きが少しできる  
程度で、ほとんど自由がきかない。  
「惚れた男のお世話をいたすノハ女の務メでござる」  
「ほ、惚れたって……!」  
 そこで、変身した姿であるのを確認しようとしたけど、できなかった。変身は、していなか  
った。何故?という疑念はすぐに晴れた。  
(ぐぅ……ぐぅ……)  
(すー……すー……)  
 あの匂いの影響で――二人に本当に効くのか疑問だったけど――さっちゃんが寝てしま  
ったせいで変身が解け、、僕の姿は丹羽大介に戻っていた。もしかしたら変身が解ける瞬間  
も彼女に見られているかもしれないと不安がよぎった。  
「アハッ。なかなーか立派なモノをお持ちでんなァ」  
 そんな僕の想いをよそに、彼女は僕の股間を愛撫し続けていた。  
 
「いやッ、いいからやめてよ!」  
「遠慮なさルナ。性欲のままに身を委ねるノダ」  
 哀しいかな女性の愛撫に素直に反応してしまう下半身。欲棒がもくっと首をもたげ、立  
派なテントを形作っていた。  
「フフ、素直でヨロシイ」  
 彼女が怪しい笑みを浮かべている。何とかして逃げ出さなきゃと思うけど、手も足も使  
えない状況ではどうしようもない。  
「さあさ、ご対面ぞヨ」  
 彼女の手がズボンにかけられ、今まさに僕のあれが飛び出そうとした時、背中にごそご  
そと蠢くものが触れた。そこで、まだ手段が残されていることに気付いた。  
「ウィズゥッ!」  
 声を張り上げてその名を呼ぶと、背中から翼の開く音が空気を揺らし、身体を覆うほど  
巨大な黒翼が出現した。  
「WHAT!?」  
 突然起きた事に目を白黒させている彼女を置いて空に舞い上がった。  
「アッ! 待てェェッッ、ルパァ〜ン!」  
「泥棒違いだよ……って、うわわぁッ!」  
 彼女の手が依然としてしっかりと僕のズボンを掴んでいた。強引に飛んだ結果、ベルト  
がぶっつりと千切れ、僕の下半身が剥かれ、  
「OH、キュート――……」  
 という台詞を残し、彼女がズボンとともに落下していった。外気に晒された下半身を覆う  
ものはなく、ない。――何もない。  
「僕のパンツゥゥッッ!」  
 それまでも彼女に持っていかれていた。  
 
 せめてトランクスを取り返そうと思ったけど、すでに彼女の姿は見当たらず、股を両手  
で隠しながら帰るという非常に恥ずかしく情けない格好で家に帰った。もちろん家族に見  
つからないように自室のバルコニーから侵入した。  
 着替えを済ませて下に降りていくと、  
「あら大ちゃん、お帰りなさい」  
「ただいまぁ……あ」  
 母さんに会い、そこでようやく盗みが失敗したことを思い出した。正確には失敗したんじゃ  
なくて外国訛りの変態さんに先を越されたんだけど、どちらにしろ今は僕の手元に指輪は  
ない。  
「今日もお疲れ様。テレビじゃダークのことが引っ切り無しよ」  
 母さんに促がされるようにして見たテレビには、つい先程美術品がダークの手によって  
盗み出されたと大々的に放送してあった。  
「さすが、わしの孫じゃ」  
「お疲れ大助」  
 じいちゃんと父さんも満足気に頷いている。これから僕が伝えようとしていることが非常に  
言い出しづらい空気だけど、言わないわけにもいかない。  
「あ、あの、その指輪の件なんだけど……」  
「どうしたの大ちゃん?」  
 にこやかな母さんの笑顔が凍りつくのは、僅か数秒後の事だった――。  
 
「――で、母君は怒り狂ったというわけか」  
 さっちゃんが面白そうに笑い声を漏らした。  
「こっちは笑い事じゃなかったんだよ」  
 僕はさっちゃんの胸の谷間に頭を埋め、そのまま地面に溶け込みそうなほどだらしなく身体  
を投げ出していた。  
 僕が事情を説明したら、母さんは怒りに我を忘れて手当たり次第に家の中を破壊し始めた。  
慌てて丹羽家の男子全員で取り押さえたけど、じいちゃんはぎっくり腰、父さんは全身打撲と  
いう痛ましい犠牲を払うことになった。  
 
「その小娘、今度会ったら八つ裂きになさい」  
 
 母さんがこんな恐ろしいことを平然と言ってのけたことに驚きとともに戦慄した。眼が本気だ  
った。  
「次に会うこともそうありはしないだろう。気にすることはない」  
 そう言いながらさっちゃんが腕を回して僕の乳首を弄り始めた。  
「ふぉふふぇふほ。ふぃふぃふぃふぁいふぇ……えほ、えほ」  
レムちゃんが咳き込み、僕のモノから口を離した。  
「しゃぶりながら喋るのはどうかと……」  
 彼女の頭を撫でながら、再びその口の中に脈打つ肉を突き入れた。ちなみにさっきのを翻訳  
すると『そうですよ。気にしないで』だと思う。  
「でもさ、あの子しつこそうじゃない? また出くわすかもしれないよ」  
 乳首の周りを円を描くように刺激され、焦らされているのが分かり、早くもっとして欲しいという  
思いが湧き立った。  
「その時はその時だ。何とかすればよい」  
「楽観的な……」  
「んぱぁッ。世の中そんなものなのでは? はむッ」  
 咥え込まれるたびに頭が擦られて気持ちいい。新たな快感の発見の瞬間だ。  
 
「それよりも、だ」  
 ぐいっとさっちゃんの胸の中に頭が沈み込んだ。サイドに感じる胸の弾力が心地良い。  
これも新たな快感だ。  
「どうもあの小娘が撒いた薬が効いているらしくてな」  
 乳首を優しく抓まれ、自然と声が漏れた。  
「んぷはぁッ。身体が疼いて疼いてもうどうしようもないのです。んむぅッ」  
 やはりあの薬にはそんな作用があったんだな、と頷いた。僕自身も寝る直前になってか  
なりの性欲が湧き起こってきていたからだ。  
「じゃあ今日は力尽きるまでしよっか。あ、出る」  
 宣言した瞬間、レムちゃんの口内で僕が暴れ狂った。唇を締め、逃さないよう吸い上げら  
れるのがさらに射精を強めてくれた。薬の効能も相まってか、しばらくしなかった時くらい  
大量の精液が放出されるのが分かった。  
「んん……、濃いですねぇ」  
 にやっと笑う口の端から精液が一筋漏れ出した。それを舌で舐め取り、喉を鳴らして口  
の中のものをすべて呑み込んだ。  
「ほれ。次は我の相手をしてくれ」  
 今しがた欲望を吐き出したばかりで萎え始めていた肉塊をさっちゃんが握り締めて無理  
矢理上下にしごきだした。普通はそんなことをすれば敏感になりすぎた男根には辛いこと  
だけど、淫夢の精であるさっちゃんがしてくれるとみるみるうちに元気を取り戻し、戦闘態勢  
を整えてくれる。さすがさっちゃん。  
「さて。桜と菊、どちらを犯したい?」  
 耳元で甘く囁かれ、  
「菊で」  
 即答した。  
 
「この好き者め」  
 嬉しそうに言いながら、さっちゃんが僕の方にお尻を突き出してきた。二つの山を左右  
に押し拡げると、綺麗な皺が円をなす窄みがちょこっと姿を現し、それがぱくぱくと口の  
ように開閉を繰り返した。  
「早く挿入せい。我慢できずにひくついてしまってるではないか」  
 卑猥に動くそこを見て、さっき焦らされた仕返しをしてやろうと考えた。さっちゃんが望ん  
だモノは入れずに舌でそこを舐め上げた。  
「あン、こら。そんなことは、んッ……」  
 開いた菊の中を舌先で抉るように攻めると、さっちゃんが艶っぽい声をあげた。  
「いいね。可愛い」  
「からかうなっ!」  
 頬を染めて抗弁する彼女は本当に可愛らしいと思うのに、どうもさっちゃんは可愛いと  
言われるのが苦手なようだ。  
「じゃあ、綺麗?」  
「…………それなら許す」  
 今度は照れたように鼻の頭をぽりぽり掻いている。やっぱり可愛いと言いたくなった。  
「そんなことはどうでもいい!」  
 僕にとってはそうでもないけど。  
「早く入れんか! 主が欲しくて気が狂いそうだッ」  
 そうまで言われたら入れないわけにはいかない。唾液で十分に濡らした後門へ先端をぐ  
いぐい押しつけ、少しずつ腰を突き出していった。  
「んくぅぅゥッッ――」  
 さっちゃんにしては珍しく痛みを堪える声を漏らした。そう思ったけど、よく見ると彼女の  
顔はさっき以上に赤く染まり、息を荒げ、さらに前門から愛液が大量に滴り落ちている。  
「入れただけで、イッちゃったの?」  
 驚いたので訊いてみたけど、彼女は呼吸を乱したまま答えることができなかった。これ  
も薬の効果なのか?と考え、その影響のありがたさに少しだけあの子に感謝した。  
 
「じゃあ動くよ」  
 そう言ってあげてから腰を掴み、がんがんさっちゃんのお尻に腰をぶつけ始めた。直腸  
の奥まで挿し込むたびに彼女の口から引き攣った息が漏れ、死にそうなほど呼吸を荒げ  
て悦んでくれる。バックから快楽に歪んだ表情が拝めないことが残念だけど、その分彼女  
の声がはっきりと耳に届く。  
「うぅ、気持ちいいッッ」  
 押し突くほどに入り口の締りがよくなり、僕のモノに吸いついてくる。肉壁は柔和にうねり、  
優しく包み込んでくれる。肌を重ねてから一分もしないうちに、さっちゃんの腸内へ二度目の  
射精を行った。一度出していたにも拘らず、繋がり合うところから噴き出すほどの量の体液  
をブチ撒けていた。  
「ふぅぅッ、ふぅッ……」  
 身体を震わせているさっちゃんから腰を離すと、粘液が惜しむように糸を引いた。さっちゃん  
がもの欲しそうな目で僕の股間を見つめてくるけど、力が入らないのか、動こうとはしなかった。  
「激しいですねぇ」  
 背中に温かなものが触れたかと思うと、身体に細い腕が回された。全裸のレムちゃんが  
密着し、片手で僕の柔肉を弄びだした。  
 
「ま、まだやるの?」  
「当然なのですっ」  
 元気に返事をし、むぎゅっと金の玉袋を握られた。  
「――!!?」  
 不意の動作、予期せぬ鈍撃に腹の奥がきゅんとなった。  
「か……加減して、よ……」  
「ここ、これは申し訳ありませんです!!」  
 レムちゃんがさっと手を引いて謝った。性欲満々なのはいいけどまだテクニックはさっ  
ちゃんに及んでない。  
「謝罪の意を込めて口でさせてくださいっ」  
 僕の答えを待たずして、レムちゃんが前に回りこみ、己の精子がべろっと付着して萎え  
ているそれを根元まで咥え込んでいった。  
 この子は口でするのが好きで、その点においてはさっちゃんより数段上手だ。舌で全身  
にこびりつく生臭い体液を舐め取られると同時に、彼女の粘膜の中で三度目の射精へ向  
けての準備が整った。  
「レムちゃんはどっちがいい?」  
 さっちゃんとは逆に彼女に入れる穴を選ばせた。  
「わ、わたしはこっちがいいですぅ……」  
 両手で自分の縦割を拡げ、粘液で透き通るように輝く幼い内肉を外気に晒す姿に興奮した。  
 
「すけべだね」  
 顔を朱に染める彼女の足を左右に拡げ、小さな桜色の花弁をぱっくりと開いた。  
「恥ずかしいですぅ……」  
 両手で顔を隠す仕草が小動物のようで愛らしい。指の間から覗く瞳には期待に溢れてい  
るような気がした。  
「入れるね」  
 桃色の肉穴は彼女の身体と同じで小さく、挿入は捻じ込むように強引になってしまう。  
表情は読み取れないけど、眼は頑なに閉ざされ、時折り大きく身体をびくつかせている。  
「痛む?」  
 僕はいつもその心配をしている。何度やってもレムちゃんのあそこは初めてのように狭く、  
緩くならない。心なし最初の頃より穴が小さくなってる気がしないでもない。  
 レムちゃんはぶんぶんと首を横に振った。僕も彼女に苦痛を与えないようにゆっくり、  
慎重に腰を進めていった。  
「いぐッ! はにゅぅ、ぅぅッッ」  
 呻き声を聞きながら、狭い肉壁を拡げつつ根元まで咥え込ませた。腰を引こうとしたけど、  
そうしようとするだけで肉棒が股間から引き千切られそうだ。やっぱり狭い。喰いつきが  
強くなっている。  
「動いて……。平気、ですよぉ」  
 小さな呟きが耳に届いたけど、ここでピストンでは彼女も僕も気持ちよさが先に来ない。  
そこで僕は、  
「あッ! ひゃぁッッ!」  
 奥に剛直を突っ込んだまま、腰で円を描くように彼女の膣内で動かした。中を抉り取る  
ように犯していく。ピストンをしない分、痛みは少なくて澄むはずだ。  
「いやぁぅッ! なか、中ぐるぐるしてますぅぅッッ!!」  
 彼女が身体を捩るたびに膣を塞いでいるモノが捏ねくり回され、前後に擦る時とはまた  
違った刺激が気持ちいい。  
 
 それでも、快感に身を委ねて乱暴にならないようにゆっくりと回し続けた。もともと潤って  
いたそこから淫らな音が漏れ出している。途絶え途絶えに切らす息に、時折り艶っぽいも  
のが混じり始めた。具合がよくなってきたようだ。  
「動くよ」  
 慎重に腰を引くと、捏ねくり回した事が功を奏したようで、少しだけ緩くなった彼女の膣孔  
から僕のそれがずるずると身を現し、そしてまた穴の中へ沈めていく。  
「んん――」  
 レムちゃんが腰の動きに合わせて声を上ずらせる。奥にぶつけるたびに狭い孔道に収ま  
りきれない膣汁が音を立てて噴き出している。  
「んはァ……、恥ずかしぃぃ……」  
 頼りなさ気に呟く声に、一気にボルテージが上昇してしまった。  
「可愛いよ」  
 彼女の首に甘く噛みつき、舌先を筋に沿うように這わせると、短く甲高い声で鳴いた。  
「ひッ――!ぞくぞくしちゃ……ひゃンッ!」  
 舌を滑らせるだけで声にならなくなる彼女が愛しくなってきた。それと同時に下半身の疼き  
が増し、限界を迎えたいと訴えてきた。  
 
「イきそう、だよ」  
「んは、はいぃッッ!」  
 腰をぶつけ、いつの間にか彼女に対する気遣いは消えていたが、彼女の方もすでにその  
刺激に満更でなく、十分身体に快楽が突き抜けているようだった。  
「んくッ……!」  
 呻くと同時に、本日三度目の絶頂が訪れ、彼女の中で元気よく跳ね回った。暴れるのを押  
さえ込むために奥の方にまで突っ込み、  
「ぶるぶるッ、震えてますぅぅゥッ!」  
 実況するようにレムちゃんが口走る。長い放出が終わると、彼女が疲労のためか、ぐったり  
と脱力した。敏感を通り越して鈍感になりかけている陰茎をゆっくりと引き抜くと、力なく開いた  
孔内からとろとろと粘液の混合物が流れてきた。レムちゃんに被さらないように気をつけて、  
僕も地面に横になった。今日は大分頑張った。  
「主ぃ」  
 感覚さえはっきりとしなくなっているモノがぎゅっと締めつけられた。驚いて目を向けると、  
さっちゃんが地面に這いつくばりながら僕の萎縮した肉を握っていた。  
「もう一回。な?」  
「もう無理だぁぁぁーーッ」  
 僕の叫びが、白い世界に虚しく木霊した――。  
 
「――ひぃッ!」  
 怯えた声を出して僕は跳ね起きた。身体にはべったりと寝汗が噴き出し、まとわりつく  
寝巻きが気持ち悪い。  
 満足してもらったと思っていたけど、甘かった。二人の性欲は底なしで、跡になればな  
るほど僕はどんどん精気を搾り取られていった。  
 いつものように股間チェックをし、  
「…………あれ?」  
 まったく濡れていなかった。あれほど大量に、幾回も射精をしたにも拘らず。  
「OH」  
 訝しく思っている僕の右手がベッドに触れ、変な音が、いや、声が聞こえた。それにこ  
のベッド、やけに柔らかい。手元を見ると、僕は女性の象徴ともいえる部分の左側を揉ん  
でいた。  
「! ひぃぃぃっッ!!」  
 再び、さっきとは比較にならないほど大きな悲鳴をあげ、パニック状態になりかけた僕  
は文字通りベッドから転げ落ちた。  
「……ッ痛ぅ」  
 頭を激しくぶつけたせいで世界がぐるぐると揺らめいた。かぶりを振ってどうにか意識  
をはっきりさせてから見上げると、ベッドからのっそりと覗いてきた女の子の覚醒しきれ  
ていない寝惚け眼と視線が交わった。  
「UMM……。OH、ダイスケッ! お目覚めでやんすカ?」  
「なんでだぁぁぁァァァァッッッッッッ!!?」  
 
 大声量で吼えると彼女が耳を塞いでうるさそうな目を向けてきた。  
「怒鳴ると近所迷惑ダヨ?」  
「そんなことどうだっていいよ! どうして君が僕の部屋にいるのさ?!」  
 彼女がベッドから飛び降り、僕の目の前で正座して、  
「これを見るアル」  
 差し出された彼女の手には布が乗っていた。よく見ると、それは昨日僕の下半身から脱  
げ落ちていったトランクスだ。  
「ここ、ここ」  
「んん?」  
 指差すところを見ると、トランクスのゴムの内側に僕の家の住所が  
「いや嘘だよね?」  
「うん」  
 あっさり認められた。しばし、沈黙。  
「…………まあジョークはここマデね」  
「解決してないよ!」  
 彼女は聞く耳も持たず、手にしているトランクスを後ろに投げ捨てた。――僕のなのに。  
「……ん?」  
 そこで新たな発見があった。能天気な明るい笑顔を向けてくる彼女の釣り上がった口の  
端に、乾いた糊のようなものが一筋貼り付いている。  
「…………」  
 多分、僕の予想で当たっていると思うので言及しなかった。  
 
 けど、まだ彼女に言っておきたいことがあった。  
「あの、どうしてこの前からずっと僕に絡んでくるの?」  
 僕には彼女に絡まれるようなことをした記憶がない。二日前に会うまで顔を見たことも  
ないはずだ。  
 彼女は少しの間だけ黙考し、両手を叩き合わせた。  
「SORRYSORRY。言ってなかったネ」  
「うん」  
「これ見るよろシ」  
 どこから取り出したのか、彼女は新聞紙を手にしていた。そういえばトランクスもどこか  
ら出したのか少し疑問に思った。  
「これって……」  
 その新聞はうちが取っているのとは別のものだ。  
「アタシの家が取ってる新聞ヨ。ホラ、ここ」  
 彼女が指差すまでもなく、その記事は一番目立っていた。そこには、僕の――正確に  
はダークとしての――姿を遠くから撮った写真が掲載されていた。  
 それが分かった瞬間、心臓が爆発しそうなほど激しく打ち始め、汗が背中に吹き出てき  
た。やはり彼女は僕の、ダークの正体に気付いている。昨日、ばれてしまったに違いない。  
 僕の心中を見透かしているように彼女の表情が不敵に歪んだ。息を呑み、身構えていると、  
「心配しなさるナ」  
 彼女の台詞が意味するところが掴めず、頭の中が軽く混乱した。僕が訊き返すより早く、  
彼女が言葉を続けた。  
「将来のHUSBANDを陥れるような真似なんザできねーってンダ」  
 頬に手を当て、幾分紅くなった顔を隠すように俯いた。  
(は、はずばんど?)  
 ちょっと待った。確かこの前の英語の授業でそんな単語を習った覚えがある。  
(はずばんど……ハズ、バンド……HUSBANDは……)  
「そうだ、夫だ」  
 ちゃんと学校の授業が役立ったことに、ちょっと嬉しくなった。  
「イエースっ! ダイスケ、不束者でアルが末永くよろしくござル」  
 正座したまま頭が床につくほど深くお辞儀をされ、僕も返そうと手をついた。  
「って、違ぁぁぁぁぁうっっっっ!!!!」  
 
 早朝から本日二度目の咆哮。また彼女が顔をしかめた。  
「何っ? 何なのさ夫って! 勝手なこと言わないでよッッ!!」  
 口を挟ませることなく一気に捲くし立てた。息を切らし、ぜぇぜぇ肩で息をしていると、  
「大ちゃんどうしたの?」  
 階段の下から母さんの声が訊いてきた。慌てて何でもないと否定し、再び彼女と顔を見  
合わせた。一つ咳払いをして、十分間をおいてから確認するようにゆっくりと質問を始めた。  
「えっと、まずは君の名前を教えてくれるかな?」  
「あッ、まだ教えてなかったネ」  
 今度は彼女が咳をし、心なし居住いを正した。  
「アタシの名前は桧尾みおでありますル。どうぞヨロシク」  
 何が宜しくなのか怖かったので曖昧に頷くだけにした。  
「じゃあ桧尾さん、どうして僕に絡んでくるの? 正体を知ってるのにそれを言い触らさない  
なんて、どういうこと?」  
「そうだったヨ! もう一度見るノダ」  
 新聞紙を床に拡げると、今度は三面記事のところを開いて見せてきた。  
「ここよ、ココ」  
 大面積の新聞紙の片隅に、他の話題に押しやられて小さく数行程度のある記事が載って  
いた。  
「んっと……『盗賊クラウンの仕業か!? またもや美術品盗まれる』?」  
 そういえば中学に入るより以前、母さんから隣町の春日井町にうちと同じように代々怪盗  
家業をしている血族がいると聞かされた記憶がある。腕も確かで、その筋ではダークには  
及ばないまでもなかなか有名らしい。たまにニュースでも流れていたが、最近になってあま  
り見なくなっていた。  
 
 でもこの記事と桧尾さんとどういう関係が?と考えた時、僕の目に彼女の頭の上の王冠  
が映った。  
「…………クラウン? って、もしかしてっ!」  
 気付いた僕が桧尾さんに詰め寄るように新聞紙を超えて身を乗り出すと、彼女が満足そ  
うに頷いた。  
「おうともヨ! アターシが、新しく名を継いだ怪盗クラウンであール」  
 胸を反らせ、満面の笑みを浮かべる彼女はとても幼く見え、とても怪盗をやってるように  
は見えない。――それは僕にも言えることかもしれないけど。身体を引いて新聞紙と桧尾  
さんを交互に、何度も見やった。  
「……ん? 怪盗? でも新聞には盗賊って」  
 そこまで言った途端、彼女の方が新聞を乗り越えて僕に詰め寄ってきた。  
「そうなのッッ! アタシがダークの元に来たノモそれが理由ネ!」  
「ど、どういうことかな?」  
 たじろぐ僕にさらに桧尾さんが顔を寄せてきた。表情は怒ったような、泣き出したような、  
何とも喩えがたい複雑な形をしていた。彼女が僕に遭いに来た理由をようやく語りだした。  
「アタシがクラウンの名を継いでしばらく、順調に盗みの方もいってタノ。アタシも次第に  
クラウンの名にプライドを持ち始めてたノヨ。ところがその時、怪盗ダーク、つまーりダイ  
スケも仕事をし始めたんでござル」  
 そこで、一瞬だけ僕の方に視線を向けられた。  
「鮮やかな手口、ポリィスメンを欺く巧妙なトリック、そのせいでとうとうダークが春日井町  
の新聞の一面まで飾るようになったーでアルよ!」  
 新聞紙がくしゃくしゃになるほど強く床を叩きつけ、不意のことに身体が縮み上がった。  
彼女の言うことに思うところがあり、ベッド脇の壁にかかる長剣と円盾をちらっと盗み見た。  
さっちゃんレムちゃんという強力な助けを借りて盗みをするせいで、その手口やトリック  
といったものが人智を超えたものになり、過大にダークが評価されているんだと思う。も  
ちろん二人の事を言うわけにはいかないからそのことは当然黙っていた。  
 
「おかげでとうとうアタシのホームシティのニュースペーパーにまでダークがビッグに取  
り上げられて、アタシの記事は小さくなる一途……さらーに怪盗から盗賊に格下げヨ」  
 確かに、聞く限りでは桧尾さんの、クラウンの話は可哀想なもので、それに僕が一枚  
噛んでいるのも事実だ。  
「だからダークを亡き者にしようと東野町にやってきたのでゴザイマス」  
 桧尾さんがどこからともなく取り出した無数の凶器――短刀、ピストル、グローブ、栓  
抜き、コマにヨーヨー等――が床にぼろぼろと小さな山を作った。  
「こ、殺されるところだったんだ……」  
 凶器の数々を目にし、それが冗談では済まなかった事を思い知った。  
「でも、それじゃあどうして……その、夫だなんて」  
 最もな疑問だと思う。命を狙う仇から一転して夫にするだなんて、一体どういった心境  
の変化なんだろうか。  
「そ、それはァ……」  
 人差し指を絨毯に穴を穿つようにぐりぐり押しつけ、恥ずかしそうに言葉を紡いできた。  
「実際に会って……敵としてでハなくぅ……、つ、つまりィ……」  
 絨毯から煙が上がり、気のせいか彼女の指が少しずつめり込んでいってる気がする。  
 僕はすっと立ちあがり、服を着替え始めた。なんとなく、じゃない。僕の勘がこうしろ  
と告げている。財布があることを確認し、ズボンのポケットに押し込んだ。  
 彼女の指はすでに第二間接ほどまで埋まっている。  
 バルコニーに昨日脱ぎっぱなしだった靴があることも確かめた。怪盗時のものだけど、  
不都合があるわけでもないのでよしとしよう。  
「ウィズ」  
 名前を呼ぶとベッドの中からウィズがもこもこした身体を引きずって顔を覗かせた。  
「今日は一緒にいけないけど、大人しくしててね」  
 分かったのか分かってないのか、半眼で鳴いたウィズは再びベッドに潜り込んでいった。  
机の上に書置きを残し、これで済ませることは終わった。  
「あ、アタシはダイスケの事が……ッ!! WHY?! いないナリ!」  
 バルコニーに出て靴を履き、そのまま外に逃げ出した。  
 
「待つのダァァッッ!!」  
「もう追ってきた!?」  
 反応が早い。さすが怪盗クラウンの名を冠しているだけのことはある。と感心している  
場合じゃない。  
 後ろを振り返ると彼女が手に何かを持っている。あれは、ビン……壺?  
「そーれ、喰らうのジャッ!」  
 壺に手を突っ込み、僕に向かってこれまた何かを投げてきた。  
(粉……?)  
「くっ!」  
 触れちゃダメだ!そう思った時には行動に移していた。地面を蹴り、失礼ながら他人の  
家の塀を駆けさせてもらった。  
 僕がさっきまでいたところには不思議そうな目で僕を見上げるサッカーボールを持った  
少年の姿が。  
「! 危ないっ!」  
 少年がえっという顔をした時にはもう遅かった。桧尾さんが放った粉が少年に降り注い  
でいた。  
「は、はわぁぁぁッッ!!」  
 幼い子どもには似つかわしくない嬌声をあげ、その場に倒れてしまった。最後に一瞬だ  
け見えた表情は、絶頂を迎えたような至高の笑顔をしていた。  
「昨日の匂いの正体?」  
 走りながら、昨夜の美術館での警官隊の状態とさっきの少年の状態が似ていることに気  
付き、彼女が手にしているのが昨日のあれと同じものだと思った。  
「とにかく、逃げなきゃ!」  
 
 好きって言われても僕は困ってしまうわけで、それに捕まってしまえばあの粉の餌食に  
なって昨日の続きみたいなことをされてしまいかねない。いや、粉の効能を見た限り、そ  
れ以外の用途はないはずだ。  
「待っテーーッッ!!」  
 粉を振り撒きながら桧尾さんが後をもの凄い速さで追いかけてきている。時折り後ろか  
ら男性のものか女性のものか判断できない気持ちよさそうな叫びが聞こえてくる。  
 背後で起こっている惨状を目にしないように前だけを見据え、僕は走り続けた。  
「ってぇぇぇぇぇいッッッ!!」  
「上ぇっっ!?」  
 塀から横っ飛びに身を投げ出すと同時に、埃を巻き上げて他人の家のブロック塀が崩壊  
した。  
「んっふっふっふッフッフ」  
 目をぎらつかせ、桧尾さんが土埃の中から姿を現した。  
 
 これは、殺される……ッ!   
 
 そう思わされるほどの威圧感が彼女に纏わりついていた。急いで体勢を立て直し、大通り  
を目指すのはやめて細い路地裏を縫うように逃げることにした。  
 土地勘がある分、僕の方が有利に違いない。地元特有の裏道を駆使し、何とか彼女を撒  
こうと必死に走り続けた。  
 
 
 
 ――正午。  
「じゃあね」  
「ばいばい」  
 東野第二中学校の制服を着た女子が二人、公園の中で別れていた。二人とも健康的に  
黒く焼けた肌をしている。  
 走り去るラクロス部の友人の後ろ姿を見送り、原田梨紅は自転車を押して公園の中を進  
んだ。  
「わー。緑がこんなに……」  
 見上げると、青い空を覆い尽くすように無数の緑木の葉が青々と茂っていた。葉と葉の隙  
間から漏れる光が、彼女の周りを幻想的に照らし出していた。  
「……綺麗」  
 地面に映える木漏れ日を見ていると、自然と穏やかな気持ちになっていた。  
「――」  
「ん?」  
 その時、彼女の耳に何かが届いた。  
「――ッッぁぁぁぁ」  
 今度は、さっきよりはっきりと聞こえた。  
「…………上?」  
「退いてぇぇぇぇぇぇッッッッッ!!!」  
「ひッ――」  
 盛んに茂る青葉を散らし、上空から人影が降ってきた。目の前に墜落するそれを見て、  
梨紅は思わず息を呑んだ。  
 着地に失敗したのか、比喩なしの文字通りに地面にめり込む人影がずぼっと頭を引き抜  
いた。  
 
「あ、っつつぅ……。あ、あの、大丈夫だった?」  
 すっかり土で汚れた顔を上げた彼は、目にした女子の顔を見て固まった。  
「丹羽……くん?」  
「……梨紅さん」  
 彼女が誰か分かった途端、彼はしどろもどろになった。  
「そ、そのっ、これはッ! あ、あわわッッ!」  
 何故空から彼女の目の前に堕ちてきたか説明しようにも、どうにもうまい言葉が見つか  
らずに混乱だけが進んだ。  
「あ、あぁー……? 梨紅さん、日に焼けてるね」  
 何とか言葉を捻り出そうとして出たのがそれだった。  
「うん。ずっと部活だったから」  
 大助に言われ、腕を抱え焼けた肌を隠したことに彼女自身も気付かなかった。  
「そっか」  
 そして続く不思議な沈黙。優しい風が吹き、木の葉が擦り合う音が染み渡り、今まさに  
二人だけの世界がそこにはあった。  
「――ダイスケェェェェーー!!」  
 梨紅からすれば、それはようやく訪れた平穏な世界を切り裂く悪魔の雄叫びに聞こえ  
ただろう。声が終わると同時に、大助に飛びつく女子が現れた。  
「んなッ……!」  
 すぐ前で起きている出来事に梨紅は我が目を疑った。大助に馴れ馴れしく抱きつく女子  
が出現した事に驚き、しばし身体が硬直した。  
「桧尾さんッ! やめッ、やめてってば!」  
「ンもー、照れなさるナ。アタシとダイスケの仲ではおまへンカ」  
 大助が身体を離そうと試みるが、しっかりと抱きつく彼女は離れるどころかどんどんくっ  
ついていく。  
 
「アナタが逃げるから秘伝の粉が全部なくなったーヨ」  
「そ、それはよかった……」  
 ひっつかれ、身動きの十分に取れない大助が梨紅に向けて助けを請うような視線を送ると、  
彼女はそれに気付き、ようやく身体を動かした。  
「ちょっと! 丹羽くんが嫌がってるでしょ」  
 梨紅が口を挟むと、今まで嬉々として大助に抱きついていたみおの動きが止まり、ぎりぎり  
と音を立てて梨紅の方へ振り向いた。じと目で睨まれ、思わず引きそうになるが、負けじとそ  
の目をじっと見つめ返した。  
「むぅー、ダイスケ! 何アルかこのガールは?」  
「彼女は」  
「あたしは、丹羽くんのクラスメイトよ」  
 大介の前に梨紅が告げると、みおは彼女の顔を見て数回、目を瞬かせ、  
「OH、そうでござルか。アタシはダイスケのワイフになるであロウ桧尾みおなのだ。よろシュー  
たのんまスゥ」  
 険しい剣幕がぱっと晴れ、ぺこりと丁寧に頭を下げるみおにつられ、梨紅も深くお辞儀を返し  
てから、  
「ワイフッッ!?」  
 言葉の意味を確かめるように繰り返した。  
「ワイフって、あの、丹羽くんと……その、桧尾さんが?」  
「いやそれは誤解で」  
「そうなのダ!」  
 否定しようとする大助の言葉を遮るようにみおが声をあげ、さらに強く抱きついた。梨紅の表情  
が微かに引き攣ったことに、二人は気付かなかった。  
「やめてって! お願いだからぁッッ!」  
「んもー。照れるなこんチクショー」  
 べったりと触れ合う二人を見る梨紅の表情が、次第に歪み始めた。  
 
「……仲、いいんだね」  
「えーッ! 違うってこれは」  
「そうだヨ。アタシとダイスケは歯に衣着せぬ関係ナノダ!」  
 また誤解を招く言い方をされ、大助は懸命に否定した。しかし、やはりみおが邪魔する  
ように強く抱きつく。  
「あ、あぅぅ……」  
 抱きつかれ、困り果てて呻く大助の視線が梨紅に向けられた。助けを求めようと縋るそ  
の瞳に、梨紅は言葉を詰まらせた。  
(アタシにどうしろっていうの……)  
(とにかく、助けて!)  
(うぅ……困るよぉ)  
(お願い助けてっ!)  
 等という脳内対話が行われた気がする。梨紅はどうすればいいか心を落ち着かせて考  
えた。  
「ダイスケェー」  
「うッ、うぅぅッッ」  
 みおが大助に頬を摺り寄せるのを見て、切れた。  
 
「丹羽くんっ」  
 ずかずかと自転車を引いて大助の傍により、その腕を掴んだ。抱き合っている二人が  
目を瞬かせていると、  
「約束、覚えてるよね?」  
「え……?」  
 声を漏らしたのは言葉をかけられた大助本人だった。間抜けな顔をしている彼に、梨紅  
はさらに念を押して言葉を浴びせた。  
「だから、この前した約束。その日が今日だったよね?」  
「約束ゥ? 何の事ダ、ダイスケ?」  
「?」  
 みおに訊かれるが、大助にも思い当たる節はなく、怪訝な顔を梨紅に向けた。  
 すると、梨紅が右目をぱちぱちとウィンクのような仕草を大助に送った。  
(ほら、話し合わせて)  
(そうか。そういう事なんだね!)  
(早く。怪しまれちゃうでしょ)  
(うん、分かった)  
 等という脳内対話が再び行われた気がする。  
 
「そっ、そうなんだ! 今日はこれから梨紅さんと用事があるんだ!」  
「エッ?」  
 みおが狐に抓まれたような顔をし、僅かに力が緩んだ瞬間、大助が身体を引き離して  
梨紅の傍に移った。  
「だから桧尾さんとは……」  
「そっ。そういうわけだから」  
 申し訳なさそうにする大助の横で、梨紅が素っ気無く告げた。しかし、みおがここで引  
き下がるわけがなかった。  
「ムーッ、納得できなーイ! HEY! そこの黒っ子ガール!」  
「黒……ッ!」  
 梨紅がかちんときた後もみおは言葉を続けてきた。  
「ユーはダイスケとどんな関係でございまスカ? 教えやガレィッ!」  
「ひ、桧尾さんには関係ないでしょ!」  
 みおのしつこさに内心焦りつつ、ぼろが出ないように早々に会話を切り上げようとする  
が、彼女は諦めない。  
「ありやがル! アターシはダイスケと付き合ってるのダヨ!?」  
「それは違……」  
「それとも何? ユーがダイスケと付き合ってるのカ?」  
「え゛……」  
「これからダイスケとデートなノカ?」  
 どうしてそんなとんでもない発想が次々と浮かんでくるのか、思っただけで大助の気は  
滅入った。とにかく今はこの状況を切り抜けようと方法を模索していた時、  
「…………そ、そうよ」  
『えーーッッ!!』  
 驚いたのは訊いたみおだけではない、大助もだ。そのとんでもない台詞に大助の頭の  
中は真っ白になり、考えが霧散していった。  
 
「ま、待ってよ梨紅さん。いくら助けてくれるからってそこまで言わなくても……」  
「な、何よ! あた、あたしとデートするの嫌なの!?」  
「いッ! あ、や……そうじゃなくてぇ……」  
 助けてくれるだけのはずが、いつの間にかデートをするかどうかという点に論点がずれ  
ていることにも気付かず、大助は酷く答えづらい問いかけに閉口した。  
「んもうッ! はっきりしなさいよ!」  
 梨紅が急かす様を目にし、  
「AH、二人は付き合ってるのではなかったでござルカ?」  
 二人の裏を見透かした表情でみおは訊ねた。その顔に、台詞に、もう後には退けない事  
を悟った大助は、半ば自棄気味にみおに言い放った。  
「つ、付き合ってるよ! ねッ、梨紅さん!?」  
「う、うん! そうね丹羽くん!?」  
 互いに顔を見合わせ、引き攣った笑いを貼りつけながら、さらに笑い続けた。その様子を、  
みおは未だに意地の悪そうな表情で見ていた。  
「じゃ、じゃあ僕らはこれで」  
「さ、さようなら桧尾さん」  
 二人がみおに手を振り、並んで去ろうとすると、その背中に彼女が声をかけた。  
「せいぜい楽しんできやがレーイ!」  
 先程までのしつこさとは打って変わって、何ともあっさりと引いてくれたことに一瞬だけ不  
思議な思いで大助と梨紅が視線を交わしたが、すぐに後ろを振り返り、また手を振り離れ  
ていった。  
 みおも踵を返し、二人とは逆の方向へ歩き出した。その口が不気味に釣りあがっていた  
ことは言うまでもなかった。  
 
「いたたたたぁ……」  
 全身の筋肉の悲鳴を聞きながら、原田梨紗は薬局を後にした。自宅にある湿布の買い置  
きが切れたため、軽くウォーキングがてら買出しに来ていた。手に提げた袋には文字通り、  
溢れんばかりに湿布が詰め込まれていた。いきなりランニングなんか始めるものじゃない  
な、ということを身をもって知った。  
(それでもっ……!)  
 自分はまだ走り回らなければならないという事をよく分かっていた。まだまだ、しなきゃいけ  
ない事があるんだから、そう自分に言い聞かせ、この筋肉痛も覚悟の上だと納得しておいた。  
「いたたたぁ……」  
 家を出る前に残りわずかの湿布を背中に貼っておいたが、未だに溜まった疲労は取れてい  
なかった。袋片手に腰を曲げて二、三度叩く様は、行商のおばちゃんに似ている。  
「しんどー……あれ?」  
 満身創痍の身体を引きずっている彼女の視界の端に、道路を挟んで逆側の公園にいる人  
影が映り込んだ。それは体を蝕む筋肉痛の原因と関係があり、彼女が捜していた少年の姿  
だった。彼を見つけ、頬が緩むのを自覚したが、構わずに傍に行こうと横断歩道まで急いだ。  
「丹羽く――」  
 そこで、ようやく彼が一人ではないことに気付いた。降って湧いたように視界の中にもう一つ  
人影が現れた。それは彼女がよく見知る人物、彼女の片割れ、理解者。最も親しい者である、  
「…………梨紅」  
 ――姉。  
 二人が並んでいるところを目の当たりにし、心臓が縮み上がる想いを抱いた。  
(な、んで……)  
 羽虫の飛翔にしか過ぎない、小さなざわめき。  
(そうよ、たまたま一緒なだけじゃない)  
 水紋が拡がるように、次第に大きくなっていく疑心。  
(……違うよね? そうじゃ、ないよね?)  
 呼応して高まる心音。心に生じた、微かな亀裂。  
(梨紅が……盗っちゃうの?)  
 灼ける程強く心臓が脈打ち、そして彼女は――  
 
「ついて来てる……」  
 後ろを振り返らずに、隣にいる梨紅さんに小声で告げた。  
「えぇっ、本当?」  
 首を縦に振ると、梨紅さんが大きく溜め息を吐いた。  
「あの子もしつっこいなぁ」  
「ごめん。せっかく助けてもらったのに」  
 梨紅さんは別にいいよ、と笑って言ってくれたけど、僕はやはりばつが悪い思いでいっ  
ぱいだった。  
「うぅん……」  
 桧尾さんに尾行されているからには迂闊に梨紅さんと別れることもできず、この状況を  
切り抜けるうまい方法も見つからず、一人で唸っていた。  
「……ま、まあ立ち話もなんだし、どこか行こうよ」  
「ん? うん。………………っえ、ええ! ぼ、僕と!?」  
 梨紅さんに言われてからしばらくして、ようやくその意味を呑み込めた。  
「他に誰がいるのよ?」  
 当たり前でしょと言いたげに彼女が顔を近づけてきた。  
「んでも、でもさっ! ああ、いや……いや、嫌じゃないんだけどぉ……」  
 いきなり、不意に、突然に誘われて気が動転してしまった。そんな僕にさらに彼女の顔  
が迫ってきた。息がかかってしまう程の距離、思わず息を止めてしまった。  
「いい? あたしたちは、今、デェトしてるんだよ?」  
「あ……」  
「だから、桧尾さんに怪しまれないように、それらしく振る舞わなきゃいけないんだよ」  
 そうだった。梨紅さんの思わぬ発言に現状を見失っていた。  
 梨紅さんからすれば、今日のこれはいきなり降りかかった災厄みたいな出来事に違い  
ないのに、話を合わせて助けてもらった上に、こうやってしっかりフォローまでしてくれる。  
「うん。付き合ってくれて、本当にありがとう」  
 素直な気持ちでお礼を言うと、梨紅さんはそっぽを向くように顔を逸らしてしまった。  
 
「お、お礼なんていいよ。まだ安心できないんだからね」  
「そっか。それじゃ、また後でお礼言うよ」  
「うん……」  
 梨紅さんが頷くと同時に、僕のお腹がぎゅるぎゅるとひどい音を立てて鳴いた。そうい  
えば、今朝から何も口にしてなかったんだ。  
「お腹空いてるんだ? もうお昼だもんね」  
 朝も食べてないんだ、と言う必要もないので梨紅さんの言葉に同意した。  
「それじゃ、お昼食べに行こっか」  
 デートらしいしね、と小声で付け足され、顔が熱くなるのが自覚できた。そんな僕の様  
子を知ってか知らずか、梨紅さんはさっぱりしている。  
「どこか行きたい場所ある?」  
 そう訊かれ、まず思い浮かんだのは先日行ったラブホテル  
(じゃなくて)  
 その前に立ち寄ったハンバーガーショップ『マホドナルド』だった。梨紅さんにマホドナル  
ドのことを言うと、  
「じゃあそこにしよ」  
 即決即断。コンマ2秒で昼食がハンバーガーになった。  
 それから会話をしたかどうかは覚えていないけど、いつの間にかマホドナルドが目の前  
にあった。  
「自転車置いてくるから待ってて」  
 梨紅さんが離れている間も視線を感じた。  
(……僕を見てるのか)  
 梨紅さんを見ているんじゃないと分かり、ほっと胸を撫で下ろした。変に因縁なんかつ  
けて、彼女に迷惑がかかってしまうことはごめんだからだ。  
 けど、桧尾さんのこの視線はなんていうか、刺すような冷たさを感じる。元気一杯、天真  
爛漫な彼女がこんな視線を送ってくるのはあまりしっくりこない。  
「お待たせー」  
 梨紅さんが駆け寄ってくると、僕は彼女と一緒に逃げるようにマホドナルドへ入った。  
 
「――それで」  
 ハンバーガー、ドリンク諸々が乗ったトレイを持って席につくなり、梨紅さんが強い調子  
で声を出した。  
「丹羽くんは桧尾さんとどういう関係なの?」  
「え……」  
「だってあたし、まだ丹羽くんとあの子の関係聞いてないもん」  
「それは――」  
 果たして梨紅さんに話していいものかどうか悩み、口を噤んでしまった。実は桧尾さんは  
怪盗で、僕の命を狙っていたけど一目惚れされたんだ、なんて正直に言ったところで信じ  
てもらえるわけがない。  
「言えないの? やっぱりそーゆー関係なんだ?」  
 目が据わっている。さっき外で感じた視線とは別の怖さが含まれていて、蛇に睨まれた蛙  
のように呼吸さえままならなかった。  
 なんとか喉を鳴らして口を開き、考えも無しにぺらぺらと次から次へ引っ切り無しにとにか  
く怪しまれる箇所は省いて誤解を招かないように言葉を紡いだついでに必要以上に身振り  
手振りを交えてあれこれと一気に押し切った。  
「…………あー」  
 息を切らす僕の前には、明らかに理解できていない梨紅さんの表情があった。  
「んー……と、つまり桧尾さんは丹羽くんが春日井で知り合った子で、一目惚れされちゃって  
追いかけ回されてた。ってこと?」  
 うん、と声にならない音を出して頷いた。  
「無理しないでいいよ。ほら、飲み物飲んで落ち着いて」  
 梨紅さんに言われてから、音を立ててドリンクを流し込んだ。  
「――ぷはーッ。……うん、落ち着いてきた」  
 彼女がほっと一息吐き、その表情が少しだけ緩んだ。と思ったら次の瞬間にはそれがきつく  
なっていた。  
 
「大体丹羽くんがいけないんだよ」  
「え?」  
 どうして、と聞く暇もなく梨紅さんが続けた。  
「だって、丹羽くんが普段からぽーっとしてるから桧尾さんにいいように言い寄られちゃ  
うんだよ」  
「ぼ、僕ってそんなにぽーっとして」  
「見える」  
「…………」  
 釘を刺されるように即答され、すぐさま我が身を振り返ってみた。確かに学校ではそん  
な風に振る舞っているけど、夜は凄いんだ。そう言いたい衝動が少しだけあった。言えは  
しないんだけどね。  
 それにどんなにしっかりした人でも、桧尾さんのペースには誰も逆らえないはずだ。そ  
れは推測じゃなくて確信に近いところがある。今日、梨紅さんに逢うまでに通ってきた道  
がその証拠かもしれない。そこが今どのような惨状になっているのか、ひどく気がかりだ  
けど、知りたくない。  
「もっとしゃきっとした方がいいよ。男の子でしょ?」  
「う、うん……」  
「返事ははい」  
「はいィっ!」  
 返事をしながら、完全に梨紅さんのペースになっていることに気付いた。もしかしたらこれ  
からも女子と接する時はこうやってずっと圧されっぱなしなのかな?という考えがよ  
ぎり、少しだけ気分が落ち込んだ。  
 そんな気分が微塵も伝わっていないのか、梨紅さんは表情を明るくさせた。  
「それじゃ食べよっか? あたしも部活が終わったばっかでお腹ぺこぺこなんだ」  
「うん。いただきます」  
 一緒にハンバーガーを食べ始めた。この前――といっても数日も前のことじゃないけど  
――ここで食べた味を思い出しながら口にすると、あの時の美味しさがそっくりそのまま甦っ  
てきた。  
(それに……)  
 僕と同じく美味しそうにハンバーガーを齧る梨紅さんを見ながら食べれるなんて、これは  
すごく幸せなことじゃないのか?と思えてきた。  
 
「あっ、そだ」  
「! ――っ」  
 急いで視線を下げた。梨紅さんが突然、顔を上げて僕に話しかけてきた。  
「ねえ、ちょっと訊いていいかな?」  
 幸い、彼女はその事に気付いていないようだ。  
「なに?」  
 平静を装って言葉を促がした。それでも少しだけ動揺していたのでハンバーガーを口に  
してごまかした。  
「あのさ、どうして今日、丹羽くんが空から降ってきたの? っきゃぁぁぁッッッ!!」  
 口の中にあったものがすべて喉に詰まり、冷や汗を垂らしながらもがき苦しんだ。  
「丹羽くんっ! 丹羽くんっっ!?」  
 眼前のテーブルがぐるぐる渦巻いている。――視界が揺らいでいた。  
 背中に数度、軽い衝撃が走った。それが背中から胸に突き抜ける感じとともに、喉につ  
っかえていたものが僅かに緩んだ。すかさずドリンクを口に含み、喉が張り裂けそうになる  
のを堪えて何とかして飲み込んだ。  
「……っし、死ぬかと、思っ……」  
「喋んなくていいから。どう? 少しは落ち着いた?」  
 梨紅さんの声がすぐ傍で聞こえ、横を見ると本当にすぐ傍に彼女の顔があった。僕の顔  
色を窺いながら、優しく背中をさすってくれていた。  
「…………うん、もう平気」  
「ホント?」  
「うん」  
「なら、いいけど」  
 梨紅さんが席につく前に周囲に小さく頭を下げるのが目に入った。かなり目立っていたら  
しい。僕も頭を下げ、それから恥ずかしさが徐々に込み上げてきた。  
 それからは周囲の目が気になってか、お互い無言で食べ続けた。  
 
「恥ずかしかったぁー」  
「ごめん……」  
 大通りを歩き始めて最初に交わした言葉がそれだった。  
「いいって。大事にならなくて安心したんだから」  
 思いやりに満ちた言葉を噛み締めながら、さっきから彼女を心配させてばっかりだとい  
うことに気付き、自分が情けなくなってきた。  
「丹羽くん?」  
 考えているところに声をかけられ、また僕がなにかしたのか思って胸が跳ねた。振り向  
くと、彼女の曇った顔が目に映った。  
「あのさ、あたしがあんなこと訊いちゃったからかな?」  
 あんなこととは、さっきマホドナルドでされた質問を指していると分かり、それがまったく  
無関係じゃなく、まさに調子を悪くしたそのものなので、はっきりと否定することができな  
かった。  
「やっぱり、そうなんだぁ」  
 大きな溜め息の後、大袈裟な仕草で点を仰いで嘆くような声を出された。  
「いや。うぅ、それはぁ……」  
「あーあ。恋人同士で隠し事なんて、やだなぁ」  
 言いよどんでいた僕は、梨紅さんのその台詞を聞いて、言葉通り二の句が出なくなった。  
彼女が僕に向ける視線が、よく前まで夢の中に出てきた梨紅さんのそれによく似た、ひどく  
悪戯っぽいものに見えた。  
 
 呆気にとられて梨紅さんの顔を凝視していると、彼女の悪戯な笑みが次第に崩れていき、  
同時に押し殺した小さな笑いが聞こえ、彼女が身をかがめた。  
「じょ、冗談だよぉ! そんな、驚かなくっていいでしょ?」  
「…………冗談」  
 繰り返すように唱え、しばらく思考を巡らせて、横で身体を震わせる梨紅さんを見て、ああ  
そういうことかと納得した。  
「そんな冗談言わないでよっ!」  
「あははっ、ごめんごめん」  
 笑いすぎて顔を紅くしている梨紅さんは目尻に涙まで浮かべている。  
「笑いすぎだよそれっ!」  
「だ、だからごめんって」  
 笑い続ける彼女に、僕は言葉をぶつけ続けた。  
 
 それからはする事もなく、二人並んで小物店やペットショップ、いろいろなところを歩き  
回って時間を潰した。  
(……時間を潰した?)  
 なんで僕はそんなことをしているんだろう。  
「――あっ!」  
 そこで、やっと、久々に、思い出した。  
「どうしたの?」  
 きょろきょろと周囲を窺う僕に、梨紅さんが怪訝な表情で訊ねてきた。  
「桧尾さんのこと、忘れてた……」  
 その名前を出した途端、梨紅さんも目を大きくした。  
「? もしかして、梨紅さんも忘れ」  
「きっとどこかでこっち見てるはずよ! さ、行こ!」  
 忘れていたみたいだ。  
「でも……」  
 桧尾さんのことを思い出したら、今度はあるものがなくなっていることに気付いた。  
「でも……って、早く行かないと怪しまれちゃうんじゃない?」  
 梨紅さんはそのことに気付いてないらしい。初めからそうなのかもしれないけど。動こ  
うとしない僕に焦れているのか、少し不機嫌そうだ。  
「うん……。多分、もう桧尾さんはいないよ」  
 僕の言葉に、梨紅さんの顔に疑問の色が現れた。  
「なんでそう言えるの?」  
「最初の方は桧尾さんがついてきてたよね? 視線も感じてたんだ」  
「へー。丹羽くんって人の視線が分かっちゃうんだ?」  
「な、なんとなくだよ。……で、今は全然桧尾さんの視線を感じないんだ」  
 梨紅さんが感心したような表情をし、すぐに首をかしげた。  
「でもでも、こっそり遠くから見てたりするんじゃない?」  
「それは……」  
 ないと言いかけて、説明を求められたら、間違えようがない刺すように冷たい視線がな  
くなったから、と言ってしまうのは気が引けた。あの桧尾さんに――迷惑な子だけど――  
そんな一面があるとは信じられないでいる自分がいた。  
 
「とにかくっ! もう安心だよ」  
 不思議そうだった梨紅さんが、今度は疑うような視線を送ってきた。けど、それは一瞬  
だった。  
「そうだね、丹羽くんがいいって言うならいいよ」  
「ありがとう。今日は本当に助かったよ」  
「うん……」  
 軽く微笑む梨紅さんに約束していたお礼を言い、名残惜しいけど、ずっといるわけにも  
いかず、距離をとって手を振った。  
「それじゃ、さよなら」  
 
 ――あ……  
 
 背を向けて走ろうとしていたところに声をかけられたような、気がした。少しだけ首を後ろ  
に巡らせると、梨紅さんの表情が痛いほど目に飛び込んできた。  
 傷付いたような、寂しそうな、泣き出しそうな、切ないような、複雑な顔だった。さっきまで  
とは一転した変化に、心がひどく波打つ音が聞こえた。  
「――梨紅さん!」  
 呼びかけると、彼女の身体が微かに震えた。未だに明るさの戻らない顔が、激しく胸を  
打ちつけた。  
「またねっ!」  
 なにがまたなのか、自分でもよくわからない。だけど、それ以外に言いたい台詞がなかった。  
 彼女の表情が何度か微妙に変化した気がするけど、細かく覚えていない。ただ、最後に  
笑ってくれたことだけが印象的だった。  
「うん、また!」  
 
 梨紅さんと別れ、家に着く直前になり、そこで身体が緊張した。ここまで浮かれていた  
のか、まったく気を張らず来てしまったけど、もしかしたら桧尾さんに襲われていたかも  
しれない。いくら梨紅さんとの擬似デートの途中で気配を感じなくなったからといっても、  
あまりにも無防備すぎたかもしれない。  
 なるべく家族との接触を避けようと思い、家を出たときと同じようにバルコニーから進入  
した。  
「ッんな……!」  
 部屋の中を覗き、絶句した。  
「なんだこれぇぇぇッッ!?」  
 物取りにあったというにはあまりにも汚すぎる現場。机の棚、引き出し、クローゼットに  
至るまで、その中身が引っくり返されて部屋に溢れかえっていた。  
「! とにかく……」  
 部屋に入り、見回してみると、その惨劇の後がまざまざと目に焼きついた。  
「やっと帰ったか」  
「はぁ……です」  
 耳に疲れ果てた二つの声が聞こえてきた。  
「さっちゃん、レムちゃん! どうなってるのこれ!?」  
 
「どうもこうもない。あの小娘が主の部屋に入ってきたかと思うとあっという間に引っく  
り返していったのだ」  
「見ているこっちが疲れるほどだったのですぅ」  
「そんなぁ……。なんで止めてくれなかったの?」  
「我らには無理だ」  
「動けない〜です」  
「うぅ……。そうだ、ウィズは!?」  
 この部屋で、僕以外に動ける唯一の存在がいたじゃないか。ウィズがいたからこの  
惨状が回避できたとは思えないけど、これ以上ひどくはなっていなかったと……自信  
はないけど思う。  
「ここだ」  
「どこ?」  
「ベッドの中ですねぇ」  
 二人が言うとおり、布団の中には幸せそうな寝息を立て、ウィズが安らかに眠っていた。  
「偉いなぁ。主の言いつけを守ってあの状況の中」  
「何もせずに大人しくしてたのです」  
「そんなぁ……」  
 力なくうな垂れると、床に封筒が落ちているのが目についた。白いそれにはっきりでか  
でかと「YOUR LOVER みお」と書かれていた。  
 その意味は考えず、中に入っている便箋を取り出した。  
 
 今日は帰るゾ。またナノダ。  
 
「もういいよぉぉぉぉぉぉッッッッッッ!!!」  
 
 
 
「梨紅様。お帰りなさいませ」  
「ただいまー」  
 いつものように坪内の丁寧な言葉を受けながら、梨紅は玄関から家に上がった。  
「今日は遅いお帰りですね? 何かございましたか?」  
「ん、いろいろね」  
「いろいろ……でございますか」  
 梨紅は頷き、自室へ向かおうとした。  
「梨紅様、そろそろ夕食の準備が整います。宜しければ梨紗様を呼んできてもらえませ  
んか?」  
「はーい」  
 この匂いはミートソースかな?と夕飯を模索しながら、音を立てて階段を駆け上がった。  
机に鞄を置き、さっきまで抱いていた気持ちを呼び起こした。玄関をくぐるまでは気が気  
ではなかった。  
 
 またね  
 
 この言葉を彼はどういう意図で言ったか、どう考えても彼女の今の思考では行き着く答  
えは一つしかなかった。  
 顔と胸が熱くなるのを自覚しながら、大きく頭を振ってその思いを振り払った。  
「だめだめだめッ! あの子がいるのに、そんなこと考えちゃ……」  
 一度口に出し、続けて頭の中で何度も繰り返した。つい今まで抱いていた光が、じわじわ  
とくすみ、その灯りが漏れないよう胸の奥深くに圧し込み、押し殺した。  
 これでいいんだ。これでいいんだと繰り返し、それでも完全に仕舞いきれない想いは少し  
ずつ増している。  
 梨紗がいるのに。梨紗がいるのにと繰り返しながらも、大助と親しくなろうとしている自分は  
ひどくずるい人間に思え、自己嫌悪に近い感情が溢れてきた。  
 再び頭を振り、小さく気合いを入れて梨紗の部屋へ向かった。  
 
 梨紗の部屋の扉を数回ノックし、少しだけ開けた。  
「梨紗ー。夕食できたって」  
 部屋の中に呼びかけると返事があるはずだが、今日は返ってこなかった。  
「? 梨紗ー」  
 妙だと感じた梨紅がドアを開け放ち中を見ると、ベッドにうつ伏せになっている梨紗が  
目に入った。  
「どうしたの? 気分悪いとか……」  
 心配した梨紅が部屋に踏み込んだ時、  
「来ないで……」  
 梨紗が消え入りそうな声でその脚を止めた。  
「ねえ、どうしたの? 坪内さん呼ぼっか?」  
「いいから、出てって……」  
 さらに心配する梨紅に、今度は先程より幾分はっきりと、確かに聞こえた。  
「やっぱ梨紗おかしいよ。どうしちゃったの?」  
「…………おかしいのは、梨紅の方だよ」  
 震えて絞り出す声を聞いたとき、梨紅は梨紗が泣いているんだと、確信した。  
「あたしがおかしいって……」  
「だってそうでしょ!!?」  
 感情を剥き出しにし、梨紗が目尻から雫を散らして梨紅を睨みつけた。光る頬が、その  
涙の量を物語っていた。  
「ど、どうしちゃったの?」  
 姉妹喧嘩をした時でさえ、これほど泣かれた事はない、これほど怒りをあらわにされた  
事はない、これほど狼狽えた事はない。初めて見る梨紗に、梨紅はたじろいだ。  
「いいから、出てってよっっっ!!」  
「――!」  
 梨紗の剣幕に気圧され、梨紅は怯えた子猫のように身体をびくつかせ、扉を閉めた。向  
かいの壁に背がぶつかり、そのまま力なくずるずると座り込んだ。  
「な、んで……?」  
 梨紅はただ呆然と、疑問の言葉を繰り返し呟きながら、むせ返るような嗚咽が響く部屋  
の扉を見つめていた。  
 
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